« 2014年1月5日 - 2014年1月11日 | トップページ | 2014年1月26日 - 2014年2月1日 »

2014.01.13

迫る都知事選についての雑感

 都知事選についてブログで何か書くことに、いやな感じがしていた。理由は、この手の話題をブログに意見を書くと、揶揄や罵倒、さらには表裏の嫌がらせがどっと増えるからだ。私は、石原慎太郎という政治家を支持したことなどはこれっぽっちもないが、彼へのバッシングが不当に思えたときは、ここは不当ですよという指摘はブログをしてきた。すると、私は石原支持ということにされた。日本の精神風土からしてそうなることはわかってはいたし、そうなる日本の精神風土のみたいなのが大嫌いだから自分の思うところを書いてきた。まあしかし、それでよかったのかというと自分が受けた不利益のほうがはるかに大きかった。
 基本、政策にあまり関係がない選挙マター、しかも、右派・左派だけが問われるような選挙マターの構図に結局に落ちるような状況では、何を言っても意味がない。なので、私は今回の都知事選、およびそこに至る経緯はそんなものだろうと見ていたので、黙っていた。
 しかし、猪瀬前都知事辞任の経緯と今回の都知事選は、「政策にあまり関係がない選挙マター」なのだろうか。どうだろう。私は、現在の東京都政に早急に問われている政策というのが見当たらない。もちろん、一部の人が声高に「反原発」を掲げていることは知っている。それが重要な政策だと考える人もいるだろう。私は都政という地方自治にそれが一義に問われているとは思えない。地方自治らしく、東京都民の生活が円滑に進むために諸政策が整備されればそれでいいと思うだけだ。北京や上海のように住民が呼吸困難になるような大気汚染になってほしくはない。地震対策や富士山噴火対策なども推進してほしい。そのための政策は整備してほしいといった課題である。逆に、都は東電と関連が深いが、実質その観点(東京都民の生活が円滑に進むために諸政策)で「反原発」の意味は限定されるだろうし、実際のところ、対立的に都政側から原発を推進するという政策の意義もさほど思いつかない。原発問題は国政マターということも大きいが、そうであってもあまり選択の余地はなく、今後も目立った政策というのもなく、だらだらと新しいエネルギーミックスの体制に移行するだけだろう。実はそのことに世界の側は驚いているのである(参照)。
 政策という点でいうなら、「反原発」を含め、都政に求められていることはそれ自体はそう難しいことではないだろう。世界最大の都市として(諸観点から東京は世界最大の都市の都市と言えるだろう)求められる課題や、高齢化や流入民が増える課題についても問題自体はそう複雑ではない。無制限の資金が存在すれば理想はかなえられそうにも思えるし、実際都経済は比較的には貧弱というものでもない。つまり問題は、問題そのものより、それをどう具体的に政策に移すかという地方自治の政治技術にかかっている。都知事と都議会と、東京という大国にも比すべき行政機構の三者がどう運営されるか、そのなかで都知事の意味合いはどの程度あるのか。それに都民がどう関与できるのか。つまり、そういう行政の具体的な問題になる。
 都知事に現実的に求められることは何だろうか? 私は、東京都の最大の問題はこの巨大な行政機構自体にあると思う。問題と呼ぶのは拙いかもしれない。本質的な必然的な弱点と言うべきかもしれない。この行政機構は過去の事例から見てもおそらく有能に作動しているが、その有能さを理解し、是認し、さらにそこに、東京都という地域らしさがどのように反映しているか。その人間的な了解というものがなければ、政治はただの機械になってしまう。そうではないための、ひとつの象徴が都知事というものだろう。であれば、都知事にはかなり巧緻な行政能力と、東京という地域らしさの気風の二つが求められる。
 私は石原前都知事を支持したことはなかったと言ったし、実際、都民として彼に投票したことは一度もない。彼はキャリアのある国政の政治家ではあったが、彼自身が有能な行政能力を持っているかについて私は納得できなかった。が、その部分は彼のスタッフに補われていたようだし、東京という地域らしさの気風こそは彼はよく体現していた。多数の都民が彼を支持していることは理解できたし、それに寄り添うという意味でのみ、私は彼の都政は支持していた。

cover
母に襁褓をあてるとき
介護・闘いの日々
 その点から今回の都知事選の候補者を眺めると、細川氏か舛添氏ということになるだろうと私は思う。そして細川氏は高齢過ぎるので、舛添氏が残る。舛添要一氏については、80年代のマスコミデビューのころから知っていて、当然背後のスキャンダルなども耳にし、率直に言ってあまり好感が持てるタイプの人ではなかった。林真理子の「ワンス・ア・イヤー」(参照)にパジャマを着ている女たらしの学者男が出てくるが、これは舛添氏がモデルなのだろうなと思ったほどだ。が、私は彼への考えかたを変えた。1998年に出た「母に襁褓をあてるとき」(参照)を読んで、いろいろ感得するところがあったからだ。私は彼のような母への思慕感というのはないのだが、実生活で苦労を重ね、自分の過去に悔いて、若くて気立てのよい嫁をもらっているあたりがよいと思った。この嫁さんはよい人だなとも思った。私はよい嫁をもっている政治家を好む傾向がある、ブッシュ親子大統領とか。
 舛添氏の政治家としての能力は国際的な水準で遜色がないとも思う。が、では、強く舛添氏を支持しているかというと、そうでもない。先にも述べたが、「東京都という地域らしさ」をこの人に感じることはほとんどない。都知事から東京弁が聞こえないとすれば、さみしく思うし、案外都民の大半がそう感じているだろう。
 ネットを眺めると、宇都宮氏と田母神氏の支持者が多い。実は、私は知事は舛添さんでよいですよと、ちょっとツイッターで呟いてみた。そのあたりの支持者からどれだけ嫌がらせの反応があるかなと思ったのである。あまりなかった。一つには、私がネットの世界において影響力がないと見なされていることがあるだろう。もう一つは、この二者の支持者はその内部的な対立で消耗戦に入っているように思えたことだ。
 こうした不毛な問題は菅直人元首相が期せずして体現していて面白い。彼のブログの9日の記事から(参照)。

 自民党にとっては細川元総理の出馬が実現することは悪夢だろう。自民党が原発ゼロ候補に乗ることはできないからだ。また舛添氏も出馬に当たって原発政策をはっきりさせることを迫られる。
 宇都宮さんは良質な候補者だが、社共の支持だけでは当選は難しい。
 細川さんが立候補を決めれば原発ゼロを求める都民は、当選可能な細川さん応援に集中すべきだ。細川さんであれば、たとえ舛添さんが出馬しても、十分当選できる可能性があるからだ。

 単純な話、自派に近い陣営が勝てるかどうかだけが彼の関心なのである。そして、おそらくこれがその派の内部的な消耗でもあるのだろう。
 ついでなので、宇都宮健児氏についてだが、私は彼が都知事であってもよいだろうと思う。ああ、美濃部都政再現かとは思うし、その顛末も思う。あの顛末を知っている都民なら彼に投票しないかというと、青島都知事を出した都民である。大丈夫だぁ。志村けんでもよいのである。というか、志村けん氏が都知事でもよいのではないか。青島氏も志村氏も東京人らしい人である。
 田母神俊雄氏については、熱烈な支持者がいて、これが細川・宇都宮と同じような構図で、田母神・舛添という消耗構図にあるようだ。よくわからない。が、ざっと見たところで、田母神氏が当選する見込みはなさそうだ。ドクター・中松氏やマック赤坂氏の部類ではないかと思う(両氏まだ名乗られていないご様子だが)。
 現実的には、細川氏か舛添氏のどっちかが都知事になるだろう。私としては、細川氏のようなご高齢が政治家をされること自体反対だが、都民が選ぶなら、それでもよいだろう。
 東京都知事選の公示日は23日なので、あと10日間は新しい顔が出てくる可能性がある。過去の経緯を見ると、ぎりぎりに出て来た人が都知事になるという事例も目立つ。宇都宮・細川、舛添・田母神という消耗プロセスが充分に進むと誰か出てくるのだろう。
 誰に出てほしいかという人が思い当たらない。東国原英夫さん、あたりだろうか。それでもよいだろうなと思う。大前研一さんはどうかと思い出し年齢を見ると、71歳。2月に72歳。微妙なお年だ。もっとも彼が出てくることはないだろう(参照)。
 
 

| | コメント (10) | トラックバック (0)

« 2014年1月5日 - 2014年1月11日 | トップページ | 2014年1月26日 - 2014年2月1日 »