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2015.08.29

Les Misérablesの民衆の歌(A La Volonté Du Peuple)

 ツイッターのタイムラインを見ていたら、30日の抗議で、高校生100人がLes Misérablesの民衆の歌(A La Volonté Du Peuple)を歌うという話題が流れてきた。



 何語で歌うのかなとふと疑問に思った。日本語訳だろうか。あるいはオリジナルの英語だろうか。
 あるいは話題にちなんでフランス語訳で歌うだろうか。するとこんな雰囲気になるだろうか。力強く美しい歌である。

 フランス語の歌詞がなかなか面白いので、誤訳しているかもしれないが、雰囲気を知る手がかりに試訳を添えておく。

フランス語版フィナーレ

À la volonté du peuple dont on n'étouffe jamais la voix
Et dont le chant renaît toujours et dont le chant renaît déjà
Nous voulons que la lumière déchire le masque de la nuit
Pour illuminer notre terre et changer la vie

国民の意志に向けて声を恐れない
歌声は生まれ変わるし、もう生まれ変わった
私たちはこの光で夜の帳を一掃したい
国土に光をもたらし、私たちの人生を変えるために

Il viendra le jour glorieux où dans sa marche vers l'idéal
L'homme ira vers le progrès du mal au bien du faux au vrai
Un rêve peut mourir mais on n'enterre jamais l'avenir

栄光の日が訪れ、それは理想へと行進する
人類は進歩するのだ、悪から善へ、虚偽から真実へ
ひとつの夢は死ぬかもしれないが、人は未来に埋葬されはしない

Joignez-vous à la croisade de ceux qui croient au genre humain
Pour une seule barricade qui tombe cent autres se lèveront demain
À la volonté du peuple un tambour chante dans le lointain
Il vient annoncer le grand jour et c'est pour demain

人類を信じる君たちは十字軍に参加せよ
ひとつのバリケードのために。それが崩れても明日百のバリケードが起きるだろう
国民の意志に向けて遠くから太鼓が歌っている
それが偉大なる日を告げにくる。明日のために。

Joignez-vous à la croisade de ceux qui croient au genre humain
Pour une seule barricade qui tombe cent autres se lèveront demain
À la volonté du peuple un tambour chante dans le lointain
Il vient annoncer le grand jour et c'est pour demain

(繰り返し)

C'est pour demain!

明日のために!




 歌の雰囲気よりも歌詞を重視して聴くのであれば、次の版(コンセプト版)のほうがわかりやすいだろう。こちらは歌詞が少し違う。

コンセプト版

A la volonté du peuple
Et à la santé du progrès,
Remplis ton cœur d'un vin rebelle
Et à demain, ami fidèle.
Nous voulons faire la lumière
Malgré le masque de la nuit
Pour illuminer notre terre
Et changer la vie.

国民の意志のために
進歩の健全のために
君の心臓を反逆のワインで満たせ
明日のために、忠実な友よ
私たちは夜の帳にもかかわらず
この光をもたらしたい
私たちの国土を照らすために
私たちの人生を変えるために

Il faut gagner à la guerre
Notre sillon à labourer,
Déblayer la misère
Pour les blonds épis de la paix
Qui danseront de joie
Au grand vent de la liberté.

この戦争に勝利しなければならないのだ
私たちの畑を耕し
悲惨を一掃するのだ
平和の麦の穂のためにだ
その穂は歓びに踊る
自由の偉大な風にあって

A la volonté du peuple
Et à la santé du progrès,
Remplis ton cœur d'un vin rebelle
Et à demain, ami fidèle.
Nous voulons faire la lumière
Malgré le masque de la nuit
Pour illuminer notre terre
Et changer la vie.

(繰り返し)

A la volonté du peuple,
Je fais don de ma volonté.
S'il faut mourir pour elle,
Moi je veux être le premier,
Le premier nom gravé
Au marbre du monument d'espoir.

国民の意志のために
私は自分の意志を捧げる
その意志のために死なねばならぬなら
私はそのさきがけでありたい
私の名前が最初に刻まれよ
希望を記念する大理石に

A la volonté du peuple
Et à la santé du progrès,
Remplis ton cœur d'un vin rebelle
Et à demain, ami fidèle.
Nous voulons faire la lumière
Malgré le masque de la nuit
Pour illuminer notre terre
Et changer la vie.

(繰り返し)

cover
Les Miserables: Original French Concept Album

 なお歌詞中、"à la santé du progrès"の"à la santé"は「乾杯!」の慣用句なので、"Remplis ton cœur d'un vin rebelle"というように、お酒のワインが出てくる。




 歌詞にはさらに別版(1991パリ版)もあるので併せておく。

1991年パリ版

ENJOLRAS:
À la volonté du peuple
Et à la santé du progrès,
Remplis ton coeur d'un vin rebelle
Et à demain, ami fidèle.
Si ton coeur bat aussi fort
Que le tambour dans le lointain,
C'est que l'espoir existe encore
Pour le genre humain.

国民の意志のために
進歩の健全のために
君の心臓を反逆のワインで満たせ
明日のために、忠実な友よ
おまえの心臓の高鳴りが
遠くの太鼓ほどに強ければ
それは希望がまだあるということだ
人類の希望が

COMBEFERRE:
Nous ferons d'une barricade
Le symbole d'une ère qui commence.
Nous partons en croisade
Au coeur de la terre sainte de France.

私たちはバリケードを築こう
それはひとつの時代の始まりの象徴だ
私たちは十字軍に旅立とう
神聖なるフランス国土の中核へと

COURFEYRAC:
Nous sommes désormais
Les guerriers d'une armée qui s'avance.

私たちはいまや
前進する軍隊の兵士となったのだ

TOUS:
À la volonté du peuple
Et à la santé du progrès,
Remplis ton coeur d'un vin rebelle
Et à demain, ami fidèle.
Si ton coeur bat aussi fort
Que le tambour dans le lointain,
C'est que l'espoir existe encore
Pour le genre humain.

(唱和)

FEUILLY:
À la volonté du peuple,
Je fais don de ma volonté;
S'il faut mourir pour elle,
Moi, je veux être le premier:
Le premier nom gravé
Au marbre du monument d'espoir!

国民の意志のために
私は自分の意志を捧げる
その意志のために死なねばならぬなら
私はそのさきがけでありたい
私の名前が最初に刻まれよ
希望を記念する大理石に

cover
Les Miserables-Paris Cast Recording

 なお、歌詞中の「Au marbre du monument d'espoir!(希望を記念する大理石に)」は「パンテオン」(参照)を指すと思われる。ウィキペディアの言葉を借りると、「フランス革命期の国民議会によってフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されることが決定された」とある。日本で言えば、現状では、靖国神社のような考え方に近いのかもしれない。
 
 

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2015.08.28

2020年東京オリンピックが抱えているタバコ問題

 「保険医療2035」のシンポジウムのなかで、ある意味印象深かったのだが、ぽつぽつという印象もあったものの、2020年東京オリンピックが抱えているタバコ問題がいくどか語られていたことだった。まとまった話題とはなっていない。なのに、関係者が口惜しくて言及せざるを得ないという印象があった。 2020年東京オリンピックに向けて、受動喫煙防止条例を実施したいという熱意が背後に感じられた。
 2020年東京オリンピックと受動喫煙防止条例の話題は、私もまったく聞いたことがないというわけでもない。だが、シンポジウムのときに、「そういえばこの問題はどういう経路を辿り、現状どうなっているのか」と気になった。その思いには、いつの間にかこの問題を失念していたことに気がついたからだ。2020年東京オリンピックについては、開催決定に至る話題、決定の歓びの報道、そして昨今のエンブレムや会場建設問題などがニュースの話題として取り上げられるが、受動喫煙防止条例の話題はどこに行ったのだろうか。

cover
受動喫煙防止条例
日本初、神奈川発の挑戦
松沢成文
 振り返ってみると、この話題に熱心だったのは、松沢成文・参議院議員だった。なぜ彼がこの問題に取り組んでいるかは、わかりやすい。彼は2003年に民主党を離党し、同年4月の神奈川県知事選挙で当選。2007年も当選し、2009年に神奈川県の条例として受動喫煙防止条例を全国に先駆けて制定したからだ。
 2020年東京オリンピックでの受動喫煙防止条例制定に向けた松沢議員の活動は彼のホームページにも残っているが(参照)、change.org「2020年東京オリンピック・パラリンピック大会までに受動喫煙防止法をつくろう」(参照)のほうが主張がわかりやすいかもしれない。

 IOC(国際オリンピック委員会)は、健康の祭典であるオリンピックにはタバコはふさわしくないとの考えのもと、1988年、オリンピック大会での禁煙方針を採択しました。また、2010年には、WHO(世界保健機関)との間で、オリンピックを「タバコフリー」、つまり、たばこの煙のない環境で実施する合意文書に調印しています。
 そのため、近年の歴代開催都市はすべてオリンピックまでに罰則付きの受動喫煙防止法または条例を制定しているのです。
 タバコの消費量が圧倒的世界第一位で、多くの人がタバコに寛容とのイメージを抱いている中国ですら、北京オリンピックの成功のために、WHOの協力のもと、北京市に受動喫煙防止条例を制定しました。
 また、感動が記憶に新しいソチオリンピックでも、消費量世界第二位のタバコ大国ロシアは、オリンピックに合わせて「包括的禁煙法」を制定しました。それだけではありません。ソチ市は「スモークフリーシティー」をうたい、様々な受動喫煙防止のための活動に取り組んでいます。
 2016年の夏季五輪開催予定国・リオデジャネイロ、そして2018年の冬季五輪開催予定国・平昌(ピョンチャン)も既に法律を整備しました。

 国際オリンピック委員会(IOC)以外に世界保健機関(WHO)も同様である。

 もちろん、受動喫煙防止法を制定しているのはオリンピック開催国だけではありません。世界には「WHOたばこ規制枠組条約」という条約があり、世界178カ国が加盟しています。そしてほとんどの加盟国がこの条約を遵守して罰則付の受動喫煙防止法を制定済みなのです。
 ところが、我が国は、「WHOたばこ規制枠組条約」の加盟国であり、オリンピック開催国であるにもかかわらず、未だに受動喫煙防止法を制定していません。世界で受動禁煙防止法のない国は、アフリカやアジアなどの一部発展途上国を除くと、日本だけです。

 このキャンペーンはすでに1年前に終了している。15000人の賛同者を求めていたが、終了時の賛同者は12,910人であった。しかし、キャンペーンとしては概ね成功の部類だろう。
 さて、それから1年、現状はどうなっているのだろうか? つまり、受動喫煙防止への法的な取り組みはどうなっているのだろうか? 実は私は知らなかったのである。調べてみた。
 比較的最近の状況としては、朝日新聞5月の「「禁煙五輪」、東京が断つ? 都の検討会が条例化先送り」(参照)がある。

 2020年東京五輪に向けて、飲食店などの屋内施設での禁煙や分煙を罰則付きで義務づける条例の是非を議論してきた東京都の検討会は29日、条例化を事実上、先送りする最終提言をまとめた。喫煙者を顧客とする業界に配慮した。04年以降、定着していた「禁煙五輪」の流れを断ち切りかねない動きだ。
 提言は、都に受動喫煙防止への取り組みを工程表で示すよう求めながらも、条例制定の必要性には踏み込まず、18年までの検討を求めるにとどめた。一方、東京以外でも競技が予定され、諸外国の多くが法律で規制している点を挙げ、法律で全国一律に規制するのが望ましいとし、国への働きかけを都に求めた。
 罰則付きの条例化は、舛添要一知事が昨夏、テレビ番組で「議会で通せばできる。ぜひやりたい」と発言。昨年10月に法学者や医師ら委員12人の検討会を設置。医師らが条例化を強く求める一方、法学者らは条例で不利益を被る飲食店などによる訴訟リスクを挙げ、賛否両派が対立。今年3月末に予定した結論を持ち越して調整していた。

 東京都としては「条例化を事実上、先送りする最終提言をまとめた」ということだ。
 産経には関連して8月19日の記事「東京五輪「喫煙環境」でも波乱 「禁煙」「分煙」都条例化めぐり紛糾」(参照)があった。

 受動喫煙防止をめぐっては、舛添要一都知事が昨年から前向きな姿勢を示していたことから、検討会が設置されたのが経緯という指摘はある。だが、都議会最大派閥の自民党が「条例ではなく、自主的な取り組み」を求め、舛添知事も「ただちに条例化は困難」との考えを示した。だが、こうした政治的な判断にもかかわらず、一部の検討委員が条例化へと突き進んだ格好になった。


 そもそも検討会の委員12人のうち、医療・医学関係者が8人を占めたことが、年度またぎの継続審議といった波乱を招いた原因との指摘もある。五輪・パラリンピックはスポーツの祭典である一方、世界から多くの観光客が来日する。委員は医療・医学の専門家に偏るのではなく、観光や飲食など多様な民間事業者も集めるべきだったとの声も出ている。


 国益、中小事業者の経営、さらに外国人観光客へのホスピタリティーなど、5年後の五輪に向け「喫煙環境」はどうあるべきか、多方面からトータルな議論が必要。決して、一部の勢力だけの要望が決め手とはならないはずだ。特に、顧客となる訪日外国人の視点に立って考えることが大切だ。
 そうした中、東京都は増加が予想される外国人観光客が快適に宿泊・飲食施設を利用できるよう、分煙環境整備を行う事業者を対象とした補助金事業を開始する。都内の宿泊施設や飲食店を対象に7月下旬から募集を始めており、1施設300万円まで、喫煙室や分煙設備工事費の5分の4を補助する。喫煙率の高いアジアや欧州の国々からの観光客に「喫煙マナー」や「分煙」といった日本ならではのおもてなしは、東京五輪の一つの特徴になるとの期待もある。
 拙速に動いたため、白紙撤回を余儀なくされるのは、新競技場の建設計画だけで十分、との声も関係者から漏れている。

 基本的に産経報道からは、検討会が医師会に偏向して独走してしまったという印象を与える。
 医師会側の詳細は、東京都医師会タバコ対策委員会の「受動喫煙防止条例制定に向けた医療関係団体の取り組み及び都民への啓発について(答申)」(参照PDF)で理解を深めることができる。これはかなり包括的な答申書なので、この問題に関心のある人は一読しておくとよいだろう。
 さて、こうした問題をどう考えるか?
 喫煙規制への反対の議論を見ると、案外問題が整理されやすいように思える。その一例として、PHP「2020東京オリンピックと「過剰なたばこ規制」」(参照)の議論を見てみよう。溝呂木雄浩(弁護士)の意見として語られている。

 2020年のオリンピックでは、世界中から東京に来場者が集まります。日本政府はオリンピックを追い風に、訪日外国人旅行者2000万人をめざす方針です。しかし、そのなかには当然、たばこを吸う人も吸わない人もいる。路上喫煙に慣れ親しんだ外国人旅行者は当然、自国=世界の常識で判断し、路上で立ち止まってたばこを吸おうとするでしょう。
 そこで、たとえば千代田区だったら監視員がやって来て、外国人に向かって「罰金の支払い」を強制するつもりでしょうか。もしそんなことをすれば、「日本はいつから人権無視の全体主義国家になったのか」と外国人の反発を浴び、国際問題に発展しかねません。


 IOCとWHOが受動喫煙防止に関して同じ考えをもって連携していたとしても、国際機関のWHOとそうでないIOCでは、規制の意味合いがまったく異なります。日本人のなかにはオリンピックを主催するIOCを国際機関の一つと思っている人がいるかもしれませんが、まったく違います。公的な性格をもつとはいえ、実際は法人格をもたない国際的な任意団体で、いわば親睦会やクラブとそう変わらない。だからこそ莫大な放映権料やスポンサー収入の使途が不明瞭でも、IOC委員が招致活動の一環で過剰な接待を受けて批判されても、内部調査だけにとどまり、外部の監査を受けずに済んでいるのです。


 しかし、飲食店の店主には憲法22条が保障する営業の自由があり、自分の店を全面禁煙、あるいは分煙するかしないかを自由に決めることができます。この営業の自由は憲法が保障する経済的自由で、経済的自由は基本的人権に含まれます。基本的人権が不当に侵害されないよう経済的自由の規制がどこまで許されるかどうかについては、判例上も学説上でも明確な判断基準が確立しているのです。

 つまり、路上喫煙を人権と考える外国人もいるし、受動喫煙防止条例は憲法22条が保障する営業の自由の侵害だと言うのである。
 面白い議論だなとは私は思う。ただ、そうであればこれまでのIOCの「禁煙五輪」の意味は、2020年東京オリンピックで消えることになるだろう。つまり、その意味合いが何かが問われているのである。
 さて私はどう考えるか。私は、前提となるオリンピックについての考え方が、こうした反対派とは違う。2020年オリンピックを国家行事として華々しく成功させたり、その経済効果を狙うというのは、オリンピックの副次的な効果にすぎないと私は考える。
 こうした問題は常に原点に立ち返る必要がある。ここではオリンピック憲章の原文、その冒頭を読んでみよう。

オリンピズムの根本原則
1 オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。

 つまり、オリンピックというのは、生き方の哲学であり、「文化、 教育と融合させ、生き方の創造を探求」である。そして、「良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤」である。そのなかに、禁煙が含まれているということである。
 オリンピックとは禁煙を世界に広めていく、教育的な活動でもある、ということだ。であれば、それにどう対応すべきかは、自明に思われる。
 
 

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2015.08.27

20年後日本の保健医療はどうなるか(保険医療2035)

 日本の社会にとって何が最大の問題かということは、それ自体を選び出すための方法論が必要になる。当面に絞れば、おそらく最大の問題はリスクに対する社会のリジリエンスだろうと私は思うが、その議論のためには、リスクとは何か、なぜリジリエンスが問われるのか、といった前提が問われる。またそれを踏まえたあと、リジリエンスを重視するということはどういうことか、という議論も続く。結論だけを言えば、広義のエネルギー問題だとも言えるだろうが。
 そうした方法論を抜きにして、各人が日本の社会にとって何が最大の問題か、という議論はあってよいだろう。憲法9条を守ることが最大の課題だという論者がいてもよい。私はというとその次元で言うなら、日本の保健医療の未来ではないかと思う。そこはこの文脈では恣意的な問題意識にはなる。
 とりあえずその限定で見て行く。危機は、単純な話、保健医療の破綻である。必ず破綻すると言えるかはわからない。破綻する危険性はあるのかという議論はあると言ってよい。そしてその理由の筆頭は、少子高齢化であることはほぼ自明だろう。
 少子という点では、保健医療を支えるお金を生み出す世代の縮小である。高齢化という点では、高齢者が史上かつてないまでに膨れることに加え、その一人一人にかかる保険費用が他世代よりも大きくなることだ。実際のところ、生涯にかける保健医療の大半は、死期近い数年に費やされる。
 こうした状況を単純に言えば、これからの日本は高齢者の健康を維持するために、若い勤労世代に実質重税の負担がかかることになる。
 その分、若い世代の可処分所得は減少し、消費が低迷することから逆に需要も減少し、またこの分野に若い労働力が投入されるため、日本全体の生産生も縮小するだろう。もちろん、こうした側面だけ見れば、日本の未来の生産性の問題だとも言える。
 話を保健医療に戻して、その焦点である医療給付費を取り上げると、その急激な増加は予想される。政府推計だと、2011年に約34兆円だった医療給付費は2025年度に約53兆円まで増えるとしている(参照)。これを多いと見るか問題のない増加と見るかだが、多いと見てよいだろう。
 ここでもう1つ問題がある、少子高齢化の基調は変わらないが、2025年のその10年後の2035年後を考えると、別の様相が加わる。簡単に言えば、この年、日本の世代のなかでもっとも膨れていた団塊世代が死亡平均年齢に達する。ということは、急激に保健医療の必要性が減少に転じる可能性がある。膨大な医療体制を用意してもできたころには必要がなくなるかもしれない。遠い未来の話のようだが、20年前といえば1995年であることを思えば、20年後はそう遠い未来の話とも言えない。
 ここまでをまとめると、今後20年間の間に、保健医療はどうなるのかという問題は、その間の制度のための国民負担と、20年後の少子化した新常態日本における医療制度をどうするかという二面性がある。
 では実際、厚労省はどう考えているのか。少なくともそれが課題であることは意識され、「保健医療2035」というプロジェクトができている(参照)。そしてそのシンポジウムが先日あり、応募したら通ったので参加してみた。

cover
保険医療2035提言書
 どうだったか。私の印象からすると、私が想定していたような危機感というものはあまり感じられなかった。全体としては明るく、日本の保健医療は世界的にもすばらしいものなのでグローバル展開ができるといった話題がけっこうあった。なーんだ、心配することはないのか、という印象すらもった。そうであるかもしれない。
 シンポジウムにはプレス席があり、それなりに記者が埋まっていたので、その後報道があるだろうと思ったが、これが意外に少ない。私の見た範囲では大手メディアでは扱っていない。基本的に政府広報みたいなものだから、話題性がないと見なされたのかもしれない。
 そうしたなか、シンポジウムについて比較的詳しいのは、ハフィントンポスト「20年後に向けた「保健医療2035」--みんなでつくる社会システムへ」(参照)である。よくまとまっているが、朝日新聞報道がよくやる「角度をつける」が弱いせいか、問題意識の誘導がなく、その分わかりにくい印象はあるかもしれない。
 シンポジウムの全体の印象でいうと、そのコアの人々にしてみると、「徹底的に議論して提言書にまとめたのでそれを読んでください」という感じで、どっちかというと、語られていることは異なり、「ああ、終わった」感が強い。
 では、提言書(参照)を読めばいいかというと、これが読むとわかるが多様な意見が無難にまとめられていて、初めて読む人には雲を掴むような印象があるだろう。詳細に読むと、なるほどなあと思える点は多いのだが、それが実際の社会とどうコミュニケーションしているかは、理解しにくい。
 その象徴的な接点は、「かかりつけ医」と総合診療医だろう。先のハフィントンポスト報道でも取り上げられていた。

  提言書では、総合診療医の必要性についても強調された。これまでの医師のキャリア形成では、診療科ごとに特化した専門医の育成のみに焦点が当てられてきた。プライマリーケア(初期診療)を担い、幅広く患者や疾患全体を診られる総合診療医の育成は進んでこなかった。「(専門医中心だと)あらゆる臓器のさまざまな疾患を診られる医師が今の日本には絶対的に少ないので、極めて非効率だ。患者は、ドクターショッピングのように医療機関を次々と移らざるをえなくなる」(尾身氏)。
 だが、地域医療を支える医師や病院といった医療資源が限られる上、高齢化でニーズが高まる中で、総合診療医の必要性が増している。

 シンポジウムでは、会場とTwitter上から質問が投げかけられた。「総合診療医というが、なりたい人はいるのか?」という質問に対して、「総合診療医はだいぶ人気が出てきている。特に若いやる気のある医師でやりたい人は多い。しっかりとした位置付けがあれば増えてくると考えている」と厚生労働省保険局総務課企画官の榊原毅氏は言う。これまで専門医中心に医師の位置付けがされてきたが、総合診療医のポジションを確立するという政策が進んでいるという。

 だが、総合診療医ですべてを診るにも限界がある。慶應義塾大学教授の宮田裕章氏は、「総合診療を多岐にわたってやるのはクオリティをはかるのが難しいが、専門医チームとの連携やITの利活用で支えられるのではないかと現場で議論している。ひとりの総合診療医ですべてやるのではなく、職種間連携でチームで支えるということになる」と説明する。


 さらっと読めるようだが、かなり複雑な問題が含まれている。まず、現状日本の医療だが、「診療科ごとに特化した専門医の育成のみに焦点が当てられてきた」ということだが、これが事実上制度化していて、これはそもそも保健医療には向かない。
 また、「かかりつけ医」は実際上、総合診療医である必要があるが、ようするにそうした制度に日本の保健医療を改良するということで、シンポジウムの印象では、もうそれっきゃないでしょという既定事項っぽい。
 ここで、言うまでもないことだがと言っていいかよくわからないが、ここで問われているのは、実際には英国NHSの日本版である。そのあたりの関係、あるいは未来に向けての制度設計がどうなるかだが、私には明確には見えなかった。そもそも、NHSの話題はあまり出て来なかった。
 シンポジウムでは会場からの質問をツイッターも受け付けるということだが、WIFIの設備はなく、私が使っているドコモLTEは実際上死んでいた。2つほど質問ではない差し障りないつぶやきをしたがそれ以上は実際には無理だった。まあ、できたとしても、質問はしなかったかもしれない。
 取り上げられた質問のなかで比較的大きく取り上がられたのが、終末期医療の問題だった。この点はハフィントンポスト報道には見られない。他、m3.com「20年後の保健医療政策、国民的議論を」(参照)の報道では一言だけ触れられている。
 しかし医療制度の問題の核は、これは自著でも触れたのだが、寿命と健康寿命の差の問題であり、つまるところ、この差は、終末期医療の問題に収斂する。あるいはその隣接としての介護医療の問題ともなるだろう。
 この点はどうなるのだろうか。私は2035年にはこの世に生きていない可能性がかなり高い。自分がこれからどうこの国で死んでいくのかというのは、私にとっては具体的な関心でもある。
 この議論の枠組みで難しいのは、おそらく、終末期医療・介護医療というのは、いわゆる保健医療と異なる体系を持っているのではないかと思われる点だ。
 基本的に近代から現代にかけての医療というのは、病院を中心に戦争傷兵と感染症を対象に構成されてきた。つまり短期入院である。長期化することに制度的な利点は設けられていなかった。だが、これが日本では長期入院が常態化してきた。また、疾患の長期化が利益につながる製薬会社では医療制度に先んじてこの体制の時代から慢性疾患のブロックバスターに転換したが、これも実は、この数年でパラダイムが変わっている。これを受けて、日本国は別途AMEDの対応を打ち出している。これは別の話題だが。
 おそらく、疾患を中心とした医療体制と、終末期医療・介護医療は体制として分離しなければならないだろう。もちろん、その入り口は、総合診療医である「かかりつけ医」となるのだろうが。
 そのあたりの制度変化は必要上ははっきりとし、さらに進む合意はありそうに見えながら具体的な制度変化の様子は想像しがたい。今後工程表的なビジョンは提示されるだろうが(参照)。
 この点、シンポジウムで比較的さらっとした意見ではあったが気になることがあった。高知県では高齢者医療のピークが過ぎたこと、夕張市では医療制度が破綻して結果的に在宅医療(あるいは医療なし)になっているとのコメントである。それがそれほど深刻な問題でもないように受け取れた。
 それでふと気がついたのだが、終末期医療・介護医療はそれを問題として焦点化すれば問題だが、人は老いて死んでいく、という盛者必衰の理の流れで見れば、死は人の人生の普通の帰結なので、無問題とも言える。ああ、そういうことかなと、私は奇妙な脱力感は感じた。なんであれ、人は死ねば終わりだ。先日、これから日本の死亡統計項目に「路上」を加えないといけませんねというブラックジョークを聞いたが、路上死も普通の死となっていくのだろうし、それが人間というものかもしれない。
 今回のシンポジウムには、日本のメディアではさして関心が持たれなかったようだった。ネットでも話題を見かけない。そうしたなか、医療保険について、どういうふうに日本人の国民意識が形成されるのだろうか。
 
 

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2015.08.25

SEALDsについて少し思った

 SEALDsについてまったく関心がなかった。若い人のデモ団体の1つであるとは認識していた。そういうデモは民主主義国家なので自由に行えばいいと思う。余談めくが、先日、ピンズラーのフランス語レベル5をとりあえず終えることができたのだが、そのなかでも若い人がデモを行う話題が二、三あった。いわく、デモに紛れた米国人の彼氏が警察に捕まっちゃったうぇーんというと、大丈夫よくあることだよ、僕も捕まった経験あるよ、パスポートもって警察にさあ行こう、といった内容である。さらに余談だが、男性同性愛者の結婚の話題とかもあった。なかなかすげーフランス語レッスンであった。つまり、楽しい。デモも同性愛結婚も、日本でも、もっとやれ。
 たまたまたSEALDsについて、ただ若い人がそれぞれ勝手な理由で、とにかく憲法違反だから安保法案に反対するというシングルイッシューの単純なデモ団体だ、と思っていた。のだが、そうじゃないよ、ちゃんとよく考えられた政治活動だ、というような話を某氏のツイートで見かけ、ほぉ、あれに思想的な背景があるのか、と関心を持った。
 というのは、私は、思想的にそれが同意できるなら、支援したいと思うからだ。最近の例では香港の雨傘革命がある。私はその期間、ブログでも支援の声を上げたし、バナーも数日掲げた。逆に思想的な内容を読んで、ああ、これは支援できないな、というのもある。台湾の「ひまわり学生運動」である。台中間のサービス分野の市場開放協定に関する学生の反対運動である。だいぶ心情的に同情はしたが、私はこの協定は進めるべきだと思ったので、同意しなかった。余談でいうと、そういうネットの活動だけでなく、私はこれからの日本の保健医療に関心を持っているので、たとえば昨日の厚労省主催の「医療保険2035」にも市民として出席した。
 さて、SEALDsはどうか。初めて関心をもったのである。どこかにその思想、つまり綱領が明示されているはずだ。そしてそれは目立つところにあるはずだと、とりあえずググったら、www.sealds.comが見つかった。偽サイトの疑念がないわけではないが、これだろう、と思った。
 そこには主張が書いてあったので、読んでみた。一読して、「ああ、これは支離滅裂だ」と思い、そのままその思いをツートしたら反発された。まあ、自分が正しいと思って一生懸命やっている活動に向けて、支離滅裂とか言うのは悪口みたいに受け取られてもしかたない。ただ、私としては、支援できる要素を見つめていたからそう思ったのであり、強調して言いたいのだが、SEALDsの活動や思想が評価として支離滅裂だと主張したいわけではまったくない。冒頭述べたように、市民のデモ活動は自由にやればいいと思うからである。私としては、これは到底支援できるものではないなという私自身の行動理由というだけのことである。
 そうした限定ではあるが、もう少しそのあたりの自分の中の思いも述べてみたい。批判に受け止められるのは本意ではないので、そこは汲んでいただけたらと思う。あくまでそう見る人もいるという程度である。それと最後に提言もある。
 最初に思ったのは、SEALDsがシングルイッシューの活動団体ではなかった、という発見だった。これはかなり驚いた。安保法案の廃案を目指すデモ団体ということではなかった。もっと永続的な理念が掲げられていたのである。
 であれば、これは政党活動と言っていいだろう。では、政党活動として見たとき、その理念はなんだろうか?
 これはそのサイトの冒頭に大書されている「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」ということである。そうであれば、党名として簡略化すると「自由民主党」としてよいものである。
 だが、これは彼らの考えとしては既存の自由民主党と対立しているらしい。となると、その含みは、既存の自由民主党は自由と民主主義に基づく政治をしていないから、だから「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」ということになる。
 この大前提からして私は受け入れがたい。既存の自民党も、概ね、自由と民主主義に基づく政治を実施していると私は理解している。おそらく当面の焦点化は、安保法案が自由と民主主義に基づいていない、として限定化されるべきだっただろう。
 もう少しSEALDsの主張をブレークダウンする。「現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します」としている。
 これがまたわからない。日本国憲法を守るための立憲主義はわからないでもない(逆な気もするが)。だが日本国憲法を守るための生活保障となるとわからない。生活保障は日本国憲法に規定されていて、それが実現されていないというならわかる。日本国憲法を守るための安全保障もやはりわからない。安全保障は本来なら国家の基本法によって規定されるものだが、日本国憲法は連合軍によって武装解除された時代に作成され、その後、サンフランシスコ条約と一体の日米安全保障条約によって補完されてできているので、その歴史と構造から問わなくてはならないものだ。
 揚げ足とりをしたいのではない。むしろ、「3分野で、明確なヴィジョン」というときのその3分野を統一する思想的な理念は何か?がまず知りたい。その原理が明示され、そこから分野ごとの政策が提示されるはずだ。
 だが、そうなっていない。そのあたりから、「ああ、これは支離滅裂だ」と思ったのである。
 それでも少し、個別に立憲主義を見る。


たとえば、2013年12月の特定秘密保護法の強行採決や、2014年の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認があります。さらに2012年に発表された自民党の改憲草案は、個人の自由や権利よりも公の秩序や義務を強く打ち出すものです。

 特定秘密保護法は議会手順でなされた。2014年の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は行政の立場であって、これが議会審議されるという意味で、議会手順を遵守している。自民党の改憲草案は、国家の問題というより、自民党に対立するSEALDs自民党の党派的な文脈にあり、立憲主義でいうならこれが議会手順にどのように乗るかが問題である。
 生活保障はどうか。

私たちは、持続可能で健全な成長と公正な分配によって、人々の生活を保障する政治を求めます。

 それは財務省も厚労省も同じ考えである。どこが違うかによって主張が成立しているはずだが、それはどこだろうか? 当然、前提はカネの問題である。どこからカネを得るかということに行き当たる。

いま求められているのは、国家による、社会保障の充実と安定雇用の回復を通じた人々の生活の保障です。

 ここもやはり支離滅裂に思えた。国家にカネが潤沢であればそれは可能だが、まさに問題はそこにかかっているからだ。
 自由と民主主義に基づく体制では、カネは民間から生み出される。ここでは国家はそれに附随する再配分装置でしかない。国家はそれ自体ではカネを産まないのである。
 つまり、生活保障を維持するための国家財政はどのように実現されるかというビジョンが問われなければならないはずだが、そこが欠落している。
 安全保障政策はどうか。細かい点を上げるまでもなく、安全保障政策はかなり専門的な領域であり、そうした専門知なくオールマイティな解決はできない。このことは現状の南シナ海の問題を見てもわかるし、北大西洋条約機構(NATO)や中東情勢を見てもわかるはずだ。単純な話、日本の平和主義は金銭支援以外、あるいはそれを介した理念以外はまったくないに等しい。安全保障を考える上で、あえてもういち事例をあげるなら、スリランカ内戦過程の検討を勧めたい。日本的な平和理念がどのように対応できたか教訓は多く得られるだろう。
 しかし以上のような細分点よりも、もう一極のそもそもの問題に行き当たる。こうしたSEALDsの理念は、私の理解では、日本共産党とほとんど変わりないということだ。社民党にも近い。民主党にもやや近い。つまり、SEALDsである必要性は感じられない。
 ここで2つ思うことがある。まず、そうであるなら、SEALDsは日本共産党の下部組織として政党政治に参加してはどうだろうか。私はここで皮肉やイヤミを言っているのではない。
 もう1つは、最大野党である既存政党の民主党とSEALDsはどう関わっているのか、である。
 この視点で重要なのは、現在の民主党である。特に、安保法案についてだが、民主党は表向き野党であり反対しているし、その反対の議論はSEALDsと似たように見えるが、民主党内では安全保障についての党の統一した見解が存在しているようには見えない。簡単に言えば、最大野党の民主党は、安全保障問題に党として明確な理念が打ち出せないでいることが、現下の混乱の元であるとも言える。自民党がいくら暴走しようにも一定の力のある野党があれば押さえ込めるはずだが、ゆえにそれが機能していない。つまり、現下の政治状況の問題は、民主党の機能不全にあると言ってもいい。
 実は、その民主党の機能不全が、SEALDsという現象なのだとも理解できる。その点は、SEALDsに了解されているらしい。

 SEALDsは特定の政党を支持するわけではありません。しかし、次回の選挙までに、立憲主義や再分配、理念的な外交政策を掲げる、包括的なリベラル勢力の受け皿が誕生することを強く求めます。

 SEALDsは本来は、しかしそうして見るなら、野党編成の軸を担う政党であるべきだろう。
 そしてそれは通常の野党として日本の立憲政治に登場し、議会政治のプロセスのなかで機能してよいはずである。
 つまり、SEALDsは日本の「オリーブの木」となるべきであろう。その理念から活動のあり方を整理したらよいのではないか。「オリーブの木」が日本的ではない、あるいはすでに失敗しているというなら、「梅の木」とか「合歓木」とか、まあ、なんでもいいけど、そういう日本の政治風土に合った野党再編成の運動であればよいのではないか。その過程を取ることで安全保障だけでなく、金融政策なども練り込んでいけるはずである。

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2015.08.15

一番大切なものが欠落していた戦後70年談話

 予定通り、昨日の14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した(参照)。私も定刻にNHKを付けてみたら、おじゃる丸がやっていていた。首相の代わりにおじゃる丸とは、ああ、日本も平和になったものだな、と思った。が、気がついたが、NHKといってもいつも私が見ているそのチャネルだけではなかった。
 同時刻ツイッターを覗くと他局でもCMを挟んでやっていたらしい。なかには、センター試験の論述問題よろしくキーワードのチェック項目も掲載していたところがあったようだ。ご冗談でしょう?
 戦後70年談話について、安倍首相を攻撃できる部分があるかとワクテカして聞いている人たちもいたようだった。しかし、突発事態でもなければそんなネタが出るはずもないのは、すでに有識者会議「日本の役割を構想するための有識者懇談会」の報告書(参照)が出ていて、首相談話もこれに逸脱することがないことからもわかるはずだ。というか、この報告書があまり読まれてなさげなのが、むしろ私には訝しく思えた。
 談話はどうだったか。ということは、突発事態でもあったかということだが、同席者だろうか咳き込みが随分聞こえるなあと思った以上には何も思わなかった。そういうものだろうということで、終わった。
 そして予想通り、一番大切なものが欠落していた戦後70年談話だった。
 ツイッターなどやネットの話題を見ていても、そこに気がついた人は、私の見える範囲ではいないように思えたので、ブログに書いておこうかと思う。なんだかわかりますか?という以前に、それがわからないで、いったいなにが戦後70年なのか、と私は思った。
 その前に、談話全体をどう受け止めるかだが、これについては、全文や有識者会議の報告書を読むより、ウォールストリート・ジャーナルのまとめが秀逸だったので、記しておきたい。「安倍首相の戦後70年談話、5つのメッセージ」(参照)より。

1. 日本は窮地に追い詰められていた
 安倍首相は談話の冒頭、1930年代に「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」とし、「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」と述べた。

2. 日本も多大な苦痛を受けた
 安倍首相は日本軍が海外で与えた苦痛の詳細に触れる前に「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました」と述べ、東京空爆や広島と長崎での原爆投下、沖縄における地上戦などによって「たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました」と話した。

3. 日本の兵士も英雄だった
 安倍首相は「戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実」を「心に留めなければなりません」と訴えた。帰還した兵士のおかげで日本の戦後の発展があると讃えることで、軍人に対するイメージ回復と国内の認識修復を図った。

4. 日本軍と「慰安婦」
 安倍首相をはじめとする日本の保守派は、「慰安婦」はほとんどの場合が日本軍が強制的に連行・拘束した女性ではなく、商業的に身売りされた単なる売春婦だったとの見解を示している。首相はこの日の談話で「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」と述べたが、日本軍の責任には触れなかった。

5. 日本は十分謝罪した
 安倍首相は「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張した。


 1はこの談話の歴史観である。実際には、報告書に詳しい。というかかなり詳しいので少し驚いたくらいである。
 2と3は日本国民向けである。日本の市民と戦士についてある。この言及はこうした談話の性格上、当然の項目ではあるだろう。
 4は実質、韓国向けであり、5も概ね韓国向けだが、中国も含まれていると言っていい。つまり、この談話の事実上の主眼は、韓国と中国という二国に向けて安倍首相がどう語るかということであり、実際メディアの関心も、2と3の日本国内向けより、4と5に向いていた。これは結局のところ、70年もしてみたら、実際に日本の戦争に同時代で体験した人はほとんどいなくなったということである。現在80歳の人でも、日本の戦争は子供としての経験である。
 別の言い方をすれば、なぜ、韓国と中国に「謝罪」をしなければならないのか、という問題でもあるだろう。このこの問題は、謝罪を求める側には自明すぎるだろうし、その逆の側にはナショナリズム的な感情をいらだてる点で同様に自明だろう。つまり、両者にとって、現在の感情的な問題であり、そこをテコにした現在の国際問題だろう。
 ただし、そのように問題が切断できるということは、ようするに、もはやそれは、韓国と中国の問題でしかないとも言える(北朝鮮も含めてもよいだろうが)。国連体制の事実上の主軸を支える米国は今回の談話に満足しており(そのように圧力をかけたせいもあるが)、米国に支えられている北大西洋条約機構(NATO)諸国も国家のレベルで日本の戦後を問題視はしていない。
 加えて、もはやアジア諸国も、中国の顔色を見る国家はあるにせよ、基本的に日本の戦後を好意的に受け止めている。この話題は、有識者会議の報告書に「日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか」という項目でも触れられている。他、報告書には「米国、豪州、欧州との和解の70年への評価」の項目もあり概ね「堅固にして良好な同盟関係を持つに至った」と見てよい。報告書にはないが、中東諸国、アフリカ諸国、南米諸国などは戦後の日本の平和貢献から概ね日本の戦後について好意的に受け止めているとしてもよいだろう。
 「ではなぜ韓国が」ということだが、この点は有識者会議の報告書に示唆がある。

日本の植民地統治下にあった韓国にとり、心理的な独立を達成するためには、植民地支配をしていた戦前の日本を否定し、克服することが不可欠であった。1948年に独立した韓国は、サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加して日本と向き合おうとしたが、講和会議への参加を認められず、国民感情的に割り切れない気持ちを抱えたまま戦後の歩みを始めることとなった。

 簡素に要点がまとめられている。まず、「韓国にとり、心理的な独立を達成するためには、植民地支配をしていた戦前の日本を否定し、克服することが不可欠」という点が、謝罪を求めることの根幹にあるとしている。そしてこのことは、「サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加して日本と向き合おう」ということにつながった。
 簡単にいえば、韓国は自己規定では、第二次世界大戦における日本の戦勝国であり、そのことを、連合国、実質米国体制に認めさせることが、戦後処理という意味になった。これが解消されないために、「国民感情的に割り切れない気持ちを抱えたまま戦後の歩みを始めることとなった」。
 少なからぬ日本人は、日本政府が誠意をもって韓国に謝罪すればよいと考えているが、この文脈の謝罪とは、韓国を第二次世界大戦における日本の戦勝国と日本が認めよということであり、その系のなかで代表的な話題が取り上げられると見てよい。
 このことは、つまり韓国の国民感情に内在する、戦勝国として自国を扱ってくれない米国へのアンビバレンツであり、それの前段に日本をそこに組み込もうとしても、日本も同様に米国の世界観の中に置かれていてどうすることもできない。しいていえば、米国が韓国を戦勝国として待遇すれば、日本への謝罪問題はその根幹において終わるだろう。(おそらくそれは米国大統領に広島での謝罪を求める日本人の国民感情に似ている。)
 中国については、報告書はかなり重要な問題について踏み込んでいる。論点のポイントは、日本が戦争で戦ったのは中華民国(現在の台湾)であって、中華人民共和国(中国共産党)はない点である。

 日本の戦争責任に対する中国側の姿勢は、第二次大戦終結から現在まで「軍民二元論」という考えの下で一貫している。これは日本の戦争責任を一部の軍国主義者に帰して、民間人や一般兵士の責任を問わないというものであり、極東軍事裁判や対日占領政策において厳しい対日姿勢を示した中国政府も、大戦後中国に留まっていた日本の一般兵に対しては、武装を解除し、民間人と共に引き揚げさせた。
 戦後間もなく、1949年10月に中華人民共和国が成立し、中華民国が台湾に遷ると、世界には二つの中国政府が併存することとなる。米国からの要請もあり、日本は中華民国との間で1952年4月に講和条約を締結し、国交を樹立する。中華民国は、日本への賠償請求権を放棄し、蒋介石総統は「軍民二元論」の考えに基づき、日本には徳を以て怨みに報いるべきであると説いた。「以徳報怨」という言葉は、その後日本と中華民国の間で歴史問題を防ぐ役割を担うことになる。他方、台湾は、1987年まで憲法を停止して戒厳令を敷いており、蒋介石の対日講和は、国民との合意形成の上で進められたものではなかった。また、1950年代、1960年代において日本と中華民国の間の人的交流は限られており、外交的には日本と中華民国は講和を成し遂げていたものの、日本と中華民国双方の人々の和解には大きな進展はなかった。

 含蓄が深いが戦後ということを考える上でもっとも重要な視点が明確になっている点に注意したい。「日本は中華民国との間で1952年4月に講和条約を締結」という点である。
 戦後とは、1945年8月15日に天皇が超法規的になんか放送で述べたということではない。戦後とは、戦争が終わったということであり、狭義には休戦協定が締結されて戦闘状態が終結し、さらに広義には講和条約を締結するということなのである。
 中国について問題が起きるのは、中華人民共和国(中国共産党)との講和条約をどう考えるかということである。
 ここで報告書はさらに踏み込んでいく。率直に言うと、私はこの説明は奇異なものに映った。戒厳令を理由に蒋介石の対日講和の正当性に疑念を投げている点である。

他方、台湾は、1987年まで憲法を停止して戒厳令を敷いており、蒋介石の対日講和は、国民との合意形成の上で進められたものではなかった。また、1950年代、1960年代において日本と中華民国の間の人的交流は限られており、外交的には日本と中華民国は講和を成し遂げていたものの、日本と中華民国双方の人々の和解には大きな進展はなかった。

 この先の説明もやや異質な印象は受ける。

 日本と二つの中国政府との関係は、1960年代後半から70年代前半にかけて大きく変化する。1969年、珍宝島において中ソ国境紛争が発生すると、ソ連との関係に危機感を抱いた中華人民共和国は米国に急接近する。そして1971年に中華人民共和国が国連での代表権を得ると、国交正常化への動きが本格化する。1972年2月にニクソン米国大統領が訪中し、その7か月後の1972年9月、田中首相は訪中し、中華人民共和国との間で国交正常化することで合意するとともに、中華民国との外交関係は断絶された。

 この段落がやや唐突に次の部分に接続する。

イ 国交正常化から現在まで
 1972年9月、日本と中華人民共和国は、日中共同声明を発表し、国交を正常化した。日中共同声明において、日本側は、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」とし、これに対し中国側は、「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とした。1970年代の中国に目を向けると、1976年に文化大革命が終結し、鄧小平が実権を握り、1978年に改革開放政策が開始される。そして、1978年に鄧小平は中国首脳として初めて訪日し、日中平和友好条約が締結された

 率直な話、中華民国(台湾)との講和条約はどうなったのかについての言及はない。実際のところ、日本は追米して中華民国(台湾)を国家として認めなくなったのだが、それが日本の戦後とどう関係しているのかについては、報告書からは読み解けない。
 中華人民共和国(中国共産党)としては日本がこの政府を正統政府として認めたことと併せて講和条約が締結されたが、その後は、この動向を支配していたソ連の解体を契機に日中間の関係は悪化していく。それが今回の談話に影響しているわけだが、以上のように全体構図を見ていくなら、米国の国策が主軸にあって日本は主体的な行動が取れなかったわけで、その射程まで含めて過去を再定義するように「謝罪」が提示されても本質的な対応は取れない。皮肉な話だが、もはや国家として認められていない「台湾」に日本は謝罪すらできないことになる(謝罪を受ける主体がない)。そのなかで、今回の談話で安倍首相が台湾を取り上げた点は、報告書を超える部分であったかもしれない。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 さて、長い前振りを書いたが、以上のような論点で考えを追っていけば、戦後70年談話で欠落していた一番大切なものは明白だろう。
 ソ連であり、その継承国であるロシアである。
 談話には「ソ連」や「ロシア」というキーワード以前に、その話題が抜けているのである。実は報告書からも実質抜けている。日本人は忘れてしまったのだろうか? 
 戦後とは、講和条約である。日本が戦争をした国と講和条約を結ぶことである。講和条約とは、平和条約である。平和とは、講和の上に成り立つものである。
 だが、日本が独立したのはサンフランシスコ条約の単独講和であり、ソ連とはいまだに平和条約が締結されていない(参照)。
 形の上では、日本とロシア(ソ連の継承国)とは戦争が終わっていないのである。日ソ共同宣言(1956)で「戦争状態の終了」はあったものの、国境も定まっていない。
 戦後70年談話があり、そして日本国が、平和国家を望むなら、まず、日本が戦争した相手と平和条約を結んでいくことが最大の課題だろう。
 戦争を反省し、平和を望むなら、まず、ロシアと平和条約を結ぶという課題を明確にすべきであった。
 
 

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2015.08.11

日本国憲法の八月革命説について

 安保法制が違憲かについて、朝日新聞が6月に憲法学者209人を対象にアンケート調査を行い、7月11日に発表した。それによると、回答者は122人。うち、違憲回答が104人、違憲の可能性が15人、合憲が2人だった。このことを報道価値として、「安保法案「違憲」104人、「合憲」2人 憲法学者ら」(参照)とする記事が掲載された。
 違憲104人に対して合憲2人というと、圧倒的な対比に思われるが、回答が約58%であり、未回答者のついての取材はなされていなかった。ただし、アンケート対象209人に偏りがあったとも思われないことは、有斐閣の判例集「憲法判例百選」執筆者全員を対象としたことから察せられる。該当の朝日新聞報道から理解できることは、憲法学者の大勢が安保法制を違憲と考えているということで、そのこと自体は実態を反映しているだろう。
 アンケート詳細も興味深いものだった。なかでも「現在の自衛隊の存在は憲法違反にあたると考えますか」との設問には、違憲が50人、違憲の可能性が27人だった。大ざっぱではあるが、安保条約を違憲だとする憲法学者の半数は、自衛隊の存在をそもそも違憲と考えていると理解してよさそうだ。別の言い方をすれば、自衛隊の存在自体が違憲であれば、その延長にある安保法制は演繹的に違憲となるだろう。
 もう一点興味深いのは、「憲法9条の改正について、どのように考えますか」について、改正の必要はなしとするが99人だった。これも大ざっぱに見ると、安保法制を違憲とする主張は憲法9条改正を不要とする考えかたと重なっていた。
 朝日新聞のアンケートに関連して公開された井上武史九州大学大学院法学研究院准教授の見解はさらに興味深い指摘が含まれていた(参照)。


【附記】
(おそらく、貴社〈注:朝日新聞〉の立場からすれば、このアンケートは、憲法学者の中で安保法制の違憲論が圧倒的多数であることを実証する資料としての意味をもつのだと思います。しかし、言うまでもなく、学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものではありません。私の思うところ、現在の議論は、圧倒的な差異をもった数字のみが独り歩きしており、合憲論と違憲論のそれぞれの見解の妥当性を検証しようとするものではありません。新聞が社会の公器であるとすれば、国民に対して判断材料を過不足なく提示することが求められるのではないでしょうか。また、そうでなければ、このようなアンケートを実施する意味はないものと考えます。)

 重要な指摘と思われるのは、「学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものではありません」ということと、「新聞が社会の公器であるとすれば、国民に対して判断材料を過不足なく提示することが求められる」という点である。
 特に後者について、日本の報道が十分であったかについては問われることだろう。しかし、それ以前に国会での対応も求められる。そして国会議論の前提には、国会の憲法調査会の議論がある。
 ここでごく基本的な疑問だが、朝日新聞報道からすると、憲法学者の大半が安保法制を違憲としているので、それが憲法学者の通説であるかのような印象を受けやすい。しかし、上記井上氏の意見のように「学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものではありません」とする考えがより理性的である。では、そうした憲法学者間の見解の相違は何に依存しているのだろうか?
 この問題は、概ね、日本国憲法の正当性についての見解の相違によると理解していいだろうし、そもそも日本国憲法の正当性が自明ではないためである。このことは、日本国憲法の制定経緯にも関連している。
 では、この問題は、国会の憲法調査会でどのように議論されてきただろうか。本来なら、その議論をまとめるべきだが、この問題については、2000年の憲法調査会で参考人として発言した高橋正俊・香川大学法学部教授の見解が参考になる(参照)。

○高橋参考人 紹介にあずかりました香川大学の高橋でございます。
 本日は、「日本国憲法制定史とその法理的視角」という題でお話をさせていただきたいと思います。
 日本国憲法の制定史研究というものは、歴史的、政治的、経済的、その他のさまざまな視角から行われているところでございますが、法的な側面から、特に、君主主権憲法からその改正として国民主権憲法を生み出したという、一見するといささか矛盾するような事態をどのように理解すべきかということについて考えてみたいと思うわけです。

 問題の起点は、「君主主権憲法からその改正として国民主権憲法を生み出したという、一見するといささか矛盾するような事態」の説明にある。これにいくつかの学説が存在する。学説を高橋氏の見解で整理してみる

改正説


 この改正説というのは、簡単に言いますと、明治憲法を改正して日本国憲法となったという非常に単純なものでございます。これにつきましては、実はGHQやら日本政府、佐々木惣一その他の方々、かなり有力な方々が主張されているところでございますが、これについては現代の憲法学では必ずしも主要な見解になっておりません。
 その基本的な見方というのは、このレジュメに書いておりますように、ポツダム宣言受諾以後も明治憲法は維持されて、それが十一月三日公布の日本国憲法へと改正され、五月三日の施行にまで至る、そういうふうなものでございます。
 この理論の前提となるものは、まず第一に、ポツダム宣言の受諾によって日本政府は自主改正の義務が生じただけであって、依然として天皇主権は維持されているが、ただGHQによる制限を受けた状態である、こういうふうに見るわけでございますね。そして二番目の前提は、憲法改正は、手続に従って改正する限り限界はなく、天皇主権から国民主権に法的に連続して移行できるという憲法改正無限界論という考え方になっております。そして、実際、改正規定に従って改正されたわけでございますので、日本国憲法の効力はある、こういうことでございます。
 このような場合には、簡単に言いますと、明治憲法七十三条の改正規定に則して改正しておれば日本国憲法は効力があるということになるわけですから、そこで問題になりますのは、一体七十三条に則した改正であったかどうかということで、ここで押しつけの議論が出てくるわけでございます。
 これまで議論されておると思いますが、まず、マッカーサー草案が手交され、その基本原則、根本形態を変えてはならぬ、こういう条件の中で行われたということ。それから、いわゆる天皇の戦争犯罪ということを取引材料にされた、そういうふうな二月十三日のマッカーサー草案手交状況をめぐる問題。それから、三番目としては帝国議会の審議が完全なGHQのコントロール下にあったといったような諸点がこのときに問題になるわけであります。そして、そのような部分がいわば七十三条に則した改正と言えないということが、すなわちここで問題となってくるわけでございます。

 明治憲法を改正して日本国憲法が出来たとすると、明治憲法七十三条の改正規定に即していなれければならないが、そう見ることは難しい。改正説は主要な見解とはいえない。

無効説


 無効説は、いわゆる自主改正の義務があるということについてはまさしく同じでございますが、しかし、明治憲法七十三条の憲法改正には限界があって、天皇主権から国民主権に移行はできないという憲法改正限界論を前提にしております。そして、この限界が認められる以上、日本国憲法の効力は当然のこととしてないということになるわけでございます。
 これは非常に少数の人だけが主張しておられることでございますが、理論的にはばかにできない説でございまして、これから申し上げる八月革命説は、この説をいわば予想して、こういうふうな無効に陥らないように論理を構成しよう、こういう試みであると見ることもできるものでございます。

 日本国憲法無効説は少数の主張であるが、「理論的にはばかにできない説」である。むしろ、無効説を回避するために、次の八月革命説が登場してきた。

八月革命説


 これにつきましては、この無効説のような隘路に陥らないために、明治憲法がポツダム宣言を受諾した時点において、いわば法的な革命というふうな状況に至り、天皇主権は国民主権にここで変わった、こういうふうに考えるものでございます。したがって、それ以後の明治憲法、ここでは明治憲法Bとしてございますが、明治憲法Bは、国民主権の憲法に変質したことになってしまいます。したがって、明治憲法Bは既に国民主権の憲法でございますから、それを改正、施行して日本国憲法にするというのは差し支えない、こういう議論となるわけでございます。


 ただ問題になりますのは、改正手続でございまして、先ほど申しましたように、明治憲法Bというのは国民主権によってモディファイされたものでございますので、国民主権に抵触する機関、例えば枢密院とか貴族院が改正に参加しておりますが、この議決については効力はない、こういうふうなことになるわけでございます。
 この議論は、すなわち明治憲法Bというのは既に国民主権の憲法になっておるというわけですから、幾つか問題が出てまいります。
 まず、モディファイされた改正手続というものは、一体いかなるものであろうかという問題です。第二番目は、そのモディファイされた憲法改正手続に参加する、国民主権にかなうような構成員は、どうやって確保されたか。ここでは、ホワイトパージとか新法での衆議院選挙による構成員で十分なのかといった問題が起こってくるわけです。さらには、改正無限界論で議論されたような、マッカーサー草案の手交の問題とか、審議がGHQの完全なコントロール下にあったなどということの押しつけが、さらに問題となってまいるわけでございます。
 ですから、押しつけの議論といっても、無限界説における議論と八月革命説における議論というのは、視角がそもそも違うということをちょっと御記憶いただきたいというふうに思うわけでございます。
 いずれにせよ、法的連続性が確保される以上、日本国憲法の効力はあるという議論になるわけでございます。

失効説


 この失効説というものは、明治憲法が、ポツダム宣言を受諾することによっていわばGHQの占領管理の中に入っていくということになるわけです。そして、占領管理下にあるわけですから、いわば明治憲法Aと明治憲法Bは断絶をする。ここに一種のやはり革命みたいなものが起こっている、こういうふうに考えるわけであります。
 そして、その中でつくられた、改正された日本国憲法Aと言われるものも、これもまた占領管理期でございますから、管理法令の一部ということになるということでございます。その限りで、講和条約によって日本の占領が終わるまでは管理法令として有効だということを認めるようでございます。
 ただし、講和条約による占領の終了とともに日本国憲法はどういう運命をたどるかということについて考えれば、それはまたもう一度断絶が起こったわけでございますから、その時点で失効するのではないかということです。したがって、そのときには、本来、日本国憲法Bの効力はないはずなのだ。これが失効説の筋書きでございます。
 もちろん、混乱を避けるために日本国憲法の失効を宣言すべきだといったような提言がなされるところでございますが、これは法理的にはちょっと関係がないということになっております。

 以上の諸説なかで現在主流なのが八月革命説である。朝日新聞アンケートでは、ジャーナリズムの限界だとも言えるかもしれないが、憲法学者がどの見解に経つかついては関心がなかったが、主流説なので回答者の大半がこの説に立っていたと想定してよいだろう。
 次に、高橋はこう、主流の八月革命説に疑問を投げかけていく。


 まず、八月革命説というのは、限界論に基づきまして、かつ日本国憲法を新憲法として基礎づける、こういうふうな考え方でございまして、今も多数説という形で生きております。恐らく学者の中ではかなり多くの人がこれをとっているのではないかというふうに考えられます。
 しかしながら、近年、この八月革命説については、さまざまな観点から難点があるのじゃないかという批判があるところでございまして、理論的な問題点、及びその当時起こった歴史的な事態と整合性がないといったような問題が出てまいっております。

 八月革命説が含む問題を整理してみたい。以下見出しは私が付けたものである。

日本国憲法が成立した占領管理下に国民主権はなかった


 まず第一でございますが、これが本当は一番重要な点でございますけれども、八月革命説というのは、ポツダム宣言によって国民主権が成立したということをある種、絶対的な前提にしておるわけでございます。しかしながら、この議論の根拠にしているポツダム宣言、バーンズ回答から、日本は国民主権を採用したという結論を引き出すことはできないと思われます。
 この点については、詳しくは申しませんけれども、御存じのとおり、制憲議会、帝国議会における金森国務大臣の答弁の中に、「我ガ憲法ノ根本的建前」は「八月十五日ニ変ルベキ情勢デナイ、是ガ憲法ノ制定ヲ経過シテ変ルベキ情勢ニアル」というふうに、この段階でポツダム宣言、バーンズ回答からは国民主権に直接に変わったと言うことはできないというふうに一般的に考えられているわけでありまして、むしろ占領軍の撤退条件とされているのである、すぐさま国民主権に変わるということを言っているのではないというふうに思われます。
 ところが、この自明と思われるほど明らかな見解に対するはっきりした反論なくして、この八月革命説は長く通説としての立場を占めてきておるわけですが、この点について非常に問題があると言われるわけでございます。
 次に、もう少し法理的なところに入っていきますと、二番目にa、b、cと書いてありますが、これは一つのことでございますので、簡単に説明させていただきます。
 占領管理下の状況の中で国民主権ということになっているのは、非常に事態に合わないし、法理的に問題があることではないか。事実に合わないのではないか、こういう疑問でございますね。

 安保法制に関連して重要な点は、占領下で成立した日本国憲法ではあるが、占領下では日本国民に主権はなく、日本の主権は「占領軍の撤退条件」によっている。この点を以前のエントリー(参照)から敷衍すると、「占領軍の撤退条件」となるサンフランシスコ条約と同日の日米安全保障条約によって、連合国から集団的自衛権が付与されて日本の主権が発動したと言えるだろう。

八月革命説は国際法優位の一元論を元しているが支持されない


 また、ポツダム宣言を八月革命説のように解釈するためには、国際法であるポツダム宣言があらゆる国内法に上位し、違反するすべての国内法規は無効であると考えるラジカルな国際法優位の一元論をとる必要があるわけでございますが、これについては、実は日本国憲法を勉強している人たちの間にこのような説をとる人はほとんどおらないし、あるいは政府の見解もそうではなく、国際法というのは国家と国家の間の権利義務関係を規律しているもので、このようなラジカルな考え方は国家の独立性を害するというふうに考えているようでございます。

 この点については、国際法一般と、「連合国大権」との分離で説明が可能になるかもしれず、高橋氏も後で関連として「マッカーサー主権」に触れている。余談だが、自衛隊の前身である警察予備隊を規定したポツダム政令を考えると、「ポツダム宣言があらゆる国内法に上位」と見てもよいかもしれない。

日本国憲法はハーグの陸戦条約附属書43条との整合性がない


 さらに、cですが、占領管理下の日本を国民主権の国家とするということは、ハーグの陸戦条約附属書四十三条との整合性が実は問題になります。これも前に恐らく議論になっただろうと思うのですが、ポツダム宣言の受諾を、四十三条の特別法である、四十三条のもとで特に合意されたものであるから有効である、優先適用される、こういう考え方があるわけですけれども、もしそういうことが自由にできるというのであれば、四十三条を規定している意義などというものはほとんど失われるのではないか、こういう反論があるところでございます。

 では、八月革命説をどのように見直したらよいのだろうか?
 高橋氏は仮称であるが「マッカーサー主権」という考え方を提示している。

「マッカーサー主権」で考えてみる


 では、問題はどんな説明が可能かということでございます。以下にお話をするのは小生の個人的な見解ということになりますので、そういうふうな観点からお聞き願えればそれでよいと思っておりますが、すなわち、まず日本が置かれました全体の法的状況の概観というものは、四ページのところに(1)として図に書いておりますが、次のようなものだったと思われます。
 まず、本来の明治憲法をAといたしますと、ポツダム宣言を受諾することによって、ここで私も断絶があると考えておりまして、すなわち天皇主権から連合国ないしはマッカーサー主権ともいうべきものに、主権という言葉はちょっと問題があるわけですが、移行したのではないか。そしてまた、この根底には、日本国の国家性が揺らいだのではないか、そういうふうな考えをいたしております。したがって、揺らいだという観点から、主権というところにはてなマークがついているわけでございます。
 そして、明治憲法Bと日本国憲法Aというのは、いずれもいわば連合国・マッカーサー主権というものの下位法として存在した管理法令であるというふうに考えております。
 そして、講和条約によって占領が終了するわけでございますが、そこにもまたもう一度、断絶があるのではないかというふうに見ています。すなわち、連合国主権、マッカーサー主権といったようなもの、ないしは国家の非常にあやふやな立場が、もう一度通常の国家そして国民主権国家ともいうべきものになったという意味で、断絶があるというふうに考えておるわけでございます。

 以降、高橋氏は、八月革命説を回避しつつ、日本国憲法の正当性を同憲法調査会で議論している。関心ある方はさらに読まれるとよいだろう。

 私の問題意識としては、日本国憲法は制定時には大権としての「マッカーサー主権」があり、それがサンフランシスコ条約(参照)では「連合国としては」という主語となったと考える。


第三章 安全
 第五条
(c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

 そして、その集団的自衛権が同日の日米安全保障条約(参照)に結実する。

 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。

 これは占領下で策定された日本国憲法が「武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない」という欠陥を埋めるもので、占領下の成文日本国憲法は日本が主権を回復したときは、「マッカーサー主権」を補うかたちで、非成文的な日本国憲法に組み込まれたとみてよいだろう。
 60年安保闘争は、その「マッカーサー主権」を継承し自衛権を行使する有効な手段としての集団的自衛権を除去して、日本国憲法を「武装を解除」でも成立させようとしたものであった。この再純化された日本国憲法を憲法学者の多数は維持しているのではないだろうか。そしてそのことと八月革命説が現状、もっとも親和的ではあるのだろう。
 
 

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2015.08.02

日本国憲法の矛盾を考える上での参考書……

 日本国憲法の矛盾を考える上での参考書というのものがあればいいなと、この間思うことが多く。そういえば、あれは参考になるかなと、ふと思いついたのが橋爪大三郎『政治の教室』(参照)だった。2001年10月に出た新書である。現在は文庫化されている。

cover
政治の教室
(講談社学術文庫)
 率直に言うと良書とは言いがたい。「あ、これはないなあ」と思われる説明(例えば「法の支配」の説明など)も目に付く。それでも、この本はかなり言い切っているなあと思えたのと、日本国憲法については、護憲か改憲かみたいな紅白歌合戦みたいな暢気な構図が多いなか、そういう色分けから少し脱しているという点で、ちょっと触れてみたい。
 表題の『政治の教室』だが、そのとおりに、政治とはなにかということを学ぶことに力点が置かれている。別の言い方をすれば、若い人が政治参加するときにどういうことを最初に学んでおくとよいかという前提的な議論がまとめられている。若い人の政治参加が求められている現在、その文脈で読まれてもよいだろう。
 書籍の全体構成は、「第1部 原理編」「第2部 現実編」「第3部 改革編」となっている。「第1部 原理編」については、橋爪の師匠筋の小室直樹『日本人のための憲法原論』(参照)などを読んだほうがよいだろう。また、「第3部 改革編」はウォルフレン『人間を幸福にしない日本というシステム 』(参照)などのほうが参考になるのではないかと思う。
 本書で価値があるのは、「第2部 現実編」である。そのなかでも「3 戦後政治を振り返る」が重要になる。その見出しが「日本国憲法は日米安全保障条約とセット」となっているが、ここが日本国憲法の矛盾を考える上で最大のポイントになる。
 まず、そこまでの議論で触れていた明治憲法との対比で「プレロガティヴ(prerogative)」が語られる。簡単に補足しておくと、この「プレロガティヴ」は近代憲法学の「憲法制定権力」と同じであることは、後の文脈で示される。

 戦前は、明治憲法の上に「天皇特権」がありました。大権(プレロガティヴ)とは、王が持っている特権のことで、西欧の絶対王のイデオロギーである王権神授説では、それを神が与えたことになっているが、とにかく王は王であるがゆえにそれを持っている。西欧流に言えば、この天皇大権が明治維新の原動力であり、明治憲法を生み出す力になった。さらに、天皇大権が源泉となって憲法が生まれ、その憲法の権威の下に人民がいる。”天皇大権→憲法→人民”という順番で、下が上に従うわけです。

 この成文憲法とその外部・上位の「プレロガティヴ」との関係で見ると、明治憲法と日本国憲法は同じであるという議論が続く。

 その大権は大正天皇、昭和天皇に引き継がれたが、昭和天皇の時代に日本は連合国(実質的には、アメリカ)に降伏してしまって。天皇は「連合国最高司令官に従属するものとす」ということになっている。国家統治の大権はアメリカに握られた。天皇は大権など持たない「象徴」にすぎなくなった。そしてこの「アメリカ大権」のもとに、新憲法が制定された。”アメリカ大権→憲法→人民”という図式です。人民と関係のない大権の下に憲法があり、その下に人民が位置するという関係性は、まったく戦前と変わっていない。

 日本国憲法が特徴的なのは、日本国に主権がない時代に、明白に「アメリカ大権」の元で作成されたが、同書も指摘するようにだが、その記載はない。

戦後の日本国憲法は、その憲法制定権力(大権)として機能したアメリカが、憲法の中にはまったく登場しない。

 このことが成文憲法とどう関わるか?

 では、アメリカ大権は、どのような形で日本国と関わり、機能するのか。ここで大きな役割を果たすのが、日米安全保障条約です。
 安全保障の問題は、日本国憲法から切り離されました。(後続)

 つまり、「アメリカ大権」は、日米安全保障条約という形で日本国と関わることで、間接的に日本国憲法の矛盾にパッチを当てていると言ってよいだろう。
 このことは、日本の独立を連合国(大権)が約束したサンフランシスコ条約と日米安全保障条約が同日であり一体ものである歴史経緯からも明白である。

富国強兵で外敵を追い払うのは明治維新以来の悲願で、明治憲法では自力救済が当然だったが、新しい憲法では軍隊を持たないことになっている。このことはよく考えるとおかしな話で、自分が戦争を起こさないと決めたからといって、外国が戦争を仕掛けてこない保証はない。ところが、そのときどうするかということが日本国憲法には書いていない。あらゆるケースを想定して、どのような場合でも合法的に国家を運営できるようにするのが憲法のはずだのだから、こんな重大なケースに関する規定が抜け落ちている日本国憲法は、憲法として欠陥があると言わざるをえない。
 世界で初めて成文憲法を作ったアメリカが、その欠陥に気づいていないわけがない。アメリカが、あえて欠陥のある憲法を日本に与えたのは、自分で日本を守るつもりがあったら。その意思をかたちにしたのが日米安全保障条約で、それによって日本国憲法の欠陥が穴埋めされる関係になっている。日本国憲法は、安保条約とセットになってはじめて、機能するものなのです。日米安保条約は、日本にとって、憲法に匹敵する位置を占めていると言っていい。この条約がなければ、”アメリカ大権→憲法→人民”という図式は成り立たない。その図式が成り立たなければ日本国憲法は成り立たず、日本という国家も成り立たない。それが敗戦の意味であり、戦後日本の現実です。

 まあ、そういうことなんで、この当たり前の常識がどうも昨今の日本の状況を見ていると時代が変わるということはこういうことかなと思うが、忘れられているようにも感じられる。日本の敗戦の意味というのは、こういうことのはずである。
 とはいえ、著者橋爪もこれが理解されない「現実」を理解してないわけではない。

 ところが、その現実を認めたがらない人びとがいる。憲法学者の中にもいる。ジャーナリズムの中にも、もちろんいる。彼らは、アメリカ大権など決して認めない。あっても、存在しないことにする。日米安全保障条約も認めない。あっても、存在しないことにする。存在するのは、日本人民と日本国憲法だけだというのです。端的に、それはウソだと私は思う。ウソと言って悪ければ、非現実的な空想とでも言うべきものだ。

 ウソかあるいは非現実的な空想が、憲法学者やジャーナリズムにもある、というのである。

 実際問題、戦後の冷戦構造の中、アメリカ大権や安保条約なしで外交ができただろうか。非武装中立でソ連ともアメリカとも等距離外交を行えばいいという意見もあったけれど、それは要するにソ連の影響力が強まるということだから、アメリカが黙って許すわけがない。外交だけではない。国内の経済政策なども、アメリカ大権があったからこそ順調だった。戦後の政策は、すべてアメリカ大権にオンブにダッコで、資源も技術も市場も安全も、何から何までアメリカから提供してもらうことで成り立っていたのです。

 これが冷戦構造ということの意味であったとしてもいい。幸いというか、日本国憲法の9条が建前になったため、西ドイツのように集団的自衛権で北大西洋条約機構(NATO)に組み込まれることが条件で独立ということにはならなかった。それ以前に国家の分割も避けられた。
 冷戦が終われば、当然、全体構造が変わる。

 アメリカの国益がかたちを変えれば、アメリカ大権のあり方も変わるから、その下にある日本国憲法も影響を受けざるをえない。その関係性を露わにしたのが、一九九〇年から九一年にかけての湾岸戦争だと言えるでしょう。アメリカがイラクとの戦争を準備して、日本にも協力を求めてきた。あのとき日本では、「憲法を守って協力を断るべきだ」「いや国際貢献は大切だから憲法の範囲内(あるいは憲法を変えてでも)協力すべきだ」と大騒ぎになった。憲法がどうのと言っても、その上にアメリカ大権がある。そのアメリカが、憲法ではできそうにないことを求めてきたので、どうしたらいいかわからなくなった。

 長々引用したが、まあ、そうでしょ、という以上の感想はないようにも思える。
cover
政治の教室 (PHP新書)
Kindle版
 以下は、もう少し現在に関わる重要な問題になる。その前に本書が出版されたのは2001年10月であることを確認したい。9.11の問題意識は、この書籍に含まれていない。
 成文法としての日本国憲法は、憲法としては日米安全保障条約と一体であることから、日本国の変化は安保条約の変化とみることもできる。

 もうひとつ、安保条約を質的に変えたのは、やはり一九九七年の、ガイドライン(日米防衛協力のための指針)の改定でしょう。これによって、「周辺事態」の際に、日本の自衛隊が米軍を後方支援をできるようになりました。日本が直接攻撃されたわけでもなくても、ほっとおくとそれが日本の安全保障にもろにひびいてくるような事態の場合、出動する米軍の後方支援を自衛隊が行う。これは集団的自衛権にむかって一歩踏み込むものだと思います。

 繰り返すけど、この本は2001年10月の出版ですよ。
 この問題、「「周辺事態」の際に、日本の自衛隊が米軍を後方支援をできる」というのはもう15年も前の話だった。
 もう一点、「ほっとおくとそれが日本の安全保障にもろにひびいてくるような事態」というのは、ようするに「存立危機事態」である。これももう15年も前の話だった。
 この間、日米ガイドラインは20年近く(18年間)、実際には国民によって暗黙に是認されており、同書が願っていた政権交代期ですら、その変更はなかった。
 15年も前に、橋爪は「政治の教室」として議論提起を明確にしていた。

 ガイドラインの改定によって、日本は「われわれは中立を守らない」という意思表示を明確にした。これは妥当な判断だと思います。それ以外に選択の余地はない。中立を守る立場(日本の近くでどんな武力衝突が起こっても、日本が直接攻撃されない限り、アメリカが戦うのを黙って見ている)を貫けば、日米関係は破壊され、さらに中国が冒険主義に出る可能性だって高まります。そうなれば日中関係も壊れ、米中関係も崩壊してしまう。誰の得にもなりません。ガイドラインの改定は、現実の国際情勢に照らして考えれば、実に懸命な政策だと言えるでしょう。

 後続の文脈はこれが2001年10月出版の本の記載であることを再度留意したい。

 こうなれば、ガイドラインに関連する有事法制も整備しなければなりません。
 国家は、どんな事態に直面しても、必ず法律にのっとって行動すべきもの。だから、いざというときの行動に法的根拠を与える有事法制は、民主主義にとって必要不可欠だ。ところが、その民主主義を愛してやまない左翼の人々は、おおむね、有事法制に反対である。なぜ反対かと聞いてみると、「有事法制があると、有事が起こる可能性が高まるのではないか」というのです。

 くどいが、「こうなれば、ガイドラインに関連する有事法制も整備しなければなりません」というのは、15年以上の前の話である。その後、2003年に小泉政権下で武力攻撃事態対処関連3法ができたが、これを基本的な枠組みとして、実質的な議論がこの間にもっとできた筈であった。
 しかし、2004年には緊急事態基本法について方向性を示していた民主党も政権交代時期の政権下では具体的な進捗を見せなかった。その間、世界情勢はさらに変化して弥縫策を繰り返した。
 そして同書のガイドラインは今年新ガイドラインとなった(参照)。
 弥縫策を繰り返していけば、日米ガイドラインに手を付けることなく、有事法制の整備も不要になる。同書の表現で言えば、「米軍の後方支援を自衛隊が行う。これは集団的自衛権にむかって一歩踏み込む」ということで、それを修辞的に「集団的自衛権」と呼ばなければ特段、どの国にも問題はない。他国からすれば日本に集団的自衛権があるのは自明である。サンフランシスコ平和条約の原文を見ても明瞭である(参照)。

第三章 安全
 第五条
(c) 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第五十一条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

 このサンフランシスコ条約の規定である「日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができる」が根拠となって日米安全保障条約が締結された(参照)。前文は明瞭に書かれている。

 日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。
 無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。
 平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
 これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
 アメリカ合衆国は、平和と安全のために、現在、若干の自国軍隊を日本国内及びその附近に維持する意思がある。但し、アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従つて平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつことを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。

 冒頭、「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない」は、武装解除が占領下を意味し、固有の自衛権は占領下の暫定憲法が実質的な主権国家に移行することを示している。
 単独講和ではあるが平和条約が発生したので、連合国(大権)によって、「日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認」ということになった。
 日本は、この日米安全保障条約をもって日本が米国の施政権から脱して独立したのだった。つまりは、橋爪が言うように、占領下の日本国憲法はサンフランシスコ条約を介して日米安全保障条約と一体になった。
 現在話題の安保法制では、そうした後方支援は国際的に見れば集団的自衛権なのだから、むしろそれに歯止めをかけようとした法案だが、そもそも法案には集団的自衛権の文言はない。日本国の独立時から集団的自衛権は日本国にあるので規定する必要もない。むしろ、今回の安保法制はそれをより明瞭に日本国憲法と整合させるための歯止めである。
 ただ、従来の内閣方針と整合はできていない。法制局は直接そのことに関心がなく、法制局としての一貫性にしか関心がなかったと言ってもいいだろう。
 世の中は、こうした前提の15年以上の前の部分で蒸し返しが進んでいる。実態は変わらないのに、法整備はまた先送りが検討されようとしていることだ。先送りの妖精(参照)さん、チャオ。

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