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2015.02.26

[書評] 昨日のカレー、明日のパン(木皿泉)

 そういえば、小説のほうの『昨日のカレー、明日のパン』(参照)も読んでいた。面白かったかといえば面白かったし、感動したかといえば感動した。ただ、読み始める当初奇妙な戸惑いがあったのと、読後に奇妙な戸惑いがあった。しばらく、さて、どうしたものかなと思っていた。とりあえず書いておこうという感じである。

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昨夜のカレー、明日のパン
 当初の戸惑いは、NHKドラマの差違である。このドラマについては以前書いた(参照)。文句なく傑作と言っていいだろうと思う。書籍のほうはその原作であり、しかもNHKドラマのほうは同じく木皿泉の作品である。あるいはあるかに見える。だがここに、微妙にあるいはもしかすると決定的な違いがある。原作と他メディアによる再現・再構成という関係ではない。
 cakesのほうに『のだめカンタービレ』の書評を先日書いたが(参照)、この作品では明確にコミックが原作で、それにドラマとアニメが続いた。ドラマもアニメもよく出来た作品だったが、それがよく出来たがために人気に追われて、ドラマとアニメでは原作最終部の重要なテーマを見失うことになった。これはあくまで原作と二次的なメディア作品の差違として理解できる。ついでに言うと、これもcakesに書いた『寄生獣』(参照)だが、現在放映のアニメ『寄生獣 セイの格率』では時代差の補正を除けば恐ろしく正確に原作を再現しているのだが、だからこそ奇妙に、ある種ウルトラ・リアリスムのように微細な違いがあり、原作との差違の感覚から一種船酔いのようになる。
 話を戻すと、『昨日のカレー、明日のパン』でいうと、NHKのドラマと小説とは、かなり別作品と考えてよいのだろう。その割り切りができるまでに戸惑い、冒頭の三編「ムムム」「パワースポット」「ヤマガール」までをなんどか読み返した。読みながら、脳内にNHKドラマのシーンが再現されるのだが、それを打ち消すための読み直しであった。
 もちろん、NHKドラマの記憶をすべて打ち消す必要はないのだが、あまりも強烈な登場人物と、小説に描かれた人物との微妙な差違を確立しないことには、この作品はうまく読み通せないだろうという印象があった。
 と、同時に、そこまでして読む作品なのだろうか? むしろ、NHKドラマのほうが本格的な作品であり、小説のほうは起点であり、さらに言えば、NHKドラマをベースに別途ノベライズしてもよいのではないか、そんな思いが、「虎尾」「魔法のカード」と続いたのだが、それに続く「夕子」で、なんというのだろうか、打ちのめされた。冒頭からそこまでの文体とは異なる、芥川賞候補作品的文体とでもいうのだろうか、これは傑作短編だろうという、ぐいぐいと迫る調性の感覚が最初からある。しかし、数ページして、会話の多い、また脚本的な演劇主体的な文体に戻る。そこで、ぽっと本編作品に戻るような感じもある。それはそれでよいのだが、私としては、この短編だけは会話をもっと殺してほしかった。
 いずれにせよ「夕子」の物語はNHKドラマには挿話としては含まれているが、この短編の枠組みとしては含まれていないものである。そもそもその文体の響きはドラマには再現できないだろう。
 文字を通して描かれる、死と寄り添った内面的な空虚感は、夕子の息子・一樹の死と、その死を抱えこまされたテツコのそれまでの描写に回帰的に連続していく。この奇妙な、ある種時空を越えた連続感覚が何を意味しているのかわからないが、終わりでまた静謐な描写の文体に戻ろうとしていく。
 音楽的な構成でもあるのだが、ここで奇妙に目立つ違和感として、一樹が14歳のとき「関西でひどい地震が起こり」とあり、そこで夕子は泣き続けたというモチーフが挿入される。
 これが次の間奏的な「男子会」を経て、短い終章の「一樹」に流れ込む。ネタバレという意味合いでもないが、あっけなく、衝撃的なエンディングで、ほとんど唐突にこの小説が終わる。一樹の「生」の確実性が、テツコによって保障されたかのような、ある種、本来は未来に投げ書かれるべき希望のようなものが、死に覆われた過去に向かって投げかけられる。これはなんなんだという、奇妙な戦慄と共にまた全体を読み返すのだが、うまく消化できない。これがもう一つの戸惑いだった。
 ここで少し作品と距離を置いて、それがこの作品の欠点でもある、舌足らず、とでも言いたいような気持ちもする。そしてその気持ちは批評としてはある程度は正しいだろうが、この作品全体がもつ、奇妙な主題を取りこぼしてしまう。
 直観だけでいうのだが、おそらくこの作品は、東北大震災の鎮魂として描かれているのだろう。ただし、個別にその地震という天災の悲惨さというより、根源的に理不尽な死が我々の「生」を、人の一生を越えてまでも、通り過ぎる様子の、ある微妙な手触りを伝えるのだろう。
 私たちはえてして絶望を過去に置き、希望を未来に置く。あるいは過去に置いた希望が失われたことを現在の悲劇として描く。本書はそのいずれでもない。悲劇の本質はそのままだし、希望の本質もそのままである。おそらく、そのようなありのままが、鎮魂の一つの可能性としてこの作品で開かれようとしている。
 
 

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2015.02.23

日本のリバースモゲージはどうなっていくのだろう?

 昨日のエントリーを書いた後、リバースモゲージについてしばし考えていた。心にひっかかっていたのは、格差が議論され、資産への課税が話題になるものの、相続の課税とリバースモゲージを日本人はどう考えているのだろうか?ということだった。
 いや、もちろん、「日本人は」という主題を個々の人でいうなら、ほとんど考えていないのではないだろうか。私もそうであるし。なので、そういう意味合いではなく、どちらかというと、どう日本人は考えていくのだろうかという問いに近い。
 問題意識の核心を最初に提示しておくと、これから日本が超高齢化社会を迎えるにあたって、高齢者の介護・終末医療が大きな課題になるが、そのお金を誰が出すのだろうかということだ。
 この手の社会的な課題は、政策の課題であるのに、日本では政局の課題に混同されやすい。特定の政権の政策でなんらかの対応が可能だという考え方である。しかし、少し考えればわかるように、この種の問題は政策の合理性が一義に問われるので、なんの政権であろうがどうでもよいことだ。
 具体的に高齢者の介護・終末医療のお金をどこからひねり出すか。というと、年金ないし税金が想定され、それは国に結びつく。簡単に言って福祉予算でもある。だが、税や年金の原資には限界があり、これが国債を通して財政赤字に結びついている現状がある。簡単に言えば金が足りないのですでに国民に借金している状態である。この借金はいずれどこかで限界になるので、国も一定のバランスを取らないといけない。要するに金がない。しかもさらに超高齢化社会を迎えるにあたってさらに金は加速度的に不足する。
 一つの単純な解決は重税であり、消費税もこの文脈で語られてきた。そこで消費税をあげたところ、日本経済はさらに萎むということになった。単純な消費税増税だけでは悪循環を生む。(いずれ必要になるにせよ。)
 そこでもう一つの、現在行われている対応はリフレ政策である。この政策の主眼は雇用の拡大にあるが、総合して国の税収を増加させると同時に、国の借金を一定率で実質的に削減することになるので、おおよそ4%くらいのインフレーションがあれば、日本の財政赤字解消の見込みは立つ。またその過程で、資産を持っている人の資産をインフレによって目減りさせることや、若い人の借金も軽減させることなどから、自動的に富の再配分にもなる。
 八方よいことづくめのようだが、富の再配分ということは損になる階層もいる。すでに資産をもっているか、大企業など安定した賃金を得ている高額所得層である。また、インフレが低インフレでとどまるのかという疑問も投げられている。それはそれとして、実際のデメリットは生活のインフレでもあるし、実際のところ国政の重税と同じように生活には機能する。それでも若い世代や低所得層や中間所得層にはどちらかと言えばメリットが出る政策だろう。中間層へのメリットは最後になるので、この金融政策が現状で挫折すると痛い。
 では、そのリフレ政策が軌道に乗れば、超高齢化社会問題に必要な福祉予算も確保できるかというと、そうもいかないだろう。現行で赤字でふくれあがる状態の悪化要因がこれからさらに過激になるからだ。
 議論が粗雑になるが、いずれ国の対応の限界が明確になるとき、さらに国に金を求める政策となるのか、それとも社会の側の互助的な対応となるかだが、国のほうでは、まあ、これは国の対応は無理だろうなという目論みがあるせいか、高齢者の自宅介護や家族での対応に期待するように盛り立てている。これが一部の家族主義から保守主義に結びついてもいる。だが、これも無理だろう。
 核家族化が進展し小家族に分裂する。そもそも戦後はどんどんと少子化が進んで親を介護できる子どもの数も少ない。これに未婚世帯や単身世帯が加わると、そもそも親族がない。
 国もダメ、家族もダメで、どうするか。というあたりから、本人の資産を担保にして老後を考えてくださいというのが、リバースモゲージである。もちろん、資産ないとなるど、どうにもならないが、あるなら最後は資産を売って、老後の生活に当てるということになる。
 リバースモゲージは、持ち家など資産を担保にした個人年金である。高齢者が死を機会に持ち家を手放す条件で年金を支払うことだ。
 大手銀行では2013年あたりから実施している。昨日エントリと類似だがSUUMOジャーナル「みずほ銀行がリバースモーゲージをはじめて1年。その手応えは?」(参照)が興味深い。


 みずほ銀行が日本のメガバンクとして初めてリバースモーゲージに参入して、2014年7月で1年が経過した。その後、三菱東京UFJ銀行や地方銀行も取り扱いをはじめるなど、さまざまな動きがあり、業界の取り組みも活性化している。では、実際のところはどうだったのか、利用者の反応や課題、今後の展開について聞いてきた。

 その実際なのだが、ちょっと困ったなあという実感がある。

 「開始当初は、“東京都内で土地評価額4000万円以上の一戸建てをお持ちの方“を対象にしていました。現在ではご要望に応じて、東京神奈川千葉埼玉の一都三県までエリアを拡大、土地評価額2000万円以上の一戸建てをお持ちの方まで、ご利用いただけるようになりました」(山口さん)といい、需要を掘り起こしつつ、手探りで展開している面もあるようだ。では、こうして借り入れたお金はどのような費用として使われているのだろうか。
 「リバースモーゲージには生活資金として利用されている商品もありますが、当行では、日々の生活資金ではなく“ゆとり資金“として使っていただく設計となっています。また、55歳から利用可能なので、まだまだみなさん若く、気力、体力がおありです。50代から60代の方の資金の使い道としては、海外旅行やご自宅のリフォーム資金などに充てられる方が多いですね」(山口さん)

 つまり、この話だとリバースモゲージは「ゆとり資金」ということで、高齢化社会の対応という視野をそもそももっていない。どちらかというと、「なんちゃってリバースモゲージ」ということだろう。
 資産があるといっても、土地評価額で2000万から4000万で、このレベルなので、国の制度がしっかりしないと、おそらく高齢化社会対応のリバースモゲージにはならないだろう。
 現行については民間に任せても、どうこう考えても、ここで終点、という感じもする。「なんちゃってリバースモゲージ」止まりである。
 仮に国が取り組んで、「なんちゃってリバースモゲージ」でない制度ができたとする。その場合は、子どもがなくて資産がある高齢者ならリバースモゲージをするだろう。子どもがある場合では、どうか。ざっくばらんに問えば、子どもは親の資産を狙っているから、親にリバースモゲージさせるだろうか? 
 認知症などで親の介護を子どもがするのは無理だという場合、もちろんいろいろ公的な援助を受けてももう限界だという場合、親に資産があればそれを実際には子どもが判断してリバースモゲージとするだろう。(おそらくそこで子供間の争いの元にはなるだろう。) 高齢者でも元気であれば、その資産がそのまま子どもに相続されるように、リバースモゲージは避けられるだろう。
 リバースモゲージの制度が整備できても、それが問われるあるグラデーションが存在するだろう。
 それに合わせて、この政策を進めるためには、リバースモゲージを推奨するためにそうでない場合の相続を重税化していくほうがよいだろうとも思う。
 ただし、相続の重税化の方向が定まると、子供の教育など子供への一種の投資も高まるだろうから、若い世代の格差はさらに開くだろうな。
 話は途中に戻るが、民間だけでは実質的なリバースモゲージが無理だとなると、国が対応する制度が必要になるが、そこでもまた金をどこから?という問題にはなるだろう。
 うーむ。いろいろ思うのだが、リバースモゲージは日本では高齢化社会対応の政策オプションとしてはそもそも無理なのか。ふと思い直したのだが、昨日の「日本版CCRC」は、安価で実現できるリバースモゲージ的な意味合いもあるのかもしれない。

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2015.02.22

「日本版CCRC」の導入に向けて有識者会議を設置することになりました、とさ

 今朝のNHKニュースで、政府が「日本版CCRC」の導入に向けて有識者会議を設置することになりました、という話を聞いた。ほぉと思った。そして、なんか思考が停止した。ああ、俺も歳だなあ、ということでもない、と思う。なんだそれという疑問でも、ようやく腰を上げたか、という感慨でもない。なんと言っていいんだろう。どう考えていいんだろうかと、空白空間に漂ってしまったのだった。
 まず、「日本版CCRC」って何だ?
 という疑問があるだろう。NHKニュースでもその疑問はきちんと織り込んでいて表題には出していない。CCRC(Continuing Care Retirement Community)の部分を「高齢者の地域共同体整備」としている。日本語だとわかりますかね。まあ、ニュースを読んでみようじゃないですか。「高齢者の地域共同体整備 有識者会議で検討へ」(参照


 政府は、高齢者が必要な介護や医療などのサービスを継続的に受けながら、ついの住みかとして生活できる地域共同体を全国各地に整備することを目指し、有識者会議を設置して、導入に向けた課題などの検討を進めることにしています。
 アメリカでは、高齢者を対象に、健康状態に応じ、必要な介護や医療などのサービスを継続的に受けながら、生活できるCCRCと呼ばれる地域共同体がおよそ2000か所に整備されています。
 政府は、こうした地域共同体を各地に整備することで、都会から地方への高齢者の移住や、地域の活性化にもつなげることができるとして、「日本版CCRC」の導入に向けて有識者会議を設置することになりました。
 有識者会議には、医師のほか、大学やシンクタンクの研究者らが参加して、今月25日に初会合を開き、「日本版CCRC」の導入に向けた課題などの検討を進めることにしています。
 政府は、有識者会議での議論を踏まえ、早ければ平成28年度にも「日本版CCRC」のモデル事業を実施したいとしています。

 私が空白空間から這い出して気になったことは、高齢者にとって「ついの住みかとして生活できる地域共同体を全国各地に整備する」ということと、高齢者が今住んでいる場所・地域共同体が、どういう関係にあるのだろうか?ということだ。
 「地域共同体を各地に整備することで、都会から地方への高齢者の移住や、地域の活性化にもつなげることができる」と書いてあるところを見ると、どうやら、高齢者が今住んでいる場所から、地域共同体に移住する・させる、ということのように思える。
 なので、老人ホーム村みたいのを想像してしまうのだが、さて真相は?
 まどろっこしいので、結論を二つ先に言うと、一つは、米国風CCRCだったらたいした話題じゃないよね、ということ。もう一つは、終末期在宅療養みたいに現在住んでいる地域で人生を終えるという方向性と違うよね、ということ。
 最初に「日本版CCRC」というのだから、対応する米国風CCRCはどうなのか。というと、「アメリカでは、……CCRCと呼ばれる地域共同体がおよそ2000か所に整備されています」というので、さすがだなとか思いたくなるけど、実際は微々たるもの。SUUMOジャーナル「アメリカ「CCRC」の事例から学ぶ、終の棲家を自分で選ぶということ」(参照)より。

1970年ごろから急増したCCRCは、現在全米に2000カ所ほど存在し約60万人が生活している。シニアライフを豊かに送るための設備がそろい、住民同士の交流も盛んに行われている理想的な高齢者施設ではあるが、一方で入居費用などの投資額が非常に大きいため、米国の高齢者のうち3%しか入居していないという事実があることも否めない。ただし、そこには日本のシニアの住まいを考えるうえでのヒントが溢れている。

 話題になることはわかるのだけど、「米国の高齢者のうち3%しか入居」というのが、「日本のシニアの住まいを考えるうえでのヒント」になるのか、というと、そもそもならないんじゃないだろうか。
 で、終わり……という話でもないのは、この記事でも触れているが、保険の問題だ。日本では保険制度の関連が問われることになる。

日本版CCRCを実現するために、まずは日本とアメリカの違いをおさえておきたい。
「両者の最も大きな違いは、アメリカには医療保険・介護保険制度がないということだろう。保証されているものがないからこそ、老後も自分自身でなんとかしなければならないという自己責任が強く、リタイア後の住まいについても事前に選択しているのかもしれない」と話すのは北海道札幌を拠点とした介護サービスを展開するMOEホールディングスの水戸氏。

 該当記事は、SUUMOジャーナルということもあって、住宅の視点から見ているわけだが、保険という点で重要なのは、日本のCCRCは、現行の保険制度、特に、国家の保険制度と深い関係を持たざるをえないということだ。それってどうなるのか?
 この疑問に移る前に、「日本版CCRC」が現状、どういう文脈で語られているかの例を覗いてみたい。三菱総合研究所の「日本版CCRCの実現を目指す政策提言を発表~健康で元気で輝き続けるコミュニティ実現のためにオール・ジャパンの25政策~」(参照)あたりが一つの典型例になるだろう。というか、これまんまじゃないのか。

人口減少・超高齢社会を迎えた今、持続可能な社会を実現するための新しい社会モデルの一つとして、米国のCCRCを参考に日本の社会特性に合致した新しいモデルを構築・普及すべく、有識者、関係省庁、事業者で討議し、日本版CCRCのあり方と推進のための視点、必要となる政策、関連主体への期待などについて取りまとめました。

 詳細は「サステナブル・プラチナ・コミュニティ(日本版CCRC)政策提言」(参照・PDF)に詳しい。
 率直に言って、保険制度の関連で、誰が金出すの?というのが、「ふるさと納税」なども書かれているが、よくわからない。たぶん、高度な修辞で書かれているのだろうと思う。例えば、これとか。

戸建て住宅所有者が日本版 CCRC に住み替える際、所有している住宅を担保に銀行等から融資を受けて住み替えの原資を得ることが考えられる。適正な金額での融資を受けるためには、中古住宅の流通促進・活性化施策の一環として建物価値評価の適正化と併せて、担保価値の改善を図ることが必要である。また、リバースモーゲージの三大リスクについて、例えば、担保割れリスクを政府が、長生きリスクを生命保険会社が、金利リスクを融資金融機関が負担するなど、適切なリスク分担スキームを構築することが求められる。

 ごく簡単に言うと修辞のキモは「リバースモーゲージ」で、当然というか該当文書には解説がない。これはざっくりで言えば、持ち家を担保にして銀行に借金する、ということだ。会社を興すときなんかによくあるアレです(皮肉で言っています)。
 このあたりで、へなへなとくるというか、要するにこれは持ち家処分ということだ。では、持ち家のない人はどうするのか。そのあたりはよくわからない。地方自治体が借金するのだろうか。
 話を米国版CCRCとの関連に戻すと、ここまでの話からなんとなく想像するのは、資産のある人の老人の終の棲家を地方に作りましょう、ということのように思える。
 当然ながら、資産のない高齢者や、そうした人をすべて覆う保険制度と、これがどう関連するのかは、よくわからない。
 このあたりで私は、最近の都営住宅がすでに高齢者収容施設かしているような感じがしていることを連想する。日本版CRCCは、終末期在宅療養みたいに現在住んでいる地域で人生を終えるという方向性と違うよね、という関連からだ。
 少し前の記事だが、東京DEEP案内に「新宿区の秘境「戸山公園」 (2) 都営戸山ハイツ」(参照)が興味深い。出だしから、わかりやすい。

新宿区戸山、新宿副都心至近にありながら、今も昭和の高度経済成長時代の残滓を引きずる一帯。「山手線内最高峰」の箱根山を擁する戸山公園を取り囲むように立ち並ぶ1号棟から35号棟までに約7000人が生活し、その半数近くが高齢者という「都営戸山ハイツ」という名の巨大老人ホーム。

 2011年の記事である。最近はどうか。昨年夏の日経記事「「高齢者が地域で住み続けられるよう手助け」 秋山正子・暮らしの保健室室長 新潮流をつかむ(6)」(参照)より。

 「暮らしの保健室を開いた3年前、65歳以上の高齢者比率は46.3%だったが、現在は50%を超えている。病気や障害を抱えた人や独り暮らしの高齢者も少なくない。

 当然、「終末期在宅療養みたいに現在住んでいる地域で人生を終えるという方向性」の話題もある。

――国は病院や介護施設ではなく、地域で暮らすよう在宅での療養や介護を推進しています。
 「2000年に施行された介護保険法は高齢者の自立する力を引き出すと、理念をうたっている。06年の改正で要介護にならないようにする『介護予防』に重点を置いたが、今再び、自立支援の充実を打ち出している。暮らしの保健室では、地域で高齢者が住み続けられるように手助けをすることを目指している」

 私は最近思うのだが、この問題は、都営戸山ハイツ特有の問題ではなく、他の都営住宅でもそういう印象を受けることだ。老朽化している都営ばかりでなく、新設ですらそういうふうに感じられる。ただし、実態はわからない。
 だらっとしたエントリーになったので、もういちどまとめると、「日本版CCRC」は富裕階層・家持ち階層のごく一部の話題なんだろうなということ。政府のこの方針は、実際には、日本の高齢化社会の対策とは、ほど遠いだろう。あるいは、看板は「日本版CCRC」だけど、実際は老人ホーム村とかになりそうな予感。
 それと、「日本版CCRC」とは逆に、公営団地は、このまま、あるいは、新設しても、高齢者収容施設化していくんじゃなかろうか、ということ。
 

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2015.02.17

エジプトのラファール戦闘機購入にまつわる話

 13日のこと、フランス2を見ていたら、ダッソーのラファール戦闘機が初めて海外に売れたのでとても嬉しいというニュースがあり、軍事産業の海外展開が嬉しいなんて、なんだかなあという感じがしていた。しかも売り先はエジプトだというので、さらに、なんだかなこりゃという感じがした。
 ネットで確認できるかなと調べてみると、フィガロに早々に掲載されていた(参照)。
 このニュース、日本国内では報道されているのかなと、そのおりさっと調べてみたが見当たらなかった。が、少し間を置いてみるとAFPで見つかった。「仏ラファール戦闘機、初の輸出へ エジプトに24機」(参照)である。とりあえず全体がわかりやすい事実のみのニュースなので引用する。


【2月13日 AFP】フランス政府は12日、ラファール(Rafale)戦闘機24機とフリゲート艦1隻を、52億ユーロ(約7050億円)でエジプトに売却する予定だと発表した。
 フランソワ・オランド(Francois Hollande)仏大統領は、「ラファール戦闘機が初の輸出契約を獲得した」と声明で発表した。国防省筋がAFPに語ったところによると、ジャンイブ・ルドリアン(Jean-Yves Le Drian)国防相が16日、エジプト・カイロ(Cairo)を訪問し、アブデルファタフ・サイード・シシ(Abdel Fattah al-Sisi)大統領と契約書に署名する予定。
 仏航空機メーカー、ダッソー・アビアシオン(Dassault Aviation)が製造したラファールは仏空軍がリビアとマリで使用してきたほか、イスラム過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」に対するイラクでの空爆にも参加している。
 ダッソー・アビアシオンは2012年からインド政府とラファール戦闘機126機の販売をめぐり交渉しているがこれまでのところ大きな進展はない。ラファールは2013年、ブラジルの次期戦闘機選定で、スウェーデン・サーブ(Saab)の戦闘機「グリペン(Gripen)NG」に敗れていた。(c)AFP

 話題のポイントの一つは、フランスとしてはなんとかラファール戦闘機を売りたくて、インドやブラジルにアプローチしていたがかなわず、エジプトでようやくかなったということである。
 ただこのニュースだと、いつ頃、フランスとエジプトとこの商談が持ち上がったのか、また、外貨のないエジプトがどうやって購入するのかということがわからず、気になる。
 フランスの報道をざっと見るとだいたいはつかめるが、調べたら在仏日本商工会に記事があった。「ダッソーのラファール戦闘機、初の輸出契約を獲得」(参照)である。先の関心の一部に以下のように触れている。

 この契約の実現に向けた交渉ではファイナンスの確保が焦点になった。エジプトの財政状況が厳しいことから、当初計画の契約規模を縮小した上で、フランス側がファイナンスへの協力を約束した。具体的には、コファスが取り扱う公的輸出信用の枠で契約額の半額(前渡金除く)をカバーすることに同意。融資契約は、おそらく仏銀行(クレディアグリコルが幹事行となり、ソシエテジェネラルとBNPパリバが協力する見通し)が率いる銀行団(12機関以上が参加か)との間で結ばれるという。引渡し日程では、8月に予定されるスエズ運河拡張式典に間に合うように、ラファール2機をまず引渡し、次いで2018年から本格的な引渡しを開始する計画。

 「契約規模を縮小」というのは購入できる額を考えてのことだろう。詳細の意味は私には読み取れないが、印象では、フランスがとにかくラファール戦闘機売却の実績を作るように配慮したということだろう。
 その後、日経に記事があった。「エジプト、仏戦闘機24機購入 イスラム過激派に備え」(参照)である。これを見て私はちょっと驚いた。
 表題からもわかるように、この日経のニュースでは「イスラム過激派に備え」というふうに話題が彩られている。
 その前に当初の契機についてはこう報道している。

仏メディアによると、2014年秋にパリを訪れたエジプトのシシ大統領がオランド大統領にラファールをはじめとする最新鋭兵器の購入を持ちかけたという。

 ということで、動きがあったのは、昨年の秋のことだった。
 以上の経緯を踏まえて、「イスラム過激派に備え」というのはどうだろうか。
 エジプト側の思惑としてどれだけの意味を持つのかは、報道を見回してみた印象ではよくわからない。エジプトとしては、これまで米国に偏っていたエジプトの兵器を多元化する意味合いのほうが強いようにも思える。当然ながら、これを入手したエジプトでは対イスラエルの文脈でどのような意味を持つのかも気になる。
 この「昨年の秋」の意味合いだが、報道で関連付けられたリビアを考える上で、リビアの情勢変化が気になる。
 リビアでは昨夏以降、政府を主張する二勢力、旧制憲議会(トリポリ)と暫定議会(トブルク)との対立が激化し、石油の争奪戦を展開している(参照)。
 このころリビア内で「イスラム国」シンパは増えてはいる(参照)が、この時点ではまだは、今回コプト教徒を惨殺した、「イスラム国」に忠誠を誓うリビアの武装組織は大きく台頭しているわけではない。
 今回のラファール戦闘機をリビアの「イスラム国」対応と見るのは時期的に文脈が違うだろう。
 また、リビアの該当勢力と「イスラム国」との関連は、殺害映像の受け渡しからも濃いと見られるが、同一視してよいかもよくわからない。だが、すでに報道の多くは、リビアの「イスラム国」、あるいは、「イスラム国」名称の言い換えで、その文脈で報道している。
 こうしたなか、NHKも今日、「IS拠点空爆のエジプト 有志連合に支援を要請」(参照)この文脈で報道をしていた。

フランスから戦闘機購入も
 エジプトは、過激派組織ISなどのテロ組織との戦いを推し進めるために、フランスからラファール戦闘機24機や艦船などの購入契約を結び、購入額は50億ユーロ以上に上ると伝えられています。
 エジプト軍は、リビアでは16日からISの拠点に対する空爆に乗り出したほか、東部のシナイ半島ではISの支部を名乗る武装組織との掃討作戦を続けており、兵器の近代化が喫緊の課題になっていました。
 フランスがラファール戦闘機を輸出するのは初めてだということです。

 16日の時点で「フランスがラファール戦闘機を輸出するのは初めてだということです」というNHK報道には苦笑が伴うが、それはさておき、ニュースの文脈は「IS拠点空爆のエジプト」ではあるものの、要点は、「東部のシナイ半島ではISの支部を名乗る武装組織との掃討作戦を続けており、兵器の近代化が喫緊の課題になっていました」にある。ここでも「ISの支部を名乗る武装組織」とされているが、過去の経緯からすれば「ISの支部」の意味合いは低い。
 話が複雑になってきたが、現エジプトはかつてのムバラク政権と同様、イスラエルと協調路線を取るために軍事化を推進し、外貨の減りに乗じてフランスがつけ込んだという構図だろう。もっとも、エジプトとしてはフランスからの戦闘機購入がまったく初めてということではない。
 別の言い方をすれば、今回のエジプト軍のラファール戦闘機購入に、どの程度対「イスラム国」問題があったかはよくわからないが、すでに報道はその文脈が突出してきている、ということは注目してよいだろう。
 ここで一見、補足的に見える話題だが、そもそもエジプトが、リビアを空爆していいのかということに関連して見ると、リビアのトリポリ側からは主権侵害の非難が出ているのが興味深い。「「主権侵害」とエジプト非難=リビアのイスラム系勢力」(参照)より。

 【カイロ時事】リビアの首都トリポリでイスラム系勢力が独自に設置した「議会」のスポークスマンは16日、声明を出し、エジプト軍のリビア領内空爆について「主権に対する攻撃だ」と強く非難した。
 ただ、空爆にはリビアでイスラム系勢力と対立する民族派が掌握する空軍部隊も参加。エジプトは、この民族派が東部トブルクで開設した議会をリビアの正統な立法府とみなしており、主権侵害には当たらないとの認識だ。(2015/02/16-20:56)

 簡素に書かれているが、この民族派は暫定議会である。
 この記事では触れていないが、トリポリ側はムスリム同胞団との関連があり、暫定議会は以前からエジプトの軍事介入を望んでいた(参照)。
 つまり、今回の空爆は対「イスラム国」というより、リビア内に隠れたエジプトのムスリム同胞団への弾圧の一環であり、実質、リビアにおけるエジプトの利権確保でもあるだろう。
 各種の錯綜した問題を「イスラム国」の文脈で簡単に覆ってしまうという風潮も、なんだかなあという感じがする。
 
 

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2015.02.02

後藤健二さんはなぜ「イスラム国」に行ったのだろうか?

 「イスラム国」日本人人質殺害事件でずっと疑問に思っていたことがある。後藤健二さんはなぜ「イスラム国」に行ったのだろうか?ということだ。
 結論から言うと、わからない。
 特段に私がこう思うということもない。陰謀論のような推論もなにもない。が、疑問はずっと脳裏を去らないので書いてみたい。
 基本的な疑問は解けている。これには二つある。一つは、後藤さんは戦場ジャーナリストとして仕事をされていたのだから、戦場に赴くのは当然であるということだ。このことはおそらく彼の最後の文章となっただろう(10月24日だと思われる)、クリスチャン・トディー「戦争に行くという意味 後藤健二」(参照)からも理解できる。そしてその仕事の意義も了解できる。
 もう一つは、人質・湯川遥菜さんを助けに行ったということだ。なぜそこまでして湯川さんを助けに行ったのかという疑問もあるが、それについては、どうやら以前(昨年4月)にも湯川さんは武装グループに拉致されたことがあり、その際に後藤さんが救済したということらしい(参照)。それ以上の確実性は私にはわからないが、概ねそういう事実が過去にあったとすると、後藤さんがまた善意から湯川さんの救出に乗り出したというのは理解しやすい。
 しいて三点目を加えると、さほど危険な地域と考えていなかったから気軽に行ったという可能性もある。後藤さんは「まぁ、必ず生きて戻りますけどね」とも言ってはいる。1年ほど前には、世界遺産を撮影していたところを反政府軍に捕まりシリアで身柄を拘束されが、なんなく解放された経験がある(参照)。そうした経験は自信になっていたかもしれない。
 では何が疑問なのか。まず、後藤さんが湯川さんを解放できると確信したのはどのような経緯だったのか。
 これに関わる経緯で重要なのは、産経「「湯川さん助ける」 出発直前「生きて戻る」 後藤さん足取り」(参照)である。


 そんな後藤さんがイスラム国に向かったのは、湯川さんのためだった。7月28日にシリアに入った湯川さんがイスラム国に拘束されたという情報が入ったからだ。
 後藤さんは10月2日に取材でシリア入りし、その後いったん帰国。同22日に再び出国した。予定は1週間だった。わずか1カ月の間にシリアに2回入った行動について、安田さんは「普通はこんな強行軍は組まない。湯川さんの安否など確度の高い情報が入ったのではないか」と話す。
 イスラム国に向かう直前まで後藤さんと行動をともにしたシリア人ガイド、アラアッディーン・ザイムさん(34)によると、後藤さんは同23日、トルコとシリアの国境付近に入り、25日にイスラム国が「首都」とするラッカへと向かった。

 事実かどうかという点では疑うべきことはないように思われる。気になるのは、引用中安田さんの「湯川さんの安否など確度の高い情報が入ったのではないか」という推測である。後藤さんはどのように湯川さん救出する情報を持っていたのか。
 気になるのは10月29日には「イスラム国」から帰還するつもりでもあったことだ(参照)。短期に終わると見ていたのだろうし、それなりの裏があったのだろう。
 産経記事にある後藤さんと同行していたシリア人ガイドのアラアッディーン・ザイムさんの証言も興味深い。

 イスラム国に向かう直前まで後藤さんと行動をともにしたシリア人ガイド、アラアッディーン・ザイムさん(34)によると、後藤さんは同23日、トルコとシリアの国境付近に入り、25日にイスラム国が「首都」とするラッカへと向かった。
 「危険すぎる」。アラアッディーンさんは何度も止めたが、後藤さんは「湯川遥菜さんを助けたいんだ」「シリア人の苦難を伝えたいんだ」と言い残して笑顔で旅立った。アラアッディーンさんが同行を断ったため、別のシリア人ガイドを伴ってのラッカ行きだった。アラアッディーンさんは、この別のガイドといまだに連絡が取れないという。
 イスラム国入りの直前、後藤さんはビデオ映像にメッセージを残した。「何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか、日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」

 アラアッディーンさんは後藤さんとの同行を断っている。危険だからだろう。25日にアラアッディーンさんと別れ、その後は後藤さんは「別のシリア人ガイド」とそれ以降行動することになる。
 ここにも疑問がある。「別のシリア人ガイド」は、後藤さんがアラアッディーンさんの代わりとして頼んだガイドなのか、湯川さん情報を持っているとして後藤さんに接近してガイドとなったか。
 この件関連して別の証言が毎日「イスラム国拘束:後藤さん入国許可に悔い…検問所担当官」(参照)にある。

 外国人記者の審査を担当していたハラプさんの前に、後藤さんは昨年10月24日昼ごろ、「2人のシリア人と現れた」。アラビア語の通訳や運転を担当する取材助手で、ハラプさんとも顔見知りだった。後藤さんは「マレアに行き、数日滞在して空爆の様子や市民の生活を取材する」と話した。ハラプさんが「(反体制派の)警護が必要か」と聞くと、後藤さんは「いらない」と答えたという。
 同行者の一人、アラ・エルディン・アルズイムさんはマレアに後藤さんらを送った。アルズイムさんは毎日新聞の電話取材に「25日にも後藤さんと会った。携帯電話や日本の連絡先を渡され、1週間待って(連絡が無ければ)日本の友人に連絡してほしいと言われた」と話した。後藤さんは同日、イスラム国の支配地域に入ったと見られる。

 ここでの「2人のシリア人」の一人はアラ・エルディン・アルズイムさんである。名前から推測するに、産経記事のアラアッディーン・ザイムさんと同一人物ではないか。

 ハラプさんによると、もう一人の同行者はジャーナリスト、ヤセル・アルハジさん。後日、アルズイムさんがアルハジさんに後藤さんの状況を聞くと「知らない。(後藤さんは)イスラム国の支配地域に(別の)助手がいた」と述べた。ハラプさんも今月23日、アルハジさんに「日本の人々が心配している。知っていることを話すべきだ」と伝えたが、「今自分が話せばケンジの命が危うくなる」と拒否されたという。

 もう一人はヤセル・アルハジさんである。
 状況が錯綜しているようだが、さらにもう一人、「イスラム国の支配地域に助手がいた」ということで、事件に関わる謎の「別のシリア人ガイド」は存在していそうだ。
 この「別のシリア人ガイド」の消息は不明である。後藤さんと一緒に被害者となったか、あるいは、このガイドが後藤さんを意図的に拉致するビジネスに関与していたか。狙った拉致であれば、後藤さんをだましたということになる。(この件、新情報で追記した。
 この場合、「日本人ジャーナリストならだれでも人質ビジネスになる」と見られていたのか、後藤さんに狙いが付けられていたかはわからない。前者のようには思える。湯川さん情報で日本人をおびき出した可能性もあるだろう。
 関連して疑問を深めるのは、後藤さんが「イスラム国」入り前に残した証言映像である。NHK「後藤さん 映像で「責任は私に」 」(参照・リンク切れ)ではこう報道していた。この映像はテレビで私も見た。

 「イスラム国」に拘束されたとみられるフリージャーナリストの後藤健二さんは、連絡が取れなくなる直前にメッセージを収録した映像を残し、シリアの「イスラム国」の拠点に向かうが責任は自分にあると話していたことが分かりました。
 映像は2分26秒間撮影されていて、後藤さんは青っぽいシャツにスカーフを巻いた姿で座り、記者証とパスポートを手に持って、「私の名前は後藤健二、ジャーナリストです」と名乗っています。
 そして、「これからラッカに向かいます。『イスラム国』の拠点と言われていますが、非常に危険なので何かが起こっても私はシリアの人たちを恨みませんし、どうかこの内戦が早く終わってほしいと願っています」と話しています。
 そのうえで、「何が起こっても責任は私自身にあります。どうか日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」と、手ぶりを交え強い口調で述べたあと、「必ず生きて戻りますけどね」と笑みを浮かべながら話しています。
 このあと、後藤さんは同じ内容のメッセージを英語でも話しています

 産経には「全文」がある。「「これからラッカへ」「必ず生きて戻ります」…後藤健二さんメッセージ動画全文」(参照)より。

 後藤健二さんがイスラム国に拘束される前の昨年10月、シリア北部で自らを撮影したビデオ映像に残していたメッセージの全文は以下の通り。

 (パスポートと身分証のようなものを示し)えー、私は、私の名前はゴトウ・ケンジ。ジョーゴ・ケンジです。ゴトウ・ケンジ。ジャーナリストです。これからラッカに向かいます。イスラム国、ISISの拠点といわれますけれども、非常に危険なので、何か起こっても、私はシリアの人たちを恨みませんし、どうかこの内戦が早く終わってほしいと願っています。ですから、何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか、日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください。よろしくお願いします。まぁ、必ず生きて戻りますけどね。よろしくお願いします。(この後、英語で同様の内容を伝える)

 この映像の時期だが、後藤さんがラッカへ向かったのは10月25日なので、この映像は24日か25日だろう。映像が託されたのはアラ・エルディン・アルズイムさんのようだ。なお、ツイッターへの投稿は23日で途絶え、最後の記事は24日に送信されている。
 て、この映像だが、何を意味しているのだろうか?
 表面的には、危険の「責任は私自身にあり」、「シリアの人たちを恨みません」ということだ。
 こうした映像を残すのは危険地域に入るときのお決まりの行動パターンなのだろうか。この点についてわからないが、印象としては、「イスラム国」の危険性を知り「シリアの人たちを恨みません」としていることからも、実際にはかなりの危険性を覚悟しての特例としての映像だったようにも思えるし、なぜこの映像が残されたのかについて、「別のシリア人ガイド」との関連もあるかもしれない。
 なによりこの映像で奇妙なのは、「イスラム国」入りの目的は、湯川さん救出であるのに、その目的どころか、そもそもなぜ「イズラム国」入りするかについての言及がまったくないことだ。ここが最大の疑問である。後藤さん自身がなぜ「イスラム国」入りしたかについて、まったく語っていない。
 結局その疑問に戻ってしまうだけなのだが、それでも、戦場ジャーナリストがその使命のためのリスクとして戦争に巻き込まれたという単純なストーリーではなさそうだ。

追記(2015.2.3)
 2月3日付け毎日新聞「後藤健二さん:外国人ガイド聴取へ 合同捜査本部」(参照)に後藤さんのシリア入りに関連して興味深いことが語られていた。


 後藤さんは11月1日ごろ、知人のシリア人男性に「ガイドに裏切られて拘束された」と電話しており、捜査本部はガイドらが何らかの事情を知っているとみて調べる。

 これが事実であれば、後藤さんは、シリア入りした際の「別のシリア人」にだまされたということになる。そう見てよいだろう。
 気になるのはしかし、だまされたという事実ではなく、「11月1日ごろ」という日付のほうである。エントリーにも記載したが、後藤さんはシリア入りのミッションを10月末までには片付くものと想定していた。
 また、この時点でなぜ知人のシリア人に電話が出来たかというと二つの可能性がある。一つは人質映像のように本人意思でなく「イスラム国」に言わされている可能性、もう一つはその時点までは電話をする自由があった。おそらく後者だろう。すると、当初のミッション終了時点の10月末ごろまでは後藤さんの想定で事態が進行していたのが、その頃に予想外の事態となり、結果、「イスラム国」の人質とされたのではないだろうか。その線で考えるなら、「別のシリア人」は当初から後藤さんをだますつもりではなかったかもしれない。そのあたりの推測が一番整合性があるように思われる。


 
 

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2015.02.01

「イスラム国」日本人拘束事件、日本人人質殺害で思ったこと

 「イスラム国」日本人拘束事件で殺害されたと見られる日本人人質二名、湯川遥菜さんと後藤健二さんに哀悼したい。
 「殺害された」と見るのは日本政府の判断にならう以上はない。遺体の受け取りや犯人を逮捕して司法に引き出すなどの点からすれば、この事件はまだ終わったわけではない。が、人質が殺害された現在、その生存について対応するという事態は終わった。そこまでのとりあえず「事件」とする。
 痛ましい「事件」だったが、「イスラム国」のジハーディ・ジョンが公開に関わったこれまでの人質殺害事件では、人質が救出された事例はなかった(と思われる)。今回も過去例を踏襲しているという点では、大きく意外という結果ではなかった。
 別の言い方をすれば、ジハーディ・ジョンが出てくる時点で、実際には「イスラム国」の人質ビジネスとは別部署の扱いということなのかもしれない。
 さらに過去例との比較で言えば、彼の要求は一貫して「イスラム国」への空爆の停止であり、今回の日本人人質対象では、要求自体が転換するなど異なる点も見られた。
 過去例と違うという点では、当初の要求映像の作り(人質に触れていない)や、その後のスチルの映像の作りも異なっていた。「イスラム国」広報部門フルカーンのロゴもなかった。が、後藤さん殺害については過去例の形態に戻り、フルカーンのロゴが含まれた。
 これらの映像の差が何に由来するのか。言い方を変えれば、当初、過去例とは異なった形で映像が提出されたのはなぜか疑問が残る。
 簡単に想定されるのは、ジハーディ・ジョンとフルカーンの関係が通常のプロセスではなかったということだろう。
 以下、その他、疑問として残った点についてメモ的にまとめておきたい。
 ヨルダンで収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡しに関連して、この事件にヨルダン政府が関わるようになり、ヨルダン側で焦点となったのが、「イスラム国」に拘束されているヨルダン軍パイロット、モアズ・カサスベ中尉の生存確認である。だが、その生存についての情報は一切公開されなかった。
 関連して、ヨルダンと「イスラム国」との交渉において、「イスラム国」側からの、サジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡し要求が、カサスベ中尉との交換の形で強く出されていないようにも見えた。「イスラム国」にとってサジダ・リシャウィ死刑囚の獲得が重要であれば、カサスベ中尉との人質交換交渉に乗り出しているはずである。
 あるいは、リシャウィ死刑囚とカサスベ中尉との人質交換はある時点までは進展していたのかもしれない。というのは、途中、リシャウィ死刑囚が移動され後藤さんが解放されるとのニュースもあったからだ。それが事実であったとしても、交渉は決裂したことになるし、決裂があってもそれを回避するためには、カサスベ中尉が生存しているというカードが「イスラム国」からあってもよさそうだが、なかった。
 このことから推測されることが、三つほど思いつく。一つはカサスベ中尉の生存を「イスラム国」がカードとして使えないなんらかの理由があること。
 二つ目はリシャウィ死刑囚の解放は「イスラム国」にとってそれほど重要ではないこと。
 三つ目は「イスラム国」内部で事件対応に分裂があったこと。
 それぞれの理由の想定からはさらにいくつかシナリオが想定できるが、第三の推測「イスラム国」内部で事件対応に分裂については、別の疑問も対応する。
 「イスラム国」が決めた期限の対応は曖昧だったのはなぜか、である。
 当初の72時間の対応も遅れてから湯川さん殺害の映像が公開され、その遅れを弁明する形で次の強迫が出された。こうした期限延ばしも今回が異例であった。
 サジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡し期限についても、現地29日の日没、日本時間同日深夜から30日未明であったが、そこからかなり時間が過ぎても対応はなかった。人質交渉が進展中かとも見られたが、それの交渉のために有利に運ぶための「イスラム国」側からの発表もなかった。今の時点で振り返れば、膠着というより「イスラム国」側の沈黙だったのではないだろうか。
 こうしたいくつかの疑問は疑問の根幹に行き当たる。そもそも「イスラム国」はなんのために日本人人質事件を引き起こしたのか、理解できないことである。
 テロリストに合理性を求めることが間違いかもしれないが、まず合理性を想定しないことには理解もできない。過去例では、ジハーディ・ジョンの任務は英米の空爆停止であったが、日本の「イスラム国」への直接軍事的な関与は弱い。
 奇妙なのは、ジハーディ・ジョンとしても自分が何をしているのかについて結局、理由付けに追われ、最終的には、安倍首相が対「イスラム国」の戦争に参加した決断によって人質が殺され日本人も殺されることになるのだ、という、支離滅裂な理屈に陥ってしまったように見えることだ。
 そういうふうに日本を英米と重ねて、ジハーディ・ジョンは自身を納得させたか、あるいは「イスラム国」内政への釈明としたのかもしれない。
 この最終的な理屈は、日本でも一部では安倍政権批判の文脈にのって機能した面もあるが、日本全体としては日本を「イスラム国」の敵に明確に位置づけることになり、結果日本をより英米に接近させることになった。つまりその結果は、「イスラム国」の差し迫った敵である英米にとって有利に働くことになった。すでに国際世論は日本への同情から日本を英米への親近感に導いている。
 こうしてみるとこの事件は「イスラム国」の情報戦としては効率的だったようには見えない。
 あるいは、「イスラム国」側の焦りのようなものが潜在的にあって今回の了解しづらい事件となったのかもしれない。
 なんとなく思うのは、「イスラム国」側に、軍事的な弱体があるというよりも、その経済的な困窮と関連しているのではないだろうか。経済大国である日本の援助が「イスラム国」の商売と対立する契機(商売の邪魔)が予想されたのかもしれない。

追記(2015.2.4)
 日本時間4日未明、「イスラム国」は、拘束していたヨルダン軍パイロット、ムアーズ・カサースベさんを火刑したとする映像をインターネットに公開した。その後、ヨルダン政府は、カサースベさんは、先月3日に殺害されていたことを情報機関が確認したと発表した(参照)。
 また、ヨルダン国営テレビは4日正午すぎ、「サジダ・リシャウィ死刑囚の死刑が、けさ執行された」と速報で伝えた。

 
 

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