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2014.07.07

「地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りました」

 先日、ベトナム戦争を扱った映画に関連するタイ語の歌のことを書いた(参照)あと、ぼんやりいろんなことを思っていた。
 いくつか小分けにしてブログに書いてもいいんだけど、どうしようかと思っているうちに、なんとなく気が沈んで、書く気力も抜けてしまった。それはそれで自分としてはどうでもいいことではあるんだけど、ベトナム戦争との関連という以外に、開高健についてこのところ考えていて、そこの交点にまた、いろいろなものが集まってくるんだけど、奇妙に心にひっかかることがいくつかあって、あれだよなあ、あれ、と心を探っていた。あれだ。
 昭和41年の雑誌『世界』が初出だが、その後昭和56年単行本『言葉の落葉 Ⅲ』(参照)に収録されている「解放戦線との交渉を」だった。
 昭和56年というのは1981年。私が学部を卒業した年、昭和41年は1966年。
 その二年前の1964年、昭和39年に、その10月に東京オリンピックがあり、開高は連載の『ずばり東京』の単行本が12月に出るが、その前の11月に彼は朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムに向かった。
 開高は、翌65年1月から3月、北爆のさなかの状況を「南ヴェトナム報告」として「週刊朝日」に連載し、これをまとめて『ベトナム戦記』(参照)にした。
 その余波ともいえるが、友人でもあった小田実とも組み、ベ平連の活動を展開する。が、その後、1970年代に入ると開高はしだいにこの運動から離れていくように見えたものだ。その微妙な差違は、しかしその1966年時点の「解放戦線との交渉を」、つまりほとんど原点にあったように思える。
 「世界」編集部からの問いかけに答える形式で書かれている。


――最後に日本の国民に何か考えていることがありましたら……
 ヴェトナムは日本で1965年上半期、ブームになったわけです。ものすごく熱くなって沸騰したんです。ところが秋風とともに、日韓会談という問題もありましたけれども、突然、低調になった。僕は実に憤慨した。熱しやすくさめやすい。これは国民的性格なのかもしれないが、日本人はあれだけヴェトナム問題、ヴェトナム知識があふれたものだから、いまはもうヴェトナムのことはすかっりわかっちゃったというつもりである。そして無関心の領域のなかへヴェトナム問題はすべりこみつつあり、ふたたびアパシーが襲っている。

 私は当時小学校二年生で、そうした政治の空気はまだ知らない。だが、「熱しやすくさめやすい」「すかっりわかっちゃったというつもり」「無関心の領域」というのは、その後もいろいろな問題で繰り返しているので、そこから帰納法ではないけど、そのころもそうだったのだろうと思うようになっている。
 ここで話が少し逸れるが、ここで触れられている「日韓会談」は日韓基本条約のことで、振り返ってみると、この時代、まだまだ日本では北朝鮮を礼賛している知識人も多く、社会党なども北朝鮮を無視しているとして反対していた。
 というのを私の場合は、ヴェトナム戦争の歴史などともに10代から20代に再構築していくわけだが。
 開高の話に戻る。またこう続く。

 日本の知力というもののふしぎさなんだけれども、地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りましたといわんばかりに、ヴェトナム専門家が輩出した。魔法使いのおばあさんが杖でまたポンと地面を叩くと妖精はさっと消えました。

 ここでいう「知力」というのは、現代の文脈文脈でいえば「リベラル」と言ってもいいのではないかと思う。その「ポン」という挙動は50年くらい経っても変わっていないように思える。
 開高は、しかしヴェトナムというのは複雑で難しい国だという。その文脈からこう語る。

非常に頭がよくて敏感だが、カミソリのようにもろくて木は切れないというのが日本人の感性です。とくに知識人はそうでしょ。昨年のヴェトナム・ブームに反対した人たちも結局のところ流行するものにはなんでもかんでも反対するという衝動を出ていなかった。すでにそれ自体が流行現象でしたよ。とくにかく日本は言葉のヤリトリですませられるからいい国ですよ。

 「ヴェトナム・ブームに反対した人」は、ベ平連活動に反対した人と読めないでもないが、それでも文脈全体は、ヴェトナム問題がブームとして扱われたことへの違和感と日本の知識人との感覚に向けられている。また、この違和感は結局のところ、その後の開高健の文学の核に変わっていくと同時に、いわゆる知識人や「リベラル」との距離に変貌していく。
 「流行するものにはなんでもかんでも反対するという衝動」という点では、日本は50年間、なんの変化もなかったように見えるのは、その挙動を許す環境があったからだとも言えるだろう。それがまだあるのか、ないのか、なくても、続くのか、と考えると、たぶん、なくても続くのではないか。
 
 

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