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2015.06.02

韓国語(朝鮮語)の学習で役だった本など

 ピンズラー方式で始めた韓国語(朝鮮語)の学習の30日(フェーズ1)を終えた。語学の学習としてはほんの初歩の段階である。ピンズラー方式の教材はもう30日分のフェーズ2があるのだが、いろいろ考えたのだが、ここでいったん打ち切ろうかと思う。理由は、ちょっと学習に戸惑いがあるからだ。
 ピンズラー方式で語学を学ぶメリットは充分理解しているが、半面、その限界も感じるようになった。なかでも文法的な了解が充分に得られず、どうしても機械的な記憶に頼る部分が多い。未知の言語の学習に機械的な記憶が必要なのは当然だが、韓国語についてはもうすこし、文法的な仕組みが知りたくなった。
 例を挙げると、ピンズラーのレッスン1では次の会話が出てくる。

  미국에서 오셨어요?
  네. 미국에서 왔습니다.

 ここで同じ意味に関連している「오셨」と「왔」がいきなり出て来て、この状況のコンテクストで機械的に暗記する。「오다(来る)」と「왔다(来た)」の変化形についても説明はない。
 ピンズラーの教材を進めていくと、その後、「가다(行く)」と「갔다(行った)」などの範列によって、現在形と過去形の変化がパッチムの「ㅆ」が付けるのだろうと音声的に推測できるようになる。
 しかし、「가다(行く)」と「갔다(行った)」に対して、「오다(来る)」と「왔다(来た)」では、語根の変化もある。なぜなのだろうかと疑問になる。
 また、「먹다(食べる)」は「먹었다(食べた)」になるのだが、なぜ、「먹ㅆ다」にならないのか? というか、パッチムの単独はありえないのでこれは直観的に違反とわかるが、では、「ㄱㅆ」のパッチムを縮音して「멌더」とならないのか? これもおそらく、「먹」の「ㄱ」パッチムまでが語根として強いためで、それを活かすために、後続の母音が生じてから「ㅆ」が付くのだろう。そしてそこに例の母音調和がおきて、「어」が補われるのだろうという推測はつく。

cover
文法から学べる
韓国語
 すると、語構成としては、「meogda」の原型から、「meog-」を語根として「meog-eo-ss-da」が合理的で、「eo-ss」を「었」として単独の文字として記すのは、音価表現としてはよいだろう。だが、そうだとしても、言語意識にはうまく合わない。
 そのあたりから、おそらく、「gada」は「ga-da」であり、「ga-a-ss-da」で、縮音して、「ga-ss-da」となるのだろうと推測するが、語形成からすると、「가다」から「가았다」として、これを「갔다」と同じように読ませるほうがよいように思える。が、これも文法説明としては、ハングルの表記法は、文法を記述音素表記としてあまり合理的ではないように思えてくる。
 もう一例。「허다(する)」が「했다(した)」になるが、簡素な規則なら「ha-a-ss-da」になり縮音しそうだが、ここでは別の母音調和関連だろう、「ㅓ」ではなく「ㅕ」になり、さらに縮音して「했다」になる。
 音素論までいかなくても、すくなくともハングルで合理的に文法を説明してほしいなあという気持ちなり、『文法から学べる韓国語』(参照)を購入して調べた。とりあえず、同書でいろいろ疑問は解消されたが、さて、これ、語学学習的にはどうしたものかと悩んだ。もちろん、ピンズラーをごりごりと学んで音声で覚えてしまってもよいのだろうが。
cover
まんがで韓国語がしゃべれる
すぐに話せるフレーズ集
 もう少し気軽に、ピンズラーの補助教材みたいのがあってもよいだろうなと思っていたところ、ふと18年くらい前に買った『まんがで韓国語がしゃべれる』(参照)を書棚から再発見した。現在では新装版の文庫になって売っているようだ。
 なぜこの本を持っているかというと、20年以上前になるが『おもろい韓国人』(参照)が面白く、高信太郎の本を一連読んだからだった。ちなみに、同書は絶版のようだった。今、たまたま見かけたが『笑韓でいきましょう』(参照)という新刊があるが、売り切れているみたいだ。
 『まんがで韓国語がしゃべれる』は当時も読んで、ふーん、韓国語は簡単そうだと思ったのだが、語学としてはさっぱりなんにも残らなかった。今思うと、音声教材がなく、基本的にカタカナに頼って読んでいると、カタカナ英語ならぬカタカナ韓国語になってしまい、言語の感覚が失われてしまうからだろう。
 ピンズラー教材を使いながら、ときおりこの本を覗くとなるほどなあと思えることがいろいろあり、基本初心者のレベルはこのくらいでいいのではないかとも思えた。
 あと、韓国語を学んでいて、敬語を学ぶのがつらい。日本語だってめんどくさい敬語システムが文法に埋め込まれているし、だいぶ廃れたが女性語まである。でもどうも外国語として敬語を学ぶと抵抗感が大きい。敬語的表現ならまだいいのだが、

  뭘좀 안드시겠어요?
  점심을 먹겠어요.

みたいな表現は、どうも苦手だ。逆に中国語にはこうした敬語システムが文法になくて、すがすがしくも思えた。

 さて、各種の外国語の食い散らかしみたいなことをしていてもなんだが、この先、初歩のレベルでいいから現代ギリシア語を学びたくなった。
 大学でコイネや古典ギリシア語を学んだ。率直なところ、ほとんど忘れてしまったし、ギリシア旅行したとき、現代ギリシア語は古典ギリシア語と随分違うなあとも思った。"αυτο"を、「アフト」と発音するに至っては軽い絶望感を感じた。
 が、ロシア語を学び直し、キリル語を見ながら、そういえば、自分はギリシア文字にはキリル文字のような抵抗感がないことに気がついた。私は、ギリシア文字にはまったくと言っていいほど抵抗感がないのである。そりゃ勉強したから、といえばそうだが、それは奇妙な再発見だった。だったら、これに現代ギリシア語を被せるように学んでもいいのではないか。
 
 

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