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2015.05.09

訓民正音を巡って

 朝鮮語(韓国語)の勉強をかねて、訓民正音のことをつらつらと考えている。かつて文字面だけを鵜呑みにして、訓民正音の意味を解していたことと比べると、実際にパッチムの音変化や、中国語学習後に漢文との対比をしてみた経過などから、なんというのか、ぐっと面白さが増してくる。

cover
訓民正音
(東洋文庫)
 「ああ、なるほどな」という思いがいくつかぽつぽつと心に湧いてくる。まだ、それらが一つのまとまった考えには至っていない。本来なら自分の熟慮を通すべきなのだろうが、まあ、そうでなくてもいいだろう、という思いとこうした、何か、ああ面白いものだな、という感覚はブログなどに書くのに向いているように思うので書いておきたい。
 まず、「え?」と思ったのは「訓民正音」、それ自体である。対比としてウィッキペディアを見ることにする(というか、予想通りの記述だったのだった)。いわく(参照)。

訓民正音(くんみんせいおん、훈민정음)とは、李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、あるいはそれについて解説した書物のことをいう。ここでは主として書物のことについて説明する。文字自体についてはハングルの項を参照。

 この定義が正しいのか?ということだが、とりあえず、ウィキペディアでは、(1)李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、(2)それについて解説した書物、となっている。とりあえず(1)の定義でよいと思われる。二解になっている理由はこの先にある。

訓民正音とは「民を教える正しい音」という意味である。世宗はそれまで使用されてきた漢字が朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるため、多くの民衆たちが学び使うことができない事実を鑑み、世宗25年(1443年[1])に朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。世宗28年(1446年)[2]に鄭麟趾らが世宗の命を受けてこの新しい文字について説明した漢文解説書を刊行したが、その本の名称が『訓民正音』である。

 間違いとは言えないだろうが、2010年刊の東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)を読んでいると、こういう注があった。

原本は冒頭の二丁が欠落しているため、もともとの表題を知ることができない。今、仮に澗松美術館所蔵の復元本に従い「訓民正音」としておく。

 というわけで、書名を「訓民正音」とするのは、澗松美術館所蔵の復元本からは「今、仮に」という以上のものではないだろう。その他の写本の評価は私にはわからないので、ウィキペディアが言うように「その本の名称」が「訓民正音」とした写本もあるかもしれない。なさそうには思えるあたりが、「え?」の意味である。もちろん、鄭麟趾序から想像しておそらくそう解してもよいだろうとは思う。
 次に、「ほぉ」と思った。これもまた「訓民正音」の原義に関わる。これもウィキペディアの先の引用から考えると面白い。

訓民正音とは「民を教える正しい音」という意味である。世宗はそれまで使用されてきた漢字が朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるため、多くの民衆たちが学び使うことができない事実を鑑み、世宗25年(1443年[1])に朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。

 ウィキペディアの編集方針からすると「これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている」には「要出典」と付くはずだが、ない。誰の解釈かわからないものが定説として記載されている。それが定説だからという含みなのだろうが、先の訳注の趙義成氏はこう解釈している。

 当時の朝鮮の学者は、朝鮮の漢字音が中国における本来の漢字音から離れて、朝鮮風に訛っていることを十分知っていた。その記述は『東国正韻』序にも記されている。この事実を、朝鮮の学者は漢字音の乱れと捉え、漢字音の乱れはとりもなおさず政治の乱れに直結すると考えた。その乱れを正し、あるべき理想的な人工漢字音を提示するためには、発音を的確に明示する文字が必要である。その目的に資するものとして作られたのが、まさに訓民正音であったわけである。

 つまり、訓民正音は漢字の中国語音を示すためのデバイスであって、ウィキペディアの言うような「朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系」という考え方とは著しく異なっている。
 どう考えるべきなのか。趙氏の考察は卓越している。そもそもの「正音」の字義をも明かそうしている。

 ところで、ここで言う「音」とは、実のところ、どうやら朝鮮語音ではなく漢字音のことを念頭に入れていたようである。先の鄭麟趾序の文言を見ても、楽歌とともに挙げられたものは字韻(漢字音)である。また、崔万理との応酬の中で、世宗は「若し予、其の韻書を正すに非ずんば、則ち伊れ誰かよく之を正さんや(若非予正其韻書、則伊誰正之乎。)」と言い、やはり漢字音について云々している。儒学的な動機から「音を正す」というのは、「漢字音を正す」ということであったことが、これらのことから知ることができる。

 かくして、どのように正されたかだが、先の引用にあるように「あるべき理想的な人工漢字音を提示する」ということで、訓民正音は当時の李朝の言語学的知見によって儒学的な古代中国の漢字音を擬似的に再構成したものになる。そう考えると入声がパッチムで保持されているのは、そもそも当然ということになるし、ハングルの文字の組み方が漢字に合わせているのも当然ということになる。
 別の言い方をすると、訓民正音としてのハングルは「朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系」として作られたわけではない。拼音とは異なっている。日本語に古代中国語の入声が残っているのとも異なることになる。
 この点について趙氏はさらに、こう述べている。

 「用字例」は個々の字母の使用法を示した章であるが、そこにはある不可解な記述が見られる。初声の用例を見ると、初声十七文字のうち「ㆆ」の用例が見えない。その一方で、初声十七字には含まれていない合成字「ㅸ」の用例が記されている。このことは「ㆆ」が当時の朝鮮語音の表示には必要ない文字であったということを意味し、また、「ㅸ」という音が当時の朝鮮語には有ったにもかかわらず、それ専用の字母が一時的に作られなかったことを意味する。現実の朝鮮語の音の体系とは食い違う訓民正音の初声十七字は、それが一義的に朝鮮語音の表示のための体系なのではなく、あるべき理想的な人工漢字音を表示するための体系であったことを物語る。

 こういう考え方でよいだろうと私も思う。であれば、現在の朝鮮語は、漢字音については「あるべき理想的な人工漢字音を表示するための体系」を元に形成された側面が大きい。この「側面」をどの程度と見るかだが、漢字起源の朝鮮語の語彙からすれば、七割がたと見てよいのではないだろうか。ただし、日常語では訓民正音とは異なる音の体系が維持されてきたのだろうし、その歴史は千年単位のスパンになるだろう。
 趙義成訳注本は非常に面白いのだが、ではそもそも訓民正音の字母の起源はというと、以下のようにしか解説されていない。

 この文字が世宗一人によって作られたのか、臣下の学者らとの共同作業によって作られたのかについては諸説あるが、文献記述から見る限りでは、世宗自身が文字制作を行った可能性が高い。

 引用はその先も趙氏は世宗の独創と推測している。が、この点については、せっかくの好著でありながら、違和感を覚えるところだ。
 鄭麟趾序の癸亥冬を見てみよう。引用にあたり話題となる「古篆」を強調しておく。

癸亥冬。我
殿下創制正音二十八字,略掲例義以示之,名曰訓民正音。象形而字倣古篆,因聲而叶七調。


癸亥冬。我が殿下正音二十八字を創制し、略々例義を掲げて以て之を示し、名づけて訓民正音と曰う。形を象りて字は古篆に倣ひ、声に因りて七調に叶ふ。

 下し文に趙氏は次のように注している。

古篆…篆書。漢字の字体の一つで、秦代に整理された字体。現行の楷書に比べ、曲線が多い。現代でも印章などによく用いられる。しかしながら訓民正音の字形について、ㄱやㄴといった形に定めたかは諸説がある。その中で、例えば姜信沆(一九八七、二〇〇七)は鄭樵『六書略』の中の「起一成文図」に現れる字形との関連性を指摘している。

 こう注しても、「崔万理等諺文反対上疏文」などを合わせて考えて誤りとも言えない。だが、主要説に数えてよい説として、コロンビア大学名誉教授ガリ・レッドヤード(Gari Ledyard)(参照)はこの古篆を『蒙古篆字』(参照)と解し、蒙古篆であるパスパ文字がハングルの起源説がある。
 モンゴル学者・岡田英弘はこの文脈ではないものの、パスパ文字が起源だとする考え方を取っている。『皇帝たちの中国』より。

一二六〇年、フビライがハーンになると、パクパに国師の称号と王印を授け、新しいモンゴル文字をつくることを命じた。パクパが作った文字は、横書きのチベット文字のアルファベットを改良して、縦書きとしたものである。フビライは、この新モンゴル文字を一二六九年に公布して、国字とした。こののちは、ハーンの詔勅のモンゴル語の本文は、この文字で書き、それに地方ごとの文字で書いた訳文を付けることになった。その功によって、パクパは帝師・大宝法王の称号を授けられ、フビライ家の支配権内の文教教団すべての最高指導者となり、パクパの実家のコン氏族は、モンゴルのチベット総督の地位を世襲することになった。
 モンゴルでは、モンゴル語をウイグル文字で書く習慣がすでに確立していたので、せっかくつくったパクパ文字はあまり普及しなかった。しかし、パクパ文字は、元朝支配下の韓半島の高麗王家に伝わり、その知識が基礎になって、高麗朝に変わった朝鮮朝の世宗王がハングル文字をつくり、それを解説した『訓民正音』という書物を一四四六年に公布したのだった。そういうわけで、フビライ・ハーンがパクパ文字をつくらせたおかげで、今の韓国語・朝鮮語があるのだといえる。

 パクパ文字がそのままハングルになったわけではないが、字形と音声の考え方、さらに時代背景から見て、重要な説だと思われる。対して、姜信沆が指摘する鄭樵起源説は、鄭樵生没年が1104年-1162年なので、ハングルのパクパ文字起源を否定する意味合いがあるのだろう。
 ハングルのパクパ文字起源説は韓国・北朝鮮で伏せられているわけでもないようだ。中央日報「「訓民正音、モンゴル‘パスパ文字’の影響受けた」…高麗大教授」(参照)より。

「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。
国語学者のチョン・クァン高麗(コリョ)大名誉教授(68)は訓民正音の‘独創性’について、国内学界の主流とは異なる見解を示した。 訓民正音は創製の過程で、モンゴルの‘パスパ文字’を参照し、その影響をかなり受けたということだ。


チョン教授は「訓民正音(1443年創製)は174年先に作られたパスパ文字から多くの影響を受けた」と主張した論文を18、19日の国際学術大会で発表する。 韓国学中央研究院が主管する「訓民正音とパスパ文字国際学術ワークショップ」でだ。
チョン教授によると、パスパ文字は▽中国の漢字音を表記するための手段▽中国の伝統的な字音36字を基本に作られた▽母音の概念を込めた喩母字7つを導入したという点で、訓民正音に影響を与えたということだ。
「これまで多くの研究者らが『訓民正音は当時の韓国語の音韻を分析し、子音と母音を抽出してここに文字を一つひとつ対応させて作った』と誤解してきた」というのがチョン教授の立場だ。 言語学で音韻分析は19世紀に初めて提起された方法だ。 これを560年前に認識したというのは‘現代的な偏見’ということだ。
チョン教授は「初声(音節の最初に出る音)に該当する中国字音の36字を、パスパ文字は重複音を除いて31字に減らし、われわれは東国正韻23字と訓民正音17字で作った」と説明した。 こうした体系は元の末期に編纂された『蒙古字韻』で確認できるということだ。

 おそらくこの考え方が通説になっていくだろうと思う。
 合わせて、いずれ、世宗の祖、李成桂が女直人(女真人)であるという考え(参照)も通説になっていくのではないかと思う。
 
 

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