« 「日本版CCRC」の導入に向けて有識者会議を設置することになりました、とさ | トップページ | [書評] 昨日のカレー、明日のパン(木皿泉) »

2015.02.23

日本のリバースモゲージはどうなっていくのだろう?

 昨日のエントリーを書いた後、リバースモゲージについてしばし考えていた。心にひっかかっていたのは、格差が議論され、資産への課税が話題になるものの、相続の課税とリバースモゲージを日本人はどう考えているのだろうか?ということだった。
 いや、もちろん、「日本人は」という主題を個々の人でいうなら、ほとんど考えていないのではないだろうか。私もそうであるし。なので、そういう意味合いではなく、どちらかというと、どう日本人は考えていくのだろうかという問いに近い。
 問題意識の核心を最初に提示しておくと、これから日本が超高齢化社会を迎えるにあたって、高齢者の介護・終末医療が大きな課題になるが、そのお金を誰が出すのだろうかということだ。
 この手の社会的な課題は、政策の課題であるのに、日本では政局の課題に混同されやすい。特定の政権の政策でなんらかの対応が可能だという考え方である。しかし、少し考えればわかるように、この種の問題は政策の合理性が一義に問われるので、なんの政権であろうがどうでもよいことだ。
 具体的に高齢者の介護・終末医療のお金をどこからひねり出すか。というと、年金ないし税金が想定され、それは国に結びつく。簡単に言って福祉予算でもある。だが、税や年金の原資には限界があり、これが国債を通して財政赤字に結びついている現状がある。簡単に言えば金が足りないのですでに国民に借金している状態である。この借金はいずれどこかで限界になるので、国も一定のバランスを取らないといけない。要するに金がない。しかもさらに超高齢化社会を迎えるにあたってさらに金は加速度的に不足する。
 一つの単純な解決は重税であり、消費税もこの文脈で語られてきた。そこで消費税をあげたところ、日本経済はさらに萎むということになった。単純な消費税増税だけでは悪循環を生む。(いずれ必要になるにせよ。)
 そこでもう一つの、現在行われている対応はリフレ政策である。この政策の主眼は雇用の拡大にあるが、総合して国の税収を増加させると同時に、国の借金を一定率で実質的に削減することになるので、おおよそ4%くらいのインフレーションがあれば、日本の財政赤字解消の見込みは立つ。またその過程で、資産を持っている人の資産をインフレによって目減りさせることや、若い人の借金も軽減させることなどから、自動的に富の再配分にもなる。
 八方よいことづくめのようだが、富の再配分ということは損になる階層もいる。すでに資産をもっているか、大企業など安定した賃金を得ている高額所得層である。また、インフレが低インフレでとどまるのかという疑問も投げられている。それはそれとして、実際のデメリットは生活のインフレでもあるし、実際のところ国政の重税と同じように生活には機能する。それでも若い世代や低所得層や中間所得層にはどちらかと言えばメリットが出る政策だろう。中間層へのメリットは最後になるので、この金融政策が現状で挫折すると痛い。
 では、そのリフレ政策が軌道に乗れば、超高齢化社会問題に必要な福祉予算も確保できるかというと、そうもいかないだろう。現行で赤字でふくれあがる状態の悪化要因がこれからさらに過激になるからだ。
 議論が粗雑になるが、いずれ国の対応の限界が明確になるとき、さらに国に金を求める政策となるのか、それとも社会の側の互助的な対応となるかだが、国のほうでは、まあ、これは国の対応は無理だろうなという目論みがあるせいか、高齢者の自宅介護や家族での対応に期待するように盛り立てている。これが一部の家族主義から保守主義に結びついてもいる。だが、これも無理だろう。
 核家族化が進展し小家族に分裂する。そもそも戦後はどんどんと少子化が進んで親を介護できる子どもの数も少ない。これに未婚世帯や単身世帯が加わると、そもそも親族がない。
 国もダメ、家族もダメで、どうするか。というあたりから、本人の資産を担保にして老後を考えてくださいというのが、リバースモゲージである。もちろん、資産ないとなるど、どうにもならないが、あるなら最後は資産を売って、老後の生活に当てるということになる。
 リバースモゲージは、持ち家など資産を担保にした個人年金である。高齢者が死を機会に持ち家を手放す条件で年金を支払うことだ。
 大手銀行では2013年あたりから実施している。昨日エントリと類似だがSUUMOジャーナル「みずほ銀行がリバースモーゲージをはじめて1年。その手応えは?」(参照)が興味深い。


 みずほ銀行が日本のメガバンクとして初めてリバースモーゲージに参入して、2014年7月で1年が経過した。その後、三菱東京UFJ銀行や地方銀行も取り扱いをはじめるなど、さまざまな動きがあり、業界の取り組みも活性化している。では、実際のところはどうだったのか、利用者の反応や課題、今後の展開について聞いてきた。

 その実際なのだが、ちょっと困ったなあという実感がある。

 「開始当初は、“東京都内で土地評価額4000万円以上の一戸建てをお持ちの方“を対象にしていました。現在ではご要望に応じて、東京神奈川千葉埼玉の一都三県までエリアを拡大、土地評価額2000万円以上の一戸建てをお持ちの方まで、ご利用いただけるようになりました」(山口さん)といい、需要を掘り起こしつつ、手探りで展開している面もあるようだ。では、こうして借り入れたお金はどのような費用として使われているのだろうか。
 「リバースモーゲージには生活資金として利用されている商品もありますが、当行では、日々の生活資金ではなく“ゆとり資金“として使っていただく設計となっています。また、55歳から利用可能なので、まだまだみなさん若く、気力、体力がおありです。50代から60代の方の資金の使い道としては、海外旅行やご自宅のリフォーム資金などに充てられる方が多いですね」(山口さん)

 つまり、この話だとリバースモゲージは「ゆとり資金」ということで、高齢化社会の対応という視野をそもそももっていない。どちらかというと、「なんちゃってリバースモゲージ」ということだろう。
 資産があるといっても、土地評価額で2000万から4000万で、このレベルなので、国の制度がしっかりしないと、おそらく高齢化社会対応のリバースモゲージにはならないだろう。
 現行については民間に任せても、どうこう考えても、ここで終点、という感じもする。「なんちゃってリバースモゲージ」止まりである。
 仮に国が取り組んで、「なんちゃってリバースモゲージ」でない制度ができたとする。その場合は、子どもがなくて資産がある高齢者ならリバースモゲージをするだろう。子どもがある場合では、どうか。ざっくばらんに問えば、子どもは親の資産を狙っているから、親にリバースモゲージさせるだろうか? 
 認知症などで親の介護を子どもがするのは無理だという場合、もちろんいろいろ公的な援助を受けてももう限界だという場合、親に資産があればそれを実際には子どもが判断してリバースモゲージとするだろう。(おそらくそこで子供間の争いの元にはなるだろう。) 高齢者でも元気であれば、その資産がそのまま子どもに相続されるように、リバースモゲージは避けられるだろう。
 リバースモゲージの制度が整備できても、それが問われるあるグラデーションが存在するだろう。
 それに合わせて、この政策を進めるためには、リバースモゲージを推奨するためにそうでない場合の相続を重税化していくほうがよいだろうとも思う。
 ただし、相続の重税化の方向が定まると、子供の教育など子供への一種の投資も高まるだろうから、若い世代の格差はさらに開くだろうな。
 話は途中に戻るが、民間だけでは実質的なリバースモゲージが無理だとなると、国が対応する制度が必要になるが、そこでもまた金をどこから?という問題にはなるだろう。
 うーむ。いろいろ思うのだが、リバースモゲージは日本では高齢化社会対応の政策オプションとしてはそもそも無理なのか。ふと思い直したのだが、昨日の「日本版CCRC」は、安価で実現できるリバースモゲージ的な意味合いもあるのかもしれない。

|

« 「日本版CCRC」の導入に向けて有識者会議を設置することになりました、とさ | トップページ | [書評] 昨日のカレー、明日のパン(木皿泉) »

「社会」カテゴリの記事

コメント

少子化が進めば今後日本では都心の超一等地以外では土地は資産価値ゼロ(誰もほしがらない)になると思いますが、つまり家土地なんかあっても資産のうちに入らなくなり、リバースモーゲージどころの話じゃ無くなると思うのですが。

投稿: | 2015.02.25 00:51

子供の将来に必要なお金よりも年老いた自分にお金が必要と思うのでしょうか?
一老人の命の価値は可能性のある若者に懸ける価値よりも大きいのでしょうか?
最近、私は癌の重量子線治療をカバーする医療保険を解約しました。
せっかく癌で化学療法を拒否し、十分なオピオイドによる鎮痛治療と
最終的に呼吸管理、持続静注点滴による処置で安息を得られるのに(技術的に十分可能です)癌で生きながらえて、認知症になるリスクは恐怖です。
癌で死ぬまでには時間があります。疼痛緩和の技術は進歩しています。
痛みをコントロールし家族との旅行を、幸せな時を最後の想い出にして、相続問題等を事前に解決して心安らかに最後を迎えることが可能です。
呼吸していること、心臓が動いていることが生きていることではないと考えます、現在の日本人の死生観はいびつな部分があるように思いますし、個人の死生観、それに対する哲学的な多様性を認めていくこが、個人の終末における理想とまた終末医療に関する経済的問題に関する鍵になるのではないでしょうか。

投稿: val | 2015.02.26 22:13

finalvent様。
書籍も購入しましたし、本ブログも大変好きでいつも読ませていただいています。特に書籍にはおおいに共感しました。
ところでしばらく前よりあなた、"少し変"ではないでしょうか。ちょっと変。
たとえば"リバースモーゲージ"といった言葉を、以前のあなたならば無説明でいきなり書いていくこともなかったのじゃないでしょうか(たぶん、私の買いかぶりか思い込みかも、失礼)。
私も57歳です。あなたの知性と中立的な視点が好きです。
これは忠告でも批判でもないつもりなのですがアドバイスとして記させてもらいました。

投稿: ひでぢ | 2015.02.28 21:08


ひぢちさんこんには。本のこと、ありがとう。

>たとえば"リバースモーゲージ"といった言葉を、以前のあなた
>ならば無説明でいきなり書いていくこともなかったのじゃない
>でしょうか

そこはちょっと気になっていたところでした。前のアーティクルで触れたので省略したのですが、前のアーティクルでも語義的な説明はあまりしていません。正直にいうと、その解説だけで文章がいっぱいになりそうで、まあ、そこわからない人は今回はいいかとかちょっと思ったのでした。

>ところでしばらく前よりあなた、"少し変"ではないでしょうか。

そこも多少自覚あります。なによりブログを書く量が減っています。私事で緊張があるというもありますが、全体傾向として「変」が続くかもしれません。

もうちょっと言うと、ブログが、というより、ネットの空気や、さらにいうと日本のメディアの空気がイヤになっちゃったなあ、やってらんねー、というのはあります。

たぶん、また少し変わると思いますので、よろしければ。

投稿: finalvent | 2015.02.28 22:31

横から失礼します。
変とおっしゃる状態がどういうところから来るものか、いろいろ
拝見しておりますと部分的にではありますが推し測ることができるように思います。
ブログですから読みたい、理解したいと思う記事、言い換えますと読み手にとって必要な記事はなんとしてでも読み解かれていくものでしょうし、そうでない場合は読み飛ばされるものなのでしょう。
書き手の方にはなんとも不公平なことですが。

誠に勝手ながら、私はこのブログで
少しでも多くの記事を拝見できることを願っております。

投稿: | 2015.04.07 21:49

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本のリバースモゲージはどうなっていくのだろう?:

« 「日本版CCRC」の導入に向けて有識者会議を設置することになりました、とさ | トップページ | [書評] 昨日のカレー、明日のパン(木皿泉) »