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2014.07.11

2014年ガザ空爆、雑感

 イスラエルによるガザ空爆が短期間に激しくなり、国際問題化しているので、現時点での雑感を簡単に記しておきたい。
 まず、現在の空爆のきっかけだが、7日夜以降、ハマスが支配するガザ地域から160発のロケット弾がイスラエルの都市に向けて発射され、エルサレムやテルアビブに着弾したことだ。今回ハマスが使用したロケット弾の射程は100キロメートルに及ぶとみられ、この範囲にイスラエル人口の6割が居住する。また、この域には、今回攻撃があったがディモナの原子力施設も含まれている。
 8日未明、イスラエルは報復としてガザ地区の約150を空爆した。これによってガザでは、ハマス以外に一般の女性や子どもら合わせて16人が死亡した。
 米国は8日記者会見で、「どの国であろうと、市民を標的にしたロケット弾による攻撃を認めるわけにはいかず、イスラエルが自国を守る権利を支持する」と述べ、イスラエルによるガザ地区への空爆を支持した(参照)。
 その後も、ガザからのロケット弾攻撃とイスラエルによるガザ空爆は続き、ガザ側の発表では少なくとも78人が死亡したとのことだ(参照)。
 今回の衝突は、2008年と12年の衝突に継ぐもので、これらのときと同様に、ガザ地区での民間人被害が大きく問題視されている。こうした点について、朝日新聞「イスラエル、地上戦も視野 ガザ空爆、作戦拡大を宣言」(参照)は次のような表現で言及している。


 イスラエル軍はこれまでにガザの軍事拠点など550カ所以上を空爆した。イスラム組織ハマスなど武装勢力の拠点を狙っていると主張するが、犠牲者の3割は女性と子ども。警告弾なしに突然空爆するケースが増えている。

 「警告弾なしに突然空爆するケースが増えている」という朝日新聞報道の表現の意味は、通常であれば警告弾があることを示している。
 イスラエル空爆の事前通告の状況については、否定面であれ言及した朝日新聞報道を除き、NHKを含め日本側ではあまり言及されない。WSJ記事の日本語翻訳では次のように言及されている(参照)。

 イスラエル軍は8日、ガザ地区南部の都市にある家屋が、同軍の標的になると警告したが、その家の家族8人(いずれも非戦闘員)が警告時間より早い時刻に帰宅して攻撃に遭い死亡した。イスラエル空軍は意図的な殺害ではないと説明した。
 イスラエル政府は、ハマスが民間人の多く住む地区からロケット弾を発射しているとし、自らをイスラエルからの報復の危険にさらしていると説明した。
 イスラエルの人権団体は、武装勢力のメンバーとされる人の自宅を標的にするという軍の方針を批判した。
 同団体は10日、「たとえ攻撃に関与しない民間人が負傷していないとしても、こういった家屋は合法的な軍の標的ではなく、攻撃は国際人道法の重大な違反となる」と述べた。

 朝日新聞報道では空爆警告について「警告弾」のみを記していた。また、WSJ記事では「警告」があったとしているがその実態については言及されていない。それでも、ここでは警告が「警告弾」ではないことは読み取れるだろう。
 イスラエル空爆の警告の実態については、9日付けのニューヨークタイムズ記事「イスラエルはガザ標的に電話とチラシで警告する(Israel Warns Gaza Targets by Phone and Leaflet)」(参照)が詳しい。記事表題からも、警告の実態が、電話やチラシであることがわかる。
 同記事は、ガザ空爆の標的に5分以内に撤去せよと電話があったという現地の話から切り出されている。2008年の衝突以降、イスラエルとしても人道上の理由で、空爆時には電話とアラビア語のチラシで警告を出している。こう続く。

A further warning came as the occupants were leaving, he said in a telephone interview, when an Israeli drone apparently fired a flare at the roof of the three-story home. “Our neighbors came in to form a human shield,” he said, with some even going to the roof to try to prevent a bombing. Others were in the stairway when the house was bombed not long afterward.

イスラエル無人機が三階建ての家に照明弾を放ったとき、居住者が去るさなか追加警告があったと彼は電話インタビューで言った。「私たちの隣人は人間の盾を形成した」と彼は言った。いく人かは屋根に上り空爆を阻止しようとした。まもなく空爆があったとき、他の人は階段にいた。


 これは特殊な事例かもしれないが、ガザ側で「人間の盾」を形成する動向もあるのだろう。
 もちろん朝日新聞が述べるように警告が行き渡らないこともあるし、誤爆もある。また、警告があっても空爆がないこともあるらしい。こうしたこともニューヨークタイムズの同記事に言及がある。関心のある人はリンク先を読まれるとよいだろう。
 今回の衝突だが、前段として双方の少年の殺害事件があった。
 6月30日、2週間ほど行方不明だったイスラエル人少年3人が自治区ヘブロンで遺体で見つかり、イスラエル政府はハマスによる犯行と非難した(ハマスはこれを認めていない)。これに関連して、イスラエル側の報復と見られるが、パレスチナ人少年が殺害され、パレスチナ側の抗議運動が展開されていた。
 時系列の文脈としてはこの事件による憎悪の連鎖に見えるし、それがきっかけであったと見ることはできる。
 だが今回の空爆には、それとは別の双方の文脈があり、ワシントンポスト社説(参照)なども言及している。
 簡単にまとめると、イスラエル側としてはハマスが貯蔵している武器の削減を狙っている。この間衝突が少ない期間が続いたので、ハマスのロケット弾貯蔵が増えていることにイスラエルは懸念していた。
 他方ハマス側ではイスラエルに拘束された活動家の解放とエジプト国境の閉鎖解除を狙っているとのことだ。この点については、2012年の衝突について触れたフォーリンアフェアーズ「なぜハマスは紛争を挑発したか――流れから取り残されることへの焦りと強硬策」(参照)の一部が依然継続しているとも見られる。

 ハマスの指導者は、「いまやより射程の長いロケットやミサイルを持っている」と表明して、イスラエル人を恐怖に陥れ、殺害し、そこで戦闘を終えるつもりかもしれない。だが、ハマスによるテルアビブその他のイスラエルの中枢地帯への攻撃が続くとすれば、イスラエルは、現在の空爆作戦だけでは国土と市民を脅かすロケットを完全には破壊できない。この場合は、イスラエルは地上軍を送り込んででも、ロケットやミサイルを破壊しようとするだろう。
 状況がどうなるか、それを主に左右するのはハマスだ。ハマスの指導者たちは巧妙に紛争を挑発し、ガザの民衆を不必要なリスクにさらしている。イスラエルはできるものなら、ガザへの侵攻は避けたいと考えているし、紛争の早期終結をはかりたいと考えている。だが、これまでのところ、ハマスの指導者は戦闘を続けるつもりのようだ。

 2012年での懸念である「いまやより射程の長いロケットやミサイル」については、今回のハマスの攻撃で示されもした。が、同時に、イスラエル側としても対空防衛システム「アイアンドーム」の性能を見せつけることになった。迎撃率がかなり上昇している。
 ワシントンポスト社説はこうした状況の打開としてイスラエル・パレスチナ和平を希求しているが、現実的には、双方が和平を求めているとはとうてい思えないという意思を示したのが今回の衝突の意味でもある。あるいは、ハマスと合同したファタハについて、イスラエルとハマスがこの点では同じく試している状況かもしれない。
 現状、国際社会はまだ今回の衝突に対応できていないが、米国のおっとりとした対応を暗黙に受けいれている状態なのだろう。
 双方に和平が求められるとしても、従来通り米国が主導しなければならない。それがまだ有効な時期ではないと、オバマ政権は見ているのだろう。
 
 

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2014.07.09

アフガニスタン情勢がかなり混迷

 予想外の事態ではないが、アフガニスタン情勢がかなり混迷してきたので、この時点で簡単に言及しておきたい。


近況をNHKのニュースから
 現状の最新ニュースをNHKから拾ってみる。簡素に要点がまとめられているのだが、率直に言って、これを聞いてどのくらい理解できるだろうか? 7月9日3時07分「アフガニスタン元外相「選挙勝者は自分」」(参照)より。


 アフガニスタンの大統領選挙は、暫定結果で次点となったアブドラ元外相が演説し「選挙の勝者は自分だ」と訴え、独自の政権を樹立する可能性も明らかにし、混乱が広がるおそれが懸念されています。
 アフガニスタンの大統領選挙は7日、決選投票の暫定結果が発表され、ガニ元財務相が1回目の投票でトップだった対立候補のアブドラ元外相を得票率で10ポイント以上の差を付けて上回りました。これを受けて、ガニ陣営や選挙管理委員会による大規模な不正があったと主張してきたアブドラ元外相は8日、首都カブールで演説し、「不正が行われた選挙の結果を受け入れることはできない。われわれが勝者だ」と訴えました。
 そのうえで独自の政権を樹立する可能性も明らかにし、「国が分裂しても誰も口を挟むことはできない。決定を行うために数日待ってほしい」と述べ、今後、数日のうちに重要な決定を行う考えを示しました。
 その一方で、アブドラ元外相は「国の分裂や内戦を望んでいるわけではない」とも述べて、支持者に対して冷静な対応を呼びかけています。
 アブドラ元外相としては、独自の政権の樹立も辞さない姿勢を示すことで最終的な選挙結果を発表する選挙管理委員会を強くけん制するねらいがあるとみられます。
 選挙管理委員会は、政府高官らによる不正があったことを認めていて、今後、不正を審査する委員会の判断などを経て最終的な選挙結果を発表しますが、両候補が共に結果を受け入れる可能性は現時点では低く、混乱が広がるおそれが懸念されています。

 このNHKニュースには関連ニュースのリンクがないので、文脈がわかりににくい。いちおう昨日には「アフガン大統領選 暫定結果発表」(参照)も報道されてはいるが。
 NHK側の全体的な解説では、比較的最近のものでは、4月時点の時論公論「アフガニスタン ポスト・カルザイ時代へ」(参照)があるが、以降目立った解説はない。


重要な3点の背景
 重要な背景が3点ある。
 (1) 13年に及ぶカルザイ大統領が引退し、後継者選びの大統領選挙が実施される。つまり、国家権力の移譲が行われると理解してよい。
 (2) 4月5日に大統領選挙が実施された。この選挙そのものの実施も危ぶまれていたが、1200万有権者の700万人が投票し、推定投票率60%に及んだ。これをどう見るかだが、予想外に多いと国際社会に受け止められた。前回は40%でカルザイ政権について国民は半ば諦めムードだったのと対照的でもあった。
 (3) 最大15万人が駐留した米国を含め国際部隊の大半が今年の年末までにアフガニスタンを撤退する(約1万人の米兵は残る)。米国オバマ政権としては、カルザイ政権後のアフガニスタン政権に軍事・警察力を完全に移譲する予定だが、このシナリオが狂う可能性も高い。


第1回の大統領選挙候補はどうか?
 4月5日のアフガニスタン大統領選挙が実施はどうだったか?
 有力候補は3人いた。

 (1) アブドラ元外相
 (2) ガニ元財務相
 (3) ラスール前外相

 国際社会としてはどの有力候補でも大きな問題はないとも見られていたが、各候補には前提な差があった。
 まずその前提の前提となるのは、アフガニスタンが多民族国家であり、タリバン以外にも内部に民族対立を抱えていることだ。このため、よくアフガニスタンの未来は国民の判断に委ねべきだということが、実際には空論になる。
 対立の大きなポイントは、国民の40%を締めるパシュトゥーン人とそれ以外ということ。
 パシュトゥーン人の票が割れなければ、パシュトゥーン人の代表がアフガニスタン大統領となると見てもよいが、ことは単純ではない。
 第一回の大統領選挙を民族の視点で見ると、パシュトゥーン人のガニ氏とラスール氏で割れることになった。また、アブドラ氏はパシュトゥン人とタジク人の双方の血をついでいるが、政治的にタジク人に近いとされている。またハザラ人の支持も得ている。
 カルザイ大統領は表明していないがラスール氏が意中の後継と見られていた。
 もう一点関連して、前回の大統領選挙では、ガニ氏はカルザイ大統領に次ぐ第2位となっていた。


第1回の大統領選挙結果はどうか?
 第1回の大統領選挙結果はこうなった(参照)。

 (1) アブドラ氏が得票率45%
 (2) ガニ氏が31.6%。
 (3) ラスール氏が11.4%

 過半数がなかったので、再度決選投票となった。
 この際、ラスール氏は撤退しアブドラ氏の支持を表明した。つまり、同じパシュトゥーン人候補ガニ氏を支持しなかった。アブドラ氏はタジク人を基盤としている。
 単純に考えると、これで決選投票はアブドラ氏が過半数を超えて優勢になるはずであった(参照)。


大統領選決選投票後の混乱
 決選投票も実施された。投票率も第一回とほぼ同じく、1200万人の有権者のうち700万人以上が投票に参加したとみられる。
 そこで暫定結果を含めその結果を待つばかりかというと、どうも大方の予想に反して、ガニ氏優勢の噂が立ち、これを受けて、アブドラ氏陣営は選挙不正で100万票の虚偽があったと主張。6月下旬にカブールで大規模でもが実施された。
 実際、選管も、政府高官らによる不正があったことを認めている。


決選投票の暫定発表
 アフガニスタンの独立選挙委員会は7月7日、大統領選決選投票の暫定結果を発表(参照)。

 (1) アブドラ氏、43.6%
 (2) ガニ氏、56%

 予想に反して、ガニ氏が過半数を超えた。
 通常の手順であれば、これでガニ氏が次期アフガニスタン大統領と予想されるのだが、ここで冒頭の最近のNHKニュースの状況となった。つまり、アブドラ氏がこの結果は不正だからこの状態を認めないというのである。
 加えて、同ニュースにあるようにアブドラ氏が「独自の政権を樹立する可能性も明らかに」した。
 ガニ氏もこのまま推移すれば政権を樹立することになり、アフガニスタンに二つの政府が生まれることになりかねない。
 すでにこの点を懸念してケリー米国務長官は二政府の状態を米国は認めないとの声明を出している(参照


もう一つの大きな要素、タリバン
 アフガニスタンの状況を見るうえで、もう一つの大きな要素がタリバンである。すでにタリバンは一部地域で、独自の司法を確立しつつある。
 タリバンはこうしたアフガニスタン政府の動向に活発に反対攻勢を強めていて、昨日の8日では、アフガニスタンに駐留する国際治安支援部隊(ISAF)を狙ったとみられる自爆テロで、兵士4人と市民10人が死亡した(参照)。
 ごく簡単にいえば、挙国政府が実現できないまま国際部隊が撤退すれば、アフガニスタンはカオスに戻るだろう。
 幸いこの懸念は、ガニ氏もアブドラ氏も認識していて、国際部隊の駐留継続を求めると見られている。


で、どうなるのか?
 決選投票の結果はまだ暫定発表であり、正式発表は調査の上、24日になるとされている(参照)。
 正式発表をもって一氏が敗北宣言をすれば、とりあえず、カルザイ政権的な状況が続く。だが、現状ではその方向性がまったく見えない。
 米国や国際社会に一定の圧力があれば、両氏の和解の上に新政権を樹立させることになるだろうが、その予想は弱い。
 意外と、今回の暫定発表は、そもそも無理な二派の調停のための演出だったとも考えらるので、そう悲劇的な事態ではないのかもしれない。裏面でいろいろな政治的な駆け引きが推進するプロセスであるかもしれない。
 結局のところどうなるだろうか。
 私としては、アフガニスタンはしばらく緩慢な無政府状態に陥るのではないかと見ている。


追記(7月13日)
 その後、ケリー米国務長官が11日カブールを訪問し、ガニ氏・アブドラ氏両陣営と協議し、両候補と共同で会見を開き、どのような結果でも連合政権となる見通しがたった。「アフガン 全票調査し連合政権へ」より。


アフガニスタン大統領選挙で不正があったとして一方の候補が暫定結果を拒んでいる問題で、アメリカが仲介した結果、候補の2人は、すべての票について調査を行ったあと、新たな大統領が対立候補と協力して事実上の連合政権を樹立することに合意しました。

 「今回の暫定発表は、そもそも無理な二派の調停のための演出だったとも考えらるので、そう悲劇的な事態ではないのかもしれない」という結果に一応落ち着いた。その意味で、「アフガニスタンはしばらく緩慢な無政府状態に陥るのではないかと見ている」は、外したかのようでもあるが、たぶん、実態はそうなるだろうとは思っている。
 

 
 

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2014.07.08

ドイツ語は日本語と同じSOV言語だったのか

 ポール・ノーブルのドイツ語レッスンをいっきにやったあと、まあ、ドイツ語という言語がどういうものかはだいたいわかった。英語を元にドイツ語を構成するコツみたいのもわかった。だが、語彙力がなさすぎるうえ、耳がドイツ語に慣れていない。これでは言語を学んだ部類に入らないなということで、ピンズラー方式でドイツ語をやりなおして、10日。どうか。
 いや簡単。なにより、発音が楽。中国語を学んだあとのせいかもしれないけど、聞き取りに不可能な音はない。またナチュラルな発話にしても英語のように不自然な潰れ方はしない。米語とか日本語とかナチュラルな速度で発話すると発音がかなり変わる。
 次に、正書法が楽。中国語とか日本語とか、もうありえないレベルの正書法はもっていないし、フランス語みたいに奇っ怪な正書法もない。
 語彙も基礎レベルだと、英語とほとんど同じ。こんなに同じだったとはびっくりな感じ。
 そして文法も楽。中国語のような、どうなってんのこの言語みたいな不可解さはない。
 ドイツ語、こりゃ楽でええわ、と思っていた。
 大間違い。
 なんか変だ。
 このなんか変だ感は、文法だった。ピンズラー方式で英語で学んでいるのだが、フランス語の時とはかなり違う。どう違うのかというと、フランス語の場合でも、"Tu me manque."みたいな、なんじゃみたいな構文はあるけど、基本的に慣用表現としてかまわないし、全体からすらばそれほど慣用的な癖はすくない。ちなみに、中国語の場合は、そもそも文法なんてなくて、慣用表現のかたまりなんじゃないかという絶望感もあるが。
 理由はすぐにわかった。
 フランス語の場合、だいたい英語を逐語翻訳してもだいたいあっている。"Je t'aime."のように代名詞が動詞の前に来たり、再帰的な"Je me lave."みたいな表現はあるが、これも基本的に代名詞の動詞の関連で文法に収まる。
 ところが、ドイツ語、語順が変だ。
 変というのは、英語からドイツ語に移すとき、語順が変わる。いやこれもフランス語の副詞の位置と英語の副詞の位置が違うとか、中国語で語順が変わるとかいうのはある。が、どちらも基本慣用的なり文法的にわかる。ドイツ語、そのレベルじゃない。
 たしかに、ドイツ語の語順も文法的にきちんとわかっている。だが、なんで、そうなるの?ということにさほど疑問はない。もちろん、それがドイツ語だからさ、というのはわかる。
 だが、なんで、こうも英語とフランス語と違うのか。というか、英語の場合、結局、フランス語のピジン語なんで、だから同じということなんだろうが。つまり、ロマンス語とフランス語の語順みたいなもののコツみたいのがわかればそれほど違和感はない。ドイツ語、違うぞ。
 ドイツ語の語順が「変」なのは、変というのでもないのだけど厳密には、あれだ。と、「枠構造」でぐぐったら、ウィキペディアに例があったが、"I may drink tea."が"Ich darf Tee trinken."になる。枠構造だ。
 この枠構造については、最初にやったポール・ノーブルのレッスンで彼がなんどもそこを理解させようとしていたおかげで、それはそういうのかというレベルではピンズラーでドイツ語を学んでいても不思議ではないのだが、やはり違和感は残る。
 そんなおり、『ドイツ語とのつきあい方』(参照)というドイツ語の入門書を読んでいたら、こう説明されていて、ぎょっとした。


 文は、まず主語が与えられ、それに合致した定形が添えられ、そのとなりへ他の必要な文要素が並べられてできあがってゆくものだと考えてはいませんか。
 そうではありません。文は、不定詞から出発して、これを不定詞句に発展させ、そのうえで仕上げとして主語と結びつけてはじめてできあがるものなのです。

 これだけだとなんのことかわからないと思うけど、要は、主語があってこれを受ける動詞があってということから文ができるんじゃなくて、最初に不定詞があって、それに主語がくっつくんだよというのである。
cover
ドイツ語とのつきあい方
 同じじゃんと思う人がいるかもしれないが、そうではない。
 例えば、"lernen"があるとする。日本人の英語感的に考えると、まず、「私」があって、「学ぶ」、「何を」ということで、"Ich"があって、"lerne"があって、"Deutsch"が来るので、"Ich lerne Deutsch"となる、かのように思う。
 ところがこの本の考えでは、不定詞で"lernen"がある。「学ぶ」ということがある。で、学ぶんだから、「何を学ぶ」んだということで、"Deutsch lernen"という不定詞句ができあがる。
 それにあとから、主語、たとえば、"Ich"がつくっついて、これに合わせて、動詞前方に移動して、形を整えて、"Ich lerne Deutsch"となるというのだ。
 説明としては不合理のようだが、同書はこれで他についても説明していって、一定の合理性がある。
 このレベルではものの見方の差みたいなもんだし、これって、いわゆる"S->NP + VP"という考え方とは異なるように見えるけど、"+"は時間的な展開ではないから、VPがあってSPが付くと理解してもよいい。それはそれとして。
 ここで、あれれと思ったのは、この不定詞からの考えだと、"Deutsch lernen"があるわけで、OV構造からSOVができて、そこから表面的にはSVOのように考えていく。
 すると、ドイツ語というのは、SOV言語なのか?
 こうした考えが出てくるのは、いわゆる「V2語順」(二番目の句が常に動詞または助動詞)の問題も関連している。
 これも調べたらウィキペディアにあったのだが、"ich dieses Buch lese."があって、動詞が前に出て、"lese ich dieses Buch"となり、そのあと、"Ich"が話題化されて、"Ich lese dieses Buch."になる。
 そんな関連から調べるといろいろな議論があることもわかったが、気になったのは、「話題化」。これは「主題化」と考えるほうがよいのではないか、つまり、TC(Topic-Comment)化ではないかと。そう考えたのは、中国語の場合の主語と言われているのも、基本「主題」のように見えるし、日本語も同じ。「主題化」というのは、学習者のけっこう文法に重要な要素だよな。
 そう考えると、ドイツ語の場合、主題化に動詞が引っ張られてSVOのように見えるということなのではないだろうか。
 もちろん、ドイツ語を学ぶ上でそんなこと知らなくてもいい。
 ついでに、今日のレッスンに出て来た、"Ich möchte heute Abend mit Ihnen essen."
 これなんかでも、時間の副詞句が第二動詞の前方に来る。中国語なんかでも同じ。ドイツ語の場合、mit Ihnen が場所なんで、ポール・ノーブルがTIP(Time Infront of Place)ルールとしていたが、これらの副詞句の位置が、たぶん、OV構造と密接な関連があるのだろう。
cover
クラーク先生の英語勉強革命
私の“ディープリスニング方式”なら
だれでも語学の達人になれます
 難しく考えずに、英語とは違うルールだと考えてみれば、中国語ほど難しくはないのだが、微妙に英語の発想とぶつかる。
 逆にいうと、フランス語の場合、文法の意識はけっこう英語と同じで、そういえばグレゴリー・クラーク先生が、フランス語読んでいるときは、フランス語だと気がつかなかったという感覚に近い(参照)。

私が、四苦八苦して日本語の勉強に取り組んでいたころのことです。あるとき、知り合いの日本人から、フランス語の文章を英語に直してくれと頼まれました。そのとき、私はフランス語をフランス語だと意識しないで読んでいました。ちょっと変な英語が書いてあるなあ、そんな程度の感覚だったのです。日本語があまりにも難解な言語だったために、難易度レベル二程度のフランス語は、母国語のように思えてしまったということです。

 英語国民でフランス語をある程度学ぶと、そういう感じなんじゃないかな。
 結局、言語学的にはドイツ語はSOVの基底から生成というよりパラメーターの考えで整理できそう。そうした研究から、UG(普遍文法)というのの支援になるんではないかと思う。
 が、個人的にはUG自体にはもうさほど関心ないんで、語学学習者にとってこうした文法現象というのはどういうことなんだろうかと疑問に思う。
 
 

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2014.07.07

「地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りました」

 先日、ベトナム戦争を扱った映画に関連するタイ語の歌のことを書いた(参照)あと、ぼんやりいろんなことを思っていた。
 いくつか小分けにしてブログに書いてもいいんだけど、どうしようかと思っているうちに、なんとなく気が沈んで、書く気力も抜けてしまった。それはそれで自分としてはどうでもいいことではあるんだけど、ベトナム戦争との関連という以外に、開高健についてこのところ考えていて、そこの交点にまた、いろいろなものが集まってくるんだけど、奇妙に心にひっかかることがいくつかあって、あれだよなあ、あれ、と心を探っていた。あれだ。
 昭和41年の雑誌『世界』が初出だが、その後昭和56年単行本『言葉の落葉 Ⅲ』(参照)に収録されている「解放戦線との交渉を」だった。
 昭和56年というのは1981年。私が学部を卒業した年、昭和41年は1966年。
 その二年前の1964年、昭和39年に、その10月に東京オリンピックがあり、開高は連載の『ずばり東京』の単行本が12月に出るが、その前の11月に彼は朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムに向かった。
 開高は、翌65年1月から3月、北爆のさなかの状況を「南ヴェトナム報告」として「週刊朝日」に連載し、これをまとめて『ベトナム戦記』(参照)にした。
 その余波ともいえるが、友人でもあった小田実とも組み、ベ平連の活動を展開する。が、その後、1970年代に入ると開高はしだいにこの運動から離れていくように見えたものだ。その微妙な差違は、しかしその1966年時点の「解放戦線との交渉を」、つまりほとんど原点にあったように思える。
 「世界」編集部からの問いかけに答える形式で書かれている。


――最後に日本の国民に何か考えていることがありましたら……
 ヴェトナムは日本で1965年上半期、ブームになったわけです。ものすごく熱くなって沸騰したんです。ところが秋風とともに、日韓会談という問題もありましたけれども、突然、低調になった。僕は実に憤慨した。熱しやすくさめやすい。これは国民的性格なのかもしれないが、日本人はあれだけヴェトナム問題、ヴェトナム知識があふれたものだから、いまはもうヴェトナムのことはすかっりわかっちゃったというつもりである。そして無関心の領域のなかへヴェトナム問題はすべりこみつつあり、ふたたびアパシーが襲っている。

 私は当時小学校二年生で、そうした政治の空気はまだ知らない。だが、「熱しやすくさめやすい」「すかっりわかっちゃったというつもり」「無関心の領域」というのは、その後もいろいろな問題で繰り返しているので、そこから帰納法ではないけど、そのころもそうだったのだろうと思うようになっている。
 ここで話が少し逸れるが、ここで触れられている「日韓会談」は日韓基本条約のことで、振り返ってみると、この時代、まだまだ日本では北朝鮮を礼賛している知識人も多く、社会党なども北朝鮮を無視しているとして反対していた。
 というのを私の場合は、ヴェトナム戦争の歴史などともに10代から20代に再構築していくわけだが。
 開高の話に戻る。またこう続く。

 日本の知力というもののふしぎさなんだけれども、地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りましたといわんばかりに、ヴェトナム専門家が輩出した。魔法使いのおばあさんが杖でまたポンと地面を叩くと妖精はさっと消えました。

 ここでいう「知力」というのは、現代の文脈文脈でいえば「リベラル」と言ってもいいのではないかと思う。その「ポン」という挙動は50年くらい経っても変わっていないように思える。
 開高は、しかしヴェトナムというのは複雑で難しい国だという。その文脈からこう語る。

非常に頭がよくて敏感だが、カミソリのようにもろくて木は切れないというのが日本人の感性です。とくに知識人はそうでしょ。昨年のヴェトナム・ブームに反対した人たちも結局のところ流行するものにはなんでもかんでも反対するという衝動を出ていなかった。すでにそれ自体が流行現象でしたよ。とくにかく日本は言葉のヤリトリですませられるからいい国ですよ。

 「ヴェトナム・ブームに反対した人」は、ベ平連活動に反対した人と読めないでもないが、それでも文脈全体は、ヴェトナム問題がブームとして扱われたことへの違和感と日本の知識人との感覚に向けられている。また、この違和感は結局のところ、その後の開高健の文学の核に変わっていくと同時に、いわゆる知識人や「リベラル」との距離に変貌していく。
 「流行するものにはなんでもかんでも反対するという衝動」という点では、日本は50年間、なんの変化もなかったように見えるのは、その挙動を許す環境があったからだとも言えるだろう。それがまだあるのか、ないのか、なくても、続くのか、と考えると、たぶん、なくても続くのではないか。
 
 

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