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2015.05.31

韓国語(朝鮮語)を一か月学んでみて思ったこと

 正確に言うと今日のレッスンが28課であと2課残している。その時点で書いたほうがいいかもしれないが、なんとなく書きそびれてしまうような気もするので、現時点で思うことを書いてみたい。
 韓国語を学ぶということは、一言でいうと、とても不思議な体験だった。この不思議さというのが、思いに貯まるのだが、どう表現してよいかもどかしい。だから書いてみたいということである。
 難しい言語かというと、逆に「簡単な言語ってあるの?」という疑問にまで引き返す。しかし、ハングルというとっつきにくい表記体系に覆われているが、語彙の大半は日本語と共通であり、しかも基本的な文法構造がそっくりなのだから、日本人には簡単な言語だと言っていいだろう。
 音韻構造については、音素体系が異なることからその学習は意外に難しいが、そのあたりは実際に学んでみると、これも奇妙なものだった。
 日本人の誰もが思い当たるのではないかと思うが、ぼんやり聞いていると、韓国語(朝鮮語)は日本語のように聞こえる。響きはとてもよく似ている。もちろん、あえて変えて響かせることもできるが、それでも基本的に音のシークエンスすら似ている。
 なぜ日本語と韓国語は響きまで似ているのだろうか。おそらく、個別の音というより、文を構成したときのその超分節素性(suprasegmental feature)によるのだろう。それが日本語とほとんど類似になるのは、疑問文の構成や、くだけた言い回しなどが、基本的に語末の語に依存している構成になるからだろう。例えば、

 「マクドナルドで 何か 食べましょうよ?」
 「맥도날드에서 뭘좀 안드시겠어요?」

 たぶん、米人には同じ言語に聞こえると思う。
 中国語でも語末に「吗」を付加することで疑問文かでき、その影響で超分節素性が声調と独立するかのようになる現象があるが、それでも基本的に中国語は声調を弁別に使うため、超分節素性があまり文法側に利用できない。また韓国語は、ロシア語のように疑問語に独自のトーナルなアクセントを持つわけでもないし、英語のように強弱のアクセントもない。言語類型的にも日本語と韓国語が似てくるのは、その基本構造からもしからないのだろう。
 言語学的な側面でいろいろ思うことはあるが、どうも細かい話になりそうなので、ざっくりしたところに戻す。
 こういうと韓国の文化の悪口に聞こえてはいけないのだが、この言語を学んでも国民言語の文化が見えてこないという奇妙なもどかしい感じがしていた。
 フランス語を学んいく過程でびっくりしたのは、学んでいくと、パスカルやデカルトがそれなりに読めるようになる。マリーアントワネットやナポレオンの言葉も読もうと思えば不可能ではない。何を言いたいかというと、近代以降はフランスは国民言語の文化が確立して、他の国と比べるとあまり大きな変化がない。同じことはドイツ語の学習でも感じられた。ゲーテも読もうと思えば読める。モーツアルトやベートーヴェンの言葉も現代のドイツ語からそれほど離れているわけでもない。
 対して、日本語はどうかというと、これは微妙で、かなり言語の変化は大きいのだが、以前にも書いたのだが、日本語と長年触れ合っているせいか、自分では鎌倉時代あたりの言語はだいたい現代語の延長で感じられる。徒然草あたりは特に翻訳せずにも読めるし、道元や親鸞なども補助があれば読める。
 ロシア語はその点で自分の学習はまだまだなのだが、プーシキンの詩などは手が届きそうだし、日本で歌われているトロイカの原詩を読んでみたら、びっくりしたこともあった。このネタはいずれ書くかもしれない。ロシア語は、フランス語、ドイツ語、英語から、それぞれ年代を層にしてかなり外来語の影響を受けているので、国民言語の文化を形成するのは比較的難しかっただろう。
 中国語はどうか? 中国語を学んで分かったことは、これは漢文とは違う言語だということだった。漢詩なども、漢字で書いてあるのだから、中国人は、現代の声調でそれなりに韻文として読むことができるが、暗記させられている分を除けば、理解できないだろう。論語もそうである。中国人は漢文は普通は読めない。日本人と変わりない。
 漢文と現代中国語はつながっているのではないかというと、そういう部分ももちろんある。しかし基本的につながっていない。奇妙に思ったが、ふと「無門関」などを見ると現代中国語に近い。そのあたりから思うに、国民言語の文化も中国語にはあるのだろうが、私たち日本人が漢文からのぞき見る範囲では見えにくい。
 さて、韓国語である。国民言語の文化が見えてこない。
 ハングルの表記ができたのは15世紀で遅いといえば遅いが、国民言語文化の発展がそれで遅れるというほど遅くはない。話を単純にすれば、ハングルで書かれた近代の詩やエッセイがあるか、つまり、言語文化としての近代語につらなる古典がどうなっているのかと関心を持ったのだが、これが見えてこない。
 別の言い方をすれば、韓国語で、パスカルにあたる人、ゲーテにあたる人、プーシキンにあたる人、そういう人文学者がハングルでどのように形成されたのか、そこがわからない。もちろん、ごく単純に私の知識が足りないだけのこともある。日本人でパスカル、ゲーテ、プーシキンは読まれるが、そういうのに相当する韓国人(朝鮮人)は誰なのだろうか?
 別の観点から考えてみた。例えば、日本だと本居宣長は各種エッセイも書いているが宣長はちょっと特例なので、新井白石(1657-1725)の「折たく柴の記」を例にすると、これを読むと誰でも、吉田兼好(1283?-1350?)の「徒然草」との関連が読みとける。つまり、日本語の場合、国民言語の文学というのは、13世紀以降、明瞭に知識人に意識されている。

cover
看羊録
朝鮮儒者の
日本抑留記
 そういう、兼好や白石にあたる朝鮮人は誰なのだろうか? 
 いや率直なところ、自分の無知・無教養に直面することになったわけだが、ぼんやりと日本と関連の深い姜沆(강항)(1567-1618)の「看羊録」を思い出した。彼は慶長の役で捕虜となったものの、その儒者の見識が認められ厚遇され、藤原惺窩とも親交を持つのだが、それがきっかけで書かれたのが「看羊録」である。これは帰国後の上奏文であり彼が儒者であるのだから、当然漢文になるのはしかたないのだが、そうした教養を、兼好や白石のように自国言語の文学表現に変換できたかだろうか。どうもそういうものがなさそうに見えるなあ、と……改めて見ていくと、あ、「日東壮遊歌(일동장유가)」があった。未読だなあ。
cover
日東壮遊歌
ハングルでつづる
朝鮮通信使の記録
 これは詩文である歌辞(가사)が散文化したものか。通信使の金仁謙(김인겸)(1707-1772)によるものなので、だいたい白石の時代に重なる。これは面白そうだ。
 というわけで、そっちに興味が移ってしまった。
 当初、在日朝鮮人・韓国人の韓国語(朝鮮語)学習についてもちょっと書こうかと思ったが、それはまたいずれ。
 
 

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2015.05.30

インドネシアが5月20日、中国不法漁船を爆破した意味

 海外報道をから国内報道を見て、ふと心に引っかかったことが他になんかあったなと思い、インドネシアが5月20日、中国不法漁船を爆破したことを思い出した。あれ日本でも報道があったかとざっと見て回って、ちょっと違和感を覚えたので書いて起きたい。
 概要がどう国内報道されたか、まず共同で拾っておこう。22日「違法操業の外国船爆破処理 インドネシア、中国が反発」(参照)より。同記事にはロイターの爆破の写真もある。


 【ジャカルタ共同】インドネシア海軍などは20日、同国近海で違法操業により拿捕された中国などの外国漁船41隻を爆破処理した。政府当局者が21日、明らかにした。違法漁業を厳しく取り締まる姿勢をアピールする狙いがあるとみられる。
 中国外務省の洪磊副報道局長は21日の記者会見で「深刻な懸念」を表明、インドネシア側に説明を求めたことを明らかにした。一方、インドネシアのスシ海洋・水産相は「法律に基づいた措置だ」と主張した。
 洪氏は「インドネシアが両国の建設的な漁業協力を推進することを望んでいる」と述べ、中国企業の「正当な権益」を守るよう求めた。

 報道として事実部分に間違いはない。むしろ共同としては事態から1日寝かして、21日に中国外務省の反応が出てから記事としたことで、これが中国の反発という点でニュース化したことがわかる。つまり、それがニュースバリューだと理解したわけである。そこから逆に、中国が何に反発したかを、共同がどう理解したかという共同の思いを探ると「違法漁業を厳しく取り締まる姿勢」としていることがわかる。これも間違いとは言えないが、まあ、以下にこの事態について記したあとで、この共同の姿勢を顧みると、私がもにょんとした印象を持ったことは理解されるかもしれない。

 共同以外で国内報道をしたのは産経だった。読めばわかるが、いかにも産経ネタの彩りに満ちている。別の言い方をすれば、他の大手メディアでの報道は見当たらなかった。産経は中国の反応を待たず21日報道している。「中国不法漁船を爆破 インドネシアが「弱腰」から「見せしめ」に」(参照)である。


【シンガポール=吉村英輝】インドネシアは20日、領海内で不法操業をしていたとして拿捕(だほ)した中国漁船を海上で爆破した。地元メディアが21日、一斉に報じた。「海洋国家」を目指すジョコ政権はその一環として、不法操業船の取り締まりを強化、「見せしめ」として外国籍の違法漁船を爆破してきたが、中国漁船への対応には慎重だった。
 スシ海洋・水産相は20日、植民地時代のインドネシアで最初の民族団体が結成された日にちなんだ「民族覚醒(かくせい)の日」の演説で、「大統領の命令で、法に基づく措置を執行する」と述べ、違反が確定した外国漁船41隻の爆破を発表した。
 爆破は船から乗組員を下ろした後で海軍などが行った。報道によると、うち1隻は中国漁船(300トン)で、カリマンタン島西沖で少量の爆発物で沈めた。
 インドネシア近海は豊富な漁業資源に恵まれ、外国漁船の違法操業が野放し状態になっていた。ジョコ大統領は取り締まりを指示、今年3月までに外国漁船計18隻を爆破した。だが、20隻以上摘発した中国籍の船は爆破せず、議会などから「弱腰」との批判が出ていた。中国漁船の爆破は今回が初めてとみられる。
 今回、他に爆破した漁船は、ベトナム5隻、タイ2隻、フィリピン11隻など。
 ジョコ氏は、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部加盟国が中国と領有権を争う南シナ海問題で「法に基づく解決」を主張。インドネシア自身は中国と領有権問題はないとしているが、中国が領海域と主張する「九段線」がナトゥナ諸島を含めている可能性が強く、警戒を強めている。
 中国外務省の洪磊報道官は21日の定例記者会見で、中国漁船爆破について、「建設的に漁業協力を推進し、中国企業の合法で正当な権益を保証するよう望んできた」と不満を示し、インドネシア側に説明を求めたことを明かした。

 引用を長くしたのは全体にいろいろ要点が散らばっているからである。
 まず、爆破の当日がインドネシアの「民族覚醒の日」であったことは重要である。「違法漁業を厳しく取り締まる」ということもだが、極めてナショナリズムの強い意味合いがあったことは明白である。
 だだし、この中国に向けられたインドネシアのナショナリズムの意味合いには留保的なトーンが見られる。従来も外国漁船を爆破していたが、中国船は除かれていた。しかも中国船は一隻だったという点である。つまり、今回の中国不法漁船を爆破はインドネシア政府から中国政府に向けた極めて政治的なメッセージ性があったと言える。なお、中国不法漁船はインドネシアには他も多数ある(参照)。
 ではそのメッセージ性は何かだが、産経は「インドネシア自身は中国と領有権問題はないとしているが」という留保を挙げながら、「中国が領海域と主張する「九段線」がナトゥナ諸島を含めている可能性が強く、警戒を強めている」と読んでいるがおそらくこれは正しいだろう。
 というのは産経は報道していないが、この一隻には重要な意味があった。ジャカルタポストによれば(参照)、同船「Gui Xei Yu 12661」は、2009年に6月20日、現在中国とASEAN諸国が領土問題でもめている南シナ海("a flashpoint of territorial conflict between China and several ASEAN nations")であったことだ。EEZの違反というよりは、領土問題についてのインドネシア政府側のメッセージがありそうだ。
 この事態について国内報道を見ているついでに、掲示板などで産経の記事の煽りを真に受けて、日本も中国に対して弱腰でなくやれといった意見をいくつか見かけた。だが、今回のインドネシアの対応の要点は、弱腰とかではなく、上手なメッセージ性にあったと見たほうがよいだろう。インドネシアとしては中国との友好は維持しつつも南シナ海への海洋侵出に反感を持っていることを暗黙に伝えたと読める。
 
 

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2015.05.28

WHO(世界保健機関)改革の裏側

 WHO(世界保健機関)改革が実施されようとしている。この件について、国内報道を見ていると、特に意図もなく単に報道陣に背景知識がないからではないかと思うが、国際社会ではよく知られている問題意識が抜け落ちているような印象があった。この問題については日本でも識者がいるので、そうした方面から詳しい説明がいずれ出るのかもしれないが、現時点で備忘をかねて言及しておく。
 WHO(世界保健機関)改革の報道は国内でもあった。例えば、朝日新聞「WHO、エボラ熱の教訓受けて組織改革 年次総会で表明」(参照)より。


 世界保健機関(WHO)は、西アフリカでのエボラ出血熱に対する初動遅れを受けて、即応態勢を備える組織改革をする。チャン事務局長がスイス・ジュネーブで18日に始まった年次総会で表明した。
 エボラ出血熱については、昨年3月に大流行の兆候が判明。国際NGO「国境なき医師団」などが直ちに現地で活動を始めたのに対し、WHOは同年8月になるまで「公衆衛生上の国際的緊急事態」を宣言しなかった。この初動の遅さや背景にある組織内の指揮系統の複雑さ、国連内外の組織との連携の悪さなどが批判されてきた。

 また日経「WHO、緊急対応へ120億円基金 エボラ教訓に改革」(参照

【ジュネーブ=原克彦】西アフリカで多くの死者が出たエボラ出血熱を教訓に、世界保健機関(WHO)が改革に乗り出す。26日に最終日を迎えるジュネーブでのWHO総会では財源確保のために1億ドル(約120億円)規模の基金の創設を決めたほか、他の国際機関や人道支援団体などとの連携のあり方を議論した。ただ、途上国の貧弱な医療体制の改善が先決との意見も多く、再発防止に向けた課題は多い。

 朝日も日経も会員以外は報道の全文が読めない。後半の展開はわからないので、この報道について言及は控えたいが、後で示す海外報道の出だしと比較するとその差は興味深い。
 AFPの報道もあった。「WHO、組織改革を発表 エボラ危機の教訓受け」(参照)より。

【5月19日 AFP】世界保健機関(WHO)は、西アフリカで昨年起きたエボラ出血熱の流行への対応の遅さに対する批判を受け、緊急事態対応の抜本的改革を年内に実行する。WHOのマーガレット・チャン(Margaret Chan)事務局長が、スイス・ジュネーブ(Geneva)の本部で18日に開幕した年次総会(World Health Assembly)で発表した。
 チャン事務総長は、危機が発生した際にWHOがより敏速に効果的に対応できるよう「抜本的な改革」を行うことを決意したと言明。今後、危機的事態が発生した際に備えて「任意の柔軟な拠出によって」即時に調達可能な資金を用意する1億ドル(約120億円)規模の緊急用積立金の創設を呼び掛けたと述べた。またWHOは、事務総長に直接報告を行う公衆衛生緊急事態のための共同プログラムも発足させるという。
 またチャン事務総長は、WHOの緊急対応スタッフの技量を、物資調達の専門家や医療人類学者、リスクコミュニケーションの専門家などを加えることで強化する方針を示した。エボラ危機では、コミュニケーションの不足と流行発生地域の住民の伝統や習慣に対する理解不足によって、患者の隔離や伝染力の高い遺体の安全な埋葬方法に対し、地域の広範な抵抗を招いたと非難されている。
 さらにチャン事務総長は、16~17年度の予算を前年比10%増の44億ドル(約5300億円)とし、うち2億3600万ドル(約280億円)を監視・対応能力の拡充にまわすことを提案した。(c)AFP

 全文を引用したのは、全文に渡ってマーガレット・チャンWHO事務局長の名前があることを示すためである。この話題の焦点は、彼女にある。また、文脈からわかるように、改革の必要性は、彼女の運営下のWHOがエボラ危機に事実上失敗したことであり、覆われた修辞を除けば、ようするにチャン事務局長への批判であり、国際社会としてもただ彼女を批判しても今後の対応ができないことから、改革案とカネを出すという形にした、ということである。
 改革という点から見ると、実際にはエボラ危機はとりあえず最悪の予想を脱し克服したかに見えるその対応手法の実績があり、実際には、その対応手法をWHOに含ませるという意味合いもある。
 その前に、今回の年次総会でチャン事務局長のメンツを潰さずに前向きの改革の方向性を付けた立役者は、総会議長を務めるドイツのアンジェラ・メルケル首相であったことを特記しておきたい。議長なのだから当然とはいえ、この問題を国際社会の場に組み込んだ力業はみごとなもので、その他の点でもフォーブスによる「世界で最も影響力のある女性」の第一位に五年間通じて選出されたのもうなづける(参照)。
 メルケル首相の立ち位置は、英国のリベラル紙ガーディアンが報道している。「Plan to reform WHO after Ebola to be unveiled by Angela Merkel(アンゲラ・メルケルが公開するるエボラ出血熱の後のWHO改革計画)」(参照)。また、インターナショナル・ビジネス・タイムス「At World Health Assembly, World Health Organization Makes Plans For Change After 'Catastrophic' Response To Ebola Virus Outbreak(世界保健機構は世界保健総会で、エボラ出血熱ウイルス発生の「壊滅的な」反応後の変革計画を作る)」(参照)でも冒頭からメルケルの話題で始まっている。
 ただしどちらの記事も、チャン事務局長の事実上の失態には触れていない。この点は実際には、彼女の出身である香港を通して中国に対する国際社会の配慮もあると見てよいだろう。国際社会としてはできるだけ、中国の人材を国際社会の行政的機関に関連させたいと願っているが、現実の国際社会は中国国内のように政治的闘争に明け暮れていればいいわけではなく、本当の実力者が求められる。
 WHOの改革だが、従来からも「改革」が叫ばれていたが、それらが有効性を持たないでいたのは、どの行政でもそうだが、現実プランを持たない改革は絵空事になるからである。ところが今回のWHO改革では、エボラ出血熱対応において現実の改革を率先した国連エボラ緊急対応ミッション(UNMEER)が存在していた。
 UNMEERについては国連の広報センターに解説がある(参照)。簡素だが実はかなり興味深い説明である。

 国連エボラ緊急対応ミッション(UN Mission for Ebola Emergency Response UNMEER)が西アフリカで感染が広がるエボラ出血熱への対応のために設置され、展開しています。
 UNMEERは、公衆衛生に関して、国連が設置する初のミッションです。
 同ミッションの活動期間は限定的です。エボラ出血熱との闘いに関する緊急ニーズに対応します。
 設立の経緯としては、まず潘基文事務総長が2014年9月17日、国連総会と安保理宛てに書簡(A/69/389-S/2014/679[別窓])を送付し、同ミッションを設置する意向を示しました。同月19日、総会69/1[別窓]が決議を全会一致で採択し、これを歓迎したことを受けて、事務総長がミッションを設置しました。
 同ミッションは、エボラ出血熱の広がりを止めたり、感染者を治療したりすべく、迅速、効率的かつ一貫した行動のための業務的な枠組み、および統一した目的を提供します
 国連システム調整官のデビッド・ナバロ氏が戦略的なガイダンスを提供します。
 そして、事務総長特別代表が同ミッションを業務的に率います。アンソニー・バンベリー氏(Anthony Banbury)が事務総長によってその職に任命されています。
 同ミッションは、国連システム全体、とくに世界保健機関(WHO)の支援のもと、国連加盟諸国、地域諸機関、市民社会、民間セクターと密接に協力し、活動を展開します。

 ざっと読むとわかりにくいが、国際的な危機にWHOの対応が不能になったので、国連が直に関与するための「公衆衛生に関して、国連が設置する初のミッション」が形成された。WHOを上書きしたような事態になり、これがWHOと齟齬を起こさないように「事務総長特別代表」が設置された。つまり、国連事務総長名で動く特殊な組織が形成されたわけである。
 このミッションの意味合いなのだが、こういう表現はあまりよくないのだが、「国連総会と安保理宛てに書簡」という出だしからわかるように、事実上、国連軍的な相似性があり、いわば「連合国」出動という一種の軍事ミッションに近いものになっていた。
 誇張した文脈はよくないが、そう理解するとアンソニー・バンベリー氏の起用が理解できる。氏は米国出身1964年生まれで、2009年から国連平和維持活動(PKO)の現場支援担当の事務次長補を務めていた。以前は、1988年から1995年に、タイ国連国境救済事業やカンボジア国連暫定当局、ボスニア·ヘルツェゴビナ・クロアチア国際連合保護軍などで働いている。簡単に言えば、PKOの専門家であり、ロジスティックスの専門家でもあるが、基本的に軍事の専門家に近い。
 実際のところUNMEERは、軍事ミッションに近い国連=連合国の側面が現れた事例でもあり、そうしないとWHOでは直面できない国際危機には対応できなかった。
 日本では、軍隊=戦争、という先入観で語られることが多いが、戦闘地域の平和維持や今回のような感染症のアウトブレイクには、軍を当てることが有効になる。軍は、日本では武力集団としてまず理解されがちだが、兵站や医療の実態から見ても、動く食糧倉庫と動く病院でもある。
 日本が平和貢献をするのであれば、こうした動く食糧倉庫と動く病院を備えた軍事機能がより有効になる。
 WHOの改革後はそうした機能がより国際社会に求められるようにはなるだろう。ただし、もう一つの側面でいえば、人道危機にあっても、シリアやイラクが例になるが、政治・軍事的な地域への国連介入は難しいだろう。
 
 

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2015.05.27

日本の自衛隊が米豪軍事演習に初参加

 日本の自衛隊が米豪軍事演習に初参加するという話題を海外報道で見かけたが、国内ではあまり見当たらないのはなぜなんだろうと思って、ブログの記事を書いたら、その場で、ありゃ、私の勘違いとわかった。米豪共同訓練「タリスマン・セーバー」については、すでに大手紙などに18日に各種記事があった。というわけで、ちょっとおっちょこちょいすぎるブログ記事なので、改稿して以下。
 ただ、国際報道は25日以降に見えたこともあり、中国報道もそこから見える。中国網日本語版「日本が米豪合同演習に初参加、軍事協力を強化」(参照)より。


海外メディアは25日、米国とオーストラリアが今年7月上旬に実施する合同軍事演習に、日本が自衛隊を初めて派遣することになったと報じた。米海軍の「ロナルド・レーガン」空母は、8月に日本に駐留する予定だ。

この軍事演習には米国とオーストラリアの3万人規模の部隊が参加する。課目には、海上行動、上陸、特殊部隊の戦術、市街地戦などが含まれる。日本からは40人が参加。

シドニーのシンクタンク、ロイ研究所の国際安全研究室長は、「米国はこれを機に、同盟国の幅広い参与を促そうとしている」と分析した。

中谷元防衛相は、米豪合同軍事演習の参加目的は、両国との軍事協力の強化だと述べた。

これまでの報道によると、米海軍の「ロナルト・レーガン」空母が8月、駐留中の「ジョージ・ワシントン」空母と交代し、第7艦隊に加わりアジア太平洋に駐留することになった。

ロナルド・レーガンは2003年7月に就役した、米海軍の作戦能力が最も高い空母の一つとされている。米国に10隻あるニミッツ級原子力空母の中では、「ジョージ・H・W・ブッシュ」より先に配備された9番艦で、比較的新しい空母だ。

これは米海軍の「リバランス戦略」に向けた行動、昨年1月に発表された空母配備調整の一環と分析されている。この調整により米国は東アジアで空母の実力を維持し、太平洋で空母6隻態勢を維持することになる。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2015年5月26日


 中国がこの演習に関心をもって報道していること自体、すでに中国の文脈で話題になっている。Focus-asia「日本が初めて派兵へ、米豪合同軍事演習に参加―中国メディア」(参照)より。

26日付の中国メディア・人民網は、複数の海外メディアの報道を引用し、日本が初めて派兵して、7月初めに米国とオーストラリアの合同軍事演習に参加すると報じた。

日本側からは計40人が参加する程度だが、中国が南シナ海で岩礁を埋め立てて人工島を造成していることを受け、日米豪3カ国が団結を示すために決定したものとみられている。米国とオーストラリアは合わせて3万人あまりの部隊が参加し、海上作戦や上陸、特殊部隊戦や都市戦などの訓練を実施する。

ロイター通信によると、ローウィー国際政策研究所の国際安全室主任はこれについて、「米国の太平洋西部の同盟国のうち、日本は北部の拠点、オーストラリアは南部の拠点としての役割を担う」と分析している。中谷元・防衛相は「今回の演習参加は中国を念頭に置いたものではない。米豪両国との軍事協力を強化するためだ」と話している。

(編集翻訳 小豆沢紀子)


 該当の海外メディアの正体の一つはロイター、「Japan to join U.S., Australia war games amid growing China tensions」(参照)である。表題を見てもわるように、直訳的には「中国との緊張が高まるさなかの、日米豪の戦争ゲーム」である。
 ここでいう「中国の緊張」というのは、言うまでもない中国の海洋進出、つまり軍拡である。NHK「中国 アメリカの南沙諸島偵察強化に抗議」(参照)より。

また、中国のメディアは連日のように南シナ海の問題を取り上げていて、このうち中国共産党系の新聞「環球時報」は25日付けの紙面の社説で、アメリカがあくまでも浅瀬の埋め立ての停止を求めるのであれば「一戦は避けられない」と、米中の軍事衝突がありうると主張しています。一方で、社説は「南シナ海で平和を保てるか、戦闘が起きるのか、その責任はアメリカにある。アメリカが戦略上最低限の節度を保てば、情勢の危険度は限定的になる」として、事態をエスカレートさせる行動を取らないようアメリカ側に求めています。

 環球時報はけっこうお笑いメディアでもあるが、さすがに書かれていることはちょっとこれはないなという印象がある。ただこれは、環球時報だけの話題ではない。表現は抑えられているが、中国政府が国防白書でも踏み込まれている。NHK「米 中国の国防白書発表でけん制」(参照)より。

中国政府は26日、2年に1度の国防白書を発表し、各国が領有権を争う南シナ海に関して、「一部の域外の国が、南シナ海問題に全力で介入している」などとして、名指しは避けつつアメリカを非難するとともに、この問題で妥協しない姿勢を明確にしました。

 ようするに、中国が南シナ海を巡って戦争も辞さないと構えつつあり、また国内では日本が安全保障関連の法案の審議をしているさなかでの、「日米豪の戦争ゲーム」である。
 中国報道が孫引きしたロイター報道は重要だが、そこでにあって他の日本語報道で見えづらいのは、以下の部分だろう。

Some security experts say China might impose air and sea restrictions in the Spratlys once it completes construction work that includes at least one military airstrip. China has said it had every right to set up an Air Defence Identification Zone but that current conditions did not warrant one.


(南シナ海の島の埋め立てで)少なくとも一つ軍事滑走路を備えて工事が完了すれば、中国は南沙(Spratlys)で空路と海路に制限を課す可能性があると述べる安全保障専門家がいる。中国は、防空識別ゾーンを設定するためのあらゆる権利を有しているが現状は保証されないとは述べてきた。


 ごく簡単に言えば、中国が南沙諸島に滑走路を持てば、軍事進出は次の段階を迎えてしまう。そこで中国の海洋侵出を阻止するために米国が豪州と組んで軍事活動の示威をするというのが、今回の軍事演習の意味であり、日本がこれに初めて明瞭に組み込まれる。
 日本では18日ごろに報道されたため、この数日ではあまり見当たらない。その後の経緯を見てもそれほど国内で話題になっているふうでもない。気にはなるのでブログで触れておく。
 
 

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2015.05.26

[書評] 蓮池流韓国語入門(蓮池薫)

 前回のエントリーで、主に英語からの外来語について、ハングルとして「韓国語音韻の体系なかに取り込まれたか、その規則が気になるが、ざっと見たかぎり、よくわからない」と書いた。そう書いたものの、そんなものあるわけもないだろうと思う人も多いのではないかとも思っていた。だが、そうした「規則が気になる」という言語への感受性のあり方に私は一番関心を持っていた。そして、蓮池薫さんの『蓮池流韓国語入門』(参照)を実は念頭においていた。

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蓮池流韓国語入門
 同書は表題通り、蓮池薫さんによる『蓮池流韓国語入門』の書であるが、これは韓国語の入門書を超えて、言語に関心を持つ人や学者にとって、おそらく普遍的に興味深い書籍だろう。これは言語学習を発見していく物語になっているからだ。もっとも学問的に言えば、まったくのゼロのレベルから異国語を発見していくというものでもないし、日本語と韓国語は文法的に類縁の言語であるわけでもない。それでもなお、驚くべき本ではある。
 蓮池薫さんは、1978年7月31日、中央大学法学部3年在学中の夏休みに実家に帰省中、当時交際していた女性とともに北朝鮮に拉致された。彼は私と同い年だが現役の進学だった。優秀な学生だった。

 学習環境は決してよいとは言えなかった。
 まず、自分を拉致していった国の言葉など最初はとても勉強する気になれなかった。だが、招待所に閉じ込められるなか、時間をもてあますようになった。これから自分の運命がどうなるのかという不安と恐怖も付きまとっていた。一体、北朝鮮という国はどんな国であり、何を考えているのか? 今、自分はどういう立場に置かれており、これから自分の運命はどうなっていくのか。それを知るためにも、韓国語を学ぶ必要があると思い始めた。こうして韓国語の勉強が始まったのだ。
 最初に与えられた教材は会話ブック1冊だけだった。日本で作られたB6判程度の大きさのもので、1ページに同じ意味の4ケ国語の文章がずっと並んでいる。(中略)当然、本格的な韓国語学習はおぼつかない。

 これでは学習にならないということで、学習書を求めると、日韓両版の『金日成著作選集』を渡されたという。その後、辞書は与えられたがまともな教材はない状態で、北朝鮮のメディアのなかで学習を進めた。結果は驚くべきことだった。

 決して恵まれたとは言えない状況のなか、学習に励んだ。結果的に1年もしないうちに、大体のことは読み、書き、聞き、言うことができるようになっていた。昔学んだ英語とはあまりにかけ離れた「進歩ぶり」に私自身も驚いていた。

 本書はその要点を中心に、簡素に書かれている。
 これを読んで私も一年で韓国語が習得できるかといえば、無理だろうと思う。それでも、私も韓国語にぶつかってみて疑問に思ったこと考えたことは、蓮池さんが本書に書かれていたことをきれいになぞっていた。これは驚愕したと言っていい。冒頭触れた、韓国語への流入外来語の音声規則なども蓮池さんは本書できちんと考察している。
 ここで思わざるをえない。語学学習というのは何なのだろうか? これはしばしば、学習法として与える側として考えられる。単純なインストラクションの枠組みとして考えらるからだろう。そしてその枠組みからすれば、おそらくピンズラーの手法はもっとも合理的な体系に近いだろうは思われる。忘却曲線なども考慮されているからだ。
 しかし、語学学習というのは、原理的に、母語の習得能力の余剰を使って行われるのではないか。もちろん、その視点から考慮された語学学習法も存在する。いわく、母語のように学べと。しかし、これも原理的に言えば、母語は基本的に一つに固定すると他には動きにくい。このあたりは人間の種特性と言ってもよいだろう。
 それでも母語を持つものが異国語に触れたとき、ある違和感が一つの構造をなしてくる、その疑問の構造を満たすように語学教育は構成できるのではないだろうか、そういう視点が浮かびあがる。おそらく、ミシェル・トーマスはそこに着目している。彼の言語教育は、対象の生徒の母語と教える言語の接点から始まる。現状、日本語には、ミシェル・トーマス・メソッドの英語教育法は存在しないが、私はなんとなく予想できる。
 話を戻すと、蓮池さんは、韓国語に触れたとき、日本語の差違の疑問を構造的に満たす形で言語を習得したのだろう。
 そうした差違と学習の主要点となっているのが、音声であることも興味深い。本書はかなり明確に、発音の問題を取り上げている。

 あまり最初から、微妙な発音のことをうるさく言われたら、覚えられない。とりあえず「ウリ」でもいいのではないかと主張する人もいるかもしれない。もちろん最初から100%完璧に出来るはずがない。でも、最初だからこそ、発音の差をしっかり頭に入れておくべきである。いったん、日本語的発音が癖になってからでは、なかなか直せない。

 蓮池さんはそう説明するが、彼が短期に韓国語を習得できたのは、疑念からの学習法もだが、発音の結果的な重視があったからだろうと思う。
 ここで、しかし、私は奇妙なことを思った。以下は本書を読みながら、韓国語を学びながら私がぼんやりと考えたことである。
 それは疑念から始まる。韓国人・朝鮮人は、韓国語(朝鮮語)をきちんと発音できているのだろうか?
 言語学的に言えば、当然、きちんと発音している、というか、発音されている実態が「きちん」と同義で、発音の規範性はむしろ意味をなさない。だが、私が言いたいのは、そうではなく、ハングルという正書法が、発音の規範性を志向せざるを得ない点である。
 現状、「ㅐ」と「ㅔ」の母音音素対立は消えているように思える。これはむしろ、日本語の「え」に近い音に吸収されていくように見える。「ㅚ」「ㅟ」も音素対立としては存在していないだろう。おそらく現状の韓国語の母音は日本語の「アイウエオ」に近い「ㅏㅣㅡㅐㅗ」があり、これに「ㅓ」と「ㅜ」が付いているのだろう。蓮池さんの議論も実はそのことを結果的に述べているように受け取れる。
 私そこから疑問を発展して思っているのは、韓国語・朝鮮語は、日本語のような開母音構造の言語と膠着語の文法の言語が原形にあって、そこに中国語の語彙が入り、各種正書法で中国語の語彙の発音が定着され、固定化したが、もとの日本語のような言語に戻る傾向を持っているのではないか、ということだ。別の言い方をすれば、中国語を取り入れようとしてできた正書法が元の言語の特性を歪めた部分がある種の均衡になろうとしているように思えることだ。
 私は長く、岡田英弘説のように、日本語は、当時の朝鮮語(岡田は中国語の一種としている)の膠着語文法に、ポリネシア系の語を押し込んで作成した人工言語だと考えてきた。だがむしろ、日本語の原形のようなものがあり、百済か新羅の言葉は中国語とのピジン化でできたのではないだろうかと考えつつある。
 韓国語の起源は日本語だと言いたいわけではない。ただ、同型の言語の、中国語からの影響の差違が、日本語と韓国語を分けたのではないかと考えつつある。
 
 

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2015.05.25

英語をハングルで書けるか? その2

 英語をハングルで書けるか、という話を書くつもりが、前回は、そもそもハングルで他の言語が表記できるか、という一般論から展開した話になってしまった。確かにその前提がないと英語だって無理となるのだが、実際に英語をハングルで書けるかという話題でもなかった。じゃあ、どうなの?
 昨日そのエントリーを書いたあと、奇妙なサイトを発見した。失礼(실례)しました、ユニークというか興味深いというか。いわく「韓国語ができれば英語もわかる」(参照)というのである。誰が書いたのかと思ったら、アシアナ航空のスタッフさんらしい。趣向は「英語等のハングル表記から、そのもとの外来語を推定すると英語等の学習に役立つのでは、このシリーズは、そんな仮説にもとづいています」とのことだ。


「韓国語は日本語と語順が同じで漢字語も共通しているものが多いからいいが、英語はどうも……」といわれますが、日本語に英語等の外来語が多いように韓国語にも予想のほか英語等の語彙が多いのです。このシリーズでは、韓国語になった英語等の語彙を拾い、英語やカタカナ表記と対比していきます。

日本語母語者と韓国語母語者は、互いの英語の発音を聞いて、それが何を意味するか把握できなくて戸惑うことがあります。戸惑うだけでなく、相手の英語の発音を聞いて、自分が考えている発音とあまりにも異なるので、侮蔑するような嗤いを浮かべることすらあります。なぜでしょうか。

このシリーズでは、日本語英語と韓国語英語の発音の違いを認め、実際にそれがどういう形をとっているのか理解したいと考えています。語彙数が一定の量に達するまで、重複を恐れずにアップする作業を続け、日本語英語と韓国語英語のあいだにある法則性を最大限引き出したいと考えています。


 ということでかなりの量の、英語から韓国語への流入外来語のリストがある。それ自体でも面白いのだが、このリスト作成者さんの思い・考え方も興味深い。

前にも書きましたが、韓国語の表記には長音符号がありません。カタカナ英語で長音符号がついている単語の韓国語式表記や音を耳にすると、違和感が先立ちます。

サーバー、サービス、ユーザーがそれぞれ서버、서비스、유저になると、カタカナ英語と結び付かないことがあります。


 「서버」を日本語ローマ字風にすると「SOBO」になるし、音声もそれに近い。「ソボー」うーん、粗暴? 「서비스」は、「SOBISU」だが、「ㅡ」というか「으」は、「う」より「ぇ」みたいに聞こえる。うんとぉ、寂しぇ? 「유저」は、「YUJO」だが、湯じゃ、に聞こえる。まとめると、「서버、서비스、유저」は、音の感じでは日本人には「粗暴、寂しぃ、湯じゃ」に近いだろうか。英米人にはどうかというとわからないが、たぶん、「Shovel, So bit she, You just」のように聞こえるのではないだろうか。
 前回も触れたが、韓国語(朝鮮語)には有声唇歯摩擦音(V)がないのは日本語と同じ。しかし、長音がない、Vがない、ということが、これらの音変化を充分に説明しているわけでもない。英語の響きとあまり似てない印象もあるが、それでも英語の表記をハングルに移したとは言えないだろう。
 「Service」という表記の音韻をハングルに転写すると、おそらく、「설빗」(seolbis)となるだろう。韓国語(朝鮮語)には日本語同様、RとLもないので、そこは「ㄹ」で補うとする。また、シュワ音もないので、そこは「어」としてみたわけである。
 つまり、「Service」は、転写式には「설빗」(seolbis)だが、実際には「서비스」(seobiseu)になっている。この差の大きな部分は、「S」音が母音を伴った「스」に転記されることだ。日本語のように母音で終わるモーラの言語の場合、外来語末に母音が現れるのは当然だが、韓国語でなぜ似たような現象が起こるのだろうか?
 この点は、他に「Speaker」を例にすると面白い。ハングルでは「스피커」(seupikeo)なる。語頭の「SP」において、「S」一音がハングル「스」に対応し、「pea・ker」として「피커」に対応する。基本的に日本語の「ス・ピー・カー」と同じ対応になっており、むしろ、これは英語から日本語カタカナに転写したものをハングルに転写した見てもよさそうに思える。あるいは、ハングルはもともと中国語を移すように出来た仕組みなので、[sp]といった子音が重なるクラスターは原理的に表記できないのかもしれない。
 音の対応では、「p/f」でも困難が現れる。

포인트はポイント(point)ですが、폰트はフォント(font, 書体)です。스마트폰はスマホのことです。ハングルでは[p]と[f]が同じ表記なので混乱します。

 これらの韓国語の英語からの外来語がどのように韓国語音韻の体系なかに取り込まれたか、その規則が気になるが、ざっと見たかぎり、よくわからない。この点は日本語でも同じで、日本語にも英語外来語の転写規則はない。日本語の場合は、英語スペリングのローマ字読みという規則のようなものがあり、「Launcher」などは、しばしば「ラウンチャー」とか読まれていた。韓国語でも、「Noam Chomsky」が、「노엄 촘스키」(noam chomseuki)として「ㅓ」が出現するのも表記に引っ張られたと見てよいだろう。先のブログでは「韓国語の表記は文字からではなく、英語の発音と対応するからです」としているがそうとも思えない。音価主義の面からは次のようにも述べられているが……。

たとえば、hamburger[hӕmb3:rgə(r)]に対するハンバーガーと햄버거です。MacArthur [mǽkɑ́ːrθər] もよく例にあげられます。日本語はマッカーサーで韓国語は맥아더です。 米国人に確認しましたが、いずれも韓国語のほうが英語の発音に近いとのことです。

 日本人的には、「ヘンボコ」「メガタ」には聞こえる。
 先のアシアナのブログではいろいろ面白い示唆があるがこれもそうだ。

ポータル|포털、メディア|미디어、ペーパー|페이퍼、サービス|서비스、プラットホーム|플랫폼、ネーバー|네이버、ポータル|포털、アジェンダ|어젠다など、日本語のアが韓国語でㅓになることが多くみられます。

 批判や非難の意図はないのだが、元来のテーマが「韓国語ができれば英語もわかる」であり、英語の外来語がどのように韓国語・ハングル化するかなのだが、ここでは、「日本語のアが韓国語でㅓになる」とあるように、暗黙に、英語→日本語→韓国語のバスが想定されている。揚げ足取りではないが、そのように想定したほうがよいかもしれない。英語外来語ではないが、日本語での「アンデルセン」は韓国語で「안데르센」(andeleusen)なのも日本語を経由したように思える。
 いろいろと興味深いのだが、意外に思える指摘もある。

例えば、다채널は다が多、채널はchannelですが、分かち書きしていないと、すぐには理解しにくいですね。

 ここではそれ以上の解説はないが、「다채널」の「다채」だけ見ると、「多彩」の意味になる。「널」は「너를」(君を)の意味になる。そうした誤解がないように分かち書きを示唆しているのだろう。が、そもそも「다채널」は分かち書きにすべきなのだろうか? もちろん、ここでは分かち書きにしないとわかりにくいという指摘であって、分かち書きが正書法ということでない。
 分かち書きについては、例えば、「user interface」が「유저 인터페이스」となるようには使われている。気になって、韓国語の分かち書きの正書法がどうなっているのか改めて調べてみたが、いろいろ複雑だ。ざっとした印象でいうと、助字の扱いは日本語的で、語の扱いは欧文的に思えた。いずれにせよ、ハングルは、中国語のようにべたっと並べて書くことは基本的にできないと見てよく、外来語ではその傾向が現れやすい。
 余談だが、「다채널」(多チャンネル)だが、この「다」について、先のブログでは「多」を当てているのだが、これは日本語ではないか?とふと疑問に思った、が、ハングルの漢字対応でも「多」になっていたので、外来語の造語法が日本語とたまたま同じなのかもしれない。
 だらだらと続けるつもりはないが、もう一つだけ続ける。

에이비시、비비시、시엔엔は ABC、BBC、CNNです。NHKは엔 에이치 케이と表記するようです。Aが에이、Hが에이치になるのは日本語より英語に近いですね。データは데타ではなく데이터、ゲーム(game)は게임、メーク(make)は메이크ですから、日本語のカタカナ表記と比べ、はるかに英語の発音に近いのです。

 ここで「Aが에이、Hが에이치になるのは日本語より英語に近いですね」とあり、それを否定するものではないが、英語のこれらの「ei」の部分は二重母音なので、「에이」と二つの字母に分けてしまうのが英語に近いと言えるかは疑問が残る。ただ、ここで英語に近いとしているのは、「NHK」の「H」は「エッチ」との対応かもしれない。それでいうと、「Data」は日本語では「データ」でこの母音については日本語のほうが英語に近いだろう。
 さて、とりあえずの結論を出すと、英語をハングルで書けるか?だが、英語の正書法に引っ張られないとしても、ハングルには次のような制約がある。

     
  1. 英語表記には字母が足りない  
  2. 初音+母音+パッチムという構造で英単語を切るが、その切り方の規則はない  
  3. 同字子母が母音に挟まれると有声音化することがあるがこれを避けると表記が複雑になる  
  4. 漢字由来の語彙と簡単には区別が付かない

 ということは言えそうだ。しいて結論に結びつければ、英語をハングルで書くのはかなり困難だろう。
 あと、いろいろ見て思ったのだが、すでに触れたが、ハングルの場合、欧米語の外来語がそのままハングルなので一目見ただけでは、外来語であるかはわかりづらい。おそらく、かなりハングルになれていけば、ハングルの組み合わせから、元の字が漢字由来でないことはわかるかもしれないが、かなり難しいだろう。
 その点、現代日本語で欧米系の外来語をカタカナに押し込んだのは、慣れてしまえば、外来語の明示となってわかりやすいものだなと実感した。
 
 

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2015.05.24

英語をハングルで書けるか? その1

 英語をハングルで書けるか? と言われても、何を言っているかわからないだろうと思う。というのは、ハングル=韓国語(朝鮮語)というイメージが定着しているからだ。ハングルを使う韓国人も、英語についてはそう思っているかもしれないが、原理的には、ハングルは別段、韓国語(朝鮮語)を表記するための書記体系とは限らない。
 その前にハングルが世界でもっとも優れた文字であるという説があることを確認しておきたい。2012年の聯合ニュース「固有文字の優秀さ競う世界大会 ハングルが金メダル」(参照)より。


 第2回世界文字オリンピックが1~4日にタイのバンコクで開かれ、ハングルが金メダルを獲得した。
 世界文字学会が9日、明らかにした。2位はインドで用いられるテルグ文字、3位はアルファベットだった。
 自国で生み出された文字を使うか他国の文字を借用、改造して使っている国の学者が参加し、それぞれの文字の優秀さを競うという民間レベルの大会。文字の起源や構造・形、文字数、独立性などのほか、応用と開発の余地も重要な評価要素となる。
 今年はドイツやスペイン、ポルトガル、ギリシャなど27カ国から学者が参加し、自国の文字について発表した。
 2009年10月に16カ国から参加者があった第1回大会でもハングルが1位で、ギリシャ、イタリアの文字が続いた。
 今大会の執行委員長を務めたイ・ヤンハ元駐レバノン大使は「アルファベットで表現できる音は300前後だが、ハングルの24字は理論上1万1000、実際には8700程度の音を出せるという。短時間での情報伝達力は他の追随を許さない」と説明した。
 参加者は大会の最終日に「バンコク宣言文」を発表した。自国の大学に韓国語の専門学科や短期コースを設置するなど、ハングルの普及に努める方針を示した。

 第2回に日本語の文字が参加したかはわからないが、当時のキリスト教タイムズよると(参照)第1回では参加していた。残念ながら入賞もしなかったようだ。ここでもハングルが優れた理由も語られている。漢字を補ってみる。

특별(特別)히 한글(ハングル) 발제(発題)를 맡은 이현복(李炫馥) 박사(博士)(서울대학교 명예교수(ソウル大学名誉教授))는 한글(ハングル) 창제(創製)의 역사적의의(歴史的意義)를 중심(中心)으로 한글(ハングル)의 언어학적특징(言語学的特徴)을 설명(説明)해 나갔다. 또한 한글(ハングル)을 중심(中心)으로 만들어진 국제음성기호(国際音声記号)를 예(例)로 들음으로써, 누구나 쉽게 발음(発音)을 이해(理解)할 수 있는 한글(ハングル)의 장점(長点)을 설명(説明)했다. 이현복 박사(李炫馥博士)에 따르면, 한글(ハングル)이 가장 과학적(科学的)이며 편리(便利)한 언어(言語)가 될 수 있는 이유(理由)는 무엇보다도, 한글(ハングル)의 각낱말(各単語)들이 각각(各々)의 소리를 내는 음성학적특징(音声学的特徴)을 가시적으(可視的)로 보여준다는 데에 있다. 한글(ハングル)의 각형태(各形態)는 인간(人間)의 입, 혀의 위치(位置) 등을 고려(考慮)하여 만들어 졌기 때문에, 특정(特定)한 소리와 입 모양을 동시(同時)에 이해(理解)할 수 있는 장점(長点)을 가진다.

特別にハングル発題を受けた李炫馥博士(ソウル大学名誉教授)は、ハングル創製の歴史的意義を中心にハングルの言語学的特徴を説明した。また、ハングルを中心に作られた国際音声記号を例で聞くことで、誰でも簡単に発音を理解できるハングルの長所を説明した。炫馥博士によると、ハングルが最も科学的で便利な言語になることができる理由は、何よりハングルの各単語が各々の音を出す音声学的特徴を可視的に見せることであるある。ハングルの各形態は、人間の口、舌の位置などを考慮して作られたので、特定の音と口の形を同時に理解できる長所をもつ


 ハングルが世界でもっとも優れた言語であることの理由は、人間音声の正確な記述能力にあると言ってよさそうだ。このため、ハングルを世界に広めようと、まず文字を持たない言語への普及が推進されたことがある。最初の対象になったのは、インドネシアスラウェシ島沖にあるブトゥン島のネアチア語である。2009年中央日報コラム「初めて輸出されたハングル、世界公用文字になるか」(参照)より。

ハングルが初めて海外の少数民族の公式文字に採択された(本紙8月7日付記事参照)。インドネシア・スラウェシ州バウバウ市に住むチアチア族は、独自の言語を持っているがこれを表記する文字がなく、言語が消滅する危機にさらされていた。訓民正音学会の努力でチアチア族の生徒らはハングルで書かれた教科書を通じて民族語を学び、彼らの文化と伝統をつなげていけるようになった。
最初のハングル輸出後、残る課題を問う記事もある。学びやすく科学的なハングルの優秀性は認めるが、本当に世界化を果たすためにはハングルでできた高級コンテンツの開発に力を入れるべきとの指摘だ。2つの記事を読んでハングルの世界化の意味について考えてみよう。

① ハングルは音と文字が1対1で対応する唯一の表記手段だ。英語もハングルのように音を記号として示す表音文字だが、ハングルと違い発音記号を別に使用している。
ハングルの正確な表音性は創製当時から強調された。集賢殿(チプヒョンジョン、朝鮮時代の宮中に置かれた学問研究機関)の学者だった鄭麟趾(チョン・インジ、1396~1478)は、「訓民正音解例」の序文を通じ、「ニワトリの鳴き声まで表記できる文字」と完璧な表音文字を作り出した自信を示した。少数民族の言語が持つ多様で独特な発音を混乱なく表記する最適の条件を持っているということだ。
チアチア語の教科書を作ったソウル大学言語学科のイ・ホヨン教授は、「伸張した国力と韓流の影響が大きかった」と語る。

② ハングル輸出の目的と意味は
7000余りに達する世界の言語のうち、半分は2100年までに消滅する危機に置かれているとワシントンポストが3月に報じている。国連教育科学文化機関(ユネスコ)は「ひとつの言語が消滅すれば、われわれは人間の思考と世界観について認識し理解する道具を永遠に失うことになる」と警告した。
世界の言語学界は消滅危機にある少数民族の言語を保存し、教育するのに力を入れている。ハングルが担当すべき役割がここにある。独自の文字がない少数民族の言語をハングルで記録することで、人類の文化の多様性を維持するのに寄与できるという意味だ。

③ ハングルの世界化に向けた課題は
小説「大地」の作家、パール・バック(1892~1973)はハングルについて、「24個の単純なアルファベットと数種類の組み合わせの規則だけで無限に近い音を表現できる驚くべき言語」だと称賛した。こうしたハングルの科学的で簡潔な体系のおかげで韓国の非識字率は1%にも満たない。ユネスコが世宗(セジョン)大王の誕生日である9月8日を「国際識字デー」にし、識字に寄与した個人と団体に授与する賞を「世宗大王文解賞」と定めた理由だ。
ハングルの優秀性が表記手段の側面にだけとどまってはいけない。チアチア族がハングルを受け入れるのには韓流の力が大きかったというように、ハングルで疎通できる質の高い文化コンテンツを開発していくことが重要だ。文字の科学性だけ強調する代わりに優秀なコンテンツで韓国と韓国文化に対する好感度を高めることがハングルの世界の礎石になるということだ。


 興味深い試みだったが、現状はうまく進展していないようだ。昨年、毎日新聞外信部副部長兼論説委員、澤田克己・前ソウル支局長も関心を持っていた。「韓国人のハングルへの思い入れ」(参照)より。

 2011年に2回目のソウル勤務を始めた私は、このニュースの「その後」が気になって取材してみた。新聞というのは「新鮮なニュース」が優先されるので、数年前の話題を追っても記事にできるとは限らない。この時は実際、記事にできなかったのだが、それでも取材してみたかった。そもそも、誰が、どんな考えで、こんな事業を始めたのだろうかと不思議に思っていたからだ。

 記事にはこの運動の背景について語られているが、進展しない理由には触れていない。主要な要因は資金不足だったようだ。2012年中央日報「突然支援を絶たれたチアチア族のハングル教育」(参照)より。

主な理由は財政問題だ。世宗学堂は文化体育観光部と韓国語世界化財団が世界各地に設立する韓国語教育機関だ。しかし運営機関である慶北大学が財政難を訴え撤収を決めた。慶北大学側は、「世宗学堂運営予算は文化体育観光部の支援金3400万ウォン(約239万円)と慶北大学の予算3600万ウォンの7000万ウォンだけだった」と話した。だが、実際には講師の人件費と教材費、機資材費などに最低1億ウォンが必要だった。このため最小授業時間だけをやっと満たして講義したという。世宗学堂運営を総括した慶北大学英語教育科のイ・イェシク教授は、「7月に直接文化体育観光部を訪ね財政的・行政的支援を要請したが何の返答もなかった」と話した。

 しかし、国家が本腰を入れればそれほど難しい問題でもないようにも思われるので、韓国政府側としてハングルの国際化には消極的だったと見てよいかもしれない。
 私はこの運動が頓挫した状態は残念なことではないかと思う。ハングルが世界でもっとも優れた文字であるという評価については、国際的に定まったものではないようにも思えるが、その音声学的な記述と習得のしやすさは原理的に内包している表記体系だろう。
 なにより、実際にこうした合理的と思われる表記系を任意の言語に適用するとどのような事態になるのかということは、言語学的にも興味深い。その適応の詳細は、東京外国語大学の趙義成氏が「チアチア語のハングル表記体系について」(参照PDF)でまとめていて、概要がわかりやすい。
 まず、対象のチアチア語だがざっと見る範囲では、母音構造は日本語に似た5母音で音節は開母音。なので、ハングルの文字種には問題ないだろう。子音については、日本語と同様に有声唇歯摩擦音(V)がないが、これは新規にㅸが当てられたようだ。気になるのは朝鮮語は日本語と同じでいわゆるLとRの区別がないが、この点については、Lに新規に「ᄙ」を当てたようだ。字母としては問題ないだろうと思ったが、ここまで理解した時点で私は、ちょっとやな予感がした。
 日本語のハングル転写規則でも、破裂音について語頭と母音に挟まれた環境で字母の書き分けを行うのだが、これがチアチア語にも適用されてしまうのではないかということである。日本語のハングル転写規則は基本的に、転写後を韓国人(朝鮮人)が理解するために音価主義が採られてよいのだが、チアチア語の正書法にそうした配慮を持ち込むと、それを使うはずのチアチア族にしてみると音韻体系の理解が混乱する。
 この点はどうかと見ていくとと、残念ながら悪い予想が当たっていた。先の趙義成氏の考察で触れられていた。言語学としてはごく初歩的な指摘とも言えるが、逆に今回のハングル普及運動では、そうした配慮なく朝鮮語の音価主義を持ち込んだことは、結果としては残念だった。
 加えて、思ったことがある。チアチア語のような比較的簡素な音韻構造をもつ言語であれば(音の構造が簡単であるとは限らないが)、ラテン字母でも問題ないだろうし、なにより、開母音構造をもった言語では日本語の仮名のほうが記法の効率を含めて合理的ではないか、ということだ。
 いずれにせよ、音価主義を採らなければ、ハングルを使って各国の言語の書記体系にすることは可能と思われる。そして、この機に英語の固有名詞のハングル転写を見てみた。そこで思ったのは、英語をハングルに収めようとするために、元の言語にパッチムの振り分けを行うように見える面白い現象だった。
 ということで、実は、その問題を「英語をハングルで書けるか?」として議論したかったのだが、前書きが長くなってしまったので別の機会としたい。
 だったら、表題を変えろよとも思うが、ブログだから、まあいいじゃないですか。ということで、とりあえず「その1」としておきます。
 
 

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2015.05.23

韓国語から日本語をどのように読み出すか?

 韓国語の数字を学んでいて思った。韓国語から日本語をどのように読み出すか? 話はそういう次第なのでまず数詞から。
 韓国語も日本語と同様、数を数えるときに、母語の数詞と漢字に由来する数詞の二系がある。ここでは漢数字に注目。日本語で言えば、イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウがあたる。韓国語の場合は、일(イル)、이(イ)、삼(サム)、사(サ)、오(オ)、육(ユク)、칠(チル)、팔(パル)、구(ク)、십(シプ)となる。
 起源は漢字の数字なので、その意味では同語源になるはずだが、日本と朝鮮がどの時代のどの地域の漢数字を取り入れて、どのように音変化したか、については、私は調べていない。基本は同じだろうというくらいしか関心がなかった。
 それでも中国語の基本も学んでいるので、自然に現代中国語との比較が頭に浮かぶ。1(yī)、2('èr)、3(sān)、4(sì)、5(wǔ)、6(liù)、7(qī)、8(bā)、9(jiǔ)、10(shí)である。
 現代中国語は入声音が失われているが、中国と歴史的に関連の深い周辺地域の言語にはその片鱗が残り、朝鮮語にも日本語にも残っている。例えば、日本語の「ハチ(/hati/)」は呉音だが中古音の[pat]の[t]を残したものだろう。これが朝鮮語(韓国語)では、팔(/pal/)になる。朝鮮語では、[t]の入声音は、ㄹのパッチムに対応する。
 日本語の「十」は古語では呉音の「ジフ」であり、/zifu/のようになる。日本語では入声音は後続の子音によって促音になるという規則があり、このため、「分(フン)」が後続すると、「ジフ」+「フン」=「ジップン」となる。これがいちおう正しい日本語だということで、現代でもNHKのアナウンサーはニュースなどではそう発音している。ので、注意して聞いてみると面白い。ただし、旧仮名遣いを忘れた現代日本人はもう「ジフ」の入声音を知らないので、「ジュウ」+「フン」=「ジュップン」となることが多い。国語行政的には「ジップンというのを正しい日本語の選択として残したいこともあり、常用漢字音訓表には「ジュウ」「ジッ」「とお」「と」の4種類が残っている。この「ジッ」は入声音への配慮である。
 朝鮮語(韓国語)でも、「十」は십(シプ)で入声音を残している。「十分」は「십분」なので「ㅂ」の連続で自然に日本語の拗音のように聞こえる。
 面白いなと思ったのは、朝鮮語の6の육(ユク)である。これは、北朝鮮の「李」さんが「li(리)」だけど韓国では「이(イ)」になるように、初音のㄹが脱落したものだろう。と思っていると、「육」も語中では「륙」が現れることもあるようだ。
 こうしたことをつらつら思っていると、ハングルのパッチムから逆に漢字音の推定が規則的に出来そうだなと思うようになり、さらに、これはグリムの法則みたいに、ハングルから漢字音の想定が規則的に出来そうに思えてきた。
 とはいえ中国の中古音に戻しても実用的ではないから、中抜きで、ハングルから日本語の漢字音への変換規則が存在するだろうか、と思ったのである。なお、この規則はグリムの法則みたいに祖語の変化の規則ではなく、あくまで便宜的なものである。
 もうちょっと言うと、ハングルの読みかたの規則を変えれば、日本語の漢字音が出てくるなら、つまりは韓国語から日本語が読み出せるのではないかと思ったのである。
 そう思って、1を意味する、漢字の一(yī)、日本語のイチ、ハングルの일(イル)を見ていると、ハングルのパッチム「ㄹ」は、日本語の「チ」へ組織的に変化できそうなので、これは、「日(ニチ)」と「일(イル)」でも言えるだろうと連想した。일(イル)は、닐(ニル)の変化形だろう。そこで、「金日成」を連想する。「キムイルソン」から「キンニッセイ」が導出できるだろうか。やってみよう。
 「金日成」はハングルで「김일성」である。
 「金」については、「김」の「ㅁ(m)」のパッチムが日本語漢字では「ン」になる。そこで「キン」になる。これは簡単。次に「일」は「닐」で、「ㄹ」は、日本語の「チ」へ変化するから、「ニチ」。
 難しそうなのは「성」だが、韓国語ローマ字で「seong」だが、原語の漢字の中国語では"ong"音は日本語で「ウ」に対応し鼻音が消える法則性がある。「南(nán)」は「ナン」だが、「東(dōng)」は日本語では「トン」ではなく「トウ」になる。「春(chūn)」は「シュン」だが、「冬(dōng)」は「トウ」。同様に、「音(yīn)」は「イン」で、「英(yīng)」は「エイ」になる。同じことが朝鮮語の鼻音パッチム「ㅇ」にもあてはまるだろう。なので、この規則だけだと、「성」から「ソイ」のようなものが出来る。
 ここでもう一つ、日本人には「オ」に聞こえる「ㅓ」だが、韓国語ローマ字で「eo」とするように、「エ」に近い印象があるが、ハングルと漢字を眺めていくと、こじつけみたいだが、「ㅓ」「ㅕ」は/ei/の対応が見られる。「서」では「西」「棲」「誓」が呉音で「セイ」に対応している。そこで、鼻音パッチム「ㅇ」を日本語の音便化とるとすると、「성」から「セー」ができる。余談だが、ハングルには/ei/の二重母音がなく、「ㅓ」も「オ」に近い。また、日本語の「エ」に「ㅓ」「ㅕ」も吸収される。
 なんだか難しい規則のようだが、まとめるとそうでもない。

 「김」 パッチム「ㅁ」は「ン」で、「キン」
 「일」 脱落の「ㄴ」を補い、パッチム「ㄹ」は拗音化で、「ニッ」
 「성」 「ㅓ」音は「エ」でパッチム「ㅇ」は音便化で、「セー」

 合わせて、「김일성(キムイルソン)」→「キンニッセー(金日成)」ができる。
 同じルールで、「일본(イルボン)」→「ニッポン(日本)」もできる。
 というか、ハングルの音価コードを変更すると、「김일성」が「キンニッセー」と読めるようになる。「일본」はそのまま「ニッポン」と読める。
 つまり、ハングルの音価コードを変更で、韓国語から日本語を自然に読み出すことが可能になる。
 もっとも、これは語源が漢字音である場合に限られるが、韓国語彙の大半が漢字起源としていると、かなり日本語化が可能だろう。
 さらに、日本語も韓国語も格表示の助詞を使う膠着語なので、格助詞のハングルに日本語読みを与え、その上さらに、朝鮮語固有の語に漢字の訓読みを与えて訓読化すれば、ハングルはほとんど日本語としてそのまま読めるのではないだろうか?

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漢字のハングル読みを
マスターする40の近道
 少なくとも、日本語変換用のハングルの音価コード変更は体系的に規則化したいものだなと探していくと、まあ、誰でも思いつくもので、『漢字のハングル読みをマスターする40の近道』(参照)という本を見つけた。この本では、そのコードを「漢字のハングル読み」と読んでいる。
 それを元に私なりに体系的にこうまとめてみた。

初声
 1 ㅎ(h) → k/g
 2 ㅇ(φ)→ g
 3 이(li) → i
 4 ㅈ(j) → s/z
 5 ㅁ(m) → b
 6 ㅂ(b) → h/b
 7 ㅍ(p) → h
 8 ㄴ(n) → r

母音
 1 ㅓ/ㅕ(eo/yeo) → e
 2 ㅖ(ye) → ei
 3 ㅐ(ae)/ᅬ(oe)/ᅫ(woe) → ai
 4 ㅗ(o) → ô
 5 ᅴ(ui)/ᅱ(wi)/ᅰ(we) → i
 6 ᅪ(wa) → a

パッチム
 1 ㄱ(g) → ku/ki/促音化
 2 ㄹ(l) → tu/ti/φ(無音化)/促音化
 3 ㅁ(m) → n
 4 ㅂ(b) → fu(旧仮名)/tu
 5 ㅇ(ng) → R(音便)
 6 パッチム → 日本語入声 e.g. 고→告

 実際にはルールが曖昧な点と、ルールで補足できない例もあるので概ねのルールとしても、基本の漢字とハングルの規則的な対応については、個別の漢字ごとにまとまめた字典ふうの書籍があるといいなと思ったら、これもあった。『当てずっぽうの法則 漢字でひらめく韓国語』(参照)である。

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当てずっぽうの法則
漢字でひらめく韓国語
(リー先生の日本人のための
韓国語レッスンシリーズ)
 書籍に「当てずっぽう」とあるように、適応できない事例も少なくはないが、それでも語変形の規則の類推があって面白い。
 ちなみに「金正日」の「김정일」はどうかというと、「金」「日」の変形は見てきたとおりだが、「正」はどうかというと、「정」で「セー」とだいたい読める。まあ、それはそれでよいのだが、「정」(jeong)を見ながら、中国語の「正」(Zhèng)が近いなあとも思った。それでも、ハングルから日本語読み出せるのは、どちらも古代の中国語の漢字音をベースにしているからで、現代中国語の漢字音だとむしろルール化はさらに難しい。
 この本には少しワークブックもあり、「일본져1의도시。일본의중심지신주꾸」という例文が載っている。「ニッポン・ダイ1イ・トシ。ニッポン・チューシンジ・シンジュク」と読み下せる。「日本第一の都市。日本中心地新宿」と当てることができる。こうなると、日本語と朝鮮語との差違は方言くらいになる。
 もちろん、万事がそういうわけにもいかない。むしろ日常の会話は漢字語のほうが少ない。所詮、外国語は外国語ではある。ただ、それでも、構文などは日本語と朝鮮語ではほとんど変わりない。
 
 

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2015.05.22

サムソンはなぜ"Samsung"なのか?

 スマホの「Galaxy S6」から製造社のロゴ「SAMSUNG」が消えたことが先日話題になっていた。「iPhone」から「Apple」が消えたような感じである。と言ってみたものの、別にiPhoneにAppleとロゴが特記されているわけでもなく林檎マークがあるくらい。
 それでも、なぜそれまであった「SAMSUNG」が消えたのか、というか「SAMSUNG」というロゴを意図的に消したのか。しかもこの対処は日本市場に限られていたのはなぜなのか。気になるところだ。
 当のサムソンが説明している。ITmedia「日本の「Galaxy S6/S6 edge」にSamsungロゴがない理由は?――新COO堤氏が語る」(参照)より。


 国内モデルで「Samsung」ロゴをなくしたことについては、「Galaxy S6/S6 edgeは“ゼロスタート”で開発した。Galaxyの進化を皆さんにご理解いただきたいので、『Galaxy』を全面に出させていただいた」とコメント。Samsungロゴがないのは今のところ日本のみだそうで、裏を返せば、日本ではまだGalaxyブランドの認知拡大を図る余地があるということ。Galaxy S6/S6 edgeを日本のユーザーへどのように伝えていくのか。堤氏、そしてサムスンの手腕に注目したい。

 じゃ、注目。そこで、このSamsungロゴの「サムスン」だが、なぜ「サムスン」なのだろうか? ハングルのロゴを見るとわかる。

 元は「삼성전자」である。
 これは漢字に戻せる。戻すと、「三星電子」である。
 そこでつい「三星」って何?という疑問もわく。東洋文化の文脈で連想するのは、「福、禄、寿」三人の仙人である。が、そうではない。中央日報「악수하는 모습 본딴 현대차, 조화와 화합 강조 포스코… 」(参照)より。漢字を補って。


삼성(三星)이란 이름에서 '세(三) 개의 별'을 떠올리는 사람이 많지만 Group의 공식(公式) 입장(立場)은 "관련(関連)이 없다"는 것이다. 우리민족(民族)이 가장 좋아하는 숫자(数字)이기도 한 '삼(三)'은 크고 많고 강하다는 것을 상징(象徴)한다. '성(星)'은 밝고 높고 영원(永遠)히 빛나라는 뜻을 담고 있다.

サムスン(三星)という名前で「三つの星」を思い浮かべる人が多いが、Groupの公式公式立場は、「関連がない」ということだ。私たちの民族が最も好きな数字である「三」は、大きく多く強いことを象徴する。「星」は、明るく高く永遠に輝けという意味を含んでいる。


 「三星」は、①明るく②高く③永遠に、という意味らしい。
 さて「サムスン」という言葉の表記の話に戻る。「삼성(三星)」が元であれば、これを英語的というかローマ字風に表記すると「Samsung」になるのではないかと、まず思える。そこで「Samsung」でハングルを書いてみる。「삼숭」である、公式の「삼성」にならない。これをあえて漢字に戻すと「三崇」となる。または「三嵩」か「三崧」である。
 京畿道楊州市に三崇洞という地名があり、三崇宮という同郷寺院がある。漢字の知識のある韓国人にとっては、「Samsung」から連想されるのは、三崇宮ではないかと思う。が、現在の「삼성」のハングル表記を超えて、そこまで漢字音から連想できるかもわからない。
 いずれにせよ、「サムスン(Samsung)」からハングル表記考えると、公式の「삼숭」にはならないという奇妙なことになっている。
 では、公式の「삼숭」をローマ字表記にするとどうなるのか。公式の文化観光部2000年式でローマ字化すると、というか、中国語のように拼音化すると、「samseong」となる。現行の「Samsung」にならない。
 現在の韓国では自国の名称を文化観光部2000年式によってローマ字化しているので、国家に関連するのであれば、サムスンは「Samseong」となるはずだが、そうならない。
 となると、「サムスン(Samsung)」表記の起源は何か?
 文化観光部2000年式以前のローマ字化のはずではないかと調べてみると、以前まずよく使われていたマッキューン=ライシャワー式で考えると。それだと、「Samsŏng」になる。やはり現行の「Samsung」にならない。他の方式で「Samsung」が出来るか調べてみたが、わからなかった。
 おそらく、「三星」から「삼성」となりそこから「Samsung」が生じた、というのではなく、英語名のロゴとして新規に「Samsung」ができたと考えてよさそうだ。
 しかし、そうだとすると、これは英語風に読むと「サムサン」になってしまう。
 むしろ、現在の「サムスン」は、日本語のローマ字読みに近い。サムスンの企業発展の過程で日本語のローマ字読みの影響を受けていた時期があったのかもしれない。
 なお、英語としては、「Samsung」から旧約聖書の英雄(士師)のサムソン(「サムソンとデリラ」のサムソン)を連想するが、それだと「Samson」である。その文脈でもじるなら「Samsong」ではないかとも思う。それをハングルにすると「삼송」となり、漢字かすると「三松」になる。
 ごちゃごちゃと議論したが、ようするに、「Samsung」のロゴの表記は謎である。
 ただしそれを言うなら、「ヒュンダイ(現代、현대)」の「Hyundai」も文化観光部2000年式なら、「Hyeondae」とラテン語みたいになる。
 ちなみに先日取り上げた、「西武新宿駅」の「세이부신주쿠역」も文化観光部2000年式でローマ字化すると「Seibusinjukuyeok」となる。日本語のローマ字をハングル化して韓国のローマ字化にしても、もとが音価主義なので、ほとんど日本のローマ字と変わらない。ということは、この例では韓国で文化観光部2000年式のローマ字化が進展すれば、日本語のローマ字でも問題なさそうだ。ただし、別の例だと奇妙な問題が生じる。「高田馬場駅」は「다카다노바바역」だが、ローマ字化すると「dakadanobabayeok」になる。日本人がこれを見ると、「ダカダノババイエ~ok?」みたいになる。日韓のローマ字共通化は無理だと言っていいだろう。
 いずれにせよ、ここで疑問が生じるのは、「サムソン(Samsung)」や「ヒュンダイ(Hyundai)」のラテン字母の表記の混乱を見てもそうだが、そもそも韓国では文化観光部2000年式のローマ字、別の言い方をすると韓国式拼音、が普及しているのか疑問に思える。
 まず、はっきりしていることは、韓国の国としては、文化観光部2000年式拼音を推進しようとしていることだ。このことは公式の文書で採用され、地名のローマ字母表記でも使われているからだ。
 日本でも歌謡曲などでも知られる「釜山(プサン)」は、ハングルでは「부산」で、韓国のローマ字表記では「Busan」になる。マインドマップの創始者のような印象だが、「Busan」の発音は発音記号では[pusan]で、実際の音を聞いてみると「ブサン」に近い印象もある。부は前に母音がくると「ブ」に聞こえる。なので「ブサン」でもいいようにも思えるが、仕組み上は日本語のローマ字読みの「ブサン」ではない。
 「金浦空港」の「金浦(キンポ)」も、ハングルでは「김포」で、「キンポ」の音に近い。が、表記は「Gimpo」である。独島は「ドクト」と日本で読まれることがあるが、ハングルは「독도」。ローマ字では「Dokdo」。音は「トクト」。皮肉なのか、もじって「Dogdo」と表記されることもある(参照)。同様に、日本で「キムチ」と言っているあれは、「김치」なので、ローマ字では「gimchi」になる。韓国としてはローマ字が整備できたわけだが、「Gimchi」が「キムチ」というのは日本人にはちょっとわからないのではないか。
 基本的にローマ字化というのは、音価をラテン字母で疑似表示するのではなく、一つの正書法として統一的に確定しているということだ。中国語の拼音もそうで、「北京」は「Běijīng」とラテン字母で表示するが、発音は「ペイチン」に近い。
 いずれにしても、ローマ字化は必然的に発音とずれてしまうことになる。日本語の場合は、正書法としてのローマ字化を訓令式として、英語発音に近づけたのがヘボン式である。が、それでもずれる。
 中国語の拼音、つまりローマ字化が国内の国語教育の基本に採用されているのに対し、また日本でもローマ字化は小学校で教えるのに対し、韓国ではローマ字化は教育の場で教えられているふうはない。韓国語の外国語教育でもそうした教材は見かけない。たぶん、ないだろう。
 なお、以上は韓国の場合であって、北朝鮮では別の方式を使う。興味深いのだが、北朝鮮は元来ソ連の傀儡国家として成立した背景もあって、ロシア語のキリル文字を使う表記法があり、現在でも正書法となっている。「平壌」の「평양」は「Пхеньян」である。
 韓国語のローマ字化の今後はどうなるのかも、ついでなんで考えてみた。というか、私は韓国語を学ぶとき、中国語同様、このローマ字を通して学べばいいのではないかと当初思っていたからだ。しかし、実際に学んでみると、訓民正音でも明らかなように、元来は漢字のまざる文化がベースにあり、漢字を意識する点でハングルのほうが便利だった。
 元来が漢字なら中国語のように拼音化できそうなものだが、韓国語の場合は言語の基本部分にアンシェヌマンが多く、これがローマ字だと切れ目の意識が逆にわかりにくくなる。そういう点からすれば、韓国語は中国語と日本語の中間的な言語であるがゆえに、正書法も独自のものにならざるを得なかったかのだろう。
 
 

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2015.05.21

韓国人は漢字が読めないのだろうか?

 韓国人は漢字が読めないのだろうか? 答え、人による。たいていは読める、ようだ。それどころか、読める人はかなり読める。もちろん苦手な人はいる。たぶん日本人のように常用漢字2136字を読める人は、おそらくそんなには多くないだろう。
 とはいえ、常用漢字というのは、日本独自の規定でそもそも他の国には当てはまらない。漢字の字形も違うし、訓読みも規定されている。
 中国はどうかというと、「常用漢字」と呼んでもそう間違いでもないらしい。以前は「现代汉语常用字表」というのがあったが改訂され、、2013年から「通用规范汉字表」(参照PDF)に統合された。これには8105字が含まれている。常用漢字の4倍もありそうに見えるが、クラスに分かれている。概ね、教育用の1級3500字、出版物用の2級3000字、専門用語用の3級1605字である。日本の常用漢字に相当するのは2級と見てよいから、中国で通常使う漢字は日本の三倍の漢字はあると言ってもいいだろう。
 初等教育での漢字数だが、日本の場合は教育漢字が1006字なので、この点でも中国は三倍はある。小学校でそんなに教えられるのか疑問に思えてネットに当たると、人民教育出版社の小学校中国語教科書の常用漢字表(参照)というのがあり、学年別で総計2207字あった。総字数で見ると日本の中学校までの漢字教育を小学校で詰め込むという印象がある。
 余談だが、この中国人向け小学校漢字2207字に「犬」があるかと検索すると、ない。なぜないかわかりますか? たぶん「町」もないだろうなと思ったら、なかった。「村」はある。他に「糸」もない。
 中国で使われる漢字は多い。そこで以前のように簡体字にない漢字は台湾や香港そして朝鮮でも使っている繁体字(旧漢字)がオーソライズされたかと思いきや表を眺めると、そうでもない。さすが科学的社会主義の国だけのことはある。漢字を全面的に改良したようだ。康煕字典の時代は終わると言っていいかもしれない、ま、それはないだろうけど。
 台湾はどうかというと私には正確にはわからないが、「常用國字標準字體表」4808字、「次常用國字標準字體表」6341字などがある。基本、康煕字典ベースの繁体字の整理というふうに見られるがいろいろ複雑そうだ。小学校で覚える漢字の規範もよくわからないが、2000字くらいだろうか。
 漢字を使う地域の教育という次元で覚えるべき漢字数は、2000字くらいだろう。それでも多いようには思えることもあって、800字程度に制限する中日韓の共通常用漢字の模索がある(参照)。
 さて韓国だが、朴正煕政権下の1970年に漢字廃止を宣言したが反対が強く、1972年に撤回され、中学校・高校での選択科目の漢文学習用ということで漢文教育用基礎漢字(대한민국 중고등학교 기초한자 목록)の1800字が制定された。だいたい9割方は日本の常用漢字が占められているが繁体字が採用されている。
 この時点の実態はおそらく漢文学習というより、韓国語における漢字文化の維持ではなかったかと思われる。そもそもこの表題「대한민국 중고등학교 기초한자 목록」だが、「대한민국(大韓民国)」「중고등학교(中高等学校)」「기초한자(基礎漢字)」「목록(目録)」、つまり、ハングルを漢字に戻すと「大韓民国中高等学校基礎漢字目録」ということで、字面で見ると日本語と変わらない。音価も「テハンミング・チュンゴトハッキョ・キチョハンチャ・モクロ」といった感じで漢字が想像つけばだいたいわかる。
 自分の記憶からも1970年代では韓国人は日本の新聞がそのままあらかた読めたし、日本人も漢字ハングル混じりの韓国の新聞がだいたい読めた。その後、漢字教育は選択でもあり、入試に関連しないことから、実際上は教育の場から消え、それに準じてメディアからも消えていったため、韓国は漢字を捨てたかのような印象を与えるようになった。
 しかし、先の「대한민국 중고등학교 기초한자 목록」と「大韓民国中高等学校基礎漢字目録」を見てもわかるように、ハングルは漢字に対応しており、意味を理解する上では漢字があったほうがよく、またこの間、韓国は中国に経済的に依存するようになったので漢字教育の声が再び高まった。
 ということに加えて、2003年以降、小学校低学年向けの学習マンガ『마법천자문(魔法千字文)』がヒットし子どもたちに千字文ベースの漢字学習が流行した。

 「千字文」については10年ほど前ブログで触れたことがある(参照)。ネタ話を書いたこともある(参照)。日本でも朝鮮でも漢字文化受容の原点にあるのが『千字文』であり、なかでも日本では、百済人の王仁が千字文と論語を日本に伝えたとされている。
 漢字の文化は古代では習字の文化と一体化しており、王羲之の手によるものなど習字の手本ともされてきた。簡単にいえば、習字として学び、漢字も覚え、そして中華文化の基本を学ぶというとても便利な教育ツールであった。
 千字文教育は文字がベースになるため、音価については、朝鮮や日本など周辺国では各種工夫があった。つまり、漢字の字形を元に、その地域での正統音価と意味をどのように学習するかである。
 朝鮮の場合は、両点式が使われたようだ。冒頭「天地玄黄 宇宙洪荒」だが、一例だが、漢字音価「天(천)」に、朝鮮語の「하(ハ)」を当て、「ハは、天」ということで、「하늘 천」と下す。続いて、「タン、地」で「땅 지」となる。訓は別の方法もあるが、いずれ一字一字訓じていくのが両点である。基本的にこうしないと、漢字はその地域の言語の音価とは結びつかない。
 これが日本だと文選読みで、「天地(テンチ)のあめつちは」として二字が基本になる。「天はアメ」「地はツチ」という両点式にはならなかった。あるいは両点があって、それが文選読みに変化したのかもしれない。日本は漢字の訓読みに関心を持つ志向があったのだろう。
 なお、千字文は名前のとおり、全て違った文字で重複のない千文字で作られた詩で、あり、「いろは」歌の着想の原形でもある。教育ツールではあるが、漢数字が抜けていたり、方角の「北」、四季の「春」がないなど、基本的な漢字が選ばれたわけでもなく、四分の一近くが常用漢字を逸脱する。当然、現代の漢字教育に向くとはいえない。
 それでも朝鮮では伝統的に子供は千字文を習うものだったので、漫画ではあれ千字文のリバイバルは朝鮮の漢字文化の復興を意味した。文化の底力だろう。
 こうした背景を受けて、2018年には小学校教科書への漢字併記の方針が決まった。が、当然反対論も多い。5月1日聯合ニュース「小学校教科書への漢字併記 ハングル関連団体が反発」(参照)より。


 同団体らは「教科書への漢字併記の方針が漢字の私教育(塾や家庭教師など)をあおり立て、学習の負担を増やすのみで、新しい教育過程が目指す創意・融合型人材の養成や学習負担の軽減に全く役に立たない」と主張した。
 また、「中国でも漢字が難しいため簡体字を作って使うのに、わが国だけが昔の漢字を書くのは、歴史を逆に進む行為」と指摘。その上でハングルだけで行われた46年間の教育を無視して教科書に漢字を併記するのは、漢字が分かる層と分からない層を分けようとする反民主的発想と批判した。
 さらに私教育費の負担増加に対する懸念も表明した。同団体らは「漢字併記は児童生徒の学習負担を増やし、私教育費を増加させること」とした上で、「中・高校で漢文を独立した教科として学ぶため、小・中・高の教科書に漢字を併記する理由がない」と指摘し、方針の撤回を求めた。

 反対論点は意外と多岐にわたっているが、「漢字が分かる層と分からない層を分けようとする反民主的発想」という視点は興味深い。逆にいえば、従来は「漢字が分かる層」抑制してたとも取れないではない。
 いずれにせよ、韓国の漢字教育の復活は併記であって、正書法には及ばない。つまり、漢字ハングル交じり文にはならない。
 というところで冒頭の疑問に戻って、「韓国人は漢字が読めないのだろうか?」というとき、韓国の漢字の識字率の統計があるか探したが見つからなかったが、その理由も察せられる。識字率というのは文字が読めるというより、正書法を理解しているという意味であり、韓国語には漢字の正書法がそもそも存在していない。それでは、漢字の識字率自体が問いにすらならないのである。
 
 

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2015.05.20

そこに神社が建つだろう

 こんなエントリー書いていいのか戸惑っている。炎上が怖いとか、ご一同様のバッシングに打たれ弱いからとかいう理由ではない。昨今人気ブロガーさんのように炎上を狙いたいわけでもないし、ご一同様を刺激したいわけでない。書くべきじゃないんじゃないかとなんとなく思うのだが、そのなんとなくがなんなのかよく自分でもわからない。とか言うのは、これは書いておいたおいたほうがいいんじゃないかという気分もあるからだ。なぜ書くのかというのははっきりとはしないのだが。まあ、うだうだした前口上を述べたのも口ごもりの修辞ではある。
 そこに神社が建つだろう、と思うのである。実はずっと思っている。これだけ書いてぴんとくる人がいるだろうか? いたらそれはそれで怖いんだけど。
 そこがどこかというと、多摩川の河川敷である。川崎市中1男子生徒殺害事件である。すでに一つエントリーは書いた(参照)。
 今日が事件三か月後になる。現場はどうなっているかというと、今も花を手向けに来る人が絶えないらしい。朝日新聞「絶えぬ献花 川崎中1殺害」(参照)より。


 ボランティアが置いたバケツ三つにあふれるほどの生花。上村さんが好きだったバスケットのボールは、20個を超える。月命日の20日は、朝早くから花を手にした人がやってきた。
 「彼の死を無駄にしてはいけない。ちょっとした働きかけで、結果を変えることはできる」。埼玉県所沢市から訪れた新井近之さん(56)と妻の恵美さん(52)はそう言って静かに手を合わせた。

 その所沢のご夫婦の思いがじんとくる。年が近いせいもあるかもしれない。私もぼんやりしていると、花を手向けに行くかと考えていることがある。行ってない。無神論者である私は霊も死後の世界も信じていない。いや、そういうことではないなと思う。感じる。そのもやっとした気持ちの行方がどうも落ち着かない。
 そして、これはいつかそこに神社を建てるしかないんじゃないか、という奇妙な想念に捕らわれている。言うまでもないが、私は神道は信じない。初詣とかは行くが、祈りとかはしない。まあ、言い訳みたいな話はもういいだろう。なんとなく、この無意識を突き動かす変な気持ちはなんだろうと、前回エントリーを書いたあとも思っていた。
 ああ、これは神社が建つんだろうな、とダメ推しみたいにことさら強く思えたのには、きっかけがある。18日のNHKニュースである。「少年法の対象年齢引き下げ 今国会で方向性を」(参照)より。一見、意味不明なニュースに見える。

 自民党の成人年齢に関する特命委員会は、川崎市の河川敷で中学1年の男子生徒が殺害された事件の現場を視察し、今津委員長は、少年法の保護の対象を18歳未満に引き下げることも含めて検討し、今の国会の会期中に一定の方向性を出したいという考えを示しました。
 自民党の成人年齢に関する特命委員会は、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公職選挙法の改正案が今の国会に提出されたことを受け、成人年齢を20歳以上と定めている民法や、20歳未満を保護の対象としている少年法などの見直しを検討しています。
18日は特命委員会の今津委員長ら8人が、ことし2月、川崎市の河川敷で中学1年の男子生徒が殺害された事件の現場を視察し、警察の担当者から説明を受けたあと花を供えて全員で黙とうしました。
 視察のあと今津氏は記者団に対し、「刑罰を厳しくすれば犯罪がなくなるという実証は必ずしもなされてはいないが、悲惨な少年事件が連日起きていることは間違いなく、放置することはできない」と述べました。
 そのうえで今津氏は、少年法の見直しについて、「何らかの形で、きちんと手を打たなければならず、できるだけ早く結論を得たい」と述べ、保護の対象を18歳未満に引き下げることも含めて検討し、今の国会の会期中に一定の方向性を出したいという考えを示しました。

 ニュースを見ながら、あれだ、寄生獣で田村玲子の頭が割れて空っぽだよんというシーンがあるが、そんな感じがした。これは、いったい、なんのニュースなんだ?!
 表面的には、自民党の成人年齢に関する特命委員会が少年法の見直しを考えているがその際、最近の凶悪な少年犯罪について警察からレクチャーを受け、レクチャーだけではわからない点があるので、現場視察をし、合わせて、死者の霊を弔った、という話になっている。
 でも、実際はというかその心理は、殺害された中1男子生徒の鎮魂であり、その鎮魂なくして少年法を見直したら、祟られる、みたいな話だろうなと、私は思った。まあ、私の思い込みというテンプレ批判は了解の上なのでご勘弁。そんな奇妙なことを思ったのは、冷静に考えれば、少年法の見直しと、犯罪現場での献花には繋がりがないからだ。私がこの一団だったら、学校や関係者の話の場に出ていくだろうと思う。ただし、そうした場に出たあと、現場に献花せずに済むとも思えない。詣出するだろう。
 この話、社は建っていないけど、すでに神社化しているよなあ、とも思ったのである。
 繰り返すけど、妄想だと言われてもいいが、そういう奇妙な心性を感じてやまないので、いちおう書いて起きますよ。ということ。
 神道がなんだかわからないし、国家神道と結合してからはさらに意味不明ではあるんだが、それでも、日本民衆の神社というのは、すべてがとは言わないが、つまり御利益信仰とかもあるだろうから、でも、少なからず、こうした鎮魂で建ったのではないかな。
 というか、率直に言えば、自分は古代日本人の心性に向き合っているような奇妙な感じがしている。
 該当の教育委員会はすでに公式に最終報告書案を了承している。毎日新聞「川崎・中1殺害:市教委臨時会、最終報告書案を了承」(参照)より。

川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、(中略)殺害された事件で、川崎市教委は18日の臨時会で、検証委員会の最終報告書案を了承した。上村さんが1月以降、学校を欠席し続けたにもかかわらず、交友関係などを十分に把握できなかったことが事件を防げなかった大きな要因と総括した。


 報告書案は61ページに及んだが、公開されたのは「プライバシーに配慮する」との理由で27ページ分にとどまった。渡辺直美教育長は「(この公表内容で)市民の理解を得るのは難しい面もあるが、被害者への配慮が必要だった」と説明した。

 この報道では、最終報告書の大半が公開されてないことで、市民の了解が得られるかと懸念しているが、おそらく市民の了解というのは、もっと宗教的な感情のほうではないだろうか。
 まあ、さすがにべたに神社が建つということはないだろうとは思うが。
 
 

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2015.05.19

駅名をなぜハングルで表示するのだろうか

 新宿を歩いていてふと「西武新宿駅」という表記に目が止まった。我知らずという感じである。この時の意識が自分でも不思議なのだが、なぜその表記を見ているのか、理解していない。自分がなぜ?と改めて思ってから我に返る。そこにあるハングル表示が気になっていたことに気がつく。「세이부신주쿠역」
 それが「西武新宿駅」の表記であることはわかる。口を突いて読んでみる。「セイブシンジュクヨ」。たしかに。最後の「역」は韓国語の「駅」を意味する言葉で、音の響きからわかるように、元は漢字の「駅」である。
 というところで、はぁ?と変な気持ちになった。その時の意識もよく思い出せないが、口をついて今度は中国語で読んでいた。「シーウーシンスーイー(Xīwǔ xīnsù yì)」最後の「駅」は、日本語では「站」だから、「シーウーシンスーチャン(xīwǔ xīnsù zhàn)」のほうがいいだろうか。
 中国語はいい。漢字を読めばいい。ときおり読みの異なる漢字もある。もっとも「西武新宿」は中国語ではたぶん意味をなしていない。

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三省堂五十音引き
漢和辞典 第二版
 そしてそこで、あれ?と思った。意味が不明でも漢字の表記だから、韓国語でも漢字に対応したハングルで読むべきなのではないか。そもそもハングルは漢字の転写のための仕組みである。とすると……と考え込んでしまった。どうなるのだろうか。すぐにはわからない。というか当然わからない。あとで調べてみるかなと思った。三省堂の『五十音引き漢和辞典』を使うとわかるからである。
 調べてみると、「서무신숙역」になるはずだ。これをハングルで読むと「ソムシンスッキョ」となる。その時は字引がなくて正確にはわからなかったが、かなり違うだろうなとは思っていた。
 次に思ったのは、日本語の地名をハングルで書くのなら、元の漢字を大切にして、ハングルに対応して書いたほうがよいのではないか、ということだった。現行の「세이부신주쿠역」ではなく「서무신숙역」のほうがよいのではないか。
 いや、と即座に思った。それだと韓国人に「西武新宿駅」という駅名がわかったことにならないかもしれない。現代の韓国人の大半は、ハングルからその本字とも言える漢字は想起できないだろう。
 ちなみに、「서무신숙역」という表記を見たとき、現代の韓国人は何を連想するのだろう。「서무」は「庶務」の意味があるので、「庶務新宿駅」のような連想をするのだろうか?
 さて、自分は何を考えているんだろうか。しばし呆然としてから、ようするに、日本の駅名のハングル表記は基本的には、日本語の音をハングルで仮名書きしているだけなのだろうという考えに至る。
 なるほど漢字を失ってしまえば、朴正煕(ぼくせいき)、金日成(きんにっせい)、李承晩(りしょうばん)が消えてしまうのは、しかたない。朴槿恵についても「ぼくきんけい」と読める日本人は少ない。
 朴槿恵はハングルだと「박근혜」なので、「パクネー」になる。と、今、気がつく。よく見かける「パク・クネ」ではないな、音価は。
 韓国式ローマ字表記にすると「bag geunhye」になる。「パクネー」である。しかし姓ということで「パク」で切らざるをえないから、「クネ」の「ク」がまた出てくるのだろう。だが、それを言うなら、朝鮮人名も中国人名のように漢字ごとに切るのだから、「パク・クンヘ」がよいだろう。ああ、そういう表記もあったなあ。あれ、いつから「クンヘ」から「クネ」になったのだろうか。
 ちょっとまて。朴正煕は日本では「ぼくせいき」から「パク・チョンヒ」になったはずだが、「박정희」(bag jeonghui)だと「パクチョンイ」ではないのか。このあたりどうなっているんだろう。そういえば、金賢姫は「김현희」(gim hyeonhui)で「キム・ヒョンヒ」だった。「パク・クネ」なら「キム・ヨンイ」ではないのか。しかし、李恩恵は「리은혜」(li eunhye)だが、「パク・クネ」風に「リ・ウネ」になっている。どういう規則なのだろうか。ちなみに李承晩が「이승만」で姓が「리」ではないのは、李恩恵は北朝鮮の人という含みなのだろう。
 要するになんだかんだ言っても音価主義ということではあるのだろう。その上で何らかの表記指針が存在しないと混乱する。日本での韓国語表記はどうも混乱しているようにしか見えない。
 韓国側ではさすがに指針があるだろうと、探すと、すぐに見つる。ウィキペディアにまとまっているのが簡易にわかりやすい。「日本語のハングル表記」(参照)である。
 これを眺めると、「西武新宿」が日本語の「セイブシンジュク」で、それにハングルを対応させて「세이부신주쿠」となっていることがわかる。
 この日本語のハングル表記法なのだが、一見簡単そうで、日本人にはわかりにくい。たとえば、「カキ」だが、「カ」は「가」、「キ」は「기」だが、 二字目の「キ」は母音に挟まるので「키」になる。つまり「カキ」は「가키」になる。この表に説明はないが、「가(カ)」と「기(キ)」だからといって「가기」と書くと、発音は「カギ」になる。韓国語には有声軟口蓋破裂音が子音組織としてはないが音環境で音として現れる。それをさけるために、無声有気音が初声の「키」を使う。
 そこで最初の沈黙にまた戻る。なんでハングルで「세이부신주쿠역」と書いているのだろうか? ローマ字で事足りるということはないのだろうか。ハングル表記が音価の転写でしかないなら、ローマ字でいいはずである。
 考える。合理的な結論は、この条件だけに絞ればだが、韓国人はローマ字が読めないからだろう。少なくとも、日本を訪問する韓国人の多数はローマ字が読めないと考えてよさそうだ。しかし、そんなことがあるのだろうか?
 ざっとネットを眺めてみる。同じような疑問を持つ人はいるに違いないだろうから。そして、「そんなことはない」「韓国人は普通にローマ字が読める」といった情報を得る。
 だが、と。思う。私は大学生のころ知ったのだが、普通の米人はローマ字が読めないのである。いや単純なことだ。「竹」を「take」と書いても、「タケ」とは読まない。「物の哀れ」に至っては、「Monono Aware」になる、米人は、「モノウノゥ、アウェア」とか言う。
 似たような現象が韓国人に起こるのではないか。おそらく大変の韓国人は英語を学習しているからローマ字母は読めるはずだし、子音と母音も理解しているだろう。だが、「Seibu-Shinjuku Station」という字面を見たとき、それをどう理解するか? おそらく、ハングルに転写して意識するだろう。すると、「Seibu」は普通なら二文字のハングルと意識されるだろうから、「※부」となるだろうが、ハングルの中声には「ei」が存在しない。自然に、「Se・i・bu」と三文字のハングルに分解されるだろうか。そのあたりで、おそらく日本風ローマ字はハングルとしては読みづらいだろうことが予想される。ハングル表示があったほうが韓国人にはわかりやすそうだ。
 とはいえ、そもそもハングルには日本語の音引きはない。「東京」は「도쿄」(dokyo)になる。音価は「ドキャオ」に近い。「大阪」は「오사카」で、音価は「オッサカ」に近い。しかし、それを言えば、「西武新宿駅」も実際の日本語の音価は「セーブシンジュクエキ」である。なので「세부신주쿠역」でもよさそうだが、それだと「세부」がフィリピンの「セブ」や、「세부데이터집합」のような「詳細」の意味に重なる。
 おそらく、日本語の固有名詞をハングルに音転写するときには、できるだけ同義語を避けるという隠されたルールはありそうに思える。
 
 

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2015.05.18

大阪都構想住民投票否決について

 大阪都構想については、ブログで語ってこなかった。ツイッターでもほとんど語らなかった。理由は三つある。一つは、基本的にこれは大阪という地域住民の問題で、その視点からの問題意識が自分には持てないことだ。別の言い方をすれば、では日本国民として東京都民としてどう考えればいいかという課題には変奏できる。それはあとで触れる。
 二つ目は、橋下徹氏にまつわる議論に関わりたくないからであった。彼の公開された考え方については、それが話題になるごとに、共感する点もあり反対する点もある。今回の大阪都構想自体について言えば、方向性は正しいと思う。だが端的に言ってネットではアンチ橋下徹が多すぎて、そうした是々非々の議論をしても是の部分だけで橋下シンパ認定を受けて嫌がらせをいっぱい受ける。それははっきり言ってうざったい。ブログについて批判は受け止めるのだが、毎度毎度強迫めいたコメントを読まされるのは、もううんざりしている。
 三つ目は、今回の住民投票の結果が読めなかったこと。後出しジャンケンのようだが、どっちかといえば否決されるだろうとは思っていたので、否決の結果が出て違和感もない。また、橋下氏がこれを機会に大阪市長の任期後に政治から引退するのもさほど違和感はない。そういう人だろうなと思う。ただ、予想段階で可決の線もあるなあとは見ていた。これが東京都知事選であれば、石原候補や猪瀬候補にどれだけメディアやネットでネガティブキャンペーンがあっても、生活空間で都民の動向を知っている自分としては、開票とともに決定することはわかっていた。そうした感覚が私は大阪についてはまったくもっていない。地方について、私が感じ取れるのは関東地方と、祖先の長野県と、八年暮らした沖縄くらいである。
 結果はしかし、少し驚いた。こんなにも僅差になるとは思っていなかったからである。これでは読めないなと納得した。このことは同時に、今回の否決は、僅差という視点以外からは読み解けないだろういうことだ。大阪市のなかに、都構想について賛否が拮抗しているということは明らかである。
 では当然、どのように対立しているかということに関心が向く。誰もそうだと言っていい。その期待に合わせて、ネットでは早々に解釈が飛びかう。いわく、すでに大阪市には地域的分断がある、年代的な差がある、男女差がある、などいったものである。是か非かで色分けすればそうした差は「見える化」できるし、実際色分け図なども流れてくるのだが、二値の色分けではなく段階的な数値で見れば、大阪市のなかで都構想について顕著な地域差というものは見られない。年代的には差はでるが、そこから意味を読み取れるほど顕著でもない。結局、対立は地域全体に均質的に存在していたとしか言えない。安易な解釈ができない難しい結果だった。
 ちょっと視点を変えて、ではどうすれば僅差でなかったかと考えると、橋下氏のアクの強さがマイナスに働いただろうという印象はあるので、可決に向けてならそこに改善の余地はあっただろう。この点について数値化はされていないが、この間、メディアやネットを見ていても、NHKニュースでの該当インタビューなどを見ても、そのことはうかがわれた。もっとも、彼はそのアクの強さが魅力だったのではないかという意見もあるだろう。私はそうとも思えない。橋下氏は、本来の政治家業以外のことに口を突っ込みすぎてそこで面白がって世論の炎上を招いていたようにしか見えない。
 橋下氏の文脈はもういいだろう。ではこの結果を、日本国民として東京都民としてどう考えればいいかというテーマで考えてみたい。
 結論は、とても残念なことだと言えるだろう。なぜか。メディアでは二重行政の無駄を省くという、ネットで言うところの「新自由主義」が叩かれていることが目立ったが、この様相の根幹は政令指定都市という存在の矛盾にある。行政の無駄を省くというより、なんのための無駄を省かねばならないのか、という根の議論に至ってなかった。
 今後の日本国内の大きな課題は、少子高齢化である。あるいは諸問題はその派生である。そして変な議論が多いが、少子化自体は避けられない。問題は、そのことによる人口縮小もだが、子供が減ることで将来の労働者が減り生産力が減退し、他方、その労働者に依存しなけれならない高齢者の数が増えることだ。このことは地方と都会の双方を疲弊させる。地方は端的に自治体の衰退や消滅となるし、都会では多数の高齢者を抱え込む社会システムが用意されていない。ではどうするかといえば、都会の問題はいったん切り離したなら、地方自治体の整理統合を進めなければならない。ここで、二つの方向性が生じる。
 一つは、中核都市に近隣の弱い自治体をぶら下げることである。
 もう一つは、強い自治体を効率よく分散することである。
 今回の都構想についていえば、大阪市という巨大な自治体を分割することで少なくとも大阪府全体の整理が期待できた。が、その意味でいうなら、この路線は今後、他の地域でも無理になったということだろう。
 残された道は、中核都市に近隣の弱い自治体をぶら下げることだが、強い政令都市というのは、そこの市民としても自分たちだけが繁栄して生き延びようとしてしまう。つまり、弱い自治体をそこに上手にぶら下げるには権限と独自性が強すぎるのである。
 こうした問題をどのように政治課題として取り組むについては、それなりに学問的な手法があるので、あまりブログで踏み込んでも意味がないが、現状の日本の地方行政で言えば、県である鳥取県の人口は約57万人、島根県が約70万人、高知県が約73万人、対して、政令指定都市では、横浜市が約370万人、大阪市が約268万人、名古屋市約227万人となり、県と政令指定都市の行政規模の関係が都道府県という行政の仕組みと整合しづらい。大阪府については、約885万人だが、その30%を政令指定都市が占めている。都道府県としての本来のあり方すれば、稼ぐ地域の富を他の地域に効率よく分散する主体として県が機能しづらくなっている。
 「大阪都構想」に国民の視点で意義を見るならそういう文脈であったし、その芽がもうないのであれば、都道府県を整理統合し、政令指定都市をどうそこに組み込んで、その上で政令指定都市にある稼ぎ頭の地域や病院などのサービスをどのように地域全体に循環させるか、が問われなくてならなくなるだろう。
 しかし率直に言えば見通しては限りなく暗い。おそらく今後の実態は、住民が強い政令指定都市に向けて移住するしかなく、その結果を現状と受け止めてから国の行政が介入してくるのではないだろうか。
 
 

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2015.05.17

お金の単位の話、日本、中国、韓国


 中国語でのお金単位「元」が、日本語の「円」と同じだというのは知っていたが、韓国語の「원(ウォン)」も同じだというのは、韓国語を勉強するまで、うかつにも知らなかった。なんか盲点だったなあ。「원」の発音を聞いていて、これ「円」に似ているな、もしかして同じ?と思って対応する漢字を見ていたら「圓」があった。ああ、そうか。
 日本語の「円」の旧字体は「圓」で、中国語でも繁体字は当然同じ。簡体字だと「圆」になるが、発音は「Yuán」で、同発音「Yuán」の「元」を当てるので、中国語の通貨単位は「元」。
 韓国語の場合、音価は、れいの訓民正音の時代に、「圓」に「원」を当てたのだろう。それが李朝では、中国古代音だとされたのだろう。
 これらの「圓」が、通貨単位の呼称としてどのように伝搬したかだが、おそらく、中国語の「圓」が、普通の言語の用例として先にあったのだろう。米国ドルは英語ではまんまで「美元」とするように、ドルですら、「元」になる。つまり、「圓」は「ドル」に当ててもよいくらいの一般的な名称である。
 こうした漢字の伝搬だが、中国語を勉強していて自分なりにわかったのだが、三系統ある。

 A 中国語でそのまま日本語。日本語では音変化。
 B それぞれに分離。
 C 近代になって日本語から外来語として中国語に入る。

 Aは、「東西南北」みたいな基本語だが、これは基本、漢字一文字が多い。ところが現代中国語は、そもそも漢字一文字の名詞を嫌う傾向があるので、そもそも少ない。
 Bは、例えば「駅」だが、これは大宝律令以降の駅伝制に由来する名前で、元の「驛」の字に「馬」があるように、馬を使った伝達制度だった。これを近代日本が天皇制の連想から律令制復古の気風で鉄道に再利用しだした。ちなみに、そもそも古代において律令制を実施したのは国家は日本以に外ない。余談が長くなったが、中国では「站」が当てられている。この漢字は「兵站」からわかるように拠点の意味がある。面白いのは、韓国語の「역(yeok)」で、漢音に近く、「驛」に由来するが、その意味当てが中国語にないので、実際には日本語の外来語であろう。
 Cだが、これが非常多い。70%近くある(参照)。事実上、近代中国語は日本語の外来語で成立したと言ってもいい。さらに語彙ならず「化」「式」「的」の造語も日本語の派生と見られる。
 さて、これに韓国語(朝鮮語)を加えると、「駅」でもそうだが複雑になる。

 A 中国語でそのまま朝鮮語。朝鮮語では音変化。
 B それぞれに分離。
 C 近代になって日本語から外来語として朝鮮語に入る。
  C1 日本語の音価を保持。
  C2 日本語の音価を消すために訓民正音的中国語音価を与える。
 D 近代になって日本語から中国語に入り、朝鮮語に外来語として入る。

 「駅」の場合は、「역」でパッチムがあり、漢音的な音価が連想され、日本語の音価は維持していないかのように思える。
 ここでふと思ったのだが、訓民正音というとき、「正音」は日本語では「平安時代の漢音」を指し、呉音の排除を狙っていた。同時代的に見ると、朝鮮語にも日本の呉音的な影響があったはずだが、そのあたりはどうだろうか。さらに連想がはたらくのだが、日本の漢字の由来は百済の王仁との伝説があるが、この伝説の核の『千字文』はその名称からもわかるように呉音的な響きを残している。伝説が正しければ、百済系は呉音的な音価を維持していたはずであるし、伝説を除いても百済が呉音的な音価を保持していたことは推測される。訓民正音の音価的な原形は吏読からも新羅の系統が推測されるのだが、新羅では漢音的な音価がどの程度普及していただろうか。また李朝において漢音的な音価の系統が正統視される際、それ以前の漢字語の音価はどうだったのだろうか。
 話が大幅にそれたが、「원(ウォン)」の由来はどうだろうか。
 まず日本統治下の外来語ではないことは確実と言える。李朝の造幤機関である典圜局は1883年(高宗20年・明治16年)である。多少気になるのは、「典圜局」からわかるように、「圓(원)」ではなく「圜(환)」となっていることだ。異字であろうか。大韓帝国成立(1897年)以降は「圓(원)」となっている。
 「圜(환)」以前の朝鮮はどうかというと、日本の江戸時代と同様に「文」が使われていたようだ。「文」は中国の南北朝以来使われているので、基本的には、通貨単位としての「文」は中国・朝鮮・日本で近代まで共通だった。基本的に貨幣金属の重さの単位が維持されていたのだろう。なお、いくつか資料に当たってみたが指摘がないのだが、気になることがある。「文」は中国語では「wén」である。そこで案外「원」の由来は「文」ということはないのだろうか。
 関連する日本の「円」の由来だが、これがよくわからない。とりあえず確かなこととして言えるのは明治4年(1871年)の新貨条例だが、その以前から「円」の用例はありそうだ。いずれにせよ、年代から見ると、この明治時代初期に「円」が確立していたのことは、時期的には李朝の「典圜局」に影響を与えていた可能性はありそうだ。
 面白いのは、この新貨条例だが、条例策定に関わった大隈重信が「各国通用ノ制ニ則リ、百銭ヲ以テ一元ト定メ」(明治財政史(第11巻)通貨)として「元」を示していたことだ。日本円に先行して、中国圏での「元」の活動がうかがわれる。
 ざっとした考察で言えば、中国圏での「元」の利用があり、それが日本や朝鮮に影響して、「円」や「圓」が形成されたと見てよさそうだ。
 
 

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2015.05.16

平和安全法制をどう理解するか?

 昨日14日、政府は臨時閣議で「平和安全法制」関連法案を閣議決定した。これから国会で審議されることになる。同法制については、ネットなどを眺めても賛否の声がいろいろある。そうした国民の各種の声を国会での熟議に反映させることは民主主義国としてよいことだろう、と思う。
 私はこれをどう考えているのか?
 私はどういう意見を持っているのか。賛成なのか反対なのか? 率直に答えると、わからない、のである。
 しかし、いずれ可否が決まるのに、どうするのか?とさらに問われるなら、現時点で取り分け反対ではないので、結果が賛成ということになればそれでよいと考えている。
 なぜ、そんななさけないことになってしまったのだろうか? その理由をブログに書いてみたい。
 結論を先に書く。「平和安全法制」は私の理解を超えている。それはどういうことなのかというのは後で触れる。ようするに「わからない」のである。なさけないなと思うが、どうやら政府与党の自民党議員もわかっていないようなので、ほっとした。いや、冗談。ただ、与党議員がわかっていなさそうなのは確かである。朝日新聞「「平和安全法制、説明できないと言われた」麻生副総理」(参照)より。


■麻生太郎副総理
 これから国会で「平和安全法制」の審議が始まるが、みなさん方の奥さんに「この問題について全然地元で説明ができない」と言われた。誰か紹介しなさいということになったので、岩屋毅先生を予定していたら、総務会が入ってしまった。そこで、初級者向き(の岩屋氏)ではなく超上級者向きの(内閣官房副長官補の)兼原信克氏に説明に行ってもらったら「全然わからなかった」と。なかなか難しいものだ。有権者、後援会の方々に丁寧に説明していただけるよう努力していただきたい。(派閥の会合のあいさつで)

 結果、与党議員はわかったのだろうか? たぶん、わかっていないだろう。
 この問題の要点は、そもそも、「平和安全法制」について「わかる」ということはどういうことなのか?という問題でもあるからだ。
 もうちょっという。賛否両論の声があるが、わかったという人も、実際には、「かくかくしかじかとして、わかった」ということなのだろう。
 例えば、「日本の防衛や世界貢献のために必要だと、わかった」とか、「これで日本が戦争ができる国になったし、若者が徴兵されると、わかった」とかである。
 つまり、「かくかくしかじかとして」についてどのような信憑を持つかということが、現実の「かくかくしかじか」の声の実態だろう。
 ところが私は、そういうのが、いやなのである。
 私は、原典を読んで自分のあたまで考えて、おなかの底でずどーんと理解しないと、わかったとは言えないという種類の人間なのである。もっともすべての分野においてそうかというとそうでもないが、例えば若い頃、キリスト教というのに向き合ったときは、しかたないなと聖書をギリシア語で読み始めることから始めたものだった。
 では具体的に、「平和安全法制」の原典を読んでみようではないか?
 どこにあるのだろうか? そもそもあるのか?
 あるのである。これ(参照・PDF)。緩い字詰めの縦書きなので、新書で50頁くらいのものだろう。そう考えると大した量ではない。読めばわかるけど、無味乾燥。

第一条自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)の一部を次のように改正する。
第二条第五項中「第九十四条の六第三号」を「第九十四条の七第三号」に改める。
第三条第一項中「直接侵略及び間接侵略に対し」を削り、同条第二項第一号中「我が国周辺の地域における」を削る。
第二十二条第二項中「原子力災害派遣」の下に「、第八十四条の三第一項の規定による保護措置」を加える。

 どう現行法から変わったかが、これではよくわからない。困ったなと思う間もなくトンネルが、ではなく、具体的にどう変わったのかという新旧対照表があるといいなと思う。すると、ある。これ(参照・PDF)。細かい表組みになっていて、改正案と現行法の違いがわかるようになっている。みっちりした組で132頁。つまり、普通に一冊の単行本くらいの量。
 平和安全法制の賛否を納得いくまで考えるなら、この対照表をじっくり考えればいいだけである。
 で、全部読んでみた。どうか。いろいろ思うことはあった。
 例えば、新設「在外邦人等の保護措置」というのは、へええ、現行法になかったのかと思った。世間では、イスラム国の人質も救済できない安倍内閣といった批判も耳にしたが、自衛隊の法規定としてはそもそも存在してなかったわけで、するとそもそも実力で救済するというのは断念した上で、安倍内閣ならなんとかできるはずだったのにという批判だった。
 他には、「合衆国」がどうたらという改正が多いだが、これはようするに「新ガイドライン」を盛り込むとこうなるということだろう。
 「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」の改正では、逆に現行法がよくこれで法律として機能していたもんだなあ、というか、成文だけでは機能しない部分をいろいろと補っていたので、それで今回法律に盛り込んだのだろうなという印象を受けた。
 「自衛官の国際連合への派遣」なども新設されていたが、現状廃棄予定になってはいるとはいえ放置されている日本への敵国条項を保持する国連に対して、日本の自衛隊が合法的に派遣できれば、敵国条項の無効化が明確になってよいのではないか。
 総じて国連派兵については、かつて小沢一郎が述べたように、自衛隊とは別立ての国連支援軍があってもよいかと思うが、現実的には難しい。ので、こうした改正でもよいのではないかと読んで思った。
 「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」については、「周辺事態」という概念自体の変更もあり、興味深いものだったが、現行法も基本的に日米安全保障条約の主旨から展開されているため、「新ガイドライン」に準じればこういう改正になるのだろうと理解した。別の言い方をすればそれが日本国憲法に反するとすれば、そもそもの日米安全保障条約の問題に帰するわけで、平和安全法制特有の変更とは思えなかった。
 「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」については、具体的に日本を攻撃する可能性をちらつかせる隣国や、領土争いに軍をちらつかせる隣国がいる現状、隣国さんに日本の意思を伝える上でも、具体的な細分化が必要であり、細分化するとこういうことになっちゃうんだろうと思った。例えば以下の新設は、つまり現行法になかったんだと感慨深かった。

我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃であって、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるもの(以下「存立危機武力攻撃」という。)を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動

 その他、詳細を見ていくと、こうした改正が日本国憲法を逸脱しているかは気になるが、やはりそもそも日米安全保障条約が前提にあるとこういう実体的な諸法は必要になってしまうだろうという印象をもった。別の言い方をすれば、平和安全法制を改正するなら、根幹の日米安全保障条約をどうにかしないと、どうにもならない。
 しかし、日本国憲法というのは日本が米国を主導とする連合国の支配下でいわば、暫定法として成立した経緯もあり、日本の独立が実質この日米安全保障条約と自衛隊の設立を前提にした経緯からすると、平和安全法制をどうするかという次元ではどうにもならないような諦念がある。もっとも、かつての日米安全保障条約はフィリピン以北の極東地域の含みがあり、米国の安全保障状態の変更をそのまま日本国が受けちゃったなあとは思う。
 さてそれで、結局、どうなのか? 平和安全法制がわかったのか?
 わからないのである。困った。
 自分の考えとしては、繰り返すが、日米安全保障条約がある以上こうなるだろうなというくらいの理解しかできない。否定面でいうと、これが危険な法制度だという自信もまったく持てない。
 ただし、国際社会の平和と安全のための活動という側面については、これまで実質特別法でやってきたものを広義に一般化したものと理解できる。そもそもそういう役割を国際世界から日本が求められる事態が先行したのに、日本国内の法整備が不十分だったということなので、一般的な法制化は世界の変化に準じたものだとは言えるだろうということだ。
 まあ、みなさんも原文を読まれるといい。その上でこそ、いろいろ議論があればよいと思う。
 でも、たぶん、残念ながら、私のような感想に陥るのではないか。
 関連して、山本一郎さんが「しれべえ」でNHKの世論調査を引いて(参照)こう書いていたのが気になった。

で、最後にこんな内容があります。
「安倍内閣が進めている安全保障法制の整備の内容を、どの程度理解しているか尋ねた」
えっ。ある程度理解しているから、上記質問に対して国民は聞かれたことに回答しているんじゃなかったの。


お前ら、分かってねーのかよ!!
途中までふむふむと読み進めていた私は危うく椅子から落っこちそうになりました。知らないのに評価するとか、分からないけど日米安保反対などと、なんとなくな感じの空気で回答しちゃっていいものなんでしょうか。

 それも道理だなと思うけど、今回実際に、平和安全法制の全容を全部読んでみたけど、私もまた、「お前ら、分かってねーのかよ!!」の部類であることは確かである。
 というか、日本国の安全保障と平和国際貢献がどうあるべきかという全体指針があって、そのなかで今回の法制がどういう意味を持つのかという国民的な合意が必要になるだろう。
 わかるということは、むしろ、そうした全体指針への合意なのだろう。
 では、そこがあるのか?と問われると、なんと、私はそれもわからないのである。
 そして思うのだが、今回の法制のプロセスを見ていると、「そこをわかれ」というのは日本国民には無理だけど、日本国民を守るためには、こうするしかねーじゃん、みたいにお仕事をする機構が、きっちりお仕事したのではないかという印象を持った。やたらと微に入り細に入りという改正だったし。
 それと先の山本氏だが、こうも言っていた。

分かってなくても判断を強いられてしまう、この社会の仕組みというものは、果たして私たちにとって本当に過ごしやすいものなのでしょうか。

 ということに困ったなと思う。だが、他の分野でも、例えば金融でも医療・福祉でも、実際の法制の詳細になると理解できるだろうか。無理だね、という領域は発生してしまう。
 どうするのか。そうなると、それでも多様な意見に耳を傾けつつ、「こうするしかねーじゃん機構」がきちんと民主主義の制度のなかで動いているか、つまり手続きの正さをまず見つめていこうと思う。
 
 

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2015.05.12

枕詞について

 昨日、ぬるい風呂に入ってぼんやり吏読について考えながら、ブログに書いた話は、おそらくあまり理解はされないだろうな。もう少しわかりやすく書くべきだったかな。でも、それで読まれるというわけでもないから、あれでもいいか、とかかんとか思いながら風呂から上がったとき、あっ、εὕρηκα!、と思った。ほんの瞬時。何十年来の枕詞についての謎が解けたのである。
 次の瞬間、しかしなあ、それを証明することはできないなあと思い、ちょっと、ぼうっとした。それから寝入りばな、つらつら考えて、まあ、概ね正しいだろうが、その研究やってもなんの成果もでないだろう、というあたりで眠りに落ちた。夢で特に発見があったわけでもなかった。つまらない話であるが、ブログとかに書いておく。
 枕詞とは何か。比喩的な用例も多くなったから、基本的な意味確認をかねて、大辞泉から引いておく。


1 昔の歌文、特に和歌に用いられる修辞法の一。一定の語句に冠してこれを修飾し、または語調を整える言葉。普通は5音、まれに3音・4音などのものもある。「あしひきの」「たらちねの」「ひさかたの」など。冠辞。
2 前置きの言葉。
3 寝物語。枕物語。
「二つならべて―ぢゃ」〈西鶴大矢数〉

 ここでいう枕詞は元の1の意味である。マイペディアではこう。

主として古代の和歌に用いられた修辞法の一種で,主想と直接には意味的連関をもたず,習慣的・固定的に特定の語句に冠してこれを修飾し,句調を整える役割を果たす語。多く5音節からなる。ひさかたの(光),あしびきの(山),飛ぶ鳥の(飛鳥(アスカ))など。・

 間違いはないが、これの何が謎かというと、二つある。

 (1)枕詞そのものの意味がわからない、
 (2)なぜそれが枕詞として機能しているのかわからない、

 ということである。
 例えば、「たらちねの」のは、「母」にかかる。「修飾」している。が、「たらちね」とは何かわからない。なぜそれが「母」にかかるかもわからない。わからないものというのは変なもので、しかもそれが詩歌の伝統技法となると、わかんないからなんだか尊重すべきものに変わる。新たな意味も求められる。そこで万葉仮名の「垂乳根乃」の字面から「垂れた乳のあるのは母親」ということになり、さらには修飾対象は「親」でもいいことになる。
 「ひさかたの」は「光」にかかることがある。「日射す方の」とか考えられたからでもある。万葉集では「久方之」ともある。「久しい」から「永遠の」の意味合いもある。元は「天」「雨」などにかかった。
 まあ、なんだかわからないのである。だが、使うと詩歌として厳かになるから使っている。明治時代になっても斎藤茂吉なんかも「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」とか使っている。
 というわけで、枕詞については、なんだかわからない。
 ということは、実は、一つわかったことになる。つまり、枕詞の大原則その1。

 (1) それがなんだかもう誰もわからない

 である。
 この原則から導かれる小則は、「わからなくなった時代背景があるに違いない」ということだ。
 もう一つ大原則がわかる。

 (2) それは詩歌の伝統のなかで生き延びている、

 ということ。あるいは宗教的な厳かな表現である。別の言い方をすれば、それによって修飾される言葉を、おごそかなものにする、ということだ。「Darth Vader(ダースヴェーダ)」に「Sir Lord」が付くようなものである。さらに別の言い方をすれば、尊称的な情感の修辞として変わった、ということであり、原則1の「意味不明」とも関連している。
 そしてもう一つ、おそらく大原則と言ってよいだろうことがある。弁別性である。それが付いているということは、それが付いてないものと弁別しているはずだ、ということだ。

 (3) かつては弁別機能を担っていた

 実はここまでは、もう40年くらい前に考えていた。特に原則3が重要だと思っていた。加えて、私は小学生のときにアマチュア無線免許を取ったことから、通話表のことを連想していた。通話表というのは、無線で通信文の聞き間違いを防ぐためにの明示規則である。例えば、「ア」は「朝日新聞のア」である。いや、「朝日のア」。「イロハのイ」「名古屋のナ」「沼津のヌ」というやつである。元は英文である。「Alpha A」「Bravo B」「Yankee Y」など。
 つまり、「たらたちねのハハ」があるということは、「そうでないのハハ」があったのだろうと考えるわけである。これが通話表のように一文字を表しているなら、話は簡単だが、どうもそうではない。謎が二つ増える。

 (1) かかっているものがよくわからない
 (2) そうではないものって何だ?

 特に、「そうでないもの」ってなんだろと40年考えていたのだが、昨晩、εὕρηκα!と思ったのは、これは一種の吏読ではないかということだった。吏読規則のようなものだろう。
 ある対象に二つ以上の呼称が生じるという状況が発生したため、その弁別コードが必要になるという国家的な現象が生じたことが、日本の古代にあったのだろう?
 連想して思ったのは、当時の朝鮮語である。
 日本語の起源が朝鮮語だとかいう愉快な話がしたいわけではないので、ご安心を。もっと生臭い話である。
 そこですぐに頭に浮かんだのは金春秋である。新羅・第29代・王・武烈王でもある。在位は654-661年。彼は若い頃、日本に人質になって日本に連れられた。
 余談めくが、というあたりの確認を兼ねてネットを調べたらウィッキペディアが引っかかったので読んでみたら、あれれ?、金春秋が日本に人質になった話が書かれていない(参照)。なんなんだこれ? 旧唐書と新唐書を引くのはいいとして、8世紀の日本書紀をすっとばして12世紀の三国史記が書かれいるのだが、日本書紀のほうが遙かに古くしかも国家編纂で信憑性が高いのだが、どういうことなんだろう? 他も見て回ったが、あまりこの話が書かれていない。
 書紀では大化3年(647)年にこうある。


新羅遣上臣大阿飡金春秋等。送博士小徳高向黒麻呂。小山中中臣連押熊。来、献孔雀一隻。鸚鵡一隻。仍以春秋為質。春秋美姿顔善談咲。

 「以春秋為質」というのは、日本の人質になったということである。
 他に、百済の最後の王・義慈王の王子・扶余豊璋も人質として舒明天皇3年(631年)に来日している。また、皇極元年(642年)には義慈王の子と見られる翹岐も日本に亡命している。
 人質といっても王族として日本の宮廷に迎入れられ厚遇されているし、なにより一人やってきたわけもなく、お世話の係りもいるだろうし、それを取り巻く、新羅系の人々や百済系の人々も日本の宮廷に関係していたはずである。
 当然、新羅や百済の言語が、日本の当時の宮廷に入っていたはずで、しかも、日本語を含めこれらの言語の文法骨格は同一だから、事実上、吏読のような手法で会話されていたと考えてよいだろう。別の言い方をすれば、中国語が使われていたわけでもなく、日本語が使われていたわけでもない。
 状況的に見れば、通話表の必要からすれば、新羅語・百済語かという連想も働く。連想としては、つい現代韓国語の「우리나라(ウリナラ)」の「나라(ナラ)」や、安宿(안숙)でアスカなどに及ぶ。나라じゃないナラが「あおよによしナラ」、안숙じゃないアスカが「とぶとりのアスカ」ということである。もっともこの方式で包括的に説明できるわけではない。
 それでも、吏読の仕組みが当時の日本の宮廷にあり、そこで中国語文や、新羅語・百済語が翻訳されていた状況はあるだろうし、その吏読を補助する語彙の仕組みの一部として現在言うところの枕詞が残ったのだろう。
 おそらく、宣命文などを見ると、吏読による骨格ではめ込まれているのは、むしろポリネシア系のやまとことばなので、枕詞の原形は、古代朝鮮語の翻案コードというより、古代日本語を王権の言語に取り入れる仕組みだったのではないかと思う。
 もうちょっと言えば、むしろ日本の王家は新羅語・百済語に近い状態だったのではないだろうか。それが百済が滅亡し、日本が新羅・唐に敗北することで、半島や大陸から切り離されて、原形のナショナリズムとして日本語が形成されたのではないのだろうか。枕詞はその残滓ではないか。
 というのが、ほんの瞬時に頭に浮かんだのだった。
 
 

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2015.05.11

訓民正音を巡って その3 吏読と宣命体

 世宗が訓民正音を公布した理由については、曖昧ではあるが前回、前々回に触れたが、そこで触れなかったもう一つの側面、つまり、書記系の「創案」ではなく、「改良」の観点に立つと、吏読(吏讀)が注目される。
 「訓民正音」の原文ではそのことが考慮されていたし、「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」は吏読の維持を求めていた。
 原典だが「訓民正音」の鄭麟趾序では吏読(吏讀)はこう触れられている。


吾東方禮樂文章侔擬華夏。但方言俚語、不與之同。學書者患其旨趣之難暁、治獄者病其曲折之難通。昔新羅薛聡、始作吏讀、官府民間、至今行之。然皆假字而用、或澁或窒。非但鄙陋無稽而已、至於言語之間、則不能達其萬一焉。

 下して、「昔、新羅薛聡、始めて吏讀を作り、官府民間、今に至り之を行う」ということで、新羅の薛聡が吏読を創案したとしている。
 吏読とは何かだが、ここには書かれていない。「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」ではこうある。

新羅薛聰吏讀、雖爲鄙俚、然皆借中國通行之字、施於語助、與文字元不相離。

 吏読は、「皆、中國通行の字を借り」とあるように、漢字を表音記号のデバイスとして使うシステムである。具体的にどのようなものかという例は、訓民正音にも上疏文にもない。
 解説の補足として大辞泉を見るとこうある。

古代朝鮮で、漢字の音・訓を借りて、朝鮮語の助詞・助動詞などを書き表すのに用いた表記法。新羅(しらぎ)時代から行われ、ハングルが制定されたのちは官吏の間でだけ用いられたので、この名がある。りとう。

 日本大百科全書(ニッポニカ)はもう少し詳しい。

吏吐、吏道、吏書ともいう。新羅(しらぎ)時代に成立した漢字による朝鮮語の表記法で、漢字を朝鮮語のシンタックスにより配列し、助詞、助動詞などの文法要素を漢字の音・訓を借りて表したもの。日本の「宣命体(せんみょうたい)」に似ている。新羅時代の吏読文は瑞鳳塚(ずいほうづか)銀合う(451推定)の器物銘、「南山新城碑」(591)などの金石文や正倉院所蔵の「新羅(しらぎ)帳籍」がある。なお、薛聡(せっそう)が吏読をつくったとする伝説は、その発生が薛聡以前であるので信じがたい。高麗(こうらい)時代・李(り)朝時代を通じて、吏読は主として胥吏(しょり)たちが公文書や契約文書などを書く場合に用いられた。18世紀なかばに胥吏用の吏読文の手引書として『儒胥必知(じゅしょひっち)』が刊行されており、その巻末に吏読のハングル読みが付されている。一方、訓民正音創製以前に、吏読は漢文で書かれた実務書の翻訳にも使用された。『大明律(だいみんりつ)直解』(1395)と『養蠶経験(ようさんけいけん)撮要』(1415)がそれである。
 吏読に類似した表記法に吐(と)または口訣(こうけつ)とよばれるものがある。これは漢文に文法的要素を各文節ごとに書き添えたもので、つまり漢文を読む場合の送り仮名にあたる。吐としては漢字の正字体のほか略体も多く用いた。略体の吐のなかには片仮名と同形のもの、同音同形のものがある。[梅田博之]

 いろいろと興味深い知識が書かれているが、まず気になるのはその実態だが、『大明律直解』写本(参照)はネットで見ることができるのでそれにあたると興味深い。「訓民正音」について関連して連想することは、明の法体系をどう李朝に移すかという課題が先行していたことが推測される。
 吏読自体について興味深いのは、それが新羅の薛聡に創始されたという点である。が補えば、それもまた伝説である。そうであってもまず新羅の年代と薛聡の年代をざっくり見ると、新羅が356-935年、薛聡は7世紀後半から8世紀前半頃とされている。伝説ではあるとしても、新羅中期以降の法的な書記系が吏読によっていたと見ることは妥当だろう。
 日本人として関心を持つのは、宣命体との関連である。
 これを多数含むのが『続日本紀』(延暦16年・西暦797年)である。私の勘違いでなければ、日本書紀には含まれていない。奇妙なのだが、続日本紀の宣命が発せられるのは文武即位(697年)からということで、同時代的には日本書紀の編纂時期に重なる。宣命体についての書紀と続日本紀の差違には奇妙な違和感がある。
 いずれにせよ、新羅における吏読の時期と日本での宣命体の時期はあらかた同時期であり、中国周辺国における漢字知識人の共時的な共通性と見てよいだろう。
 日本の場合は、この吏読・宣命体から音表記体系として仮名が出現する。吏読・宣命体がそのまま仮名であると言えないでもないが、機能としては漢文の補助であり、そもそもの音表記体系ではない。
 ここから余談めく。
 歴史変遷としては、まさにその順序、吏読・宣命体から仮名が出現し、これが日本書紀から続日本紀の時期に現れるのだが、この傾向に反して奇妙なのはいわゆる古事記である。
 古事記は宣命体の記法は採用されず、漢文と漢字を使った仮名である万葉仮名の奇妙な混在である。吏読・宣命体はその用例からもわかるように、官吏にこの書記系を習得させる便覧と教育システムが存在するはずで、それが書記の集団に共有される。
 逆に言えば、そうした便覧が各種文書を規定しているはずで、古事記は特殊な便覧に寄って書かれているものであるはずだ。古代の音声を引き写したわけではない。
 私はこの点からも古事記はむしろ宣命体が完成してから擬古的に創作された便覧を使って、擬古のために作られた平安時代初期ころの偽文書なのではないかと思う。
 さらに思うのは、現代の朝鮮語と日本語と比べても、文法体系が酷似しているのに、基本語彙がまったく異なるというのは、そもそも日本語が、吏読のようなシステムの便覧から逆に創作された言語なのではないかという疑念である。
 孝謙天皇宣命の

天皇 大命 良末等 大命 衆聞食 倍止 宣。

 は、「すめらみことが、おほみことらまとのりたまふおほみことをもろもろきこしめさへとのる」と音価を与えるが、小字でない部分は別の音価を当てても書記系としては問題ない。元来、吏読とはそのようなものである。
 歴史的偶然とも言えるのかもしれないが、日本という国の国家文書が出現するのは、事実上、吏読・宣命体によるのであり、そこから事実上の日本語が形成されると見ても、その範囲ではよいだろう。
 
 

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2015.05.10

訓民正音を巡って その2 崔萬理等・諺文創制反對・上疏文

 東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)には、訓民正音公布から程なく出された儒者・崔萬理等による諺文創制反對の上疏文も掲載されている。内容について概要は知っていたが、原文を読んでみると、非常に興味深い。思うことを記しておきたい。
 まず、崔萬理にとってこの「訓民正音」は「諺文」であった。つまり、「オンモン」である。


庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰、臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智……

 庚子は、1445年であり、訓民正音公布の翌年。その時点で、「諺文」として認識されていたことがわかる。
 ところで当代一の儒学者が諺文制作に反対した理由だが、私などは、儒者の利権侵害のように捉えていたしそうした理解で間違っているとも思えないが、王に対する諫言としてどうかと考えると、やはり政治のコンテクストがオモテに出る。そこが儒者としては真摯に重要だったのかもしれない。

我朝自、祖宗以來、至誠事大、一遵華制。今當同文同軌之時、創作諺文有駭觀聽。黨曰、諺文皆本古字、非新字也。則字形雖倣古之篆文。用音合字、盡反於古、實無所據、若流中國、或有非議之者、豈不有愧於事大慕華。

 李朝の国是は「至誠事大、一遵華制」つまり、「大国に至誠心をもち、ただ中国一国に従う国家である」ということである。「諺文」はそれに反するというのである。「豈不有愧於事大慕華」、つまり、「大国に従い中国を慕う点で恥じることになりはしまいか」というのである。
cover
訓民正音
(東洋文庫)
 ここで興味深いのは、「則字形雖倣古之篆文」として、崔萬理は「諺文」が古之篆文によることをひとまず認めていることで、逆に言えば、彼はこの書記系がパスパ文字に由来することを知らなかったか、あるいは表現上軽視していたことを示している。さらに読み進めると、「借使諺文、自前朝有之」という表現もあり、仮定という修辞を噛ませてはいるが、公布以前に「諺文」が存在していたことも暗示されている。
 いずれにせよ、世宗を抱く「諺文」作成側の勢力に、崔萬理は対抗していた。
 日本への言及もある。

自古九州之內、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。傳曰、用夏變夷、未聞於夷者也。


今別作諺文、捨中國而自同於夷狄。是所謂棄蘇合之香而取螗螂之丸也。豈非文明之大累哉。

 李朝儒者としては、中華に従う他国として、蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃を挙げ、それぞれが自国の文字を持っていることを認めている。しかしそれらは、「是皆夷狄事耳」であり、夷狄である。「豈非文明之大累哉」は、文明に反する大罪であるということだ。崔萬理がパスパ文字について知っていたかどうかは表面上はわからないが、フビライハーンが定めた書記系の普及と関係国における自国書記文化の勃興は理解していた。
 興味深いのは、当然とも言えるが、李朝ではその祖・李成桂が女眞人であるということは継承されていないどころか、夷狄として理解されていたこともこの記述で明瞭になっている。ここで少し歴史を振り返ってみる。
 Korea/Coreeの原義である高麗(王氏高麗)は、1258年にモンゴルからの侵略を受け、和州以北を失い、翌1259年に高麗を統治していた崔氏政権は打倒され、降伏。以降、高麗の王子はモンゴル皇族の婿となって元朝宮廷に人質となり、高麗王死後にモンゴル宮廷から派遣された形で継ぐことになった。事実上、高麗はモンゴルに併合されていた。なお、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の時代からわかるように、日本を襲撃してきたのは、モンゴル・高麗軍である。このとき、日本がモンゴル・高麗に敗北していたら、日本は高麗の弟的な位置になっていただろう。
 時代変化は、1368年、紅巾軍の一派朱元璋が南京で大明皇帝と称したことが大きい。洪武帝である。その後モンゴルは、その植民地である現在の中国の地域での勢力を失い、現モンゴル地域に撤退。この勢力変化の影響を高麗も受け、1392年、女直人の武人・李成桂は、モンゴルの血を引く高麗王・恭譲王を廃位して、自身が高麗王となったが、洪武帝に恭順して国号を「朝鮮」と改め、太宗となる。世宗が生まれたのはこの翌年である。そして「訓民正音」が公布されたのは、世宗26年(1443年)。半世紀を経て、モンゴルと関連した高麗王朝の記憶も薄れた時代である。
 「訓民正音」自体、そうした世宗下の李朝の安定傾向と考えられそうだが、崔萬理は意外とそれに反することを述べている。

凡立事功、不貴近速、國家比來措置、皆務速成、恐非爲治之體。儻曰諺文不得已而爲之、此變易風俗之大者。
相下至百僚.

 「國家比來措置」が「訓民正音」だけでないのは、「皆務速成」とあることかわかる。むしろ、「訓民正音」は新しい政治体制の一つの象徴でもあったのだろう。「不得已而爲」というのが世宗側の改革だろう。それを崔萬理は「恐非爲治之體」というように、憲法改正はイカンといった激怒感を持っていた。
 世宗側の改革がどのようなものであったかは、上疏文の後段に裁判の便宜についての議論があることから推測される。実際上この時代、李朝の法制度が儒者の支配によっては機能しなくなった現実があったのだろう。
 このあたりの事情は、同時代の日本などを考えてもわかる。日本が元寇に対抗できたのは、武家社会が漢字を使いながらも、儒者を排した自国語的な文脈として言語を法・経済の制度として活用したことは大きい。武家諸法度などは画期的な法整備である。
 崔萬理は「諺文」の弊害についも興味深い予想をしている。

如此則數十年之後、知文字者必少、雖能以諺文而施於吏事、不知聖賢之文字、則不學墻面、昧於事理之是非、徒工於諺文、將何用哉。

 「不知聖賢之文字、則不學墻面」、漢字という聖賢の文字を使わないでいると、「不學墻面」になるという。極めて現代語でいうなら、香山リカ・精神科医師の言うところの「知性の海抜ゼロ地帯」と訳せるかもしれない(参照)。
 実際に、「諺文」の弊害なるものがあったかについては、ここでは論じる意味はないが、時代は下るが、1894年から1897年、末期・李氏朝鮮を探訪し、旅行記『朝鮮紀行』を記したイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)は、諺文の使用を女子供など当時無学とされた人々の書記としてみていた。
 国家的に正書法として統合されるのは、1912年、朝鮮総督府による「普通学校用諺文綴字法」が始めであろう。これらは基本的に、日本の仮名交じり文を前提としていた。
 現代の韓国における漢字の廃止は、李承晩政権下、1948年施行「ハングル専用に関する法律」によるが、罰則規定もなく、私の子供のころでも韓国の新聞は漢字で書かれていて大意を読むことができた。
 漢字の廃止は教育からということで、朴正煕政権下、1970年に漢字廃止宣言となったが、1972年には形の上では撤回された。その後は実際のところ、漢字は韓国社会から消えていった。
 が、先日大きな変化があった。「先日」ということでもないのだろうが。
 2015年5月4日、コレードチャイナより「韓国で45年ぶりに漢字が復活!小学校教科書に漢字併記へ=韓国ネット「ハングルで十分、漢字学習は非効率的」「なくすべきは漢字より日本語」」(参照)より。

 2015年4月29日、韓国・SBSニュースによると、小学校の教科書にハングルと漢字が一緒に表記されることになった。1970年の「ハングル専用政策」により教科書から消えた漢字が45年ぶりに復活することになり、韓国内で物議を醸している。
 韓国の教育部は漢字併記の理由として、社会の要求の高まりや、単語の意味の理解のしやすさ、語彙(ごい)力の向上などを挙げており、2018年から配布される小学校の教科書に漢字を「併記」するとしている。これは、文章中に漢字を混ぜて使う「混用」とは異なる。しかし、ハングルの関連団体や全国の教育監、全国教職員労働組合などからは「一方的な推進」「学生の私教育に負担を与える」など、反対意見が挙がっている。

 ということで、日本語のような漢字仮名交じり文とはならないようだが、漢字は復古するらしい。復古するのは、おそらく基本的な漢字のみだろうとは思うが、字体について、日本漢字を使うとも思えないので、簡体字か繁体字を使うことになるだろう。現状の韓国の中国寄りの傾向からすれば、簡体字となるのではないだろうか。
 漢字が普及すれば、「儒(유)」と「乳(유)」の区別が付くとは言えるだろう。「朝鮮王朝は「乳学の国」? 歴史歪曲ラノベに憂慮の声」(参照)より。

「朝鮮は乳学の国」。これは出版業界でいわゆる「ライトノベル(軽小説)」というジャンルに分類される本の中で、朝鮮王朝について説明した項目だ。この本は朝鮮王朝の根幹の学問だった「儒学」を、韓国語の発音が同じ漢字に置き換え、朝鮮王朝時代を「女性の真の美しさを追求した国」と表現したものだ。この本の主人公は領議政(議政府〈中央官庁〉で最高の官職)になったばかりの西人(朝鮮王朝中期の官職の党派)のトップ「ソン・シヨン」で、女性の豊満な胸を意味する「巨乳」と表現した。これもまた、朝鮮王朝後期の党派の一つ「老論」のトップで「巨儒(名高い儒学者)」と呼ばれた宋時烈(ソン・シヨル)をモデルにしたと考えられる。

 あるいは、漢字の知識が復古していく文化の余裕のようなものがそうした笑いの文化を形成してきているのかもしれない。
 
 

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2015.05.09

訓民正音を巡って

 朝鮮語(韓国語)の勉強をかねて、訓民正音のことをつらつらと考えている。かつて文字面だけを鵜呑みにして、訓民正音の意味を解していたことと比べると、実際にパッチムの音変化や、中国語学習後に漢文との対比をしてみた経過などから、なんというのか、ぐっと面白さが増してくる。

cover
訓民正音
(東洋文庫)
 「ああ、なるほどな」という思いがいくつかぽつぽつと心に湧いてくる。まだ、それらが一つのまとまった考えには至っていない。本来なら自分の熟慮を通すべきなのだろうが、まあ、そうでなくてもいいだろう、という思いとこうした、何か、ああ面白いものだな、という感覚はブログなどに書くのに向いているように思うので書いておきたい。
 まず、「え?」と思ったのは「訓民正音」、それ自体である。対比としてウィッキペディアを見ることにする(というか、予想通りの記述だったのだった)。いわく(参照)。

訓民正音(くんみんせいおん、훈민정음)とは、李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、あるいはそれについて解説した書物のことをいう。ここでは主として書物のことについて説明する。文字自体についてはハングルの項を参照。

 この定義が正しいのか?ということだが、とりあえず、ウィキペディアでは、(1)李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、(2)それについて解説した書物、となっている。とりあえず(1)の定義でよいと思われる。二解になっている理由はこの先にある。

訓民正音とは「民を教える正しい音」という意味である。世宗はそれまで使用されてきた漢字が朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるため、多くの民衆たちが学び使うことができない事実を鑑み、世宗25年(1443年[1])に朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。世宗28年(1446年)[2]に鄭麟趾らが世宗の命を受けてこの新しい文字について説明した漢文解説書を刊行したが、その本の名称が『訓民正音』である。

 間違いとは言えないだろうが、2010年刊の東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)を読んでいると、こういう注があった。

原本は冒頭の二丁が欠落しているため、もともとの表題を知ることができない。今、仮に澗松美術館所蔵の復元本に従い「訓民正音」としておく。

 というわけで、書名を「訓民正音」とするのは、澗松美術館所蔵の復元本からは「今、仮に」という以上のものではないだろう。その他の写本の評価は私にはわからないので、ウィキペディアが言うように「その本の名称」が「訓民正音」とした写本もあるかもしれない。なさそうには思えるあたりが、「え?」の意味である。もちろん、鄭麟趾序から想像しておそらくそう解してもよいだろうとは思う。
 次に、「ほぉ」と思った。これもまた「訓民正音」の原義に関わる。これもウィキペディアの先の引用から考えると面白い。

訓民正音とは「民を教える正しい音」という意味である。世宗はそれまで使用されてきた漢字が朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるため、多くの民衆たちが学び使うことができない事実を鑑み、世宗25年(1443年[1])に朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。

 ウィキペディアの編集方針からすると「これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている」には「要出典」と付くはずだが、ない。誰の解釈かわからないものが定説として記載されている。それが定説だからという含みなのだろうが、先の訳注の趙義成氏はこう解釈している。

 当時の朝鮮の学者は、朝鮮の漢字音が中国における本来の漢字音から離れて、朝鮮風に訛っていることを十分知っていた。その記述は『東国正韻』序にも記されている。この事実を、朝鮮の学者は漢字音の乱れと捉え、漢字音の乱れはとりもなおさず政治の乱れに直結すると考えた。その乱れを正し、あるべき理想的な人工漢字音を提示するためには、発音を的確に明示する文字が必要である。その目的に資するものとして作られたのが、まさに訓民正音であったわけである。

 つまり、訓民正音は漢字の中国語音を示すためのデバイスであって、ウィキペディアの言うような「朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系」という考え方とは著しく異なっている。
 どう考えるべきなのか。趙氏の考察は卓越している。そもそもの「正音」の字義をも明かそうしている。

 ところで、ここで言う「音」とは、実のところ、どうやら朝鮮語音ではなく漢字音のことを念頭に入れていたようである。先の鄭麟趾序の文言を見ても、楽歌とともに挙げられたものは字韻(漢字音)である。また、崔万理との応酬の中で、世宗は「若し予、其の韻書を正すに非ずんば、則ち伊れ誰かよく之を正さんや(若非予正其韻書、則伊誰正之乎。)」と言い、やはり漢字音について云々している。儒学的な動機から「音を正す」というのは、「漢字音を正す」ということであったことが、これらのことから知ることができる。

 かくして、どのように正されたかだが、先の引用にあるように「あるべき理想的な人工漢字音を提示する」ということで、訓民正音は当時の李朝の言語学的知見によって儒学的な古代中国の漢字音を擬似的に再構成したものになる。そう考えると入声がパッチムで保持されているのは、そもそも当然ということになるし、ハングルの文字の組み方が漢字に合わせているのも当然ということになる。
 別の言い方をすると、訓民正音としてのハングルは「朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系」として作られたわけではない。拼音とは異なっている。日本語に古代中国語の入声が残っているのとも異なることになる。
 この点について趙氏はさらに、こう述べている。

 「用字例」は個々の字母の使用法を示した章であるが、そこにはある不可解な記述が見られる。初声の用例を見ると、初声十七文字のうち「ㆆ」の用例が見えない。その一方で、初声十七字には含まれていない合成字「ㅸ」の用例が記されている。このことは「ㆆ」が当時の朝鮮語音の表示には必要ない文字であったということを意味し、また、「ㅸ」という音が当時の朝鮮語には有ったにもかかわらず、それ専用の字母が一時的に作られなかったことを意味する。現実の朝鮮語の音の体系とは食い違う訓民正音の初声十七字は、それが一義的に朝鮮語音の表示のための体系なのではなく、あるべき理想的な人工漢字音を表示するための体系であったことを物語る。

 こういう考え方でよいだろうと私も思う。であれば、現在の朝鮮語は、漢字音については「あるべき理想的な人工漢字音を表示するための体系」を元に形成された側面が大きい。この「側面」をどの程度と見るかだが、漢字起源の朝鮮語の語彙からすれば、七割がたと見てよいのではないだろうか。ただし、日常語では訓民正音とは異なる音の体系が維持されてきたのだろうし、その歴史は千年単位のスパンになるだろう。
 趙義成訳注本は非常に面白いのだが、ではそもそも訓民正音の字母の起源はというと、以下のようにしか解説されていない。

 この文字が世宗一人によって作られたのか、臣下の学者らとの共同作業によって作られたのかについては諸説あるが、文献記述から見る限りでは、世宗自身が文字制作を行った可能性が高い。

 引用はその先も趙氏は世宗の独創と推測している。が、この点については、せっかくの好著でありながら、違和感を覚えるところだ。
 鄭麟趾序の癸亥冬を見てみよう。引用にあたり話題となる「古篆」を強調しておく。

癸亥冬。我
殿下創制正音二十八字,略掲例義以示之,名曰訓民正音。象形而字倣古篆,因聲而叶七調。


癸亥冬。我が殿下正音二十八字を創制し、略々例義を掲げて以て之を示し、名づけて訓民正音と曰う。形を象りて字は古篆に倣ひ、声に因りて七調に叶ふ。

 下し文に趙氏は次のように注している。

古篆…篆書。漢字の字体の一つで、秦代に整理された字体。現行の楷書に比べ、曲線が多い。現代でも印章などによく用いられる。しかしながら訓民正音の字形について、ㄱやㄴといった形に定めたかは諸説がある。その中で、例えば姜信沆(一九八七、二〇〇七)は鄭樵『六書略』の中の「起一成文図」に現れる字形との関連性を指摘している。

 こう注しても、「崔万理等諺文反対上疏文」などを合わせて考えて誤りとも言えない。だが、主要説に数えてよい説として、コロンビア大学名誉教授ガリ・レッドヤード(Gari Ledyard)(参照)はこの古篆を『蒙古篆字』(参照)と解し、蒙古篆であるパスパ文字がハングルの起源説がある。
 モンゴル学者・岡田英弘はこの文脈ではないものの、パスパ文字が起源だとする考え方を取っている。『皇帝たちの中国』より。

一二六〇年、フビライがハーンになると、パクパに国師の称号と王印を授け、新しいモンゴル文字をつくることを命じた。パクパが作った文字は、横書きのチベット文字のアルファベットを改良して、縦書きとしたものである。フビライは、この新モンゴル文字を一二六九年に公布して、国字とした。こののちは、ハーンの詔勅のモンゴル語の本文は、この文字で書き、それに地方ごとの文字で書いた訳文を付けることになった。その功によって、パクパは帝師・大宝法王の称号を授けられ、フビライ家の支配権内の文教教団すべての最高指導者となり、パクパの実家のコン氏族は、モンゴルのチベット総督の地位を世襲することになった。
 モンゴルでは、モンゴル語をウイグル文字で書く習慣がすでに確立していたので、せっかくつくったパクパ文字はあまり普及しなかった。しかし、パクパ文字は、元朝支配下の韓半島の高麗王家に伝わり、その知識が基礎になって、高麗朝に変わった朝鮮朝の世宗王がハングル文字をつくり、それを解説した『訓民正音』という書物を一四四六年に公布したのだった。そういうわけで、フビライ・ハーンがパクパ文字をつくらせたおかげで、今の韓国語・朝鮮語があるのだといえる。

 パクパ文字がそのままハングルになったわけではないが、字形と音声の考え方、さらに時代背景から見て、重要な説だと思われる。対して、姜信沆が指摘する鄭樵起源説は、鄭樵生没年が1104年-1162年なので、ハングルのパクパ文字起源を否定する意味合いがあるのだろう。
 ハングルのパクパ文字起源説は韓国・北朝鮮で伏せられているわけでもないようだ。中央日報「「訓民正音、モンゴル‘パスパ文字’の影響受けた」…高麗大教授」(参照)より。

「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。
国語学者のチョン・クァン高麗(コリョ)大名誉教授(68)は訓民正音の‘独創性’について、国内学界の主流とは異なる見解を示した。 訓民正音は創製の過程で、モンゴルの‘パスパ文字’を参照し、その影響をかなり受けたということだ。


チョン教授は「訓民正音(1443年創製)は174年先に作られたパスパ文字から多くの影響を受けた」と主張した論文を18、19日の国際学術大会で発表する。 韓国学中央研究院が主管する「訓民正音とパスパ文字国際学術ワークショップ」でだ。
チョン教授によると、パスパ文字は▽中国の漢字音を表記するための手段▽中国の伝統的な字音36字を基本に作られた▽母音の概念を込めた喩母字7つを導入したという点で、訓民正音に影響を与えたということだ。
「これまで多くの研究者らが『訓民正音は当時の韓国語の音韻を分析し、子音と母音を抽出してここに文字を一つひとつ対応させて作った』と誤解してきた」というのがチョン教授の立場だ。 言語学で音韻分析は19世紀に初めて提起された方法だ。 これを560年前に認識したというのは‘現代的な偏見’ということだ。
チョン教授は「初声(音節の最初に出る音)に該当する中国字音の36字を、パスパ文字は重複音を除いて31字に減らし、われわれは東国正韻23字と訓民正音17字で作った」と説明した。 こうした体系は元の末期に編纂された『蒙古字韻』で確認できるということだ。

 おそらくこの考え方が通説になっていくだろうと思う。
 合わせて、いずれ、世宗の祖、李成桂が女直人(女真人)であるという考え(参照)も通説になっていくのではないかと思う。
 
 

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2015.05.07

韓国語の勉強を始めた

 今年に入ってから新しい言語としてはロシア語をやっていた。教材はミシェル・トーマスのもので、初級と中級をとりあえず理解できたな、という程度までやって、後は語彙をそれなりに増やそうと、語彙の教材を始めた。が、これが意外なほど難しい。簡単に感じられないのは初級と中級の部分が曖昧だからではないかと反省して、復習してみた。基本的にそれで合った。ようは教材が難しく感じられるときは復習が足りない。実際のところ語彙の学習では格の学習が多く、難しいものだった。それも一通り終えた。さらに復習をすればいいのだが、ちょっと飽きた。少しロシア語から離れてもいいんじゃないか。ちょっと別の言語を囓りたくなった。そこでなんとなく思っていたのは、韓国語(朝鮮語)と現代ギリシア語とアラビア語だった。とりあえず、韓国語始めるかと、始めてみた。

cover
Korean I,
Comprehensive
 教材はピンズラーを使った。英語で学ぶ韓国語である。ピンズラーの韓国語教材はフェーズ2まである。というか、2までしかない。国際的にあまりニーズはないのだろう。それでもたしかユーキャンでは、そこまでの日本語で学べる教材もあったと思うが確認していない。
 韓国語を学ぶにあたって、こっそり思っていたのは、ハングル文字は覚えなくてもいいんじゃないか、あるいは、覚えるなら、韓国語の拼音として、正式に「文化観光部2000年式(Gugeoui Romaja Pyogibeop)」があるはずなんで、そっちのほうで学べばいいやと思っていた。
 学び始めて三日目でダメだとわかった。少なくとも自分ではダメだった。ピンズラー教材が暗黙に前提にしているように、言語の学習というのは音声は聞こえるとおりに学び始めればいい。むしろそのほうがいい。だが、韓国語の教材を聞いていると明らかに、音変化後の音として聞こえる。ちょっと難しい言い方になるが、音素配列は音配列とかなり違っているだろうと推測がつく。
 そもそもこの推測がつくのも、以前からなんとなく思っていたが、日本語と構造がそっくり同じだからというのがある。私は日本人なので米人と違って、韓国語がなぜこういう語順なのか、ここには主題の格助詞があるだろうとか、自然にわかってしまう。いやさすがに、韓国語と日本語は似ている。
 別の言い方をすれば、聞こえている音と、正書法で書かれているものは違うのだろうというのがわかってしまい、いらだつ。ピンズラーの教えに反するが、これはもう一気に、正書法の基礎としてハングルを覚えてしまったほうが早い。
 幸い、ピンズラーのフェーズ1の教材にはハングル(オンモン)の読み方のレッスンが別途18課あって、1課10分程度で終わる。ええい、こっちを先にやってしまえ。ということで、かなり集中的にハングルの読みだけの学習を優先した。
 実は、ハングルについてはこれまでも覚えては忘れる、というのを繰り返している。ハングルは一種のローマ字というか仮名表記だし、そもそも漢文が読めない民衆向けに、ふりがなとして出来ているので、そんなに覚えるのは難しくない。誰でも、一時間も学べば読めるようになる。ところが、一旦覚えても日常使っていないでいると忘れる。たぶん、日本人だとカタカナとの干渉みたいのがあるのではない。「가」となど、「フト」とか読みたくなってしまう。
 ちなみに、ユーチューブにいい教材があるので、これを使うと、15分くらいでハングルの読みは学習できる。

 とりあえず、ハングルが読めるようになったので、ハングルを読み返すと案の定、かなり音変化がある。もちろん、ピンズラー教材には正書法のテキストはないのだが、ある程度聞いていたら意味から正書法のテキストは再現できる。
 改めてハングルの仕組みを見る。そもそもこれは、漢字の読み仮名としてできた工夫である(「國之語音、異乎中國、與文字不相流通、故愚民有所欲言、而終不得伸其情者多矣。予爲此憫然、新制二十八字、欲使人人易習、便於日用耳。」)。
 なので、パッチム(子音字母)は入声(プラス陽声韻)に対応している。別の言い方をすれば、そもそも韓国語(朝鮮語)の音節というかモーラ単位の記法というよりも、漢字に対応させてできたものである。
 たとえば、漢数字の「八」は、普通話では「bā」で1声の母音で終わるが、日本語では「ハチ」、韓国語では「팔」。中古音では、[pat]だろうと思われる。日本語や韓国語に古代中国語の入声が残っている。
 と、こう今書いてみて、韓国語では、「팠」ではないのだなとしみじみ思う。というか、そもそも漢字音の仮名としてそうしたハングル文字は存在しない。[ptk]への対応は「ㅂㄹㄱ」になる。「tからㄹ」が規則的になっている。このあたり、訓民正音の成立は15世紀なので、李朝の儒者たちも日本の儒者同様、その時代の中国語の文化からはすでに切り離されていただろう。まあ、今後もう少し調べてみたいというか、関心が向く。
 今回、しみじみハングルに向き合って考えが変わったことがある。以前は、こんな不合理で古くさい形式の拼音を使うのは不便なので、せめて漢字ハングル混じりにすればいいのにと思っていた。
 だが例えば、「東京から来ました」というとき、仮名で「トウキョウカラキマシタ」と書くと読みづらいが、「도쿄에서 왔습니다」はそれほど読みづらいものでもない。「東京에서 왔습니다」のようが読みやすいように思うが、慣れれば変わらないと思えるようになった。
 ロシア語を学んでいて、完了体動詞・不完了体動詞、格変化とかやっていた感覚からすると、日本語と韓国語は実にそっくりだなあとしか思えない。特に、日常語のなかに尊敬が修辞ではなく文法に埋め込まれているあたりは、なんだろうという気持ちがする。それでも韓国語には女性語がないだけましかもしれないが、ロシア語だと主語が女性だと過去表現ですら性数一致が強制される。
 というわけで、今回の韓国語学習にはピンズラーの教材を使うので、とりあえず、30日間は韓国語を学ぶ。
 今日で4日目になる。意外に難しくて、途中で挫折するかもしれない。それでも今回、集中的に韓国語音声を聞き、ハングルに向き合ってみて、いろいろ思うことはあった。
 日本としてみれば、韓国語というか朝鮮語は、隣国の言葉なので、ハングルの表記法と漢字の関係くらいは義務教育で教えておけばいいのではないかとも思った。
 

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2015.05.04

オバマの戦争ことアフガニスタン戦争が現状どうなっているかというと……

 オバマの戦争ことアフガニスタン戦争は現状どうなっているのか? 報道がないわけではないが、あまり大きく取り上げられることはないように見える。なぜか。アフガニスタンでのタリバンとの戦いが収束したからだろうか。もしかしてそう思っている人がいるかもしれないので、ブログを書いてみよう。
 前ブッシュ政権時にイラク戦争の泥沼がその失態としてしこたま語られたものだった。そしてオバマ米大統領はこれを終結させると公約して登場した。が、2011年に米軍がイラクを撤退してからの惨状はついにIS(イスラム国)の登場を招いた。これにはイラクの政権に問題があったとかいう責任押しつけ論や、そもそも前ブッシュ大統領が開戦したことが原因だというそもそも論といった修辞で覆われているが、普通に考えたら、オバマ大統領の失態だろう。対処の責任者として登場したわけだし。
 そしてオバマの戦争ことアフガニスタン戦争は現状どうなっているのか。
 まず、注目すべきことはオバマ米大統領が約束した米軍の撤退がどうなったかである。転けているのである。
 関連経緯を確認しておこう。まず昨年12月初旬。12月7日WSJ「アフガン駐留米軍の撤退は中断=ヘーゲル国防長官」(参照


【カブール】ヘーゲル米国防長官は6日、国際治安支援部隊の一時的な兵員不足を補うために、追加で最大1000人の米軍兵が向こう数カ月間にわたってアフガニスタンに留まると発表した。
 ホワイトハウスは現地の米兵を今月末までに9800人に縮小すると発表していたが、アフガニスタンとの安全保障協定の承認が遅れたため、欧州の同盟国は独自に約束していた派兵水準の承認を慌てて取り付けることになった。
 アフガニスタンを訪問中のヘーゲル国防長官は、同盟国の派兵の遅れにより米国は駐留米軍が1万0800人になった段階で撤退を中断することになったと述べた。現在は1万2000人に満たない米兵がアフガニスタンに駐留しているが、オバマ大統領は現地駐留米軍の最高司令官であるキャンベル陸軍副参謀総長にいかなる「一時的兵員不足」にも柔軟に対処する権限を与えているとヘーゲル国務長官は語った。

 オバマ米政権の修辞では「中断」。見通しはどうか。

 ヘーゲル国防長官はまた、アフガニスタン駐留米軍の任務がより限定的になり、向こう2年間の長期的な撤退スケジュールに変わりはないとも述べた。国防総省の高官は、駐留米軍が2015年末には5500人に縮小され、それが翌年の末までにはカブールの小さな構成部隊に統合されると述べた。

 修辞上は「長期的な撤退スケジュールに変わりはない」。実態はどうか。
 年が明けて今年の2月。2月22日CNN「米国防長官がアフガン訪問、米軍撤退の期限延長を示唆」(参照)より。

 アフガン駐留米軍は昨年末に戦闘任務を終え、残留した約1万1000人の部隊が訓練、支援任務に当たっている。現在の計画ではこの部隊を1年間で半減させ、来年末までには完全撤退させることになっている。
 これに対してガニ大統領は先月、米CBSとのインタビューで、オバマ大統領に撤退計画の見直しを呼び掛けていた。

 3月にはアフガニスタンのガニ大統領が懇願に出た。ぶっちゃけ演出である。3月21日時事「米軍撤退見直し協議へ=アフガン大統領、22日訪米」(参照)より。

 【ニューデリー時事】アフガニスタンのガニ大統領が22日、米国を初めて公式訪問する。24日にはオバマ大統領と会談し、駐留米軍の撤退計画見直しや反政府勢力タリバンとの和平交渉などについて協議する。
 米軍を中心とする駐アフガン国際治安支援部隊(ISAF)は昨年末に戦闘任務を完了。オバマ大統領は現在約1万人の駐留部隊を今年末までに半減させ、2016年末に完全撤退する計画を打ち出した。
 だが、13年にわたる対テロ戦争を経てもタリバンの脅威は残り、和平の見通しも立っていない。アフガン側は撤退期限の延期を要請し、米国内でも、アフガンが米軍撤退後に過激派組織「イスラム国」の台頭を許したイラクの二の舞いになるとの懸念が広がりつつある。

 会談結果で、現状維持でオバマ大統領の修辞もそのままになった。簡単に言えば、撤退構想は破綻しつつあるが修辞は維持されている。
 戦闘の実態はどうなっているのか? 春の年中行事、タリバンの春の攻勢は滞りなく宣言された。まだ目立つほど陰惨な事態ではない。というか、そうなったら修辞が完全崩壊しかねない。
 近況だが、実際のところ、オバマの戦争ことアフガニスタン戦争では米国は敗戦しているのでその交渉に入っているはずだった。というか、実際の敗戦交渉という点は修辞で覆っているが、やることは交渉でしかない。今日の共同「アフガン政府側とタリバンが会談 停戦で継続協議へ」(参照)より。

 ロイター通信によると、中東のカタールで2、3の両日、アフガニスタン政府当局者と反政府武装勢力タリバンの代表者らが会談し、停戦の可能性を協議した。米軍をはじめとする外国部隊の駐留をめぐり意見が対立、合意には至らなかった。
 来月にも再び会談することでは一致し、今後の議論次第では和平協議実現への道が開かれる可能性もある。
 会合はカタール政府が主催し、非公開で行われた。アフガン政府の和平交渉窓口となる「高等和平評議会」の幹部や、タリバンの政治評議会のメンバーらが出席したとみられる。
 タリバンの参加者によると、政府側は停戦を受け入れるよう求めたが、タリバン側は同国に駐留する外国部隊が完全撤退するまで戦闘はやめないと主張、平行線のまま議論は終了したという。関係者によると、会談には米国、中国、パキスタンの代表も同席した。(共同)

 一種の敗戦処理ではあるのだが、どうも微妙な線が見え隠れする。そのあたりで、実はブログを書いてみようと思ったのだった。
 この共同のニュースだがロイターの孫引きで、元のロイター通信のニュースはざっと見たところ翻訳はない。英文ではこれだろう。"Taliban, Afghan figures talk ceasefire but fail to agree"(参照)。英文報道を見ると、共同の孫引きとは印象が異なり、主眼は現政府にあるようにも読める。
 単純な話、米軍がアフガニスタンを撤退すれば、現ガニ大統領の元のアフガニスタンは維持が難しい。最悪、タリバン政府ができあがる。と、言ったものの事実上、敗戦処理であり、その「最悪」を受け入れて、どう修辞でごまかすかというのが米国オバマ政権の課題となっている。
 このあたりが修辞として非常に面白い。
 そもそも米国がタリバンと交渉しているあたりで、「あれ? 米国はテロリストとは交渉しないのではなかったか」と疑問に思う人もいるだろう。ちなみにウィキペディアを見ると「2010年にアメリカはTTPを国際テロ組織に指定、2011年にはイギリスもテロリスト集団としてその活動を禁じた」(参照)ともある。ところが……
 1月のWSJ「「テロリスト」に譲歩せぬ米政府、「反政府勢力」なら構わず」(参照)より。

 米政府がイスラム教過激派組織「イスラム国」と、アフガニスタンのイスラム原理主義組織「タリバン」との違いを強調している。タリバンは「武装した反政府勢力」で、「テロリスト」のイスラム国とは違うというのがその論理だ。


 だが、米国はアフガニスタンで拘束された米国軍の人質を解放するため、タリバンの求める囚人との交換に応じている。09年にタリバンに拘束されたバーグダル陸軍軍曹を救い出すため、14年にキューバのグアンタナモ基地で拘束していたタリバンメンバー5人を釈放した。
 この件について米政府は、イスラム国はシリアとイラクで猛威を振るうテロ組織だが、タリバンはそうではないというのがオバマ政権の考えだ、と説明した。
 シュルツ氏は「タリバンは武装した反政府勢力であり、イスラム国はテロ組織だ。米国はテロ組織には譲歩しない」と述べた。

 タリバンは「武装した反政府勢力」だが、「テロ組織」ではないのである、まあ、オバマ政権の修辞では。笑える。
 いつからそうだったのか。最初からそうだったのか? この修辞の経緯はよくわからないが、現状、いつのまにか、タリバンはテロ組織ではないことになっている。というあたりで、この修辞が、IS(イスラム国)との関連にあることもわかる。
 この先は、各種関連論説をざっと見た範囲では見えてこないので、私の見方になる。オバマ政権はIS(イスラム国)の対抗勢力としてタリバンを維持したいのではないだろうか? すでにブログで言及したが(参照)、ISはタリバンを支配下に置きたいという欲望を持っている。
 このことはタリバン側からしても、ISが脅威になっているとも言える。
 そのあたりで、推測に過ぎないのだが、現在の米国とタリバンの交渉はすでに敗戦交渉としてアフガン政府との事後処理というより、もう少し積極的に、ISに対する構図で、タリバンと米国との事実上の軍事同盟なのではないだろうか?
 この構図でもう一つやっかいなのは、パキスタンとイランの関わりである。
 オサマ・ビンラディンを事実上パキスタン政府が擁護していたように、パキスタンとしては、タリバンは対インド戦略の駒でもあった。これにさらに、対ISとしての駒の価値が高まることになる。
 こうした構図で見ると、アフガン政府という修辞を維持しつつ、アフガニスタンにタリバン政権が樹立されることが、米国とパキスタンには有益ということになる。さらに言えば、対インドの構造もあってパキスタンと中国も連携しやすい。
 修辞さえ維持できれば、タリバンを軸にISの牽制ができて、米中にとってもいい構図にも思える。だがそういい構図だけでもない。ISを影で支えているのは、対イランとしてのサウジアラビアとイスラエルだからである。構図は非常に奇妙なものになる。さらに構図が奇妙になるのは、イランと米国の関係も米国側では反核の修辞で覆っておきたいというのもある。
 いずれにせよ、二つのことが露出しつつある。一つは国際情勢において修辞と現実がかなり乖離しはじめていること、もう一つはタリバンとイランを軸に巡って新しい構図が生まれつつあること。これらがどこに帰着するかは現段階ではよくわからない。あえて言えば、オバマ政権の修辞は破綻するだろう。
 
 

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2015.05.02

官邸ドローン落下事件はインスタレーションと見てよかった

 書こうかどうか迷ったのだけど、いちおうまだブロガーを廃業しているわけでもないので、少し書いておこう。ネタは、官邸ドローン落下事件である。で、何がいいたいのか。官邸ドローン落下事件はインスタレーションと見てよかったということである。
 つまりアート。芸術である。
 何も奇矯な修辞を弄したいわけではない。「芸術は爆発だ」とかいうギャグを言いたいわけでもない。普通に考えて、これはインスタレーションと見てよかったと思うのである。むしろ、なぜそうならなかったのかという点にこそ、現代日本の重苦しい空気を感じる。
 普通に考えてこれはインスタレーションだと私は思うのだが、そういう指摘をニュースでもネットでも私は見かけなかった。どこかにあったのかもしれないが、見かけないならブロガーが書いておくのもいいだろう。
 容疑者が出頭してから、出頭に合わせて関連経緯のブログが公開され、それがこの事件の説明とされたことから、「こいつアホじゃね」みたいな空気が形成された。反原発の主張を読み取ることで「反原発ってこんなやつらばっかしなんじゃいの」といった文脈も形成された。
 またそれ以前に、官邸側が上手にテロ対策の文脈を作ってしまったことや、容疑者もテロという言葉をもてあそんでいたことから、報道もそういう枠組みにすっぽり嵌ってしまった。
 しかし、現状の小型クアッド・コプターで運べるのは500gに満たない。500gだって危険な物質があるというのもそうだが、だったら、問題はまさしく小型クアッド・コプターではありえない。そもそもこのレベルのドローンの規制にどれだけの意味があるのか頭を冷やして考えればわかることだ。しかも今回運んだのは「汚染土」である。これもよく探せば都内でも見つかる程度の泥である。つまり、それはメッセージ以外のものではない。
 つくづく、なにかと、残念だなと思う。なによりこれは普通に考えたらインスタレーションであるのに。
 昨年月7月22日、ブルックリン・ブリッジの星条旗が白い旗にすり替えられた。しかもわざわざ通常の星条旗を脱色して作った旗である。やったのは、芸術家であった。
 今回の容疑者も、愛読してた古賀茂明氏のようにどうどうと「自分のインスタレーションを理解してくれよ」としゃべくりまくるか、艾未未みたいな演出でもすればよかったのではないか。あるいはもうちょっと、よくあるように支援組織に目配せしてもよかったのではないか。本人は「ローンウルフ」を自称していたが、アートはなかなかプレゼンテーションも必要なのである。
 インスタレーションとしては場所とタイミングも重要になる。ブルックリン・ブリッジ白旗も橋設計者のジョン・ローブリングの命日だった。今回の事件も、自称の「官邸サンタ」でわかるように、本来は12月24日の深夜に成功するはずだった。官邸へのサンタからの贈り物が、原発汚染土だったのである。「あと反原発アピールなら汚染土か・・・」(参照)という着想であった。テロというようなものではそもそもない。
 もうちょっとだけ演出がよければと悔やまれてならない。しかしまあ、インスタレーションとしてミスは多かったことは否めない。
 容疑者にはまだアートの心が足りなかったと言ってもいいかもしれない。若い頃に漫画なども書いていたから、まったくアートの才能がなかったとは思えないが、事件直前に公開されたブログを読むと、奇妙に真面目な自省が自意識との合間で歪んでいくようすが凡庸すぎて、自分を見るようなつらさがある。
 本来のクリスマス・イブはつらいものだった(参照)。


帰りの道中少しホッとしている・・・
家に着いた頃には気が狂うほど後悔・・・飛ばしたかった・・・

 なにが彼を失敗したアーティストに変えたのか。
 40歳という年齢だっただろう(参照)。

「ゲリラ戦士の最高年齢は40歳以上であってはならない」(チェ・ゲバラ)
40歳になっってしまった・・・
平均寿命の半分を無駄に過ごした
ゲリラ定年・・・いやまだ何もしてない・・・再雇用

 40歳になる焦りが稚拙に書かれている。その半年ほど前には「39歳・・・思うように身体を動かせる期間はあとどれくらいか・・・」(参照)ともある。老いていくことの恐れが彼を駆り立てていたことは確かである。まあ、自分を省みてもその焦りはよくわかる。
 そして、このゲリラへの言及だが、彼はもともとゲリラになりたかったのである。そういう夢があって悪いものでもない、夢だけなら。
 その点、今回の事件で彼のブログを見て最初に奇妙に思えたのは、「ゲリラブログ参」という「参」である。最初、「参上!」かと思ったが、ふとこれは数字の「3」なんだろうと考えて調べてみると、これ以前に「ゲリラブログ」(参照・アクセス不可)があり、2010年10月から2014年4月まで書かれていた。内容はほとんどがサバゲーである。趣味でやっていた。この時期、2011年3月11日の震災やそれに続く原発事故についての言及はない。つまりこの時期には彼は、反原発に関心をもっていなかったことがわかる。
 現存の「参」は2014年7月から2015年4月までである。推測するに、2014年5月から2014年6月までの2か月間の「弐」が存在していても不思議ではないので探したが見つからなかった。ただし、あったとしても短期間である。が、この間に「反原発」への転換の芽はあったかもしれない。
 「参」を読んでいくと、反原発は彼の故郷の福井県小浜市の住民として高浜原発への思いが根にあるようにも思える。そうしてみると、彼が定職を辞したのも転勤としてこの地を離れることを厭う気持ちもあったのかもしれない。
 彼を「官邸サンタ」にした一つの転機は、会社を辞めたあとの昨年秋の九州一周自動車旅行だったようだ。そこで着想した(参照)。

2週間くらい車で走りながらずっと次の行動を考えてた・・・
ドローンを使えないだろうか・・・

 このあたりの彼のブログを読んでいて思うのは、やはり普通にインスタレーションだなということだ。彼にとっての「テロ」はサバゲーのような趣味の領域であり、自分が40歳にもなって崇拝するチェ・ゲバラからの離れていく脱落感から、意思を表明してみたかったのだろう。
 滑稽といえば滑稽だし、私とさほど変わらない小市民である。むしろ、その小市民性がせっかくの芸術行為をちょっとつまんないものにしてしまった。
 しかし小市民というなら、私たち日本の小市民はこの事件を芸術として鑑賞していいのだと思う。反原発というインスタレーションの趣旨は理解するとしても、その主張それ自体に同調する必要はないし、またこの程度の騒ぎに官邸側のストーリーに載せられてテロだと市民が騒ぐような段階でもない。誤解なきよう補足すれば、だからといってこれが現状の法律で犯罪ではないというたぐいの弁護をしたいわけではない。もっとも、芸術には千円札裁判(参照)のような事例もある。
 ただ私たちにはもっとアートな心をもっていい。息苦しい正義が横行しているときこそ、アートで笑うべきなのだ。戦時、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」というポスターが貼られたが、市民はそこで「工」の文字を消した。ちょっとしたアートである。その諧謔の伝統こそ市民社会が維持するべきものだ。
 
 

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