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2014.08.27

[書評]関口・新ドイツ語の基礎(関口存男・関口一郎)

 相変わらずドイツ語を勉強していてる。当初、こんな簡単な言語はないなと思っていたが、とんでもない。難しい。文法の規則は頭ではわかるが、文法の感覚がぜんぜん付いて来ない。ナチュラルなスピードで発話されると、あちこち音が脱落・省略しているらしく聞き取れない。二人称の疑問文でDuなんかほとんど聞き取れないというか、動詞語尾のtにほとんど吸収されている。
 でもだいぶ慣れてきた分離動詞もしっくりきつつある。英語がますますフランス語に感じられる。夢のなかで、"Ich gehe gerne nach Österreich."とか呟いている自分がいる。

cover
関口・新ドイツ語の基礎
CD付 復刻版
 それはそれとして。ドイツ語学習であまり他の教材に手を伸ばすのはやめようと思っていた。が、たまたま手にした『関口・新ドイツ語の基礎』(関口存男・関口一郎)という本(参照)が妙に面白かった。というか、あれ、これがかの有名な「関口存男」なのか、へえと思ったのである。
 昭和22年に書かれて、昭和59年に改訂されている。とすると、この関口一郎さんは息子さんかと思ったら、お孫さんだった。しかも、2001年に55歳で亡くなっていた。歴史だなという感じがする。改めて、関口存男の生年を見るに明治27年。私の祖父母よりも10年は年上という感じ。ちなみにそのあたりの小林秀雄の生年が明治35年。そのフランス語の先生・辰野隆が明治21年だから、関口は辰野に近い年代だな。
 同書だが、改訂されているせいか、古びたという印象はない。フランス語もそうだったがドイツ語も、英語のようにころころ語彙・表現・様式が変わるということがない言語のようにも思える。
 卑近に面白いのは、昔の学校の先生ような雑談的な話題が含まれていることだ。

 眼で覚えた外国語はたいして役に立ちません。耳で覚えた外国語は、それよりはいくらかましかもしれないが、役に立たぬ点では大差はありません。では何で覚えた外国語が役に立つか? それは手で覚えた外国語、舌で覚えた外国語です! 手で書きなぐり、口一杯に頬張ってどなり散らした外国語です!
 どなり散らすのはまだちょっと早いかもしれません。あたりに人のいない時をみはらい、やおら奇声を張り上げて例題を読誦してみてください。柱時計がびっくりして止まったら、「何だ!」といってにらみ返してやるべし。そのくらいの元気がなくちゃ駄目です。

 笑った。そして、その方法を真似ることにした。たまにでっかい声でドイツ語で喋ることにした。柱時計がないのが残念。
 ch音の説明もまた、おかしい。

たとえばドイツの映画などを見ていると、女が、Ach!という時の音は、ほとんど「ア!」としかきこえませんが、しずかな時にはその後にもちょっと息のかすれが漏れます。それがまたとても性的魅力があって……(以下削除)。

 「以下削除」は原文にあるとおり。
 同書だが気になって調べてみると元は『新ドイツ語大講座』の三巻本で1965年に藤田栄改訂で合本になっていた。そのころにはまだ普通にこの本が使われていたのだろう。ちなみに、上述の引用部を原本に当たったら「映画」は「トーキー」だった。そりゃそうだよなあ。
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関口存男の生涯と業績
POD版
 関口存男という人は面白いなあと思って関連のものをちょっと拾い読みしてくと、これがまた面白い。『関口存男の生涯と業績』(参照)に彼の「わたしはどういう風にして獨逸語をやってきたか?」というエッセイがある。

 えゝと、一寸申しおくれましたが、私の年齢は今五十……八だったかな? 九だつたかな?(どうも自分の年という奴は困るです。今年こそは断然覚えてやろうとおもつて年頭に断然覚える事もあるんですが、翌年になるモウ違って来るので、しよつちゆう頭のなかで混乱して今日に及んでいます。

 ちなみに、私も57歳になったが、わかる気がするなあ、それ。
 「語学をやる覚悟」というのもおかしい。

本当に語学を物にしようと思つたら、或種の悲壮な決心を固めなくつちゃあ到底駄目ですね。まづ友達と絶交する、その次には嬶アの横つ面を張り飛ばす、その次には書斎の扉に鍵を掛ける。書斎の無い人は、心の扉に鍵を掛ける。その方が徹底します。


勿論人に好かれない事は覚悟の前でなければなりませんよ。人に好かれてどうなるものですか。人にだけは好かれない方がよろしい。そんな量見だけは決して起こす可らずです。余計なことですからね。『人に好かれる』なんて、人に好かれるような暇があつたら、その暇にしなければならない事はいくらでもあります。


△既に先進国を前に控えた新興国の新興時代は、すべての人が語学者でなければならない。――過去を見ればわかります。漢文ができなくて支那印度の精神文化を受け入れた学者があつたでせうか。
△要するに、そんな言ひ草は通用しません。『ちよつとやつて見る』とか、『手段としてやる』なんてやり方はありません。『やる』以上は『やる』。やるに二つはありません。

 『獨逸語大講座』の六巻にはドイツ語学習のエピローグとして十訓が上げられている。

1. 文法には統一あらざるべからず。
2. 先づ馬鹿の一つ覚えをしろ。
3. 容易な文例を澤山読め。
4. 逐語訳によれ。
5. 音読しろ。
6. 中腰でやる位なら止せ。
7. 文法上の概念と術語とをはつきり意識しろ。理屈に負けるな。
8. 原書を引きながら辞書を読め。
9. 言は事なり。
10. 欧州人種の概念形態に興味を持て。

 そのあとが、じんとくる。

 では本当にさようなら。いつまでも初歩の辺りでうろついてゐないで、はやく原書に沈没して、四五年後に顔を上げて下さい。世間が面白くない時は勉強にかぎる。失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ。

 出版されたのは昭和6年8月18日のことだ。その一か月後に満州事変勃発となる柳条湖事件が起きる。
 「失業」という関口の頭にあったのは、世界大恐慌の煽りで、昭和5年翌昭和6年にかけて起きた昭和恐慌だろう。昭和四年小津安二郎『大学は出たけれど』の表題が期せずして流行ることなった。

 Ich sage laut, Lehrer Sondern!

世間が面白くない時は勉強にかぎる。 失業の救済はどうするか知らないが個人の救済は勉強だ。
   

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コメント

関連でちょっとググって、存男先生が内田百閒を大学から追い出してしまったってことを知りました。

外国語に精通するには其の国に住むのが一番ということではないですね。日常会話ができるということと言語に精通するということは別次元、あるいは訓練時間の効率の問題?

Wenn ein Esel auf Reisen geht, wird er nicht als Pferd zurück kommen.

投稿: September | 2014.08.29 15:21

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