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2014.08.07

理研・笹井芳樹副センター長の自殺について

 理化学研究所・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹・副センター長(52)が8月5日午前、自分の研究室のある先端医療センターで致死状態となり、病院に搬送されたが、ほどなく病院で死去した。同所で自殺を試みたものと見られている。他殺説はまったくありえないと断定はできないが、死因は自殺と見てよいだろう。
 笹井氏は、STAP細胞論文の共著者の一人であり、同論文の主執筆者・小保方晴子氏の上司でもある。笹井氏の研究は再生医療の分野で世界的に注目されており、いずれノーベル賞とも噂されるほどであった。その意味で、日本の知的損失は大きい。
 著名者の自殺ということと、STAP細胞論文の関連から、笹井氏の自殺の理由についてもいろいろと話題となった。日本の文化に関連づける荒唐無稽な印象の論考などもあった。そうした並びの一つになるのかもしれないが、私のごく簡単な印象をブログなので書いてみたい。
 私の印象は、氏の自殺は、通常の精神疾患の帰結であり、それ以上の意味はないだろう、というものである。
 つまり、氏に限らない。そういう精神状況にある人には一定の自殺の危険性があり、そこが十分にケアされないとき、自殺の事態が起こりやすくなり、今回は偶然死に至った、というだけのことだと私は思う。
 私たちは、STAP細胞論文にまつわる各種のスキャンダラスな事態の発覚について、多大な知識を持っているため、そうした知識で自殺者の理由付けという物語をえたいという欲望を持つ。だが、そもそも事態との整合は取り得ないものだ。
 もちろん自殺した本人にはそれなりに自分の納得する死に至る物語があったとしても、すでに正常の精神状態にはなかったと思われる。
 いずれ、各種の理由付けは、ほとんど意味がないだろう。
 むしろ、精神疾患の帰結ということは、氏の精神状態を管理する組織の、その点での監督責任は大きいと言える。なお、私がいう監督責任はあくまで勤務者のメンタルケアに限定されているもので、理研という組織がどのように運営されるべきかという話とは別である。
 また、今回の事態が自殺であれば、私たちが確実にわかっていることは、その試みの場所についてだけである。自宅でも人目に付かない郊外でもなく、自分の仕事場であったということだ。
 仕事場という場所が死の衝動を発作的に引き起こしたとしても、そこに残る自分の遺体というイメージが本人に想定されないとも考えにくいことから、その場所については一つのメッセージ性を多少帯びるだろうし、その意味は、やはり、彼の精神状態を管理する組織の責任が重くなるということである。
 繰り返しになるが、笹井芳樹・副センター長の自殺から受け取れることは、一般的に労働者の精神的状態についての企業の管理のありかたというだけだと思われる。
 その点でこの事例はどうであったかというと、報道(参照)によれば、STAP細胞論文の問題が騒動となった2月の時点で、心療内科に通院を開始し、3月からは1か月入院していた。その後は退院したのだろうが、3月には自身の地位を辞す旨を表明しており、また報道では「周囲の研究者は、笹井氏の様子が変わっていることに気づき、気遣っていたが、最悪の事態を防ぐことはできなかった」としていることから、精神状態を慎重に管理する必要性はあったと見られる。
 そこから私が必然的に興味を持つのは、自死への物語的な理由ではなく、精神ケアの状態である。
 より具体的に言えば、こうした事例で、どのような医療が適切だろうかということであり、自分の関心の中心をより簡単にいうと、抗鬱剤服用についてである。もちろん、抗鬱剤の副作用という単純な話ではない。
 抗鬱剤と自殺についての関係の話題は欧米ではこの10年来注視されている。比較的最近では、今年の6月18日に「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)」発表された論文「若者の抗鬱病剤使用と、米国食品医薬品局(FDA)の警告及びマスコミ報道の後の自殺行動の変化:準備実験的な研究(Changes in antidepressant use by young people and suicidal behavior after FDA warnings and media coverage: quasi-experimental study)」(参照)は注目された。
 同論文は、2004年にFDAが発した抗鬱剤と自殺の関係についての警告によって、どのような変化が生じたかを扱っている。背景となるのは、FDAが2003年に要請した警告表示ある。FDAは臨床試験データの審査から抗鬱剤の使用による若者の自殺願望や自殺行為のリスク表示を製薬会社に要請した。
 BMJによる調査結果どうであったか。FDA警告後、抗鬱剤使用は31%減少し、自殺未遂件数は21.7%増加。表題にもあるように若者(18~29歳)では、自殺未遂は33.7%増加した。
 評価は難しい。抗鬱剤を使用しないことが、自殺を増やしたというようにも見える。抗鬱剤不使用がもたらした影響のようもある。反面、FDAの判断の背景となった抗鬱剤の副作用が関連すると見られる自殺がないわけではない。ようするに、自殺の関連で抗鬱剤の使用のありかたは慎重さが問われるということだ。
 なお、私の印象にすぎないが、抗鬱剤が効く効かないという論点よりも、抗鬱剤使用をきっかけにした適切な医療の有無が自殺率に影響を与えているようにも見える。
 
 

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2014.08.06

今朝、なんとなく思ったこと

 ブログを10年もやっていて、最初の数年は、8月になると戦争の話題を書いたものだった。だが、数年前から意識的にやめた。もう言いたいことは書いちゃったし、自分の思いのあり方もだいぶ変わったからだ。
 これを言うと批判されるだろうと思うけど、率直に言うと、もう戦争のことは忘れたほうがいいんじゃないか、と考えるようになった。
 もちろん、戦争の史実を忘却せよというのではない。それは明確に反対。だけど、日本の敗戦からもう長い年月が経ち、世代が代わり、戦争の直接経験者も亡くなっていくのだから、若い世代は、戦争を民族の加害・被害という観点から見るのは、減らしてもいいだろうということだ。もう少し言うと、これからは民族が互いに赦し合えるほうがいい。数年前から、そんな思いで8月を迎えるようになった。
 そんな8月の日、昨日のことだが、「花アン」を見てたら、明日は放映が遅れますというアナウンスがあって、そうか、8月6日かと思った。つまり、今日である。今朝である。
 ぼんやり、7時半ころからNHKのテレビをつけていると、広島原爆の式典が始まった。めずらしく雨が降ってることに見入った。
 NHKのナレーションは集団的自衛権がなんたらと言っていたが、式典とどういう文脈なのか私にはよくわからなかった。
 しばらくすると、ねずみ男が中年太りしたような感じにレインコートを覆った安倍首相が映されて、ああ、出席しているんだなあと思った。出席しないわけにはいかないよなとも思った。そして、ちょっと休みます、とか言ったら、ひどい目に遭うよな、とも思って、自分で、そこで、え?と思った。え?
 そのうち、定刻になって黙祷となった。ツイッターも見ていたのだけど、一人、「木刀」ってしょうもないギャグを放った人がいてちょっと微笑んだけど、黙祷・黙祷・黙祷という感じのツイートが並んだ。ちなみに、私はこの手のことでみんなと黙祷するということはほとんどない。
 現実の場だと「黙祷」っていうと、みなさんまじめに黙祷するんで、ぽかんと目をあけてバカ面している私には気がつかない。
 別に私は黙祷に反対ということではない。私は祈りというのは、イエスが教えてくれたようにしているだけである。つまり、「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」(マタイ6:6)ということ。それだけ。ちなみに、その前にイエスはこうも言っていた。「また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。」(マタイ6:5)
 今朝もポカーンとしながら、ふと、慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」という言葉を思い出した。そして、ああと思った。ああ、というのは、思考停止である。
 私は、この件について考えるのをやめたのだった。
 子どものころ、この言葉が理解できなかった。
 「安らかに眠って下さい」は、英語でいう「R.I.P.(rest in peace)」でもあるし、わからないでもないのだけど、それが「過ちは繰返しませぬから」というのがうまく結びつかなかった。
 たぶん、「戦争という過ちを日本国民はしないから、安らかに眠って下さい」ということだろうは思ったが、それと米軍が落とした原爆がどう結びつくのかが、考えるほどにわからなかった。考えると、戦争という過ちを犯した罰で原爆を落とされた、ということになりそうで、いやいや、それは違うだろうと思い、まあ、もういいや、思考停止、となったのである。
 もちろん、思考停止というのは、うまくいくわけものではない。魔法の惚れ薬を作るには、クミンとシナモンをりんごで煮るだけでよいが、ただし、恋人のことを考えずに20分間かき回す、というのがあっても、無理でしょ。
 繰り返してはいけない過ちは、米国が原爆を落としたことかなともちょっと考えてしまう。あれは、通常兵器ではないし、人道上問題のある兵器だし。なので、広島にできるだけ米人を招いて、過ちを知ってほしい、……まさかね。でも日本人に限らないならそうかも。ここで思考停止。
 今朝もぽかんとしながら、ついこのことを考えて、またふと、あれ、これって、御霊信仰じゃないのかなと気がついた。世界大百科事典にはこう書いてある(参照


〈御霊〉は〈みたま〉で霊魂を畏敬した表現であるが,とくにそれが信仰の対象となったのは,個人や社会にたたり,災禍をもたらす死者(亡者)の霊魂(怨霊)の働きを鎮め慰めることによって,その威力をかりてたたり,災禍を避けようとしたのに発している。この信仰は,奈良時代の末から平安時代の初期にかけてひろまり,以後,さまざまな形をとりながら現代にいたるまで祖霊への信仰と並んで日本人の信仰体系の基本をなしてきた。 奈良時代の末から平安時代の初期にかけては,あいつぐ政変の中で非運にして生命を失う皇族・豪族が続出したが,人々は(天変地異)や疫病流行などをその怨霊によるものと考え,彼らを〈御霊神(ごりようじん)〉としてまつりだした。

 「現代にいたるまで祖霊への信仰と並んで日本人の信仰体系の基本」というが御霊信仰である。現代にまだあっても不思議ではない。
 この場合だと、「過ちを繰り返す」と「個人や社会にたたり,災禍をもたらす死者(亡者)の霊魂(怨霊)」が現れるのかもしれない。というか、原爆という戦禍も宗教的な深層心理的な枠組みではそう捉えられていたのかもしれない。それがいい悪いというのではなく、日本民族の自然宗教観として自然かもしれない。
 しかし、もちろん、そう考えるも変だなと思う。なにより、戦禍で亡くなった霊魂が再び荒ぶるというのは変だろう。それはないだろう。
 が、そこで「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を再び口をついてみると、死霊が「安らかに眠」れない状態は想定されていることに気がつく。
 死霊は、日本民族が過ちを繰り返しはしないかと心配なのだ、という含みは、ここにあるだろう。あるいは日本民族として米国の過ちを心配。
 私は基本的に死霊というのを信じない。死後の霊魂というのはないと思っている。
 ただし、完全にそう思っているかというと、この世に愛を残した人たちの愛はどこかしら死後の霊魂につながっているような気もするので、完全にないとまでは信じられない。
 それでも、仮にだが、死後の霊魂というのがあるとする。でまあ、いろいろ考えた結果なんだが、あったとしても、「R.I.P.(rest in peace)」だろう。この世界にいたときにどうあっても、死後は安らかにすごしていると思っている。
 死後の霊魂があっても、もうこの世界のことや、生前どっかの民族に所属していることからは解放されている、と思うのである。
 そう思うと逆に、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」というのは、死霊を日本民族というものに結びつける祈りになっているんじゃないのかな、と思った。米国など世界の人に訴えるとしても、日本の被害としてという含みがあるのではないかな。
 こういう問題については、イエスはどう言うだろうかと思って、ふと、マルコ福音書12章を思い出した。イエスにこう問う人がいた。

ここに、七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、次男がその女をめとって、また子をもうけずに死に、三男も同様でした。こうして、七人ともみな子孫を残しませんでした。最後にその女も死にました。復活のとき、彼らが皆よみがえった場合、この女はだれの妻なのでしょうか。七人とも彼女を妻にしたのですが。

 古代ユダヤ人の世界では、子孫を残すために、『もし、ある人の兄が死んで、その残された妻に、子がない場合には、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』となっていた。
 この話に即していうと、この世界での婚姻などこの世界での結びつきは、死後どうなるかということである。
 イエスの答えはこうだった。

イエスは言われた、「あなたがたがそんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではないか。彼らが死人の中からよみがえるときには、めとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。

 死後は、天にいる御使いのようになるとのことだ。
 この世で結びつけていたものからは解放されている。
 へえと思う。信じられるかというと、死後の霊魂のことなので、信じがたいなあとは思う。
 それでも、死後の霊魂というのがあるなら、たぶん、もう日本人ということでは、なくなっているのだろうとは思う。
 
追記
 碑文には解釈を巡る経緯もあり、広島市として公式の解釈が示されている。「原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますが、どういう意味ですか?(FAQID-5801)」(参照)より。

 原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。
 広島市は、この碑文の趣旨を正確に伝えるため、昭和58年(1983年)に慰霊碑の説明板(日・英)を設置しました。その後、平成20年(2008年)にG8下院議長会議の広島開催を機に多言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語(簡体字)、ハングルを追加)での新たな説明板を設置しました。その全文は次のとおりです。


 この碑は 昭和20年8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心が ここに刻まれている
 中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑は また 原爆慰霊碑とも呼ばれている 

 ここでは、「冥福を祈り」、「その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです」とあり、その願いは「過ち」の認識を元にしている。なお、2014年時点では、米国は、広島原爆については「過ち」とはしていない。  
 
 

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2014.08.05

朝日新聞による慰安婦強制連行証言記事の一部取り消し、雑感

 なぜ今日なのかという疑問がふんわりと心に残ったままだが、いずれにせよ今日付けで、朝日新聞が、過去の同紙の慰安婦強制連行証言記事の一部取り消しを発表した(参照)。具体的には、吉田清治証言を報道機関として明確に虚偽だとした。


■読者のみなさまへ
 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

 この発表に触れたとき、私は意外な感じがした。意外というのは、吉田清治証言に信憑性がないことは、今回の取り消し発表の関連記事にも言及があるが、すでに1993年の時点で吉見義明・中央大教授などから指摘されていた。そこで私は、1990年代に朝日新聞では事実上、吉田清治証言に関連した記事は取り消されているものだと理解していた。
 そのため、産経系メディアなどでこの件について近年になっても糾弾しているのは、なんらかの誤解ではないかと思っていたのだった。例えば、藤岡信勝・拓殖大学客員教授によるZAKZAK「【元凶追及! 慰安婦問題】誤報を意地でも認めない朝日新聞 吉田証言のウソ露見後も謝罪せず」(参照)などがある。

 韓国・済州(チェジュ)島で、慰安婦を強制連行したという懺悔(ざんげ)本を書いた吉田清治氏に、最も入れ込んだメディアは朝日新聞である。1992年1月23日付夕刊では、論説委員が次のような吉田氏の証言を丸ごと無批判に引用している。
 《国家権力が警察を使い、植民地での女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年二年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います》
 ところが、この記事の2カ月後に、吉田氏の証言は完全な創作であることが露見した。現代史家の秦郁彦氏が92年3月、吉田氏の本で強制連行が行われたとされる済州島の貝ボタン工場の跡地に行って調査した。工場関係者の古老に「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と聞かれ、秦氏は返答に窮した。
 それ以前に、地元紙「済州新聞」の女性記者が、吉田氏の著書の韓国語訳が出た89年に調査し、「事実無根」との結論を記事にしていた。その記事の中で、ある郷土史家は吉田氏の著書について「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と憤慨していた。

 ここで引かれている1992年1月23日朝日新聞夕刊の論説委員記事での吉田清治証言だが、今回の取り消し発表にもあるように、1997年3月31日朝刊で「真偽は確認できない」との認識が示され、以降、吉田清治証言を朝日新聞が扱うことはなくなっていた。私はこれで事実上、この件についての朝日新聞報道の問題は終了していたと思っていた。
cover
昭和史の謎を追う〈下〉
 なお、関連する歴史家・秦郁彦の話題は現在は絶版のようだが『昭和史の謎を追う』(参照)に収録されている。
 しかし、今回の発表を読むと、この時点では「吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため」とあり、対比して、今回の発表では、吉田清治証言が明確に虚偽であり、ゆえに関連過去記事の取り消しとなったようだ。
 こうして流れを確認してみると、1997年3月31日から今日2014年8月4日まで17年以上も、吉田清治証言の虚偽性を朝日新聞は認識していなかったのだなと感慨深い点もある。
 今回の発表では、吉田清治証言以外に、慰安婦と挺身隊を過去記事で混乱していたことも「誤用」として明確にした。「「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視」(参照)より。

■読者のみなさまへ
 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

 この件については、私は基本的に苦笑という以上の関心はもっていなかった。私の母親は「女子勤労挺身隊」ではなかったが、国民学校の生徒として戦時下軍需工場で働かされていた。機械のグリスかなにかをなめたら甘かったとかいう同級生の話など、実感のこもったしょーもないディテールなども私は聞かされている世代なので、挺身隊と慰安婦を混同すること自体ありえないと思っていた。ついでにいうと、当時の朝鮮は日本の植民地として日本であり基本的にではあるが、住民は日本人として扱われていた。慰安婦に日本人が多いのもそのためで、ここでは日本人と朝鮮人との区別は基本的にはない。
 話を、吉田清治証言の虚偽性に戻すと、私としてはこの問題は1990年代に終わっていて、いわゆる従軍慰安婦の問題は、その枠組みとは別のものだと考えてきた。
 ただし、国連人権委員会報告書「女性への暴力特別報告」(E/CN.4/1996/53) 、通称「クマラスワミ報告」(参照)では、作成年代が1996年であることから吉田清治証言が虚偽ではなく歴史証言として参照記載されていることには困惑を感じていた。この点については、2006年の米国下院121号決議(参照)の審議にも影響を与えていたが、翌年の改訂報告では日本国側からの指摘で削除された。米国の議会レベルでの吉田清治証言の扱いも、慎ましやかであれ、虚偽として終了したものと見てよい。
 他面、韓国における吉田清治証言の流布はその後も続いた。日本における従軍慰安婦問題では、吉田清治証言の意味合いはほとんどなくなっていたが、韓国ではようすが異なっている。例えば、韓国の主要紙中央日報では2007年3月10日のコラム「【噴水台】河野談話」(参照)は、こう記していた。

 河野談話が出てくるにあたっては、慰安婦強制募集事実を暴露した吉田清治の証言が起爆剤になった。 吉田は「太平洋戦争当時に‘国民総動員令’を執行する労務報国会の山口県動員部長として朝鮮人6000人を強制連行し、その中には慰安婦女性も多かった」と明らかにした。 彼の証言は、91年に朝日新聞に集中報道されて慰安婦問題への関心を触発させ、韓国では元慰安婦の公開証言が相次いで出てきた。

 韓国側としても、2007年の時点ですら、河野談話の起源を吉田清治証言に見ていることがわかる。
 中央日報コラムはその後、これをどう見ていたか。その虚偽性はどのように認識されていただろうか。

 しかし吉田はその後、多くの批判に直面することになる。 著名な歴史学者である秦郁彦は済州道(チェジュド)現地調査を行い、「吉田の言葉を裏付ける証拠や証言は何も出てこなかった」とし、吉田を‘職業的作話師’だとして攻撃した。 窮地に追い込まれた吉田は「一部の事例の時間・場所には創作が加味された」と告白した。
 これをきっかけに河野談話に対する批判的認識が日本で相当広まった。 政界では安倍晋三首相がその代表だ。 彼は首相就任前である2005年4月の講演会で「慰安婦は吉田の作り話で、朝日新聞がこれを報道し独走した。日本メディアが作り出した話が外国に広まったのだ」と述べた。 しかし吉田が強制動員事実自体を否認したわけではない。 彼は自費を投じて韓国天安(チョンアン)に「謝罪の碑」を建てたりもした。

 翻訳のせいかもしれないが、微妙な含みで書かれている。「吉田が強制動員事実自体を否認したわけではない」という点の理解は難しい。本来なら、強制動員事実自体は吉田清治証言とは関係ないとしたほうがよい。だが、「彼は自費を投じて韓国天安(チョンアン)に「謝罪の碑」を建てたりもした」という情感的であるが、肯定心情もうかがわれる。
 韓国での、こうした傾向はさらに近年でも見られた。例えば、2012年9月9日の朝鮮日報「【コラム】「慰安婦狩り」を告白した日本人」(参照)ではこう書かれていた。

 「慰安婦強制連行の証拠はない」と主張する野田首相の発言に憤慨した読者のキム・ウォンテさんが、自身の所有する日本の本を送ってきた。吉田清治という日本人が1972年に書いた手記だった。吉田氏は戦時中、下関で、労働者の徴用機関だった「労務報国会」の動員部長を3年間務めた。吉田氏は、数多くの朝鮮人を強制的に連行して戦地に送ったが、当時の蛮行を悔いて『朝鮮人慰安婦と日本人』と題する本を執筆した。
 吉田氏の証言は、現場を見ているかのように詳細かつ具体的だ。吉田氏は、日本政府の指示を受けて韓半島(朝鮮半島)に渡り、朝鮮人を集めた。警察の護送車を先頭に慶尚北道永川一帯を回り、若い男性を連行したという。当時、吉田氏の一行は朝鮮人を強制的に徴用することを「狩り」と呼んだ。確かに、他人の家に押し入って人を連れていくという行為は、人間狩りにほかならない。


 後に吉田氏は「朝鮮民族に対する犯罪を、私は卑劣にも30年間隠してきた」と告白し、謝罪した。吉田氏は、日本メディアにも自分の行為を打ち明けたが、日本政府は事実でないとして取り合わなかった。吉田氏の慰安婦募集は、銃剣の代わりに「わな」を使った、明らかな人間狩りだった。この1冊だけでも、当時の日本による慰安婦強制連行は十分立証されている。「銃を突き付けなかったから強制的ではなかった」と言い張る日本政府の関係者は、この本をしっかり読んでもらいたい。

 繰り返すが、これが書かれたのは、2012年であり、匿名掲示板ではなく、韓国大手紙・朝鮮日報であり、執筆者は知識人であると理解してよい。
 こうした韓国側からの主張には、日本の市民としては非常に困惑するものだ。「この1冊だけでも、当時の日本による慰安婦強制連行は十分立証されている」と言われた際、「その本は、フィクションであり、事実としては虚偽ですよ」と答えてよいものだろうかと困惑するのである。そう主張することで、日韓問題の波風は立てたくないと思うからだ。
 よって、日本人としては、こうした問題は、市民レベルでは、困ったなあ、しかたないなあ、と、失礼にならないように、気づかれないように、こっそりと困惑を抑えることになる。
 そうした点からすると、日本を代表する大手紙であり、従軍慰安婦問題に取り組んできた朝日新聞が、吉田清治証言を虚報と明言してくれたことには、率直に安堵する気持ちがある。
 吉田清治証言を排しながら、慰安婦問題を日韓で考えていく基礎となるからである。
 
 

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2014.08.04

佐世保女子高生殺害事件、雑感

 7月26日に長崎県佐世保市のマンションに一人住む15歳の女子高校生が友人で同じく15歳で高校一年生の女子高生を殺害した事件は、日本全体に衝撃を与えた。大事件であったと言っていい。日本のブログとして少し雑感を留めておきたい。
 私は基本的に、こうした非組織的な殺人事件については関心をもたないようにしている。今回も、NHK7時のニュースで初報道があったときも、概要を聞いてから、さっと飛ばした。私は基本的に国内ニュースはNHK7時のニュースしか見ないし、また見るときはいったん録画して見るので、関心のないニュースは飛ばしている。
 この事件に関心がないわけではない。関心をもたないようにしているというだけである。当然だが、15歳の少女が15歳の少女を殺害したというニュース自体には、ある種、衝撃を受けた。
 そして場所が佐世保であることから、2004年6月に同市で発生した長崎県佐世保市女子児童殺害事件のことを即座に思い出した。なぜ佐世保で未成年女子による殺傷事件が起きるのだろうかと不思議に思った。
 ニュースは即座に国際ニュースにもなった。私はBBCの主要ニュースは見ることにしているので、ここでもまたこのニュースがひっかかっていることに、半ば驚き、半ば当然だろうと思った。国際的に見ても、異常な事件であることはあきらかである。そしてどこかしら日本人というものの恐ろしさを暗示しているように世界で受け止められているようにも感じられた。
 BBCは「日本の女子高校生が’同級生を切断”した(Japanese high school girl 'dismembers classmate')」(参照)として報道した。表題から見てもわかるように、その殺害の猟奇性に注目していた。印象だが、こうした表題の作為性からは、英国的では、2000年の「ルーシー・ブラックマンさん事件」の印象があるのではないかと思った。
 私はこの事件に関心を持たないようにしているとは言ったものの、事件の妖しい魅力と言っていいのか、その衝迫性には抗しがたいものがあって、事件のアウトラインは了解した。知るほどに恐ろしい事件である。その殺害手順が尋常ではない。
 当初私は、佐世保市女子児童殺害事件を連想したように、背後に怒りのような、否定的な、そしてあまりに人間的な感情の物語が潜んでいるのではないかと思い込んでいた。そして私は多分にスノビズムの人だからそういう通俗小説のような筋書きを好まない。だが、明らかにこの事件はそうした類とは異なっていた。
 とんでもないものないものに遭遇したような恐怖感を覚えた。連想したのは、1981年のパリ人肉事件や1997年の神戸連続児童殺傷事件のような、一種「サイコパス」がもたらす事件である。そう思えた瞬間に、足下に落ちた矢を避けるように身を引く。
 基本的に私の理解を絶する事件であり、そして市民にとっても理解できる種類の事件ではないと、とりあえず思うことにした。その意味合いは、なにかの物語を背後に読もうとすることは空しいだろうし、ここから教訓のようなものを言うのも難しいだろう、ということだ。
 ましてや、誰かを罰したいような物語も紡げやしないだろう。にも関わらずこの事件に魅了された人々はそこから罰の物語に酔おうとするだろう……そう思えた。こうした怪物のような何かに恐怖を感じる心理がさせるだから、しかたがないことだ。
 こうした事件に遭遇したとき、私はできるだけ遠景から見たいと願う。できるだけ遠景に身を引いたときこ、の事件はどのように見えるだろうか。もちろん、なにも見えないということはありうる。が、ほとんど暗闇のように見えなくなったときに、まるで色の違う小さな三つの点のような疑問がわいた。
 一つめは最初の疑問である。なぜ佐世保なのか。理性は、それはただの偶然であると告げようとするが、逆に理性的に考えれば考えるほど、偶然というには奇妙すぎる。だが、そこから何か通俗的な物語を描くこともおそらく間違いだろう。
 二つめは年齢である。事件当初は容疑者と被害者はともに15歳であった。だが、いつからか容疑者は16歳と言われるようになった。誤報だろうかと調べると、事件の2日後に容疑者は16歳になったらしい。両者、高校二年生だった。不確か情報ではあるが、もし容疑者が誕生日前の出来事であるとしたらそれになにか意味はあるのだろうか。ここでも通俗的な物語は抑制したほうがよいが、日本の場合少年法20条2項で少年が故意に殺人を起こした場合、16歳以上の場合は検察官に送致するので、今後の扱いを含めての関心は起きる。容疑者が14歳以上であることから刑事罰の対象となるが、現状、家裁送致前の捜査段階で精神鑑定を実施することになったので、この疑問は曖昧な状態に置かれたように見える。
 三つ目は、なぜ容疑者はひとり暮らしをしていたのかという疑問である。この点は、かなり合理的な説明がつくはずであり、そして、ついた。時事報道「複数の精神科医受診=父殴打後、協議で1人暮らし-高1女子殺害・長崎」(参照)によれば、3月2日、容疑者の少女は実家で父親を殴打し大けがをさせたことがあり、これを機に彼女は精神科医の診断やカウンセリングを受けていたらしい。彼女が4月からひとり暮らしを始めたのは、医師との協議の結果、実家で暮らしつづけることは、父親の命の危険があったらしい。
 この三点目の疑問が解決されたことは、私に奇妙な困惑をもたらした。正確にいうとそれを知って私はあることを思った。
 その前に、この関連から、こう言うとなんだが、人々が起こす反応を思った。父親へのバッシングである。おそらくこの事実から、容疑者の少女から実父への憎悪を描きその構図のなかで父を捉える誘惑は断ちがたい。だが私はすでにそうした物語はおそらく不毛だろと思っていた。実際のところ現状では、この物語はうまく描けていない。
 私が容疑者のひとり暮らしの背景を知って思った、そのあることには、自分のちょっとした狂気性が混じらざるをえない。だがあえて言うと、父親は殺されてもしかたないとして娘に向き合うことだった。そしてその結果、撲殺されても、しかたがない、と。
 ひどい言い方に聞こえるかもしれないので、別の言い方にすると、自分ならそうするということだ。自分は娘に殺されよう、と決意するということである。もちろん、無抵抗に殺されるということではなく、防衛はする。防衛しつつ、娘がむき出す狂気の姿態を二人で見つめたい。そういう運命になったら、それが自分の人生の意味だったのだと諦める。そして、もしこの運命に癒やしというのがあるなら、そのカーリー神のような演舞をすべて見届ける必要があるはずだ。
 少し自分の狂気性から離れると、それはむちゃくちゃな話だということは理解している。到底、他者に、そうあれ、とは言えない類の話であることはわかる。実際、そういう場面に自分がおかれて、そうできるかは明確な確信もない。それでもが、成人してない娘に殺されるなら、親は本望ではないかと思える心情があるし、その心情が自分にすぐに浮かんだことに不思議な思いがした。
 さらに別の言い方をする。
 この問題はもはや、市民社会の理解を超えていると私は思う。だが、人間のありかたとして見つめれば、けして異常ではない。
 人間というのはそういう存在なのだ。そういう状況に置かれたときは、人間は静かに一人、市民社会の外側に立つことがある。その一つの形が、「さあて、結局、俺は娘に殺されるか、しかたねーな」という観念ということは、ありうるだろう。
 
 

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2014.08.03

人はなぜ不運を自分の能力の欠如だと思うのだろうか?

 世の中には、そしてもちろんネットにも、名言集というのがある。覚えておくと便利だったり勇気づけられたり、あるいは手短で洒落た皮肉な言い回しに人生の真実を感じさせたりといったものだ。ツイッターの投稿などにも、これは名言だなというのもある。
 で、例えば……という一例の名言をここに書くかというと、その前にだ、私は名言集というのが好きではなかったという話を書く。中学生のころその手の類をいろいろ読んで、たまたま学校にもっていって読んでいたら、友人がそれ貸せというので貸したところ、友人から友人へという連鎖で読まれていった。彼ら、なにやら名言集に感得しているのである。その様子を見ながら、自分もああいう読者の一人だったんだと妙に醒めた思いがした。以来、その手の本を読むのをやめた。概ね。
 名言集の名言というのがきらいになった。格言、アフォリズムといったものは、知性の軽薄なありかたにすぎないと思っていた。「結婚は人生の墓場だ」で?
 だが、いつからか、そうでもないなと思うようにもなった。30代だっただろうか。人生が自分のなかにワインの澱のように貯まりだしたのと関係しているのだろう。
 私は何が言いたいのか? 名言というのは、無理して読もう、知ろうとしなくても、自然に心がキャッチして、反芻することがあると思うようになったのだ。例えば……そう、最近のそれをご紹介。ビジネス英語の教材にあったものだ。

The easiest thing to do, whenever you fail, is to put yourself down by blaming your lack of ability for your misfortunes.

失敗したときにする一番簡単なことは、不運について自分の能力が足りなかったと自分のせいにして、いじけることだ。


 作家ワシントン・アーヴィング(Washington Irving)の言葉とされている。
 訳がつたないのだが、ようするに、不運を自分の能力の欠如だとして自分を責めるのは安易なことだ、というのだ。
 不運は不運としてある。別に能力の欠如で不運がもたらされたわけではないよ、と。
 自分の能力を信じていたら幸運なときには成功するかもしれない。不運について自分をそう責めるなよ、ということ。
 ただし、英語で読んだときは特に違和感なかったが、ちょっと試訳を添えようとしたら、意外に難しかった。"put down"と"blame"が意味的に重なっているのに気がついた。どっちも結果的に自分を責めることなので直訳すると意味がまどろっこしくなる。あと、ふと"ability for your misfortunes"という解釈はないよなあと思った("blame for"だから)。
 英語の話はさておき、この名言がなんとなく最近、心に引っかかっていた。
 心に引っかかっていた理由は、自分でもわかった。私は、自分の不運をみんな自分の能力の欠如が理由だと考える人だからだ。
 自著にもなんたら書いたが、私は人生の失敗者だと自分を思っていて、その理由は自分の能力の欠落だと思っている。
 そう思おうとしている、と言っていいかもしれない。自分がたまたま不運だったのだとは思わないようにしている。そう思いながら、世の中の成功者の多くは幸運だっただけなんじゃないかなともなんとなく思っている。
 さて。
 自分の能力とか「私は人生の失敗者だ」とかは、とりあえずどうでもいいとして、なんで自分はそう考えるのか。つまり、先の名言でいうところの、「一番簡単なこと」を私はつい選択してしまうのだろうか?
 別の言い方をすると、なぜ自分は、不運を能力の欠如と見たがるのだろうか? そしてたぶん、それは自分だけの傾向と限らないだろう。
 人はなぜ不運を自分の能力の欠如だと思うのだろうか?
 先の名言の文脈でいえば、それが「一番簡単なこと」だから、ということだが、それもちょっと違うなという感じがしていた。
cover
脳科学は人格を
変えられるか?
エレーヌ・フォックス
 心のひっかかりをぼんやりと見つめていると、ああ、そうかと思う。
 先日読んでちょっとひねくれた書評も書いたのだが、『脳科学は人格を変えられるか?(エレーヌ・フォックス)』(参照)に、この件で関連することがあったのだった。この本、オリジナルタイトルが、悲観的な脳=雨降りの脳(レイニーブレイン)対楽観的な脳=お天気な脳(サニーブレイン)とあるように、人間の脳の、悲観・楽観の自然的な対応について論じたものだ。
 そのなかで、いろいろと楽観的な脳=お天気な脳(サニーブレイン)について脳の解剖学的な枠組みで挿話を並べたのち、こうある。

 サニーブレインのしくみについて、解剖学的に考察した結果は以上のとおりだ。楽観とはいつもただ上機嫌でいるだけではなく、意義深い生活に積極的にかかわり、打たれ強い心を育み、「自分で状況をコントロールできる」という気持ちを持ち続けることだ。これは、「良いことも悪いことも受け入れる能力があってこそ、楽観はプラスに作用する」という心理学の研究結果とも符号する。


 これは、多くの自己啓発本にあふれる「ハッピーな思考はすべての問題を解決する」というアプローチとは似て非なるものだ。ポジティブに考えるかネガティブに考えるかはもちろん重要だ。だが、単にいつも「こうなってほしい」と期待するのが真の楽観主義だと思ったら、それはおおまちがいだ。


楽観的なリアリストは、自分の運命は自分でコントロールできると意識の底で信じているのだ。

 つまり、物事をポジティブに考えればうまくいくというのではなく、不運があってもそれを自分が乗り越えられるという確信が楽観だというのだ。
 そうなんだろう。
 そして、私は悲観的なリアリストとして、自分の運命は自分でコントロールできると意識の底で信じているから、自分の能力で対処できない不運まで自分の能力で対応しようとして、そして結局できないから、自分の能力の欠落だと思うようになってしまう。
 と、いうことなんじゃないか。
 こうした考えが正しいかどうかというより、ああ、俺、年取ったなあという思いともこれが呼応していた。
 私はこの夏、57歳になるのだが、「人生の失敗者」とかほざいていても、今日までそれなりに生きて来て、ここまではいちおう生存を達成した。
 達成の繰り返しから、「不運があってもなんとかやってきたじゃん、だから、まあ、これから人生そう長くもないけど、適当なとこまでなんとかやってけるんじゃね」という楽観みたいなものも持つようになった。
 それと、ここまで生きてみると、「ああ、不運というのは、純粋に不運だ」と素直に思えるようになった。これは他人の人生を見ていても思う。「ああ、あれはかわいそうだ、あれは不運すぎる」というのを随分、見た。
 人生ってなんじゃこりゃというくらい、不運の駒を背負ってこの世にやってくる人がいて、しかもその不運がなかなか他人から見えない類のものがある。人生とはそんなものなんで、成功した人がこうすれば成功できるとか言うと「嘘だろそれ」とかつい思う。
 この話にオチは特にない。
 みなさんはどうですか。とかね。でもしいていうなら、不運のときは、いろいろ理屈を考えるより、しばらく時が過ぎるのを待ったほうがいいんじゃねくらいは思う。
 暑いときは、水分補給をしてぐったりと休みましょうとか。
 

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