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2015.07.31

「戦争を知らない子供たち」という曲があったけど………

 ツイッターを眺めていて、おやっ?と思うツイートを見かけた。なんというのか、隔世の感というのか、時代は変わるなあと思ったのである。まあ、僕もけっこう年を取ったなということでもある。ちょっとそんな感慨を書いてみたい。
 該当のツイートなのだが、そのままベタに引用してもよいのだけど、発言者に特に思い入れはないし、ましてバッシングの意図はさらさらないので、そうした不用意な誤解を避けるという意味で、該当のツイートの内容だけを引用したい。そういう主旨なので引用先のリンクもあえて外しておきますよ。
 さて、このツイート、どう思われるだろうか。


「戦争を知らない子供たち」という曲があったけど…戦争を知らずに育つとこういう政治家になるのかと安倍首相やその取巻き政治家を見て思う。戦争を知らなくても想像力があれば…と思っていたところにSEALDsを始めとする若者達が出てきた。想像力に創造力を持った新しい世代に期待する。



 基本的なメッセージとして、「安倍首相やその取巻き政治家を見て」「戦争を知らずに育つとこういう政治家になるのか」という意見を持つ人がいても不思議ではないと思う。また、「SEALDsを始めとする若者達が」戦争について「想像力に創造力を持った新しい世代」として登場してきたことを頼もしく思うということについても、そういう意見の人もいるのだろうなと僕は思う。僕は世の中いろんな意見があればいいと思うので、そういうことには、ふーんというくらいな感想しかもたない。
 でも気になったのは、「「戦争を知らない子供たち」という曲があったけど…戦争を知らずに育つとこういう政治家になるのか」という部分である。つまり、「戦争を知らない子供たち」は「安倍首相やその取巻き政治家」のようになるという考え方である。その文脈を捕捉すると、戦争を知らないから戦争肯定的な考えになるのだと、いうようなことだろうと理解してよいだろうと思う。というのも、文脈構造上「安倍首相やその取巻き政治家」は「SEALDsを始めとする若者達」に対立しているからである。
 僕が気になったことだが、僕は「戦争を知らない子供たち」という曲をよく知って、しかもその時代によくギターを抱えて歌っていたので(コード進行がC-Em-F-G7というベタ)、こうしたツイートのとらえ方に、それは曲の意味合いと違うんだけどな、ということである。
 「戦争を知らない子供たち」とはどういう歌だったか振り返ってみたい。





戦争が終わって僕等は生れた
戦争を知らずに僕等は育った
おとなになって歩き始める
平和の歌をくちずさみながら
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ

若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ

青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕日が輝く小道を
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
戦争を知らない子供たちさ


 重要なメッセージは、戦争を知らない子供が戦争の惨禍を知らなくても平和の歌を口ずさむ、平和を謳歌する、ということである。戦争を知らなければ平和がわからないというものではない。そういう世代の子供を世の中に認めさせたいということである。これはふと立ち止まって考えると、一つのイデオロギーでもある。
 歌詞を振り返った時点で、すぐにわかることは、この歌の時代背景である。それは、当時、「戦争を経験したことのない若者・子供には戦争の悲惨さはわからないから、平和など理解できまい」という大人がいたということである。そうした大人への反発としう意味合いもこの歌にはある。僕はこの歌の時代を知っているのだけど、そういう大人がけっこういたのである。そうでない大人もいた。春風亭柳昇とか。
 歌詞を振り返って、現代から見て興味深いのは、二番かもしれない。「若すぎるからと許されないなら」というのは、なにが禁止されていたのだろうか? 当時の大人はなにを禁止していたのだろう?
 一つは継続する句「髪の毛が長いと許されないなら」である。つまり、ロングヘアーのことである。男子が長い髪をするのは許されないという時代であった。これに呼応する歌がある。吉田拓郎の1972年の「結婚しようよ」である。ここでは、「僕の髪が肩までのびて君と同じになったら約束どおり町の教会で結婚しようよ」と始まる。男の子が髪を伸ばすことが若ものらしい風俗であり、男女差別を打破するユニセックス的な志向でもあった。
 「戦争を知らない子供たち」に戻る。その歌詞の先に「今の私に残っているのは涙をこらえて歌うことだけさ」とある。なぜ涙を堪えているのだろうか?
 答えをいうと、その当時の大人たちに負けたからである。歌の文脈だけ読むと、「お前、髪を切れや」と親がいうのに屈して髪を切って泣いたということになる。が、もちろん、それは象徴である。なにの象徴かはあとで触れたい。
 三番の「青空が好きで花びらが好きで」とあるが、これもそれだけ読むと凡庸だが、まず、この「花びら」だがジョージア・オキーフ的な女性器の隠語とかではなく、「フラワーチルドレン」のことだった。1967年の夏、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーに10万人近い、自由と平和を求める若者が集まったのだが、これがそう呼ばれた。この現象が世界中に広がり、日本にも広がった。それを意味している。
 で、「青空」のほうだが、これは「悲しくてやりきれない」という歌に対応していた。

胸にしみる空のかがやき
今日も遠くながめ涙をながす
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを
だれかに告げようか

 なんでその対応が言えるのか? 実は、当時を知る人にとっては、花びらがフラワーチルドレンであるのがわかるように当然のことだった。後で触れるフォークルのもち歌だからである。
 「悲しくてやりきれない」という歌の詩はサトウハチローである。彼についてもいろいろ述べてみたいのだが、1903年(明治36年)とけっこうな時代の人である。それがこの時代のフォークソングとして蘇った。作曲はフォールのメンバーである加藤和彦である。
 さて、そもそも「戦争を知らない子供たち」という曲は、いつの曲で、誰が歌ったのだろうか?
 ググればわかることだが、1970年の曲で、歌ったのはジローズだった。杉田二郎と森下次郎の2人組フォークグループで1967年当初は、杉田二郎、塩見大治郎、細原徹次郎の三人のジローズだった。作曲は杉田二郎である。
 歌詞を書いたのは北山修である。北山はフォークルこと「ザ・フォーク・クルセイダーズ」のメンバーとして有名だった。余談めくが、クルセダーズ(crusader)とは「十字軍兵士」である。なぜそんな物騒な名前なのかというと、元来は平和を志向するクリスチャン・ソルジャーの文脈もあるだろうが、平和の戦士のアイロニーでもあった。これは先のフラワーチルドレンの運動とも関連している。そこでの文脈の戦争は、ベトナム戦争だった。
 日本のフォークソングがどこから始まるかをきちんと論じるのは難しいかもしれないが、フォークルは大きなエポックと言えるだろう。主要メンバー三人を生年付きで挙げると、北山修(1946-)、加藤和彦(1947-2009)、はしだのりひこ(1945-)。そしてここで追記すると杉田二郎(1946-)である。
 フォークルが全国的に知られるようになったのは、1967年の「帰って来たヨッパライ」が全国ヒットしたことだった。当時の小学生はみんな歌った。つまり僕である。ゲルマニウムラジオを作って電波チャックしていたら、この歌が流れてきたことを今でもまざまざと思い出せる。
 話をまた「戦争を知らない子供たち」について戻して、時代のなかに収め直してみる。発表されたのは、1970年。1970年安保の年でもあるが大阪万博の年である。翌年にはこの歌も全国的に流行った。この年の第13回日本レコード大賞でジローズが新人賞を取り、北山修は作詞賞を受賞した。これは僕のように岡林信康的なフォーク文化の中にいた少年には奇妙な事態でもあった。
 フォークルの活動は1965年から始まっていたが、1967年に解散。しかし、世の中の要請に応えて北山が一年間の再結成する。このとき、はしだのりひこが入る。この時点で杉田二郎を加える案があったらしい。杉田はフォークル二軍と言ってもよく、そのあたりから、フォークル後の北山ソングとして「戦争を知らない子供たち」が登場した。
 「戦争を知らない子供たち」という名前(僕等の名前を覚えてほしい)の社会的な提示はなんであっただろうか?
 それは率直に言って、1946年生まれの北山修のイデオロギーだった。それはだから同年生まれの杉田二郎が歌う以外はなかった。そして、もう一つ重要なこと、つまり、そのイデオロギーの意味合いに関連するのだが、この歌を歌う「子供」の杉田二郎は25歳だったということだ。
 当時の25歳は、彼らより10年若い僕の世代でもそうだったが、もはや「子供」ではない。逆説であった。もはや子供ではない彼らが「子供」と主張することに意味があった。なぜなのか?
 北山修のフォーク文化のイデオロギーは、世界的な時流としてはフラワーチルドレンの流れであり、ベトナム戦争という「戦争」への日本の若者の連帯でもあった。フォークルの活動がベ平連と軌を一にしていることからでもその時代の空気がわかるだろう。そしてもう一つ、1970年安保の挫折を意味していた。全学連運動の挫折と言ってもいいだろう。全国のお茶の間的な事件でいえば、1969年の東大安田講堂事件がある。
 安保闘争と全学連運動の挫折を若者はどう消化したののか。一つは三里塚闘争を通して残留した。その残留は2015年、69歳の北山修や杉田二郎と同じ年代の老人による、最近の諸活動から察せられる部分は多い。
 当時蹉跌した多くの若者は泣きながら屈し、「転向」した。それが先の残したこの意味合いである。

若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ

 25歳になって涙を堪えて平和を歌うという姿である。それは、先にも触れた1972年の吉田拓郎「結婚しようよ」という風俗にも流れた。
 大半の転向は、フォークソングの終わりを告げる形で登場したユーミンの、1975年の「『いちご白書』をもう一度」で歌われた。普通の社会に融け込み、男は企業戦士となっていった。

僕は無精髭と髪を伸ばして
学生集会へも時々出かけた
就職が決まって髪を切ってきたとき
もう若くないさと君に言い訳したね
君も見るだろうか「いちご白書」を

 しかし、「戦争を知らない子供たち」を北山修のイデオロギーとして見た場合、つまり、25歳の杉田二郎に歌わせたことの結末は、ある意味、もっと悲劇的なアイロニーとなった。「戦争を知らない子供たち」の大半は、メジャーな社会に吸収されていったのである。それが吉田拓郎「結婚しようよ」とも結びつき、拓郎は芸能界でメジャー化した。僕はこの歌が出たとき、ああ拓郎は終わったと思ったものだった。
 北山修はその後、フォークから一切手を引いて学者になった。その10歳上の世代の挫折の象徴である柴田翔のように、と言っていいだろう。
 しかし、と私は思うのである。「戦争を知らない子供たち」という北山修のイデオロギーは、もっと肯定してよいものではなかったか。少なくとも、僕はその方向で生きてきた。

青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕日が輝く小道を

 北山修より10年遅れた世代の僕はそれが平和であると思って生きてきた。戦争というものの悲惨さを想像力で知る平和主義よりも、「青空が好きで花びらが好きでいつでも笑顔のすてきな人」であるほうがよいと思ってきたし、そうした人が増えることが平和につながるだろうと思ってきた。
 そして今も、思っている。
 
 

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2015.07.21

安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかな

 これもなんとなく思っていたことだが、めんどくさいので書かなかった。しかしちょっと書いておこう。安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかなということだ。
 あえて書こうかなと思ったのは、今回の安保法制を理解する上で、中国海洋侵出への対抗という文脈は違うのではないかと思うからだ。いや、それも正確な感覚ではない。政府側はそういう文脈を与えることがわかりやすい説明だと思っているだろうが、実際の法案を書いた法制局はそう考えていないのではないかというか、そんな違和感である。実際に法案の原文を読んだときからその違和感を持っている。最初に弁解を記すならごく印象にすぎないのではあるが、少し文章的に補ってみよう。
 この印象が濃くなったのは、井上武史・九州大学大学院法学研究院准教授の見解を見てからだった(参照)。世の中は、安保法制は戦争法だとか違憲だとかいう観点で井上教授の意見を受け止め、その先にろくでもない事態もあった(参照)が、重要な指摘はそうした文脈ではないように私には思えた。報道ステーションよりもしかするとこのブログのほうが息が長いかもしれないので、あえて全文引用しておきたい。


憲法には、集団的自衛権の行使について明確な禁止規定は存在しない。それゆえ、集団的自衛権の行使を明らかに違憲と断定する根拠は見いだせない。集団的自衛権の行使禁止は政府が自らの憲法解釈によって設定したものであるから、その後に「事情の変更」が認められれば、かつての自らの解釈を変更して禁止を解除することは、法理論的に可能である(最高裁が「判例変更」を行うのと同じ)。そこで問題の焦点は、集団的自衛権行使を禁止する政府見解が出された1972年と現在との間に、解釈変更を基礎づけるような「事情の変更」が認められるかであるが、約40年の間に生じた国際情勢や軍事バランスの変化に鑑みれば、おそらく認められるだろう。政府は、新たな憲法解釈の「論理的整合性」を強弁するが(違憲説の根拠もこれである)、これが戦略的に誤りであった。「事情の変更」に基づく解釈変更であると言い切っていれば(つまり、初めから従来解釈からの断絶を強調していれば)、従来解釈との整合性が問われる余地はなく、その後において実質的な政策論議が展開されたかもしれない。この点、過去の解釈に拘る内閣法制局に引きずられ過ぎたのではないか。もちろん、政治的には難しかったのかもしれないが。ある憲法解釈が妥当か否かは、憲法学者の多数決や学者の権威で決まるものではない。重要なのは結論を支える理由や根拠である。集団的自衛権の行使許容論(上記)が憲法上可能な主張であることも紹介してほしい。安全保障という高度に政治的で、また、刻々と変転する国際情勢の動きに機敏に対処しなければならない課題を、憲法解釈という枠組みで論じることの是非こそが問われるべき。70年前の憲法の文言や40年前の解釈との整合性に腐心するのは、意味ある議論ではない。「歯止め」については、それを憲法に求めるのではなく、選良である国会議員や首相・大臣の判断をもう少し信用してはどうか(それが民主主義であり、たいていの国はそうしている)。重要な決定を迫られる緊張感に耐えてこそ、民主主義は逞しくなるのではないか。

 いくつもの論点が読み出せるが、現下の話題の関連で私が気になったのは、以下の部分である。

この点、過去の解釈に拘る内閣法制局に引きずられ過ぎたのではないか。もちろん、政治的には難しかったのかもしれないが。ある憲法解釈が妥当か否かは、憲法学者の多数決や学者の権威で決まるものではない。

 今回の法案の全文を読んだ人が意外に少ないのも奇妙だったが、私がこの国会審議が始まる際、全文読んだとき、なぜこういう微に入り細に入る形になったのか疑問だった。
 法改正とはそういうものだというのはあるかもしれないが、新ガイドライン問題から政府の言動を見てきた印象とは、異なる思考が法制局に感じられたからだ。私の印象をまとめると、すでに書いてきたように、今回の法制にはなんら新味はなく、弥縫策をとりあえず法の形にまとめてみた程度の代物である。卑近な言い方をすれば、法制局側としては、長期政権になったので、ようやく仕事ができるな、がんばって仕事すっか、ということではないかと思えた。
 ということと逆に、この法改正を政府側がやや過剰に意味の読み取りをしているという印象にもなった。
 ちょっと勇み足的に言うなら、法制局としては安倍政権が長期政権であることの利点だけに関心があって、安倍政権の意向にはそれほど関心はないどころか、それをそれほど重視してなかったのではないだろうか。逆に安倍政権としてはこの法制を政治的な貢献として世界に示したいという思惑があり、そこにずれがあったのではないだろうか。
 井上教授の意見で特に興味深いのは、私のように法制局側で考えるよりも、民主主義国家の行政の意義から思考している点で、そこから「政治的には難しかった」つまり、内閣法制局に安倍政権側が折れたように見ていることだった。
 関連して今回の法制で興味深かったのは、外務省の意向が随分強いように思えたことだった。「ああ、これはあれかもしれないな」と思ったのだった。この「あれ」はややこしい。
 法制局はある意味奇妙な組織で、たたき上げ的な純粋官僚がなく、その性質上ということもあるが、各省庁の参事官以上の出向で成り立っている。実質は、法務省、財務省、総務省、経済産業省の4省なのだが、2013年8月に安倍首相の思い入れということだろう異例の事態として外務省の小松一郎氏が長官となった。その後はいろいろ世間の話題となったが、彼は2014年6月23日に死去した。言うまでもなく、小松氏は安倍首相と思い入れをほぼ一にして集団的自衛権の行使容認に積極的だったが、志半ばで倒れた。
 後任は当然というか、次長順送りで、2011年から次長だった法務省出身の横畠裕介氏が長官に就いた。問題は、今回の法改正で小松一郎氏と横畠裕介氏の采配が反映しているのか、そうなら、どのように反映しているかということである。もちろん、そんな反映などあるわけないというのが建前だし、昨今の世論ではほとんど注視されていないというか、そこが注目されないのはなんでなんだろかと、私はずっと疑問に思っていたので、まあ書いてみるかなと思ったわけである。
 こういう道筋でとりあえず考えるという背景には、横畠裕介氏にそもそも采配するような思い入れの有無があるのかという疑問がある。正確に言うと、その疑問がずっと脳裏にあった。あまりよい典拠ではないが、ある意味わかりやすい記事が雑誌『選択』記事に残っている。「《罪深きはこの官僚》横畠裕介(内閣法制局内閣法制次長)「憲法の番人」復活を画策する次期長官(2015年7月号)」(参照)である。

 首相官邸と内閣法制局の主導権争いという、「古くて新しい」対立が勃発した。国連平和維持活動(PKO)協力法の改正を目指す野田内閣に対し、法制局がこれに抵抗している。その司令塔であり、完全なるサボタージュを主導したのが法制次長の横畠裕介だ。
 野田内閣が目指すのはいわゆる「駆けつけ警護」を可能にするための法的整備。攻撃に晒された他国軍や非政府組織(NGO)などを自衛隊が援護・救出するためのものだ。これまで政府は憲法解釈で禁じている海外での武力行使に繫がる恐れがあるとして認めてこなかったが、自らが攻撃を受けなければ「見殺し」にする国際的に非常識な代物で、自民党時代から課題となってきたことは周知の通り。
 官房長官の藤村修は、首相・野田佳彦の指示の下、防衛大臣の森本敏や外務大臣の玄葉光一郎と調整を重ね、七月五日には非公式の三閣僚会合で、受け入れ国が自国の警察に認めている範囲内での武器使用を認めることで合意した。実はこの時点では法制局側も「一定の条件下であれば駆けつけ警護は可能」と渋々認めていた。
 ところが、法制局は国会会期末までの時間稼ぎを始める。この案件が法制局で滞留していたことは既に報じられているが、法案の検討などの手続きは一切おこなわれていなかった。完全に放置して時間切れを狙っていたのだ。七月上旬、横畠が藤村と協議した際、横畠はあろうことか「首相や官房長官の指示は正式に受けていない」と言い出した。政府関係者の一人は「首相肝煎り案件の指示書が届かないことなどありえない」と語る。業を煮やした藤村がその場で首相の指示書を示すと今度は、「内部の行き違いで私の元に届いていなかった」と子供のような言い訳を始めたのだ。
 横畠の抵抗はこれにとどまらない。藤村が内閣、防衛、外務の三府省と法制局の局長級協議を始めるよう求めたところ、横畠は局長級を課長級に格下げすることを主張したのだ。駆けつけ警護を握りつぶすためになり振り構わない。

 記事は2015年7月号だが、読めばわかるように、民主党政権の野田内閣の時代であり、横畠裕介氏は「次長」のままである。
 この記事も多面的で面白いが、現在の民主党があたかも忘却しているかのようだが、「野田内閣が目指すのはいわゆる「駆けつけ警護」を可能にするための法的整備」とあるように、民主党政権下で今回の法改正の軸の一つ、「駆けつけ警護」の法整備は進められていた。
 というか、実際には今回の法改正の他の面もそうした弥縫策の尻ぬぐい的な法整備で、ことさらに新規に騒ぎ立てるような内容でないことは改正の全文を読めばわかるだろう。
 記事の話題に戻るが、この記事の真偽は検証すべきだが、とりあえずこの文脈で読んでいくと明白なように、横畠氏について「駆けつけ警護を握りつぶすためになり振り構わない」と評価している。
 現在の文脈で読み替えれば、おそらく安倍・小松ラインの法整備について、ある意味では純粋法制局的な横畠氏が抵抗していたということになる。くりかえすが、この真偽はわからない。
 しかし、横畠氏についての同記事の素描はおそらく妥当だろう。

 横畠は検事出身で一九九九年八月に法制局に出向、総務主幹、第二部長を歴任し、「次の法制局長官が確実視されたエース」(法制局関係者)だ。過去にも、安倍晋三内閣が集団的自衛権の行使容認を目指して懇談会を設置した際、第二部長だった横畠は、当時の法制局長官の宮崎礼壹とともに「強引に推し進めれば辞表を出す」と迫った過去がある。
 なぜここまでかたくなに抵抗するのか。法制局関係者の一人は「法制局の人間にとって、一番大事なのは、過去の政府解釈をできるだけ傷つけず次に引き継ぐこと。これができなければ出世の目はない」と解説する。

 私の印象では、横畠氏は「過去の政府解釈をできるだけ傷つけず次に引き継ぐこと」を重視していただろうとは思える。このことは先の井上教授の意見とも合うので、私が嘆息した点だった。
 それでも、それが横畠長官の「采配」であったかというと、そこはわからない。法改正の全体からすると、小松長官時代の構想は感じられるし、つまり、法制局的には異例な外務省的な視点でなされた法改正という印象は強い。
 その印象を強めたのは、13日の衆院平和安全法制特別委員会中央公聴会の外交評論家の岡本行夫氏の発言だった(参照)。彼は実質的には外務省の親米派の代弁者でもある。

 本委員会が私の意見を聞いてくださることを大変、光栄に存じます。まず平和安全法制のうち、集団的自衛権の議論に関して一言申し上げます。内閣法制局が作りました1972(昭和47)年政府見解はすべての集団自衛権を他国に加えられた武力攻撃を阻止する権利と定義しました。つまり日本国土を直接守る個別的自衛権以外の武力行使は、すべてが他国を守るための行為であり、従って憲法違反だとされたわけです。しかし、このいささか荒っぽい区分けを持ってしては、日本は1980年ごろから変容した国際情勢に対応できなくなりました。
 日本と日本人を守るための集団的自衛権というものの存在を認めなかったためであります。例えば多数の日本船に外国船が混じった船団があります。それを海上自衛隊が守ることは相手が国または国に準ずる組織であれば、集団的自衛権の行為に当たりますが、この海上自衛隊の行動は他国を守る行為なのでしょうか。
 例えばこの委員会およびその他の場所で何人もの元法制局長官の方々が、今回の平和安全保障法制は違憲であり、撤回すべきだと発言しておられますが、私はむしろ国際安全保障環境の変化をみれば、行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛は以外はすべて黒と判断してきたことが果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったのかどうかを考え直す時期だと思うのです。
 どのように国際環境が変化してきたのでしょうか。政府見解が出された1972年は可能性の低い米ソの軍事衝突さえ起きなければ、日本人の生命や財産が海外で危険に脅かされる事態をほとんど考えなくてもよい時代でした。しかし、その後、情勢は激変しました。北朝鮮の核ミサイル開発や中国の膨張主義などもありますが、日本にとって生命線である中東方面からのシーレーンをめぐる情勢を考えただけでも、その変化はただちに分かります。

 つまらない毎度のお話のように思えるが「行政府の部局である法制局が直接的な国土防衛は以外はすべて黒と判断してきたことが果たして海外で日本人の生命と財産を守るために適切だったのかどうかを考え直す時期だと思うのです」という点が興味深い。そこに小松元長官の思惑と法務局との対立のもう一つの絵が見える。
 冗長ではあるが、国会発言なので気兼ねなく引用したい。次の部分は次の話題の前段である。

 1979年にイラン革命が、1980年からはその後9年間続くイラン・イラク戦争が始まり、それ以降、ペルシャ湾情勢は危険を伴うものに変化しました。湾内の民間船舶にイランのミサイルが発射され、無数の浮遊機雷が設置されていた時期もありました。
 ホルムズ海峡を通ってインド洋に出れば、アフガニスタンのタリバンが麻薬と武器を輸送するルートです。マラッカ海峡を通って日本に向かえば、その先は中国が支配しようとしている南シナ海が広がっています。一方、欧州からスエズ運河、バグエルマンデグ海峡を経てアラビア海に出る日本の船舶はソマリア海賊が待ち受けるアラビア海峡を通ります。2000年以降でもソマリア海賊の襲撃は1000回を超え、4000人を超える人質が取られました。
 この膨大な海域で日本人の生命と船舶を守ることは日本単独では無理です。日本の護衛艦は1990年代には60隻ありましたが、予算上の理由で現在47隻にまで削減されています。このわずかな護衛艦で2600隻の商船隊を守ることはできません。日本は各国の海軍と共同しての護衛であります。海賊からの商船隊護衛を考えれば、分かると思います。自衛隊の護衛艦は派遣依頼、今年の5月までに663隻の日本の民間船舶を護衛しましたが、同時に2900隻以上の外国船舶を護衛し、海賊の襲撃から守ってきているのであります。日本人にとっての誇りです。

 その上で。

 そして、他国の海軍も外国と日本船舶を一緒に護衛しています。現在、海上自衛隊がやっていることは海賊対処法に基づく警察行為でありますが、相手が国または国に準ずる組織に変われば、自衛隊の行動は集団的自衛権に変わりますから護衛任務から離れなければならなくなります。イスラム国と称するISILは国に準ずる組織であると思います。彼らの勢いは減っていません。考えてほしいのです。海上自衛隊が襲撃してきた海賊を撃退した後に、ISILを襲撃したらどうなるのか。現在の法制では海上自衛隊は拱手、傍観しなければなりません。どう考えてもおかしい。
 弱い海賊に対してすら護衛艦を出動させて警護しているのに、より強大な襲撃者が現れれば、どうぞご自由に道を空けるのでしょうか。この法制に反対する人々がここのところをどう考えているのか分かりません。国際護衛艦隊は仮定の議論ではありません。1987年、イランの攻撃から湾内の商船隊を守るための国際護衛艦隊が組織され、日本も参加を要請されましたが、政府見解に縛られる日本は、護衛対象の7割が日本関係船舶であったにもかかわらず、参加は集団的自衛権の行使にあたるとして断りました。その結果、米国、英国、フランスなどの艦隊は日本船の護衛に当たりました。陸上においても内戦やテロが激増しています。

 要点は、「政府見解に縛られる日本は、護衛対象の7割が日本関係船舶であったにもかかわらず、参加は集団的自衛権の行使にあたるとして断りました。その結果、米国、英国、フランスなどの艦隊は日本船の護衛に当たりました」ということで、外務省的にはこれでは日本が西側諸国のなかで今後存立しえないという危機感を持っていることがわかる。
 従来の弥縫策の仕組みの説明も面白い。

 根拠法規を持たない海上自衛隊は苦肉の策として、当時の防衛庁設置法第5条の所掌事務の遂行の調査および研究ができるとの項目を援用し、米艦隊の退避行動を調査するという理由を付けて調査しました。それも日本の領海内だけでした。

 実際のところ、弥縫策によってかなりのことができる。憲法だって、村山内閣ができるまでは、自衛隊の存在自体、憲法学者の大半が違憲として判断していたものだった。それが村山富市元首相のお言葉で、事実上合憲になったのである。誰もこれを独裁とは批判しなかった。いや、吉本隆明だけが罵倒を投げていたな。
 そうした国是無き国是の日本では、法改正しようがしなかろうが、実態に即して、法には実質的に大きな差は生まれない。岡本氏が強調している大使館の武官派遣も民間軍事会社を使えばよいのである。自衛隊イラク派遣でも日本はオランダ軍に守ってもらっていた(参照)。平和憲法によって自衛隊がオランダ軍を援護できないかのように見られていた。それでも、当時の公明党の神崎代表は、憲法改正なく出来ると考えていた。「神崎氏「自衛隊がオランダ軍援護可能」 英紙が発言報道」(参照)。

 公明党の神崎代表は英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに対し、イラクへの自衛隊派遣に関連して「自衛隊がオランダ軍を助けられないのは奇妙な現象だ。国際法に基づく限り、オランダ軍を助けることは、憲法改正ではなく解釈で可能だと思う」と述べた。サマワで治安維持にあたるオランダ軍が攻撃を受けた場合、現行法でも自衛隊が援護できるとの認識を示した。10日付の同紙が伝えた。
 神崎氏は「イラクでの自衛隊の限定的な行動を支持するのであり、憲法の理念の全面的な見直しを支持するものではない」とも語り、憲法が禁じる集団的自衛権行使との関係や、どのような法理論のもとで自衛隊の援護が認められるのか、などには言及していない。
 政府は他国の部隊を援護すれば「武力行使との一体化」とみなされる恐れがあるため、イラクでの自衛隊の武器使用について「隊員や自己の管理下に入った者などを守るため、やむを得ない場合」に限定している。石破防衛庁長官は国会で「どの国も自分の部隊は自分で守るのが当たり前だ。基本的に、オランダ軍がやられて日本が助けに行くことは予定していない」と答弁している。 (02/13 03:04)

 同じような事態になれば、憲法を改正しなくても弥縫策を積み重ねていけば、神崎氏がいうように、自衛隊による他国軍の援助ができるのではないだろうか。言霊の幸ふ国日本である。穢れた「集団的自衛権」という言葉を使わなければよいのである。法制局だって、その言葉を安保法改正に盛り込んではいない。
 で、結論は?
 戦後より言ひ伝て来らく、そらみつ大和の国は平和憲法の厳しき国、言霊の幸はふ国と語り継ぎ言ひ継がひけり。今の世の人もことごと目の前に見たり知りたり、人さはに満ちてはあれども高照らす。あなかしこ。
 まあ、「安保法制について政府の思惑と法制局の考えは違うのではないかな」という感慨を少し文章で説明したというだけであるのだが。
 
 

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2015.07.17

日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?

 日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか? この問いは自分の思いのなかでだけだが、ずっと考え続けてきた。理由は、日本が戦争に巻き込まれる危険性といったものより、この戦争に参加して戦死した各国の兵士を自分がどう追悼したらよいだろうかということからだった。
 最初に断っておくべきことと最後に強調したいことがあるが、当然最初のほうを述べておくと、合理的な推定はできない、というが当然の前提になるということ。その意味で、残念ながら与太話である。最後に強調したいことは最後に述べたいと思うが、書きながら忘れてしまったら、そこはブログなんで、ごめんなさいな。
 最初に基本的な話から。アフガニスタン戦争とは何か。歴史を知っている人なら、「え? どのアフガニスタン戦争?」と問うだろう。ここでは2001年から始まったアフガニスタン戦争を指す。ちなみに、この戦争に対する米国の名称は「不朽の自由作戦: Operation Enduring Freedom」である。その戦争の終わりは?というと、継続中なのである。なので、これまでのところという話になる。
 現在まで、アフガニスタン戦争でどれだけの死者が出たか? 推定値はあるだろうが、おそらく正確な数値はわからない。ここでは、有志連合の兵士の死者だけを想定したい。というのも、もとの問いかけは、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?ということだからだ。
 推定値の一つは「Operation Enduring Freedom」(参照)にあるが、ここではそこを典拠にしたウィキペディアのデータを元にした。
 ここでクイズです。アフガニスタン戦争で有志連合ではどのくらいの戦死者現在まで出しているでしょうか?
 答えは、今年の5月24日までで3,393人。
 2005年ごろまでは戦死者は毎月20人以下とちょぼちょぼとした状態だったが、以降40人くらいに増え、オバマ米国大統領が就任してからは戦死者数が月80人くらいに急増し、2010年のピークには月100人を超えたことがある。有志連合を支えていたNATO(北大西洋条約機構)が撤退した2014年以降は減少している。兵士そのものがいなくなったからだと言ってよい。兵士がいなくなれば兵士の戦死者はなくなる。それを平和と呼ぶかどうかだが、関心を寄せるなら悲惨な実態がわかるだろう。
 当然、米国兵士に戦死者が多いことは想像に難くない。そこで第二問、米国兵士の戦死者は何人でしょう?
 2,259人。三分の二くらいになる。
 第三問、米国兵士についで戦死者の多い国はどこで、何人くらい?
 英国の453人。これに、カナダの158人、フランスの88人、ドイツの57人、イタリアの53人、ポーランドの44人、デンマークの43人、オーストラリアの41人、スペインの35人、ジョージアの29人と続く。
 有志連合といっても英米圏つまり、米国とコモンウェルスの戦死者が多く、これに西欧先進国としてフランス、ドイツ、イタリア、スペインが続くというふうに理解できるだろう。
 そして先日まで「グルジア」だったジョージアは、対ロシア戦略ため欧米圏の軍事同盟に接近していることから、その貢献度に比して、戦死者が多いと見られる。国が存立するための集団的自衛権を維持するために、戦争に参加させられ、自国民の戦死者を出しやすいということになる。この傾向はバルト三国などにも見られる。
 いちおう、全体像としてはそういう理解でよいと思うのだが、さて、これに仮にだが、最初の疑問、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?というのを当てはめてみたらどうだろうか?
 そう考える上で参考になるのは、十分な集団的自衛権がある隣国・韓国の例である。
 第四問、アフガニスタン戦争での韓国人兵士の戦死者は何人でしょうか?
 2人。
 私はこのことは知っていた。なぜそんなに少ないのかという理由については、北朝鮮との間で戦時体制のままだからというのもあるだろう。十分な集団的自衛権があるとしてもその発現を国民が好まないからというのもあるだろう。ただ、おそらく最大の理由は、こう言うと語弊があるが、実際の韓国軍は米軍に組み込まれていて、独自の活動ができないからではないかと思われる。
 こうした韓国の事例が、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争でどのくらいの戦死者が出ていただろうか?という疑問に参考になるかというと、そういう文脈から見るとなかなか難しい。どちらかというと韓国は例外だろうなというのと、実際には韓国においては集団的自衛権と言うものはその言葉が意味する実態と違うだろうと思われる。別の言い方をすると、日本も、そもそも自立した集団的自衛権が持てるのだろうか疑問が残る。
 韓国は例外だとすると日本に参考となるのは、ちょっと斜めの位置にある北欧やトルコあたりだろうか。ノルウェーの戦死者は10人、スウェーデンは5人、トルコは15人。
 そのあたりが参考になりそうだと考えてみて、いや、基本的に軍事力というのは、その国の人口や生産力の関数だろうとも思う。そのあたりを考慮するとどうだろうか。
 今までぼんやり考えていたが、ちょっと各国の人口と国内総生産(GDP)の関連の表を作って、これにアフガニスタン戦争の戦死者を付き合わせて眺めてみた。雑駁なので根本的な間違いをしているかもしれないが、そこから話を進める。
 感染症や疾患ではよく10万人あたりの死者数を求めるが、そうした視点でアフガニスタン戦争の戦死者を見ると、米国が0.7、英国が0.7と揃っていた。先に例に挙げたジョージアはどうかというと、0.78。突出して多いということもなく、率先して英米圏の有志連合に加わりたいという意思表明としては妥当なあたりなので、うなった。他の西欧諸国はというと、だいたい0.1くらい。
 GDPと付き合わせて見るとどうか。10万ドル比で見ると、英米が横並びで突出しているが、他の西欧圏ではその5分の1くらい。ただ、こうしてみると、グルジアやバルト三国などはかなり悲惨な状況が浮かび上がって、これもうなった。率直なところ、これは国際社会というか英米圏の有志連合への血税といった印象がある。ついでなんで、GDPに対する軍事支出を見たら、日本が意外に高いのでちょっと驚いた。計算違いかもしれないが。
 さて、最初の問題に戻ると、英米圏の有志連合への血税という点からすると、GDPが問われるのではないか。そこから西欧の平均くらいと思われる10万分の1で概算すると、42人。アフガニスタン戦争で濃淡はあるものの、日本に十分な集団的自衛権があったら、アフガニスタン戦争で毎年3人くらいの戦死者が出ていたのではないだろうか。
 これを多いと見るべきだろうか。少ないと見るべきだろうか。いやいや、お前の概算が違うだろう、と突っ込まれるか。
 日本に十分な集団的自衛権があったらそうした絵が描けそうには思えたというのと、そうはいっても、このアフガニスタン戦争で英米を中心とした有志連合はもう疲弊してしまったという現実もある。
 シリア問題などもう誰も手を付けたくなくなった。これで各国とも自国兵の戦死は避けられる。各国とも日本が羨ましく思えたのではないだろうか。リビア崩壊の場合は、英米が機能しないのでフランスが旗を振って、米国を巻き込み、中露を事実上ペテンにかけた。なので、中露はさらに有志連合に警戒するようになった。そうしてみると、集団的自衛権といっても、意外と近未来的には機能しないかもしれない。
 いや、今後、国家の安全保障が問われていくのはアジアなのだから、ベトナム、フィリピン、インドネシアといった国との関連を見るべきかもしれないが、アフガニスタン戦争ではこれらの国の参加はなく、参考にもならない。
 さて、最後に述べたいことを思い出した。二つある。一つは、今回の安保法制が通っても、法案を読めばわかるように、十分な集団的自衛権ではない。アフガニスタン戦争が日本の存立危機条件に当て嵌まるとは想定されない。もう一つは、にも関わらず、ジョージアのように集団的自衛権で自国の安全保障を維持しようというのでなければ、それなりに想定される戦死者への補償金くらいは具体的な平和貢献をしなければならないだろうということ。
 それが何かということだが、日本の平和幻想を各国が共有してくれるわけでもないのだから、限定された後方支援というあたりがオチにはなるのではないかと思った。というか、それすらできなければ、日本という国は、有志連合というより、これに対抗する上海協力機構などの中露側の国家に見なされるだろう。まあ、それもよいかもしれない。自由というのは、しからずんば死をとして西欧の歴史で希求されてきたものだが、死を避けて自由を取引して生き残る国家戦略というのが、今後ありうるかもしれない。
 
 

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2015.07.16

安保法制が否決されてもおそらく何の変化もないだろう

 安保法制については、国民が民主主義の手順に沿って合意していけばよいことなので、特に言及すべきことはないが、この間、ちょっと気になったことなどもあったので、備忘をかねて書いておきたい。
 個別名を出すのもなんなのでぼかすが、この議論に比較的熱心に言及している論者が、この法案(法改正)の原文を読んでいないようだったのだったの知って意外だった。すでに書いたように、私はこうした事態ではとりあえず一次資料に当たることにしている。今回の法案についてもそうである(参照)。そして思ったことはとても難しいということであった。自分の理解を超えていると言っていい。このことはすでに書いたので繰り返さないが、それでも原文を読めば簡単にわかることがあった。私のごく基本的な誤読でなければ、「集団的自衛権」という言葉はこの法案には含まれていないということだ。
 ではこの法案は「集団的自衛権」について扱っていないのかというとそこが難しい問題だった。簡単に整理すると、法の言葉としては「集団的自衛権」は含まれていない。ではなぜ「集団的自衛権」が問題となるかというと、現政府が、今回の改正の解釈として、これは集団的自衛権である、としたということである。つまり、行政の理解として集団的自衛権として解釈したということで、法案段階でいうなら、与党がそのように解釈したということである。
 このことは別の言い方をすれば、まったく同じ法を、これは集団的自衛権ではない、と解釈することもできるということだ。詳細な議論は省略するが、維新の党の対案の本質はそのようなものであったし、民主党の国防議論についても、実際には同等であると思えた。そうであるなら、この問題は、「集団的自衛権」という修辞を巡る空騒ぎであるとも言える。
 重要なことは、ではこの法改正は何を語っているのか?ということである。これはごく簡単に言える。日米軍事同盟の「新ガイドライン」について、国内法を整備したということだ。修辞に対する実体は「新ガイドライン」にある。なので、今回の法案を仮に国民の合意で廃案にするとしても「新ガイドライン」がそのままであれば、まったく実際的な意味はもたない。そしておそらく、そのことは可能である。
 今回の法改正は、なんら新しい事態を規定したものではなく、「新ガイドライン」を統合したより弥縫策ではない法整備という意味合いしかない。なので、現状ままの弥縫策でも、特段問題はない。あるいは、これは集団的自衛権ではない、と解釈すればいいだけのことである。
 以上のことは5月18日の予算委員会の小野寺五典・衆議院議員の質問の背景にあったことである。


小野寺五典・衆議院議員
 我が国の近隣で武力紛争が発生し、多くの日本人が救助を求めている事態を想定します。この紛争当事国双方がミサイルや砲撃を繰り返し、危険な状況になれば、当然、民間の航空機は飛行禁止となります。民間船舶も運航を停止することとなります。この場合、相手国の要請があれば、自衛隊の輸送船が日本人の救出に当たることができます。
 しかし、その隻数には限界があるため、多数の日本人を退避させるために、アメリカ軍の輸送船などを共同でお願いし、輸送することになります。このことは、日米の防衛協力ガイドラインにも規定があります。これにより、米軍の輸送艦が日本人を含めた市民を輸送して、我が国に退避させることになります。
(中略)
 しかし、まだ日本が攻撃されていないという時点で、日本人を助けるために自衛隊の船が公海上において武力を行使したら、この行為は国際法上どのように判断をされるか、外務大臣にお伺いしたいと思います。

 この事例に則して、「この行為は国際法上どのように判断をされるか」という解釈の問題である。対する、岸田文雄外務大臣の回答は「国際法上、この事案が集団的自衛権に該当する可能性がある」ということだった。
 つまり、国際法上はそのように解釈されるだろう、ということであって、日本が主体的に「これは個別的自衛権である」と主張するなら、それはそれで、終わり、という話でもある。その前提の上で国内法を整備しても主権国日本がやっていることにすぎない。
 ただしその場合、どうなるかというと、小野寺議員が述べたように、法の言葉で捕捉されない事態において、法のない対応が発生しうる可能性があるということだ。そしてそれが自衛隊に死を強いるようなことになるかもしれないというのが議員の懸念でもあった。
 今回の法改正は、法の言葉としては「集団的自衛権」がない。しかし、これは国際的な常識から見れば、「集団的自衛権」に相当するだろうという解釈である。にもかかわらず、日本国憲法の平和理念からすればそれは許されない「可能性がある」ので、そこで無制限な「集団的自衛権」ではないのだということで、これに限定が加えられた。
 具体的に自衛隊法の改正部分を見てみよう。

現行
第七十六条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。

 どのように改正されるだろうか。

改正
第七十六条 内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号)第九条の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
一 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態
二 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態

 改正の大きなポイントは二つある。まず「次に掲げる事態」として事態がより限定化されたこと。もう一つは「存立危機事態」である。実際には、存立危機事態が追加されたために、その限定が必要になったということだ。そして、この存立危機事態に集団的自衛権が関連しているということでもある。
 別の言い方をすれば、「存立危機事態」を含めなければ、この改定の大半は不要ということになる。そして先の議論に関連するのだが、修辞的に「存立危機事態」を言葉として表現せず現行法の「我が国に対する外部からの武力攻撃」に含めることも可能といえば可能だろう。
 小野寺議員が、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」として挙げた例に即してみよう。日本人を乗せた船が米軍船であろうが、乗っているのは日本人なのだから、「我が国に対する外部からの武力攻撃」と解釈できないでもない。
 では今回話題の「集団的自衛権」の実態である「存立危機事態」とはなにか。これも改正案で規定されている。

四 存立危機事態 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。

 今回の法改正はかなり込み入っているが、なんどか読み返せば、最大の要点は、現行法制に「存立危機事態」を組み込んだからだと言える。そして、この存立危機事態とはどういうことかというと、実際には、米国と軍事同盟を結んでいる日本国はその同盟なくして存立ができない状態と理解してよいだろう。
 この帰結は、一部で安倍政権の独走のように受け止められているが、そもそも日本国の成立そのものが、米国との軍事同盟を基盤にしている以上、むしろ当然の帰結であったかもしれない。というのも、1946年の日本国憲法は連合国軍(国連)の占領下でおそらく便宜的に作成されたもので、前文にある「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の「諸国民」は当時の文脈では連合国を意味していた。本来なら、この「諸国民」は少なくとも連合国の総意であるべきだたが、日本の独立の契機となる1951年のサンフランシスコ条約(Treaty of Peace with Japan)の元になるサンフランシスコ講和会議で中国(国民党)は招待もされず、参加したソ連は講和条約には署名しなかった。日本とソ連(ロシア)の間では未だに厳密には独立の承認がないに等しい。実際のところ日本が1952年に独立したのは米国の承認によるものであった。
 このサンフランシスコ条約だが、同日ということからも明白なように、米国との間で結ばれた日米安保条約(Treaty Between the United States and Japan)と一体のものである。日本は米国との軍事同盟によって米国から国家承認されたということである。日本という国家そのものが、日米安保条約に拠っている。同年の条約はその後改正もされたが、実質的な変化はない。ようするに、日本国自体、米国との軍事同盟によって存立している状態に変化はない。
 それでよいのかということで、この最初の改定では60年安保として大きな国民運動となり、70年にもあった。私は1957年生まれなので、後者はまざまざと見ていたし、前者についてもよく聞かされてきた。あの時代の国民運動に比すものはその後はない。結局のところ、日本が日米軍事同盟によって存立したことを日本人の歴史が認めたということであり(理由は単純に経済的な理由だろう)、その内実は、解釈改憲の形で占領下の成文の憲法に暗黙に追加され、そして今に至った。そこからなんの変化もない日本国となったという以上がこの法改正にはないということでもあるだろう。
 とはいえ、わざわざ法改正として法に盛り込む必要があったかだが、小野寺議員が挙げた例には新ガイドラインに関連する背景があった。少し込み入っているが触れておきたい。
 この話題は、2014年6月16日朝日新聞朝刊一面「「米艦で邦人救出」想定、過去に米は拒否 集団的自衛権」(参照)が興味深い。

 大詰めを迎えた集団的自衛権の行使をめぐる与党協議で、朝鮮半島での有事(戦争)で「避難する日本人を乗せた米艦を自衛隊が守る」との想定が、注目を集めている。しかし、過去の日米交渉で米側はこの場合の日本人救出を断っていた。首相がこだわり、行使に慎重な公明党もこれなら容認できるとみる想定だが、現実には「日本人の米艦乗船」は極めて困難だ。
 「近隣諸国で紛争が起こって、逃れようとする邦人を輸送する米国の船が襲われたとき、その船を守れなくていいのか」
 11日の党首討論。安倍晋三首相は朝鮮半島の有事を念頭に訴えた。集団的自衛権行使の検討を表明した5月15日の会見でも、この例をパネルで示して強調。公明党も「この例に絞るなら集団的自衛権を認められる」(関係者)として、「限定容認」する方向で調整に入った。
 北朝鮮と向き合う韓国に在住する日本人は約3万人。「米艦による日本人救出」とは、戦争が起きた時に日本への避難民を運ぶ船や飛行機が足りないとみて、米軍に輸送の一部を依頼する想定だ。首相や公明がこの例に着目するのは、日本が直接攻撃を受けていない時に米軍を守るのは集団的自衛権の行使に当たると主張できる一方、日本の近くで日本人の命を救うと訴えれば、国民の理解も得やすいと考えるからだ。
 しかし実際には、朝鮮半島の有事で現地から日本の民間人らを米軍が避難させる計画は日米間で一度議論されたものの、最終的に米側に断られた経緯がある。
 両国は1997年、78年につくられた「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定する際、朝鮮半島有事で日本が米軍を支援する見返りとして、避難する日本人を米軍が運ぶ「非戦闘員救出作戦」(NEO)を協力分野に加えることで合意。対日協力の目玉になるはずだった。
 しかし98年にガイドラインに基づく協力内容を定める周辺事態法をつくる際、米側の強い意向でNEOはメニューから外された。
 97~98年の交渉や法案づくりに関わった当時の政府関係者によると、米軍が海外の自国民らを救出・保護する作戦では、国籍による4段階の優先順位があるという。「米国籍、米国の永住許可証の所有者、英国民らが優先で、日本人は最後の『その他』に位置づけられていると説明された」
 朝鮮半島からの日本人救出をめぐる日米の協議は、その後も進展していない。首相ら政府は年内に集団的自衛権の行使容認を決める前提で、米国とガイドラインの再改定交渉に臨む方針だ。しかし、政府関係者は「再改定の主要なテーマにも邦人救出は入っていない」と語る。(土居貴輝)

 この朝日新聞報道をどう理解するかは難しい。まず、朝日新聞報道にある1997年改定の「日米防衛協力のための指針」(参照)で該当箇所を強調してみよう。

(ハ)  非戦闘員を退避させるための活動
 日本国民又は米国国民である非戦闘員を第三国から安全な地域に退避させる必要が生じる場合には、日米両国政府は、自国の国民の退避及び現地当局との関係について各々責任を有する。日米両国政府は、各々が適切であると判断する場合には、各々の有する能力を相互補完的に使用しつつ、輸送手段の確保、輸送及び施設の使用に係るものを含め、これらの非戦闘員の退避に関して、計画に際して調整し、また、実施に際して協力する。日本国民又は米国国民以外の非戦闘員について同様の必要が生じる場合には、日米両国が、各々の基準に従って、第三国の国民に対して退避に係る援助を行うことを検討することもある。

 該当文書を参照すると朝日新聞にありがちな誤報のようにも思えるが、重要なのは「98年にガイドラインに基づく協力内容を定める周辺事態法をつくる際、米側の強い意向でNEOはメニューから外された」という点で、つまり、先の小野寺議員が挙げた例は、「周辺事態法」で消化される方向だった。基本的に民主党としてもそうした方向だろうと思われる。
 この朝日新聞報道については防衛庁側から即座に異論が出た。2日後の産経新聞「朝日の「邦人輸送を米軍拒否」報道否定 米艦防護「現実的な重要課題」と防衛省」(参照)ではこう報道されている。

 政府が、集団的自衛権の行使などの安全保障制度の見直しに関して提示した「邦人を輸送する自衛隊の米艦防護」という事例に対し、一部メディアが「過去に日本人の救出を米国側は断っていた」として現実性がない論議だと批判した。しかし、現行の日米防衛協力の指針(ガイドライン)には日米両国が避難民の退避で協力する規定が存在し、防衛省幹部も「米国は拒否していない」と真っ向から否定する。
 朝日新聞は6月16日付朝刊1面(東京本社発行)で「『米艦で邦人救出』米拒む」との見出しで記事を掲載した。
 記事によると、米国は国籍に応じて4段階の救出・保護を行う作戦をとり、日本は最も最後の段階に位置づけられているという。その上で「過去の日米交渉では米側は日本人救出を断っていた。現実には『日本人の米艦乗船』は極めて困難だ」と報じた。
 平成9年の日米ガイドライン改定に基づいて作られた周辺事態法について「避難する日本人を米軍が運ぶ『救出作戦』が、米側の強い意向でメニューから外された」ともした。
 ところが、現行のガイドラインは、周辺事態における「非戦闘員の退避」に関し「日米両国はおのおのの能力を相互補完的に使用しつつ、輸送手段の確保、輸送にかかるものを含め、非戦闘員の退避の実施で協力する」としている。ガイドラインを受けて、日米両国は在外邦人の輸送訓練を毎年のように行っている。
 米国が邦人を輸送したケースもある。1998年にはエチオピアと紛争していたエリトリアにいた3人を軍用機で運んだ。2011年には治安が悪化したリビアから4人をチャーター船で輸送している。
 防衛省の辰己昌良報道官は17日の記者会見で「ガイドラインに関連して自衛隊法に(邦人輸送の)規定が整備された。米側の意向で周辺事態法に盛り込まれなかった事実はない」と朝日新聞の報道を否定した。
 防衛省幹部は「米艦の邦人輸送は有り得る事態だ。現実に対応すべき重要課題だ」と指摘する。

 朝日新聞報道の真偽についてはここでは扱わないが、「ガイドラインを受けて、日米両国は在外邦人の輸送訓練を毎年のように行っている」というのは事実としてよいだろう。他の資料からもうかがわれる(参照)。
 議論が煩瑣になったようなのでまとめると、現実として、新ガイドラインを元にした米軍と自衛隊によるによる在外邦人輸送は、そうした事態想定のもとで実施されると見てよく、ゆえに周辺事態法で整備されようとしてきた。
 だが、周辺事態法であろうが実態は集団的自衛権で変わりなく、現実を法整備で追認する形で今回の法改正になったと見てよい。ゆえに、この法案が否決されても現実上の変化は、おそらくなにもないだろう。
 
 

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2015.07.08

2013年、スイス国民はなぜ徴兵制の存続を決めたのか?

 2013年9月22日のことだった。「永世中立国」とも言われることがある軍事大国スイスが、徴兵制をこのまま存続させるのか、やめるのか、ということで国民投票を実施した。結果は、存続と決まった。しかも多数で決まった。なぜなのだろうか、少し考えてみたい。なお、スイスを軍事大国としたのは、人口の約1.9%もの軍隊を持つからで、日本の人口で比率を見ると250万人ほどになる。
 まず報道から事実を確認をしておこう。共同「スイス、徴兵制廃止を否決 国民投票、伝統を支持」(参照)より。


 スイスで22日、男性への徴兵制を廃止すべきかどうかを問う国民投票が行われ、地元メディアによると、廃止は反対多数で否決されることが確実となった。
 国民皆兵制の武装中立を維持するスイスでは近年、「他国から現実の脅威にさらされているわけではなく金の無駄遣いだ」として徴兵制の廃止を求める声が出ているが、国民の多くが伝統的な制度を支持した形だ。
 政府も国防能力を脅かすとして徴兵制廃止に反対を表明していた。
 地元メディアによると、徴兵が終わった後も予備役のため銃を自宅に保管できることから、銃規制をめぐる議論も活発化している。2011年には徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度を見直すかどうかを問う国民投票が行われ、反対多数で否決された。(共同)

 実際は、この国民投票の結果だが、73%という圧倒的多数で、かつスイス全州で徴兵制廃止が否決された(参照)。徴兵制が断固としてスイス国民に支持されていることが明示されたわけである。
 今回の国民投票は、いろいろと含蓄がある。まずなぜ、「徴兵制を廃止すべきか」という国民投票を実施したかについて確認しておこう。それは、大筋で共同報道にあるように、「他国から現実の脅威にさらされているわけではなく金の無駄遣いだ」ということである。
 差し迫った危機があるわけでもないし、実際のところどの国がスイスを攻撃するかといった具体的な想定もないのにもかかわらず、徴兵制度が維持されている。このあたりからすでに、なぜ?という疑問も湧くが、もう少し含意を見ていこう。
 今回、徴兵制廃止が検討されたのは、経済的な理由もある。基本的に現代の戦闘においては、徴兵によって一般市民を軍人として教練してもそれだけのコストが見合わない。このあたりは日本でも一部でよく言われていることだが、先進国において、経済的な理由と軍事的な効率の二点を考えると、徴兵制が復活する見込みは、まずない。ただし先進国といっても日本の場合はその復活を懸念する人々が少なくないことが特徴的で、野党第一党の民主党の主張からもわかる。
 ではなぜ、スイスはそうした先進諸国の常識に反して、非効率な徴兵制度に「国防能力を脅かすとして徴兵制廃止に反対を表明していた」のだろうか。これも疑問である。しかし、その疑問の考察の前にあと二つ含意を見てみたい。
 一つは、徴兵が男性に限定されることである。それでよいのかという議論はスイスにもある。特にスイス憲法から見て女性差別にあたる、つまり、女性に徴兵が適用されないのは、憲法違反だという議論もある。こうしたことから、女性の徴兵もスイスでは検討されている。現状、スイスでは、1995年から女性も兵役が担えるようになり、2004年から担える任務についての制限もなくなっている(参照)。ただし、スイス国民の現在の意識では、女性の徴兵についてはまだ十分に気運は高まっていないと見られている。このため、先行して兵役を経験した女性による社会意識の変化が推進されていく面がある。比較としてノルウェー軍の現状を挙げると、スイス軍の十倍以上割合で女性がいる。こうしたことから推定すると、今後、女性への徴兵、あるいは女性に対して職業軍人の門を広げることがスイスに求められるようにはなるだろう。
 もう一点留意したいのは、「徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度」である。報道でもあるように、これも国民投票で否決された。つまり、徴兵を終えた市民は、自宅に銃を保管しているという実態があり、これが広くスイスの市民社会で認められているということである。この点についても、なぜなのかという疑問が湧くかもしれない。というか、ここに徴兵と市民社会の本質が関連しているのであとで触れたい。
 上述した疑問点ついて考えてみよう。三点挙げたが二点にまとめられるだろう。一つは、差し迫った軍事的な脅威もないのに、しかも経済効率も悪いのに、なぜスイスでは徴兵制が国民から圧倒的に支持されるのだろうか?
 この点については、意識調査などから考慮するべきだが、その代替として、今回の投票にあたり、徴兵制廃止に反対する政治団体の主張からみてみたい(参照)。現役・退役軍人から成る「ジアルディーノ・グループ(Gruppe Giardino)」は、こう考えている。

 ジアルディーノ・グループのハンス・ズーター会長は「徴兵制度の撤廃を求めるのは新マルクス主義の思想と一致する」と言い放つ。さらに、平和主義者の行う「非スイス的」で「軍隊に反対する」活動はこの30年間全く変わっておらず、平和主義者は「新マルクス主義と階級闘争のわだちにはまったまま抜け出せていない」と批判する。しかし、軍隊や徴兵制、安全保障といったテーマが国民発議によりスイス国民の関心を強く引いたことについては評価している。

 指摘されているのはスイスだけではなく、日本の現状でもあるかのような印象も受けるが、基本的に、マルクス主義的左派勢力が市民社会を捉えていないという主張とみてよい。この主張は、概ね軍人側の主張である。
 他方、保守的にも見られる「独立した中立国スイスのための運動(AUNS/ASIN)」はこう主張している。

 「平和主義者の言うような平和な世界はあり得ないし、彼らの方針は矛盾している。もしその方針通りになったらスイス軍は職業軍人だけになり、スイスは北大西洋条約機構(NATO)に加盟することになってしまう。これではスイスの根幹を成す軍事制度も中立性も崩壊する」。会長のヴェルナー・ガルテンマン氏はそう危機感を募らせる。

 これは、明白に日本の現状についても示唆的な意見であると言えるだろう。理由は、「平和主義者の言うような平和な世界はあり得ない」という浅薄な現実論ではない。経済的な効果や軍事的な効率性から、軍隊を職業軍人に限定すれば、スイスが「北大西洋条約機構(NATO)に加盟することになってしまう」危険性があるというのである。日本の文脈で言い直せば、集団的自衛権に取り込まれる危険性があるということだ。
 つまり、スイスは、集団的自衛権を拒否するために、市民からなる軍隊の基礎となる徴兵を求めているということである。
 他国との軍事同盟を排除して、自国防衛を貫徹させるためには、市民が自らが市民社会の防衛の責務を担うために、徴兵を必要とするという考え方である。
 このことがもう一つの疑問、「徴兵が終わった後も自宅に銃を保管できる制度」とに実は大きく関連している。
 なぜ、市民が自宅に銃を保管しているのだろうか? 当然、それを使う状況が想定されているからであり、その想定は、自国防衛に関わっていることも想定できるだろう。端的に言えば、「群民蜂起(levée en masse)」のためである。群民蜂起とは、ブリタニカ国際大百科事典を借りると。

軍の構成者ではない者が,敵の接近にあたり,急遽武器を取って交戦すること。国際法上公然兵器を携帯し交戦法規を遵守するときは交戦資格を有し合法とされる。

 重要なのは、群民蜂起という言葉から連想されるような、偶発的な武装ではなく、「公然兵器」を市民が使用する点にある。
 また、群民蜂起というと若い世代では日本に関係していないと思うかもしれないが、日本国憲法を遵守した場合のもっとも重要な防衛のあり方を示唆した長沼ナイキ基地訴訟の札幌地方裁判所(裁判長・福島重雄)判決(札幌地判昭48・9・7、判時712・249)においても明示されていた。

(略)自衛権の行使は、たんに平和時における外交交渉によつて外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもつてこれを排除する方法、民衆が武器をもつて抵抗する群民蜂起の方法もあり、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といつた例もそれにあたると認められ、(略)

 日本国憲法で規定された自衛について、(1) 外交交渉、(2) 警察力、(3) 群民蜂起、(4) 経済または対象国民へ制裁、と示唆している。具体的に危急の侵害という点では、警察力と群民蜂起が明記されているとしてよい。
 このことは、日本国憲法は自衛にあたり、日本国民が「公然兵器を携帯」できる可能性を開いていることを、長沼ナイキ基地訴訟の地裁判決が示している。また、この点については、上級審でも否定されていない。
 すると、どうなるのだろうか?
 むしろ日本国憲法を、スイスに示された市民社会の原理で考えるなら、その上でかつ徴兵が軍を構成するとして否定されるなら、群民蜂起用の公然兵器が携帯できるように、自国防衛のために市民社会のなかで武器の管理と学習が推進されなければならないだろう。
 奇矯な主張のように見えるかもしれないが、市民国家が市民革命によって成立した由来を考えるなら、こうした考え方がもっとも正当な帰結になるだろう(実は、"levée en masse"とは「国民皆兵」のことでもある。「徴兵」と言ってもほとんど同じである)。
 
 

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2015.07.06

良心的兵役拒否の権利が確立されているなら徴兵制があってもよいのではないか?

 世の中で「徴兵制」の議論が盛んで、野党第一党の民主党もこの話題を力強く、考えようによってはコミカルな印象もあるかもしれないが、展開している。朝日新聞「民主、安保法案反対のパンフ配布 子育て世代狙い」(参照)より。


 民主党が安全保障関連法案に反対するパンフレット50万部を作成し、3日から全国で配布した。タイトルは「ママたちへ 子どもたちの未来のために…。」とし、母子を中心とした柔らかいタッチの絵をちりばめ、子育て世代を中心に党の政策を訴える狙いがある。
 パンフレットでは、「安保法案によって子どもたちの将来が大きな危険にさらされようとしているのを、見過ごすわけにはいきません」と、法案に反対する党の立場を紹介。また今回、憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を認めたことを引き合いに、徴兵制の導入について「時々の政権によって解釈が変更される可能性も論理的には否定できない」などと訴えた。

 パンフレットについては、正式な経緯はよくわからないが、修正が必要だとして最初の版の配布は停止されているようだ(参照)。
 どのあたりが修正されるかは興味深いところだが、報道からの印象では大きな修正にはなりそうにはない。いずれにせよ、どういう経緯でこのパンフレットが作成されたかも修正時に明らかにされるとよいだろう。
 現行版パンフレットの内容は、日本版ハフィントンポスト記事(参照)で読むことができる。徴兵制についての記述はこうなっている。

 今回安倍政権は、集団的自衛権の行使を禁止してきた従来の憲法解釈を閣議決定で変更し、限定的行使を可能としました。
 そのようなことが許されるなら・・・。
 徴兵制も同じです。
 憲法は「苦役」を禁止しているだけで、「徴兵制を禁止する」とは書いていません。徴兵制が禁止されてきたのは、あくまでも政府の憲法解釈によるものです。
 今回と同じように憲法解釈を閣議決定で変更し徴兵制は可能である、と時々の政権によって解釈が変更される可能性も、論理的には否定できないのです。

 これを読んで私が思ったのは、徴兵制云々以前に、「閣議決定で変更し徴兵制は可能である」についての2点である。
 1つは疑問である。今回の安保法制でもそうだが、国会で審議しているように、閣議決定が法になるまでには国会のプロセスを経るので、たとえばそれが徴兵制であろうが、国会で法化のプロセスを経るのではないか、ということである。この点、民主党は議会制民主主義を理解しているのだろうかという前提的な疑問ももった。
 2つめは、このパンフレットにどちらかといえば実質的に賛同する部分で、基本的に「徴兵制」は日本国憲法によって否定されていないので、行政府・立法府を経れば、制度は可能になるだろう、という点である。別の言い方をすれば、日本国憲法は徴兵制を否定していないので、それについて、民主党のような意見があっても、多様な意見としてよいだろうと思われる。
 では、日本の徴兵制はどうか?
 気になるのは、これに関連して、現代の軍事は非常に専門化しているので、一般人を入れて訓練するような非経済的な徴兵制は先進国ではありえない、という議論がある。これは実際的にはそうなのだが、この考えに私は原理的には賛同してない。
 理由は、徴兵制というのは、その本質は、軍事力を効果的に維持するものではないからだ。そもそも、徴兵制は市民権に強く関わっている。国家を自ら作りあげるという参政権と、作り上げた国家を傭兵ではなく市民の手で護るという徴兵制は、本質的には一体で生まれたものである。ゆえに、徴兵制が廃止された米国でも永住権保持者が軍に志願すると市民権が申請しやすい。また、貴族制の残存のある国家の場合、貴族たちは志願してもっとも厳しい軍務に着く気風がある。
 近代市民国家の徴兵の歴史を見ても、こうした本質が維持されていることはわかるので、民主党議員も歴史学者を招いてこの点、勉強会などをするとよいのではないだろうか。あと補足すると、徴兵制のように一律に市民の義務とすることで、軍務を金銭的に売買できなくなるので、貧困層にとっても平等になる。これはあとで述べる良心的兵役拒否による代替的な奉仕的な活動でも平等になる。
 もう1点は、現在の先進国で徴兵制が廃止されたのは、現代の戦闘にとって経済的ではないという(無駄に税を消費する)という面があることの裏面だ。非専門的な分野ではないバックエンドの人的リソースがシビリアン(非軍人)の雇用で賄いきれない場合、徴兵制による経済的な優位はありうるだろう。イラク戦争でも州兵はそのようにも活用されてきたし、ドイツの徴兵代替の国家事業でも同様の事態がある。
 しかし、と、先の民主党のパンフレットの主張のトーンに戻るのだが、徴兵によって兵士になることで、戦死というリスクがあり、その恐怖を訴える文脈がある。

子どもの笑顔や成長を何よりも嬉しいと思う。
子どもたちの人生に幸あれと願う。
その感情に理由はありません。
そして今、
「安保法案」によって子どもたちの将来が大きな危険にさらされようとしているのを、
見過ごすわけにはいきません。
どうか皆さんの力を貸してください。
どうか皆さんも声を上げてください。
私たちとともに。

 この点については、消防士も警察官も同じなので、兵士だけが特殊であるとは思えない。
 むしろ、受動的な「危険にさらされよう」というより、戦闘行為に参加したくないという心情――良心の自由――を徴兵制が抑え込むという問題がある。徴兵制の問題の要点は、良心的兵役拒否の権利の扱いになると言っていいだろう。
 良心的兵役拒否は、市民社会における人権の課題である。だから、良心的兵役拒否(Conscientious objector)が人権として確立してきた。国家への市民奉仕には反対しないが、戦闘に参加することは良心によって拒否するという権利である。具体的な奉仕としては、ドイツを例にすれば医療・介護などの分野があげられる。なお、こうした代替的な労働は強制労働とみなされない(注)。
 基本的に、人権である「良心の自由」を尊重する先進国の場合、徴兵制があっても、良心的兵役拒否が確立している。
 そして、ここが重要だと思うのだが、日本国憲法、とくに第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」から考えれば、日本国に徴兵制が敷かれたとしても、現行の日本国憲法によって良心的兵役拒否は確立するだろう。
 憲法学者に今問われているのは、仮に日本に徴兵制が敷かれても、憲法の「思想・良心の自由」によって良心的兵役拒否が成立するという言及ではないだろうか。


注 「人権と基本的自由の保護のための条約(Convention de sauvegarde des Droits de l'Homme et des Libertés fondamentales)」Rome, 4.XI.1950 の「Article 4 – Interdiction de l'esclavage et du travail forcé」「3. N'est pas considéré comme «travail forcé ou obligatoire» au sens du présent article:」「b. tout service de caractère militaire ou, dans le cas d'objecteurs de conscience dans les pays où l'objection de conscience est reconnue comme légitime, à un autre service à la place du service militaire obligatoire;」より。


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2015.07.05

Duolingo(デュオリンゴ)のドイツ語ツリーを終えた。それとフランス語は……

 Duolingo(デュオリンゴ)のドイツ語を少しずつではあるが、こつこつとやっていて、今日、やっとツリーを終えた。ツリー(Tree)というのは、Duolingoが用意している、レッスンの全部の教程のこと。それを終えた。「ほぉ、すごいじゃないか、自分」という感じだが、実際のところは、いちおう項目としては全部、というだけであって、覚えるべき単語が脳みそに定着しているというわけではない。どちらかというと、ドイツ語の基本的な文法項目の学習を終えたというくらい。それでも、このトロフィーをまたもらって、ひっじょーにうれしーいっ(財津一郎の声で)。

 ちなみに、フランス語のツリーを終えたのは、半年くらい前のこと(参照)。これで、Duolingoでトロフィーを二つゲットである。
 Duolingoは文法の学習よりも語彙学習に重点を置いているので、それをベースで見ていくと、私が学習したドイツ語単語は1710語。しかし心理学的に脳に定着しているのはそのその半分以下くらいだろうとDuolingoは想定している。よって私のドイツ語習熟度は37%というもの。
 厳しい評価というか、Duolingoは人間の忘却曲線を想定しているからだ。なので、のろのろ勉強していると、初期に学んだ単語忘れているはずでしょうと、見なされてしまう。実際、忘れているわけだけどね。例えば、"vielleicht"なんかも忘れているでしょ、と出てくる。覚えているけどなあ、とも思うが、そのあたりは概ね、Duolingoが正しい。
 というわけで、一応ツリーを終えたあとは、そうした主に語彙学習の強化を行うことになる。悩ましいのは、のそのそとやっていると、忘却曲線が追っかけてくるので、なかなか習熟度が上がらないことだ。じゃあ、もっと身を入れてやれというと、なかなか、たまに熱気をもって取り組んでも、語学学習というのは日々続かない。たんたん、のそのそとやることにする、今後もね。
 ちなみに、ここまで達するのに、だいたい1年間。一日の学習は最低の1レッスン。平均すると10分程度。つまり私はこの一年間、一日もかかさず、一日10分ドイツ語を学習していた。ということなのだが、先日その記録のカウンターが吹っ飛んだ。ゼロになっていた。お前、一日忘れただろ、と緑フクロウ(duolingo)がいうのである。
 いやそんなことはないんだがな、と悔しかったのだが、Duolingoがなんと言おうが、いかなることがあっても一日も欠かさず一年間ドイツ語を学んだという自信はあるんで、どうでもいいやと思っていた。また一日一日積み重ねよう、と。で、先日、またカウンターが飛んだ。自分は欠かしてないので、Duolingoのほうに問題がありそう。日付が変わるころ、おっといけねえと取り組むのもカウンターが飛ぶみたいだ。
 ちなみに、フランス語のほうもツリーを終えたから、のそのそやっている。というか、いまさらわかるのだが、フランス語は正書法が難しいのと、英語と微妙な差がある。そういうのは、こつこつ学ぶしかなさそうだ。フランス語の達成は54%ほど。このところは、一日学ぶと55%になり、翌日54%に戻るという次第で、忘却曲線と追っかけっこ。総語数でみると、1913 Wordsとある。fleurなんかももう忘れているだろとかあるが、と、見直すと、忘れているとチェックしているより、復習時間差の推定のようだ。
 ところで、フランス語のほうだが、すでにピンズラーのフェーズ5、最近はレベル5というように「レベル」になったが、これが気になっていた。これまでフェーズ4までやってきたが、とりあえずやった程度で最後は、へとへとだった。実際のところ、ピンズラーはどのくらいのレベルから復習したほうがいいだろうかと思った。つまり、レベル5に入るために復習が必要だろうなということである。ええい、最初からやり直してしまえということで、だいたい一日5レッスン、2.5時間をこの間、ぶっとおしてやってみた。レベル1くらいでも、レッスン28くらいになると、きついんで、これやまいったなあと思ったが、レベル2からレベル3を進めるにつれ、逆に楽になってきた。ということで、たまたまだがレベル3を今日、終えた。そしてついでなんで、レベル4のレッスン1も先ほどやってみた。
 復習でもあって、新しく覚える単語というのはない。なので、発音と文法に集中できる。思わぬ発見もある。以前より、フラン語がだいぶ身近に感じられるようになった。とりあえず、レベル3くらいまではがんがん復習を進めようと思っていたので、これもとりあえず達成。レベル4の進展速度はわからないが、なんとかレベル5に進めるんじゃないか。
 ところで、ギリシア語はどうした? 少し中断。ごく初歩段階で中断。ロシア語のほうも中断。ロシア語の文法的な初歩とごく基本単語は覚えたが、もうちょっと復習したほうがいい。たぶん、ピンズラーのフランス語レベル5を終えたら、再度、ミッシェルトーマスで復習して、それからピンズラーのロシア語をするかも。
 今回ピンズラーのフランス語を復習してみて、やはりこのメソッドはよく出来ていると再確認した。
 
 

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