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2014.07.19

米国への子供の単身不法入国問題

 18日付けのニューヨークタイムズ「移民について中央アメリカ指導者がオバマに会見する」(参照)を読みながらしばし物思いにふけった。
 表題の印象だと中央アメリカの要人が米国に表敬訪問でもしたかのような印象がないわけではないが、冒頭読むとわかるように、実際には、オバマ米大統領が呼びつけたと言っていい。問題は、中央アメリカの国から米国への子供の単身の越境・不法移民が急増している問題について、送り出し側の国を、援助を含めてではあるが問いただすといった会合になる。
 この問題はあまり日本では見かけないないなとなんとなく思っていたが、少し調べるとそうでもなかった。最新記事では今日付けの共同報があった。「中米首脳と会談へ 子供移民でオバマ氏」(参照)より。


2014.7.19 11:17
 米政府は18日、保護者に付き添われずに中米から不法入国する子供が急増している問題を話し合うため、オバマ大統領が中米3カ国の首脳と25日にホワイトハウスで会談すると発表した。
 会談する中米首脳は、グアテマラのペレスモリナ、ホンジュラスのエルナンデス、エルサルバドルのサンチェスセレンの各大統領。米国は不法移民の出国の取り締まり強化を含め、協調して対応していく方針を確認したい考え。
 3カ国を中心に子供だけで米国に不法入国した数は昨年10月から今年6月までで、前年同期比のほぼ倍の約5万2千人。ただロイター通信によると、7月に入ってからは1週間当たりの数は千人を割り、6月に比べて半減したという。(共同)

 会合については簡素にまとまっている。中央アメリカの国と指導者は「グアテマラのペレスモリナ、ホンジュラスのエルナンデス、エルサルバドルのサンチェスセレン」である。
 また、この三国からの子供の不法入国の急増は「昨年10月から今年6月までで、前年同期比のほぼ倍の約5万2千人」だが、この問題が注視されてからは激減している。冒頭のニューヨークタイムズの記事では、「6月半ばの1日あたり283人から、今週初の1日あたり約120人まで減少」している。
 VOXにグラフで示したものがあったが、急増の様子がわかるだろう(参照)。

 ニューヨークタイムズ記事にはこの件で、オバマ大統領支持の民主党側から子供権利への配慮が問われていることへの言及が少しあるが、共和党との間で意見の相違がある。この点については9日の日経「米大統領、子供の不法入国急増対策で予算3800億円要求」(参照)にも言及があった。


 共和党は、オバマ政権による若年層を中心とする移民規制の緩和がこうした事態を招いたと非難している。テキサス州の国境地域に州兵を派遣すべきだと主張しており、予算が政権の要求通り成立するかは不透明だ。一方で子供の強制送還に反対するリベラル派からの風当たりも強まりそうだ。

 参考資料をまとめるのがたるくなったのでごく簡単に私の観点からまとめる。
 この問題の一番の要因は、送り出しの三国の人権状況が極悪な状況になっていることだ。殺人や暴力がはんぱない。子供の人生を考えたらこれらの国を逃げ出す以外ないほどひどい。
 もう一点の要因は、子供が単身でこれだけの長距離を移動できるわけがないことからも明らかなように、ブローカーが存在する。そしてこれらの組織が麻薬密輸入にも関連しているらしい。当然だが、それに誰が支払いしているかというと、先に不法移民した親である。国の親族に残した子供を呼び寄せているわけである。
 今回のオバマ大統領の対応はその最大要因に関わるわけだが、単純な話、子供の不法移民を減らすなら共和党の言うように警備を厳粛にすればよいとは言えるだろう。
 また、この問題は確かに最近になって問題化した面はあるにせよ、オバマ政権がレイムダック化していくなかで、お得意の人権問題で盛り立てて、最後のあがきをしたいという色合いもある。実際オバマ大統領は、特別チームの作成などはしているが、自身が現場の状況を視察するなどの行動は取っていない。共和党としても、そうした点を見透かしていて、この問題は比較的まったり見ている。議会が率先して動ける気配はない。今回の会談もオバマ政権の行政側の演出ぽくも見える。
 しかし、問題の根幹は民主党からも出ているようにまさに子供の人権問題でもあることだ。
 移民全体の記事ではあるがIPS記事「墓標のない墓:米国国境を越えた不法移民をとりまく苛酷な状況」(参照)には過酷な状況の描写がある。
 さて、ブログ的な締めとしては、日本の移民受け容れの状況についても言及するというのもあるが、日本はこの点で国際的に特異な国すぎて話にならない。
 個人的には、10歳くらいの子供が命をかけて米国に渡るとき、そこに生きる希望をたくさん抱えているのだろうなと想像するし、米国民もなんとかそれに応えようとしているようすも思う。泣けるものがある。可視にされた戦場で殺害されていく子供も悲惨だが、希望を抱えながら見えない砂漠で一人死んでいく子供の累積も悲惨である。
 
 

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2014.07.17

スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた

 スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた。ZDFのニュースで見かけた話題である。これは、日本にとっても大きな意味をもつなあという印象を持った。だが同時に、日本国内では、案外話題になっていないかもしれないと思い、ざっと調べたら、NHKとAFPが扱っていた。
 NHK「蘭裁判所 ボスニア虐殺の責任認める」(参照)から引用しておく。


 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦中の1995年に、8000人以上の住民が殺害された大量虐殺を巡り、オランダの裁判所は「当時国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍が一部の住民を保護していれば生き残ったと考えられる」として、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。
 これは、内戦が続いていた1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで、イスラム系の住民ら8000人以上がセルビア人勢力に虐殺されたことについて遺族らがオランダ政府を相手取って、国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍の責任を認めるよう訴えを起こしていたものです。
 オランダのハーグにある地方裁判所は16日、虐殺された8000人以上のうち300人が現地のオランダ軍の施設を出たあとに虐殺されているとしたうえで、「オランダ軍がこれらの住民を保護していれば生き残ったと考えられる」と指摘し、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。
 一方、300人以外の犠牲者については、「援軍がなかったことを考慮すれば責任があるとまではいえない」として訴えを退けました。

 複雑な事態でもあるのでNHKとしても簡素にまとめるが難しかっただろうとは同情する。
 加えて背景となる「スレブレニツァ虐殺」の知識が必要になる。
 このあたりの説明はどうなっているかネットを見るとウィキペディアが意外に充実していた(参照)。英語版の記事がもともと充実しているせいもあるが。
 また知恵蔵の解説も簡素にまとまっていた(参照)。簡素なので、こちらの一部を概要説明の代わりに借りる。

ボスニア東部の町スレブレニツァで、1995年7月にムスリムの男子住民約8000人が殺害・行方不明となった事件。当時、ムスリム住民が多数を占めるこの町はセルビア人勢力支配下の飛び地になっていたため、国連保護軍の安全地域に指定され、オランダ部隊が駐屯していた。しかし、ムラジッチ司令官率いるセルビア人勢力の侵攻にあい、この事件が生じた。真相究明は困難をきわめているが、旧ユーゴ国際戦犯法廷の努力が実を結び、事実が解明されつつある。

 基礎的な点については以上として、今回のハーグ民事裁判所の判決が注目されるのは、ざっと2点あるだろう。
 1点目は、スレブレニツァ虐殺の裁判としての意味合いである。この点については、先日11日の追悼式についてのNHKニュース「ボスニア内戦末期に虐殺の犠牲者追悼」(参照)が簡素にこう言及していた。

ボスニアでは内戦終結後も民族ごとに学校が分かれているなど、民族間の溝は埋まっていないほか、虐殺の責任を問う裁判も進んでおらず、内戦の傷痕をどのように乗り越えるかが大きな課題となっています。

 今回の判決は「虐殺の責任を問う裁判も進んでおらず」に部分的に対応している。
 2点目はこの裁判の意味合いで、ここが難しい。問題意識としては、「なぜ平和維持部隊として駐留していたオランダ軍に虐殺の責任が今回問われるのか」という点である。
 この視点からNHK報道見ると、ぼんやりしか書かれていないことに気がつく。このニュースからすると、オランダ軍の責任は「300人が現地のオランダ軍の施設を出たあとに虐殺」「オランダ軍がこれらの住民を保護していれば生き残った」というふたつの点が浮き上がり、受動的かつ未必の故意のように読める。
 この点に注目して、もう一つの日本語報道AFP「スレブレニツァの犠牲者300人は「国の責任」、オランダ裁判所」(参照)を注視するとこうある。

 スレブレニツァ近郊ポトチャリ(Potocari)の国連施設には、周辺に住む何千人ものイスラム教徒たちが避難していたが、セルビア人勢力はこの「避難所」を守る軽装備のオランダ部隊を無視し、男性らを施設から追放。その後の数日間で、イスラム教との男性や少年8000人近くが殺害された。
 オランダの裁判所は今回の判決で、この時オランダ部隊が男性らの追放を防いでいれば、これら男性は虐殺をまぬがれただろうと指摘。追放された男性たちの死の責任は、オランダ国家にあるとの判断を下した。
 一方の遺族らの中からは、この判決でオランダ政府に責任があるのは国連施設から追い出された人たちの虐殺のみとされ、その他の人々については責任認定がされなかったことに反発する声も上がっている。

 やはりぼんやりとしている。
 常識的にも疑問が浮かぶだろう。「軽装備のオランダ部隊を無視し、男性らを施設から追放」の状況がわからない。ここに責務の基本があるのにもかかわらずである。
 別の言い方をすれば、「この時オランダ部隊が男性らの追放を防いでいれば、これら男性は虐殺をまぬがれただろう」とするだけの能力を軽装備のオランダ部隊がもっていたのか、ということでもある。
 この報道に私が関心をもったのも、この点である。
 NHKやAFPはこのニュースを取り上げただけましの部類とも言えるのだが、このあたりの言及が曇ったようになっているのはなぜなのだろうかと疑問に思った。
 この虐殺事件についてはなかなか真相がわからないが、昨年の追悼についてイラン放送が日本語でまとめた「スレブレニツァの虐殺から18年」(参照)は参考になる。

 スレブレニツァは国連により、「安全地帯」と宣言され、そこには600人のオランダ軍が国連平和維持活動隊として駐留し、治安維持に当たっていました。スレブレニツァの住民の数は、当時1万2千人でした。しかし、この町には国連の安全地帯宣言により、ボスニアの他の地域からの難民が避難してきたため、人口は4万人に達していました。イスラム教徒の難民は国連平和軍がセルビア人の攻撃から彼らを守ってくれるものと考えていました。しかし彼らの期待とは逆に、オランダ軍はセルビア人の攻撃に抵抗しなかったばかりか、多くのイスラム教徒を拘束し、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡したのです。セルビア人勢力はスレブレニツァを完全に占領した後、12歳から72歳までの8400人のイスラム教徒を分け、48時間のうちに殺害して集団埋葬しました。この集団で埋葬された遺体の捜索と調査は、現在も継続されています。

 オランダ部隊の数が600人だったかについては異論もあるだろうが、この説明で重要なのは、「オランダ軍はセルビア人の攻撃に抵抗しなかったばかりか、多くのイスラム教徒を拘束し、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡した」という点である。
 イランの報道は当然ながら虐殺されたイスラム教徒の側の視点からなされているということを念頭に置いて、この先も引用したい。

 ボスニアの戦争が終結した後、オランダやフランスではスレブレニツァの虐殺を防がず、その役割を果たしたとして西側諸国の政府に対し、多くの抗議が起こりました。この虐殺に関する調査委員会も結成され、この調査委員会は最終報告で、西側諸国の政府と国連がこの虐殺を阻止するための措置を全く講じなかったことを認めています。オランダ内閣は、この報告の発表を受けて総辞職しました。当時のアナン国連事務総長はこれに関する国連の怠慢を認め、遺憾の意を表明しました。この虐殺にかかわった司令官たちは現在、オランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で訴追されていますが、いまだ彼らの刑は確定していません。しかし、ボスニアのイスラム教徒の正当性は国際社会にとって明らかとなり、最終的に、ボスニアのイスラム教徒をバルカン半島から抹殺しようとした人々は、その目的を達成できなかったのです。
 スレブレニツァの虐殺により、人権擁護を主張するヨーロッパの経歴に汚点が残ることになりました。こうした中で、イスラム教徒の忍耐強い抵抗は、彼らを抹殺しようとするセルビア人勢力や、それを支援する西側諸国の敗北を示したのです。

 虐殺者への糾弾から記述が混乱しているが、二者はわけたほうがよい。一つは虐殺に関わった司令官の罪状、もう一つはここまで述べてきたきたオランダ軍と国連の罪状である。ここで注目しているのは、この後者である。
 国連側オランダ軍は実際にはどうしたか。
 ZDFの報道などの印象では、上述の昨年のイラン報道のように、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡したようだ。
 つまり、今回の裁判ではそこが裁かれ、その限定で300人分の虐殺の責任がオランダ軍、つまり、オランダ政府にあるということになったと見てよい。
 報道からはわかりづらいが、今回の裁判はこの虐殺についての裁判の嚆矢であって全貌ではなく、ZDFなどでは原告はさらに追求していくことを報道していた。加えて、今回の裁判が上級審でどうなるかも現状では未定である。
 以上、多少不確かな情報で書いている部分があるが、国連軍としてオランダ軍の虐殺責任についてはとりあえず描かれたとして、当然、では国連はどうなのか? 国連の責任はどうなのかという問題が残る。
 もともと、オランダ軍地域を保護地域として指定したのは国連であって、その指令の責任は当然問われなければならない。ごく、簡単にいえば、国連の戦争犯罪をどう裁いていくかという問題である。
 ここにもう一つ厄介な問題が介在すると同時に、この問題が実は日本にとって他人事、他国のことではない意味合いが存在する。また、戦争犯罪というものについて、当事者になった国連はどのような模範を示すのかということでもある。
 この点についてごく簡単な関連を述べると、この平和活動としてのオランダ軍がなぜこの地域に配備されたかということがある。
 オランダとしては、当時進行する戦争犯罪を見逃さず、国際平和維持のために国際紛争に積極的に関わりたいという思いがあったが、反面、状況を見極めていない手薄な軍事力の行使だった。矛盾した面があったのである。
 この矛盾はオランダばかりを責めるわけにもいかない。実際のところ、米国を筆頭に国連他国はこの問題に関わることを避けていて、全体構図からすれば、それが大量虐殺を招いたとも言える。
 こうした問題から、現在の日本がどのように学ぶことができるだろうか?
 本来なら、「積極的平和主義」に変わる日本は、この点から議論されなければならないはずである。
 そして、こんな辺境なブログが取り上げる話題でもないだろう。
 日本でも、報道機関や識者がきちんとこうした問題を具体的に取り上げるようになったら、「積極的平和主義」について議論が始まるのではないだろうか。
 
 

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2014.07.16

ハマス・イスラエル停戦白紙の意味はなんだろうか?

 ハマスとイスラエルの交戦についてエジプトからの停戦案が白紙になった。そのこと自体は、あとでエジプトの関連ついて触れたいと思うが、意外ではない。ただ、この間の経緯を見ていると、意外に思うことがあった。私は、今回のハマスの行動をそれなりに計画されたもので、かつ合理的に実施されていると見ていたが、意外に無謀でかつ混乱した事態に陥ったのではないかと、疑問が沸いてきたからである。
 各種報道を比較すると混乱した部分はある。まず時事「「停戦」6時間で白紙=イスラエルとパレスチナ」(参照)で拾っておく。


 エジプト政府が14日、発表した停戦案では、第1段階として、イスラエルとパレスチナの双方に無条件の攻撃停止を求めた。その後、エジプト政府がカイロに双方の代表団を呼び、停戦の本合意に向けて個別に協議するはずだった。治安が安定した場合「ガザとの境界検問所を開放する」ことも提案していた。
 ハマスの政治局幹部はフェイスブックを通じ、停戦案について「まだ協議中だ」と述べていたが、イスラエル政府が受諾した後も、イスラエル領内に多数のロケットが撃ち込まれた。これより先、ハマスの軍事部門カッサム隊は声明で「停戦案の内容が本当なら、それは降伏であり、完全に拒否する」と宣言していた。
 こうした情勢を踏まえイスラエルのネタニヤフ首相は15日、「ハマスが拒否すれば、イスラエルは作戦を拡大する国際的な正当性を得ることになる」と警告。15日午前9時(日本時間同午後3時)の「停戦案の発効」からわずか6時間後の午後3時(同9時)ごろ、首相は軍に対しガザへの攻撃再開を指示した。

 記者も書くのが難しかったのではないかと思うが、今回の停戦案をハマスがどう受け取っていたが読み取りづらい。一方では「ハマスの政治局幹部はフェイスブックを通じ、停戦案について「まだ協議中だ」と述べていた」が、他方では「停戦案の内容が本当なら、それは降伏であり、完全に拒否する」とのことだ。
 状況を見るかぎり、エジプト停戦案に従って空爆を停止したのはイスラエルだが、この間、ハマス側からのロケット弾攻撃には変化なく、イスラエルとしても空爆停止を6時間で打ち切ったので、停戦白紙となった、ということで、ハマス側が停戦案を受け止めていたかがまず疑問である。
 時事報道では「治安が安定した場合「ガザとの境界検問所を開放する」」とあるが、BBC報道(参照)では、停戦案にこれが含まれていなかったからという声を伝えている。時事の誤報というより、ハマス側の認識の問題ではないかと思われる。
 朝日新聞報道ではこの認識問題を疑わせるように、ハマス側の分裂を示唆している。「エジプトのガザ停戦案は白紙に 双方が戦闘開始」(参照)より。

 停戦案は①イスラエルの空爆とハマスなどによるイスラエルへのロケット弾攻撃の停止②一定の条件を満たした人と物資にエジプトとガザ境界検問所の通行を許可③双方の代表が48時間以内にカイロで協議を開始――などの内容。ハマスが求める封鎖の全面解除などの条件からはほど遠い。ハマス政治部門幹部は15日午後、提案を精査すると表明したが、軍事部門は内容自体が受け入れられないとして戦闘の継続を表明。意見が割れている模様だ。

 混乱した状況だが、明確に見える部分はある。停戦の重要要件が、エジプトと「ガザとの境界検問所を開放」にあることだ。
 この点については、東京新聞によるハマスへの取材も参考になる。「「検問所の封鎖解除を」 ハマス幹部が停戦条件」(参照)より。

 【カイロ=中村禎一郎】パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの幹部アハマド・ヨセフ氏が本紙の電話取材に応じた。空爆を続けるイスラエルとの停戦条件として、ガザにつながるエジプト、イスラエル双方の検問所の封鎖解除と、イスラエルが拘束中のパレスチナ人政治犯の釈放を挙げた。
 ヨセフ氏は停戦の仲介をめぐり「国際社会はイスラエルが軍事行動を完了するまで真剣に動くつもりがない」と不満を示した。さらにエジプトには「停戦仲介への発言がほとんどなく、戦いが続くのを望んでいるようにみえる」と述べた。
 検問所封鎖でガザの生活は悪化の一途をたどっており、ハマスが仮にロケット弾攻撃をやめても「ガザにはゆっくりとした死が訪れるだけだ」と説明。封鎖継続なら「われわれは誇り高く戦った末の死を選ぶ。

 以上のような状況から、冒頭「意外に思うこと」について触れると、ハマスはなんらかの合理性に基づいて今回の攻撃を行っているのではなく、太平洋戦争末期時の日本のように断末魔的な不合理な混乱に陥ってしまったのではないか、という疑念だ。
 このエジプト・ガザ検問所の封鎖についてだが、日本ではあまり情報がないように思っていたが、毎日新聞記事で日本語で読める言及があったので引用したい。「ガザ:検問所付近にロケット弾 イスラエル側に初の死者」(参照)より。

 エジプトでは昨年夏の政変を経て、軍事政権が誕生。イスラエルの封鎖政策を受けるガザが唯一の生命線としてきたエジプト側への密輸トンネルを破壊した。今回の停戦交渉でもエジプトはイスラエル側にのみ事前に詳細を伝えていたとされ、ハマスは不信感を強めている。
 一方、地元メディアによると、ハマスの指導者メシャル氏は15日、カタールの高官と停戦について協議した。カタールはハマスの出身母体ムスリム同胞団を支援してきた。ハマスはカタールとの連携をちらつかせてエジプトをけん制する一方、イスラエルへの攻撃を継続することでより大きな譲歩を引き出そうとしている可能性がある。

 簡素にまとまっているが、まず、今回の停戦案が、そもそも密輸トンネルを潰したエジプトのシシ・クーデター軍政権側から出たことにハマスは受け容れがたいものを感じている点が重要である。
 なぜこの密輸トンネルが重要かというと、そこから武器も入るが生活物資も入るからというふうにも思えるが、実態はもう少し複雑である。ニューズウィーク「Is This the Last Stand for Hamas?」(参照)より。

The Egyptian army have also systematically destroyed the illicit tunnel network that is Gaza’s supply lifeline, where goods from flour to Mercedes Benz cars and arms of all kinds were smuggled in.
エジプト軍はまた、体系的に、ガザの供給ライフラインである不法トンネルネットワークを破壊した(これを通して、小麦粉からメルセデスベンツ車、武器などあらゆる種類の商品が密輸入されていた)。

Consequently, Hamas has lost much of its prestige inside Gaza.
結果、ハマスはガザでの信頼の多くを失った。


 なぜ「メルセデスベンツ車」なのかは読み取りづらいが、ここから見えるものは、ハマスが住民に対して経済的な優位を保証していた輸入トンネルを失ったため、ガザの民心が離れてきていた状況がある。
 実はファタハとの合同も、ファタハ側だけではなくハマス側の窮乏も背景にある。ちょっと勇み足でいうと、ハマスとしても住民に対して脅威を演出する必要性が高まっていた面があるだろう。
 もう一点、毎日新聞記事の言及で重要なわりに読みづらいのは、ハマスとカタールの関係である。
 これにはもう一つ背景があって、2012年にシリアがダマスのハマス事務所を閉鎖したことでも知られるようにハマスとシリアの関係が悪化し、ハマスが支援をシリアからカタールに移した。これ沿って、カタールの政治力が増し、ファタハとの協調が打ち出された。これを伝える2012年のAFP記事「カタールの首長がガザ地区訪問、ハマスとファタハに和解呼び掛け」(参照)は興味深い。

 一方、アッバス議長は21日、カタールのガザへの資金拠出を歓迎しつつも、「パレスチナ地区の統一を維持することが大事だ」とする声明を発表していた。パレスチナ自治政府は、ガザ地区のハマス政権を承認するいかなる外交的な動きも、ファタハとハマスの亀裂を拡げるだけだとして反対しており、アッバス議長の声明はハマド首長のガザ地区訪問を遠回しに批判したものとみられている。

 ここでカタールとガザとの関係でファタハの関係が微妙にこじれていく芽があった。ここから、先のニューズウィーク記事にもあるが、現状、カタールからガザへの送金をファタハが拒んでいる。
 さらに同記事ではファタハのアッバス議長とイスラエルの事実上の協調が指摘されている。このあたりの情報は裏が取れないのだが、全体的な事象の構図から見るとかなり妥当性はある。

Meanwhile, in the aftermath of the kidnapping and killing of three Israeli teens, the IDF went after the Hamas infrastructure in the West Bank, at times with the tacit assistance of Abbas’s forces.

この間、3人のイスラエル少年の誘拐と殺害の余波から、イスラエル軍はヨルダン川西岸地区のハマスの生活基盤を追い詰めたが、この際アッバスの力の暗黙の支援によっていた。


 ファタハ側の思惑と、カタールの思惑、さらにその背後にある、米国とサウジアラビア、シリア、イラクの思惑が複雑に関連しているが、こうした流れで見ていくと、ハマスが相当に追い詰められ窮鼠猫を噛む行動に出て、現状アノミーに至っているようにも思える。
 こうした読みはどちらかという反ハマス側の情報に基づくので公平さには欠くが、特に停戦案の見通しが立ちえない現状、ガザでの玉砕的なアノミーを防止する目的でイスラエル地上軍が介入するというシナリオもありうるのではないかとすら思えてくる。
 
 

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2014.07.15

「3Dプリンターわいせつデータをメール頒布」逮捕、雑感

 昨日に続いて、もにょーんとした話題。これも皆目わからない話題だなあと思うが、書いてみるかな。ちなみに、昨日この修辞を使ったら、「皆目わからない」のは、ご年配だからじゃないだろうか」と言われてしまったよ。まったくね、年じゃでな、っていう話は、たぶん今日公開するcakesの開高健についての記事のほうで書いたんで、じゃ、こっちはこっちで。
 話題はあれです。僕の世代でいうと「マンP」です。この表現、我ながら「ご年配」だなあと思います。知ってる、歌? まあ、なんと呼ぶかだよなあ、まあ、凡庸に、女性器っていうことで、以下。
 まず、ニュースを拾っておこうと、それにはNHKが無難だなと思ったけど、NHKで見つからなかった。なかったっけかな。
 代わりに比較的早い時期と思われるニュースとして毎日新聞「3Dプリンター:わいせつデータをメール頒布 警視庁逮捕」(参照)を拾っておく。


毎日新聞 2014年07月14日 11時37分(最終更新 07月14日 12時13分)
 3D(三次元)プリンターを使い、女性器を造形するためのデータを頒布したとして、警視庁保安課は14日、自称芸術家、五十嵐恵容疑者(42)=東京都世田谷区野毛2=をわいせつ電磁的記録頒布容疑で逮捕したと発表した。「わいせつ物とは思わない」と容疑を否認しているが、同課は全国の30人以上にデータを送ったとみている。五十嵐容疑者は「ろくでなし子」の名前で、女性器をテーマにした創作活動で有名。
 逮捕容疑は今年3月20日、香川県の会社員男性(30)ら不特定多数に、3Dプリンターで出力すると、女性器の造形物ができるデータをメールで送信したとしている。
 同課によると、五十嵐容疑者は女性器をかたどった小型ボートを制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人にデータを配ったとみられる。【林奈緒美】

 最初このニュースに触れたとき、その記事で言うところの「自称芸術家」さん、知らないなあと思って、ちょっと活動を見た。面白そうには思えた。
 面白そう、というのは、「[書評]絶頂美術館(西岡文彦): 極東ブログ」(参照)で言及したクールベ (Gustave Courbet)の「世界の起源(Origine du monde)」(参照)の前で、5月29日にご開帳した女性芸術家デボラ・デ・ロベルティズ(Deborah De Robertis)の芸術活動が国際的に評価されていたという話題があったからだ。フィガロは彼女の«Je veux mettre à nu tous les regards»という主張のインタビューも取り上げていた(参照)。
 草間彌生やアラキーもこうしたインパクトのあるパフォーマンスをしていたけど、最近の日本ではそういうの見かけないなあ、日本のアートも元気ないなあと思っていた(あ、そうでもないか)。
 なので、最近の日本でもそうした活動が出て来たかなとちょっと思ったわけである。
 ちなみにデボラ・デ・ロベルティズの今回のはこんな感じ。

 こうしたアートではすでにスイス人の女性芸術家ミロ・モア(Milo Moiré)が有名である。ミロ・モアは出産パフォーマンスみたいなのもやっていてけっこう強烈。彼女はドイツ語圏らしく、シュピーゲルなんかでも取り上げていた(参照)。
 アートのコンセプトとしては「The Script System」(参照)ということで、たしかになあというインパクトはある。

These everyday blindness I wanted to break through my performance. The Invisible (Invisible or become) make visible distribute such disorders as spores for a liberating thought.

こうした日々の盲目性を私はパフォーマンスによって壊したいのです。不可視性(あるいは不可視になったもの)を可視にする不調和が、思考の自由のための胞子となるのです。

 ここまでくると、艾未未みたいにアートだなあという感じ。艾未未についてはスティルでこんな感じ。

 さて今回の話題だが、日本のネット的にはこんなふうに展開していた。「電磁的記録頒布 : 女性器はわいせつ物か……ろくでなし子の逮捕に賛否」(参照)より。


 自身の女性器を型どりデコレーションしたアート作品「デコまん」で知られる同容疑者。タブーを取り扱うその作品には常に賛否がつきまとうが、同容疑者の活動に賛同する著作家でアダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」の運営責任者である北原みのりさんは、今回の逮捕について「3Dプリンターで外性器をスキャンしてデータ化したことが、まるで銃をつくったかのような騒ぎです。猥褻か猥褻でないかの、終わらなき不毛な闘い、始まってしまった」と訴えた。
 また、同容疑者の逮捕を不当だとする支援者の間ではすでに即時釈放を求める署名運動も開始されている。署名サイト「change.org」で開始された署名運動の発信者は、五十嵐恵容疑者の作品について「ろくでなし子さんは性的タブーに挑むという趣旨でご活動なさっていますので、彼女の作品は性的搾取や嫌がらせを目的とした『わいせつ物』とは異なります」と違法性はないと訴えている。

 まあ、いいんだけど。ああ、日本的だなあと思った。
 ブログなんで自分の雑感を簡単に書きますね。
 まずこれ、報道から逮捕理由を見てもわかるけど、「わいせつ電磁的記録頒布容疑」なんですよね。
 ネット的に「わいせつ」に反応しちゃうのもわかるのだけど、ポイントは「電磁的記録頒布容疑」のほうで、「頒布」という日本語がわかりにくい若年の人もいるかもしれないけど「売っちゃった」ということです。
 なので、まず問われるのは「売っちゃった」?という点。
 先の毎日新聞の報道だとそのあたりがちょっとわかりづらいけど、「容疑者は女性器をかたどった小型ボートを制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人にデータを配ったとみられる」というのが、「売っちゃった」というスキームだったか、ということ。


追記:刑法175条「わいせつ物頒布等の罪」の「頒布」では、有償・無償を問わないので、ここは間違いでした。

 その上で、次に、それって「わいせつ」という表現行為の問題になるわけです。
 で、この法律が「電磁的記録」ということは、別段「3D(三次元)プリンター」を特定していないわけで、話をわかりやすくすると、同じことを「2D(二次元)プリンター」でやったら、どうなの?ということ。
 つまり、「ファンド・レイジングです、ご賛同いただける方には、私の女性器の写真を送ります」というのを、どう捉えるかということ。
 私の印象だと、それはダメなんじゃね、ということ。
 ただ、そこで逮捕かよ、というのは、こうした問題(3Dわいせつ造形の頒布)を見越した警察の脅しなんだろうなとは思うんで、やりすぎだよ、とは思う。
 で、その上でさらに日本的だなあと思うのは、「わいせつ」と言われてもいいじゃんと思う。
 デボラ・デ・ロベルティズもミロ・モアもそこを問いかけている。だからその行為が芸術なんで、そこにインパクトがなければ芸術じゃない。艾未未も中国政府を怒らせてこそ芸術なわけです。
 当局を擁護する気はさらさらないけど、それまで五十嵐さんのやってきた活動について当局が黙認していたのは、いわゆる体制的な芸術の範疇におさまっていて、怒っていなかった。
 あと、俺、ご年配だから知っているけど、日本でもむかーしストリーキングというのがあって、というか今でもあるけど(参照)、けっこうお手軽。脱いだらアートになるってもんじゃないということで、つまり、そこでアート・センスが問われる。
 パフォーマンスから上手に衝撃をうまく出せて、当局や常識的な市民を一部、かんかんに怒らせて、一部、それによって得られる思考・感覚の自由や新しい獲得に対して喝采があってこそアートなわけですよ。
 私?
 デボラ・デ・ロベルティズもミロ・モアにも喝采。

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2014.07.14

ベネッセ情報流出事件、雑感

 率直に言って、私にはベネッセ情報流出事件が皆目わからない。そんな人間が何か雑感を書いてもなんの意味もないようだが、逆に考えて、こんなふうに考えているという一例があってもよいのではないかと、書いてみる。結論から言うと、以下、大したことは書いてない。


なんでこれが事件なの?
 まず、なんでこれが事件なのか?が、よくわからない。
 いや、(1)個人情報が最大で2070万件という大規模な流出だったし、(2)その情報が「進研ゼミ」を使うベネッセで子供や保護者の氏名や住所や電話番号や性別や生年月日ということで、少子化時代のカネ儲けには重要な情報だった(数千万円の価値がある)、という二点は、わかる。
 つまり、「すげーなあ。そんな大量な情報が、ほいっと盗めちゃうんだ」という感想はもつ。厳密には「盗み」と言えるかまだ未定である。「流出」はしたわけだが。
 もう一つ加えると、(3)優良企業がこれかよ、つまり優良企業なイメージがあるベネッセであることと、その流出情報をほいほいと購入しちゃったのが優良企業的なイメージのあるジャストシステムだったこと。買うに当たって悪意はなかったんだよで済むのかというと法的には済むだろうけど、「おまえら、常識、どうなの?」感がある。


で? と立ち止まる
 で?
 と、ここで止まる。(1)自分がこの事件にどう関わっているかわからない(被害者ならプンスカしたいかもしれない)、(2)なんの犯罪なのかよくわからない、(3)どうしたらよいのかもわからない。
 わからーん。
 冷静に考えると、(1)おそらく私の情報は流出して私は迷惑を被っているはずだが鈍感なんでさほど気にしていない、(2)不正競争防止法が関係するだろう(東芝のデータを韓国企業に流出させた元東芝技術者も同法違反容疑で逮捕されたし)、(3)現行法と業界ルールが現状適正ではないんで、今後なんとか規制しないといけないなあ、ということである。
 まあ、雑感、以上であります、ということなのだが、極めて残尿感の強い一件である。


もにょんとした感じはどこから?
 うーむ。
 残尿感に絞ってみると(絞るか?)、これ、今回は件数が異常に多いように見えるけど、その点を除けば、常態。なんというか、現状、そこにルールはないよ的な無法な世界である。そういう無法な世界をそれなりに、しゃーないよなと私たちは見ていた。
 それが今回の件で、もうそうもいかないなよあ、このあたりで、しゃんとせい、という感じなんだろう。だからいかにも、残尿感なわけです。
 むしろ今回、ベネッセとジャストシステムがやらかしてくれたおかげで、こうしたろくでもない実態がどっかーんと可視になったというのはある。ありがとうと言いたいかというと、ないけど。
 無法な世界といえば、現在この件で、ベネッセの外部業者の派遣社員を警視庁が任意での事情聴取しているのだが(参照)、そのあたりも、わからないではないけど、ちょっともにょ~んとするところ。


企業がなんか麻痺している
 率直に言ってこの顧客情報っていうのはベネッセの死活決める情報だと思うのだが、それをほいとアウトソースしちゃうものかというあたりに、そもそもこの業態の経営わかってんの?という上から目線がぴかーんなわけです。形の上ではベネッセが被害者という構図ではあるんだけどね。
 さらにぴかぴかーんとすると、「派遣使っている外部業者使うなよ」とかちょっと言いたくなって、「まてよ、それを言ったら派遣差別かな」と目をきょろきょろさせてみたくなる。派遣だからコンプライアンスが守れないわけはないよな。
 とはいえ、コンプライアンスに見合うだけの重要な業態として派遣が雇われているという実態はないんじゃないかと思う。たぶん。社員が悪いことに手を染めたくなるインセンティブを削ぐくらいなことは、経営はすべき。
 このあたり、業界的にどう規制するか、あるいは経産省かな、お上がどういう基準を持つべきかは、よくわからない。
 現実問題としては、こうした個人情報を売買していた市場が存在していたし、そこでほいっと桃太郎トマトを買うみたいにジャストシステムが買うのに疑念もなかったというのも、まあ、そんなものだろう感がひしひしとある。やばくね?とか思わなかったんだろう。なんかが、麻痺してんだよなという感じはする。


私たちもなんか麻痺している
 ちなみに何が麻痺しているかという点でいうと、個人情報というものへの感性もあるだろうと思う。
 そのせいで、欧州でこれがどんだけ市民の癇に障っているかという状況はあまり日本では報道されていない(参照)。
 文化が違う?
 いちおう個人情報流用には同意を得る……オプトイン・オプトアウトというのがあって、迷惑メール問題でもいろいろ騒いだ。あれなんだが、あれで解決しましたか? してないよね。
 今回の件も、「こいつが悪だ」みたいのがマスコミ的にツルされて、世間がガス抜きされたら、また、まひまひな状態は続くんじゃないだろうか。
 もちろん、それじゃ日本の産業が成り立たないんで官僚さんはお仕事するだろうが、そのあたりも全体としてみると、麻痺の構図の一環なわけですよね。
 言うまでもないけど、この問題、市民一人一人が自分のプライバシーに自覚をもって対処していくべきな的な結論って、江戸時代に戻ろうみたいなどっかの先生の空論みたいで、あ・り・え・な・い・よ。
 余談だけど、アプリとかサービスを使うときに、「同意しますか」と聞いてくる、あれ、なんとかならんのか。半分同意するから、半分使わせろと思うのだけど。


空しい正論をこいてみると
 空しい正論をいうと、こうした問題に敏感なEFF(電子フロンティア財団)みたいな政治団体があって、プライバシーレポートとか出してくれるといいんじゃないかと思う。こんなの(参照)。
 これって企業にけっこうなプレッシャーになって2013年と2014年ではけっこうな違いが出た。
 日本もEFFみたいな団体があるらしいんだが、よく知らない。余談だけど、EFFとはむかーしちょっと関連があったんだけどね。
 集団訴訟みたいのはどうかなと思うけど、無理かなとも思う(参照)。
 あと、正論じゃなくてちょっとした思いつきなんだけど、市民の一定数が意図的に偽のプライバシー情報を流して、それを使ってたまに名簿業者を締め上げるとかいうのはどうなんでしょうかね。今回のベネッセの件でも癖のある登録からルートが発覚したみたいだし。
 
 

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2014.07.13

[書評]イエス・キリストは実在したのか?(レザー・アスラン)

 2013年に書かれたレザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』(参照)という邦題は、現代ではそれだけで日本人の知的関心を誘うのではないか。帯に「イスラム教徒による実証研究で全米騒然の大ベストセラー」ともある。そのあたりも興味引かれるところだ。

cover
イエス・キリストは
実在したのか?
 私は自著にも書いたが、若いときこの分野の学問を学んでいた。歴史的イエスの研究というテーマである。当時、学問的にはすでに歴史的イエス像というのは否定的に解決されていた。否定的というのは概ね歴史的にイエスは存在すると見てよいが、どのような人物であったかは皆目わからないし、その歴史人物像の研究はさしたる意味がないというものだった。
 新約聖書学に慣れていない人や、キリスト教信仰者の一部にはこうした見解を受け容れがたく思うかもしれない。私はいろいろ学んだせいもあるがごく普通に受け容れて、すでに自著でも触れたが、その先の研究をしたいと思っていた。アラム語による語録復元から何が見えるかという研究である。そこから従来とは異なる歴史イエス像が再現できるかとも期待していたのである。
 あれからもう30年以上も経つ。それでもおりにふれて、最近の新約聖書学の動向や歴史的イエスの新しい研究動向などを読むことにしている。今回、「イエス・キリストは実在したのか?」を読んだのもそうした関心の一環であった。
 読む前には、邦題に引かれて「フラウィウス証言」についてなにか新知見でもあるかなと思ったが、読んでみるとその部分は存外に軽い。事実上この問題に立ち入っていなかった。ついでに関連したウィキペディアを覗いた。案の定日本語の情報は曖昧だったが、英語ではかなり詳細に書かれていた(参照)。
 私が新約聖書学を学んだのはもう随分昔になるから、それなりに手入れはしているものの私の知見は相当に古く、また今回も大幅に入れ替わる部分があるだろう。なんとかしないといけないという期待もあった。が、読後、私の印象は、率直にいうと、新知見と呼べるようなものはあまりなかった。と同時に、自分が学んでいた当時のことなども懐かしく思い出した。些細な理由もある。
 翻訳者の後書きを読むと、この翻訳では教会関係者の目も入っているらしい。が、読み始めてすぐ、もしかすると新約聖書学関連の学者の目は入っていないかもしれないと思うことがあった。非難に受け取らないでほしいのだけど、「本書執筆にあたって」のこの個所を読んだとき、微笑んで、さっと昔のことをいろいろ思い出したのだった。

 ギリシア語で書かれた新約聖書の翻訳のすべては、(友人のリッデルとスコットに少し助けを借りて)筆者自身が行った。

 ちなみに原文はこうなっている。

 All Greek translations of the New Testament are my own (with a little help from my friends Liddell and Scott).

 英語の翻訳としては間違っていないし、意図がわかって原文の軽いトーンをあえてそのまま「友人のリッデルとスコット」としたのかもしれない。
cover
A Lexicon: Abridged from
Liddell and Scott's
Greek-English Lexicon
 この「Liddell and Scott」というのは、有名なギリシア語の辞書の名前で、新約聖書学と限らずギリシア語を学ぶ学生の必携辞書である。まさに"my friends"である。私は赤茶色の装幀のオックスフォード大学の縮約版を「友だち」にしていた。胸キュンとする思い出である。私が校閲だったら「愛用のリッデル&スコット辞書の助けを借りて」と軽くメモしただろう。
 些細な思い出に話を割いてしまったが、著者についても、歴史に詳しく宗教にも詳しいのだろうけど、初期キリスト教テキストの内側の問題には入ってないこともあって、新約聖書学の学者さんではないなという印象はもった。反面、「メシアの秘密」などに顕著だが、ごくオーソドックスな議論を展開しているので、新約聖書学の枠にきれいに収まっている印象もあった。
cover
Zealott: The Life and Times
of Jesus of Nazareth
 内容についてだが、オリジナルタイトル「Zealot: The Life and Times of Jesus of Nazareth(ゼロテ党派者:ナザレのイエスの生涯と時代)」が暗示するように、"Zealot"の語感が強い。英語だと「熱狂者」「政治や宗教に熱中する人」という語感もある。
 この視点がイスラム教徒の学者から出されたことで、「キリスト教起源のイエス・キリストも現代のイスラム教原理主義者と同じような存在だった」というニュアンスが生じる。そのあたりが、英語圏でまず受けた理由ではないかと思う。
 内容についても当時の革新的・闘争的なユダヤ教の一派としてのイエス像を描いている。キリスト教的文脈で読まれる聖書では、イエス・キリスト自身が熱心党(ゼロテ党)に近かったとするのは、こうした説を知らない人には斬新に見えるかもしれないし、私も、ああ、世代が一巡したんだなと思った。
 ゼロテ党革命家としてのイエス・キリスト像としては、日本では1972年に西義之が翻訳した読売新聞社刊カー・マイケル『キリストはなぜ殺されたのか』が話題になったことある。このオリジナルの『Death of Jesus』の刊行は1963年なので、もう半世紀以上も前になる。ちょっと調べたら西義之もカー・マイケルも亡くなっていたので当然といえば当然だが感傷は湧く。
 いずれにせよ、よほどの古典でもないとベストセラーでも半世紀も前の本を覚えている人は少ないのかもしれないし、本書でもカー・マイケルへの言及はなかったように思えた。こちらの書物がよりジャーナリズムに近く学究的な意味はないと見なされたのかもしれない。
 感傷から余談が多くて申し訳ない。本書だが、全体としてイエス・キリストに関連する当時の歴史・文化的な事情はコンサイスにまとまっていてちょっとしたレファレンスに利用できて便利だ。日本語での翻訳はしばしば原注が省略されてしまうことがあるのだが、本書ではこの部分もきちんと翻訳されていてとても好ましい。
 話が前後するようだが、個人的には本書で描かれるゼロテ党の視点よりも、「第Ⅲ部キリストの誕生」が面白かった。イエス死後(復活後)のイエス教団とパウロの関連である。率直な印象をいうとこの部分は未整理だなと思えたが、そこはまだなかなか視座が採りにくいところでもあるのだろう。
 最後に直截にいうと語弊があるので少し口ごもるが、著者レザー・アスランについては、クリストフ・ルクセンブルグ(Christoph Luxenberg)の研究についても今回の"Zealot"のトーンでまとめてくれたらと願わずにはいられない。自分も若くて余裕と元気と勇気があったら、その分野を研究してみたいないとも少し思う。
 
 


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