« 2014年4月20日 - 2014年4月26日 | トップページ | 2014年5月4日 - 2014年5月10日 »

2014.05.03

無料語学学習サイト・Duolingo(デュオリンゴ)の微妙な楽しみ

 無料で語学が学べるDuolingoというサービスがある。知っている人もいるかもしれない。へえ、いいじゃないのと思う人もいるかもしれない。しかし、先日までは日本語話者を対象にしていなかった。だから知らない日本人も少なくないだろう。英語を使う人がフランス語やスペイン語を学ぶという感じのサービスだったのだ。
 そこで僕は英語でフランス語学習をするのにこれを使っている。音声中心のピンズラー方式でフランス語を学習したので、"je veux"と"elle veut"の違いがわかっていなかった。お恥ずかしいかぎり。
 で、Duolingoが便利かというと、微妙な感じ。話が前後するけど、このサービスにはディスカッションの機能があって、「現状Duolingoはこれでいいのか」とか「文法をもっときちんと教えろよ」とか、いろいろみんなが議論はしている。それもけっこう面白い。
 このDuolingo、先日、日本人向けに英語学習のサービスができた。
 そういうのあるといいよねと思っていたので、どんな感じなのか触ってみた。
 結論からいうと、まず怒った。
 教材が変なのだ。正解が、これじゃなーい、の連発。おまえら日本語がおかしいだろ、という感じだったのだ。そして、がっかりした。
 それで終わりでいいじゃんと思っていた。しかたないよ、無料だし。こんなものよ。昨今の無料ブログのクオリティを見れ。
 だったのだが、怒りモードにあるとき、私のほうが正解ですよ、というのをちょこっと通達したら、数日後、あなたの解答を採用しました、という連絡があって、ほぉっと思った。
 そこで僕は考えなおした。
 考えてみたらDuolingoというのは利用者が作っていく語学サイトなんだよな。
 せっかく自分は日本語のネイティブだし、それなりに英語も勉強してきたんだから、これは日本語としてどうよ、というのをいちいち指摘していくかな、と思い直した。
 というわけで、この数日は精力的にやっている。もう教程の半分くらいに来た。
 当初は、これじゃなーい、を連発したが、正しい日本語やきれいな日本語というのでなくてもいいか、それも許容かな、というのはそれでいいか、と思うようになった。そして、さすがにこれはなあ、というのだけ指摘するようにした。
 その過程で、いや、反省。意外と考えさせられる事例もあり、存外に自分の英語の勉強になる面もあった。
 話はそんだけなのだが、文章で書いてもリアリティがないんで、ちょっと例でも上げてみますかね。




スープはドリンクするのか?

 思わずスクリーンショットしたのが、これ。「私は私のスープを飲みます」の英訳なんで、"I eat my soup."としたら、不正解。正解は、"I drink my soup."。いやあ、切れるでしょ。フツー。

 そのあと、ちょっと考え直して、"I drink my soup."って言うのかな、現代英語では、と思って、いろいろ調べてみた。
 結論、言える。どうやら、スプーン使うならeatだけど、マグでぐびっだとdrinkだよね、ということらしい。ほお。Duolingoにはマグの絵は出てこなかったのだけど。




日本語で主語を省略するのは「私」だけではないよ


 「その都市を知っています」というので、"We"で訳したら、バツだった。
 正解は、"I"というわけ。
 まあ、一人称だと日本語では省略されるという原理で教材作っているのだろうな。ちなみに、僕が"We"にしたのは、フランス語だと"On"だし、フランス語の"On"の感覚が日本語の人称省略に近いと思っているからだ。
 おまけに言うと、"On"使うと、"Nous"の活用形覚えなくていいしね。さらについでいうと、"Tu"だと"Vous"の活用形覚えなくていい。というか、フランス語ってそういう仕組みの言語になってんじゃないの。つまり、"Nous"と"Vous"にはちょっと構えた感じがあるんじゃないか。ええと、話題は、Duolingoでした。戻る。




「船長は朝に港にいます」なのか?

 "The captain is in the port in the morning."という問題を見て、まあ、これはあれだなあ、今のDuolingoのスタッフだと「朝船長は港にいます」が正解だろうなとわかった。
 そこで読点を使うかな「朝、船長は港にいます」とも思った。
 口語だとそういうことなんだろうけど、書き言葉的には、それはちょっと文法が違うんで、これは、「船長は朝は港にいます」だろうと考えた。「昼は別のとこだよね」という含みである。まあしかし、これは不正解だろうなと思ってデバッグがてらに入れたら、案の定の結果だった。
 しかも「船長は朝に港にいます」は日本語として不自然。このあたり、不自然と感じる日本語の能力がまだスタッフにはないのだろう。なぜ、それが不自然かの説明はちょっと難しい。「に」が重なることにも不自然さがあるが、それは修辞上の問題。「船長は朝には港にいます」なら自然になるので、文法的な問題。しかし、まあそんな議論をしていてもしかたないよね。




「ここにランプがあります」のランプは、"a lamp"それとも"the lamp"

 「ここにランプがあります。」もちょっとためらった。ランプをどう英訳するか。
 重要なのは「が」という格助詞。日本語の「が」については、三上章が提起してそれをFillmoreの格文法とかで受けて、新情報と旧情報で使い分けるとかいう議論がある。あれをまとめたのは久野暲だったかな。いずれ、「が」が新情報を担っているので、ここは、"a lamp"になるのだけど、まあ、そういう回答をしてみるか、不正解。まあ、しかたないか。
 しかし、英語で見たとき、"Here is"と来たとき"the"が想定されるやすいというのが、あるのかもしれない。「ほらあれがめっかった!」という感覚かもしれない。




「あなたは人間です」って、それまでベム?

 これはシュール。「あなたは人間です。」。いや、それどういうシチュエーションの発話なんだろ? この手のシュールな問題は、フランス語学習のDuolingoにもよく出てくるので慣れていた。
 ただ、どう答える、これ?「あなたは人間です。」の英訳?
 考えると、シチュエーションをつい想定するし、やたらとシュールなシチュエーションしか浮かばない。
 ベタに訳したらどうかなと。Duolingoでは多くの場合、ベタに訳すと正解になるし。で、"You are a human being."。
 バツでした。正解は、"You are a person."、うーむ。
 ところで、"You are a human being."っていう英語はありなのか。ちょっと気になってコーパス的に調べると、言えなくもなさそうだった。
 そういえばと思って、Gingerにもかけてみた。文法的なんじゃねの答えが出たあとこんなお勧めが出た。


You are a great human being.
You are a valuable human being.
A wasted human being you are.
You are a free human being.
You are a beautiful human being.
You are a wonderful human being.
You are a fabulous human being.
You are a disgusting human being.

 英語だと、"human being"が問われるのは、「汝はいかなる存在なりや?」ということみたいですね。つまり、ハイデガーのように存在そのものを答えるのではなくと、ああ、これ冗談です。最近ツイッターとかでも思ったのだけど、冗談って通じない人多いものです。というか、僕の冗談がひねくれているのもあるけど。




「少年と彼の父」って日本語はどうだろか

 "It is like the relationship of a boy with his father."は、ああ、これはDuolingoベタが回答だろうと思った。つまり「それは少年と彼の父の関係に似ている。」なんだろう。
 だけど、日本語でそう言わないです。「少年と彼の父」なんて、日常言うのは僕くらいなものです。
 というわけで、回答例にあるかなと思って、より自然な「少年とその父」を入れてみたら、バツでした。Duolingoは300くらいまで解答が入れられるので、この解答も採用されるとよいけど。
 そういえば、"a boy with his father"よりも、"a son with his father"じゃないのと思って、Gingerにかけたら、そう勧めが出て来ましたね。




見えたカップルは一組?

 「カップルが見えます。」かあ、覗き? うーむ、まあ、べたに考えると、"I can see couples."かな、感覚としては、"some"が来そうなんだけどと思って入れたら、バツでした。正解は"I see can see a couple."または"I see a couple."でした。
 "see"には「見える」という含みがあるので、"can"は要らないよねとも思ったのだけど、ついベタに考えてしまった。というわけで、Duolingo使っていると、Duolingo的な語学の学習になっちゃう面はある。
 で、"a couple"か"couples"かなんだけど、前者だと、「おーい、いるかよ、ホントにカップルがいるかあ?」という感じではないかな。
 というわけで、この手の話もそろそろ飽きてきたことかと思います。詳しく知りたいかたは、有料のnoteのほうでどうぞ(冗談です)。




でもまあ、これはこれで面白いんじゃないの

 Duolingoの現状、これじゃ語学の勉強に使えないという人もいるかと思う。
 だけど、割り切ってしまうと、裏にいる英語話者とかバイリンガルの人の言語感覚がわかって、それはそれで面白いもんです。
 僕としては、普通に日本語のネイティブとして、これじゃなーいのバグチェッカーとしてDuolingoに貢献したいなと思うようになった。
 ちなみに、Duolingoの面白さはこうした、無料の教材より、本来の翻訳プロジェクトとディスカッションやSNSの機能にある。だけど現状、日本人向けにはそのサービスが公開されていない。
 いや、ディスカッションはあるんでちょっと覗いて見たら、お前もそうだよと言われるかもしれないけど、延々とした些末な議論なども見られた。
 日本人って、これもお前もなーの部類だけど、英語にコンプレックスありすぎなんですよね。ツイッターが日本で流行って、年に一度バルス祭りがあるといった一種の特殊な文化的な現象として面白いのかもしれないけど。
 
 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014.05.01

李白「静夜思」を巡って

 中国語の勉強をしていると漢文について学んだことが別の視点から見えるようになっていろいろ面白いのだが、なかでも漢詩について得ることが多い。どういうことかという一例として、李白「静夜思」を取り上げてみたい。
 暗記し、吟詠している人もいるだろう(ちなみに僕もね)。味気ないけど、あえて横書きにするとこう。

床前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

 下しはいろいろあるかと思うが、私の場合。

  床前、月光を看る
  疑うらくは是れ地上の霜かと
  頭を挙げて山月を望み
  頭を低れて故郷を思う

 いきなり余談だが、現在の中国では縦書きはほとんど見かけない。先日、自分が中国語を勉強しているという話を人にしたおり、日本語と中国語は縦書きですよねという話になり、いや、そうでもないんですよと言うと驚いていた。さておき。
 吟詠は流派とかあるんだろうけど、こんなたとえば、こんな感じ。録音悪いけど、字面が見やすいので。

 若い女性の詩吟もあった。これはよいなあ。

 この李白「静夜思」だが、ほとんど中国人が暗記して、朗詠できる。小学校で必須で習うらしい。というわけで、小学生向けの教材がけっこうある。なお、この教材、詩の朗読のあとに中国語の解説が付いているが、そうしないと意味が現代の中国人には伝わらないためだろう。一般人でいうなら、漢文をしっかり学ぶ日本人のほうが中国古典には強い傾向がある。

 みんな知っているので、ついメロディも付くようだ。

 ところで、この中国人が朗詠したり歌ったりしている歌詞だが、というか、詩だが、こうなっている。

床前明月光
疑是地上霜
举头望明月
低头思故乡

 一句目が「窗前明月光」となっているのもある。いずれも、日本で普及している李白「静夜思」とは違う。簡体字など漢字表記の差というのではなく。

床前看月光    床前明月光
疑是地上霜    疑是地上霜
挙頭望山月    举头望明月
低頭思故郷    低头思故乡

 どっちが正しいのかというと、この手のことはたいてい漢文の研究が進んでいる日本のほうが正しい。単純な話、推敲の原義を尋ねてもわかるが、練られた漢詩において同じ言葉が二度出てくるわけはない。しかし、まあ、その手の話は専門家に任せるとして。
 一番の違いは、その「明月」にあるのだが、「山月」を「明月」にするのはそれほど違和感がないが、冒頭の「看月光」が「明月光」となるのは、「看」は動詞だろうと思うと、けっこう違和感がある。他の句にはそれぞれ動詞が配してあるのに、そこが抜けてて中国人には違和感がないのか? たぶん、ないのだろう。というあたりで、漢詩を吟じる中国人の意識というのは、どうも日本人のそれとは違う。

cover
続・新発想 中国語の発音
言葉遊び・漢詩編-
 そもそも、音の音楽性を重んじているのだろうし、小学生の教材になっているのは、拼音の学習の一環らしい。というようなことを「続・新発想 中国語の発音 言葉遊び・漢詩編」(参照)を見てても思った。ちなみにこの本にも「静夜思」は載っている。
 ところで、この中国語で読んだときの漢詩の音楽性だが、実際の李白はどう読んだのかというと、現在の普通話のわけはない。そこで古代の音に再現する試みというのもある。これは表記が現代的なんで考証としての信頼性はそれほどないにせよ、その一例であれ、実際に聞くとけっこう衝撃的である。

 押韻を見ると現在の普通話と大きく差がなく、基本的に漢詩は普通話で読んでもそこに大きな差はでないので、韻文であることは変わりない。だから現代中国でも愛されているのだろう。
 問題は、平仄である。平は平声、仄は上声・去声・入声で、日本だとこれを記した辞書を使って漢詩を作ってきたわけだが、現代の普通話では入声がない。そのため、平仄の原理の一つが基本的に壊れているし、いわゆる漢詩の平仄は当てはまらない。そこでいろいろと話があるらしいが、普通話「静夜思」で見ると、押韻に加えて、その前の語の声調は揃っているので、やはり韻文に聞こえるのだろう。
 再現された普通話「静夜思」は入声(子音で終わる語)があるため、どっちかというと、日本人の白文読みに近い。
 さらに古代の中国語の音はどうかというと、地域差などもあってこの再現があっているのかどうかわからないが、そうだとするとこれもけっこう衝撃的なものがある。

 日本語の漢字に入声が残ったのは、唐代くらいまでの音が定着したからだろうが、このあたりで興味深いのは、桓武天皇・延暦11年(792年)に明経之徒(学生)は漢音を学べという勅令が出ていることだ。ようするにこの時代でも、漢音がそれほど普及していなかった。翌年には僧に対しても同趣旨の勅令が出たところを見ると、寺院では呉音を使っていたのだろう。
 ただ、日本書紀は基本的に漢音なので、そのころから唐化は進められていただろうし、個人的には日本書紀の原型は唐が作成したのではないかと思うので当然だろう。
 だんだん話がずれてくるが、古事記は呉音なので古いという議論があるが、文選読みが呉音なので、時代ということより、唐化との距離の問題だろう。
 こうして見ると、唐というのが日本文化の成立に与えた珍妙な影響は大きなもんだなと思うし、反面、唐が早々に滅亡したおかげで、日本文化が、変な方向に自由に進んでいくことができたのだろうなと、しみじみとする。
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014.04.30

ピンズラー方式の中国語学習の60日間を終えた

 当初一か月でやめようとか思っていた中国語の学習だが、二か月が終わった。60日間。感慨がないわけではないけど、物足りなさのほうが先になって、実はもう三か月目のフェーズの四日目にある。いちおう、三か月間、九十日はやるつもりでいる。

cover
Chinese (Mandarin) II,
Comprehensive
 というか、中国語がけっこう面白くなってきた。
 国際ニュースで中国語を耳にすることも以前から多かったが、タモリの四か国語麻雀を聞いているような感じでいた。現在では、まだまだ意味までは聞き取れないが、ああ、普通話だというくらには聞ける。部分的に聞けるところもある。
 これがどういうことかというと、上海や香港の人のインタビューで、「おおっ、これは普通話じゃないぞ」、「おお、かなりなまっているぞ」というのがわかるようになった。
 上海人の普通話の響きは随分北京と違うなあというのと、香港の人の普通話はかなり苦労している人もいるんだなと。台湾の普通話は、これがまだうまく感覚的にはわからないのだが、はやり北京と響きが違うと感じる。
 残念ながら、それらの語彙や言い回しの差まで聞き取れはしない。
 それでも、普通話というのが、実に中国という特殊な合衆国の事実上人工的な共通語なんだなという感じは、くっきりとしてきた。なんというのか、中国の大半の人にとっては、日本人がなんとか英語を身につけようとしているのと、普通話を学習するのと、そう変わりないというか。
 そう考えると、別段、国際語って英語とかではなくて中国語・普通話でもいいんじゃないかとも思えてきた。日本の公用語に英語と中国語・普通話を加えてもいいんじゃないか。
 まだまだ中国語が身についたというレベルではないが、他にもいろいろ感覚が変わった。
 ぼーっと日本の町の看板とか見ていると、なんといったらいいのだろう、なんか不思議な国いるような感じがすることがある。「東京都」"Dōngjīng dū"?
 「東京」が「北京」「南京」「西京」と並んでいるのもだけど、「都」とかで、「他们都来了」みたいな連想が働く。「東京海上火災」だと……。
 「駅」って「站」だよな。なんで「駅」なんだ、大宝律令? 日本って見かけない漢字が変な漢字が多いなあ、唐の時代にタイムスリップしたみたいだ。あるはもう一つの中国というパラレルワールドのような。
 ぼんやりと、脳がべたに日本人に戻る微妙な合間で、とっても不思議ワールドに感じられる。
 逆もある。中国語を聞いていて、"Míngnián tā dǎsuàn shàng yīsuǒ pǔtōnghuà xuéxiào"の「dǎsuàn」って「打算」じゃないの? 調べてみると、そうだ。ええ?! というわけで日本の字引を引くと大辞泉だと。

だ‐さん 【打算】
[名](スル)勘定すること。利害や損得を見積もること。「―が働く」「人間の年月と猫の星霜を同じ割合に―するのは」〈漱石・吾輩は猫である〉

 とある。漱石の時代に使われている。その時代からあることがわかるのだが、これって、日本語から中国語に入ったのか、江戸時代ころに中国語から入ったのか? 「打」の語感、「打的去」とかから類推すると、中国語から入ったのだろうなと思うが、だとすると経路はなんだったのだろう?
 他にも、「簡単」という意味で"Róngyì"というのがあって、これ、「容易」じゃないの?と調べたら、そうだった。などなど。さすがに似ている言葉は多いなあと思う。英語とフランス語の関係によく似ている。
 同様とも言えるのだけど、"Huòzhě"が「或者」、"Ránhòu"が「然後」とかなどは、そのまま漢文法の延長にもなっている。総じて、やる気になれば、現代中国語も漢文文法を延長していくと訓読もできそうには思う。
 まったくわからないのもある。唖然としたのが、「月台」"Yuè tái"。駅のプラットフォームなのだが、なぜこれが「月台」? 調べてみたが、よくわからない。
 こうした話は中国人にも多少関心は向くだろう。例えば、「【冷】日本和中国的区别,一般人看不懂」(参照

日本好:
日本的照片都是【写真】
日本的洗澡水都是【汤】
日本的钢笔质量好,叫【万年笔】
日本的礼物都叫【土产】
日本的赌博用具【麻雀】般可爱
日本的不好:
日本的学习都得【勉强】
买个邮票都要【切手】
写信都拿【手纸】写信

大家有啥补充的没?看谁知道的多…


 中国語に自分なりにどっぷり使ってみると、いろいろ、日本語と中国語の関係というか奥行き感がつかめてきたのも面白い。
 きちんと、日本語の訓読と漢字音の変遷を体系的に整理すると、よいのではないかなとも思う。
 特に、日本の漢字音にはすでに普通話から消えた「入声」が残っていて面白い。また、その場合、漢音のようだが、どうも中国唐代にあたる日本の時代だと呉音が主流だったようで、そのあたりの差も興味深い。この点はいろいろ研究があるので、つらつら見ているとほんと面白い。
 中学校か高校か、古典の教科の一分野に、言葉から見た日本語と中国語の関連史というのがあるとよいのではないかな。そういう教科書があれば、逆にそれを中国語に訳せば、中国人からも日本という国の文化がくっきりと見えるだろうし。
 ところで、中国語はピンズラー方式で学んでいるのだが、つまり音声中心なのだが、50日目あたりで、ただ聞いているだけではなく、一回耳のレッスンを終えたら、ピンインのディクテーションもするようにした。日本人なので、やはりどういう漢字で表現しているのかは気になる。ピンインで書いて、変換すると漢字が出てくる。
 やってみると、愕然と聞き取れないことがわかってまいった。が、おかげでピンインにも少しづつ慣れてきた。パソコンを使っていると、ピンインの入力が楽なので、なんといってもピンインは修得しないとしかたない。
 今思うと、ピンズラー方式でフランス語を勉強したときも、どこかの時点で、ディクテーションをすればよかったかなと思う。"déjà"のアクサンとか当時はまったく無視していたが、あれから、フランス語学習の復習かねてDuolingoやっていると、いやはやスペリングがわからないわからないでまいった。とはいえ、言語学習は最初はやはり音からにすべきだというピンズラーの考えは同意している。
 中国語を学ぶ過程で、適当に切り上げて、朝鮮語の勉強もしてみようと思っていたのだが、どうにも手が回らない。
 朝鮮語を学びたいと思ったのは、一つには日本語との関連をもっとその内側から知りたいのと、あのオンモンで覆われている表記の裏にある漢字とその音の体系を知りたいなというのがある。現代韓国語の漢字音はいつごろどのように成立したのか、また李朝の儒者はそのあたりをどうしていたのかが知りたい。
 儒者といえば、中国語を学んで、荻生徂徠のやっていた中国語研究も少しわかるようになった。どうやら彼は北京官話には触れていなかったらしい。南方系の音を使っていたようだ。まあ、そのあたりも今後おりに触れて調べてみたい。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年4月20日 - 2014年4月26日 | トップページ | 2014年5月4日 - 2014年5月10日 »