イラク情勢について気になることがあるので少し書いておこう。イラク新首相候補と米国の関係である。と同時に報道への疑問でもある。
一例として、比較的最近新のNHK「米 イラク新首相候補支持の姿勢強調」(参照)を取り上げてみよう。まず冒頭の全体的なまとめ部分は、可もなく不可もなしといった話にも見える。
緊迫した情勢が続くイラクで、マリキ首相は新しい首相候補が指名されたことについて強く反発していますが、アメリカ政府は支持する姿勢を強調し、イスラム過激派組織に対抗するため、挙国一致の政権づくりを急ぐよう求めていく方針です。
気になるのはその詳細である。こう展開される。
イスラム教スンニ派の過激派組織と政府軍との戦闘が続くイラクでは、マリキ首相によるシーア派の優遇策に対するスンニ派の不満が過激派の勢力拡大を招いたとして退陣を求める声が強まっています。
こうしたなか、マスーム大統領は11日、新しい首相候補にハイダル・アバディ氏を指名しましたが、マリキ首相は憲法違反だとして退陣を拒否しました。
これに対しアメリカのオバマ大統領は、声明を発表し「アバディ氏の指名は憲法に基づくもので、イラクの異なる宗派や民族を結束させる新たな政権づくりに向けた重要な一歩だ」と述べ、支持する姿勢を強調しました。
一方、アメリカ国防総省は、過激派組織に対し4日連続で空爆を行った結果、過激派組織の勢いは一時的に抑えられたものの、全体的な戦闘能力をそぐには至っていないという認識を示しました。
アメリカ政府としては、空爆を続ける構えを示していますが、過激派組織に対抗するためには「すべての勢力を代表する政権をつくることが唯一の解決策だ」として、イラクに対し挙国一致の政権づくりを急ぐよう求めていく方針です。
わかりにくい報道ではないが、背景を知らないとわかりづらいだろう。
ごく簡単にいうと、イラクの混迷の原因は、マリキ首相の失策だから、この首相を新しいのにすげ替えることで、イラクを混迷から抜け出すようにしたい、ということだ。
そう思う人はイラク人にも少なくない。私もその点までは同意できる。
論点は、その意図を強く打ち出した米国のあり方が、正当なのか?という点である。
まず日本語として曖昧なのが、「マリキ首相は新しい首相候補が指名されたことについて強く反発しています」という表現で、この指名の仕組みがNHKのこの報道からは読み取れない。
この点についてはしかし、前日の報道がある。「イラク 大統領が新しい首相候補を指名」(
参照)である。
イスラム過激派に対し、アメリカ軍が空爆に乗り出すなど緊迫した状態が続くイラクで、大統領がマリキ首相に代わる新しい首相候補にアバディ氏を指名しました。
つまり指名したのは大統領である。
そしてこの指名に賛同したのが米国である。これは早朝の報道「米副大統領 イラク新首相候補に支持表明」(
参照)にある。
アメリカのバイデン副大統領は、11日、イラクのマスーム大統領や新しい首相候補に指名されたアバディ氏と相次いで電話で会談し、双方に支持を表明するとともに、イスラム教スンニ派の過激派組織に対抗するために挙国一致の政権作りに向けて協力していく意向を伝えました。
さらっと語られると、米国がイラクの新しい動向に対して、受け身的に賛意を示しているように見えるが、私は、ここで驚いたのだった。
なぜかというと、基本、イラクの大統領というのは、ドイツの大統領のように儀礼的・象徴的な存在にすぎないと理解していたからだ。当然ドイツの大統領がサミットに出ることはない。日本の天皇と似たようなものだと言ってもいいかもしれない。天皇がサミットに出ることはない。
大統領は国によって権限が異なり、フランスや米国のように強力なものもあり、イタリアのように弱い形で権限をもつタイプもある。大統領に権限があるとしても、基本、直接民主制に基礎を持つのだが、イラクの大統領の選出は間接選挙である。外務省に説明があるように、「国会が召集され,新国会議長及び副議長が選出される。さらに召集から30日以内に国会議員の3分の2の賛成で新大統領が選出」(
参照)する。ゆえに、そもそも強い権限はもてない。
東大「中東・イスラーム諸国の民主化」(
参照)はイラクの大統領制度を簡素にまとめている。
新憲法は、大統領の役割を「国家の長、国家統一のシンボルであり、国家の主権を体現する」(第67条)と定める一方、首相は「国家の政策を遂行する責任者、軍の指揮官」(第78条)であるとしている。首相の選出は大統領の指名によって行われるが、その人選は、与党となる議会の最大政党が行うとされており(第76条第1項)、首相が閣僚を指名した後、議会の絶対過半数の賛成を経て内閣が発足する。従って、大統領は存在するが、制度としては議院内閣制に近い。
つまり、イラクの大統領は国家統一のシンボル(象徴)であり、実質の権限は、議会にある。
また、国民議会は大統領・首相を罷免できるが、大統領・首相に国民議会の解散権はなく、さらに、軍参謀総長および副官、師団長以上の者、諜報機関・治安機関 長官などの人選においては、議会の承認が必要と定められており、制度上は独裁体制の反省を踏まえて議会重視のアプローチが採用されている。
イラクでは議会が大統領を罷免する権限を持つ。
こうした点を踏まえると、「大統領が国会内の第一政党(政党連合)から首相候補を指名」(外務省説明)するというのは、日本国憲法第六条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。」と同質の儀礼であることが理解できる。
この点に注目するとわかるが、今回米国がイラク大統領による首相指名を支持しているということは、日本に例えるなら、天皇の儀礼的な首相指名になんらか、内政の混乱や国際政治動向で重要性を持たせるに等しい。
だから、私はびっくりしたのだった。
以上を踏まえて、冒頭のNHKニュースに戻る。再掲になる。
こうしたなか、マスーム大統領は11日、新しい首相候補にハイダル・アバディ氏を指名しましたが、マリキ首相は憲法違反だとして退陣を拒否しました。
これに対しアメリカのオバマ大統領は、声明を発表し「アバディ氏の指名は憲法に基づくもので、イラクの異なる宗派や民族を結束させる新たな政権づくりに向けた重要な一歩だ」と述べ、支持する姿勢を強調しました。
まず疑問に思えるのは、オバマ米大統領の声明「アバディ氏の指名は憲法に基づく」という点だが、イラクの政体において大統領が首相を指名するのは、議会手続きの延長の儀礼なので、議会が首相を選出できるかにかかっているはずだ。
だが、そこは混迷した状態になっている。なのに、それを越えて、「アバディ氏の指名は憲法に基づく」と他国が言えるのだろうか? 言えないだろうと私は思う。
この私の疑問は、当然、現マリキ首相にもあり、「憲法違反だとして退陣を拒否しました」ということに対応する。
では、大統領が議会手順を越えて首相指名することは憲法違反なのだろうか。あるいは、議会手順は正しいのだろうか?
この点については、イラクの最高裁がすでに判断を示した。ロイター「マリキ首相3期目続投に道、最高裁決定でシーア派陣営が組閣へ」(
参照)。
イラク最高裁は11日、イスラム教シーア派であるマリキ首相の陣営が議会の最大会派だとする判断を示した。同首相の3期目続投につながる可能性がある。国営テレビが伝えた。
憲法に基づき、大統領はマリキ首相に組閣を要請しなければならなくなる。
マリキ首相率いる「法治国家連合」のメンバーであるマフムード・アル=ハッサン氏はロイターに対し、大統領は同首相に組閣を要請しなければならず、さもなければ憲法違反行為を犯すことになると指摘した。
どういうことかというと、イラクの最高裁は「マリキ首相の陣営が議会の最大会派だとする判断」したので、その会派から首相が選出されるということだ。大統領は、憲法の規定から、その会派から選出された首相を指名しなければならないのである。
独立した司法の頂点で憲法判断が示されたのだから、おそらく以上で、この問題の正当性の議論は終わったと思われる。つまり、米国大統領の判断は間違いである。
ただし、このロイター報道には奇妙な尾ひれがついている。
一方、イラク政府高官は匿名を条件に、最高裁の判断は「非常に問題がある」と指摘。「情勢を非常に、非常に複雑化させるだろう」と述べた。
イラク最高裁判断に「非常に問題がある」があるのは、法の適用上なのか、遵法が問題を起こすことになるのか曖昧である。が、「情勢を非常に、非常に複雑化させるだろう」というのは後者の含みを持つ。おそらく、民主主義国家の法的な議論としては問題ないと見てよさそうだ。
話を少し割愛するが、しかし、以上のような論点は欧米ではどう議論されているか、いろいろ見て回った。私の見た範囲の結論からいうと、この問題にきちんと触れているものはない。一例ワシントンポスト記事(
参照)のように、マリキ首相の支持は議会においても少ないから、彼は支持されていないといった意見は目に付く。たしかに、支持母体の政党が大きいともいえず、しかもその所属議員の意見も割れている。だが、そのことと法の正当性の議論は別である。
憲法を遵守する考えからすれば、大統領指名に着目するのではなく、議会手順をやりなおす必要がある。つまり、最大派がマリキ氏を選出しないという点が明確にされなければならない。
その意味で、共同「イラク首相候補にアバディ氏 米要求でマリキ氏見切り」(
参照)にも疑問は残る。
【カイロ、ワシントン共同】イラクのマスーム大統領は11日、マリキ首相に代わる新首相の候補に、イスラム教シーア派政党連合のハイダル・アバディ連邦議会副議長を指名した。マリキ首相は自らの首相指名を要求していたが、身内のシーア派連合から見切りを付けられた形となった。
内外の信頼を失っていたマリキ氏に代わる首相候補が決まり、米国の要求に沿った形で、スンニ派の過激派「イスラム国」の脅威に対抗する挙国一致内閣づくりがようやく始動する。
しかしイラク戦争後に主導権を握るシーア派に対し、スンニ派、クルド人勢力の不信感は根強く、組閣は難航が予想される。
「身内のシーア派連合から見切りを付けられた」は「マスーム大統領」によるので、議会最大派の動向とはいえない。むしろ、このように「米国の要求に沿った形」が形成されるのは、民主主義国家にとっては異常な事態だろう。
以上で、イラク新首相指名についての話題は終えるのだが、米国がイラク国内で実施している空爆の正当性もこれに関連して疑問が残る。イラクでの米国による空爆は、イラク政府からの要請によるとしているだが、そのイラク政府の主体は誰なのだろうか? 端的に言えば、マリキ首相なのだろうか?
この疑問が起きるのは、これまでマリキ首相が米国に空爆を求めてきたのは事実と見てよさそうだが拒否されてきた(
参照)。しかし、ここに来て突然、マリキ首相失脚の目が出て来てから転換して空爆に踏み込んでいる。率直な疑問を言えば、米国がイラクから要請されたというイラクとは、マリキ首相の行政府ではなく、実質「マスーム大統領」かクルド自治政府ではないだろうか。
米国空爆の文脈だが、米国側の筋立てとしては、見過ごせない人道危機に対応するというものだが、誰もが即座に疑問を持つのは、シリアも同様なのだが、そうした対応を米国は示してこなかったことだ。また、人道危機への対応として、危機地域に食料・医療物資の投下を行っているとしても、実質、クルド自治政府の軍事援助が基本になっているように見えることだ。
米国の筋立てを単純に否定するものではないが、イラク政府の問題の文脈に置き換えれば、こうした危機と米国の軍事介入を背景に、米国がイラク政府に圧迫をかけていることがわかる。むしろ空爆は、イラク内政への米国の介入の口実なのではないかとも思えてくる。この空爆は「限定的」であるが、何への「限定」なのか。問題化している「イスラム国」の運動については、付随的なという意味ではないだろうか。