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2015.07.06

良心的兵役拒否の権利が確立されているなら徴兵制があってもよいのではないか?

 世の中で「徴兵制」の議論が盛んで、野党第一党の民主党もこの話題を力強く、考えようによってはコミカルな印象もあるかもしれないが、展開している。朝日新聞「民主、安保法案反対のパンフ配布 子育て世代狙い」(参照)より。


 民主党が安全保障関連法案に反対するパンフレット50万部を作成し、3日から全国で配布した。タイトルは「ママたちへ 子どもたちの未来のために…。」とし、母子を中心とした柔らかいタッチの絵をちりばめ、子育て世代を中心に党の政策を訴える狙いがある。
 パンフレットでは、「安保法案によって子どもたちの将来が大きな危険にさらされようとしているのを、見過ごすわけにはいきません」と、法案に反対する党の立場を紹介。また今回、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めたことを引き合いに、徴兵制の導入について「時々の政権によって解釈が変更される可能性も論理的には否定できない」などと訴えた。

 パンフレットについては、正式な経緯はよくわからないが、修正が必要だとして最初の版の配布は停止されているようだ(参照)。
 どのあたりが修正されるかは興味深いところだが、報道からの印象では大きな修正にはなりそうにはない。いずれにせよ、どういう経緯でこのパンフレットが作成されたかも修正時に明らかにされるとよいだろう。
 現行版パンフレットの内容は、日本版ハフィントンポスト記事(参照)で読むことができる。徴兵制についての記述はこうなっている。

 今回安倍政権は、集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の憲法解釈を閣議決定で変更し、限定的行使を可能としました。
 そのようなことが許されるなら・・・。
 徴兵制も同じです。
 憲法は「苦役」を禁止しているだけで、「徴兵制を禁止する」とは書いていません。徴兵制が禁止されてきたのは、あくまでも政府の憲法解釈によるものです。
 今回と同じように憲法解釈を閣議決定で変更し徴兵制は可能である、と時々の政権によって解釈が変更される可能性も、論理的には否定できないのです。

 これを読んで私が思ったのは、徴兵制云々以前に、「閣議決定で変更し徴兵制は可能である」についての2点である。
 1つは疑問である。今回の安保法制でもそうだが、国会で審議しているように、閣議決定が法になるまでには国会のプロセスを経るので、たとえばそれが徴兵制であろうが、国会で法化のプロセスを経るのではないか、ということである。この点、民主党は議会制民主主義を理解しているのだろうかという前提的な疑問ももった。
 2つめは、このパンフレットにどちらかといえば実質的に賛同する部分で、基本的に「徴兵制」は日本国憲法によって否定されていないので、行政府・立法府を経れば、制度は可能になるだろう、という点である。別の言い方をすれば、日本国憲法は徴兵制を否定していないので、それについて、民主党のような意見があっても、多様な意見としてよいだろうと思われる。
 では、日本の徴兵制はどうか?
 気になるのは、これに関連して、現代の軍事は非常に専門化しているので、一般人を入れて訓練するような非経済的な徴兵制は先進国ではありえない、という議論がある。これは実際的にはそうなのだが、この考えに私は原理的には賛同してない。
 理由は、徴兵制というのは、その本質は、軍事力を効果的に維持するものではないからだ。そもそも、徴兵制は市民権に強く関わっている。国家を自ら作りあげるという参政権と、作り上げた国家を傭兵ではなく市民の手で護るという徴兵制は、本質的には一体で生まれたものである。ゆえに、徴兵制が廃止された米国でも永住権保持者が軍に志願すると市民権が申請しやすい。また、貴族制の残存のある国家の場合、貴族たちは志願してもっとも厳しい軍務に着く気風がある。
 近代市民国家の徴兵の歴史を見ても、こうした本質が維持されていることはわかるので、民主党議員も歴史学者を招いてこの点、勉強会などをするとよいのではないだろうか。あと補足すると、徴兵制のように一律に市民の義務とすることで、軍務を金銭的に売買できなくなるので、貧困層にとっても平等になる。これはあとで述べる良心的兵役拒否による代替的な奉仕的な活動でも平等になる。
 もう1点は、現在の先進国で徴兵制が廃止されたのは、現代の戦闘にとって経済的ではないという(無駄に税を消費する)という面があることの裏面だ。非専門的な分野ではないバックエンドの人的リソースがシビリアン(非軍人)の雇用で賄いきれない場合、徴兵制による経済的な優位はありうるだろう。イラク戦争でも州兵はそのようにも活用されてきたし、ドイツの徴兵代替の国家事業でも同様の事態がある。
 しかし、と、先の民主党のパンフレットの主張のトーンに戻るのだが、徴兵によって兵士になることで、戦死というリスクがあり、その恐怖を訴える文脈がある。

子どもの笑顔や成長を何よりも嬉しいと思う。
子どもたちの人生に幸あれと願う。
その感情に理由はありません。
そして今、
「安保法案」によって子どもたちの将来が大きな危険にさらされようとしているのを、
見過ごすわけにはいきません。
どうか皆さんの力を貸してください。
どうか皆さんも声を上げてください。
私たちとともに。

 この点については、消防士も警察官も同じなので、兵士だけが特殊であるとは思えない。
 むしろ、受動的な「危険にさらされよう」というより、戦闘行為に参加したくないという心情――良心の自由――を徴兵制が抑え込むという問題がある。徴兵制の問題の要点は、良心的兵役拒否の権利の扱いになると言っていいだろう。
 良心的兵役拒否は、市民社会における人権の課題である。だから、良心的兵役拒否(Conscientious objector)が人権として確立してきた。国家への市民奉仕には反対しないが、戦闘に参加することは良心によって拒否するという権利である。具体的な奉仕としては、ドイツを例にすれば医療・介護などの分野があげられる。なお、こうした代替的な労働は強制労働とみなされない(注)。
 基本的に、人権である「良心の自由」を尊重する先進国の場合、徴兵制があっても、良心的兵役拒否が確立している。
 そして、ここが重要だと思うのだが、日本国憲法、とくに第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」から考えれば、日本国に徴兵制が敷かれたとしても、現行の日本国憲法によって良心的兵役拒否は確立するだろう。
 憲法学者に今問われているのは、仮に日本に徴兵制が敷かれても、憲法の「思想・良心の自由」によって良心的兵役拒否が成立するという言及ではないだろうか。


注 「人権と基本的自由の保護のための条約(Convention de sauvegarde des Droits de l'Homme et des Libertés fondamentales)」Rome, 4.XI.1950 の「Article 4 – Interdiction de l'esclavage et du travail forcé」「3. N'est pas considéré comme «travail forcé ou obligatoire» au sens du présent article:」「b. tout service de caractère militaire ou, dans le cas d'objecteurs de conscience dans les pays où l'objection de conscience est reconnue comme légitime, à un autre service à la place du service militaire obligatoire;」より。


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