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2014.02.08

日本国憲法にもあるコントロール(control)という言葉の意味合い

 日本国憲法の本来の原文、つまり英文なのだが、それを読んで私が一番不思議にそして多少不可解にも思うのは「コントロール」の思想である。
 あるいはその前段として「コントロール(control)」という用語である。前文の次の文脈に含まれている。


We, the japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

 日本国憲法を公式な日本語訳で読むと、あまり意識されないない人が多いかもしれないが、気に留めるとわかるように「支配する」というきつい意味合いで訳されている。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

 この"control"という言葉に「支配」という訳語を当ててよいか。
 この訳語が悪いというわけではない。だが、率直なところ、この日本国憲法の訳文の「支配する」の言語が"control"であることの意味合い十分に考慮人は意外に少ないのではないかと思っている。
 "control"という言葉は、英語においては、フランス語からの外来語である。外来した時代は、英語を事実上、当時のフランス語(イル・ド・フランスのノルマン・フレンチ)で英語がピジン化したノルマン征服以降らしい。もちろん、さらにラテン語"contrārotulāre"に由来するし、ノルマン征服以降、英国やスコットランドの知識人は直接ラテン語からの外来語を増やしたので、その文脈で英語に定着し、さらに微妙に意味変化をもたらしたのだろう。
 そのため、現代フランス語と英語では、"control"の意味合いが微妙に違っている。
 ところでこの話題が浮かんだのは、先日書評を書いた『舛添要一の6カ国語勉強法 - 体験に裏づけられた上達への近道』(参照)に気になる話があったからだ。
 英語とフランス語の語の意味の違いに触れた話題で、"control"が出てくる。

 もう一つの例が、"control"で、この単語は英語だと「管理する」とか「支配する」と非常に重たいニュアンスの意味になる。ところが、フランス語の"contrôle"【コントロール】は、「ちょっと調べる」ぐらいの軽い意味で使われることが多い。だからフランス語で、
 "Vous êtes contrôlé par la poice."【ヴゼット・コントローレ・パー・ラ・ポリス】というのを、英語的な発想で受け取ると、「警察にcontrolされている」、つまり「あなたは警察にあやつられている」と思ってしまうが、実はそうではなく、これは英語に直訳するなら、"You are checked by police"とすべきで、「あなたは警察の検問を受けます」という意味になるのである。なまじっか英語を知っているために、フランス語で"contrôle"が出てきたのを、これは英語の"control"と同じ意味だろうと勝手に思い込むと、思わぬ間違いを犯してしまうことになる。

 まあ、それはそうと言ってよいのだが、重要なのかこの先である。

 これは第二次世界大戦に実際に起きた有名な事件である。あるとき、フランス軍の船がドイツ軍によって停船させられ、調べられたことがあった。そこで、そのフランス軍の船の乗員たちは、このことを味方の連合軍に
 「われわれの船はドイツ軍によって臨検されている」
 フランス語で「臨検」を"contrôle"【コントロール】ということから、
 "Our ship is controlled by the German navy."
と打電した。それを受信したイギリス軍は、"controlled"と言うからは、すでにフランス軍の船は敵国ドイツ軍にのっとられてしまったものと思い込んだ。「敵国の船になったのなら、沈めてしまえ」と爆撃して沈没させてしまったという。

 この話が本当かどうかよくわからない。
cover
Collins French - English
Dictionary & Grammar
 本当なら、英語の"control"は第二次世界大戦の時代に軍事の文脈で使われていたわけで、日本国憲法の"control"というのは、フランス語的な"control"ではなく、相当にきつい意味合いがあるだろうと思う。
 ただ、この舛添の話を読んでいて、これはちょっと違うかなという感じもした。文脈によっては「支配」というより、やはり「制御」があるのではないだろうか。
 手元の仏英辞書で、学習者向けのコリンズを引くと、舛添が指摘するように、仏英間の意味合いの差が強調されている。その意味で、舛添の説明自体はこれでよいのだが、オックスフォードの仏英辞書を引くと、フランス語の"contrôle"に英語の"control"を充てた項目が最初にある。オックスフォード辞書の歴史主義でもあるのだが、こちらの辞書を読んでいくと、舛添が指摘するような意味の差は、政治などの文脈に限られるようでもある。
cover
Compact Oxford-Hachette
French Dictionary
 また、英英辞書をいくつか当たってみると、ロングマンなどでもそうだが、"control"に支配権力の意味合いで"power"を最初に挙げているものの、意味合いとしては、力による支配というより、感情(emotion)を抑制させるという含みがありそうだ。さらに、フランス語"contrôle"に近い意味もあり、さらにこれが英語の技術英語における"control"の含み、つまり、「制御」に相当している。まあ、ざっとした印象ではあるのだが。
 まとめると、英語でも技術用語的な文脈では、"control"にはフランス語の"contrôle"のように、対照を用いたテスト、という意味合いがある。
 そこで、ああ、そうかと思い直したのが、"Scientific control"である。直訳すると「科学制御」とかになりそうだが、とか、まてよと英辞郎を引いたら案の定「科学的制御」とか出て来た。が、まあ、そう訳して悪いとまでは言えないが、統計学を多少なりとも学んだ人ならわかるだろうが、これは「対照実験」のことである。
 ちょっと気になってウィキペディアを見たら、次のようにあった。

A scientific control is an experiment or observation designed to minimize the effects of variables other than the single independent variable.

 つまり、「対照実験」である。
 話を英語の"control"に戻すと、"Scientific control"のように、対照してテストする、というまさにフランス語の"contrôle"の語感の一部がそのまま生きている。たぶん、19世紀から20世紀前半の学術用語におけるラテン語的なフランス語優位による外来語だからではないだろうか。詳しく追っていないのでこれも印象であるが。
 いずれにせよ、英語の"control"は技術系の文脈では、「支配」よりも「対照実験」のように、対照群を用いた査定といった意味合いがある。
 ここで日本国憲法の話に戻るのだが、先の文脈、果たして、起草者は現行訳のように「支配」の意味合いで使っていたのだろうか? その意識で読み返してみたい。

We, the japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship, and we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

 明白なのだが、「対照」がきちんと意識されている。それは「the high ideals」つまり、現訳語「崇高な理想」である。
 日本国憲法における"control"は、「支配」よりも、対照群を使った実験技法の意味合いが強いのではないか。もちろん、「支配」の意味合いがないというわけではない。ただ、これは、"ruling"でも"governing"でも"dominating"でも"regulating"でもない。
 日本国憲法の起草者がどのような考えを背景に"control"を持ち出しかはよくわからないが、日本国憲法には他二個所にこの言葉が出てくる。
 まず、第72条である。
 

Article 72. The Prime Minister, representing the Cabinet, submits bills, reports on general national affairs and foreign relations to the Diet and exercises control and supervision over various administrative branches.

第72条
内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。


 ここでは、"control"は「指揮」と訳されている。「支配」と訳すと日本で意味合いが通らないと訳者は想ったのだろう。白州次郎ではないだろうか。
 いずれにせよ、第72条では"control"は"supervision"と並記されているが、順序的な意味合いもあり、おそらく、基準に照らして査定して、管理するということだろう。つまり、ここでも"control"はフランス語的な意味合いで使われている。
 もう一つは第89条である。

Article 89. No public money or other property shall be expended or appropriated for the use, benefit or maintenance of any religious institution or association, or for any charitable, educational or benevolent enterprises not under the control of public authority.

第89条
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。


 ここでは前文同様「支配」の訳語が当てられている。
 この"control"の意味合いだが、「支配」でもよいのだが、構文および文脈としては、"public authority"が「支配」しているのではなく、"public authority"がやはり、「対照群」として扱われている。まさに、"Scientific control"のように、"under the control of A", "B shall be expended"という関係である。
 話は以上であって、特に、ここから何か特定な意見を述べたいわけではない。
 日本国憲法はときおり、大衆に理解を促すために、平易な日本語にパラフレーズされるが、より必要なことは、原文を検討して、きちんと翻訳しなおすことではないだろうか。
 冗談みたいだが、改憲よりも、原文の英語を現代的に検討し直した、新訳日本国憲法があってもよいようには思われる。
 
 

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2014.02.04

[書評]世の中への扉 よくわかる政治(舛添要一)

 舛添要一さんが近年、政治についてどう考えているのかと思って、いくつか著作を読んでみた。ネットではいろいろ彼について反原発派からネガコメが飛び交っているので、『舛添のどうなる日本?どうする日本!―国民で考えるエネルギー問題』(参照)という本も読んでみた。2001年の本である。どうだったか。
 普通。エネルギー政策について関心ある人なら普通に思うことが普通にまとまっているだけだった。つまり、私が読んだ限りでは特に原発推進派ということではかった。地球環境に配慮しつつ先進国のエネルギーミックス論から日本はこの時点で原発で三分の一のベース電源を作っているという事実を基本的に了解しているというもので、ドイツの例なども引き、反原発であれば、国民にそのコストの了解があればよいだろうとも述べていた。
 考えてみたら、舛添さんにまとまった反原発な発言があったら、すぐにでもネガコメの格好の餌にされてただろう。
 あと、しいて言うと2001年はそうだったけど、2014年の今年から見ると、さすがにこのエネルギー論は古い。そのあたりを現在の舛添さんがどう考えているかは、それとは別に関心はもった。というか、基本、脱原発と言っているみたいだが、その内実は段階的に自然エネルギーの比率を増していくということなのだろう。

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世の中への扉
よくわかる政治
 でだ、『世の中への扉 よくわかる政治』という本を見つけた。
 これ、子供向けの本でした。舛添さんが、子供にどう日本の政治を語るのだろうかと思って読んでみた。まあ、凡庸なことが書いてあるんだろうなあ、子供向けだしと思ったら、ちょっと、びっくりこいた。
 そのまえに時代を確認しておきたい。2010年8月23日に刊行された本である。鳩山由紀夫内閣が2009年9月16日から2010年6月8日。それから、菅直人第1次改造内閣が2010年9月17日から2011年。つまり、鳩山さんが降りて、菅さんが立つまでのあの奇妙な空白の時期に出た本であり、基本、鳩山時代に書かれた本である。
 びっくりこいたのは、彼が日本の政治で何が大切としているである。第六章で「今、知っておきたい八つの問題」として順序付けられている。
 一番目は、「一、政治とお金――お金のかからない政治を目指して」ということで、ありがちといえばありがち。ちょうど鳩山さんが政治献金問題ですったもんだしていた時期でもあったし。
 びっくりこいたのは二番目である。
 「二、景気をよくする――デフレよりもインフレ」。そう、アベノミクスをこの時点で先駆的に取り上げていたのだった。しかも、これを子供向けの本に書いていたのだった。僕はびっくりしましたよ。やるなあ、舛添さん。

 ヨーロッパなどでは、インフレターゲットとよばれる政策を行ってデフレをふせぐことに成功しています。これは、一年に二パーセント前後のゆるやかなインフレを起こして経済の安定成長をはかるものです。日本も一刻も早くインフレターゲットを取り入れて、デフレをとめる必要があると私は考えています。

 そう書いてある。子ども向けに。
 舛添さんが、インタゲを支持していたのは知っていたけど、子供向けの本にこんなにきちんと書いているとまでは思わなかった。大人ですら、理解できずに、変なこと言っている人がいまだにいるというのに。
 ついでなんで三番目だが、「少子高齢化のゆくえ――子どもを育てやすい社会に」としている。

 民主党政権は、二〇〇九年の衆議院選挙のマニフェストの目玉に子ども手当を出すことをかかげました。子どもひとりにつき月額二万六千円のお金をくばるという政策です(当初言っていた二〇一一年からの満額支給は断念されました)。
 私は厚生労働大臣として、保育所を増やすことに取り組んできました。なぜ子どもの数が減ってきたか調べると、子育てが大変であること、教育費がかかりすぎること、家がせまくて子どもを育てられないことなどが理由に挙げられています。(後略)

 関連して。

 大臣をやっていたときも、帰れる日はなるべく早く家に帰り、子どもといっしょにご飯を食べたりお風呂に入ったりしました。
 というのも、私は厚生労働大臣として「ワーク・オブ・バランス」という新しい生き方をしようとみんなによびかけていたからです。これは、仕事(ワーク)と家庭生活(ライフ)をバランスよく両立しようというもので、日本人の働きすぎをあらため、女性が社会に出やすくする政策です。ところが、厚生労働省の仕事はあまりにも多くて、職員がなかなか家に帰れません。そこで、私は職員にいつも口ぐせのように「なるべく早く家に帰るように、できたら、家族といっしょにご飯をたべなさい」「三度のメシをしっかり食べ、土日はしっかり休みなさい」と言ってきました。大臣が役所にいると、職員も帰りづらいので、私自身も帰れる日はなるべく早く帰りました。

 で、「四、失業する人を減らすために」が続く。

 なぜ失業者がたくさん出ているかというと、経済がよくないからです。日本のもっとも大きな問題は、十年以上にわたって不景気の状況が続いていることです。経済を早くよくしてもらいたいという国民の願いから政権交代も起こりましたが、民主党政権になって現状は今までよりももっと悪くなってしまっています。


 失業を減らすためには日本の経済を立てなおすしか方法はありません。国は、経済成長させるための政策を行っていく必要があるのです。

 ついでなんで以下、項目だけ挙げると、「五、観光問題は三つのEのバランス」「六、沖縄の米軍基地と日米関係」「七、教育は百年の大計」「八、福祉を豊にすれば働ける人も増えて景気がよくなる」。
 大半は同意できる。もちろん、ちょっと違うかなと思うところや、逃げちゃったなと思えるところもある。
 それにしても、これだけの見識を子どもにわかる言葉で語れる政治家だったのか、舛添さんは、という思いは新たにした。
 ついでにいうと、僕が今度の都知事選挙で舛添さんを支持しているのは、ポリタスにも寄稿したけど(参照)、示威的な投票ではなく現実的な投票を好むからで、それほど積極的に舛添さんを支持しているわけではない。76歳の爺さんはやめてくれよと思うくらいだ。消去法だね。
 だが、この本読んでみて、もうちょっと積極的に舛添さんを支持したい気持ちはなった。たとえば、政治家に何が一番必要だろうか?

 政治家にいちばん必要なのは、読書です。日本という船の舵をとるのが政治家の仕事ですが、私たちが経験できることは限られています。どちらの方向に進むか判断する材料を増やすには、やっぱり本を読むことが欠かせません。ぜひ、古今東西の歴史と古典の本をたくさん読んでください。

 また。

 そして、英語はもちろん、大学に入ってからでも、二つめ、三つめの言語を勉強してほしいのです。完璧である必要はありませんし、ネイティブのような発音ができなくても気にすることはありません。お互いの考えを伝えあうことができればよいのです。
 語学を勉強することは新しい世界への扉を開くことです。

 このあたりは、けっこう舛添さんの持論なわけね。
 しかし、率直にいうと、舛添さんも65歳。
 私は政治家も社会の一般労働者と同じように働くべきだと考えるので、政治家を引退されたほうがよいと思う。都知事選にも出ないほうがよかったんじゃないのとは思う。
 
 

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2014.02.03

[書評]舛添要一の6カ国語勉強法 - 体験に裏づけられた上達への近道(舛添要一)

 もっと前に出ていた本だろうと思った。1980年代の本だろうなと。違った。1997年の本だった。舛添さんがこれを執筆していたのは1996年。48歳のころ。ああ、それでも今の僕より若いのか。

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舛添要一の6カ国語勉強法
体験に裏づけられた上達への近道
 彼がメディアでばりばりと活躍して、今に残る罵言を吐いていたのもそのころ。東大の先生をしていたころ。まだ30代だったわけだ。栗本慎一郎さんもまだ40代だった、あの頃。
 舛添さんが東大をやめたのが1989年。桝添政治経済研究所を設立。この話はこの本の「はじめに」に書いてある。

そのまま勤めていれば、国家公務員として給料は保証され、生活は安泰。ましてや、東大の駒場と言えば内容はともかくとして、入学試験の難易度だけからみても全国一の難関としてしられる大学。

 やめたのは、本人談によると、大学への失望だったらしい。

だが、それゆえにこそ、大学改革の必要性を強く感じたのだ。「日本の大学はこのままではいけない」と思った。
 東京大学だけなく、一般に日本の大学の先生たちが怠け者になってしまうのはなぜか。
 それは一言でいって、あまりにも身分保障が強すぎるからである。いったん助教授や教授の椅子に座りさえすれば、競争もなく、何もしなくても定年退職まで給料がもらえる。

 それじゃ「月給泥棒」だろうということで舛添さんは娑婆に出たというのだった。

 だが、大学の終身雇用を批判しながら、その大学に自分がしがみついていたのでは筋が通らない。「むしろ、自分が率先して大学をやめることによって、大学改革に一石を投じるべきであろう。」そう考えたのである。

 1989年のこと。まあ、大学は改革されたかというと、これについては以下略的な話。
 その舛添さんだが、これで食っていけるかなと、それでも案じて、食えないときは、通訳になろうと思ったらしい。

 そのときに心の支えの一つとなったのが、語学であった。


なかでもフランス語には自信があり、いっぱしの通訳や翻訳家としてやっていけるだけの実力は十分にあると自負している。少なくともフランス語の翻訳や通訳をやって食っていくぐらいのことはできる。大学をやめたって、何とかなるだろう。こう開き直って、あっさりと大学の職に見切りをつけることができたのである。

 いや、意外に面白い話ではないか。
 この本、意外に面白いのである。
 この本、舛添要一、青春記なのだ。「あとがき」で書いている。

 書き始めるにあたって、自分がどのように外国語を学んできたか、自分流の方法をひとつひとつ検討してみたのである。したがって、自分の恥も何もかもさらけ出す羽目になってしまい、気恥ずかしいこと限りない本になってしまった。なにやら、青春時代の失敗記を書いたようなもので、へんちくりんの自伝とでもいうべきものができあがった。

 そこが、けっこう面白いのであった。
 ところで、書名にもなっている「6カ国語」って何か。

 これまでに私が習ってきた語学というと、まず中学校からの英語、大学では第2外国語でフランス語、第3外国語でドイツ語をとり、ついでに個人的にロシア語とスペイン語を習った。そして、フランス留学時代に向こうで学びだしたイタリア語。その他にもちょっとかじった程度の外国語はいろいろある。

 というわけで、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語、イタリア語、で、6か国語。
 すごいなと思う面と、ははあと思う面とがある。
 この6か国語。ロシア語を除くと、欧米の知識人、特にフランスの知識人ならならだいたいこなせる。ロマンス語が母語であれば、スペイン語とイタリア語はその延長。ドイツ語と英語は隣国の言語。難しいのは、ピンズラーも言っていたがロシア語だろう。
 で、そのようすが正直に書かれている。ロシア語はロシア人が直接習ったらしいが、十分に習得できたふうには見えない。教え方は口頭だけだったらしい。そこで舛添さんは文法と筆記がないと言語は学べないと感想を書いている。が、ピンズラー方式で学んで思ったが、似たのにミッシェル・トーマス・メソッドというのがあるのだけど、たぶん、そのロシア語の先生、ミッシェル・トーマス風だったように思われる。これはこれで優れた教授法ではなかったか。
 けなすわけではないが、実際に舛添さんが習得した言語は、英語とフランス語、そしてその派生としてイタリア語とスペイン語ということではないか。
 そのフランス語なのだが。フランスに行った舛添青年、ちょっとしたカルチャーショックを受けた。

しかも、それ以上に愕然としたのが、自分のフランス語の語学力である。これまで日本でいっぱしにフランス語をかじったつもりでいた。けれども、いざフランスの食堂、「食券をください」("Doones-moi le ticket.")の一言すら、なんと言っていいのかわからないのだ。日本の大学で小難しい読本を読まされていたから、本を読んだりするのはある程度できても、日常会話の面では、フランス人の幼児以下にすぎなかった。その事実をいきなり思い知らされたのだ。

 というわけで、どうもフランス留学時点でのフランス語の能力は、それほどでもなさそう。ちなみに、ピンズラー方式だと逆にこういうところからしっかり教わることになる。この方式で学んでおくと、日常生活はあまり困らないのではないか。

 食料の買いだしにスーパーに行けば、自然と魚の名前を覚える。肉の名前、野菜の名前、とにかく生活の必要上、覚えざるをえない。野菜を例にとれば、ニンジン、キュウリ、トマト、タマナギ、ピーマンといろいろあるが、あなたはこれらの野菜の名前を英語ですべて言えるだろうか。

 言える。僕はけっこうレシピ本読んでるもんね。
 実際のところ、舛添さんは、フランスの生活でフランス語しっかり学んだということのようだ。その意味では、外国語学習法というメソッド的にあまり参考にならないとも言えるが、まあ、そういうものでしょう。
 英語のほうはどうかというと、だいたいエピソードを読んでいると、どのくらいの語学力かは察せられる。
 イタリア語については、これがまた面白い。

 フランスに留学していたときにイタリア語(l'Italiano,(英)Italian)も少しかじり始めた。そのきっかけは、当時の私の妻の出身が南フランスの出身で、親戚にイタリア人がたくさんいたからだ。

 このあたりのエピソードも面白かった。ようするに、その地域だと、フランス語とイタリア語はあまり差はないっぽい。
 ギリシア旅行の話も面白い。というか笑った。ギリシア旅行したら、英語もフランス語もドイツ語も通じないというのだ。

 ただ、ギリシア語の言葉は知らないけど、幸い私はかつてロシア語を習っていたことがあった。そのおかげで少しは助かった面がある。ギリシア語は、文字だけはロシア語と同じなので、ギリシア語の道路標識などを見て、意味は正確にはわからなくても、だいたいの見当が付くのだ。


 その経験からいって、語学というのは実用性の観点からするなら、発音がきちんとできず、文法のイロハ(A、B、C)も知らず、本が読めなかったとしても、それぞれの国の言語のアルファベットが読めるだけでも、すごいことなのだと思う。そのことを痛感させられた。

 僕は大学で古典ギリシア語を学んだので、ギリシア行ったとき、向こうの文字は全部読めましたよ。発音は古典ギリシアと違うなあと思ったけど。言われてみると、普通にそうしていたけど、それはそれなり便利だったな。ちなみに、僕はロシア語が第2外国語なんだけど(てへぺろ級)、ロシア語の文字とギリシャ語の文字が同じと言われると、どうなんでしょ。
 ってな感じで、とにかく面白い話がいろいろある。舛添先生青春記、だなあと。もっとフランス人妻の話が読みたいぜ。
 語学という点ではどうかというと、ところどころ、そうだよなあとうなづく話がある。

 語学力というのは、ある意味ではスポーツのようなものだ。日々の努力が肝心である。毎日少しずつ練習や基礎運動をやっていて、どうにか現状を維持できるかというものだ。さらに強くなるためには、もっと練習しなくてはいけない。

 たぶん、そうだろうな。

 そういう意味で、先述の"The New York Times Weekly Review"を読む習慣をつけたことは、非常によかったと思う。
 「現状の力を保つためには読む習慣をつけること。」
 である。

 それもそう。聞くのもそうだと思うけど。
 同様に。

 語学の実力というのは、同じような勉強のしかたをするならば、おおむね勉強した量に比例する。そして勉強した量は辞書を引いた回数に比例する。

 それもそうかも。ほいで。

 語学の勉強も自転車に乗るのと同様で、やり始めは非常に大変である。勉強のしかたの要領が悪いと、覚える単語の数より忘れる単語のほうが多いといったことにもなりかねない。なかなか進歩しないことにあせりを感じたりもする。だが、勉強を積み重ねて、語学力がある段階にまで達すると、そこから先は苦労を感じず楽しみながらやれるようになる。その域に達すれば、もう忘れる心配もなくなるのである。
 だが、当然ながら、いくら優秀で熱心な学生であっても、大学の教養課程の2年間だけで、その段階に達するのは無理であろう。少なくとも4年間は費やす必要があるのではないだろうか。それだけやれば、ある程度は自力で自転車を漕げるようになる。
 その域までいかずに、2年間だけで第2外国語を中断するのは、言ってみれば、まだ後ろで支えられながら、自転車に乗っている子供が、急に手を離されて自転車を漕げと言われるようなものだ。こわくて自転車に乗れないから、しようがなくハンドルから手を離してしまう。同じことをして、語学がものになるわけはない。こういうやり方は、教養課程での第2外国語そのものが貴重な時間の無駄使いに過ぎなかったということになりかねないのである。

 そうなんだろうな。このあたりは、僕にはよくわからない。

 この経験から言えるのは、語学というのは、とりわけ初歩の段階では、ある程度
「集中してやる必要がある」
ということだ。その点で、むしろ第2外国語のフランス語でやったように、最初の半年間に徹底して文法や発音などの基礎をたたき込み、それ以降は多少ペースを落としぎみにしてもいいから、読解を中心にやるという方法は、結果的には非常に効果的だったように思う。

 これもそうかな。

 覚える量と忘れる量が拮抗していれば、現状維持。
「覚える量と忘れる量が上回って始めて、語学力は進歩する」
のである。特に骨組みとなる「文法」においては、忘れないうちに覚えきってしまうのが秘訣である。それさえやり終えて、辞書を使って読めるようになれば、新たな文章を読むこと自体が習った文法事項の復習になるわけだ。もはや忘れる心配をしなくてもよくなる。その段階までいかに早く到達するかが、初歩の段階での重要なポイントとなろう。

 これがようするに舛添メソッド。たぶん、正しい。発音と文法を半年で叩き込め、そして辞書で読めである。
 その集中期の後はどうかというと。

 遊んだり、他の勉強をしたり、仕事をしたり、いろいろやりながら、ついでに語学もやるという感じでいいのではないだろうか。
 1日1時間かせいぜい2時間。
 集中力が持続するのは、そのぐらいが限度である。ただし、それを「毎日続ける」ことだ。あまり根を詰め過ぎるのは体によくないし、飽きてしまってかえって逆効果にもなることもある。

 そうかも。
 語学の学習について、海外で学べ論にはこう反論している。

 私自身の体験からいっても、ドイツ語の場合は、日本語で勉強した期間の長かったフランス語や英語と違って、ほんのちょっと基礎をかじっただけの段階でドイツに行ったわけだ。
 そうするとどうなるかというと、とりあえず日常生活に必要な言葉は覚えるけれど、最低限の生活さえできてしうと、もうそれ以上勉強しようという意欲がなくなるのだ。

 今回僕はピンズラー方式でフランス語勉強したのだけど、その間、米国人はどうやってフランス語を勉強するのか、について、いくつか英語の教材を見て回った。わかったことは、けっこう、フランス生活がこなせればいいという教材が多いことだった。語学の学習というのは現地でそれなりに生活できればそれでいいという面はある。
 現地の新聞の大切さも説かれているが、納得できる。

 こうしてみると、本当に現地人なみに語学ができると評価されるための条件とは、その土地、土地で出ている新聞をすらすらと読みこなせるということではないだろうか。
 逆に考えてみると、生きた語学を学ぶための最良の方法は、その言語の使われている現地で発行されている新聞を購読することではないかと思うのである。


 たとえば、アメリカの新聞を見ると、"GOP"という言葉がよく出てくる。
 これは実は、"Grand Old Party"の略で、共和党のことを指すのである。ところが日本で英語を勉強しているだけだと、民主党は"Democratic Party"、共和党は"Republican Party"としか習わないから、アメリカ人との会話で"GOP"という言葉が出てきても、何のことかわからない。
 アメリカに住んでいる日本人は別として、日本に住んでいるふつうの日本人で、"GOP"と聞いてすぐにピンとくる人はあまりいないだろう。もしいたとしたら、アメリカの新聞を購読している人に違いない。

 ちなみに、"GOP"はすぐにわかりましたよ。っていうか、そんなものか。
 とま、引用が多くなったけど、まあ、共感できる部分も多かった。
 自分とは考えが違うなという面もいろいろあった。それはそんなものだろう。
 都知事になったら、舛添さん、その語学を生かしてくださいな。
 

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