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2015.06.26

安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう

 書こうかどうかためらっているうちに、すすっと時は過ぎてしまい、まあ、それでもいいやというとき、なにかもにょんとしたものが残る場合がある。今回も、ちょっともにょんとした感じがあるので、とりあえず書いてみよう。とま、ごちゃごちゃ言うのは、書く前から批判が想定されて、げんなり感があるからだ。最初に言っておきたいのだけど、以下の話は、安保法制を肯定せよ、という結論ありきで言うわけではない。日本の防衛のありかたは日本国民が決めればいいことだし、その結果がどうなっても日本国民が受け止めればいいだけのことである。私は一市民として民主主義の制度の帰結を尊重するだけである。
 さてと、で、なんの話かというと、安保法制が否定されれば自衛官は死を覚悟して防衛するのだろう、ということだ。こういう言い方は物騒なんで、もっと曖昧にすればいいのかもしれないが、自分のもにょん感がそこにあるのは確かなので、とりあえずそうしておく。
 話のきっかは、18日の予算委員会の小野寺五典・衆議院議員の質問である(参照)。話題は「存立危機事態」の事例説明である。想定される状況はこう。


我が国の近隣で武力紛争が発生し、多くの日本人が救助を求めている事態を想定します。この紛争当事国双方がミサイルや砲撃を繰り返し、危険な状況になれば、当然、民間の航空機は飛行禁止となります。民間船舶も運航を停止することとなります。この場合、相手国の要請があれば、自衛隊の輸送船が日本人の救出に当たることができます。

しかし、その隻数には限界があるため、多数の日本人を退避させるために、アメリカ軍の輸送船などを共同でお願いし、輸送することになります。このことは、日米の防衛協力ガイドラインにも規定があります。これにより、米軍の輸送艦が日本人を含めた市民を輸送して、我が国に退避させることになります。


 露骨に言ってしまえば、北朝鮮が本気でソウルを火の海にするという事態になるとき、在韓邦人の救援をしなければならないのだが、その際、「日米の防衛協力ガイドライン」でアメリカ軍の輸送船を使うことになっている。つまり、(1)その規定はすでに決まっている、(2)自衛隊では無理、ということ。
 そういう事態にならないことを願いたいが、北朝鮮はかねてから「ソウルを火の海にする」と言っており、在韓米軍もその想定で対応している、というか、そこがちょっと微妙なので、少し横道にそれるが言及しておくと、まず、2012年時点では、2015年、というから今年、戦時作戦統制権を韓国側に委譲し、韓米連合司令部を解体することになっていた(参照)。だがいろいろあって延期され(参照)、米軍基地移転も延期された。焦点は韓米連合司令部のソウル残留(参照)とも言ってよく、これはぶっちゃけ「ソウルを火の海にする」のに米軍は巻き込まれたくないよねという意味合いもあった。在韓米軍の今後やそれと日本の関係は複雑なので、ここではこれ以上触れない。
 話を戻して、日本人を乗せた米軍の輸送艦だがこれが公海で攻撃を受けたらどうなるか? 公海というのは日本国内ではないということ。これは、「個別的自衛権」では防衛できない。

岸田文雄外務大臣
ただいま委員が示された例、すなわち、我が国への武力攻撃がない場合に、在留邦人を輸送している米艦艇が武力攻撃を受け、そして同艦艇を我が国が防護すること、こうした行為は、国際法上、集団的自衛権の行使に該当すると考えられます。

 というわけで、日本人を乗せた米軍の輸送艦が攻撃を受けた場合、その近辺に自衛隊がいてもなんにもできない。米軍が護ってくれるといいよね、という話で終わる、というかそう終わるのかなと思っていた、が、この先に、小野寺五典衆議院議員から、考えようによってはちょっと奇妙な話があった。

私は、実際、防衛大臣当時、このような問題について現場の隊員に聞いてみました。答えは大変悲しいものでありました。攻撃を受けている船の間に自分の船を割り込ませ、まず自分が敵に攻撃を受け、自分が攻撃を受けたことをもって反撃をし、日本人の乗ったこの米軍の船を守る。まず自分の船を危険にさらし、部下を危険にさらし、そして自分が攻撃されたことをもって反撃をする。日本人を守るためにこのことをしなければいけない。こんなことってあるでしょうか。

 え?と思った。
 自衛官は死を覚悟して敵の弾に当たり出るというのである。
 再び、え?と思った。それって、「おまえ、お国のために死んでこい」ということではないのか? 
 なんだ、そのシュールな話は? と思った。そもそもそういう事態を想定するのがシュールだと言いたいことだが、小野寺はぼかしていたが、そうシュールな事態でもない。すると、「お国のために死んでこい」をなくすには、(1) 全面的に米軍に依頼して日本人が死んじゃったら不運だったなあ、(2) 日米の防衛協力ガイドライン規定を改定して日本人の安全は日本国が全部責任を持て、ということである。
 理詰めで考えると、(2)が正しいと思う。つまり、日米の防衛協力ガイドライン規定を改定すべきだろう。逆にいえば、日米の防衛協力ガイドライン規定があるから、その弥縫策をまとめるために、限定的な集団的自衛権が必要じゃねという話でもあるのだろう。
 ただ思うのだが、(1)でもいいんじゃないか、というのはアリだろうか? これはつまり、日本国は軍事力を持たない平和国家だから日本国市民はこういう事態に決死の覚悟をしておけ、と。しかしそれも「お国のために死んでこい」の改変バージョンではないのかな。
 実際のところ、集団的自衛権はダメだから安保法制も否定とすると、おそらく自衛官には「お国のために死んでこい」が維持されるのだろう。つまり、「平和憲法を守るために、おまえらは死んでこい」的な状況になるのだろう。
 私は日本国のいち市民として、自衛官に「死んでこい」とは言えないので、どっちかというと、市民の側に「平和憲法を守るためには死ぬ覚悟をしておけ」ということになりそうだなと思う。日本国から出たら、巨人に食われちゃうよという閉ざされた世界にいるわけだろう。
 小野寺五典衆議院議員の質問はその後も続き、次ネタは「ミサイル防衛」だが、この説明は曖昧すぎてよくわからなかった。「このミサイルがグアムやハワイに到達した場合」ということから察するに、米国下域へのミサイルに日本は対応してはいけないが、それだと「ミサイル防衛」そのものが成立しないだろう、という話のようだ。
 私個人としては「ミサイル防衛」にはあまり賛成できないのだが、逆にだからこの間の経緯を見ていると、すでにミサイル防衛は整備されているわけで、ここでも安保法制は弥縫策の事後処理的な意味しかない。つまり、現行のミサイル防衛をするには、こうした安保法制が必要だったでしょうということである。
 そしてその次の話題は「駆けつけ警護」と続く。この話題にはここでは触れないが、民主党でも実際には容認していると見られる(参照)。民主党的な考えでは集団的自衛権ではないとしているし、そうした議論もありえるだろう。
 それでも、いずれにせよ安保法制のような対応は必要になるだろう。というか、「必要になるだろう」で、これまでずるずるとしてきて、今後の見通しもなく、ずるずるではあるのだろう。駆けつけ警護を含めPKO派遣部隊が直面する課題を整合的に考えるなら、かつての小沢一郎案のような国連派遣部隊を創設すべきなのだろう。
 こうした事例を見ると総じて、安保法制は弥縫策のパッケージ化という以上の意味を見いだすのは難しい。つまり、現政権が長期政権化してきたので、これまでずるずる先延ばしにしてきた弥縫策を成文整理するということだ。おそらく安保法制パッケージが否定されても、ずるずる弥縫策の現状というのは変わらないのではないか。


 

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2015.06.19

「ワーテルローの戦い」200周年記念の芳ばしさ

 世界史は高校でいちおう必修科目だし、中学校でも教えているかもしれないが、昔むかし、「ワーテルローの戦い」というのがありました。どのくらい昔かというと、200年前。1815年6月18日である。おっと、昨日がちょうど200年目だった。
 というわけで、記念行事が芳しく展開されていた。ちなみに、「マグナ・カルタ」が制定されたのは1215年6月15日ということで、先日は400年記念祭があって、日本でも憲法が大切だということで話題とかになった。まあ、そういう文脈があるとわかりやすいよね。
 で、こっち「ワーテルローの戦い」とは何だったか。200年記念で日本でどう報道されたか。ちょっと調べてみた。無難に共同あたりから。「ワーテルローで記念式典 世紀の戦いから200年」(参照)より。


 【ブリュッセル共同】フランス皇帝ナポレオンが大敗し、歴史の転換点となったワーテルローの戦いから200年を迎え、ベルギーの首都ブリュッセル南郊にある古戦場で同国政府主催の記念式典が18日、開かれた。
 1815年6月18日のワーテルローの戦いは、ウェリントン将軍率いる英国とオランダ、プロイセンの連合軍がナポレオンのフランス軍を破り、退位に追い込んだ。英国はその後の19世紀、世界的な支配力を確立した。
 式典にはベルギーのフィリップ国王夫妻ら各国の王室や政府関係者のほか、ナポレオンやウェリントンの末裔も出席。今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす。

 まあ、間違った記述はないけど、どういうプロセスでこういう報道ができちゃったのかは、味わい深い。特に、「今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす」という表現は、芳ばしくて、ええなあ、と思った。
 時事のほうも見ておこう。「ワーテルローの戦い200年=対ナポレオン戦勝式典開催-ベルギー」(参照)より。

 【パリ時事】1815年6月18日に英国やプロイセン(現在のドイツ)などの連合軍がフランス皇帝ナポレオンを破った「ワーテルローの戦い」から200年を記念し、ベルギー中部ワーテルローの戦場跡で18日、ベルギー政府が関係各国の王族らを招いて式典を開いた。
 地元メディアによると、ベルギーのフィリップ国王やオランダのウィレム・アレクサンダー国王らが参列。ナポレオンや連合軍を指揮した英国のウェリントン公爵らの子孫が「和解」の握手を交わした。
 ベルギーのミシェル首相は、欧州諸国が当時の争いを乗り越えて現在の友好的な関係を築いたことについて「きのうの敵が政治、経済、外交の面で最も頼りになる協力者となった」とあいさつした。
 19日以降は、当時の兵士らに扮(ふん)し、馬や大砲を用いて戦いを再現するイベントを実施。観光客ら数千人の来場が見込まれている。
 ワーテルローの戦いの敗戦により、当時の欧州を席巻したナポレオンは実権を失い、南大西洋の孤島、英領セントヘレナ島に幽閉された。戦場跡では激しい戦闘を後世に伝えるため、1816年以降毎年のように式典が営まれてきている。(2015/06/18-20:37)

 なんだ、時事も共同と同じじゃんと思ったかたは、ニュースの読みが甘いです。この時事報道で一番味わい深いのは、「和解」と括弧を付けているところ。比較してみよう。
共同
今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす。

時事
ナポレオンや連合軍を指揮した英国のウェリントン公爵らの子孫が「和解」の握手を交わした。

 種明かしをすると、時事報道の括弧付けの「和解」の意味は、これがアイロニーだからということで、反語の通じない今日のネット的にいうと、「こんなの和解になってねーだろ」という意味。
 そういう視点で共同報道を見直すと、「象徴する形で」という表現がちといびつな印象を受けることに気がつく。ここも種明かしをすると、アイロニーなんですね、みなさん。おっと、なんか変なもんが憑依したかな。桑原。
 このあたり、国際報道ではどうなっているかという一例で、AFPを見ると、「【写真特集】ワーテルローの戦いから200年、ベルギーで式典」(参照)より。

【6月19日 AFP】欧州史の転機となったワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)200周年の記念式典が18日、ベルギーで行われ、欧州の王族や外交官らが参集した。
 ベルギーのシャルル・ミシェル(Charles Michel)首相は開会の演説で「ワーテルロー、愚行と高貴。恐怖と天才。悲劇そして、希望」と述べた。  
 ワーテルローの戦いは欧州にとって歴史上の転機となった。ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)率いる仏軍9万3000人は、ウェリントン公(Duke of Wellington)とゲプハルト・フォン・ブリュッヘル元帥(Gebhard von Blucher)率いる12万5000人の英、プロイセン、ベルギー・オランダの連合軍と対戦している。
 式典では、ブリュッセル(Brussels)南郊の小さな町をめぐる戦いで落命・負傷した約4万7000人について触れられた。ベルギーに進軍したナポレオンは1815年6月、この地で敗北。その後、ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ(Saint Helena)島に幽閉され、1821年、死亡した。
 厳かな式典は18日午前11時(日本時間午後6時)に始まった。
 記念行事は18日の慰霊祭で始まり、19、20の両日にワーテルローの戦いを再現して幕を閉じる。期間中、総計20万人がこの地を訪れると予想されている。
 式典には、ベルギーのフィリップ王(King Philippe)のほか、ルクセンブルク大公(Grand-Duke of Luxembourg)、英エリザベス女王(Queen Elizabeth II)のいとこケント公(Duke of Kent)、さらにフランス・ティメルマンス(Frans Timmermans)欧州委員会(European Commission)第1副委員長も参列した。(c)AFP/Philippe SIUBERSKI

 さすが海外報道は詳細だなあという印象もあるかもしれないけど、そうじゃないんですよ。これも種明かしをすると、AFPはフランス報道社なので、フランスの視点でぎりぎり報道しているということで、この記事もちょっと深読みする必要がある。どこを?
 まず一点目は、「ワーテルロー、愚行と高貴。恐怖と天才。悲劇そして、希望」という発言で、これはぶちゃけ、「愚考、恐怖、悲劇」ということ。「高貴、転載、希望」とかポジティブワーヅ使わないとあかん強迫的な状況だということ。なぜか。これが二点目に関連。
 二点目は出席者をよく見ろ、である。フランスとドイツの指導者がいないのである。参加できるかアホーというのがフランスとドイツの思いで、そうは言っても欧州委員会も否定していないんだから、ということで正確には、調べてみたらフランスもドイツも政府代表は式典には参加していた。なお、「フランス・ティメルマンス(Frans Timmermans)」さんは、名前からすると「フランス」みたいだけど、オランダ人です。
 この式典の話には前段があって、その文脈で見るとこの式典の問題点がわかりやすい。例の2.5ユーロ通貨である。読売「「ワーテルロー200年記念」硬貨に仏が横やり」(参照)より。

【ブリュッセル=三好益史】皇帝ナポレオン1世が大敗したワーテルローの戦いから200年となるのに合わせ、ベルギー政府は2・5ユーロ(約350円)の記念硬貨を発行する。
 当初はユーロ圏共通の記念硬貨の予定だったが、フランスの横やりでベルギー国内だけでしか使えない限定硬貨としてお目見えする。
 ベルギー政府は今年2月、2ユーロ記念硬貨の発行を発表したが、ナポレオン1世を英雄視する国民が多い仏側から「国民の反感を買う」などと抗議され断念。ユーロ硬貨は各国が独自デザインを採用できるが全加盟国の承認が必要なためで、鋳造済みの18万枚は処分に追い込まれた。しかし、ワーテルローの戦いは「歴史上、重要な出来事」だとして、ベルギー国内の限定硬貨で復活。額面を2・5にしたのは「フランスをからかう意味も込めた」(王立ベルギー造幣局報道官)という。

 読売の記事は「ナポレオン1世を英雄視する国民」という理由付けをしているが、それを抜いても、自国の大敗を祝う国民はないだろうという点で、フランスとしては、この式典をど派手にやるのは苦々しいなあという思いがある。ドイツとしては、EUの結束が問われている時期にこの式典はねーだろ感と、ここで何かと非難の的になりやすいドイツがいっしょに騒げるわけもねーし、という雰囲気がある。
 なので歴史問題というのは、「和解」という口実でもこういう騒ぎはどうかねというのが、フランスやドイツの感覚。ちなみに、西日本新聞「1815年、皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、英国、オランダ、プロイセン軍が…」(参照)ではこう書くが……

▼「負の歴史」から目を背けたいのはいずこも同じ。ただ、事実は事実として受け入れねば、隣国との関係はぎくしゃくする。まして、あったことをなかったことにしたり、なかったことをあったようにしたりするのは論外である。

 こういうオチにしたくなるのが日本。
 それにしてもベルギーがなんでこんなにノリノリなのかというと、普通に高校の世界史でもならうことだが、ベルギーという国の存立の歴史が関係している。このあたりは、CNNがうまく掬っていた。「記念コイン巡り対立、ベルギーがフランスを出し抜く」(参照)より。

 ワーテルローの戦いは、23年間にわたるフランスと欧州諸国との戦争の最後の戦いだった。この戦いで、フランスによるベルギー併合が覆され、最終的には1830年のオランダからの独立につながった。
 記念硬貨はベルギー国内でしか通用しないが、この一連の騒ぎについて、フランスのメディアからは「新たなワーテルロー(の敗北)」との評も出ている。

 ワーテルローの戦いでフランスが勝っていたら、ベルギーはなかったかもしれないということ。ベルギーの南部はフランス語圏なんで、言語と国民性は同値しないという例でもある。
 というわけで、「ワーテルローの戦い」は国際的に注目されるか。というと、まあ、そうでもない。ロイター「「ワーテルローの戦い」から200年、英国民3割が史実知らず」(参照)より。

[ロンドン 18日 ロイター] - 英・プロイセン連合軍がフランス皇帝ナポレオンを打ち破った1815年の「ワーテルローの戦い」から今年で記念すべき200年を迎える英国。ところが、どの国が戦ったか知らない人が28%、仏軍が勝ったと答えた人も14%に上ったことが、陸軍博物館の調べで分かった。

ベルギーのワーテルローで両軍が火花を散らしたこの戦いは、英ウェリントン公が連合軍を率いてナポレオンを破り、退位へと追い込んだ歴史上重要な分岐点。だが、英軍指揮官の名前を知らない人も多く、回答には「チャーチル元首相」「アーサー王」「ハリー・ポッターシリーズのダンブルドア校長」を挙げた人もいたという。

また、「ワーテルロー」(Waterloo)という言葉から思い出すものとしては、54%が南ロンドンのウォータールー駅、47%がスウェーデンのポップグループ「アバ」のヒット曲「恋のウォータールー」と答えた。

陸軍博物館のジャニス・マリー館長は「ワーテルローの戦いはわが国にとって象徴的な史実だが、国民の認識度は著しく低い」と遺憾の意を示した。


 これを称して歴史の無知と呼ぶべきかはわからない。でも、これでもいいんじゃないかと思う。先に挙げた共同や時事のような報道でもいいのかもしれない。
 それにしても、「恋のウォータールー」はなつかしいなあ。日本語で「恋のウォータールー」だった。わざとそうしたのかもしれない。歌詞の意味が、けっこうとんでもないよ。歌詞中の「Waterloo」は「the war」で受けているから、まんま「ワーテルローの戦い」という意味。



My, my, at Waterloo Napoleon did surrender
Oh yeah, and I have met my destiny in quite a similar way
The history book on the shelf
Is always repeating itself

そうそう、ワーテルローでナポレオンは降伏
でさ、私も似たような運命になったちゃった
本棚の歴史の本って
いつも同じことを繰り返す。

Waterloo - I was defeated, you won the war
Waterloo - Promise to love you for ever more
Waterloo - Couldn't escape if I wanted to
Waterloo - Knowing my fate is to be with you
Waterloo - Finally facing my Waterloo

ワーテルロー 負けちゃった。戦争はあなたの勝ち
ワーテルロー もっと好きって約束して
ワーテルロー 逃げたくてもできないの
ワーテルロー あなたといるのが私の運命ってわかった
ワーテルロー つまり、これが私のワーテルローの戦い

My, my, I tried to hold you back but you were stronger
Oh yeah, and now it seems my only chance is giving up the fight
And how could I ever refuse
I feel like I win when I lose

そうそう、あなたを組み伏せようとしたけどあなたのほうが強かった
でさ、この戦いを諦めるのが私のチャンスってことね
どんだけ嫌だったか
私が負けたと思ったときに、私は勝った感じなの

 式典でも歌われていた。

 

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2015.06.12

大学中退は今や栄誉になったってホント?

 このところネットで「学歴フィルター」という言葉を見かける。それを最初見かけたとき私が思ったのは、「学歴をフィルターアウトするんだろうなあ」「使えない学歴もっている人をフィルターアウト(選り分ける)というのはいいんじゃないか」ということだった。
 日本だと、なぜかわからないけど、いやまだ後進国時代の歴史・慣例を引きずっているからなのか、大学の学歴なるものをありがたがる風潮が社会にあるけど、別段、そんな学歴なんて世の中に出て使えないでしょ? というか、学歴は博士とかでないと意味ないじゃんとか思っていた。
 が、逆だった。違うらしい。低いランクの学歴だと、就職の応募で足切りされるということらしい……と書いて「足切り」って、現代では使っていけない用語だったっけ、あるいはイスラム原理主義の用語だったっけと、ちょっと字引を見たが、とくに指摘はなかった。
 高卒と大学の差なのか。高卒と大学とではそれほど差があるかなあ、と思っていたが、どうやらまだ勘違いしていた。この「学歴」というのは、大学ランクの差のことらしい。ほえぇ? 日本の大学に差なんてそんなにないよと思った……、いやよくわからないが、あるように思えないんだが……。
 それはさておき、米国では大学中退が今や栄誉になったという話をWSJで見かけた。へえと思って読んだ。といっても、すべての大学ではなく、技術系の大学のことだが。記事は「College Dropouts Thrive in Tech(大学中退者は技術分野で成功する)」(参照)である。
 リードには「会社を興すために学校を辞めるのはリスクが高いとみられていたが、今や栄誉である(Quitting school to start a company used to be seen as risky; now an honor)」とある。在学中にビジネスの芽があるとわかったら、大学なんかさっさと辞めてビジネスを始めたほうがいいというのだ。それが米国の最近のトレンドだというのだが……うーん、なんかひっかかるなあ、日本でもそういう人が以前いて話題だったよな、東大辞めて起業して成功たんだけどいろいろあって刑務所に入って痩せた人……いかん、忘れた。
 まあでも、そういう人はいつの時代にもいたものだった。私の知人にもそういう人がいて、なんでせっかっく東大入ったのに辞めちゃったの?と聞いたら、「せっかくって、別に努力してないですよ」とか平然と答えてくれたものだった。
 そういう学生さん、いつの時代にもいるじゃん。大学なんかやってらんねーとしてビジネスを興す人。ビルゲイツなんかもそうだし。アップルとか、学部じゃないけどヤフーとかグーグルとかも。で、そういう以前からあるのと昨今の技術系大学中退者の成功というのと、何か違うのかな?と読んでいくと、少しへえと思ったのだった。
 こう切り出されている。アリ・ワインスタイン(Ari Weinstein)君はマサチューセッツ工科大学一年生のときに中退して10万ドルを受けた、と。日本だと、1200万円くらいかな。すごい額とも思えないが、大学辞めるのを援助するために、ほいと一千万円くらい出す人がいるということらしい。誰よ?

cover
ゼロ・トゥ・ワン
君はゼロから
何を生み出せるか

 ピーター・ティール(Peter Thiel)である。PayPalマフィア(参照)のひとり。PayPalをeBayに売って儲けてファンドを作り、フェイスブックへの投資でもがっぽりかせいだおかた。今年の二月には来日して学生にいろいろ有り難いお話もたれていた(参照)。まあ、有り難さの点でいったら、日本の、たぶん日本の、イケダハヤト師も劣らないだろうと思うが……。
 というわけで、なーんだ、ピーター・ティールのお遊びかあとも思ったが、考えて見れば、どっかんとベンチャー資金を提供するというよりも、大学でうだうだしている時間がもったいないから、大学休学のために二年分の奨学金を出すよ、くらいのノリだろう。米国だと大学を一度辞めても復学しやすいだろうと思うし。
 「若いよなあ」ということの表現に「Before they’re old enough to drink」という表現があって笑った。「お酒が飲める歳になる前に」と。そういう意気込みを社会が支援してもいいだろうなと思う。日本だと、若者が支援されるのは、せいぜい政治的なイデオロギーみたいな糞な話ばっかだもんな。
 ところで、そういうスピンアウトは昔もあったじゃんと私も思ったのだが、記事を読むと、昔はそれでもマレだったというのだ。ケーキ職人じゃないよ。現在の中退ビジネス組がどう違うのかというと、スマホ時代で技術がとても身近になったというのだが、さて、そうかあ? 他に違う点は、フェイスブックやツイッターとかSNSで仲間が見つかるという話もある。
 なんかこの記事、ネタだなあと思ったが、読んでいくと、なんとく部活の延長のノリはあるなと思った。仲間でちょっと秘密の隠れ家みたいのを作って、部活みたいにビジネスを始める感じだ(それをいうならマイクロソフトもそうだったが)。
 技術系大学の中退組について客観的な数値はないらしいが、そうしたトレンドはあるらしい。そして、単にピーター・ティールの道楽というより、企業側でもそうした起業家精神をもった技術者を好む傾向があり、率先して「学歴フィルター」をぶちやぶった人を高く買うらしい。というか、そうした米国企業だと、日本の高卒くらいの年齢からすでにインターンシップを持っている。というか、昔は日本の会社も高卒は事実上のインターンシップがあったなあ。
 WSJ記事の話は概ね、アプリ開発くらいなもので、それほどビジネスと言えるものかなあという印象はもったが、そういえば、ハーバード・ビジネス・スクールでも、学内でビジネスを教えるというだけではなく、学校が3000ドルほど資金提供して実際にインドや南米など新興国でグローバルビジネスの実習をさせるようになった。あれ、FIELD(Field Immersion Experiences for Leadership Development)だね。
 そうじて思うのは、アプリ開発にお熱をあげて大学中退するよりも、大学生活を迂回しても新興国というか若いうちに異文化生活を体験してこれからの世界のビジネスを考えるという若者に未来があるようには思えたな。
 
 

 

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2015.06.10

韓国のMERS感染で韓国人は誰でも知っているけど日本ではあまり報道されないこと

 嫌韓として誤解されるのもなんだから、韓国のMERS感染が終息してから書こうかと思った思ったが、そうナーバスになる話でもないかなと思い、簡単に書いておきたい。繰り返すことになるが、嫌韓とかいう文脈ではないので誤解なきよう。話は、韓国のMERS感染で韓国人は誰でも知っているけど日本ではあまり報道されないことである。こういう言い方は、ちょっとブログっぽい提起のしかたなので厳密さには欠ける。が、関連の話題を日本版ニューズウィークで見かけたので、ああこの話、日本にも出て来たなあ、じゃあ、いいか、とも思ったのである。
 原点となる問いは、「なぜ韓国でMERS感染が急速に拡大したのか?」である。ちなみに、この問いでべたに検索したみたら、レコードチャイナ「韓国だけで急速に拡大するMERS感染、その理由はなぜ?―韓国メディア」(参照)という記事が引っかかった。議論の参考にはなる。実際に引っかかったのはヤフーの再掲なので、元から引用してみたい。どう考えられているか、という一例である。


2015年6月8日、中国メディアの新浪は韓国・聯合ニュースの報道を引用し、韓国社会を騒然とさせている中東呼吸器症候群(MERS)の感染拡大について、「どうして韓国だけで感染が急速に広がったのか」と題する記事を掲載した。

韓国当局の発表によると、国内のMERS感染者は7日時点で64人に上った。患者の数はサウジアラビア(1019人)、アラブ首長国連邦(76人)に次ぐ多さだが、韓国では感染者が急速な勢いで増加。このためMERSコロナウイルスが韓国国内で変異したのではないかとの指摘が上がったが、国立保健研究院はこれを否定している。

これまでMERSの研究に取り組んできた高麗大学のある教授は、感染が急速に拡大した原因として韓国の気候、病院の環境、患者の免疫力、政府の対応の不備を挙げている。乾燥して適度な気温の韓国はウイルスにとって適した環境と言え、韓国の病院は病室が狭いことから患者同士の接触が発生しやすいと指摘。また、患者の中には免疫力が比較的弱い高齢者が多く、最初の患者が症状を訴えてから隔離されるまでに10日間もかかるなど政府の対応に遅れや不備があったと説明している。(翻訳・編集/野谷)


 当の疑問は解けただろうか? いわく、ウイルスが凶悪なものに突然変異したというより、「韓国の気候、病院の環境、患者の免疫力、政府の対応の不備」といった複合原因だとしているのである。

  • 韓国の気候 韓国はウイルスにとって適した環境
  • 病院の環境 病室が狭いことから患者同士の接触が発生しやすい
  • 患者の免疫力 免疫力が比較的弱い高齢者が多い
  • 政府の対応の不備 最初の患者が症状を訴えてから隔離されるまでに10日間もかかるなど政府の対応に遅れや不備があった

 常識を逸脱していないので、まあ、そうかなと思うだろう。私は、ちょっと首をひねった。間違った答えともいえないのだが、列挙された要因が今回のMERS感染拡大の真相にどれだけ近いだろうかがわかりづらい。もちろん、医学的な正確な分析は感染が終息してからなされるだろうが、ざっとこの説明を見たとき、まず、この感染の特徴と対応していないなとは思えた。そこはちょっと語りづらいのかもしれないとも少し思ったのである。
 日本人にしてみると、列挙された4点は日本にも当て嵌まるだろうと推測されるし、実際に日本でならMERSは広まらない、とまでは言えないだろう。
 他に検索してひっかかったのを見たら、BLOGSで団藤保晴さんの記事があった。これも元から引用しよう。「韓国MERS危機は共同体の安全を考えぬ国民性から」(参照)より。


 韓国の中東呼吸器症候群(MERS)流行が病院内感染の枠を超え、地域拡散の様相すら見せ始めています。この危機を生んだのは無能な役人と医療関係者、そして共同体の安全を考えぬ手前勝手な国民性にあると見えます。

 団藤さんとしては、「無能な役人と医療関係」と「共同体の安全を考えぬ手前勝手な国民性」と手厳しい。二点中後者については、おお、けっこうきついこと言われるなあと私は思った。
 具体的に、それが何を意味しているかというと、こう続く。

者発生か滞在の病院公表を渋っていた政府が7日に初めて明かした24病院は「ソウル、京畿道、忠清南道、大田、全羅北道」で、17ある第一級行政区画の東部5区までに広がっており、離れた西南部の釜山で60代男性に陽性反応が出て2次最終判定にかけられています。《釜山で初のMERS感染者か…1次検査で陽性》は「陽性反応が出たこの男性は先月、京畿道富川市の斎場に行って来た後、MERS感染が疑われる症状を見せたという」と伝え、病院での患者との接触に限られていた感染経路ではなくなっており患者と確定すれば深刻な事態です。

 指摘された点やこれ以降の議論もたしかに頷けるので、団藤さんの論旨もわからないではない。ただ、こうした考察のときに、原因を「国民性」や政治的要因に持ちこみそうなら、「ちょっと待て、そうかな?」と考え直したほうがよいことが多いと私は思う。実は、その一例としてこのエントリーを今書いておくべきではないかとも私は考えたのである。なお、これも誤解無きよう付け加えると、私は古参ブロガーの仲間意識もあるが、そのブログのありかたについて団藤保晴さんには敬意を持っており、批判の意図で取り上げたものではない。
 団藤さんの記事では明確には触れていないか、彼に関心がなかったのか、事態の発端にはやや奇妙な点がある。この点は、WSJが取り上げていた。「韓国のMERS感染拡大、始まりは1人のせき」(参照)より。

【ソウル】ある韓国人男性(68)が先月、ソウルから80キロ南に位置する地方都市、牙山(アサン)の診療所を訪ねた。中東から帰国して1週間後のことだった。
 彼の妻(63)は地元テレビ局とのインタビューで、「風邪を引いたような症状だった」と話した。妻によると、夫は高熱とせきの発作に悩まされていた。医師は軽い病気だと思った。
 しかし、それから3週間後、韓国で広まった中東呼吸器症候群(MERS)感染は、2012年に初めてMERSコロナウイルスが発見されたサウジアラビアに次ぐ最大規模に拡大した。韓国保健福祉省は8日、新たに23人がMERSに感染し、6人目の死者が出たことを確認した。感染者の数は計87人に上った。
 保健当局者は、韓国での感染の全てのケースがこの68歳の男性に関連しているとしている。この男性がMERSと診断されたのは、男性が最初に診察を受けてから9日後だった。政府もまた、危機対応が遅いとして批判を浴びた。

 ここまでは、団藤さんの記事を裏付ける形になっているが、問題はこの先である。というか、なぜこういう事態となったか、というのに、政府(政治)対応がまずいと直接一般論にリンクする前に事態の特徴を考慮すべきだった。つまり、事態の対応より、この事態の様相は何かを考えるべきである。

 しかし、患者の妻のテレビインタビューによると、男性は5月11日から20日までの間、医師のもとを訪れ、医療機関を転々とした。症状が出る理由を聞こうとしたためで、どうやらその過程で少なくとも30人がMERSコロナウイルスに感染したらしい。感染先は医療関係者、病院の患者や訪問者などだった。
 保健福祉省の説明によると、男性は最初に牙山で診察を受けた翌日、熱がさらに上がったため、近くの総合病院(平沢市の聖母病院)を訪れた。同院の2人部屋に3日間入院したが、医師たちはまだ男性がMERSに感染しているとは認識していなかった。男性は3日後に退院してソウルに行き、個人の診療所を訪れた。男性はその日のうちに2件目の総合病院(サムスン医療院)の緊急診療室に行き、翌日入院したという。
 妻によれば、医師がレントゲン撮影後に夫が肺炎だとの診断を下していたが、それがいつだったかは覚えていないという。彼がMERSだと診断されたのは5月20日だった。

 これを読むと、たしかに医療機関の初動に問題があったのだが、患者の立場に立ってみると、多少奇妙なことが浮かび上がる。なぜ、「男性は5月11日から20日までの間、医師のもとを訪れ、医療機関を転々とした」のだろうか?
 患者の立場に立ってみると、「症状が出る理由を聞こうとしたため」である。患者にしてみると、医療機関に行っても「症状が出る理由」がわからないから、「医療機関を転々とした」わけである。
 「医療機関を転々と」するのは日本でもあるが、「5月11日から20日までの間」、つまり、9日間に「医療機関を転々と」するというのは日本では、たぶんないだろう。これはどういう背景があるのだろうか?
 まず、想定されることは、短期間に「医療機関を転々と」することが可能だということ。次に一つの医療機関で「症状が出る理由」が充分説明されないことである。おそらくこの二点は同じ事態の二側面で、基本的に韓国のある層では、「症状が出る理由」を知るべく短期間に「医療機関を転々と」が慣例化していると推測してよいだろう。この推測がどの程度一般的かについては、ごく印象的なものしかないが、いずれにせよ、事態の背景にそうした慣例を想定してもそう間違いではないだろう。
 つまり、韓国人の国民性というより、韓国社会の慣例・慣習がどの程度、MERS拡大に関係しているかという視点である。実は、この視点に私がすぐに関心をもったのには理由があるのであとで触れる。
 その前に、WSJの報道でもう一つ重要な指摘がある。

 韓国疾病予防管理センターは、男性のMERS検査を当初行わなかった理由として、男性が医療関係者に対し、中東で訪れたのはMERSが発生していないバーレーンだけだと伝えていたことを挙げた。男性はまた、ウイルスの感染源となることが多い病人やラクダとの接触もないと報告していた。しかし実際には、男性はアラブ首長国連邦(UAE)とサウジアラビアを訪問していた。UAEではMERS感染の報告があるほか、サウジでは1000人以上がMERSに感染している。男性の妻は、夫は高熱で頭が混乱していたため、渡航歴の説明に食い違いが出たと述べた。

 「男性の妻」の言い分が間違っているとも断定できないが、渡航歴は記載されているはずであり、問われた時、裏付けが記載参照になることを考えれば、概ね、弁護のための虚偽発言と評価してよいだろう。とすれば、この男性は、MERS感染地域に仕事を持ち、おそらくMERS感染の可能性を知っていたのだる。そう考えると、「医療機関を転々とした」行動も整合的である。
 ただ、ここでこの男性を責めるというより、こうした中東ビジネスが韓国で盛んなのだということが背景にあると見てよい。日本社会は忘れているかもしれないが、韓国人会社員がイラクで殺害された事件などでもわかるように、中近東ビジネスに関わる韓国人は多い。ただ、これも日本人と比べて多いとまで言えるかについては議論は残る。該当発言が虚偽であれば、あまり公にできないビジネスに関わっているケースも多いのではないかとは推測されるが、今回の事例に限れば、バーレーンで農機具販売であった。
 前口上が長くて申し訳ないが、核心に入るまえに、ロイター報道「アングル:韓国MERS感染はなぜ拡大したか」(参照)について触れておきたい。ロイターは世界水準の報道社でもあるからだという理由ではない。読めばわかるが、理由の具体的な推測はほとんどない。気になるのは以下である。

今回のMERS感染者の半数以上は、首都ソウルから南西65キロにある平沢市の病院が感染ルートであることが分かっている。男性はこの病院の大部屋に入院していた。


平沢市の病院では、男性と相部屋だった別の患者がMERSに感染。見舞いに訪れた同患者の息子は隔離対象であったにもかかわらず、香港と中国本土に渡航し、中国でMERSと診断されて現地で入院している。

 注目点は、院内感染と親族の感染である。まず、院内感染だが、今回の韓国MERS感染でもっとも特徴的なことは、この院内感染である。NHK「韓国MERS 死者9人に 大統領は訪米延期」(参照)より。

保健福祉省は、これまで院内での感染が確認された9つの病院を公表していますが、新たに感染が確認された13人もすべてこれらの病院内で感染したということです。


チェ・ギョンファン副首相は、10日午前、緊急の記者会見を開き、感染はすべて病院内で起きていることを改めて強調したうえで、「院内での感染が確認された病院を確認し、その病院を利用した後に発熱などの症状が出た人は、必ず政府や自治体に連絡してほしい」と述べ、国民に協力を求めました。さらに、「空気感染することはないので過度に不安を持たず、落ち着いて日常生活を送ってほしい」と呼びかけました。韓国政府は、今週が感染拡大を防ぐための山場だと分析していて、対策に全力を挙げています。

 ごく簡単にいうと、今回の韓国MERS感染の本質は、MERSの問題そのものより、院内感染にある。そして、ゆえに、なぜそんなに院内感染が発生したのか?ということがこの問題のもっとも本質的な問いであり、これに対応する理由が考えられなくてならない。もちろん、ここでも医療対応の問題と広義には言える。
 常識的に考えて、不思議に思えるのは、「空気感染することはない」のに、なぜ見舞いの親族に感染したのだろうか? もちろん、なんらかの接触感染があったからには違いないのだが、なぜ見舞客に接触感染のリスクが高いのだろうか?
 これは「看病人」が関与しているのではないだろうか?
 看病人について、立命館産業社会論集「韓国における在宅介護サービスの現状と療養保護士養成の課題」(参照)で主に介護の文脈ではあるが、こう触れている。

 私的部門における介護人材の状況においては,まず韓国特有の介護状況を理解する必要がある。昔から家庭内の介護の大半は家族が担ってきたが,家族介護力の弱化により,今日では病院や家庭での一部の介護は,看病人によって行っている。韓国の介護人材の中で,もっとも大きな割合をみせているのが「看病人」である。しかし,このように病院や家庭などで看病人の活用が一般化されているにもかかわらず,看病人の役割や活動の内容は法律上の根拠がなく,身分の保障もない状態で活動しているのが現状である。

 簡素に書かれているが、韓国社会では「今日では病院や家庭での一部の介護は,看病人によって行っている」のであり、「家族介護力の弱化」とあるように、基本は家族介護なのである。
 この点、日本版ニューズウィーク「MERS感染の意外な「容疑者」」ではこう言及されていた。

 韓国の病院では看護師は点滴など医療行為しか行わないため、入院患者の身の回りの世話は家族が泊まり込みで行うという習慣がある。都合がつかない場合、看病人と呼ばれる業者を雇う。
 世界的にも珍しい習慣だが、患者が感染症だった場合、長時間接触する医療知識のない付き添い人が2、3次感染者となるリスクも指摘されていた。実際、感染者の中には付添人が含まれており、懸念が実現になった形だ。

 同記事では、この家族介護の慣習がMERS感染拡大の背後にあるのではないかと指摘している。実態の解明は今後に待たれるが、この要因は少なくないのではないかと私も思った。このことは、韓国のMERS感染で韓国人は誰でも知っているけど日本ではあまり報道されないことだろう。
 この関連で、もう一つ思ったことがある。これは「世界的にも珍しい習慣」なのだろうか?
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 柳美里の『命』(参照)で彼女の母が付き添う光景があり、それはいかにも韓国的だなと思いまた、「しかし」とも思ったものだった。
 しかし……それは日本でも同じではないのか? 入院患者の身の回りの世話を家族が泊まり込みで行うというのは日本でも同じではないか? いや、違う。それは日本では昔のことだ、と思う。私の父は十代を朝鮮で過ごした。同級生が戦地に送られるなか、父は大病をして病院生活をしたのだが、そのおりは祖母が寝泊まりで介護していた。おかげで父は戦死を免れて私が存在している。
 私の推測には私の家の伝承しか裏付けがないが、韓国の親族による病院寝泊まり付き添いの伝統は、日本が韓国に残した日本文化ではないだろうか? 

 ついでに余談だが、先に引いたNHKのニュースの主眼はタイトル通り、朴韓国大統領が訪米延期することだった。この話、日本ではあまり話題にならないが、朝鮮日報「【コラム】朴大統領訪米、安倍訪米と比較するな」(参照)がわかりやすい。安倍首相訪米・議会演説のカウンターと見られていた。


 朴大統領の今回の訪米は国賓訪問でもないし、実務訪問でもなく、ただの「訪問(visit)」だ。だが、形式よりも中身だ。米政府は、歴史問題について韓国の見解を十分に支持しながらも、日本というもう一つの同盟の枠組みのためあからさまには肩を持たなかった。それでも、ケリー国務長官が安倍首相の「人身売買」(human trafficking)発言について、旧日本軍が組織的に介入したことを明確にしたのは、それなりに気を使っている証拠だ。今回の朴大統領訪米時で、オバマ大統領も将来のために歴史問題に関する話をする可能性が高いと見られている。
 しかし、朴大統領には果敢に歴史問題を克服してほしい。日本と中国のはざまで生き残ろうと必死な韓国の姿を象徴するかのように、今回の訪米は中・日両国首脳の訪米の間に行われる。ワシントンD.C.で行われた韓米専門家の非公開討論で、出席者は口をそろえて韓米同盟の強化、一段階上のグローバルな協力、日本を飛び越えた域内リーダーシップ発揮などを成果と見なすべきだという点で一致したという。最近、米国国内では「韓国は中国と接近しすぎではないか」と言われていることから、「『関係』を疑うムードをなくすだけでも十分成果はある」という結論も出た。

 また、「朴大統領訪米:「血盟」強調で日本との違いをアピール」(参照)より。

 韓国政府の消息筋は9日「日本は敵として米国と戦ったが、韓国は6・25(朝鮮戦争)やベトナム戦争で米国と共に血を流して戦った仲。これを浮き彫りにするさまざまな行事を準備している」と語った。今年4月の安倍晋三首相訪米時の歓待と朴大統領の今回の訪米を比較する一部の見方と関連し、「血盟」をキーワードに、日本とは違うということを強調したいというわけだ。

 日本のような平和憲法持たない韓国は、朝鮮戦争やベトナム戦争で米国と共に血を流して戦った仲となった。深い絆である。変わることはない。訪問(visit)の機会なら、またあることだろう。
 
 
 

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2015.06.09

G7サミット(先進7か国首脳会議)でオバマ米大統領が開口一番、なんて言ったか知ってますか?

 G7サミット(先進7か国首脳会議)がドイツのバイエルン州エルマウ城で開催された。G7である。よって西側諸国の問題をどうしようか、という話しかしない。となると、ウクライナ問題やギリシア問題である。それに、日米としては中国の海洋侵出を混ぜたり、いやいや生臭い話から離れて現地でうるさい地球温暖化が話題になる。まあ、そういう文脈で日本でも報道されていた。
 そういう報道が悪いわけでもない。AFP報道でも概ねそういう方向だった。が、私はちょっと、もにょーんとしていた。オバマ大統領がこのサミットに望んだ思いの重点は、うまく報道されてないんじゃないかと思ったからだった。
 関連のNHKニュースはいかにも国際問題の視点ばかりだし、国内大手紙も概ねそんな印象なので、概要としてはそれでもややニュートラル感のあるAFPを引いておく。「G7サミット、ドイツで開幕 ウクライナ情勢でロシアに強硬姿勢」(参照)より。


【6月8日 AFP】先進7か国(G7)首脳会議(サミット)が7日、ドイツで開幕した。議長国ドイツのアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相は、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領をビアガーデンでもてなして関連日程を始めた。
 しかし、日中に笑顔を見せていた米独の両首脳は、オバマ大統領の言うウクライナへの「侵略」に関してロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領に厳しい警告を発した。米ホワイトハウス(White House)の声明によると、「両首脳は…対ロシア制裁がいつまで続くかは、ロシアによるミンスク合意(ロシアとウクライナの停戦合意)の完全な実施とウクライナの主権尊重にはっきりとリンクさせるべきだという点で合意した」という。
 ウクライナ東部における政府軍と親ロシア派との戦闘が最近再び激化している中、日本の安倍晋三(Shinzo Abe)首相とカナダのスティーブン・ハーパー(Stephen Harper)首相は6日、G7出席のためドイツに向かう途中ウクライナの首都キエフ(Kiev)を訪問し、ウクライナ政府への支持を表明した。
 またオバマ米大統領は、財政危機に見舞われているギリシャに言及こそしなかったものの、今回のG7首脳会議の最優先の議題は「雇用と機会を創出するための世界経済」、「強力で繁栄した欧州連合(EU)を維持すること」だと述べた。
 ギリシャ問題はG7首脳会議の大きな議題となっているが、メルケル首相は気候変動、イスラム過激主義、女性の権利、公衆衛生、貧困問題など、他の地球規模の問題にも焦点を当てたい考えだ。
 メルケル首相は、山積する世界的な課題での合意形成を目指しつつ、バイエルン(Bavaria)州の絵本に出てくるような草地と素晴らしい山々を背景に欧州第一の経済大国ドイツの素朴な一面をアピールしたい意向だ。
 会場周辺には気候変動問題やエボラ出血熱などの深刻な病気への一層真剣な取り組みを求めて各国首脳に圧力をかけようという非政府組織も詰め掛けており、2万2000人以上の警察官がG7サミットの会場を取り囲んで警備している。(c)AFP/Richard CARTER/Frank ZELLER

 質の悪い報道ではないが、AFPが基本フランスの報道社なので、どうしてもフランスとしてドイツと米国の思惑という視点が抜けるのかもしれない。ロイター系もざっと見たが、やはり、ドイツと米国の思惑で読める記事は見当たらなかった。
 私が何を言いたいかというと、実は、ドイツと米国は、最近、すげー険悪な関係だったということ。ドイツ国内も影響を受けていた。そういう文脈の報道がないなあと思ったのである。まったくないのかと、ドイツ側の報道を見ると、もちろん、そうでもなかったが。それでもドイツ系の国際報道はどうも国際報道のなかでのバランスにかけるところはあるなと思った。この点、ロシアやイランなどは西側へのカウンター報道があるけど、ドイツは微妙な立ち位置なのだろう。
 このところブログであまり国際関係の細かいところに触れなくなったので、突然言うのもなんなのでドイツと米国の険悪の説明をすると……ああ、これが便利か。ロシア系のスプートニック5月27日「オバマ大統領 G7サミットへの参加拒否へ?」(参照)より。

 米国家安全保障局の監視対象リストがドイツによって公開された場合、オバマ米大統領はバイエルンで開催されるG7サミットへの参加を拒否する可能性がある。ビルト紙が伝えた。
 ビルト紙の情報筋によると、リストが公表された場合、大きな政治的ダメージを招くという。
 特に米情報機関は、ドイツに対して、緊急なテロ脅威に関する情報提供を拒否する可能性があるという。
 一方で米政府は、G7サミットへの参加を拒否する可能性があるとの噂を否定した。
 米情報機関筋によると、「ドイツが掲載を控えている原因は、スノーデン氏の暴露よりも深刻なモチーフがあるからだ」という。
 G7は、バートアイブリングの元米通信傍受施設からわずか90キロのガルミッシュ・パルテンキルヒェン近郊のエルマウ城で6月7、8日両日に開催される。

 こういう背景でオバマさんもメルケルさんも、まず、G7サミットで友好の演出をしなければいけないというのが最初の課題だった。
 実際のG7でどうなったか。当然ながら、オバマ米大統領の開口一番のつかみにかかっている。こうだった。
 「Er hat "Grüss Gott" gesagt.(彼は「グリュス・ゴット」と言った)」(参照)。そして、「"Ich habe meine Lederhose vergessen"(僕は自分のレーダーホーゼンを忘れちゃった)」(参照)、と。これで友好と笑いを一気に掴んだ。オバマ米大統領、お見事というところ。その演出の場をきちんと設けたメルケル首相のほうがもっとお見事ということでもある。
 どういうことか、といううざったい解説がこのエントリーの話なのだが、その前に、エルマウ城について知っておくといい。プンタ「G7開催もうすぐ!本物のセレブのためのウェルネス〜エルマウ城」(参照)がわかりやすい。

ウェルネスホテルで休暇を過ごすのは「自分へのご褒美」。家族連れで訪れる客も少なくない。そんな庶民的なウェルネスとは一線を画した贅沢な隠れ家を見つけた。ドイツはバイエルン州にある5つ星ホテル、エルマウ城だ。実はメルケル首相もこのエルマウ城のファンだということで、6月にはG7(主要国首脳会議)が開催されることになった、現在注目の場所である。

ルートヴィッヒ2世が、ヴィスコンティ監督の映画『ルートヴィッヒ』にも登場する城を建てたお気に入りの場所なだけに、山並みの美しさと、その連なる山々にも微妙に遮られないで照り続ける日照時間の長さは、さすがの立地条件だ。山間の最寄り駅クライスにはホテルから送迎の車が出迎えてくれるので、人里離れていても安心できる。


 行ってみたいなあ。そういうところ。
 オバマ米大統領が開口一番言った「グリュス・ゴット(Grüss Gott)」はバイエルン地方の「こんにちは」である。沖縄サミットでクリントン米大統領が「ハイサイ!」というような感じだろうか。一般的なドイツ語からすると方言の表現になる。
 「こんにちは」の原型が「今日はいかがか?」みたいに考えると、この略の元は、「Grüße dich Gott」「Grüße euch Gott」で、「神の挨拶がありますように」らしい。信仰深いカトリックの伝統を背景にしたものらしい。
 他方「レーダーホーゼン」だが、同題の村上春樹の短編があるが(参照)、肩紐付きの皮製の半ズボンである。バイエルンの祭礼服でもある。実際にはここは英語で "I forgot to bring my lederhosen, but I'm going to see if I can buy some when I'm here."(僕は自分のレーダーホーゼンを忘れてしまったけど、ここでの滞在中に買えるでしょう)」(参照)と述べたらしい。オバマ米大統領の半ズボン姿を想像すれば笑えるというところで、それほど堅苦しい民族衣装という含みは現地ではなさそうだ。
 とはいえ、この話、そうすんなり笑えるものなのかなとちょっと疑問に思った。ようはバイエルンという地方の気風である。
 バイエルンというと、日本では「FCバイエルン」などが有名だが、地域としては、ドイツ最大の州で、正式名が「バイエルン自由州(Land Freistaat Bayern)」とあるように、自治性が強い。というのも、この地域は、神聖ローマ帝国によって10世紀できたバイエルン公国(Herzogtum Bayern)以降、バイエルン選帝侯領(urfürstentum Bayern)からバイエルン王国(Königreich Bayern)という独自の国家的な地域である。
 当然と言ってよいが、スコットランドのように地域の独立を狙うバイエルン民族党(Bayernpartei)がある。スコットランド独立の気運には加勢された(参照)が、現状は実質的な力はない。それでも、現地では今回のG7をどう受け取っているかは気がかりだった。が、特にその点で違和感のある話題はドイツの報道でも見掛けなかった。
 話はそれだけなのだが、ついでに。
 英語関連の報道を見ていると、「バイエルン」は"Bavaria"と表記される。「ババリア」である。「ババリア」というと、駄洒落のように「ババロア」を連想するが、これは駄洒落ではなく、「ババロア」はフランス語で"Le bavarois"である。
 実際には「ババロア」は、フルーツに日本のプリンのようなものを添えたものである。というか、日本のプリンに苺を並べたら立派にババロアになりそうだ。というか、日本のブリンがババロアだろ。じゃあ、あのフルーツムースは何か? だが、まあ、そういうのもある。ついでにいうと、日本のプリンは「カスタードプリン」とされているが、実際にプッチンプリンとかで売られているのは、ゼリーを含んだもので、あれそっくりな"Flan"というお菓子がフランスにある。お菓子の名前としては、"Flan aux oeufs"だろうが、だとすると、ゼリーは必須と言えない。まあ、このあたりのお菓子と名称の関係はよくわからない。

 では、ババロアはバイエルンのお菓子かというと、どうもそうでもないらしい。フランス人が考えたらしい。その経緯もよくわからない。
 そもそも、"Bayern"がなぜ"Bavaria"になってしまうかのも奇妙だが、"Bavaria"がラテン語起源らしい。ただ、中期ラテン語では"Baioarii"、後期ラテン語では"Bojuvarii"で、"Bayern"に近い。
 関連語の"Bavarii"はこの地域の民族名を指す。元来は"baio-warioz"であったらしい(参照)。つまり、この民族だが、ケルト人のボイイ族と見られている(参照)。ハルシュタット西文化圏である。
 ああ、これ、マスターキートンの世界だなと思ったが、あのマンガにはボイイ族の話は出てこなかったようには思った。どうだっただろうか。
 
 

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2015.06.04

アキノ比大統領が日本に期待していたこと

 フィリピンのアキノ大統領が2日に来日し、国会や都下で講演を行なった。非常に興味深いものだった。そこまで踏み込んで発言するのかと意外にも思えたのは、質問に答えた形ではあったが、中国の軍事侵出をナチスに例えたことだった。AFP「来日中のフィリピン大統領、中国をナチスにたとえる」(参照)より。


 都内で開かれた国際交流会議「アジアの未来(Future of Asia)」に出席したアキノ大統領は、中国の脅威とそれを抑制する米国の役割に関する質問を受け、「真空状態が生じて、例えば超大国の米国が『わが国は関心がない』と言えば、他国の野望に歯止めがかからなくなる」と回答。
 さらに、「私は歴史学を学んだアマチュアにすぎないが、ここで思い出すのは、ナチス・ドイツがさぐりを入れていたことと、それに対する欧米諸国の反応だ」と述べ、第2次世界大戦(World War II)勃発の前年にナチス・ドイツがチェコスロバキア・ズデーテン(Sudetenland)地方を併合した際、「誰もやめろと言わなかった」と指摘した。(c)AFP

 国内メディアでこの発言に注目したのは、私の見落としでなければ、産経新聞だけだったように思われた(参照)が、その報道も手短なものだった。産経新聞は保守系の偏向報道としてよく批判されるが、今回はAFP水準の報道が出来た点では日本の他の大手メディアより優れていたと言えるだろう。
 アキノ大統領の発言で国際問題を考えるうで重要なのは、しかし、「中国をナチスにたとえる」という点ではない。それは二次的な修辞にすぎないとも言える。重要なのは、「真空状態が生じて、例えば超大国の米国が『わが国は関心がない』と言えば、他国の野望に歯止めがかからなくなる」という発言のほうで、ここでいう「真空状態」が何を意味するかが理解できなければ、アキノ大統領が何を訴えたかったを見落とすだろう。残念ながら、私が見た範囲では、このことを報道した大手メディアはなかったように思われた。ので、ブログに記しておきたい。
 結論から言うと、中国は自国が領土とする海域に力の空白が生じると、ほぼ機械的に軍事侵攻してくることである。戦争も辞さない。このあたりのことは私と同年代でもあるアキノ大統領には自明のことである。先日、NHKテレビでこれについて解説をやっていて、わかりやすい地図(手元のスマホで映した)があったので参考に示そう(なお内容は事実を図示してまとめたもの)。

 まず、1974年の「西沙諸島の戦い(Battle of the Paracel Islands)」だが、パリ協定を終えたベトナム戦争末期、同協定のもとづき、米軍が南ベトナムから事実上全面撤退した権力の空白に乗じて、ほぼ自動的と言ってほどの手際のよさでこの海域に中国が侵出した。「戦い」と呼ばれるが、実質的な戦争であり、中国がこの地域を実効支配した。ここに中国は軍事拠点を作り、さらに南沙諸島への侵出に向かうことなった。
 そして起きたのが、1988年の「スプラトリー諸島海戦(Johnson South Reef Skirmish)」である。この戦争でベトナム側では70人ほどの死者が出ている(かなりひどいものだった)。なぜここで戦争が発生したかについて、大筋では中国は当初から侵出を狙っていたということだが、この時期である理由については、ユネスコの海洋調査という名目などの他、今ひとつよくわからない点もある。が、NHKの解説では、ソ連の艦隊が撤退したことの力の不在と端的に見ていて、なるほどと思えた。
 この二つの戦争は中国とベトナムの戦争だったが、1995年には、中国とフィリピン間でミスチーフ礁事件がおきる。フィリピン海軍が雨期を理由にパトロールをしない時期に中国が環礁に建築物を建造した事件で、軍事衝突にはなっていない。が、同地域は中国実効支配になった。
 この事件ついては、当初から、ソ連崩壊後体制として米比相互防衛条約解消による在フィリピン米軍の撤退が問題視されていたが、事件だけにフォーカスすれば、米軍撤退には関係なく、フィリピン海軍の失態にすぎないようにも見えるとして、米軍撤退と関係ないという議論も多い。これはネット的には水掛け論的な話になるなと思っていたが、NHKの解説では背景を端的にフィリピンから米軍撤退による力の空白と説明していた。
 基本的に、中国海軍を威嚇できるだけの軍事力が不在になり、つまり、力の空白が生じると中国海軍はほぼ自動的に軍事侵出を始めると見てよいだろう。
 これをもって中国を軍国主義と呼ぶべきか、普通の国家はそういうものなのだというべきか、これもネット的には水掛け論になりがちだが、アキノ大統領の認識では、ナチスに比していたことになる。
 これらを背景に、アキノ大統領の参議院演説(参照PDF)を読むと、なかなか感慨深いものがある。私が気になったのは以下の部分である。


ご臨席の皆様、我々の地域に平和と安定が広がる時に実現できる輝かしい実例を、日本とフィリピンが経済的及び人的な関与を通じて示すことは大きな誇りです。したがって、両国が最も大きな声を上げて、今日脅威にさらされている地域の安定を擁護していることは当然の流れといえます。東アジアと東单アジアの海洋及び沿岸地域の繁栄は、モノと人の自由な移動に大きく依存していますが、国際法によって明確に付与された範囲の外側で地理的境界や権原を書き換える試みによって、この繁栄が損なわれる危険にさらされているのです。

我々が直面する共通の課題に取り組む上で、日本の進むべき道を決めるのは日本にほかなりません。しかし、既に認識されているように、国内の問題はグローバル化が進む世界というタペストリーの中に織り込まれた模様に過ぎないのです。したがって、我が国は、日本が平和の維持のために国際社会に対して自らの責任を果たす上でより積極的な立場を取っていることを特に念頭に置き、本国会で行われている審議に最大限の関心と強い尊敬の念をもって注目しています。


 ごく簡単に言えば、南シナ海に力の空白が生じないように努力する(「両国が最も大きな声を上げて、今日脅威にさらされている地域の安定を擁護している」)ということだが、ここでさらに注意して読むと、「国際法」への言及が興味深い。
 話がまどろこしくなってきたので、すこし端折ると、「国際法によって明確に付与された範囲の外側で地理的境界や権原を書き換える試み」というときの「国際法」だが、実際には国連で1982年に採択され1994年に発効した「海洋法に関する国際連合条約(United Nations Convention on the Law of the Sea; UNCLOS)」(参照)を指している。国連の平和動向に敏感な日本は当然、批准している。なので、アキノ大統領が日本の国会で言及するわけである。

(2)我が国の対応
 国連海洋法条約は、1996年3月に国会に提出され、同年6月に承認された。その後、同年6月に批准の閣議決定を行い、国連事務総長への批准書の寄託が行われ、1996年7月に我が国について効力を生じた。

 逆の言い方をすれば、そんな自明な国際法を殊更に日本の国会で述べる意味はなにか?ということだ。
 気になったのは、メディアの動向を見ていると、今回のアキノ大統領のメッセージを対中国でのみ捉えようとしている一種のバイアスを感じたことだ。
 私が指摘したいのは、このエントリーの主眼でもあるのだが、アキノ大統領のこの主張は、米国に向けた側面もあったのではないか、ということである。米国はUNCLOSを批准していないからである。
 2012年の記事になり古いのだが、現状も変わっていないので引用する。WEDGE「国連海洋法条約への加盟目指すオバマ政権の狙い」(参照)より。

意外と知られていないことだが、アメリカは国連海洋法条約に加盟していない。1982年に採択、94年に発効した国連海洋法条約は、各国の領海や経済資源の採掘に関わる排他的経済水域(EEZ)の範囲など、地表の71%を占める海における国家の権利と義務を定義し、「海の憲法」と呼ばれている。

 また、米国が批准しない理由については、国際問題研究所「国連海洋法条約への参加をめぐる米国の対応」(参照PDF)などが詳しい。
 米国議会には米国議会での理屈もあるものだろうが、中国が急速に海洋侵出を進展させる現在、フィリピンとしては米国と共同して「国際法」を掲げたいところではあるだろう。そこで、米国と軍事同盟にあり関係が深く、大国としてUNCLOSを批准する日本から米国への間接的な圧力を、アキノ比大統領が期待していると見てもよいだろう。
 
 

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2015.06.03

かくしてギリシア語の勉強を始めたのだが

 かくしてギリシア語の勉強を始める。といっても、ピンズラー方式でごりごりと機械的な暗記をしてツーリスティックなレベルを脳みそに押し込むのではなく、ミシェル・トーマス方式にした。これでロシア語を学んで文法がよくわかったからである。
 というところでいきなり余談だが、ミシェル・トーマス方式の教材見たら韓国語のシリーズが近日発売とのことだった。ごく入門段階しかないが、今後充実するのだろうか。ミシェル・トーマス方式だと韓国語をどう教えるのかはちょっと気になる。
 ミシェル・トーマス方式の現代ギリシア語だが、教えているのはミシェル・トーマス本人ではない。たぶん、彼はしゃべれただろうと思うが、その記録はない。教材の講師は声からさっするにおばさん風である。Hara Garoufalia-Middleさん(参照)。れいによってインストラクションに使う英語は英国英語。ロシア語のナターシャ先生もそうだったので、だいぶ、英国英語に慣れることにはなった。
 ロシア語の時はちょっと意気込んで初級段階の教材を全部買い込んでやったし、結局その後の教材も買った。いちおう基本のコースは終えてそれなりに理解したが、語彙のコースがかなりきつく、全体をやり直してわかったのは、ナターシャ先生の語彙のコースは事実上、文法の補足が多く、かつ参考ブックレットがすごくリキ入れて書かれている。これはちょっとミシェル・トーマス方式を超えているんじゃないかと思い、これを中心にまたのそのぞロシア語を学ぶかとは思っている。
 で、ギリシア語だが、初級の8コースをばら買いすることにした。初級の最初のコースはさすがに楽勝の簡単さだろうと踏んでいたら、意外なことに気がついた。
 え?え? すっかり忘れていたはずの古典ギリシア語の知識が微妙に蘇ってくるのである。微妙にだなあ。ロシア語も大学で学んだが、筆記体で発狂したのとは別で、今思うと古典ギリシア語とコイネは、なんだかんだ二年くらい学んだ。その後もギリシア語の聖書(英語解説付きだけど)をたまに読んだりしているせいもあって、なんか微妙に残っているのだろうか。
 ミシェル・トーマス方式のコースではまず、簡単な単語が出て、簡単な動詞が出てくるのだが、その一人称を聞いて、あっと驚く。古典語と同じ活用だ!

   Θέλω ένα κρασί.

 二人称の活用はというと、

   Θέλετε ένα κρασί.

 同じ。まあ、このくらいは古典語でも現代語でもそう変わらないかと思うのだが、ふと、これって、ロシア語にも似ているよなというところで、軽いパニック。実は、ロシア語を学んでいるとき、

   У меня есть книга.

 この"есть"って、コイネの"ἐστιν"と同じじゃなねと思って、あれ、それどころか、フランス語の"est"だよな。ドイツ語だと"ist"。印欧語だしなあと、変な気持ちになった。

cover
ギリシア語入門
新装版
 このあたりで、「あれ、俺、古典ギリシア語の動詞の活用なんて覚えてんの? 覚えているわけねーじゃん」と思って、なんとなく書架を見たら、大学のときの教科書がありましたとさ。今まであったか? なんか魔法でひょっこし出て来たんじゃないか?
 これ今でも売っているのか? 売ってるなあ。田中美知太郎先生の『ギリシア語入門』(参照)である。
 開くと、赤鉛筆やラインマーカー、シャーペンのちっこい文字の書き込みがある。「おいおい、俺、勉強してたんか?」と呟く。なんとも奇妙な感じである。20歳のときだから、もう35年くらい前になるのか。
 しかし、反面、すっかり忘れているとことでもあるなあと思った。というか、大半は忘れている。
 さて、現代ギリシア語。この先勉強できるでしょうかね。なんとなくだけど、ロシア語と混乱しそうなんで、中断して、ロシア語の勉強のほうを進めるかな。
 
 

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2015.06.02

韓国語(朝鮮語)の学習で役だった本など

 ピンズラー方式で始めた韓国語(朝鮮語)の学習の30日(フェーズ1)を終えた。語学の学習としてはほんの初歩の段階である。ピンズラー方式の教材はもう30日分のフェーズ2があるのだが、いろいろ考えたのだが、ここでいったん打ち切ろうかと思う。理由は、ちょっと学習に戸惑いがあるからだ。
 ピンズラー方式で語学を学ぶメリットは充分理解しているが、半面、その限界も感じるようになった。なかでも文法的な了解が充分に得られず、どうしても機械的な記憶に頼る部分が多い。未知の言語の学習に機械的な記憶が必要なのは当然だが、韓国語についてはもうすこし、文法的な仕組みが知りたくなった。
 例を挙げると、ピンズラーのレッスン1では次の会話が出てくる。

  미국에서 오셨어요?
  네. 미국에서 왔습니다.

 ここで同じ意味に関連している「오셨」と「왔」がいきなり出て来て、この状況のコンテクストで機械的に暗記する。「오다(来る)」と「왔다(来た)」の変化形についても説明はない。
 ピンズラーの教材を進めていくと、その後、「가다(行く)」と「갔다(行った)」などの範列によって、現在形と過去形の変化がパッチムの「ㅆ」が付けるのだろうと音声的に推測できるようになる。
 しかし、「가다(行く)」と「갔다(行った)」に対して、「오다(来る)」と「왔다(来た)」では、語根の変化もある。なぜなのだろうかと疑問になる。
 また、「먹다(食べる)」は「먹었다(食べた)」になるのだが、なぜ、「먹ㅆ다」にならないのか? というか、パッチムの単独はありえないのでこれは直観的に違反とわかるが、では、「ㄱㅆ」のパッチムを縮音して「멌더」とならないのか? これもおそらく、「먹」の「ㄱ」パッチムまでが語根として強いためで、それを活かすために、後続の母音が生じてから「ㅆ」が付くのだろう。そしてそこに例の母音調和がおきて、「어」が補われるのだろうという推測はつく。

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文法から学べる
韓国語
 すると、語構成としては、「meogda」の原型から、「meog-」を語根として「meog-eo-ss-da」が合理的で、「eo-ss」を「었」として単独の文字として記すのは、音価表現としてはよいだろう。だが、そうだとしても、言語意識にはうまく合わない。
 そのあたりから、おそらく、「gada」は「ga-da」であり、「ga-a-ss-da」で、縮音して、「ga-ss-da」となるのだろうと推測するが、語形成からすると、「가다」から「가았다」として、これを「갔다」と同じように読ませるほうがよいように思える。が、これも文法説明としては、ハングルの表記法は、文法を記述音素表記としてあまり合理的ではないように思えてくる。
 もう一例。「허다(する)」が「했다(した)」になるが、簡素な規則なら「ha-a-ss-da」になり縮音しそうだが、ここでは別の母音調和関連だろう、「ㅓ」ではなく「ㅕ」になり、さらに縮音して「했다」になる。
 音素論までいかなくても、すくなくともハングルで合理的に文法を説明してほしいなあという気持ちなり、『文法から学べる韓国語』(参照)を購入して調べた。とりあえず、同書でいろいろ疑問は解消されたが、さて、これ、語学学習的にはどうしたものかと悩んだ。もちろん、ピンズラーをごりごりと学んで音声で覚えてしまってもよいのだろうが。
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まんがで韓国語がしゃべれる
すぐに話せるフレーズ集
 もう少し気軽に、ピンズラーの補助教材みたいのがあってもよいだろうなと思っていたところ、ふと18年くらい前に買った『まんがで韓国語がしゃべれる』(参照)を書棚から再発見した。現在では新装版の文庫になって売っているようだ。
 なぜこの本を持っているかというと、20年以上前になるが『おもろい韓国人』(参照)が面白く、高信太郎の本を一連読んだからだった。ちなみに、同書は絶版のようだった。今、たまたま見かけたが『笑韓でいきましょう』(参照)という新刊があるが、売り切れているみたいだ。
 『まんがで韓国語がしゃべれる』は当時も読んで、ふーん、韓国語は簡単そうだと思ったのだが、語学としてはさっぱりなんにも残らなかった。今思うと、音声教材がなく、基本的にカタカナに頼って読んでいると、カタカナ英語ならぬカタカナ韓国語になってしまい、言語の感覚が失われてしまうからだろう。
 ピンズラー教材を使いながら、ときおりこの本を覗くとなるほどなあと思えることがいろいろあり、基本初心者のレベルはこのくらいでいいのではないかとも思えた。
 あと、韓国語を学んでいて、敬語を学ぶのがつらい。日本語だってめんどくさい敬語システムが文法に埋め込まれているし、だいぶ廃れたが女性語まである。でもどうも外国語として敬語を学ぶと抵抗感が大きい。敬語的表現ならまだいいのだが、

  뭘좀 안드시겠어요?
  점심을 먹겠어요.

みたいな表現は、どうも苦手だ。逆に中国語にはこうした敬語システムが文法になくて、すがすがしくも思えた。

 さて、各種の外国語の食い散らかしみたいなことをしていてもなんだが、この先、初歩のレベルでいいから現代ギリシア語を学びたくなった。
 大学でコイネや古典ギリシア語を学んだ。率直なところ、ほとんど忘れてしまったし、ギリシア旅行したとき、現代ギリシア語は古典ギリシア語と随分違うなあとも思った。"αυτο"を、「アフト」と発音するに至っては軽い絶望感を感じた。
 が、ロシア語を学び直し、キリル語を見ながら、そういえば、自分はギリシア文字にはキリル文字のような抵抗感がないことに気がついた。私は、ギリシア文字にはまったくと言っていいほど抵抗感がないのである。そりゃ勉強したから、といえばそうだが、それは奇妙な再発見だった。だったら、これに現代ギリシア語を被せるように学んでもいいのではないか。
 
 

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2015.06.01

韓国語(朝鮮語)を学びながら考えていたこと

 韓国語(朝鮮語)を学びながら、ときおり父のことを思い出す。私の父は、十歳ころ家族とともに朝鮮に移り住み、終戦で帰国した。祖父の仲の良かった従兄弟が朝鮮で事業で成功して、お前も来いということで一家で移り住んだらしい。父はものごころのつく少年期を朝鮮で過ごしたことになる。帰国子女である。後に私は米国帰国子女の多いの大学に学んで思ったのだが、父も彼らのように日本の文化に馴染めない部分もあったように思う。
 朝鮮での生活の影響は父が若いころには、よく出ていたのではないだろうか。たぶん私が小学生になる前だった。私は父に「お父さんは朝鮮人?」と聞いたことがある。父は、違うと答えたあと、奇妙に困惑していたのが印象的で今でも覚えている。
 父の家系は安中藩に仕える氏族なので朝鮮系のはずもないのだが、私が幼いころには父は朝鮮での生活のことばかり話していたからだろう。それと今になっていろいろと思うのだが、自分は朝鮮人ではない日本人だ、という意味について、どこか困惑している部分があったかもしれない。彼の学校は当然朝鮮にある国民学校だった。その後、満鉄の学校に入り寄宿舎生活した。友人に朝鮮籍は多数いたようだ。名字でわかる(ということは改姓してなかったのだろう)。差別がなかったわけもないだろうが、父の話を聞いているかぎり同級生のなかでそういう意識もとくなかったようにうかがえた。普通に十代の学生仲間であったようだ。なのに後になって彼らと違うと殊更に言うというのもそれはそれで確かに困惑はあるだろう。
 祖父は従兄弟と朝鮮で事業をしていて大きな家を構えていた。どういう理由かわからないが養子ということでもないと思うが、同じ家に住む朝鮮人の子どもが同居していて、家族のように暮らしていたらしい。つまり、父と兄弟のように暮らしていたらしい。よく懐かしく語っていた。戦後、その人は政府の要職につき偉い人になったらしい。本当かなと私は少し疑問に思っていたが、父が死んで数日して、そのかたから直接心のこもったお悔やみの国際電話をもらった。
 満鉄学校の同窓会は九州で開かれることが多かったようだが、帰宅すると韓国の土産物が多かった。私の家には私のもの心つくころから、アリランのレコードはあった。父がそれを特に懐かしく聞いていたふうでもなかったが、自身で歌うことはあった。もう一つよく歌う歌があったが今思い出せない。壁には朝鮮の漆器の絵皿が飾ってあった。長髪の少女がブランコに背を向けて座っている絵柄である。
 朝鮮語で思い出すのだが、父と電車に載っていたおりのことだ。前の席に朝鮮人(韓国人?)が数名座っていて大きな声でなにか喋っているが、父の顔が険しい。彼らが電車を降りたあとに父に聞くと、日本人の悪口を言っていた、と言った。日本人が朝鮮語をわからないと思っているのだろう、困ったことだととも言っていた。それはどこかしら彼らが人として恥ずかしいとでもいうような感じだった。意識のなかではむしろ朝鮮人差別を持っていなかったように思えた。ただ、そういう意識も結果的に差別だという理屈もあるかもしれない。
 彼は、朝鮮語は聞いてだいたいわかると言っていた。基本の単語は朝鮮語で言えた。朝鮮語で話しはできないとも言った。それがどういうことなのか、自分が韓国語を学んでみて、少しわかった気がする。外国語といっても朝鮮語は英語はだいぶ違うもので、キーワードが聞き分けられるならだいたい話題はわかりそうだ。
 私が子どもの頃、在日朝鮮人(韓国人)の差別があったかというと、なかったとも言えない。わからないのである。父は巨人ファンでよくナイターを見ていた。「カネやん」こと金田正一投手が好きだった。王選手も当然好きだった。当時を思い出して、取り分け、朝鮮人・中国人・台湾人差別があったようには子どもとしても感じられなかった。自分が育った地域にそういう集落がなかったせいもあるかもしれない。
 むしろ、当時は部落差別がひどかった。私の母は小諸の出身である。藤村の「破戒」の小諸である。母の父は庄屋の次男坊で、結核で多くの人が死ぬ時代だったが(庄屋の娘は全員結核で死んだ)、彼はのほほんとくらしていたようだ。が、戦争で当然厳しくなり戦後は農地改革で土地も失った。母に戦前戦中の国民学校での部落差別の話を聞くと、微妙である。差別がないわけではないようだ。ただ、表向きにはない。この話も長くなりそうなので端折ると、東京で母は同出身地の差別部落の友人に偶然出会ったことがある。部落のことは言わないでと彼女に懇願されたらしい。母はそういうことを吹聴する人でもないので困惑したようだが、そういう差別が色濃く残る時代だったのだろう。昭和30年代である。
 話を在日朝鮮人に戻すと、私の父母の時代の朝鮮人は日本人と変わらない。日本語の読み書きはできる。見た目も雰囲気も変わらない。昭和10年代生まれくらいまでだろうか。かりに1935年までとしてみると、その生まれのかたは現在80歳になる。80歳以上の韓国人・朝鮮人はかなり日本語の知識はあると見ていいだろう。そういえば、1925年年生まれの金大中が日本に来て日本語を喋っていた。
 現在の80歳以下から、韓国・朝鮮人が日本語の文化と切り離されていくのだろう。それでも戦後はまだまだ韓国でも漢字の出版物は多く、1970年代までは新聞でもそうだった。どのあたりで、韓国・朝鮮から日本語の影響は途絶えていくのか、現在の60歳ではもうかなり隔たれているだろうと、と他人事のように思いながら、自分はこの夏、58歳になるのであった。60歳のほうに近い。まいったなあ。
 いわゆる在日のかたでも、同じことが言えるのではないかと、韓国語を学びながら思った。韓国語・朝鮮語を家族の言葉としつつ日本語との馴染みが深いのは80歳くらいまでで、そこから下の世代は、韓国語は実は一種の異国語になっていたのではないだろうか? 別の言い方をしてみる。なんとなく在日韓国人・朝鮮人は普通に韓国語・朝鮮語を話す、と思う面が自分にあったのだが、むしろ、在日のかたにとって韓国語・朝鮮語は、外国語なのではないだろうか? すると、私が韓国語を学ぶような思いに遭遇してきたのではないだろうか?
 そういう疑問でネットを見て回ると、なるほどなあと思える話がある。「在日朝鮮語」(参照)というホームページでは書かれた時期は10年くらい古いのではないかと思うが、「民族学校に入ってはじめて彼らは本格的に朝鮮語に接するわけだが,全てが朝鮮語という学校環境の中で,彼らはたちまちのうちに朝鮮語を会得する。そのようにして,基本的な日常会話から学校生活を送るための会話の全てを朝鮮語によって営むようになる」とある。つまり、在日の朝鮮語というのは学校コミュニティーが二義的に生み出した側面が大きそうだ。
 同ページには、「在日朝鮮語」という概念・実態も描かれているがとても興味深い。「その後も出会う在日朝鮮人はみな類似の「在日朝鮮語」を話していたし,当の私自身も何の疑問もなく「在日朝鮮語」を身に着けていった。しかし,私は在日朝鮮人の中でもたまたま本国のほうに目がよく向いていたのかもしれない。「朝鮮人だ」というからには,「まっとうな」朝鮮語ができねばと,ついには韓国にまで出向いて「本場仕込み」の朝鮮語を身につけた」。ある意味、ケベックのフランス語的な状況でもあるのだろう。
 また「「歴史と国家」雑考」(参照)というホームページでは「在日朝鮮人二世・三世で、本名を名乗り、民族主体性や民族性の自覚を訴える活動家たちを少なからず見てきたが、彼らの多くが私の大したことのない語学力に及ばないことを知ったときは、ショックであった」と書かれている。偏った例かもしれないが、そういうこともありそうに思えた。
 私のなかで、私のおそらく中心的な思想課題でもある「市民」について、奇妙な不定形の問題提起が、これに関連してわきおこる。こうした自身のエスニックを維持しようとするありかたは、むしろ日本市民の原型と言えるのではないか?
 それと、昨今顕著な「反韓」だが、それがなぜ「在日」に向くのか奇妙に思える。「反韓」というなら、韓国に赴いて、自分らの主張を韓国語で行えばいいだけなのではないか。「在日」はむしろ日本市民の原型ではないのか。
 そうしたもどかしい不定形の思いに加えて、「韓流」とはなんだったのだろうかという疑問もからみつく。率直にいうと私は「韓流」にほとんど関心がない。DVDレンタル屋で韓流の棚が異様なくらい充実しているのを見ながら、誰が見るのだろうか?と疑問に思うほどである。ついでにいうと韓流に歴史物が多いのは、日本人が時代劇を通して国民大衆文化を確認するような傾向がようやく韓国でも自由化ともに出て来たのだろうという印象はある。
 「韓流」は、その様式は、私の目からすれば、少し古い日本文化の変形に米国的なエンタテイメント要素を加えたようにしか見えない。もちろん、そうでないのかもしれないが、いずれにせよ、その「韓流」は、言語的には韓国本国の言語文化であり、だとすれば、在日朝鮮語・韓国語コミュニティーには、奇妙な差違として感じられたのではないかと思う。そういう部分は今の私から見えない。ないのかもしれない。ありそうには思える。
 
 

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