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2014.09.06

米国務省のサキ報道官批判の話題は、何が問題だったのだろうか

 ツイッターのタイムラインを見ていてちょっと気になる話題があった。一読して、なんだろうと思った。言うまでもないことだが、単純に、「なんだろうこの話は?」と思っただけである。





 一読して思ったのは、誰か著名な人が女性差別発言をしたのだろうか、という疑問と、実際にはどういう英語表現が性差別発言になるのだろうかという疑問の二点が私にはあった。
 当然ながら、この時点で「明らかにおかしい記事だ」とは私にはわからない。そこで気になってリンク先の記事を読んでみた。
 毎日新聞「米国務省:報道官批判に副報道官が「性差別的」テレビ批判」(参照)である。記事全文の引用は好ましくないが、記事検証の意味合いもあるので、以下に引用してみたい。新聞記事なのでまず概要がくる。

【ワシントン和田浩明】オバマ米政権に批判的な米FOXテレビの男性キャスターが米国務省のサキ報道官を「あの女は、実に力量不足に見える」などと女性を見下すように番組で批判した。これについてサキ氏の同僚でやはり女性のハーフ副報道官は4日の定例会見で、「男性に対してであれば使わない表現で、性差別的だ」と異例の批判を展開した。

 簡素にまとまっているが、話題は実は二点ある。
 一つは、保守系のFOXテレビのキャスターが女性のサキ報道官を見下す発現をしたということで、その内容は、「あの女は、実に力量不足に見える」ということ。
 二つ目は、サキ氏の同僚の女性報道官ハーフ氏が、FOXキャスターを批判したということ。その際の文言は、「男性に対してであれば使わない表現で、性差別的だ」ということ。
 記事本文を見ていこう。

 人気キャスターのビル・オライリー氏が3日の番組でサキ氏を批判した。米国人2人を斬首して殺害したイスラム過激派組織「イスラム国」へのオバマ政権の対応に関するサキ報道官の2日の定例会見での説明について「職務に見合った重みが無い」などと述べた。

 概要に加えて、「職務に見合った重みが無い」という文言が加えられている。
 この文言は、先の「あの女は、実に力量不足に見える」という内容、とどういう関係があるのだろうか? 二つの文言なのか、「職務に見合った重みが無い」という文言の内容が「職務に見合った重みが無い」なのだろうか。
 日本語で考えると、著名人が「あの女は、実に力量不足に見える」と言ったら、たしかに「女性を見下す」ように感じられる。ただし、その場合、日本語のポイントは「あの女」という日本語の響きにある。
 そこは英語の原文がどうなっているかはやはり気になるところだ。「あの女」に侮蔑的な隠語が使われていたなら完全にアウトだろうし、だがいくら保守系メディアのFOXでもそこまでするだろうか?
 二点目の問題もこう掘り下げられている。

 これに対し、ハーフ副報道官はまず4日に短文投稿サイト「ツイッター」で、「(サキ)報道官は理知的かつ上品に外交政策を説明している」などと反論。会見でさらに真意を問われると「性差別的で個人攻撃的な発言だ。反論するのは私の義務だと思う」と説明。さらに、「男性が公的立場にある女性にこうしたことを言った場合、より多くの人が批判してほしい」とも呼びかけた。

 事態は概要部とやや印象が違い、どうやらまず、ツイッターでハーフ氏の呟きがあり、それが問題視されて、会見で真意が問われたということだ。
 ここで少し奇妙に思えたのだ。毎日新聞の報道だと、最初にFOXキャスターによる「女性を見下す」発言があり、それが問題を起こしたかに見えることだ。だが、これが問題化した経緯は、サキ氏の同僚のハーフ氏が、おそらく私的にツイッターで呟いて、それが問題化したという手順のようだ。
 つまり、問題は、ハーフ氏の私的なツイッターでの呟きが原点にあることになる。
 ここで問題を整理し直す。何が問題のなのか。この記事からは二つ読み取れるだろう。
 一つは、ハーフ氏のツイッターの呟きによって、FOXキャスターの発言が「女性を見下す」女性差別発言であることが公的に明確になったので、それが問題だということだ。
 もう一つは、それが会見で問われるということは、私的なツイッターの呟きと報道官としての公的な発言がまず問われたということだ。
 二点目はつまり、報道官として公私の意識が問われたという問題だろう。そういう事態をツイッターが引き起こしたことがこの話題が異例である点だろう。
 以上を考えてみると、その真相はいっそう、なんなのだろうか、という疑問がわいてくる。原文を調べてみた。
 まず、FOXキャスタービル・オライリー氏の発言だが、現物がすぐわかる。以下である。



“With all due respect and you don't have to comment this, that woman looks way out of her depth over there just the way she delivers. It doesn’t look like she has the gravitas for that job.”

「で、失礼ながら、あなたはコメントしなくてけっこうですが、この女性は、その報道だけではそこにある問題がわかってないようですね。まるで、彼女はこの仕事のための厳粛さをもっていないようだ。」


 英語の口語表現はけっこう難しい。簡単に英語の解説をすると、「With all due respect」は「恐れながら」というフレーズ、「be out of your depth」は「知識や経験などを持っていない」ということ。
 さて、毎日新聞にある二つの表現「「あの女は、実に力量不足に見える」などと女性を見下すように番組で批判した」と「職務に見合った重みが無い」がどう対応しているかだが、次のような対応だろう。

「あの女は、実に力量不足に見える」: that woman looks way out of her depth over there just the way she delivers.
「職務に見合った重みが無い」:It doesn’t look like she has the gravitas for that job.

 直訳ではないようだが、意訳として適切かどうかは、私の英語力では判断しがたい。
 気になった「あの女」という表現だが、侮蔑的な隠語ではなく普通に「that woman」だった。ただし、そのように性を特定する表現自体がすでに問題なのかもしれない。
 原文がわかった段階で、このFOXキャスターの発言はハーフ氏が指摘したとされる「性差別的」だろうか。ところで、「性差別的」だが、関連の報道をなどを見るとその表現の英語は"sexist"に相当するようだ。
 さて、率直なところ、私の感性からすると、このFOXキャスターの発言が「性差別的」と言えるのかわからなかった。理由は、女性であることに差別が向けられているより、報道官としての適正が問われているだけで、たまたまそれが女性だったという印象があるからだ。ただ、このあたりの私の感性は、現代米国社会的にはすでに「性差別的」なのかもしれないので、気を付けたい。
 次に、実際上、話題の起点となるハーフ氏のツイッターの呟きだが、これも現物がある。


 発言の要点は以下である。

@statedeptspox explains foreign policy w/ intelligence & class. Too bad we can't say the same about @oreillyfactor: http://bit.ly/WfVr6v

サキ報道官(@statedeptspox)は、外交問題を知性と上品さをもって説明している。ひどすぎて、私たちは同じ事は、FOXキャスターのオライリー(@oreillyfactor)に言えない。


 原文にあたって意外だったのは、ここではどう読んでも「性差別的」な文脈が直接的には見当たらないことだ。私の勘違いかもしれないが、この時点でも「性差別的」という問題の文脈はなかったのではないだろうか。単に同僚を庇ったくらいに見える。
 具体的にこの話題が展開される会見はどうだっただろうか。現物がある。

 すでに公式にも発表されている(参照)。


MS. HARF: No, I appreciate the opportunity to give more than 140 characters here. I think that when the anchor of a leading cable news show uses, quite frankly, sexist, personally offensive language, that I actually don’t think they would ever use about a man against the person that shares this podium with me, I think I have an obligation, and I think it’s important to step up and say that’s not okay. And quite frankly, I wish that more people would step up when men say those things about women in public positions and say that it’s not okay.

ハーフ:いいえ、私は、140文字以上の文字与えられる機会をいただいて感謝します。主要なケーブルニュースショーのアンカーの言葉が、ざっくばらんに言えば、性差別主義者の、個人攻撃的な言葉だと思いましたし、私は実際、彼らが、この演壇を私と共有する人に対して、それが男性だったら使うであろうとは思いません。私には、義務があると思いますし、私はこんなのはOKではないと進んで言うことが重要だと思います。そしてざっくばらんに言えば、男性がこの手のことを公的な場にある女性について言うときは、もっと多くの人が、こんなのはOKではないと進んで言うべきだと思います。

QUESTION: So you don’t think that the criticism would have been directed at a man who had replied – who had given similar answers from the podium?

質問者:とすると、応答者、つまりこの演台から同様に答えた男性対して直接向けられてきた批判ではないとお考えなのですね?

MS. HARF: I think some of that language – we’ve seen it before – was – would – I – no, I don’t think would be used against a man. Some of the language used about my colleague I don’t think would be.

ハーフ:これまで使って来た言い回しについていうなら、違います。男性に向けて使われてきたものではありません。私の同僚に向けられた言い回しのいくつかはこれまではなかったと思います。

QUESTION: By this one person in particular --

質問者:特定のこの人に向けたということではないと

MS. HARF: In general.

ハーフ氏:一般論です。

QUESTION: -- or just in general?

質問者:つまり、単に一般論だったと。

MS. HARF: In general.

ハーフ氏:一般論です。


 ざっと訳したので誤訳があるかもしれないが、重要なことがいくつか見受けられる。
 まず、「性差別的」というのは、特定のFOXキャスターではなく、その言い回し(表現)だという点である。繰り返すが、オライリー氏が性差別主義者だと糾弾しているわけではない。
 ただ、このハーフ氏の言い方からすると、そう受け捉とられかねない状態への弁明ではないかという印象を受ける。
 次に気になるのは、「公的な場にある女性(women in public positions)」という表現だが、そもそもこの問題がジャーナリズム側から注目されたのは、FOXテレビという保守系の報道機関が性差別的であるからだ、というより、公的な立場にある政府関係者が民間のジャーナリストを「性差別主義者」だとして批判したのではないかという、公権力の濫用の疑念があるからではないだろうか。
 ちょっと無理な読みをしているかのようにも受け取られるかもしれないが、これをハーフ氏が一般論に持ち込もうとしてるのは、個別論、つまり、FOXキャスターを指名することに問題があるからこそ、公的な場でこのように弁明する必要があったのではないだろうか?
 もう少し延長してみると、そもそも公的な立場にあるハーフ氏のアカウントからツイッターで私的に見られる非難の言葉が漏れたことも問題にあるのではないか?
 どうなんだろうか。
 当然ながら、この手の話題は、保守的な立場ならFOXを支持するだろうし、リベラルな立場ならFOXを非難するか「性差別的」表現を非難するだろうから、各種意見を読んでも、読む前からわかりきった不毛のようにも思えるが。
 だが、保守系とも思われないCNNへの寄稿「State Department's wrestling match with Bill O'Reilly」(参照)が興味深かった。

Let's say Harf is right, and O'Reilly's attack against Psaki was sexist and wrong. It would still seem a totally inappropriate use of her official position at State to call out a cable news personality and defend her colleague, especially considering what else is going on in the world.

ハーフが正しく、サキへのオライリーの攻撃が性差別的で悪かったとしよう。それでも、ケーブルニュースのパーソナリティを呼び出し、自分の同僚を防御するというのは、彼女の公的立場を完全に不適切に使っていると思われる。特に、他の現実に進行していることを考え合わせればだ。


 やはり、公的な立場が問われている面はあるだろう。
 つまり、この話題がニュースであるなら、「性差別」が問題というより、公権力とジャーナリズムの問題として、問題の枠組みがあるということだろう。
 
 


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2014.09.04

JK、加油!

 台湾で学生たちが議会を占拠したときは、日本でもこれを支援する騒ぎがネットから見られたものだが、現在の香港の、なかでも学生を中心とする民主化運動について日本側から支援する声のようなものは、あまり見かけないような気がする。なぜなんでしょう。
 よくわからないのだが、私は日本のネットの動向に関係なく、世界の民主化を支持するので、基本的にこうした運動に肯定的。日本からも民主化を支援しているよ、という声をあげておきたい。ただ、ちょっと微妙な部分がないわけでもないのでそのあたりはあとで触れたい。
 まず、どういう問題か。簡単にいうと、中共政府、ふざけたまねしやがってくのぉー、というか、なーんちゃって民主主義が世界に通じると思ってんのかよぉ、ということ。
 具体的に言うと、中共政府は、香港の市民に対して、2017年の香港特別行政区トップ・行政長官選出では、従来の間接選挙ではなく、直接選挙を認めるという発表をした……すげーなあ……ところが、立候補に制限があり、実質中共政府の息のかかった指名委員会の過半数の推薦を得た二、三人まで。
 あれです、うんこ味のカレーにしますか、それとも、カレー味のうんこにしますか、ということです。ざけんじゃねーよ。
 というわけで、香港の民主化を推進する人が怒って、金融街・中環地区を群衆で埋める抗議行動「オキュパイ・セントラル」を実施すると息巻いている。「ウォール街を占拠せよ」の香港版である。これをすると、香港は経済的な信用を失って大きな損失になるだろうとも言われている。
 とはいえ、そこまでは、率直にいうと、ふーん、という感じ。
 仔細に運動を見ていくと、え゛?という話があった。この運動の中心にいる、17歳の少女、アグネス周庭さんである。何者、それ?
 清純な少女を革命のシンボルに祭り上げる古くさい左翼運動的なものに触れると、その少女が清楚で純潔っぽい感じがするほど、うげぇぇって吐き気がしてしまう私だが、アグネス、いいんですよ。とても自然な感じがする。ああ、普通の女の子じゃん。普通なわけないけど。この真ん中の娘さんである。

 広東語で何言っているのかさっぱりわからない。今回の民主化運動の話なんだろうか。少なくとも、この自然なノリはいいなあと思った。
 ほんとにこの娘さんなのか疑問にも思えるが、タイトル「如今已無特別值得尊敬的政治偶像」を見るかぎり、私はもう政治的な偶像じゃないもんね、という感じである。

 もうちょっと書いてある。周ではなく黄の意見だが。

黃則指出,由於他們過去只是中學生,並非專業人士,亦沒有甚麼財產,所以政客的地區工作與他們的關係較少,亦不會因而特別支持某團體或政黨。

黄が指摘するのは、彼らは単に中学生であり、就労者ではないから、財産ももっていない。だから、地域産業の政治家と彼らの関係は薄い。だから、特定団体や政党をことさに支持しているわけがない。

 そのままに受け取ってよいものかわからない。英国的な支援グループとの関係があるのかもしれない。それでも、全体から滲み出る広東語しゃべくりまくりをみると、英語とか北京語で運動をグローバルに広げないのかよという素朴さがつたわってくる。
 しかし、とここで私は学生時代の香港人の先輩を思い出すのだが、彼女らは普通に英語もしゃべれた。アグネス周もそうなんじゃないのと見ていくと、昨年のだがあった。やっぱりな。それにしても、まじJKな。

 見ながら、インタビューのおっさん(Michael Chugani)の微妙な心情が微妙に伝わってきて微妙に泣ける。たぶん、基本のことろでおっさんはアグネス娘を支持しているし、若い希望を受け止めているが、この年齢のおっさんなら天安門も見てきたし、いろいろ見てきたはず。苦い思いもあるのだろう。
 インタビューのポイントの一つは、"Scholarism"である。「学民思潮」。香港の学生運動で、香港政府が推し進める「德育及公民教育」に対抗して2011年に中学生を中心に出来たものだ。ざっと関連を見るかぎり、つよい政治思想といったものは感じられない。
 さて、これをどう受け止めたものだろうか?
 天安門事件、さらには紅衛兵の運動といったものを見てきた自分からすると、若い人が理想だ民主化だと純粋に運動していても、そう単純には受け付けない。ただ、心のどっかで、本当に革命というものがあるなら、案外、このJKから始まるんじゃないかという思いもある。
 話を少し戻す。インタビューにもあったが、当面の問題としては、オキュパイ・セントラルをどう見るかということだが、そう単純でもない。その一端は、親中派デモからも見えてくる。この親中派デモなんて中共の工作でしょとも思う。実際、広東省から、日当アゴ足つき動員されたのだから、それ以外の何物でもない。が、これも仔細に見ると、香港市民でもうっすら賛同している向きがある。オキュパイ・セントラルとかよくないんじゃないの、香港の食い扶持だぜ、という感覚だろう。
 今後のオキュパイ・セントラルの動向はよくわからない。
 ただ、中共側の香港民主化押しつぶしは、天安門で戦車で民衆を押しつぶしたようにはできず、香港議会側の決断の余地を残している。もっともその余地も、従来どおりの間接選挙ということで、またしたも、うんこ・カレー問題にはなる。
 単純な話ではないなあと思うのは、もう30年以上、なんとなく台湾の民主化を見ていて思うことでもある。李登輝総統つまり大統領を選出した時点で、実質、台湾は独立してしまったのだが、連合国体制=国連の建前上、台湾は国家ではない。しかも、経済的にどんどん台湾は中国に飲み込まれ、おそらく、独立民族国家となる見込みはない。
 さらに小さい香港にそれが可能だとも思えない。それでいいのか。こういう煽り方はよくないが、台湾・香港の未来は日本の未来だし、その前に韓国の未来でもあり、韓国のじりじりとあぶられている様子も伝わってくる。
 それでも、アグネスさんのナイーブなJKぶりを見ていると、どっかに希望があるような気がしてくる。私は荒立たしことは好きじゃないし、政治イデオロギーなんかクソくらえと思うが、それでも、JK、加油!
 
 

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2014.09.03

[映画]アメリ

 なんとなく見逃してしまって、そのわりに関連知識はけっこう知っていたり、その音楽が好きだったりということで、うーん、ちょっと、もう小腹いっぱい感があって、それゆえにますます見逃してしまう映画というのがある。いや、なんか改めて見て、感動しましたとかいうの恥ずかしいな気分にもなるのだけど、でも、よかったっす、「アメリ」。

cover
アメリ [Blu-ray]
 かなりよかった。実は、昨年の今頃フランス語勉強始めたころ、フランス語ある程度わかったら、アメリは愉しいだろうなという思いがあった。その点はどうだったかというと、率直にいうと、私のフランス語能力ではほとんどついて行けないのだけど、字幕補助に見ていると、なんとなくわかる部分がけっこうある。それにフランス語の響きに違和感がないのも奇妙な感じだった。ちなみに、オリジナルタイトルは、"Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain"(アメリ・プーランの素晴らしい運命)である。
 それにしても、笑い転げた。そして泣いた。監督も主演のオドレイ・トトゥも各種出演者も、ほんとうに、おかしい。うあ、人間ってなんて奇妙なんだ、というか、市民というのはほんと変な生き物だなというが全開になっていて、笑ったし、嬉しかった。
cover
 ああいう都市のなかで生活するのは、その内実のつらさはこの映画にもよく表されていたのだけど、うらやましくも思った。クレーム・ブリュレ(Crème brûlée)だけが羨ましかったわけじゃないぞ。豆の樽には手をつっこみたいが。
 この映画が大ヒットしたことは知っているし、フランス人は好きなんだろうなと思うのだけど、反面、この、自閉症というかアスペ傾向がない人ではないとこの世界わかるんかな、という思いもした。ねえねえ、これ、君たちほんとにこれわかってんのとか言いたい感じもするが、いやいや、そのあたりを絶妙にくすぐるところがよかった。
 手法も映像も素晴らしかった。コラージュのメタファもよかった。またメッセージもまたメタファになっていた。コラージュはメッセージは人生や市民のメタファでもある。そのなかで、アメリは天使的な存在でもあるのだろう。
cover
AMELIE
 設定は1997年。ダイアナ妃が亡くなった年だ。通貨もまだフランである。もう一時代以上前になるなあという感じがする。ただ、それほど古びた世界でもないのだろうとも思う。リアリズムというよりもファンタジーではあるだろう。
 リアルさを感じる点も多かった。けっこう感銘を受けたのは、アメリの食事シーンである。一人きちんと夕食していた。彼女が自閉症的だからというのもあるのかもしれないが、隣人の絵描き老人も一人きちんと食事していた。案外そういうフランス人というのは多いのかもしれない。あれは、なんか理想だなあ。そういえば、昔、四谷のパザパで一人きちんと喰っているフランス人をよく見かけたものだったな。
 リアルといえば、アメリが父親との話で、さらっと中絶のことを語っていて、それに父親が反応するでもないというのも、フランス人らしいところだなと思った。日本だと妊娠小説とかいうのがそれだけで話題になりうる文化だし。
cover
アメリ 期間限定
フォトブックバージョン [DVD]
 今回見たのは、たまたま衛星放送かなんかで放映したのを録画っておいたものだが、かなり気に入ったし、フランス語のスクリプトも見たいので、DVDを買うことにした。どれにしようかなと見ていると、写真集付きのがあるので、それにした。
 
 

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2014.09.02

率直に聞くんですが、どんなふうに死ぬつもりでいますか?

 ツイッターをしていたら「健康寿命」について知らない人がいた。この話は自著にも書いたのになあと思ったが、だからみなさんが知っているというわけはないよな、当然。
 「健康寿命」にはそれなりに定義はあるが、ざっくり言って健康に生きていられるまでの年齢というような考えである。いわゆる平均寿命より10年くらい短い。男性だとだいたい70歳くらいまで。
 自分も気がつくとけっこう年を取ってしまったので、まあ普通に生活できたとしても、不自由なく動けるのはあと12年といったところ。個人的にやだなあと思うのは、そのくらいまで生きていても、文字の読み書きがまともにできなくなるんだろうな、というあたり。失明はするだろうなあ。
 ちなみに平成22年時点の日本人の健康寿命はこんな感じ。厚生労働科学研究費補助金「健康寿命における将来予測と生活習慣病対策の費用対効果に関する研究」より。

 最新の統計だったかなと、先日発表された2014年版の厚生労働白書(参照)を見ると、同じだった。
 今後、いろいろ国や地域なども尽力して双方延びると思うけど、基本的には頭打ちなんで、大きな変化はないだろう。男性でいうと、今後もだいたい健康寿命は70歳くらいまでだろう。
 単純なグラフだがけっこう含蓄深く、女性は子どもと同居しなければ、死ぬまでの最後の5年くらいは不自由な体でひとり暮らしということになる。
 今後の日本人が35歳くらいで最初の子どもを産むようになると、だいたいその子が35歳くらいで親の支援や介護が必要になる。
 と書いてみて、現状だとそれがまだ10年くらい後にずれているから、45歳くらいからぽつぽつと親の介護ということになっている。
 どっちにしても、支援・介護する側の子どもとしては、自分の側にも子どもができて子育て手生活がつらい時期にあたる。
 つまり今後も日本の国民の生活はかなり厳しくなるだろうなという印象がある。誰も他人事ではないのですけどね。
 白書には都道府県別の健康寿命の差のグラフも掲載されているが、グラデーションの差は誤差くらいにしか思えない。それでもトップの長野県と青森県だと男性で3.6年の差はあるので、そう見るとけっこう大きい。ちなみに、なんで長野県の老人が比較的健康なのかというのは、信州系日本人の私には思うことがいろいろあるが割愛。
 昨日癌の種類の話を少し書いたが、その興味から日本の癌の現状を見るとこんな感じ。これは男性だが。

 ちょっと見づらいが、胃癌は横ばい、膵臓癌と大腸癌は地味に増加、肝臓がんは減少気味、肺癌はさらに伸び率が高い。
 大腸がん検診は有益な部類なので、それと比べると、男性の肺癌の現状は難しいものがある。ここには引用しなかったが女性の場合は、肺癌と大腸癌が大きく、乳癌は他の癌と並びといったふうになっている。
 つらつらと白書を見ると、健康と食事の話もある。各種データは面白いといえば面白い。健康な食事ということで昔の日本食が称賛されることが多いが、データを見ると、1970年の食塩摂取は14.0%、現在は10.0%。昔はけっこうしょっぱい食事だったなあと思い返す。ほか、飲酒、喫煙とかも、近年、めだって下がってきている。
 自殺はどうかなと見ると、よくネットでは自殺は社会問題だという枠組みで話題にされることが多いが、これを見ると、健康問題の比重が大きい。もっともその半数は鬱病によるので、社会問題が鬱病を介して自殺を起こしやすいとは言えるかもしれない。

 ついでなんで白書をたらたらと見ていくと死生観という項目があった。ここに「生きたい年齢」と「生きられると思う年齢」というのが、平均寿命に合わせて掲載されている。

 男性で見ると、生きたい年齢は平均寿命くらいで、生きられると思うのほうがそれより二、三年少ない。女性は現実と想定の間に10年近い差がある。この意識差はなんなのだろうか。女性の意識の根幹に関わるように思うがわからないなあ。
 健康年齢に対する想定は、白書には掲載されていない。ざっとした印象だと、死期が近づかないと体がぼろぼろとなっていく実感は持ちづらいのではないか。
 死というもののイメージは、実際に自分が死ぬ場所のイメージとして捉えるとわかりやすいものだが、そういうデータも載っている。

 まず言えることは、三割くらいの人はどう死ぬか想定なく生きているということだ。これは介護されるというイメージもあまり湧いてないということなのだろう。その想定のなさの部分が、現実には病院での死に回収されるというふうになっているようだ。まあ、日本人の八割方は病院で死ぬことになるよね。
 意外だなと思えたのは、半数近い人が自宅で死にたいと思っていることだ。生活の延長に死をなんとなく想定しているか、家族に看取られてみたいな思いなのだろう。これから生涯未婚者も増えるだろうが、それでも自宅で死にたいと思うだろうか。
 白書を見ていていて僕がびっくりしたのは、これ。死が怖いかというデータである。世の中半数ちかい人は死が怖いと思っていないのだなあ。

 どうも僕のように死が怖いと思って生きている人間は、社会的にはそう多くないんじゃないかとはうっすら思っていたが、いやはや半数もいたのかあ。僕なんかからするとちょっと社会観変わるなあ。
 そもそも死というのを大半の人が考えないんじゃないか、というと、そうでもないようなデータもある。

 三割くらいの人は死のことを考えないで生きているが、七割くらいは考えてはいる。
 すると……考えはいえるがそれほど死が怖いものではないと、いう人々がそれなりにいるのだろう。
 これだけのデータからは読み取れないが、死は考えるけど別段怖いものではないという人々は二割くらいだろうか。それがうっすらした意識にまで広げると四割くらいにはなるだろうか。
 と、そんなことを考えるのは、そのあたりに、日本人の宗教意識が隠れているんだろうなと思うからだ。
 日本人の大半は明示的な宗教意識をもたないが、なんとかこの世を暮らしてて来世の思いに繋げる信仰のようなものを持っているのだろう。
 そのことが死を社会連帯と個人で引き受けていく市民意識とどう関わっているのかとても気になる。難しい問題だなあ。そのあたりの意識が、実際には、高齢化社会の介護や健康寿命を終えた人への対応とも関わってくるように思うからだ。
 
 

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2014.09.01

癌についてちょっとめんどくさい話

 日本テレビ「24時間テレビ」を見なくなって久しい。というか今でも毎年やっているのかすら知らないが、この間、ツイッターを覗いていると、『はなちゃんのみそ汁』というドラマが話題だったようだ。同題の書籍もあり、関連のブログもあるらしい。当のドラマはどうかというと、該当のテレビサイトによるとこういう話らしい。
 新聞記者・安武信吾は、音大学生・松永千恵と交際。信吾は千恵から乳がん打ち明けたが、信吾は千恵と生涯をともにすると決意。千恵のがんは悪性度が高く、再発の可能性あり。抗がん剤治療後、5年間再発の兆候がなければ完全寛解(テレビのサイトでは「完治」とあるが誤植だろう)。治療を続けながら出産、はなが産まれるが、はなが9か月のときに転移が判明。玄米に味噌汁という食事療法を始め、はなが引き継ぐ……という話らしい。
 つらい話だなと思う。
 ツイッターで見かけた話題は、この食事療法を含め代替医療への批判が多いようだった。私はドラマも見てないし、本も読んでないので、どのような治療生活をしていたか知らないのでなんとも言えないのだが、ツイッターでの話題を見ていると、癌は早期発見で標準治療をすればよいのに代替医療がそれを邪魔するという枠組みで語られているものが目立った。そういう考えもあるかもしれない。
 これについては、ちょっとめんどくさい話がある。めんどくさい話はブログでするもんじゃないのだが、ちょっとだけ触れておきたい。
 まず、癌の代替補完医療について知りたいのであれば、厚生労働省がん研究助成金(課題番号:17-14)を元に「がんの代替療法の科学的検証と臨床応用に関する研究」班と独立行政法人国立がん研究センターがん研究開発費(課題番号:21分指-8-④)を元に「がんの代替医療の科学的検証に関する研究」班がまとめた無料配布の『がんの補完代替医療ガイドブック【第3版】(2012年)』(参照PDF)を読むとよい。
 この話題は同冊子に尽きていると思われるので、読後は過剰に代替医療を忌避する必要もないだろう。
 この日本の研究のさらに元になったのが、米国国立衛生研究所(NIH)の代替補完医療部門(参照)で、米国で実際代替補完医療が普及していることに対して連邦がどうあるべきかということを示した。簡単にいうと、現状があるのだから連邦としても最低限の指針を示しましょうということ。
 以上で話は尽きているといえば尽きているのだが、ツイッターやネットでよく見かける早期発見と標準医療の話はさらにめんどくさい。そのめんどくさが代替医療の普及とも関連している面もありそうなのがさらにさらにめんどくさい。
 このめんどくさい問題に、NIHはすでに着手している。
 まだNIHとして公式の指針は出していないが、すでにその研究班が医学誌JAMAに昨年、関連の論文を出した。「Overdiagnosis and Overtreatment in Cancer: An Opportunity for Improvement」(参照)。表題を見てもわかるように、癌における過剰診断と過剰検査の問題を考慮するというものである。
 この論文は基本、厚生行政の問題で癌患者に直接は関係ないとも言えるのだが、実質、ニクソン時代から始まった米国の癌戦争の総括とも言える部分があり興味深い。「[書評]病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘(シッダールタ・ムカジー )」(参照)で紹介した同書とあわせて読むと味わい深いだろう。
 内容を簡単にまとめることは難しいが、論文掲載に実質まとめとして掲載されている表がなかでも含蓄深い。


 全体はIncidence(発生率)とMortality(死亡率)で分け、1970年から2010年までの40年間の厚生行政、医学・標準医療における癌対策の成果をまとめている。
 全体は3分類の例でなりなっていて、これが実質、NIHが構想する癌のタイプに関連しているのだが、わかりやすいのがExample2のColon(結腸癌)とcervical(子宮頚癌)である。端的に発生率が低下している。つまり、スクリーニング(検診)がかなり有効であったと言える。早期発見が重要だとも言えるだろう。ちょっと微妙な余談を言うと、よって子宮頚癌については厚生行政としてはワクチン効果と早期発見体制の全体をどう見るかという問題もある。
 それを見た上で見るとわかるのが、Example1のBreast(乳癌)とProstate(前立腺癌)とLung and bronchus(肺癌・気管支癌)で、発生率は低下していない。背後に検診・早期発見があってこの状態なので、当然現状での検診・早期発見の効果をどう見るかということが問題視されることになる。現実乳癌と前立腺癌の検診や早期発見については現状諸論がある。ただ、この表から見ると全体傾向としては、早期発見は言われるほどの効果はなく、標準治療も万全の効果があるとも言いがたい。
 Example3のThyroid(甲状腺癌)とMelanoma(黒色腫)については、ごらんのとおりかなり難しい状態にある。
 以上から一つ言えることは、癌でひとくくりはできないということ。また同じことだが、早期発見と標準治療の枠組みはその癌の種類に対応しないとそれほど意味はないだろうということである。
 ネットやツイッターの世界は、信じた正義からいろいろ他者をバッシングする傾向が見られるが、信じられる正義の根拠の評価は仔細に検討するとなかなか難しいことが多い。
 
 

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