« 2014年8月3日 - 2014年8月9日 | トップページ | 2014年8月17日 - 2014年8月23日 »

2014.08.13

「エーデルワイス」という歌の秘密というか、僕は知らなかったなというか

 ピンズラー方式のドイツ語学習は第一段階を終えて第二段階に入ったらつまづいた。文法が理屈として理解できても、あの枠構造が感覚的にしっくりこない。
 ドイツ語の発音はフランス語や中国語にくらべればはるかに楽なのにナチュラルスピードの会話になると聞き取りにくい。英国英語と似た感じがして混乱するからだろうか。まあ、いいけど。
 で、つまづいて、このところ、ようやく、少し進み出した。というか、枠構造に馴染んできた。
 思ったのだけど、気楽にドイツ語を学ぶつもりでいたが、やっぱ、ある程度没頭というか、語学というのはモーティヴェーションを上げないと難しいんじゃないか。
 そうこうして関連知識とかに関心をもっていくうち、そうだ、「エーデルワイス」だと思ったのである。
 「エーデルワイス」。歌のほうである。「サウンド・オブ・ミュージック」に出てくるあの歌である。
 あれ、元歌はドイツ語じゃないの。ドイツ語で歌えたらいいんじゃないのと、"Edelweiß"で検索したら、すぐにドイツ語の歌が見つかった。

 ああ、なんかドイツ語の歌っていいじゃないかと聞いていたのだが、微妙な違和感が湧く。まあ、湧くよな。この女性、たぶんオーストリア人かドイツ人なんだろうと思うけど、このめいっぱいツーリスティックな感じなのは、ちょっと違和感がある。まあ、ある、と。
 お目当ての詩のほうだが、これに付いている。


Edelweiß, Edelweiß,
Du grüßt mich jeden Morgen,
Seh ich dich, Freue ich mich,
Und vergess meine Sorgen

 あれ?
 "Du grüßt mich jeden Morgen, "は、"You greet me every morning."でいいよな。
 で、"Seh ich dich, Freue ich mich, "は、"I see you, I please myself"かな。あれ?
 "Und vergess meine Sorgen."は、"And forget my worries."かな。あれ?
 あれ? というのは、英語と違うなということ。英語はこう。

Edelweiss, Edelweiss
Every morning you greet me
Small and white,
clean and bright
You look happy to meet me.

 なんで英訳が違うんだ? (後述するけど、その疑問自体が違っていた。)
 もうちょっとドイツ語を見ていく。縮約が多いのと私のドイツ語学習ではまだよくわからないので適当だけど。

Schmücke die Heimat
nach Schnee und Eis,
Blüh'n soll'n deine Sterne.
Edelweiß, Edelweiß,
Ach, ich hab' dich so gerne.

(I decorate the homeland
on snow and ice
Your stars will bloom.
Edelweiss, Edelweiss.
Oh, I like you so happily.)


 英語の歌だとご存じのとおり、こう。

Blossom of snow
may you bloom and grow,
Bloom and grow forever.
Edelweiss, Edelweiss
Bless my homeland forever.

 うーむ、この違いはなんだろ。と、当然思う。
 そして、英語の"Bless my homeland forever."という、なんだか、愛国心みたいのが強調されているのは、「サウンド・オブ・ミュージック」という映画にあわせた演出だろうなと。そして、ドイツ語の歌がもっと長いから、これはドイツ語の歌があって、米国語訳では愛国的に作り直したのだろうとか……思う。
 がっちょーん。
 どうも逆らしい。
 このを歌の詩を書いたのは、米国人オスカー・ハマースタイン2世。しかも、これが絶筆(参照)。つまり、「サウンド・オブ・ミュージック」のために作った歌だから、英語の歌詞がオリジナル。調べていくと、メロディも米国人リチャード・ロジャース。しかも二人ともユダヤ系ですね。なんだか、すごく納得。
 じゃあ、あのドイツ語歌詞の歌、あれはなんなの?
 ということだが、当然、メロディーに併せて、ドイツ人が付けたということでしょう。「レリゴー」が「ありのままでぇ」となるのと同じ。ただ、どうも独訳者は不明っぽい。
 さらに調べてみると、About.comには(参照)、この歌はオーストリアではあまり知られていないとあり、どうも米人観光客向けに盛り上げる歌らしい。というのがどうも最初の動画の意味っぽい。
 ということに関連して、英語の"Bless my homeland forever."も、これがオリジナルなわけで、どうやらこのせいで米国人には、勝手にこの歌がオーストリアの国歌だと思う人も多いらしい。たしかに、映画だとそんな雰囲気。国歌ではなくても、国歌に準じる愛唱歌かも思いがちだけど、そうですらない。
 いやあ、なんかすごい複雑な気分なんですけど。
 ちなみにオーストリアの国歌はこれ。いちおうモーツアルト作と言われている。

 これが制定されたのは1946年だから、その前、「サウンド・オブ・ミュージック」の物語の時代となると、あれです。「神よ、皇帝フランツを守り給え」。

 メロディはドイツ国歌と同じ、まあ、聞けばわかる。
 ご存じの通り、現在のドイツでは三番だけが公式。
 ネットを見てたら、一番と二番を付けたのがあった。三番で画面の国旗が変わるのがちょっと洒落ている。

 いずれにせよ、これらの歌は米国的な「サウンド・オブ・ミュージック」では、使えないだろうなと実感する。
 このあたりの文化変化というのは、どことなく日本も他人事じゃないよね感もある。
 
 

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014.08.12

イラク新首相指名問題、雑感

 イラク情勢について気になることがあるので少し書いておこう。イラク新首相候補と米国の関係である。と同時に報道への疑問でもある。
 一例として、比較的最近新のNHK「米 イラク新首相候補支持の姿勢強調」(参照)を取り上げてみよう。まず冒頭の全体的なまとめ部分は、可もなく不可もなしといった話にも見える。


 緊迫した情勢が続くイラクで、マリキ首相は新しい首相候補が指名されたことについて強く反発していますが、アメリカ政府は支持する姿勢を強調し、イスラム過激派組織に対抗するため、挙国一致の政権づくりを急ぐよう求めていく方針です。

 気になるのはその詳細である。こう展開される。

 イスラム教スンニ派の過激派組織と政府軍との戦闘が続くイラクでは、マリキ首相によるシーア派の優遇策に対するスンニ派の不満が過激派の勢力拡大を招いたとして退陣を求める声が強まっています。
 こうしたなか、マスーム大統領は11日、新しい首相候補にハイダル・アバディ氏を指名しましたが、マリキ首相は憲法違反だとして退陣を拒否しました。
これに対しアメリカのオバマ大統領は、声明を発表し「アバディ氏の指名は憲法に基づくもので、イラクの異なる宗派や民族を結束させる新たな政権づくりに向けた重要な一歩だ」と述べ、支持する姿勢を強調しました。
 一方、アメリカ国防総省は、過激派組織に対し4日連続で空爆を行った結果、過激派組織の勢いは一時的に抑えられたものの、全体的な戦闘能力をそぐには至っていないという認識を示しました。
 アメリカ政府としては、空爆を続ける構えを示していますが、過激派組織に対抗するためには「すべての勢力を代表する政権をつくることが唯一の解決策だ」として、イラクに対し挙国一致の政権づくりを急ぐよう求めていく方針です。

 わかりにくい報道ではないが、背景を知らないとわかりづらいだろう。
 ごく簡単にいうと、イラクの混迷の原因は、マリキ首相の失策だから、この首相を新しいのにすげ替えることで、イラクを混迷から抜け出すようにしたい、ということだ。
 そう思う人はイラク人にも少なくない。私もその点までは同意できる。
 論点は、その意図を強く打ち出した米国のあり方が、正当なのか?という点である。
 まず日本語として曖昧なのが、「マリキ首相は新しい首相候補が指名されたことについて強く反発しています」という表現で、この指名の仕組みがNHKのこの報道からは読み取れない。
 この点についてはしかし、前日の報道がある。「イラク 大統領が新しい首相候補を指名」(参照)である。

イスラム過激派に対し、アメリカ軍が空爆に乗り出すなど緊迫した状態が続くイラクで、大統領がマリキ首相に代わる新しい首相候補にアバディ氏を指名しました。

 つまり指名したのは大統領である。
 そしてこの指名に賛同したのが米国である。これは早朝の報道「米副大統領 イラク新首相候補に支持表明」(参照)にある。

アメリカのバイデン副大統領は、11日、イラクのマスーム大統領や新しい首相候補に指名されたアバディ氏と相次いで電話で会談し、双方に支持を表明するとともに、イスラム教スンニ派の過激派組織に対抗するために挙国一致の政権作りに向けて協力していく意向を伝えました。

 さらっと語られると、米国がイラクの新しい動向に対して、受け身的に賛意を示しているように見えるが、私は、ここで驚いたのだった。
 なぜかというと、基本、イラクの大統領というのは、ドイツの大統領のように儀礼的・象徴的な存在にすぎないと理解していたからだ。当然ドイツの大統領がサミットに出ることはない。日本の天皇と似たようなものだと言ってもいいかもしれない。天皇がサミットに出ることはない。
 大統領は国によって権限が異なり、フランスや米国のように強力なものもあり、イタリアのように弱い形で権限をもつタイプもある。大統領に権限があるとしても、基本、直接民主制に基礎を持つのだが、イラクの大統領の選出は間接選挙である。外務省に説明があるように、「国会が召集され,新国会議長及び副議長が選出される。さらに召集から30日以内に国会議員の3分の2の賛成で新大統領が選出」(参照)する。ゆえに、そもそも強い権限はもてない。
 東大「中東・イスラーム諸国の民主化」(参照)はイラクの大統領制度を簡素にまとめている。

新憲法は、大統領の役割を「国家の長、国家統一のシンボルであり、国家の主権を体現する」(第67条)と定める一方、首相は「国家の政策を遂行する責任者、軍の指揮官」(第78条)であるとしている。首相の選出は大統領の指名によって行われるが、その人選は、与党となる議会の最大政党が行うとされており(第76条第1項)、首相が閣僚を指名した後、議会の絶対過半数の賛成を経て内閣が発足する。従って、大統領は存在するが、制度としては議院内閣制に近い。

 つまり、イラクの大統領は国家統一のシンボル(象徴)であり、実質の権限は、議会にある。

また、国民議会は大統領・首相を罷免できるが、大統領・首相に国民議会の解散権はなく、さらに、軍参謀総長および副官、師団長以上の者、諜報機関・治安機関 長官などの人選においては、議会の承認が必要と定められており、制度上は独裁体制の反省を踏まえて議会重視のアプローチが採用されている。

 イラクでは議会が大統領を罷免する権限を持つ。
 こうした点を踏まえると、「大統領が国会内の第一政党(政党連合)から首相候補を指名」(外務省説明)するというのは、日本国憲法第六条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」と同質の儀礼であることが理解できる。
 この点に注目するとわかるが、今回米国がイラク大統領による首相指名を支持しているということは、日本に例えるなら、天皇の儀礼的な首相指名になんらか、内政の混乱や国際政治動向で重要性を持たせるに等しい。
 だから、私はびっくりしたのだった。
 以上を踏まえて、冒頭のNHKニュースに戻る。再掲になる。

 こうしたなか、マスーム大統領は11日、新しい首相候補にハイダル・アバディ氏を指名しましたが、マリキ首相は憲法違反だとして退陣を拒否しました。
 これに対しアメリカのオバマ大統領は、声明を発表し「アバディ氏の指名は憲法に基づくもので、イラクの異なる宗派や民族を結束させる新たな政権づくりに向けた重要な一歩だ」と述べ、支持する姿勢を強調しました。

 まず疑問に思えるのは、オバマ米大統領の声明「アバディ氏の指名は憲法に基づく」という点だが、イラクの政体において大統領が首相を指名するのは、議会手続きの延長の儀礼なので、議会が首相を選出できるかにかかっているはずだ。
 だが、そこは混迷した状態になっている。なのに、それを越えて、「アバディ氏の指名は憲法に基づく」と他国が言えるのだろうか? 言えないだろうと私は思う。
 この私の疑問は、当然、現マリキ首相にもあり、「憲法違反だとして退陣を拒否しました」ということに対応する。
 では、大統領が議会手順を越えて首相指名することは憲法違反なのだろうか。あるいは、議会手順は正しいのだろうか?
 この点については、イラクの最高裁がすでに判断を示した。ロイター「マリキ首相3期目続投に道、最高裁決定でシーア派陣営が組閣へ」(参照)。

 イラク最高裁は11日、イスラム教シーア派であるマリキ首相の陣営が議会の最大会派だとする判断を示した。同首相の3期目続投につながる可能性がある。国営テレビが伝えた。
 憲法に基づき、大統領はマリキ首相に組閣を要請しなければならなくなる。


 マリキ首相率いる「法治国家連合」のメンバーであるマフムード・アル=ハッサン氏はロイターに対し、大統領は同首相に組閣を要請しなければならず、さもなければ憲法違反行為を犯すことになると指摘した。

 どういうことかというと、イラクの最高裁は「マリキ首相の陣営が議会の最大会派だとする判断」したので、その会派から首相が選出されるということだ。大統領は、憲法の規定から、その会派から選出された首相を指名しなければならないのである。
 独立した司法の頂点で憲法判断が示されたのだから、おそらく以上で、この問題の正当性の議論は終わったと思われる。つまり、米国大統領の判断は間違いである。
 ただし、このロイター報道には奇妙な尾ひれがついている。

 一方、イラク政府高官は匿名を条件に、最高裁の判断は「非常に問題がある」と指摘。「情勢を非常に、非常に複雑化させるだろう」と述べた。

 イラク最高裁判断に「非常に問題がある」があるのは、法の適用上なのか、遵法が問題を起こすことになるのか曖昧である。が、「情勢を非常に、非常に複雑化させるだろう」というのは後者の含みを持つ。おそらく、民主主義国家の法的な議論としては問題ないと見てよさそうだ。
 話を少し割愛するが、しかし、以上のような論点は欧米ではどう議論されているか、いろいろ見て回った。私の見た範囲の結論からいうと、この問題にきちんと触れているものはない。一例ワシントンポスト記事(参照)のように、マリキ首相の支持は議会においても少ないから、彼は支持されていないといった意見は目に付く。たしかに、支持母体の政党が大きいともいえず、しかもその所属議員の意見も割れている。だが、そのことと法の正当性の議論は別である。
 憲法を遵守する考えからすれば、大統領指名に着目するのではなく、議会手順をやりなおす必要がある。つまり、最大派がマリキ氏を選出しないという点が明確にされなければならない。
 その意味で、共同「イラク首相候補にアバディ氏 米要求でマリキ氏見切り」(参照)にも疑問は残る。

 【カイロ、ワシントン共同】イラクのマスーム大統領は11日、マリキ首相に代わる新首相の候補に、イスラム教シーア派政党連合のハイダル・アバディ連邦議会副議長を指名した。マリキ首相は自らの首相指名を要求していたが、身内のシーア派連合から見切りを付けられた形となった。
 内外の信頼を失っていたマリキ氏に代わる首相候補が決まり、米国の要求に沿った形で、スンニ派の過激派「イスラム国」の脅威に対抗する挙国一致内閣づくりがようやく始動する。
 しかしイラク戦争後に主導権を握るシーア派に対し、スンニ派、クルド人勢力の不信感は根強く、組閣は難航が予想される。

 「身内のシーア派連合から見切りを付けられた」は「マスーム大統領」によるので、議会最大派の動向とはいえない。むしろ、このように「米国の要求に沿った形」が形成されるのは、民主主義国家にとっては異常な事態だろう。
 以上で、イラク新首相指名についての話題は終えるのだが、米国がイラク国内で実施している空爆の正当性もこれに関連して疑問が残る。イラクでの米国による空爆は、イラク政府からの要請によるとしているだが、そのイラク政府の主体は誰なのだろうか? 端的に言えば、マリキ首相なのだろうか?
 この疑問が起きるのは、これまでマリキ首相が米国に空爆を求めてきたのは事実と見てよさそうだが拒否されてきた(参照)。しかし、ここに来て突然、マリキ首相失脚の目が出て来てから転換して空爆に踏み込んでいる。率直な疑問を言えば、米国がイラクから要請されたというイラクとは、マリキ首相の行政府ではなく、実質「マスーム大統領」かクルド自治政府ではないだろうか。
 米国空爆の文脈だが、米国側の筋立てとしては、見過ごせない人道危機に対応するというものだが、誰もが即座に疑問を持つのは、シリアも同様なのだが、そうした対応を米国は示してこなかったことだ。また、人道危機への対応として、危機地域に食料・医療物資の投下を行っているとしても、実質、クルド自治政府の軍事援助が基本になっているように見えることだ。
 米国の筋立てを単純に否定するものではないが、イラク政府の問題の文脈に置き換えれば、こうした危機と米国の軍事介入を背景に、米国がイラク政府に圧迫をかけていることがわかる。むしろ空爆は、イラク内政への米国の介入の口実なのではないかとも思えてくる。この空爆は「限定的」であるが、何への「限定」なのか。問題化している「イスラム国」の運動については、付随的なという意味ではないだろうか。
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014.08.10

「進撃の巨人」14巻が面白かった

 すでに「進撃の巨人」はコミック全巻買って既読のうえ、アニメも全部見ているが、これまでとりわけブログに書いてこなかった。面白いと言っていいのだが、進行中の話と受け取り方の微妙なズレみたいのがまだまだあって(物語の価値観がなんども逆転する)、現状では言及できる段階ではないとも思っていた。が、一昨日発売された「進撃の巨人」14巻はさすがに面白い。ちょっと書きたい気がした。

cover
進撃の巨人(14)
 物語はけっこう複雑で伏線も多い。ほら予想通りでした、などとは到底言えない。逆に予想外で驚いたというほどでもない。そう思わせる緻密な展開もさすがで、同様にこの物語の面白さは多面的だが、一つ、ブログに書きたいなと思ったのは、その比喩性である。
 文学的な作品を何らかの比喩として見るのは(特に、現代性の比喩とか)、その手の批評形式は、どれだけ知的な装いをしたところで、つまんないお遊びにしかならない。そうとわかっていながら、14巻の持つ、現代日本への比喩性というのは考えざるをえなかった。
 というあたりで、「進撃の巨人」という物語がどういう話なのか、今北産業的に書いておくとよいがブログなので割愛。でも、ごく簡単な世界観の説明は必要になる。この物語で「人類」と呼ばれている人々は壁のなかに閉じ込められている。壁の外には生命を脅かす恐怖(巨人)が存在する。と、いうことは抑えておきたい。
 恐怖から守るという名目の壁によって閉ざされた世界と、そこから出られない人間という比喩は、現代の世界や日本をよく比喩してしまっている。
cover
DVD付き 進撃の巨人(14)
限定版
 このところ話題のガザなどまさにそれだ。パレスチナ側に壁をこさえているイスラエルもそうだと言える。また、情報遮断も壁として考えるなら中国は政府によって外部から概ね遮断されている。なにより日本人も外部世界を恐怖として見えない壁のようなものを自ら形成している。TPP反対とかもそうした壁だろう。現実世界には存在している戦闘をよそに平和が叫べるのも壁のおかげかもしれない。日本にも「ウォール教」のようなものがあるのだろう。日本から出て行く若者の減少もそのせいかもしれない。いずれ、壁に閉ざされたような閉塞感は現在の日本人に共通している。
 比喩として読めてしまう一点目は、記憶の改竄である。物語の主要登場人物エルヴィン団長は、子供の時、教師として歴史を教える父にある疑問を投げかける。公式の歴史では、壁に逃げ込むことで平和が達成されたというのだが、そこに矛盾があるのではないか。歴史の事実は文献では握りつぶせても、100年ほどの人々の経験には残り語り継ぐことができるはずだ。なのに、その口承がないのはなぜなのか? それは人々の記憶が改竄されたからではないかというのだ。もちろん、マンガだから、ここでは超能力的な記憶改竄が示唆されている。
 この仕立ては日本の戦後の思想空間の比喩に見えてしまう。江藤淳が言うWGIP(War Guilt Information Program)のような戦争罪悪感計画が実際に存在していたかはわからないが、戦後日本にはWGIPという連想が浮かぶような思想空間が存在するようには思える。そのため、ネット右翼と呼ばれる人たちは、しばしば「記憶の改竄を解いて真実の歴史を発見」してしまう。その詳細や議論は置くとしても、戦後日本はなんらかの歴史記憶の改竄を強いられたような心情は蔓延しているとは言えるだろう。そこから、そうではない世界を構築したいという欲望も付随してしまう。
 関連したもう一つの比喩は、巨人世界の王の存在である。比喩されるものは、当然天皇である。巨人の世界では、国の存続を象徴する高貴な血筋として描かれているが、それに対して、エルヴィンは、現王は偽物であり、正しい王にすげ替えようとしている。
 この比喩は、三島由紀夫に顕著であり、また最近では、長谷川三千子に顕著だが、死を捧げるに足る「本当の天皇」の希求がある。つまり、王制・天皇制の「本来」のあり方すれば、戦後象徴天皇というのは、すげ替えらた天皇であり、さらに本当の天皇にすげ替えなければならない、という比喩がありうる。あるいは左翼的には、戦後象徴天皇がさらにすげ替えられなければならないものともされている。そこでは新しい天皇は具体的には希求されてはいないものの、北朝鮮のような王制への親和心情は見られる。なおこの王=転倒の比喩の延長から壁を考えるなら、眠る巨人の硬化によって作られたことは「英霊の御柱」が連想される。
 もう一つ比喩性として思えたのは、「革命」への倒錯的な期待である。王制を変えるためには、民衆の支持が必要だとする考えから、主要登場人物アルミンはこう語る。「何か象徴的な事件でもでっちあげてそのすべてを王制か憲兵がやったことに仕向ければいい。そこで調査兵団が救世主のように登場し民衆の味方は調査兵団しかないと強く印象付ければいい、きっと民衆はだまされやすくて……なんちゃって」とギャグにしているが、この手の謀略性は、2.26事件にも見えるし、戦後の不可解な事件にも見える。北朝鮮や中国共産党の成立史なども連想する。いずれ、「民衆はだまされやすくて」というのが状態である世界のあり方を比喩してしまっている。なお、この部分、雑誌では「きっと民衆はだまされやすくてクソ……」となっていた。「クソ」が単行本では削られているが、まさに比喩の心情は、そこ(民衆への嫌悪)にある。
 先にも述べた、こうした比喩性というのは、読む側の興味のありかたの一つであって、物語の解釈に必要なものでもないし、なにより、「現代思想」とか「現代批評」みたいにお手軽すぎて、なんだかなあという代物だが、それでも、この物語の現代性は、そうした比喩性を各種喚起するところにあるのだろう。そして、それらの比喩のどのあり方が正しいかということを、巧妙に転換しつつ、実際には比喩性を批判している点にある。ここは誤解されやすいからもう一度いうと、「進撃の巨人」は現代の右翼的なあるいは左翼的な心情世界の比喩になっているのではなく、そうした比喩性に対する、世界認識の転換可能性による批判となっている点が重要なのである。
 そのことは、正義に荷担してバッシングとして発言している現代の匿名的な暴力性に、根拠がありえないことを結果として大きく比喩している。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2014年8月3日 - 2014年8月9日 | トップページ | 2014年8月17日 - 2014年8月23日 »