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2015.05.12

枕詞について

 昨日、ぬるい風呂に入ってぼんやり吏読について考えながら、ブログに書いた話は、おそらくあまり理解はされないだろうな。もう少しわかりやすく書くべきだったかな。でも、それで読まれるというわけでもないから、あれでもいいか、とかかんとか思いながら風呂から上がったとき、あっ、εὕρηκα!、と思った。ほんの瞬時。何十年来の枕詞についての謎が解けたのである。
 次の瞬間、しかしなあ、それを証明することはできないなあと思い、ちょっと、ぼうっとした。それから寝入りばな、つらつら考えて、まあ、概ね正しいだろうが、その研究やってもなんの成果もでないだろう、というあたりで眠りに落ちた。夢で特に発見があったわけでもなかった。つまらない話であるが、ブログとかに書いておく。
 枕詞とは何か。比喩的な用例も多くなったから、基本的な意味確認をかねて、大辞泉から引いておく。


1 昔の歌文、特に和歌に用いられる修辞法の一。一定の語句に冠してこれを修飾し、または語調を整える言葉。普通は5音、まれに3音・4音などのものもある。「あしひきの」「たらちねの」「ひさかたの」など。冠辞。
2 前置きの言葉。
3 寝物語。枕物語。
「二つならべて―ぢゃ」〈西鶴大矢数〉

 ここでいう枕詞は元の1の意味である。マイペディアではこう。

主として古代の和歌に用いられた修辞法の一種で,主想と直接には意味的連関をもたず,習慣的・固定的に特定の語句に冠してこれを修飾し,句調を整える役割を果たす語。多く5音節からなる。ひさかたの(光),あしびきの(山),飛ぶ鳥の(飛鳥(アスカ))など。・

 間違いはないが、これの何が謎かというと、二つある。

 (1)枕詞そのものの意味がわからない、
 (2)なぜそれが枕詞として機能しているのかわからない、

 ということである。
 例えば、「たらちねの」のは、「母」にかかる。「修飾」している。が、「たらちね」とは何かわからない。なぜそれが「母」にかかるかもわからない。わからないものというのは変なもので、しかもそれが詩歌の伝統技法となると、わかんないからなんだか尊重すべきものに変わる。新たな意味も求められる。そこで万葉仮名の「垂乳根乃」の字面から「垂れた乳のあるのは母親」ということになり、さらには修飾対象は「親」でもいいことになる。
 「ひさかたの」は「光」にかかることがある。「日射す方の」とか考えられたからでもある。万葉集では「久方之」ともある。「久しい」から「永遠の」の意味合いもある。元は「天」「雨」などにかかった。
 まあ、なんだかわからないのである。だが、使うと詩歌として厳かになるから使っている。明治時代になっても斎藤茂吉なんかも「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」とか使っている。
 というわけで、枕詞については、なんだかわからない。
 ということは、実は、一つわかったことになる。つまり、枕詞の大原則その1。

 (1) それがなんだかもう誰もわからない

 である。
 この原則から導かれる小則は、「わからなくなった時代背景があるに違いない」ということだ。
 もう一つ大原則がわかる。

 (2) それは詩歌の伝統のなかで生き延びている、

 ということ。あるいは宗教的な厳かな表現である。別の言い方をすれば、それによって修飾される言葉を、おごそかなものにする、ということだ。「Darth Vader(ダースヴェーダ)」に「Sir Lord」が付くようなものである。さらに別の言い方をすれば、尊称的な情感の修辞として変わった、ということであり、原則1の「意味不明」とも関連している。
 そしてもう一つ、おそらく大原則と言ってよいだろうことがある。弁別性である。それが付いているということは、それが付いてないものと弁別しているはずだ、ということだ。

 (3) かつては弁別機能を担っていた

 実はここまでは、もう40年くらい前に考えていた。特に原則3が重要だと思っていた。加えて、私は小学生のときにアマチュア無線免許を取ったことから、通話表のことを連想していた。通話表というのは、無線で通信文の聞き間違いを防ぐためにの明示規則である。例えば、「ア」は「朝日新聞のア」である。いや、「朝日のア」。「イロハのイ」「名古屋のナ」「沼津のヌ」というやつである。元は英文である。「Alpha A」「Bravo B」「Yankee Y」など。
 つまり、「たらたちねのハハ」があるということは、「そうでないのハハ」があったのだろうと考えるわけである。これが通話表のように一文字を表しているなら、話は簡単だが、どうもそうではない。謎が二つ増える。

 (1) かかっているものがよくわからない
 (2) そうではないものって何だ?

 特に、「そうでないもの」ってなんだろと40年考えていたのだが、昨晩、εὕρηκα!と思ったのは、これは一種の吏読ではないかということだった。吏読規則のようなものだろう。
 ある対象に二つ以上の呼称が生じるという状況が発生したため、その弁別コードが必要になるという国家的な現象が生じたことが、日本の古代にあったのだろう?
 連想して思ったのは、当時の朝鮮語である。
 日本語の起源が朝鮮語だとかいう愉快な話がしたいわけではないので、ご安心を。もっと生臭い話である。
 そこですぐに頭に浮かんだのは金春秋である。新羅・第29代・王・武烈王でもある。在位は654-661年。彼は若い頃、日本に人質になって日本に連れられた。
 余談めくが、というあたりの確認を兼ねてネットを調べたらウィッキペディアが引っかかったので読んでみたら、あれれ?、金春秋が日本に人質になった話が書かれていない(参照)。なんなんだこれ? 旧唐書と新唐書を引くのはいいとして、8世紀の日本書紀をすっとばして12世紀の三国史記が書かれいるのだが、日本書紀のほうが遙かに古くしかも国家編纂で信憑性が高いのだが、どういうことなんだろう? 他も見て回ったが、あまりこの話が書かれていない。
 書紀では大化3年(647)年にこうある。


新羅遣上臣大阿飡金春秋等。送博士小徳高向黒麻呂。小山中中臣連押熊。来、献孔雀一隻。鸚鵡一隻。仍以春秋為質。春秋美姿顔善談咲。

 「以春秋為質」というのは、日本の人質になったということである。
 他に、百済の最後の王・義慈王の王子・扶余豊璋も人質として舒明天皇3年(631年)に来日している。また、皇極元年(642年)には義慈王の子と見られる翹岐も日本に亡命している。
 人質といっても王族として日本の宮廷に迎入れられ厚遇されているし、なにより一人やってきたわけもなく、お世話の係りもいるだろうし、それを取り巻く、新羅系の人々や百済系の人々も日本の宮廷に関係していたはずである。
 当然、新羅や百済の言語が、日本の当時の宮廷に入っていたはずで、しかも、日本語を含めこれらの言語の文法骨格は同一だから、事実上、吏読のような手法で会話されていたと考えてよいだろう。別の言い方をすれば、中国語が使われていたわけでもなく、日本語が使われていたわけでもない。
 状況的に見れば、通話表の必要からすれば、新羅語・百済語かという連想も働く。連想としては、つい現代韓国語の「우리나라(ウリナラ)」の「나라(ナラ)」や、安宿(안숙)でアスカなどに及ぶ。나라じゃないナラが「あおよによしナラ」、안숙じゃないアスカが「とぶとりのアスカ」ということである。もっともこの方式で包括的に説明できるわけではない。
 それでも、吏読の仕組みが当時の日本の宮廷にあり、そこで中国語文や、新羅語・百済語が翻訳されていた状況はあるだろうし、その吏読を補助する語彙の仕組みの一部として現在言うところの枕詞が残ったのだろう。
 おそらく、宣命文などを見ると、吏読による骨格ではめ込まれているのは、むしろポリネシア系のやまとことばなので、枕詞の原形は、古代朝鮮語の翻案コードというより、古代日本語を王権の言語に取り入れる仕組みだったのではないかと思う。
 もうちょっと言えば、むしろ日本の王家は新羅語・百済語に近い状態だったのではないだろうか。それが百済が滅亡し、日本が新羅・唐に敗北することで、半島や大陸から切り離されて、原形のナショナリズムとして日本語が形成されたのではないのだろうか。枕詞はその残滓ではないか。
 というのが、ほんの瞬時に頭に浮かんだのだった。
 
 

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コメント

枕詞が識別子というのは大いにありそうなことですね。
古代日本語と古代朝鮮語の関係は、古代朝鮮語の資料が少なすぎて解明不可能という結論が出てたような。まあ漢語じゃない大和言葉の単語が朝鮮語とえらく違ってますが、朝鮮は人間がまるっきり入れ替わっているから現代の言葉からは何にも分からないのでしょうか。

投稿: murasaki | 2015.05.15 22:43

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E8%91%89%E4%BB%AE%E5%90%8D
既に5世紀には、日本語音を漢字で表す方法が存在していたことを考えると、枕詞の原型はお説より古いんじゃないでしょうか。

投稿: ななし | 2015.05.17 09:40

ななしさんへ。新羅の吏読などから5世紀は想定に入れて書いたつもりですよ。

投稿: finalvent | 2015.05.17 11:42

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