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2015.07.17

日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?

 日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか? この問いは自分の思いのなかでだけだが、ずっと考え続けてきた。理由は、日本が戦争に巻き込まれる危険性といったものより、この戦争に参加して戦死した各国の兵士を自分がどう追悼したらよいだろうかということからだった。
 最初に断っておくべきことと最後に強調したいことがあるが、当然最初のほうを述べておくと、合理的な推定はできない、というが当然の前提になるということ。その意味で、残念ながら与太話である。最後に強調したいことは最後に述べたいと思うが、書きながら忘れてしまったら、そこはブログなんで、ごめんなさいな。
 最初に基本的な話から。アフガニスタン戦争とは何か。歴史を知っている人なら、「え? どのアフガニスタン戦争?」と問うだろう。ここでは2001年から始まったアフガニスタン戦争を指す。ちなみに、この戦争に対する米国の名称は「不朽の自由作戦: Operation Enduring Freedom」である。その戦争の終わりは?というと、継続中なのである。なので、これまでのところという話になる。
 現在まで、アフガニスタン戦争でどれだけの死者が出たか? 推定値はあるだろうが、おそらく正確な数値はわからない。ここでは、有志連合の兵士の死者だけを想定したい。というのも、もとの問いかけは、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?ということだからだ。
 推定値の一つは「Operation Enduring Freedom」(参照)にあるが、ここではそこを典拠にしたウィキペディアのデータを元にした。
 ここでクイズです。アフガニスタン戦争で有志連合ではどのくらいの戦死者現在まで出しているでしょうか?
 答えは、今年の5月24日までで3,393人。
 2005年ごろまでは戦死者は毎月20人以下とちょぼちょぼとした状態だったが、以降40人くらいに増え、オバマ米国大統領が就任してからは戦死者数が月80人くらいに急増し、2010年のピークには月100人を超えたことがある。有志連合を支えていたNATO(北大西洋条約機構)が撤退した2014年以降は減少している。兵士そのものがいなくなったからだと言ってよい。兵士がいなくなれば兵士の戦死者はなくなる。それを平和と呼ぶかどうかだが、関心を寄せるなら悲惨な実態がわかるだろう。
 当然、米国兵士に戦死者が多いことは想像に難くない。そこで第二問、米国兵士の戦死者は何人でしょう?
 2,259人。三分の二くらいになる。
 第三問、米国兵士についで戦死者の多い国はどこで、何人くらい?
 英国の453人。これに、カナダの158人、フランスの88人、ドイツの57人、イタリアの53人、ポーランドの44人、デンマークの43人、オーストラリアの41人、スペインの35人、ジョージアの29人と続く。
 有志連合といっても英米圏つまり、米国とコモンウェルスの戦死者が多く、これに西欧先進国としてフランス、ドイツ、イタリア、スペインが続くというふうに理解できるだろう。
 そして先日まで「グルジア」だったジョージアは、対ロシア戦略ため欧米圏の軍事同盟に接近していることから、その貢献度に比して、戦死者が多いと見られる。国が存立するための集団的自衛権を維持するために、戦争に参加させられ、自国民の戦死者を出しやすいということになる。この傾向はバルト三国などにも見られる。
 いちおう、全体像としてはそういう理解でよいと思うのだが、さて、これに仮にだが、最初の疑問、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?というのを当てはめてみたらどうだろうか?
 そう考える上で参考になるのは、十分な集団的自衛権がある隣国・韓国の例である。
 第四問、アフガニスタン戦争での韓国人兵士の戦死者は何人でしょうか?
 2人。
 私はこのことは知っていた。なぜそんなに少ないのかという理由については、北朝鮮との間で戦時体制のままだからというのもあるだろう。十分な集団的自衛権があるとしてもその発現を国民が好まないからというのもあるだろう。ただ、おそらく最大の理由は、こう言うと語弊があるが、実際の韓国軍は米軍に組み込まれていて、独自の活動ができないからではないかと思われる。
 こうした韓国の事例が、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?という疑問に参考になるかというと、そういう文脈から見るとなかなか難しい。どちらかというと韓国は例外だろうなというのと、実際には韓国においては集団的自衛権と言うものはその言葉が意味する実態と違うだろうと思われる。別の言い方をすると、日本も、そもそも自立した集団的自衛権が持てるのだろうか疑問が残る。
 韓国は例外だとすると日本に参考となるのは、ちょっと斜めの位置にある北欧やトルコあたりだろうか。ノルウェーの戦死者は10人、スウェーデンは5人、トルコは15人。
 そのあたりが参考になりそうだと考えてみて、いや、基本的に軍事力というのは、その国の人口や生産力の関数だろうとも思う。そのあたりを考慮するとどうだろうか。
 今までぼんやり考えていたが、ちょっと各国の人口と国内総生産(GDP)の関連の表を作って、これにアフガニスタン戦争の戦死者を付き合わせて眺めてみた。雑駁なので根本的な間違いをしているかもしれないが、そこから話を進める。
 感染症や疾患ではよく10万人あたりの死者数を求めるが、そうした視点でアフガニスタン戦争の戦死者を見ると、米国が0.7、英国が0.7と揃っていた。先に例に挙げたジョージアはどうかというと、0.78。突出して多いということもなく、率先して英米圏の有志連合に加わりたいという意思表明としては妥当なあたりなので、うなった。他の西欧諸国はというと、だいたい0.1くらい。
 GDPと付き合わせて見るとどうか。10万ドル比で見ると、英米が横並びで突出しているが、他の西欧圏ではその5分の1くらい。ただ、こうしてみると、グルジアやバルト三国などはかなり悲惨な状況が浮かび上がって、これもうなった。率直なところ、これは国際社会というか英米圏の有志連合への血税といった印象がある。ついでなんで、GDPに対する軍事支出を見たら、日本が意外に高いのでちょっと驚いた。計算違いかもしれないが。
 さて、最初の問題に戻ると、英米圏の有志連合への血税という点からすると、GDPが問われるのではないか。そこから西欧の平均くらいと思われる10万分の1で概算すると、42人。アフガニスタン戦争で濃淡はあるものの、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争で毎年3人くらいの戦死者が出ていたのではないだろうか。
 これを多いと見るべきだろうか。少ないと見るべきだろうか。いやいや、お前の概算が違うだろう、と突っ込まれるか。
 日本に十分な集団的自衛権があったらそうした絵が描けそうには思えたというのと、そうはいっても、このアフガニスタン戦争で英米を中心とした有志連合はもう疲弊してしまったという現実もある。
 シリア問題などもう誰も手を付けたくなくなった。これで各国とも自国兵の戦死は避けられる。各国とも日本が羨ましく思えたのではないだろうか。リビア崩壊の場合は、英米が機能しないのでフランスが旗を振って、米国を巻き込み、中露を事実上ペテンにかけた。なので、中露はさらに有志連合に警戒するようになった。そうしてみると、集団的自衛権といっても、意外と近未来的には機能しないかもしれない。
 いや、今後、国家の安全保障が問われていくのはアジアなのだから、ベトナム、フィリピン、インドネシアといった国との関連を見るべきかもしれないが、アフガニスタン戦争ではこれらの国の参加はなく、参考にもならない。
 さて、最後に述べたいことを思い出した。二つある。一つは、今回の安保法制が通っても、法案を読めばわかるように、十分な集団的自衛権ではない。アフガニスタン戦争が日本の存立危機条件に当て嵌まるとは想定されない。もう一つは、にも関わらず、ジョージアのように集団的自衛権で自国の安全保障を維持しようというのでなければ、それなりに想定される戦死者への補償金くらいは具体的な平和貢献をしなければならないだろうということ。
 それが何かということだが、日本の平和幻想を各国が共有してくれるわけでもないのだから、限定された後方支援というあたりがオチにはなるのではないかと思った。というか、それすらできなければ、日本という国は、有志連合というより、これに対抗する上海協力機構などの中露側の国家に見なされるだろう。まあ、それもよいかもしれない。自由というのは、しからずんば死をとして西欧の歴史で希求されてきたものだが、死を避けて自由を取引して生き残る国家戦略というのが、今後ありうるかもしれない。
 
 

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