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2015.06.04

アキノ比大統領が日本に期待していたこと

 フィリピンのアキノ大統領が2日に来日し、国会や都下で講演を行なった。非常に興味深いものだった。そこまで踏み込んで発言するのかと意外にも思えたのは、質問に答えた形ではあったが、中国の軍事侵出をナチスに例えたことだった。AFP「来日中のフィリピン大統領、中国をナチスにたとえる」(参照)より。


 都内で開かれた国際交流会議「アジアの未来(Future of Asia)」に出席したアキノ大統領は、中国の脅威とそれを抑制する米国の役割に関する質問を受け、「真空状態が生じて、例えば超大国の米国が『わが国は関心がない』と言えば、他国の野望に歯止めがかからなくなる」と回答。
 さらに、「私は歴史学を学んだアマチュアにすぎないが、ここで思い出すのは、ナチス・ドイツがさぐりを入れていたことと、それに対する欧米諸国の反応だ」と述べ、第2次世界大戦(World War II)勃発の前年にナチス・ドイツがチェコスロバキア・ズデーテン(Sudetenland)地方を併合した際、「誰もやめろと言わなかった」と指摘した。(c)AFP

 国内メディアでこの発言に注目したのは、私の見落としでなければ、産経新聞だけだったように思われた(参照)が、その報道も手短なものだった。産経新聞は保守系の偏向報道としてよく批判されるが、今回はAFP水準の報道が出来た点では日本の他の大手メディアより優れていたと言えるだろう。
 アキノ大統領の発言で国際問題を考えるうで重要なのは、しかし、「中国をナチスにたとえる」という点ではない。それは二次的な修辞にすぎないとも言える。重要なのは、「真空状態が生じて、例えば超大国の米国が『わが国は関心がない』と言えば、他国の野望に歯止めがかからなくなる」という発言のほうで、ここでいう「真空状態」が何を意味するかが理解できなければ、アキノ大統領が何を訴えたかったを見落とすだろう。残念ながら、私が見た範囲では、このことを報道した大手メディアはなかったように思われた。ので、ブログに記しておきたい。
 結論から言うと、中国は自国が領土とする海域に力の空白が生じると、ほぼ機械的に軍事侵攻してくることである。戦争も辞さない。このあたりのことは私と同年代でもあるアキノ大統領には自明のことである。先日、NHKテレビでこれについて解説をやっていて、わかりやすい地図(手元のスマホで映した)があったので参考に示そう(なお内容は事実を図示してまとめたもの)。

 まず、1974年の「西沙諸島の戦い(Battle of the Paracel Islands)」だが、パリ協定を終えたベトナム戦争末期、同協定のもとづき、米軍が南ベトナムから事実上全面撤退した権力の空白に乗じて、ほぼ自動的と言ってほどの手際のよさでこの海域に中国が侵出した。「戦い」と呼ばれるが、実質的な戦争であり、中国がこの地域を実効支配した。ここに中国は軍事拠点を作り、さらに南沙諸島への侵出に向かうことなった。
 そして起きたのが、1988年の「スプラトリー諸島海戦(Johnson South Reef Skirmish)」である。この戦争でベトナム側では70人ほどの死者が出ている(かなりひどいものだった)。なぜここで戦争が発生したかについて、大筋では中国は当初から侵出を狙っていたということだが、この時期である理由については、ユネスコの海洋調査という名目などの他、今ひとつよくわからない点もある。が、NHKの解説では、ソ連の艦隊が撤退したことの力の不在と端的に見ていて、なるほどと思えた。
 この二つの戦争は中国とベトナムの戦争だったが、1995年には、中国とフィリピン間でミスチーフ礁事件がおきる。フィリピン海軍が雨期を理由にパトロールをしない時期に中国が環礁に建築物を建造した事件で、軍事衝突にはなっていない。が、同地域は中国実効支配になった。
 この事件ついては、当初から、ソ連崩壊後体制として米比相互防衛条約解消による在フィリピン米軍の撤退が問題視されていたが、事件だけにフォーカスすれば、米軍撤退には関係なく、フィリピン海軍の失態にすぎないようにも見えるとして、米軍撤退と関係ないという議論も多い。これはネット的には水掛け論的な話になるなと思っていたが、NHKの解説では背景を端的にフィリピンから米軍撤退による力の空白と説明していた。
 基本的に、中国海軍を威嚇できるだけの軍事力が不在になり、つまり、力の空白が生じると中国海軍はほぼ自動的に軍事侵出を始めると見てよいだろう。
 これをもって中国を軍国主義と呼ぶべきか、普通の国家はそういうものなのだというべきか、これもネット的には水掛け論になりがちだが、アキノ大統領の認識では、ナチスに比していたことになる。
 これらを背景に、アキノ大統領の参議院演説(参照PDF)を読むと、なかなか感慨深いものがある。私が気になったのは以下の部分である。


ご臨席の皆様、我々の地域に平和と安定が広がる時に実現できる輝かしい実例を、日本とフィリピンが経済的及び人的な関与を通じて示すことは大きな誇りです。したがって、両国が最も大きな声を上げて、今日脅威にさらされている地域の安定を擁護していることは当然の流れといえます。東アジアと東单アジアの海洋及び沿岸地域の繁栄は、モノと人の自由な移動に大きく依存していますが、国際法によって明確に付与された範囲の外側で地理的境界や権原を書き換える試みによって、この繁栄が損なわれる危険にさらされているのです。

我々が直面する共通の課題に取り組む上で、日本の進むべき道を決めるのは日本にほかなりません。しかし、既に認識されているように、国内の問題はグローバル化が進む世界というタペストリーの中に織り込まれた模様に過ぎないのです。したがって、我が国は、日本が平和の維持のために国際社会に対して自らの責任を果たす上でより積極的な立場を取っていることを特に念頭に置き、本国会で行われている審議に最大限の関心と強い尊敬の念をもって注目しています。


 ごく簡単に言えば、南シナ海に力の空白が生じないように努力する(「両国が最も大きな声を上げて、今日脅威にさらされている地域の安定を擁護している」)ということだが、ここでさらに注意して読むと、「国際法」への言及が興味深い。
 話がまどろこしくなってきたので、すこし端折ると、「国際法によって明確に付与された範囲の外側で地理的境界や権原を書き換える試み」というときの「国際法」だが、実際には国連で1982年に採択され1994年に発効した「海洋法に関する国際連合条約(United Nations Convention on the Law of the Sea; UNCLOS)」(参照)を指している。国連の平和動向に敏感な日本は当然、批准している。なので、アキノ大統領が日本の国会で言及するわけである。

(2)我が国の対応
 国連海洋法条約は、1996年3月に国会に提出され、同年6月に承認された。その後、同年6月に批准の閣議決定を行い、国連事務総長への批准書の寄託が行われ、1996年7月に我が国について効力を生じた。

 逆の言い方をすれば、そんな自明な国際法を殊更に日本の国会で述べる意味はなにか?ということだ。
 気になったのは、メディアの動向を見ていると、今回のアキノ大統領のメッセージを対中国でのみ捉えようとしている一種のバイアスを感じたことだ。
 私が指摘したいのは、このエントリーの主眼でもあるのだが、アキノ大統領のこの主張は、米国に向けた側面もあったのではないか、ということである。米国はUNCLOSを批准していないからである。
 2012年の記事になり古いのだが、現状も変わっていないので引用する。WEDGE「国連海洋法条約への加盟目指すオバマ政権の狙い」(参照)より。

意外と知られていないことだが、アメリカは国連海洋法条約に加盟していない。1982年に採択、94年に発効した国連海洋法条約は、各国の領海や経済資源の採掘に関わる排他的経済水域(EEZ)の範囲など、地表の71%を占める海における国家の権利と義務を定義し、「海の憲法」と呼ばれている。

 また、米国が批准しない理由については、国際問題研究所「国連海洋法条約への参加をめぐる米国の対応」(参照PDF)などが詳しい。
 米国議会には米国議会での理屈もあるものだろうが、中国が急速に海洋侵出を進展させる現在、フィリピンとしては米国と共同して「国際法」を掲げたいところではあるだろう。そこで、米国と軍事同盟にあり関係が深く、大国としてUNCLOSを批准する日本から米国への間接的な圧力を、アキノ比大統領が期待していると見てもよいだろう。
 
 

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コメント

中国の銀行に、アメリカか日本が参加すれば、軍隊は動かないと思うけどなぁ。中国の銀行というのは、日本は政府がいくらでも借金してお金をばらまけるけど、これができないから、多国籍にして、リスクを外国にも背負わせて、国内のインフラ産業にばらまくってことでしょ? 軍事的に日本とアメリカが力をもつほうが、フィリピンの方はつらいかもね。

投稿: | 2015.06.05 06:18

いつもブログを興味深く読ませていただいています。語学への造詣もさることながら、どのように断片的なニュースや新聞等の情報から全体を描いているのでしょうか。
フィリピンやヴェトナムは力で中国に対抗できない以上、国際法に準拠しなければなりません。国際法も政治が反映されているので、大国たるアメリカにもアジア地域での役割があるとのメッセージを送り、米比条約といった法の遵守を要請したのではないでしょうか。

投稿: | 2015.06.06 00:18

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