「ワーテルローの戦い」200周年記念の芳ばしさ
世界史は高校でいちおう必修科目だし、中学校でも教えているかもしれないが、昔むかし、「ワーテルローの戦い」というのがありました。どのくらい昔かというと、200年前。1815年6月18日である。おっと、昨日がちょうど200年目だった。
というわけで、記念行事が芳しく展開されていた。ちなみに、「マグナ・カルタ」が制定されたのは1215年6月15日ということで、先日は400年記念祭があって、日本でも憲法が大切だということで話題とかになった。まあ、そういう文脈があるとわかりやすいよね。
で、こっち「ワーテルローの戦い」とは何だったか。200年記念で日本でどう報道されたか。ちょっと調べてみた。無難に共同あたりから。「ワーテルローで記念式典 世紀の戦いから200年」(参照)より。
【ブリュッセル共同】フランス皇帝ナポレオンが大敗し、歴史の転換点となったワーテルローの戦いから200年を迎え、ベルギーの首都ブリュッセル南郊にある古戦場で同国政府主催の記念式典が18日、開かれた。
1815年6月18日のワーテルローの戦いは、ウェリントン将軍率いる英国とオランダ、プロイセンの連合軍がナポレオンのフランス軍を破り、退位に追い込んだ。英国はその後の19世紀、世界的な支配力を確立した。
式典にはベルギーのフィリップ国王夫妻ら各国の王室や政府関係者のほか、ナポレオンやウェリントンの末裔も出席。今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす。
まあ、間違った記述はないけど、どういうプロセスでこういう報道ができちゃったのかは、味わい深い。特に、「今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす」という表現は、芳ばしくて、ええなあ、と思った。
時事のほうも見ておこう。「ワーテルローの戦い200年=対ナポレオン戦勝式典開催-ベルギー」(参照)より。
【パリ時事】1815年6月18日に英国やプロイセン(現在のドイツ)などの連合軍がフランス皇帝ナポレオンを破った「ワーテルローの戦い」から200年を記念し、ベルギー中部ワーテルローの戦場跡で18日、ベルギー政府が関係各国の王族らを招いて式典を開いた。
地元メディアによると、ベルギーのフィリップ国王やオランダのウィレム・アレクサンダー国王らが参列。ナポレオンや連合軍を指揮した英国のウェリントン公爵らの子孫が「和解」の握手を交わした。
ベルギーのミシェル首相は、欧州諸国が当時の争いを乗り越えて現在の友好的な関係を築いたことについて「きのうの敵が政治、経済、外交の面で最も頼りになる協力者となった」とあいさつした。
19日以降は、当時の兵士らに扮(ふん)し、馬や大砲を用いて戦いを再現するイベントを実施。観光客ら数千人の来場が見込まれている。
ワーテルローの戦いの敗戦により、当時の欧州を席巻したナポレオンは実権を失い、南大西洋の孤島、英領セントヘレナ島に幽閉された。戦場跡では激しい戦闘を後世に伝えるため、1816年以降毎年のように式典が営まれてきている。(2015/06/18-20:37)
なんだ、時事も共同と同じじゃんと思ったかたは、ニュースの読みが甘いです。この時事報道で一番味わい深いのは、「和解」と括弧を付けているところ。比較してみよう。
共同
今日の欧州が実現した和解を象徴する形で握手を交わす。
時事
ナポレオンや連合軍を指揮した英国のウェリントン公爵らの子孫が「和解」の握手を交わした。
種明かしをすると、時事報道の括弧付けの「和解」の意味は、これがアイロニーだからということで、反語の通じない今日のネット的にいうと、「こんなの和解になってねーだろ」という意味。
そういう視点で共同報道を見直すと、「象徴する形で」という表現がちといびつな印象を受けることに気がつく。ここも種明かしをすると、アイロニーなんですね、みなさん。おっと、なんか変なもんが憑依したかな。桑原。
このあたり、国際報道ではどうなっているかという一例で、AFPを見ると、「【写真特集】ワーテルローの戦いから200年、ベルギーで式典」(参照)より。
【6月19日 AFP】欧州史の転機となったワーテルローの戦い(Battle of Waterloo)200周年の記念式典が18日、ベルギーで行われ、欧州の王族や外交官らが参集した。
ベルギーのシャルル・ミシェル(Charles Michel)首相は開会の演説で「ワーテルロー、愚行と高貴。恐怖と天才。悲劇そして、希望」と述べた。
ワーテルローの戦いは欧州にとって歴史上の転機となった。ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)率いる仏軍9万3000人は、ウェリントン公(Duke of Wellington)とゲプハルト・フォン・ブリュッヘル元帥(Gebhard von Blucher)率いる12万5000人の英、プロイセン、ベルギー・オランダの連合軍と対戦している。
式典では、ブリュッセル(Brussels)南郊の小さな町をめぐる戦いで落命・負傷した約4万7000人について触れられた。ベルギーに進軍したナポレオンは1815年6月、この地で敗北。その後、ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ(Saint Helena)島に幽閉され、1821年、死亡した。
厳かな式典は18日午前11時(日本時間午後6時)に始まった。
記念行事は18日の慰霊祭で始まり、19、20の両日にワーテルローの戦いを再現して幕を閉じる。期間中、総計20万人がこの地を訪れると予想されている。
式典には、ベルギーのフィリップ王(King Philippe)のほか、ルクセンブルク大公(Grand-Duke of Luxembourg)、英エリザベス女王(Queen Elizabeth II)のいとこケント公(Duke of Kent)、さらにフランス・ティメルマンス(Frans Timmermans)欧州委員会(European Commission)第1副委員長も参列した。(c)AFP/Philippe SIUBERSKI
さすが海外報道は詳細だなあという印象もあるかもしれないけど、そうじゃないんですよ。これも種明かしをすると、AFPはフランス報道社なので、フランスの視点でぎりぎり報道しているということで、この記事もちょっと深読みする必要がある。どこを?
まず一点目は、「ワーテルロー、愚行と高貴。恐怖と天才。悲劇そして、希望」という発言で、これはぶちゃけ、「愚考、恐怖、悲劇」ということ。「高貴、転載、希望」とかポジティブワーヅ使わないとあかん強迫的な状況だということ。なぜか。これが二点目に関連。
二点目は出席者をよく見ろ、である。フランスとドイツの指導者がいないのである。参加できるかアホーというのがフランスとドイツの思いで、そうは言っても欧州委員会も否定していないんだから、ということで正確には、調べてみたらフランスもドイツも政府代表は式典には参加していた。なお、「フランス・ティメルマンス(Frans Timmermans)」さんは、名前からすると「フランス」みたいだけど、オランダ人です。
この式典の話には前段があって、その文脈で見るとこの式典の問題点がわかりやすい。例の2.5ユーロ通貨である。読売「「ワーテルロー200年記念」硬貨に仏が横やり」(参照)より。
【ブリュッセル=三好益史】皇帝ナポレオン1世が大敗したワーテルローの戦いから200年となるのに合わせ、ベルギー政府は2・5ユーロ(約350円)の記念硬貨を発行する。
当初はユーロ圏共通の記念硬貨の予定だったが、フランスの横やりでベルギー国内だけでしか使えない限定硬貨としてお目見えする。
ベルギー政府は今年2月、2ユーロ記念硬貨の発行を発表したが、ナポレオン1世を英雄視する国民が多い仏側から「国民の反感を買う」などと抗議され断念。ユーロ硬貨は各国が独自デザインを採用できるが全加盟国の承認が必要なためで、鋳造済みの18万枚は処分に追い込まれた。しかし、ワーテルローの戦いは「歴史上、重要な出来事」だとして、ベルギー国内の限定硬貨で復活。額面を2・5にしたのは「フランスをからかう意味も込めた」(王立ベルギー造幣局報道官)という。
読売の記事は「ナポレオン1世を英雄視する国民」という理由付けをしているが、それを抜いても、自国の大敗を祝う国民はないだろうという点で、フランスとしては、この式典をど派手にやるのは苦々しいなあという思いがある。ドイツとしては、EUの結束が問われている時期にこの式典はねーだろ感と、ここで何かと非難の的になりやすいドイツがいっしょに騒げるわけもねーし、という雰囲気がある。
なので歴史問題というのは、「和解」という口実でもこういう騒ぎはどうかねというのが、フランスやドイツの感覚。ちなみに、西日本新聞「1815年、皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、英国、オランダ、プロイセン軍が…」(参照)ではこう書くが……
▼「負の歴史」から目を背けたいのはいずこも同じ。ただ、事実は事実として受け入れねば、隣国との関係はぎくしゃくする。まして、あったことをなかったことにしたり、なかったことをあったようにしたりするのは論外である。
こういうオチにしたくなるのが日本。
それにしてもベルギーがなんでこんなにノリノリなのかというと、普通に高校の世界史でもならうことだが、ベルギーという国の存立の歴史が関係している。このあたりは、CNNがうまく掬っていた。「記念コイン巡り対立、ベルギーがフランスを出し抜く」(参照)より。
ワーテルローの戦いは、23年間にわたるフランスと欧州諸国との戦争の最後の戦いだった。この戦いで、フランスによるベルギー併合が覆され、最終的には1830年のオランダからの独立につながった。
記念硬貨はベルギー国内でしか通用しないが、この一連の騒ぎについて、フランスのメディアからは「新たなワーテルロー(の敗北)」との評も出ている。
ワーテルローの戦いでフランスが勝っていたら、ベルギーはなかったかもしれないということ。ベルギーの南部はフランス語圏なんで、言語と国民性は同値しないという例でもある。
というわけで、「ワーテルローの戦い」は国際的に注目されるか。というと、まあ、そうでもない。ロイター「「ワーテルローの戦い」から200年、英国民3割が史実知らず」(参照)より。
[ロンドン 18日 ロイター] - 英・プロイセン連合軍がフランス皇帝ナポレオンを打ち破った1815年の「ワーテルローの戦い」から今年で記念すべき200年を迎える英国。ところが、どの国が戦ったか知らない人が28%、仏軍が勝ったと答えた人も14%に上ったことが、陸軍博物館の調べで分かった。ベルギーのワーテルローで両軍が火花を散らしたこの戦いは、英ウェリントン公が連合軍を率いてナポレオンを破り、退位へと追い込んだ歴史上重要な分岐点。だが、英軍指揮官の名前を知らない人も多く、回答には「チャーチル元首相」「アーサー王」「ハリー・ポッターシリーズのダンブルドア校長」を挙げた人もいたという。
また、「ワーテルロー」(Waterloo)という言葉から思い出すものとしては、54%が南ロンドンのウォータールー駅、47%がスウェーデンのポップグループ「アバ」のヒット曲「恋のウォータールー」と答えた。
陸軍博物館のジャニス・マリー館長は「ワーテルローの戦いはわが国にとって象徴的な史実だが、国民の認識度は著しく低い」と遺憾の意を示した。
これを称して歴史の無知と呼ぶべきかはわからない。でも、これでもいいんじゃないかと思う。先に挙げた共同や時事のような報道でもいいのかもしれない。
それにしても、「恋のウォータールー」はなつかしいなあ。日本語で「恋のウォータールー」だった。わざとそうしたのかもしれない。歌詞の意味が、けっこうとんでもないよ。歌詞中の「Waterloo」は「the war」で受けているから、まんま「ワーテルローの戦い」という意味。
My, my, at Waterloo Napoleon did surrender
Oh yeah, and I have met my destiny in quite a similar way
The history book on the shelf
Is always repeating itselfそうそう、ワーテルローでナポレオンは降伏
でさ、私も似たような運命になったちゃった
本棚の歴史の本って
いつも同じことを繰り返す。Waterloo - I was defeated, you won the war
Waterloo - Promise to love you for ever more
Waterloo - Couldn't escape if I wanted to
Waterloo - Knowing my fate is to be with you
Waterloo - Finally facing my Waterlooワーテルロー 負けちゃった。戦争はあなたの勝ち
ワーテルロー もっと好きって約束して
ワーテルロー 逃げたくてもできないの
ワーテルロー あなたといるのが私の運命ってわかった
ワーテルロー つまり、これが私のワーテルローの戦いMy, my, I tried to hold you back but you were stronger
Oh yeah, and now it seems my only chance is giving up the fight
And how could I ever refuse
I feel like I win when I loseそうそう、あなたを組み伏せようとしたけどあなたのほうが強かった
でさ、この戦いを諦めるのが私のチャンスってことね
どんだけ嫌だったか
私が負けたと思ったときに、私は勝った感じなの
式典でも歌われていた。
| 固定リンク
「時事」カテゴリの記事
- 歴史が忘れていくもの(2018.07.07)
- 「3Dプリンターわいせつデータをメール頒布」逮捕、雑感(2014.07.15)
- 三浦瑠麗氏の「スリーパーセル」発言をめぐって(2018.02.13)
- 2018年、名護市長選で思ったこと(2018.02.05)
- カトリーヌ・ドヌーヴを含め100人の女性が主張したこと(2018.01.11)
コメント