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2015.05.11

訓民正音を巡って その3 吏読と宣命体

 世宗が訓民正音を公布した理由については、曖昧ではあるが前回、前々回に触れたが、そこで触れなかったもう一つの側面、つまり、書記系の「創案」ではなく、「改良」の観点に立つと、吏読(吏讀)が注目される。
 「訓民正音」の原文ではそのことが考慮されていたし、「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」は吏読の維持を求めていた。
 原典だが「訓民正音」の鄭麟趾序では吏読(吏讀)はこう触れられている。


吾東方禮樂文章侔擬華夏。但方言俚語、不與之同。學書者患其旨趣之難暁、治獄者病其曲折之難通。昔新羅薛聡、始作吏讀、官府民間、至今行之。然皆假字而用、或澁或窒。非但鄙陋無稽而已、至於言語之間、則不能達其萬一焉。

 下して、「昔、新羅薛聡、始めて吏讀を作り、官府民間、今に至り之を行う」ということで、新羅の薛聡が吏読を創案したとしている。
 吏読とは何かだが、ここには書かれていない。「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」ではこうある。

新羅薛聰吏讀、雖爲鄙俚、然皆借中國通行之字、施於語助、與文字元不相離。

 吏読は、「皆、中國通行の字を借り」とあるように、漢字を表音記号のデバイスとして使うシステムである。具体的にどのようなものかという例は、訓民正音にも上疏文にもない。
 解説の補足として大辞泉を見るとこうある。

古代朝鮮で、漢字の音・訓を借りて、朝鮮語の助詞・助動詞などを書き表すのに用いた表記法。新羅(しらぎ)時代から行われ、ハングルが制定されたのちは官吏の間でだけ用いられたので、この名がある。りとう。

 日本大百科全書(ニッポニカ)はもう少し詳しい。

吏吐、吏道、吏書ともいう。新羅(しらぎ)時代に成立した漢字による朝鮮語の表記法で、漢字を朝鮮語のシンタックスにより配列し、助詞、助動詞などの文法要素を漢字の音・訓を借りて表したもの。日本の「宣命体(せんみょうたい)」に似ている。新羅時代の吏読文は瑞鳳塚(ずいほうづか)銀合う(451推定)の器物銘、「南山新城碑」(591)などの金石文や正倉院所蔵の「新羅(しらぎ)帳籍」がある。なお、薛聡(せっそう)が吏読をつくったとする伝説は、その発生が薛聡以前であるので信じがたい。高麗(こうらい)時代・李(り)朝時代を通じて、吏読は主として胥吏(しょり)たちが公文書や契約文書などを書く場合に用いられた。18世紀なかばに胥吏用の吏読文の手引書として『儒胥必知(じゅしょひっち)』が刊行されており、その巻末に吏読のハングル読みが付されている。一方、訓民正音創製以前に、吏読は漢文で書かれた実務書の翻訳にも使用された。『大明律(だいみんりつ)直解』(1395)と『養蠶経験(ようさんけいけん)撮要』(1415)がそれである。
 吏読に類似した表記法に吐(と)または口訣(こうけつ)とよばれるものがある。これは漢文に文法的要素を各文節ごとに書き添えたもので、つまり漢文を読む場合の送り仮名にあたる。吐としては漢字の正字体のほか略体も多く用いた。略体の吐のなかには片仮名と同形のもの、同音同形のものがある。[梅田博之]

 いろいろと興味深い知識が書かれているが、まず気になるのはその実態だが、『大明律直解』写本(参照)はネットで見ることができるのでそれにあたると興味深い。「訓民正音」について関連して連想することは、明の法体系をどう李朝に移すかという課題が先行していたことが推測される。
 吏読自体について興味深いのは、それが新羅の薛聡に創始されたという点である。が補えば、それもまた伝説である。そうであってもまず新羅の年代と薛聡の年代をざっくり見ると、新羅が356-935年、薛聡は7世紀後半から8世紀前半頃とされている。伝説ではあるとしても、新羅中期以降の法的な書記系が吏読によっていたと見ることは妥当だろう。
 日本人として関心を持つのは、宣命体との関連である。
 これを多数含むのが『続日本紀』(延暦16年・西暦797年)である。私の勘違いでなければ、日本書紀には含まれていない。奇妙なのだが、続日本紀の宣命が発せられるのは文武即位(697年)からということで、同時代的には日本書紀の編纂時期に重なる。宣命体についての書紀と続日本紀の差違には奇妙な違和感がある。
 いずれにせよ、新羅における吏読の時期と日本での宣命体の時期はあらかた同時期であり、中国周辺国における漢字知識人の共時的な共通性と見てよいだろう。
 日本の場合は、この吏読・宣命体から音表記体系として仮名が出現する。吏読・宣命体がそのまま仮名であると言えないでもないが、機能としては漢文の補助であり、そもそもの音表記体系ではない。
 ここから余談めく。
 歴史変遷としては、まさにその順序、吏読・宣命体から仮名が出現し、これが日本書紀から続日本紀の時期に現れるのだが、この傾向に反して奇妙なのはいわゆる古事記である。
 古事記は宣命体の記法は採用されず、漢文と漢字を使った仮名である万葉仮名の奇妙な混在である。吏読・宣命体はその用例からもわかるように、官吏にこの書記系を習得させる便覧と教育システムが存在するはずで、それが書記の集団に共有される。
 逆に言えば、そうした便覧が各種文書を規定しているはずで、古事記は特殊な便覧に寄って書かれているものであるはずだ。古代の音声を引き写したわけではない。
 私はこの点からも古事記はむしろ宣命体が完成してから擬古的に創作された便覧を使って、擬古のために作られた平安時代初期ころの偽文書なのではないかと思う。
 さらに思うのは、現代の朝鮮語と日本語と比べても、文法体系が酷似しているのに、基本語彙がまったく異なるというのは、そもそも日本語が、吏読のようなシステムの便覧から逆に創作された言語なのではないかという疑念である。
 孝謙天皇宣命の

天皇 大命 良末等 大命 衆聞食 倍止 宣。

 は、「すめらみことが、おほみことらまとのりたまふおほみことをもろもろきこしめさへとのる」と音価を与えるが、小字でない部分は別の音価を当てても書記系としては問題ない。元来、吏読とはそのようなものである。
 歴史的偶然とも言えるのかもしれないが、日本という国の国家文書が出現するのは、事実上、吏読・宣命体によるのであり、そこから事実上の日本語が形成されると見ても、その範囲ではよいだろう。
 
 

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