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2015.05.10

訓民正音を巡って その2 崔萬理等・諺文創制反對・上疏文

 東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)には、訓民正音公布から程なく出された儒者・崔萬理等による諺文創制反對の上疏文も掲載されている。内容について概要は知っていたが、原文を読んでみると、非常に興味深い。思うことを記しておきたい。
 まず、崔萬理にとってこの「訓民正音」は「諺文」であった。つまり、「オンモン」である。


庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰、臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智……

 庚子は、1445年であり、訓民正音公布の翌年。その時点で、「諺文」として認識されていたことがわかる。
 ところで当代一の儒学者が諺文制作に反対した理由だが、私などは、儒者の利権侵害のように捉えていたしそうした理解で間違っているとも思えないが、王に対する諫言としてどうかと考えると、やはり政治のコンテクストがオモテに出る。そこが儒者としては真摯に重要だったのかもしれない。

我朝自、祖宗以來、至誠事大、一遵華制。今當同文同軌之時、創作諺文有駭觀聽。黨曰、諺文皆本古字、非新字也。則字形雖倣古之篆文。用音合字、盡反於古、實無所據、若流中國、或有非議之者、豈不有愧於事大慕華。

 李朝の国是は「至誠事大、一遵華制」つまり、「大国に至誠心をもち、ただ中国一国に従う国家である」ということである。「諺文」はそれに反するというのである。「豈不有愧於事大慕華」、つまり、「大国に従い中国を慕う点で恥じることになりはしまいか」というのである。
cover
訓民正音
(東洋文庫)
 ここで興味深いのは、「則字形雖倣古之篆文」として、崔萬理は「諺文」が古之篆文によることをひとまず認めていることで、逆に言えば、彼はこの書記系がパスパ文字に由来することを知らなかったか、あるいは表現上軽視していたことを示している。さらに読み進めると、「借使諺文、自前朝有之」という表現もあり、仮定という修辞を噛ませてはいるが、公布以前に「諺文」が存在していたことも暗示されている。
 いずれにせよ、世宗を抱く「諺文」作成側の勢力に、崔萬理は対抗していた。
 日本への言及もある。

自古九州之內、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。傳曰、用夏變夷、未聞於夷者也。


今別作諺文、捨中國而自同於夷狄。是所謂棄蘇合之香而取螗螂之丸也。豈非文明之大累哉。

 李朝儒者としては、中華に従う他国として、蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃を挙げ、それぞれが自国の文字を持っていることを認めている。しかしそれらは、「是皆夷狄事耳」であり、夷狄である。「豈非文明之大累哉」は、文明に反する大罪であるということだ。崔萬理がパスパ文字について知っていたかどうかは表面上はわからないが、フビライハーンが定めた書記系の普及と関係国における自国書記文化の勃興は理解していた。
 興味深いのは、当然とも言えるが、李朝ではその祖・李成桂が女眞人であるということは継承されていないどころか、夷狄として理解されていたこともこの記述で明瞭になっている。ここで少し歴史を振り返ってみる。
 Korea/Coreeの原義である高麗(王氏高麗)は、1258年にモンゴルからの侵略を受け、和州以北を失い、翌1259年に高麗を統治していた崔氏政権は打倒され、降伏。以降、高麗の王子はモンゴル皇族の婿となって元朝宮廷に人質となり、高麗王死後にモンゴル宮廷から派遣された形で継ぐことになった。事実上、高麗はモンゴルに併合されていた。なお、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の時代からわかるように、日本を襲撃してきたのは、モンゴル・高麗軍である。このとき、日本がモンゴル・高麗に敗北していたら、日本は高麗の弟的な位置になっていただろう。
 時代変化は、1368年、紅巾軍の一派朱元璋が南京で大明皇帝と称したことが大きい。洪武帝である。その後モンゴルは、その植民地である現在の中国の地域での勢力を失い、現モンゴル地域に撤退。この勢力変化の影響を高麗も受け、1392年、女直人の武人・李成桂は、モンゴルの血を引く高麗王・恭譲王を廃位して、自身が高麗王となったが、洪武帝に恭順して国号を「朝鮮」と改め、太宗となる。世宗が生まれたのはこの翌年である。そして「訓民正音」が公布されたのは、世宗26年(1443年)。半世紀を経て、モンゴルと関連した高麗王朝の記憶も薄れた時代である。
 「訓民正音」自体、そうした世宗下の李朝の安定傾向と考えられそうだが、崔萬理は意外とそれに反することを述べている。

凡立事功、不貴近速、國家比來措置、皆務速成、恐非爲治之體。儻曰諺文不得已而爲之、此變易風俗之大者。
相下至百僚.

 「國家比來措置」が「訓民正音」だけでないのは、「皆務速成」とあることかわかる。むしろ、「訓民正音」は新しい政治体制の一つの象徴でもあったのだろう。「不得已而爲」というのが世宗側の改革だろう。それを崔萬理は「恐非爲治之體」というように、憲法改正はイカンといった激怒感を持っていた。
 世宗側の改革がどのようなものであったかは、上疏文の後段に裁判の便宜についての議論があることから推測される。実際上この時代、李朝の法制度が儒者の支配によっては機能しなくなった現実があったのだろう。
 このあたりの事情は、同時代の日本などを考えてもわかる。日本が元寇に対抗できたのは、武家社会が漢字を使いながらも、儒者を排した自国語的な文脈として言語を法・経済の制度として活用したことは大きい。武家諸法度などは画期的な法整備である。
 崔萬理は「諺文」の弊害についも興味深い予想をしている。

如此則數十年之後、知文字者必少、雖能以諺文而施於吏事、不知聖賢之文字、則不學墻面、昧於事理之是非、徒工於諺文、將何用哉。

 「不知聖賢之文字、則不學墻面」、漢字という聖賢の文字を使わないでいると、「不學墻面」になるという。極めて現代語でいうなら、香山リカ・精神科医師の言うところの「知性の海抜ゼロ地帯」と訳せるかもしれない(参照)。
 実際に、「諺文」の弊害なるものがあったかについては、ここでは論じる意味はないが、時代は下るが、1894年から1897年、末期・李氏朝鮮を探訪し、旅行記『朝鮮紀行』を記したイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)は、諺文の使用を女子供など当時無学とされた人々の書記としてみていた。
 国家的に正書法として統合されるのは、1912年、朝鮮総督府による「普通学校用諺文綴字法」が始めであろう。これらは基本的に、日本の仮名交じり文を前提としていた。
 現代の韓国における漢字の廃止は、李承晩政権下、1948年施行「ハングル専用に関する法律」によるが、罰則規定もなく、私の子供のころでも韓国の新聞は漢字で書かれていて大意を読むことができた。
 漢字の廃止は教育からということで、朴正煕政権下、1970年に漢字廃止宣言となったが、1972年には形の上では撤回された。その後は実際のところ、漢字は韓国社会から消えていった。
 が、先日大きな変化があった。「先日」ということでもないのだろうが。
 2015年5月4日、コレードチャイナより「韓国で45年ぶりに漢字が復活!小学校教科書に漢字併記へ=韓国ネット「ハングルで十分、漢字学習は非効率的」「なくすべきは漢字より日本語」」(参照)より。

 2015年4月29日、韓国・SBSニュースによると、小学校の教科書にハングルと漢字が一緒に表記されることになった。1970年の「ハングル専用政策」により教科書から消えた漢字が45年ぶりに復活することになり、韓国内で物議を醸している。
 韓国の教育部は漢字併記の理由として、社会の要求の高まりや、単語の意味の理解のしやすさ、語彙(ごい)力の向上などを挙げており、2018年から配布される小学校の教科書に漢字を「併記」するとしている。これは、文章中に漢字を混ぜて使う「混用」とは異なる。しかし、ハングルの関連団体や全国の教育監、全国教職員労働組合などからは「一方的な推進」「学生の私教育に負担を与える」など、反対意見が挙がっている。

 ということで、日本語のような漢字仮名交じり文とはならないようだが、漢字は復古するらしい。復古するのは、おそらく基本的な漢字のみだろうとは思うが、字体について、日本漢字を使うとも思えないので、簡体字か繁体字を使うことになるだろう。現状の韓国の中国寄りの傾向からすれば、簡体字となるのではないだろうか。
 漢字が普及すれば、「儒(유)」と「乳(유)」の区別が付くとは言えるだろう。「朝鮮王朝は「乳学の国」? 歴史歪曲ラノベに憂慮の声」(参照)より。

「朝鮮は乳学の国」。これは出版業界でいわゆる「ライトノベル(軽小説)」というジャンルに分類される本の中で、朝鮮王朝について説明した項目だ。この本は朝鮮王朝の根幹の学問だった「儒学」を、韓国語の発音が同じ漢字に置き換え、朝鮮王朝時代を「女性の真の美しさを追求した国」と表現したものだ。この本の主人公は領議政(議政府〈中央官庁〉で最高の官職)になったばかりの西人(朝鮮王朝中期の官職の党派)のトップ「ソン・シヨン」で、女性の豊満な胸を意味する「巨乳」と表現した。これもまた、朝鮮王朝後期の党派の一つ「老論」のトップで「巨儒(名高い儒学者)」と呼ばれた宋時烈(ソン・シヨル)をモデルにしたと考えられる。

 あるいは、漢字の知識が復古していく文化の余裕のようなものがそうした笑いの文化を形成してきているのかもしれない。
 
 

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