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2014.07.13

[書評]イエス・キリストは実在したのか?(レザー・アスラン)

 2013年に書かれたレザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』(参照)という邦題は、現代ではそれだけで日本人の知的関心を誘うのではないか。帯に「イスラム教徒による実証研究で全米騒然の大ベストセラー」ともある。そのあたりも興味引かれるところだ。

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イエス・キリストは
実在したのか?
 私は自著にも書いたが、若いときこの分野の学問を学んでいた。歴史的イエスの研究というテーマである。当時、学問的にはすでに歴史的イエス像というのは否定的に解決されていた。否定的というのは概ね歴史的にイエスは存在すると見てよいが、どのような人物であったかは皆目わからないし、その歴史人物像の研究はさしたる意味がないというものだった。
 新約聖書学に慣れていない人や、キリスト教信仰者の一部にはこうした見解を受け容れがたく思うかもしれない。私はいろいろ学んだせいもあるがごく普通に受け容れて、すでに自著でも触れたが、その先の研究をしたいと思っていた。アラム語による語録復元から何が見えるかという研究である。そこから従来とは異なる歴史イエス像が再現できるかとも期待していたのである。
 あれからもう30年以上も経つ。それでもおりにふれて、最近の新約聖書学の動向や歴史的イエスの新しい研究動向などを読むことにしている。今回、「イエス・キリストは実在したのか?」を読んだのもそうした関心の一環であった。
 読む前には、邦題に引かれて「フラウィウス証言」についてなにか新知見でもあるかなと思ったが、読んでみるとその部分は存外に軽い。事実上この問題に立ち入っていなかった。ついでに関連したウィキペディアを覗いた。案の定日本語の情報は曖昧だったが、英語ではかなり詳細に書かれていた(参照)。
 私が新約聖書学を学んだのはもう随分昔になるから、それなりに手入れはしているものの私の知見は相当に古く、また今回も大幅に入れ替わる部分があるだろう。なんとかしないといけないという期待もあった。が、読後、私の印象は、率直にいうと、新知見と呼べるようなものはあまりなかった。と同時に、自分が学んでいた当時のことなども懐かしく思い出した。些細な理由もある。
 翻訳者の後書きを読むと、この翻訳では教会関係者の目も入っているらしい。が、読み始めてすぐ、もしかすると新約聖書学関連の学者の目は入っていないかもしれないと思うことがあった。非難に受け取らないでほしいのだけど、「本書執筆にあたって」のこの個所を読んだとき、微笑んで、さっと昔のことをいろいろ思い出したのだった。

 ギリシア語で書かれた新約聖書の翻訳のすべては、(友人のリッデルとスコットに少し助けを借りて)筆者自身が行った。

 ちなみに原文はこうなっている。

 All Greek translations of the New Testament are my own (with a little help from my friends Liddell and Scott).

 英語の翻訳としては間違っていないし、意図がわかって原文の軽いトーンをあえてそのまま「友人のリッデルとスコット」としたのかもしれない。
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A Lexicon: Abridged from
Liddell and Scott's
Greek-English Lexicon
 この「Liddell and Scott」というのは、有名なギリシア語の辞書の名前で、新約聖書学と限らずギリシア語を学ぶ学生の必携辞書である。まさに"my friends"である。私は赤茶色の装幀のオックスフォード大学の縮約版を「友だち」にしていた。胸キュンとする思い出である。私が校閲だったら「愛用のリッデル&スコット辞書の助けを借りて」と軽くメモしただろう。
 些細な思い出に話を割いてしまったが、著者についても、歴史に詳しく宗教にも詳しいのだろうけど、初期キリスト教テキストの内側の問題には入ってないこともあって、新約聖書学の学者さんではないなという印象はもった。反面、「メシアの秘密」などに顕著だが、ごくオーソドックスな議論を展開しているので、新約聖書学の枠にきれいに収まっている印象もあった。
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Zealott: The Life and Times
of Jesus of Nazareth
 内容についてだが、オリジナルタイトル「Zealot: The Life and Times of Jesus of Nazareth(ゼロテ党派者:ナザレのイエスの生涯と時代)」が暗示するように、"Zealot"の語感が強い。英語だと「熱狂者」「政治や宗教に熱中する人」という語感もある。
 この視点がイスラム教徒の学者から出されたことで、「キリスト教起源のイエス・キリストも現代のイスラム教原理主義者と同じような存在だった」というニュアンスが生じる。そのあたりが、英語圏でまず受けた理由ではないかと思う。
 内容についても当時の革新的・闘争的なユダヤ教の一派としてのイエス像を描いている。キリスト教的文脈で読まれる聖書では、イエス・キリスト自身が熱心党(ゼロテ党)に近かったとするのは、こうした説を知らない人には斬新に見えるかもしれないし、私も、ああ、世代が一巡したんだなと思った。
 ゼロテ党革命家としてのイエス・キリスト像としては、日本では1972年に西義之が翻訳した読売新聞社刊カー・マイケル『キリストはなぜ殺されたのか』が話題になったことある。このオリジナルの『Death of Jesus』の刊行は1963年なので、もう半世紀以上も前になる。ちょっと調べたら西義之もカー・マイケルも亡くなっていたので当然といえば当然だが感傷は湧く。
 いずれにせよ、よほどの古典でもないとベストセラーでも半世紀も前の本を覚えている人は少ないのかもしれないし、本書でもカー・マイケルへの言及はなかったように思えた。こちらの書物がよりジャーナリズムに近く学究的な意味はないと見なされたのかもしれない。
 感傷から余談が多くて申し訳ない。本書だが、全体としてイエス・キリストに関連する当時の歴史・文化的な事情はコンサイスにまとまっていてちょっとしたレファレンスに利用できて便利だ。日本語での翻訳はしばしば原注が省略されてしまうことがあるのだが、本書ではこの部分もきちんと翻訳されていてとても好ましい。
 話が前後するようだが、個人的には本書で描かれるゼロテ党の視点よりも、「第Ⅲ部キリストの誕生」が面白かった。イエス死後(復活後)のイエス教団とパウロの関連である。率直な印象をいうとこの部分は未整理だなと思えたが、そこはまだなかなか視座が採りにくいところでもあるのだろう。
 最後に直截にいうと語弊があるので少し口ごもるが、著者レザー・アスランについては、クリストフ・ルクセンブルグ(Christoph Luxenberg)の研究についても今回の"Zealot"のトーンでまとめてくれたらと願わずにはいられない。自分も若くて余裕と元気と勇気があったら、その分野を研究してみたいないとも少し思う。
 
 


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コメント

「英霊は実在したのか?」という本もでないのかしら。

人は、人を信じるということで、そういう基本概念を切り口に、キリストの実在を証明したくなるから、本として売り出されるのだろうし。

なにがいいたいかというと、なんかしらないけど、とくにネットが、「科学を信じろ、人を信じるな。」みたいになってること。これって、「組織を信じろ、個人は従え。」でしょ? つまり

頭の中がごちゃごちゃしてきて言葉にならないけど、キリストの存在より、finalvent君の存在の方が大切だと思う人を信じるかどうかなんじゃない?

投稿: | 2014.07.14 05:30

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