韓国語(朝鮮語)を一か月学んでみて思ったこと
正確に言うと今日のレッスンが28課であと2課残している。その時点で書いたほうがいいかもしれないが、なんとなく書きそびれてしまうような気もするので、現時点で思うことを書いてみたい。
韓国語を学ぶということは、一言でいうと、とても不思議な体験だった。この不思議さというのが、思いに貯まるのだが、どう表現してよいかもどかしい。だから書いてみたいということである。
難しい言語かというと、逆に「簡単な言語ってあるの?」という疑問にまで引き返す。しかし、ハングルというとっつきにくい表記体系に覆われているが、語彙の大半は日本語と共通であり、しかも基本的な文法構造がそっくりなのだから、日本人には簡単な言語だと言っていいだろう。
音韻構造については、音素体系が異なることからその学習は意外に難しいが、そのあたりは実際に学んでみると、これも奇妙なものだった。
日本人の誰もが思い当たるのではないかと思うが、ぼんやり聞いていると、韓国語(朝鮮語)は日本語のように聞こえる。響きはとてもよく似ている。もちろん、あえて変えて響かせることもできるが、それでも基本的に音のシークエンスすら似ている。
なぜ日本語と韓国語は響きまで似ているのだろうか。おそらく、個別の音というより、文を構成したときのその超分節素性(suprasegmental feature)によるのだろう。それが日本語とほとんど類似になるのは、疑問文の構成や、くだけた言い回しなどが、基本的に語末の語に依存している構成になるからだろう。例えば、
「マクドナルドで 何か 食べましょうよ?」
「맥도날드에서 뭘좀 안드시겠어요?」
たぶん、米人には同じ言語に聞こえると思う。
中国語でも語末に「吗」を付加することで疑問文かでき、その影響で超分節素性が声調と独立するかのようになる現象があるが、それでも基本的に中国語は声調を弁別に使うため、超分節素性があまり文法側に利用できない。また韓国語は、ロシア語のように疑問語に独自のトーナルなアクセントを持つわけでもないし、英語のように強弱のアクセントもない。言語類型的にも日本語と韓国語が似てくるのは、その基本構造からもしからないのだろう。
言語学的な側面でいろいろ思うことはあるが、どうも細かい話になりそうなので、ざっくりしたところに戻す。
こういうと韓国の文化の悪口に聞こえてはいけないのだが、この言語を学んでも国民言語の文化が見えてこないという奇妙なもどかしい感じがしていた。
フランス語を学んいく過程でびっくりしたのは、学んでいくと、パスカルやデカルトがそれなりに読めるようになる。マリーアントワネットやナポレオンの言葉も読もうと思えば不可能ではない。何を言いたいかというと、近代以降はフランスは国民言語の文化が確立して、他の国と比べるとあまり大きな変化がない。同じことはドイツ語の学習でも感じられた。ゲーテも読もうと思えば読める。モーツアルトやベートーヴェンの言葉も現代のドイツ語からそれほど離れているわけでもない。
対して、日本語はどうかというと、これは微妙で、かなり言語の変化は大きいのだが、以前にも書いたのだが、日本語と長年触れ合っているせいか、自分では鎌倉時代あたりの言語はだいたい現代語の延長で感じられる。徒然草あたりは特に翻訳せずにも読めるし、道元や親鸞なども補助があれば読める。
ロシア語はその点で自分の学習はまだまだなのだが、プーシキンの詩などは手が届きそうだし、日本で歌われているトロイカの原詩を読んでみたら、びっくりしたこともあった。このネタはいずれ書くかもしれない。ロシア語は、フランス語、ドイツ語、英語から、それぞれ年代を層にしてかなり外来語の影響を受けているので、国民言語の文化を形成するのは比較的難しかっただろう。
中国語はどうか? 中国語を学んで分かったことは、これは漢文とは違う言語だということだった。漢詩なども、漢字で書いてあるのだから、中国人は、現代の声調でそれなりに韻文として読むことができるが、暗記させられている分を除けば、理解できないだろう。論語もそうである。中国人は漢文は普通は読めない。日本人と変わりない。
漢文と現代中国語はつながっているのではないかというと、そういう部分ももちろんある。しかし基本的につながっていない。奇妙に思ったが、ふと「無門関」などを見ると現代中国語に近い。そのあたりから思うに、国民言語の文化も中国語にはあるのだろうが、私たち日本人が漢文からのぞき見る範囲では見えにくい。
さて、韓国語である。国民言語の文化が見えてこない。
ハングルの表記ができたのは15世紀で遅いといえば遅いが、国民言語文化の発展がそれで遅れるというほど遅くはない。話を単純にすれば、ハングルで書かれた近代の詩やエッセイがあるか、つまり、言語文化としての近代語につらなる古典がどうなっているのかと関心を持ったのだが、これが見えてこない。
別の言い方をすれば、韓国語で、パスカルにあたる人、ゲーテにあたる人、プーシキンにあたる人、そういう人文学者がハングルでどのように形成されたのか、そこがわからない。もちろん、ごく単純に私の知識が足りないだけのこともある。日本人でパスカル、ゲーテ、プーシキンは読まれるが、そういうのに相当する韓国人(朝鮮人)は誰なのだろうか?
別の観点から考えてみた。例えば、日本だと本居宣長は各種エッセイも書いているが宣長はちょっと特例なので、新井白石(1657-1725)の「折たく柴の記」を例にすると、これを読むと誰でも、吉田兼好(1283?-1350?)の「徒然草」との関連が読みとける。つまり、日本語の場合、国民言語の文学というのは、13世紀以降、明瞭に知識人に意識されている。
![]() 看羊録 朝鮮儒者の 日本抑留記 |
いや率直なところ、自分の無知・無教養に直面することになったわけだが、ぼんやりと日本と関連の深い姜沆(강항)(1567-1618)の「看羊録」を思い出した。彼は慶長の役で捕虜となったものの、その儒者の見識が認められ厚遇され、藤原惺窩とも親交を持つのだが、それがきっかけで書かれたのが「看羊録」である。これは帰国後の上奏文であり彼が儒者であるのだから、当然漢文になるのはしかたないのだが、そうした教養を、兼好や白石のように自国言語の文学表現に変換できたかだろうか。どうもそういうものがなさそうに見えるなあ、と……改めて見ていくと、あ、「日東壮遊歌(일동장유가)」があった。未読だなあ。
![]() 日東壮遊歌 ハングルでつづる 朝鮮通信使の記録 |
というわけで、そっちに興味が移ってしまった。
当初、在日朝鮮人・韓国人の韓国語(朝鮮語)学習についてもちょっと書こうかと思ったが、それはまたいずれ。
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