理研・笹井芳樹副センター長の自殺について
理化学研究所・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹・副センター長(52)が8月5日午前、自分の研究室のある先端医療センターで致死状態となり、病院に搬送されたが、ほどなく病院で死去した。同所で自殺を試みたものと見られている。他殺説はまったくありえないと断定はできないが、死因は自殺と見てよいだろう。
笹井氏は、STAP細胞論文の共著者の一人であり、同論文の主執筆者・小保方晴子氏の上司でもある。笹井氏の研究は再生医療の分野で世界的に注目されており、いずれノーベル賞とも噂されるほどであった。その意味で、日本の知的損失は大きい。
著名者の自殺ということと、STAP細胞論文の関連から、笹井氏の自殺の理由についてもいろいろと話題となった。日本の文化に関連づける荒唐無稽な印象の論考などもあった。そうした並びの一つになるのかもしれないが、私のごく簡単な印象をブログなので書いてみたい。
私の印象は、氏の自殺は、通常の精神疾患の帰結であり、それ以上の意味はないだろう、というものである。
つまり、氏に限らない。そういう精神状況にある人には一定の自殺の危険性があり、そこが十分にケアされないとき、自殺の事態が起こりやすくなり、今回は偶然死に至った、というだけのことだと私は思う。
私たちは、STAP細胞論文にまつわる各種のスキャンダラスな事態の発覚について、多大な知識を持っているため、そうした知識で自殺者の理由付けという物語をえたいという欲望を持つ。だが、そもそも事態との整合は取り得ないものだ。
もちろん自殺した本人にはそれなりに自分の納得する死に至る物語があったとしても、すでに正常の精神状態にはなかったと思われる。
いずれ、各種の理由付けは、ほとんど意味がないだろう。
むしろ、精神疾患の帰結ということは、氏の精神状態を管理する組織の、その点での監督責任は大きいと言える。なお、私がいう監督責任はあくまで勤務者のメンタルケアに限定されているもので、理研という組織がどのように運営されるべきかという話とは別である。
また、今回の事態が自殺であれば、私たちが確実にわかっていることは、その試みの場所についてだけである。自宅でも人目に付かない郊外でもなく、自分の仕事場であったということだ。
仕事場という場所が死の衝動を発作的に引き起こしたとしても、そこに残る自分の遺体というイメージが本人に想定されないとも考えにくいことから、その場所については一つのメッセージ性を多少帯びるだろうし、その意味は、やはり、彼の精神状態を管理する組織の責任が重くなるということである。
繰り返しになるが、笹井芳樹・副センター長の自殺から受け取れることは、一般的に労働者の精神的状態についての企業の管理のありかたというだけだと思われる。
その点でこの事例はどうであったかというと、報道(参照)によれば、STAP細胞論文の問題が騒動となった2月の時点で、心療内科に通院を開始し、3月からは1か月入院していた。その後は退院したのだろうが、3月には自身の地位を辞す旨を表明しており、また報道では「周囲の研究者は、笹井氏の様子が変わっていることに気づき、気遣っていたが、最悪の事態を防ぐことはできなかった」としていることから、精神状態を慎重に管理する必要性はあったと見られる。
そこから私が必然的に興味を持つのは、自死への物語的な理由ではなく、精神ケアの状態である。
より具体的に言えば、こうした事例で、どのような医療が適切だろうかということであり、自分の関心の中心をより簡単にいうと、抗鬱剤服用についてである。もちろん、抗鬱剤の副作用という単純な話ではない。
抗鬱剤と自殺についての関係の話題は欧米ではこの10年来注視されている。比較的最近では、今年の6月18日に「ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)」発表された論文「若者の抗鬱病剤使用と、米国食品医薬品局(FDA)の警告及びマスコミ報道の後の自殺行動の変化:準備実験的な研究(Changes in antidepressant use by young people and suicidal behavior after FDA warnings and media coverage: quasi-experimental study)」(参照)は注目された。
同論文は、2004年にFDAが発した抗鬱剤と自殺の関係についての警告によって、どのような変化が生じたかを扱っている。背景となるのは、FDAが2003年に要請した警告表示ある。FDAは臨床試験データの審査から抗鬱剤の使用による若者の自殺願望や自殺行為のリスク表示を製薬会社に要請した。
BMJによる調査結果どうであったか。FDA警告後、抗鬱剤使用は31%減少し、自殺未遂件数は21.7%増加。表題にもあるように若者(18~29歳)では、自殺未遂は33.7%増加した。
評価は難しい。抗鬱剤を使用しないことが、自殺を増やしたというようにも見える。抗鬱剤不使用がもたらした影響のようもある。反面、FDAの判断の背景となった抗鬱剤の副作用が関連すると見られる自殺がないわけではない。ようするに、自殺の関連で抗鬱剤の使用のありかたは慎重さが問われるということだ。
なお、私の印象にすぎないが、抗鬱剤が効く効かないという論点よりも、抗鬱剤使用をきっかけにした適切な医療の有無が自殺率に影響を与えているようにも見える。
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コメント
逃げる場所がない日本っていうのが、異常なんじゃないかな。大昔なら、さっさと出家して坊主になって、坊主のまま、自分のしたいことをするとかあったろうに。薬では、逃げることができない。逆に、戦うために、薬を飲むことになって、ますます、状況が悪くなるばかり。ま、想像だけど、彼は戦うために、自殺したのでは。実際、それなりに戦果を得られそうだし。
投稿: | 2014.08.11 09:03
初めてのコメント失礼いたします。
私は現在時事についての自分の考えを3つのブログにて表しております。自分の記事を書くだけでなく、他人の考えも聞きたく、認知症患者の如くネット上を毎日徘徊を致しております。私は団塊の世代の初めの昭和22年生まれです。私のブログはマスコミや他の報道記事を紹介した後、それに対する自分の考えを紹介する形式をとっております。今回も小保方晴子氏のSTAP細胞問題の結末を知りたく、ネットを彷徨ってたらこのブログに行き当たり、私はチョット違う考えだったのでここにコメントさせて頂きました。
ここのブログでは、自死そのものは「私の印象は、氏の自殺は、通常の精神疾患の帰結であり、それ以上の意味はないだろう、というものである。」とおっしゃっているように精神疾患の帰結と片付けていらっしゃる。私も同感ですが。私は精神疾患は精神疾患としては解かるのですが、遺書がある限り(この笹井氏の場合は家族にあてたものは正に真実であろうが、小保方氏や理研への遺書はある程度はそうだろうが、その他はねつ造と私は考えている)疾患に至る過程が正に自死への最大の影響ベクトルと私は考えております。人間の人生の締めくくりです。どんな人間も嘘も虚構も無くそれこそ生まれたばかりの赤ん坊の如く、真正に天国に旅立ちます。自分がその時までの本当の恨みつらみを吐き出し最後に礼を尽くして旅立ちます。それこそ二度と帰って来れないのですから。私は何故ここまで言うのかと言えば、私自身身内を二人自死で失ってるからです。
話を笹井氏の自死に戻せば、私が考えるには、天才が如きの人間は生まれてこの方学問の競争に恐らく負けた事のないお方だと思います。と言う事はそのプライドは我々凡人には計り知れなく大きかったのではないだろうか、それがこの笹井氏、よりによって、自分より格下(と思っていた事は容易に想像出来る)のIPS細胞の山中教授がノーベル賞をとってしまった。全てがここから変わってしまったと私は考えています。IPS細胞より先の自分のES細胞が遅れをとってしまった。このショックが危機挽回策のSTAP細胞に走らせてしまったと言うのが私の見方であります。人生で一度も負けた事が無く、理研と言う日本最大の知能集団を率いて、しかもその国家予算を自由に自分で操れる自分の今の姿を考えれば、そのショックたるや筆舌し難い屈辱だったろうと私は推測致します。そう言う彼が、研究者・科学者として重大なミスを犯してしまった。これはとてつもなく恥ずかしい事だったろうと私は思います。この恥ずかしさ、人前にこの事実を知られまい、穴があったら入りたい。そう考えてもおかしくない事だったろう。あの時以来理研を辞めたかった。しかし、辞めさせてくれない理研。そうしてるうちのマスコミのパッシングでありました。彼の性格(科学者としての原理主義者)からして理研に対する変な思いが、自死者特有のそこでの縊死となった事は理解出来よう。私はそれが自死の全てと思っております。死に顔さえみればもっと解かります。死に顔は何かを語ってるように我々に語りかけてくれます。
以上が私の考えの全てです。決して通常の精神疾患の帰結では無いと言いたかったのです。失礼いたしました。
投稿: krta-k | 2014.12.08 13:42