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2014.11.17

[ドラマ]昨夜のカレー、明日のパン(NHKドラマ)

 なんの思い入れもなく、なんとなく見始めた「昨夜のカレー、明日のパン」というNHKのドラマだったが、昨晩最終回(全7話)を見終えた(参照)。傑作だった。そして感動した。この手のドラマに感動するというのは久しぶりでもあった。
 物語は、32歳の仲里依紗演じる寺山徹子と、その7年前に亡くなった夫・一樹の父親である、退職近い寺山連太郎が、場所は埼玉県あたりだろうか農村と新興住宅地の狭間にある比較的旧家に二人で暮らしている日常から始まる。
 ドラマでは徹子は「テツコ」と呼ばれ、連太郎は徹子の義父であることからそのまま「ギフ」と呼ばれている。妻を何年も前に亡くしたという設定である。役者は「料理の鉄人」で主宰役でもあった鹿賀丈史である。調べると彼は64歳にもなり、このドラマのイメージにあっている。テレビの気象予報士をしているが、そのことがドラマに興味深いトーンを与えている。
 おそらく物語の魅力の三分の一は仲里依紗によっている。スエーデン人クオーターということをすっかり忘れてしまうほど日本旧家の生活と地方都市での生活に馴染みつつ、圧倒的な存在感を表している。演技の自然さと心の微妙な揺れが、現代の若い女性の、生活感ある特有の雰囲気を表現していて驚いた。ある意味、70年代とかの古いタイプの女性のようにも思えるのは、脚本のせいもあるのかもしれない。
 何の予備知識もなく見始めたドラマだったが、数回見て、いったい誰がこのようなドラマが書けるのか疑問になり、その時点で調べて木皿泉を知り、それが団塊世代夫婦の作家であることを知った。隣人夫婦である小田和正と小田みゆきの視点がそれに近いのだろう。

cover
昨夜のカレー、明日のパン
 原作があることもこの時点で知ったのだが、ドラマの映像の完全さからして、原作との対象がどうしても想像がつかない。いったんドラマを見終えてから原作を読むことにしようと思った。
 ドラマはコミカルなタッチで描かれ、またひとくせふたくせもある登場人物たちの日常の挿話が面白い。その生活の充実と、どこにでもありそうな地方都市の風景が絶妙にマッチしていて、それだけでも面白いのだが、そうした愉快さの背後にある圧倒的な死の支配というものが、この物語のテーマであった。
 私のようにどっちかというとキリスト教かぶれの日本人から見ると、この物語は徹頭徹尾、日本的なドラマであった。神(唯一神)が存在しえない世界である。そのような観点から見るのは私くらいのもかもしれないが、神というものがありえないあまりに日本的な世界というのが演じられるのは、私にとってはしばしば恐怖をもたらす。このドラマも、私もいち日本人として愉快に受け止めつつ、半面、神が存在しえない世界の現前に、蒼白になる思いもあった。当然ながら、この世界には「悪」も「罪」も存在しない。
 しかし、対立的、あるいは批判的に見たというのではない。初回からそうした雰囲気の構えは消えた。圧倒的な強さというものがこのドラマにある。そしてこのドラマは、その死の支配からのがれ市民社会が形成されていく過程を強靱に描いていた。私などは、いったい日本にどのようにしたら市民社会が形成できるのか。疑似インテリやリベラルをぞろっと並べても愚劣なものしかできない限界というものに絶望もしていたのだが、それを打ち砕くにたる希望を描いていた。
 このドラマは、正確に、神も近代原理も抜きで、市民社会というものを描き出していたのである。おそらくこれは、西洋の市民社会に匹敵するなにかであり、さらにこのドラマは微妙に手を入れれば彼らにも理解できる不思議なドラマになるようにも思えた。
 先走って話してしまったが、主人公であるテツコは夫の死を、ギフもまた妻の死を背負って生きている。そうして死を共有しながら、家族というものがいやだなと思いつつ、二人が連帯としての擬似的な家族を演じている。だが、これがさまざまな要因から壊れて、その死の連帯を市民社会の連帯へと次第に解き放っていく。
 ドラマはリアリズムではない。ひょこひょこと死者が現れる。日本人が死者の霊と静かに共存しているリアリティというのはこういうものだろうという感じの自然さである。圧倒的なのは、第四話の法事の話である。ここではギフの亡き妻・夕子が自然に登場する。しかも、その相貌は死期なのであろう。美保純が演じているのだが、これが彼女らしい滑稽さで面白く、そしてつられてテツコの亡き夫・一樹(星野源)も現れる。テツコとギフにはその死者の姿は見えず、テツコに恋慕する岩井(溝端淳平)だけに見える。岩井はこの物語の第三の主人公で、生の世界の側を代表している。
 すでに記したが映像も圧倒的だった。特に衒ったショットもないのだが、どこにでもありそうな、衰退していく日本の地方都市の風景が、美しくなどありえないはずでありながら、美しく描かれている。この風景のなかで、私たち日本市民は生きているのであり、その風景のなかで日本の市民が生きうることを力強く訴えていた。こういうとなんだが、団塊世代の最善の成果がここにあると言ってもよいと思う。

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コメント

木皿泉知るなら、「すいか」と「野ブタをプロデュース」を見るべきです。他のも面白いけど。

投稿: hiro | 2014.11.21 21:07

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