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2015.03.02

[書評] ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由(ジョシュア・フォア)

 どちらかというと偶然に読んだ本だったか、これがとてつもなく面白かった。どう面白いのかというと、多面的だが、まさにこういう本が読みたかったという思いにズバリと突き刺さる本だった。

cover
ごく平凡な記憶力の私が
1年で全米記憶力チャンピオンに
なれた理由
 内容は邦題が示しているように、ごく平凡な若者が、一年間の記憶術の訓練で全米記憶力チャンピオンになるまでの話を軸に、記憶術がどういうものか、また人間の記憶能力とは何か、ということだ。実に上手に描き出されている。私にとって一番面白かった点は、記憶術の歴史に関連する部分ではあったが、その他の面も面白かった。
 正確にいうと、著者は「ごく平凡な若者」とは言えない。邦題どおり「 ごく平凡な記憶力」だったとは言えるだろう。だが、本書にも触れられているが、全米記憶力チャンピオンは国際的にはど田舎と言っていい。欧州のチャンピオン達にはかなわない。もっともそれでも全米一は驚くべき記憶力である。
 というわけで、本書は、記憶術のハウツー本ではないが、超人的な記憶力を達成する技術、訓練法、秘密が惜しげもなく公開されている。
 繰り返すが、ハウツー本ではないので、具体的なレッスンプログラムなどは書かれていない。が、おそらくこの本をきちんと解析すれば自分なりにそうした練習プログラムなどは作れるだろう。
 なにより、記憶術というものの本質をこれほど的確に描いた本はないのではないか、ということが、この書籍の執筆時点の最新の記憶術を通しても理解できる。同時に、今後どのように記憶術が開発されるのかという概要もわかる。記憶術の開発現場のようすがわかる。
 本書が面白いのは、そうした、ある神秘的とも熱狂的にもなりうるこの分野が、どちらかというと冷ややかに描かれていることだ。
 この記憶力チャンピオンなるものは、以前はよく日本のテレビなどでも見かけたものだが、例のマインドマップの創始者でもあるトニー・ブザンが始めたもので、本書にも彼が登場する。だが、彼について書かれた書籍の多くが心酔者であるか、表層的な批判者であるのに対して、著者はブザンを評価もしている反面、ある意味で本質的な批判の視点をもって描いている。ブザンという人間がよく理解できる。
 同様の対象となるのが、『ぼくには数字が風景に見える』(参照)の著者ダニエル・タメットである。彼は、イギリス人のサヴァン(知的障害や発達障害などがあるものの、特定の分野に天才的な能力を発揮する者)として知られ、実際のその天才的な能力はメディアでもよく取り上げられる。著者は彼の天才的な能力、とくに記憶力とされているものが、記憶術の応用ではないのかという疑いを持ち、肉薄していく。描写はスリリングである。この部分の本書の印象を言えば、タメットが天才であるのは疑問の余地が残る。とはいえ、タメットの結果としての言語習得の才能は天才的であることには実証されているように疑いようもない。おそらくは特殊な記憶術の成果なのではないか。
 ブザンやタメットへの懐疑を通して、人間の頭脳の能力とはどういうものなのかも本書では追求され、この時点の最新科学などにも言及されている。そもそも著者が記憶力チャンピオンになれた要因の一つはこの分野の科学研究の一環でもあったためだ。
 関連して描かれる長期記憶のないEPと呼ばれる人物の描写も面白い。彼は、ある種、クリシュナムルティや禅の「境地」と呼ばれるものにも似ていて、笑えるといってはなんだが、人間の脳構造といわゆる「悟り」なるものの関連が推測される。本書から逸脱するが、仏教とは案外、人間の脳の仕様ミスのパッチ技術なのではないだろうか。
 多面的に面白い書籍なのだが、私が一番興味引かれたのは、記憶術の歴史である。これが西洋ではローマから、いや古代ギリシャから、延々とした歴史を持っていたことの解説は非常に興味深いものだった。長年抱いていた疑問がかなり氷解した。
 結局、人類は、書記システムや印刷技術によって、つまり、文字を書くということで、記憶術という脳の技術を失っていったという指摘も、このように具体性を帯びる説明によって、かなりいろいろなことを考えさせられた。
 本書は日本では2011年に出版された本で、現在ではそう最新の情報とは言えないにせよ、とにかくこれが未読であったとは残念だったな自分、と思えるくらい面白い本だった。そういう後悔をしたい人には是非、一読お勧めしたい。

 
 

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