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2014.09.13

[書評]アルケミスト―夢を旅した少年 (パウロ・コエーリョ)

 なんか子ども向けのわくわくするような冒険譚みたいなものが読みたいなと思ったら「前兆」があったので『アルケミスト―夢を旅した少年』を読んだ。


羊飼いの少年サンチャゴは、アンダルシアの平原からエジプトのピラミッドに向けて旅に出た。そこに、彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて。長い時間を共に過ごした羊たちを売り、アフリカの砂漠を越えて少年はピラミッドを目指す。「何かを強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」「前兆に従うこと」少年は、錬金術師の導きと旅のさまざまな出会いと別れのなかで、人生の知恵を学んで行く。欧米をはじめ世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語。

 そういうお話。よく売れた。
cover
アルケミスト
夢を旅した少年
 現在では文庫本になっているんだな。しかも角川文庫かあ。実は、これが話題のころ勧められたものの、なんとなく読むのを逸していたのだった。
 訳者を見ると山川紘矢・山川亜希子。この訳書が出るまえだったけど、とあるホームパーティでお目にかかったことがある。まあ、そのぉ……パーティのみなさんはチャネリングとかで盛り上がっていましたね。あの時代。
 この『アルケミスト』の翻訳だが、見たら、原典のポルトガル語からではなく、英訳本からの重訳だった。ちょっと落胆した。それでも英語版も原作者の確認が入っているようだし、そう違うものでもないんだろう。
 読んでみて、どうだったか。
 普通に面白かった。もっと、わくわくするような冒険がよかったけどなあと思った。
 人形劇にすると面白いかなとも思った。映画でもいいだろう。ちょっと探してみると、映画っぽい映像があるが、実際に映画化されたのだろうか。映画あったら見てみたい。


 書籍のほうは文字の媒体ということもあって、『かもめのジョナサン』じゃないけど、いちいち神秘的な教訓に満ちていて、うざいなあとも思った。
 ちなみに、カモメ本だけど、完全版(参照)が最近、出たのかあ。五木寛之も長生きしてよかったなあ、というか石原慎太郎と同年(そして同じ生年月日)だから、まだまだお元気。ちなみのちなみ、この本は大学のとき翻訳の授業の課題でネイティブとグループで読んで、えええ?米人はそう読むわけと驚いたことがある。

cover
シッダールタ
(新潮文庫)
 『アルケミスト』に対しては、ちょっとうざいと思いつつも、しかし、とも思った。
 私が高校生の時に読んでえらく感動したヘッセの『シッダールタ』(参照)もそんなものかなと思い出したのである。こっちのほうは、ちょっとエロいとこもあっていいかなと。
 いずれにせよ、この『アルケミスト』、中学生とか高校生だとなんかラインマーカー引いて覚えたくなるような、知恵がいろいろ書いてはある。
 心についての話なんかはとくに気に入った。

「それなら、なぜ、僕の心に耳を傾けなければならないのですか?」
「なぜならば、心を黙らせることはできないからだ。たとえおまえが心の言うことを聞かなかった振りをしても、それはおまえの中にいて、おまえが人生や世界をどう考えているか、くり返し言い続けるものだ」
「たとえば、僕に反逆したとしても、聞かなくてはならないのですか?」
「反逆とは、思いがけずやって来るものだ。もしおまえが自分の心をよく知っていれば、心はお前に反逆することはできない。なぜならば、おまえは心の夢と望みを知り、それにどう対処すればいいか、知っているからだ。

 自分の心が自分に反逆することがある。それはあるものだなと思う。
 あれです、カスタネダっぽい印象もあり、実際、カスタネダのまんまの部分もありそうには思えた。ただ、じゃあ、そういう基調の本かというと、おそらくこの物語は創世記のヨセフ物語をベースに作成されているのだろう。べたでないにせよ。その意味では、ヨセフ物語的なものを現代風にアレンジするとこういうなるのかもしれない。
 物語中、自分的に一番感動したのは、これ。

 明日、おまえのらくだを売って、馬を買いなさい。らくだは裏切る動物だ。彼らは何千歩も歩いても疲れを見せない。そして突然ひざまずくと、死んでしまう。しかし、馬は少しずつ疲れていく。だからおまえはいつも、どれだけ歩かせてよいか。いつ馬が死ぬ時か、わかるのだ。

 ほんとかなあとも思う。しかし、人類とラクダのつながりは深いものだろうなと、改めて思ったのである。特に日本人だと、ラクダというのの感覚がよくわからないからなあ。ちなみに僕は乗ったことあるけど。
 『アルケミスト』、読むのを勧めるか。特に若い人に。というと、どうだろ。微妙な感じがした。悪いとも思わないので、気になったら読んでみるといいとは言える。そして人によってはとても感動的な本だろう。
 僕なんかがいかんのかなと思うけど、僕なんかだと、この物語の、批判というか否定的に見られている老いた人間の側になってしまったのか、どんなことがあっても不屈の精神で夢を貫く若者というのには、あまり肯定できない。
 ただ、思ったなあ、世界の多くの若者がこの本、読んで、まじで不屈の精神でいろんな夢を叶えてはいくんだろうな、とは。
 
 

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2014.09.12

スコットランド! フリーダーム! SCOOOOTLAND FREEDOOOM!

 9月18日に独立の是非を巡ってスコットランドで住民投票が実施される。目下、独立賛成派が急進してきたようにも見えるので、いろいろと話題になっている。
 これにはいろんな議論があるが、私は、スコットランドの独立はないだろうと見ている。理由はスコットランド社会が緩やかな変化を求めるだろうと思うからだ。逆にいえば、今後は緩やかに独立していくだろうし、日本などから見ると、すでにかなり独立している。
 もう一つ理由がある。たわいない理由だが、もしかすると、重要な理由かもしれないと思うのは、スコットランド人の自虐ユーモアセンスである。それが示す豊かな心がよい選択をするだろうと期待する。
 ネットとかでいろんな他者からの反応に接して思うのだけど、「テラワロスw」みたいに侮蔑の笑いを投げかける人は、どっか心が病んでいるように思える。じゃあ、健康な心はなにか、というと、きちんと自虐ギャグで笑えることじゃないかな。そういう自虐ギャグのセンスがない人は、とても怖いと思う。
 で、これ。スコティッシュな自虐ギャグ。スコットランド独立が自虐ギャグネタなのな。
 有名なので知っている人も多いかと思う。ほんと、おなかが痛くなるほどおかい。それでいて高度に知的でもある。
 当然だがなかなか聞き取れない部分もあるので、違っているかもしれないけど、できるだけ書き起こしと、試訳を添えてみた。そのあとでこれに日本語字幕つけているのを見つけたので、あとでそれも紹介する。最初は発音に注意してそのまま見たほうがいいと思う。「ラフト」って聞こえるのは、"Lift"でエレベーターのこと。英国英語だとこう言う。

A: Where's the buttons? ボタンはどこ?

B: No, no they've installed voice recognition technology in this lift. I heard about it.
ないよ。このエレベータは音声認識装置が装備だってさ。

A: Voice recognition technology? In a lift? In Scotland? Ever tried voice recognition technology?
音声認識技術? エレベーターに? スコットランドで? 使ったことある?

B: No.
いや。

A: They don't do Scotish accents.
スコットランドなまりだと、だめだな。

B: Eleven.

L: Could you please repeat that?
繰り返してください。

A: Eleven.
B: Eleven, Eleven.
A: Eleven.
L: Could you please repeat that?
B: E-le-ven.

A: Whose idea was this? You need to try an American accent. Eleven, Eleven.
これ考えたの誰? アメリカ風に言ってみたら? 11,11。

B: That sounds Irish, no' American.
それ、アイルランドなまりじゃん。アメリカ風じゃないよ。

A: No, doesnae. Eleven.
そう?

B: Where in America is that, Dublin?
どこのアメリカ? ダブリン?

L: I'm sorry. Could you please repeat that?
申し訳ございません。繰り返してください。

B: Try an English accent, right? Eleven, Eleven
英国風ならどうかな。11, 11。

A: You are from the same part of England as Dick Van Dyke!
君はディック・バン・ダイクみたいにイングランドの出身なんだね。

B: Let's hear yours then, smartarse.
じゃあ、お前やれよ。上から目線野郎。

L: Please speak slowly and clearly
ゆっくりとはっきりお話しください。

B: Smartarse
上から目線野郎。

A: E-le-ven.
L: I'm sorry. Could you please repeat that?
A: Eleven. If you don't understand the lingo, away back home yer own country.
11。この言葉わかんないなら、てめえの国に帰れ。

B: Oh, It is that talk now, is it? Away back to yer own country.
おーおーお、なんて話してんだ、てめえの国に帰れだと。

A: Oh, don't start Mr Bleeding Heart - how can ye be racist to a lift?
お涙頂戴ってか? エレベータに向かって人種差別主義者になるわけないだろ。

L: Please speak slowly and clearly.
B: Eleven, Eleven, Eleven, Eleven.

A: You are just saying it the same way.
君が言っているのはさっきから同じだぞ。

B: I'm gonna keep saying it until it understands Scotish, alright?
こいつがスコットランドなまり覚えるまで言ってやるんだよ。

B: Eleven, Eleven, Eleven, Eleven.
A: Oh, just take us anywhere, ye cow. Just open the doors.
どっかへ連れてけ、このまぬけ。ドアを開けろ。

L: This is a voice-activated elevator. Please state which floor you would like to go to in a clear and calm manner.
これは言葉で動くエレベーターです。行き先階をはっきりと落ち着いておっしゃってください。

A: Calm? Calm? Where's that coming from? Why is it telling people to be calm?
落ち着け? こいつどっから来たんだ? なんで人に向かって落ち着けだと。

B: Because they knew they'd be selling this to Scotish people who'd be going off their nuts at it.
だって、この手ものにかっとくるスコットランド人にこんなもの売りつけたんだからな。

L: You have not selected a floor.
行き先階がお選びになっていません。

B: Aye, we have. ELEVEN!
選んでるだろ。11。

L: If you would like to get out of the elevator without selecting a floor, simply say “Open the doors please”
エレベータからお降りのときはそのまま「お願いですから、ドアをあけてください」と言うだけでけっこうです。

A: Please? Please suck ma wullie.
お願いですから? お願いですから、ちんこしゃぶれ。

B: Maybe we should have said please.
俺たち「お願い」ってするべきじゃないの。

A: I'm no begging that for nothing.
あんなのにお願いするのかよ。

B: Open the doors please.
ドアを開けてください、お願いですから。

A: Please. Pathetic.
「お願いですから」 惨めにな。

L: Please remain calm.
お静かにお願いします。

B: Oh gu wud ye let me up to that, get me up there, right, just wait for it to speak.
うぉお、俺を持ち上げてくれ、いいかあ、こいつが話すまで待て。

L: You have not selected a floor.
お客様はまだ行き先階をお選びになっていません。

B: Up yours, ye cow! You don't let us out these doors, I'm gonnae come to America, I'm gonna find whatever desperate actress gave yer voice, and I'm gonnae go to the electric chair for ye.
上のバカやろう。ドアを開けないならアメリカに行って、なんとしてもお前に吹き込んだヤケクソ女優を見つけ出し、お前のために電気椅子に座らせてやる。

A: Scotland, ye bastards.
スコットランド、この厄介者

B: SCOTLAND!
A: SCOTLAND!
B: SCOOOOTLAND!
A: FREEDOM!
B: FREEDOM!
A: FREEDOOOM!
A: Goin' up?
上、行きますか?


 すごくばかげたギャグなんだけど、きちんと人種差別発言のラインがどの辺にあるのか教えてくれていたりする。こういうセンスっていうのは、日本のお笑いにはないんじゃないかな。
 途中、ディック・バン・ダイクのネタが出てくるのだけど、これは彼が「映画のなまりのワースト10」の第二位で、米国人俳優の下手な英国英語とされているためだ(参照)。

 で、先ほど言ったけど、これに字幕付けている人がいた。字幕で見ちゃうと、わかりやすい反面、発音への関心がちょっと反れる。


 
 

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2014.09.11

拝啓 色川先生(NHK BSプレミアムドラマ)

 テレビレコーダーの未試聴リストを見ていたら、NHK BSプレミアムプレミアムドラマでこの3月に放映された『拝啓 色川先生』が入っていたので、へえと思って見た。
 もちろん、録画予約をしたのは私なので少し記憶があるが、ほとんど忘れていた。表題に色川先生とあるくらいなので、このドラマだと色川武大をどう描くかなという関心もあった、開けてみると原作は伊集院静『いねむり先生』(参照)だったので、少し驚いた。
 驚いた理由は、昨日書いた「いねむり先生 [DVD](出演。藤原竜也・西田敏行): 極東ブログ」(参照)と原作が同じだったからというより、同じ時期に同じテーマを民放とNHKでやったのかという点だった。調べてみると、民放のほうは2013年9月、NHKは2014年3月なので、半年の差はある。民放が先だが、この間隔だとNHKは民放を見てからの企画ということでもないだろう。
 視聴後の全体の感想を先に述べておくと、こちらの作品も面白かった。率直にいって、同じ原作なのか、どっちが原作に近いのかよくわからないという印象もあった。こちらのNHKドラマのほうはDVDなどで販売はされてなく、また地上派で放映されたふうでもないので、いずれ地上派で再放送するのではないだろうか。関心のあるかたは見る価値がある。
 少し調べてみると、原作では主人公は伊集院静をモデルとしているものの「サブロー」であって伊集院静その人ではない。だが、NHKのほうでははっきりと、伊集院静としていた。ドキュメンタリー仕立てにしているのである。ただ、「黒金ヒロシ」という名前は明確には出てこなかったと思う。
 色川は國村隼が演じていた。國村隼と言ってもピンとこない人もいるかと思うが、見れば、あの渋い役者さんだとわかるだろう。けっこうなおっさんに見えるが、年はと調べてみると、私より二つ上。この物語の色川を演じるにぴったりの年齢というところだ。渋さのなかに微妙な色気とイノセンシーを感じさせる演技が上手だし、この作品ではその特性を上手に活かしていた。なるほど、色川が女にモテるのはこれだよなという部分である。
 反面、色川が持つ恐ろしい部分については、率直に言ってうまく演じられているふうではなかったし、脚本的にもそういう面は強調されていなかった。私の色川への思い入れが少し勝ってしまった。
 ついでのような言い方になるが、伊集院静を演じる村上淳だが、悪くない。悪くないだけよいと言ってよい。微妙な軽さはそれでよいのかもしれないが、印象はその分、薄い。
 ドキュメンタリー風のドラマではあるが、映像の作りはどちらかというと映画に近い。決定的なことを言うと、この作品こそ二時間枠できちんと作るべきだっただろう。ところどころ、ドキュメンタリー的な趣向で時間を省いていて、そこが奇妙に浮き立ってしまっている。
 特に夏目雅子は、イメージとしては描かれているが、役者としては登場しない。そもそもそういう作品なのだと言えないことはないが、ちょっと無理がある。このドラマでは夏目を描く代わりに、彼らの恋愛が当時どんなにスキャンダルだったかということを表すために、当時の週刊誌のページをいかにもドキュメンタリーふうに画面に並べて映した。ああ、そうだったなあという思い出も蘇るが、この表現手法はちょっとずるい。
 同原作でも民放作品とは、テーマすら違うように思えた。民放のほうでは、伊集院静扮する主人公の、妻への愛と罪責の苦しみから逃れるというのがテーマだが、NHKでは、妻への罪責はあるにせよ自身のやりきれないような駄目さかげと創作者の存在はどうあるべきかということがテーマとなっていた。この後者の創作者・小説家はなぜ生きているのかというところで、色川武大とつながるように作成されていて、その点では、きれいに出来た脚本だった。
 ドキュメンタリー仕立てのせいか、冒頭いきなり、64歳の伊集院静が登場した。ぼそぼそと近況と作家の本質のようなことを語るのだが、背景には東北大震災への思いが滲んでいるようだった。
 彼は小声でどっこいしょと椅子に座り、さりげなく、妻のことを語っていた。「家内の体調悪かったんで」と。「家内」は篠ひろ子である。当時のことを思い出すと、ああこの色男また女優か、と思ったものだったが、1992年だったか。彼らの年齢を見ると、伊集院が42歳、篠ひろ子が二つ年上なので44歳だった。いつ頃からの関係だったか、伊集院が小説家として盛り返したころからなのか、もっと深い過去があるのかよくわからないが、ありそうな印象はある。
 伊集院静と篠ひろ子の再婚では、いろいろ人生を経た大人の恋愛として祝福する気持ちと、長くは続かないよという思いと二つあった。が、お二人連れ添ってもう20年以上。それだけで人間というものだなあという実感がある。
 繰り返しになるが、やはり1時間でまとめるために、かなりきれいにまとめているが、そもそもきれいに整えてしまうには無理のあるテーマだった。そのあたりは脚本家や演出にも理解されていてるだろうというのは、モロ師岡の役回りなど本筋から離れる部分が面白かった。
 同じ原作で二作見てしまったせいか、どうしても隔靴掻痒感は残る。作品の出来不出来とは別に、こーじゃないんだと思う。夏目雅子っていうのはこーじゃない、色川武大はこーじゃないと、つい思ってしまう。
 
 

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2014.09.10

いねむり先生 [DVD](出演。藤原竜也・西田敏行)

 気になっていたがなんとなく見忘れていて、いまごろなんとなく見た。「いねむり先生」(参照)として表題にある「先生」は色川武大である。別ペンネームの阿佐田哲也と言ってもいいかもしれない。

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いねむり先生 [DVD]
 物語は、作家・伊集院静が妻・夏目雅子を失った苦しみのなかで、色川に出会い、そのなかで魂が救われていくという物語である。
 普通に感動的だと言ってよいし、色川という人間というか巨大な魂の姿が、伊集院を通してよく描けていると思う。といいつつ、原作『いねむり先生』(参照)は未読。理由は、伊集院静になんとなく抵抗感があるからだ。いやなんとなくというより、夏目との関係で、若い女に手を出すおっさんというのはいやだなあと思っていた。夏目は私と同い年なので、そういう思いが強い。
 映像作品としてよく出来ていたと思う。民放ドラマがベースになっているが(参照)、そこで可能な線をぎりぎりなところまで表現の可能性をひっぱっていた。映画との差はというと、難しいが、旅先で描かれる地方の風景は美しかった。
 この物語は、色川に魅了された人とそうではない人にとっては、見え方がどうしても変わってしまうだろうと思う。色川を演じた西田敏行は好演だったと思うし、他にこの役者にやらせたいというのがなんとなく思いつかない。だが、諸所、これは色川ではないなと思った。伊集院(作品ではサブロー)を演じる藤原竜也も好演だったと思う。というか、私の伊集院への抵抗感をうまく払拭する若々しさがよかったし、先生への愛情の演技もとてもよかった。
 この作品では終盤までにところどころに思い出としての夏目(作品ではマサコ)の映像が出てくる。物語でも、サブローがマサコ主演の映画ポスターを見てショックを受けるシーンがあるが、実は私も、マサコの病床シーンを見ながら、ぐぐっと胸に痛いものを感じていた。
 私は夏目のファンというほどではないが、27歳で突然ぷつんと糸を切られたような人生をどう受け止めてよいのか、また彼女を「さらっていった」かに見えた結婚のありかたに違和感を感じていた。
cover
夏目雅子
メモリアルブック
 改めて夏目雅子を思い出し、うまく言えないのだが、とんでもない女優だったなと思った。演じてる波瑠という女優さんがときおりよく夏目に似ているように錯覚し、そう思うほどに、いやこれは違うと頭のなかで繰り返す。波瑠さんがどうというわけではないが、夏目はなにか圧倒的な女優だった。死んでしまったからかもしれないが、ただの美人というではない、こんな人間いるのか?と思わせるものがあった。どこか神聖な印象もあり、なるほど三蔵法師が似合うなとも思い出した。色川にしても夏目にしても、どこかしら、この世ならざる存在で、なんとももどかしい感じがする。
 物語で知ったのだが、伊集院と夏目との付き合いは7年ということだった。ということは、夏目が20歳ごろから、この中年おっさんの毒牙にかかっていたのかと、つい思ってしまうが、それは私も当時は若かったからで、伊集院もそのころはまだ20代だったわけだ。10歳以上も年上のおっさんというイメージだったが、そうでもなかったのだな。
 文芸界というか著名人の交流というのにはあまり関心をもたないせいか知らないでいたが、物語に黒鉄ヒロシや井上陽水が出てくるのも面白かった。時代だなあ。もう何年になるかと思い出して夏目雅子の没年1985年を思うと、もうあれから30年経っている、というか、彼女、俺と同い年だしなあ。生きていたら、56歳かあ。
 色川が亡くなったのは1989年。60歳だった。そしてその頃、伊集院は39歳。まだ30代だったわけだ。ドラマで老人たる風体の色川だが、あれがだいたい今の自分くらいの年齢かとも思う。
 物語は、亡くなった妻への思いに苦しむ伊集院の魂の救済ということだが、見ていると、なんとなく自分の魂の救済にちょっとつながっているようにも思えた。というか作り手の側にもそうした思い入れがあってできた作品だろうし、基本的なターゲットは私の世代だろうか。
 若い人が見たらどう思うだろうか。
 普通に一つのフィクションとして見るということになるのかもしれないし、それはそれでいいのだろう。でも、色川とか夏目とか、ほんと、人間じゃなかったよ、あれは、なんなのだろうという存在だった。
 
 

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2014.09.09

韓国でのタバコの値上げで思ったこと

 韓国でタバコの値上げが話題になっている。禁煙を推進するためにタバコを値上げするのは、国際的な潮流になっているので、韓国が多少遅れたとしてもそれを追いかけたことには、さして違和感もない。なにより韓国は「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約(WHO FCTC)」を受け入れたので喫緊の課題になっていた。
 この話題だが少し掘り下げて見ていくと、考えさせられることがあった。
 報道は各所にある。3日付け中央日報「福祉部長官も「たばこ、4500ウォンに値上げを」=韓国」(参照)が焦点化しやすいので、引用したい。


保健福祉部が年内にたばこを4500ウォン(約460円)に値上げする案を推進している。
文亨杓(ムン・ヒョンピョ)保健福祉部長官は2日、政府世宗庁舎で記者らに対し、「最も効果的な禁煙政策はたばこの値上げ」とし「喫煙率を低めるため、少なくとも2000ウォンは引き上げるべきだと考える」と述べた。値上げが決定すれば、国内で最もよく売れているたばこの価格(2500ウォン)を基準に倍近くに上がることになる。
7月に崔ギョン煥(チェ・ギョンファン)経済副総理が聴聞会で「国民の健康増進レベルでたばこ税の引き上げが必要だ」と述べたのに続き、主務部処の福祉部長官がたばこ価格の引き上げ幅に言及したことで、値上げが現実に近づいている。

 現状の二倍に引き上げるというのだから、韓国社会で話題になるのは当然だろう。だが、引き上げ後の額を見ると、一箱460円くらいで、高いかなとは思うが、先進国と比べると標準といったところ。WHOの手前、やや強引に世界標準に持ち込んだかなという印象がある。
 私はタバコを吸わないで、日本国内のタバコの価格にも疎いのだが、「マイルドセブン」改め「メビウス」が430円なので、ウォンの変動も合わせると、日本を追っている印象がある。まあ、実際はそうでもないのだろうけど。
 ちなみに、日本のタバコ価格もこの10年で高騰していて、「マイルドセブン」だと、2004年には270円だったから、10年ほどで160円上がったことになる。前年の2003年では250円だったことを考えると、だいたい二倍くらいにはなった。急激な値上げは2010の300円から410円かもしれない。余談だが、「メビウス」は韓国でも売れ筋のタバコなので免税店でよく買われているらしい。
 ということで余談にそれるが、そういえば、先日セブンイレブンで「しんせい」を見かけ、山本七平がよく吸ってたなあと思いだしたが、これは現在、250円。このあたりは、もうタバコやめてもしかたないでしょうという年代への一種の福祉政策かもしれない。ちなみに、「わかば」が260円、「恩賜のたばこ」だった「ゴールデンバット」が210円。そういえば沖縄の「うるま」は、と見ると260円、「バイオレット」が250円。なんか本土復帰な価格。
 気がついたのだが、現行の韓国でのタバコの価格は250円ほどなので、「しんせい」「わかば」的な価格にある。日本の昭和が続いているような感覚かもしれないし、日本の場合は、昭和な部分をこっそり陰で維持しているとも言えるのではないか。というところで韓国での安価なタバコを調べたら、1000ウォンくらいのもあった。つまり、全体的に韓国のタバコは安かったわけだ。
 話を韓国の今回のタバコ値上げに戻すと、ちょっと、自分には意外なことがあった。

 韓国国内のたばこ価格は、500ウォンの値上げがあった2004年末以来引き上げられていない。文長官は「2004年に500ウォン値上げした後、販売量が減少し、喫煙率が2年間に12ポイントほど落ちたが、時間が経過しながら喫煙率の低下傾向が停滞した」とし「現在約44%の成人男性の喫煙率を2020年までに経済協力開発機構(OECD)平均(25%)に引き下げるには値上げが必要だ」と述べた。韓国のたばこ価格はOECD最低水準だ。

 意外というのは、「現在約44%の成人男性の喫煙率」というのである。そんなにあったかなあと思ったのである。
 関連ニュースを追ってみると、朝鮮日報になぜか一部文字化けしているような、このグラフがあった(参照)。

 見づらいが、棒グラフから直観的にタバコ価格の動向はわかるだろう。日米が同じくらい。欧州は高い。
 気になるのは、数値で示された喫煙率(男性)のほうだが、これだと韓国は49%。日本は34%。フランスの39%に近い。基本的に先進国での男性喫煙率は減っていることは理解できる。
 最近の喫煙率の状態はどうだったか、OECDの報告書で確認してみた(参照PDF
 韓国報道とさほど変わらない。グラフだとこんな感じだが、ちょっと見づらい。

 日本と韓国を含んだ分だけ拡大してみる。

 韓国の喫煙率が他国に比べて頭一つ突き抜けているというか、中国と似ているかというところ。先進国の仲間入りとしてはちょっとまずいかなという印象はある。
 このグラフをぼんやり見ていて、自然に日本に目が向くのだが、日本の喫煙というのはメキシコに似ているんだなと思った。日本は先進国のフリしているけど、性別の生活文化的なところではメキシコ的なのかもしれない。
 というところで韓国に目を戻すと、喫煙の男女差がすさまじい。韓国の徴兵制の影響もあるのだろう(その期間にタバコを覚える)が、それにしても、男女差がある。
 もちろん日本も喫煙で男女差があり、男性が多い。
 ところが、これ他国、主に先進国で見ると、女性の喫煙が多いことに気がつく。
 禁煙政策的な実施をすると、女性の喫煙比率が相対的に上がるということではないだろうか?
 日本はよく女性差別の国家だと言われているが、その場合、男性権力の文化制度として言及されることが多いが、日韓の男性喫煙率の高さと、他国の女性喫煙率の高さを比較して見ると、この女性蔑視的な文化制度と喫煙率にはなにか関係があるのだろうかと、しばし考え込んでしまった。わからないなあ。
 
 

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2014.09.08

核拡散防止条約(NPT)の終わり

 終わると思っていたものが終わるとき、まあ、予想の範囲だよね、ふーんというだけでなく、微妙な切なさを感じるというのは、失恋とかもそうだけど、いやあ、そういう話じゃないぞ。核拡散防止条約(NPT)の終わりを見て、ああ、終わったなあ、これでいいんか、世界、非核平和日本。と思ったのである。
 どういうことかというと、核拡散防止条約(NPT)非加盟のインドに対してオーストラリアがウラン輸出を承認してしまったということ。
 これ、やっちゃいけないことなんですよね。ただ、厳密に違反とまで言えるのか、違反とまでは言えないからやっちゃったのか、そのあたりはどうなんだろうかと少し思った。全体的に言うなら、米国が率先してNPTのルールを破ったあたりから、こうなることは予想は付いていた。
 報道でちょっと確認しておこう。NHK「NPT非加盟のインドに豪がウラン輸出へ」(参照)より。


NPT=核拡散防止条約に加盟していないインドに対して、オーストラリアが原子力発電のためのウランを輸出することで両国が合意し、5日、原子力協定を締結しました。
 インドを訪問したオーストラリアのアボット首相は5日、首都ニューデリーでモディ首相と会談し、オーストラリアからインドへのウランの輸出を可能にする原子力協定に合意しました。
 オーストラリア政府はインドがNPTに加盟していないことなどを理由にこれまでウランを輸出してきませんでしたが、3年前に方針を転換しインドと交渉を進めていました。
 協定の締結後、モディ首相は「互いの信頼の証しであり、両国の協力関係は新たな段階に入った」と述べ、オーストラリアの決断を高く評価しました。
これに対して、アボット首相は「インドは、これまでも国際法を誠実に守ってきており、信頼している」と述べ、ウランが軍事利用されるおそれはないと強調しました。世界最大のウラン埋蔵量を誇るオーストラリアにとっては、産出量の増加で雇用を増やすとともにインドとの経済面や安全保障面での関係をさらに強化するねらいもあります。
 一方、インドは深刻な電力不足に直面しており、2020年までに現在20基ある原発を倍程度に増やす計画で、今回の合意で電力供給を拡大するとともに日本などほかの国との原子力協定の交渉にも弾みをつけたいとしています。

 NHKらしい書き方なのか、NPT違反なのか厳密にははっきりしない。そこは報道からはわからない。いずれにせよ「ウランが軍事利用されるおそれはないと強調しました」というのは、事実上、君も仲間だからね、ということだ。
 この仲間というのに日本も事実上入っているし、そのためのデモンストレーションがモディさんの訪日でもあった。
 というわけで、オーストラリアがイギリスの資本引き連れて最初にうんこ踏んでくれたから、日本も堂々とその上を、今回検討した原子力協定から、原発関連技術を輸出へと向かうことになる。
 それでいいのかというと、いやあ、これはよくないでしょ。
 どのくらいよくないかというと、与党公明党のご意見に耳を傾けてみようではありませぬか。公明党「核拡散防止条約 「核なき世界」実現の舞台に」(参照)より。

公明新聞:2014年8月12日(火)付
 公明党は6日、核兵器禁止条約の合意形成を訴えると同時に、日米安全保障の中で「核兵器のない世界に向けた新たな安全保障の在り方」を世界に発信する必要があるとの視点から提言を発表した。
 核兵器の違法化と、核兵器に依存しない安全保障の確立は、核廃絶への二つの道である。二者択一ではなく、両方の努力があってこそ核廃絶への確かな展望が開ける。
 本来なら核拡散防止条約(NPT)がそうした議論の舞台となるべきである。しかし、核軍縮さえ十分に進めることができないNPTへの不信感も強い。
 それは、メキシコで2月に開かれた「第2回核兵器の非人道性会議」の議長総括にも表れていた。
 議長総括は、核兵器の違法化が「核兵器のない世界を実現するための道」とした上で、「法的拘束力のある文書を通して新たな国際基準と規範に到達する」と述べ、核兵器禁止条約をめざす決意を示した。
 NPTは米、英、仏、ロ、中5カ国に核保有を認める一方で、核軍縮の効果的措置に向けた条約交渉の義務を課した。しかし、いまだに実現しておらず、世界はいら立っている。会議に参加した外務省幹部は「NPTは生ぬるい。別のトラック(交渉の場)をつくろうという考えを想起させる内容だった」との感想を漏らしたほどだ。
 だからといって、核保有国抜きで「別のトラック」が行われ、核兵器禁止条約をまとめたとしても、「核のない世界」が実現するかどうかは不透明との意見は根強い。
 核廃絶が進まない最大の理由は、核兵器の存在によって平和と安全が守られると考える核抑止論の存在である。これを乗り越える必要があり、米国の拡大抑止(核の傘)に依存する日本にとっても重要な課題である。
 「核の目的は核攻撃の抑止に限定する」など「核の役割低減」が核廃絶への確かな一歩になるとの考え方は国際社会で有力になっている。
 来年開催されるNPT再検討会議を舞台に、核兵器禁止条約に向けた合意形成と、核抑止論の包囲網を固める安全保障論議が進展することを期待したい。

 全文引用する気はなかったのだけど、よくまとまっているので、削りにくい。
 まとまっているというのは、一貫した主張というより、特に後半の、これ、gdgdじゃね?という部分だ。混乱が簡素に表現されている。核兵器廃絶を願いながら米国の傘の下にいる現状をどうしたらいいかということだ。
 これ、世界が止まっていたら、それでよかった。
 しかし、今回のオーストラリアの動向を見ても、世界は止まっていなかった。
 過去の現実というリアリティがなくなってしまった現在、どういうふうに日本が核拡散防止条約(NPT)と取り組んでいくべきかは、大きな課題になったし、与党として公明党も重たいものを背負い込んだことになる。
 野党はというと、いろいろ。ただ日本の反核派の人の多くは、ざっくばらんに言えば、基本反米なんで、そもそも核拡散防止条約(NPT)すら意義を認めていないし、北朝鮮の核にはあまり反対を表明しないんですよね。中国の核についてもそう。だから、核廃絶とはいうものの、核拡散防止条約(NPT)が終わってしまったという問題についても、それほど関心もってないみたい。
 さて、どうしたものか。
cover
原発安全革命
古川和男
 ここで暢気なブロガーとしては、トリウムだよねと思うのである。
 妄想? いや、それほどでもない。トリウム原発の歴史は実は原発そのもの原点の1950年代からあるくらい古い。その後たまたま世界が冷戦とかでいろいろあってウランやプルトニウム志向になってしまったが、インドはその時代から、初志貫徹トリウム原発もいいんじゃねという研究は継続して、トリウム炉の試験段階にまで持ち上げてきた歴史がある(もちろんそれだけじゃないけど)。その背景には、インドが世界最大のトリウム埋蔵量を持つということもある。
 なので、日本の技術でそこに梃子入れして、核兵器利用のない原子力利用というのを日印で実現したらすばらしいと思う。
 もっとも、この話、ネットでするとすげー反発が来るのは想定済みなんで、これ以上は言わない。
 そもそも、日本がトリウム炉を推進する気が、トリウム原発も許せない反原発派とそこは同じご意見で、まるっきりやる気ない。
 期待といえば、ビルゲイツさんももう一杯水被るつもりで、トリウム炉研究の支援を進めてくれないか、くらい。
 やればいいのにと思うのですけどね。
 成功するかしないかいう以前に、日本って、核兵器じゃない原子力の平和利用を求めているんじゃんていうアピール費用でもいいと思うのだけど。
 
 

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2014.09.07

「バカみたい問題」について

 「バカみたい問題」はバカみたいである。たぶん、私の造語だと思う(他の人が使っているの見たことないので)。なので私がその意味を書く。ある出来事に接したとき即座に「あ、バカみたい」と思う問題である。
 「バカみたい問題」が若干バカみたいじゃないとすると、その出来事を「バカみたい」とその場で反応しても、「あー、これ『バカみたい問題』だなあ」という認識が同時に起こることだ。つまり、「バカみたい問題」をバカにしているということではない。どっちかというと、なんで自分がそう思うのだろうかということで、なぜそういうふうに即座に認識するかを、メタ認識でカプセル化する。ちょっと込み入ってきましたね。具体的な話をしましょう。
 昨晩、NHK「デング熱拡大予防 「新宿御苑」閉鎖へ」(参照)というニュースを見たら、即座に、「バカみたい」と思った。そして、あ、これは、また、「バカみたい問題」だなと思った。
 即座に「バカみたい」と思った理由は簡単で、デング熱で「新宿御苑」閉鎖しちゃう発想はどこから出て来ているのか? なんでこんな大騒ぎをするのか? ということである。
 前提知識はほとんど常識に属する。厚労省のサイトにもデング熱についての基礎知識がまとめられている(参照)が、なかでも、「問7 罹ると重い病気ですか?」がわかりやすい。


問7 罹ると重い病気ですか?
答 デング熱は、体内からウイルスが消失すると症状が消失する、予後は比較的良好な感染症です。しかし、希に患者の一部に出血症状を発症することがあり、その場合は適切な治療がなされないと、致死性の病気になります。

 デング熱は「予後は比較的良好な感染症」であって、エボラ出血熱とはまったく違う。大騒ぎするほどの感染症ではない。なお、同じQ&Aにあるが「また、感染しても発症し ないことも多くみられます。」というくらい。ついでに「海外の流行地で感染し帰国した症例が近年では毎年200名前後報告されています。」という、症例の点ではめずらしくもない(渡航歴のない感染報告は初めてだが)。
 ついでに今後はどうかというと。

問11 日本国内でデング熱に感染する可能性はあるのでしょうか?
答 日本にはデング熱の主たる媒介蚊のネッタイシマカは常在していませんが、媒介能力があるヒトスジシマカは日本のほとんどの地域(秋田県および岩手県以南)に生息しています。このことから、仮に流行地でウイルスに感染した発症期の人(日本人帰国者ないしは外国人旅行者)が国内で蚊にさされ、その蚊がたまたま他者を吸血した場合に、感染する可能性は低いながらもあり得ます。ただし、仮にそのようなことが起きたとしても、その蚊は冬を越えて生息できず、また卵を介してウイルスが次世代の蚊に伝わることも報告されたことがないため、限定された場所での一過性の感染と考えられます。
 なお、ヒトスジシマカは、日中、屋外での活動性が高く、活動範囲は50~100メートル程度です。国内の活動時期は概ね5月中旬~10月下旬頃までです。

 ということで、既存の知識からすると、現下のデング熱感染の広がりがあっても、期間限定商品みたいなもの。だから、今がゲットのチャーンスというとふざけていいもんではないが、そのあたりから、じわじわ来る「バカみたい」が続く。
 ただ、温暖化している日本でしかも都市部だと年がら年中あったかいので、ウイルスをもって越冬するヒトスジシマカも出てくるかもしれないなという思いもある。
 それを言うなら、今回のデング熱騒ぎも、あれだ、「ガードレール金属片問題」みたいなものではないだろうか。「ガードレール金属片問題」ももう10年近く前になるかあと遠い目になるが、2005年春、たしか発端は自転車に乗っていた中学生がガードレールから突き出た金属片に接してけがをしたということだった。そこから、全国のガードレール金属片を調べたら数千箇所も発見され、問題となった。一時的には大問題になったように思う。というかマスコミがバカ騒ぎしていた。渦中、「バカみたい」と思ったように思う。だからこれを思い出すわけだが。
 この謎の全国事件の真相は国土交通省の専門家がほどなく明らかにして終わった。原因、ガードレールをこすった自動車の傷痕でしょ。そんなの普通に世の中の自動車の傷とか見ていたらわかるじゃん。「バカみたい……問題」。
 今回のデング熱もそういうことじゃないかという印象もある。ただ、この件についていうと、毎年越冬していたのかとか、あるいは一定数恒常的に入っていたのかとか考えると、それもないかなあという感じもする。
 話を新宿御苑封鎖に戻す。率直なところ当初、「どこのバーカがどんな理由で、こんな公権力を振るっているんだ?」思った。市民の行動の自由に介入していくる公権力ほど不愉快なものはない。
 そして思った。「バカみたい問題」というのは、実は、その認識のカプセル化が伴うことでも明らかなように、「バーカみたいだよなあ。日本人っていつもこうだよな。日本の公権力っていつもこうだよ。こういう公権力の小出しのエキササイズを定期的に繰り返すことによって、日本人は公権力に対して、バカじゃあしかたねーよなあ」という諦観を学習していくことになる。
 つまり、「バカみたい問題」の意義は、学習性無気力の問題なのな。学習性無気力というのは心理学者のマーティン・セリグマンがスキナーに楯突いて発見したもので……あー、ウィキペディアでも見といてくれ、たぶん、書いてある。そうでなければ、ツイッターで人気の心理学の先生に聞くとか。
 かくして、日本人は定期的に「バカみたい問題」に接することで、それがバカであることを高度に認知しつつ、なんの行動も起こさないという無気力を習得するのである……ということだが、まあ、じゃあ、行動を起こすといいか、というと、そのあたりも高度に認知できちゃうのな。高度に認知というのがそもそも、この学習性無気力習得の共犯者だからな。それを打破するには、もっとすごいバカが繰り出さないと動きはないんだろうと思う……だから……以下略。
 しかし、今回の「バカみたい問題」も、それなりに官僚支配の定期的なお仕事という以外に、日本人へのご配慮みたいなものもあるに違いない。あれだ、「狂牛病全頭検査」みたいに。あれは壮大な「バカみたい問題」だったが、日本の現状的にはしかたない配慮だったかもしれない。
 今回の新宿御苑封鎖の主体、根拠、理由だが、いちおうなぞってみるかなと思った。
 主体は環境省だった。都の所管ではないなとは思っていたが、感染症関係なんで厚労省かなとちょっと思っていた。環境省としてはNHK報道だと「感染の拡大を予防する必要がある」というのはちょっと違和感がないわけではない。環境問題関係者が、ちょっと調べてみたいなあこの現象という知的な関心があって、ちょっと国民を公権力でどけてみたのかもしれない。いやあ、悪気はないし、支配とかじゃないんですよお、みたいな軽いのりで公権力を振るってみましたと。
 根拠は、たぶんこれからな。

国民公園、千鳥ケ淵戦没者墓苑並びに戦後強制抑留及び引揚死没者慰霊碑苑地管理規則(昭和三十四年五月六日厚生省令第十三号)

第六条  新宿御苑、墓苑及び慰霊碑苑地の公開日時については、別に定める。
2  環境大臣は、特に必要があると認めるときは、前項の規定による新宿御苑、墓苑及び慰霊碑苑地の公開日時を一時的に変更することができる。この場合においては、入口にこの旨を掲示する。


 うかつだったし、こりゃ「バカみたい」とか他人のこと言えた義理じゃないなと思うのは、最初から環境大臣の権限なわけだな、新宿御苑の封鎖は。頑張って駆除したとはいえもっとも蚊いそうな明治神宮は封鎖できそうにないよな。
 そして、環境相が「特に必要があると認める」ということで、その必要性は「感染の拡大を予防」なんだろう。わかりやすい。「バカみたい」と反射せずにはいられない。ただ、これ深掘りすると前例とかあるんじゃないか。
 話は以上。
 でもないか。「バカみたい問題」は認識でカプセル化され学習性無気力に至るというほかに、これ、ネットの話題の典型的な地雷でもある。
 ネットはもう炎上してなんぼになってきたから、勇気をもって地雷を踏みまくる猛者が多いけど、あれです、「バカみたい」ってネットでいうと、「バカっていうお前がバカー」といういう反応が起きる(それ自体「バカみたい問題」だけど)。
 なにかを「バカ」というと、「人をバカって言ったなあ、そういう奴は心の清くない悪いやつだ懲らしめてやれ、うぉー」ってなるんですよね。あるは「お前は自分が意識が高いって言いたいだけなんだろぉ」とか。ネットの反応も炎上承知の上でない人にとっては、言うんじゃなかったなあって無気力を支援してくれるのな。
 まあ、そういうことなんで、「バカみたい問題」というのは、だんだんタブーにもなりつつある。
 ちょっと繰り返しておくかな。この例で言うなら、私は新宿御苑を封鎖するなとか主張したいわけではない(たぶん、このレベルで誤解され非難されるんだろうと思うけど)。そうではなく、「バカみたい問題」というは、「うわぁバカみたい」と反射的に反応しても、自分に関係ないしそんなに大きな害があるわけじゃないし、「しゃーなーよなあ」と無気力に落ち込むという問題である。それにつけて権力がどんどん市民に無気力教育をしていくという問題である。
 ということでした。
 それはそれとして、しばらくしたら、新宿御苑に行くかなあ。青春の思い出いっぱいだからな。
 
 

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