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2014.07.30

ドイツ語を30日間ピンズラー教材で学んだ

 それほどドイツ語には関心があったわけでもないし、動機もそれほど強くなかったが、ピンズラー(Pimsleur)教材でドイツ語を学んでいこうと思って始めてから、30日が経った。
 当初は、なんなのこの簡単な言語、と思っていた。発音は簡単だし、文法は単純だし、時制も少ないし、コンジュゲーション(conjugation)も法則的だし、正書法もフランス語ほど複雑怪奇でもない、と。ところが、20日過ぎたあたりから、愕然と難しくなった。

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German I,
Comprehensive
 難しくなった理由は、ピンズラー方式の特徴だが、この頃から指導にその言語を使うようになる。だんだんとドイツ語でドイツ語を学ぶようになる。
 この指導に使うドイツが自分には聞き取りにくいうえ、れいの複文が枠構造しているから、指導のドイツ語理解しないと自分で発話できない。むずかしい。まいったなあ。その点、フランス語とか中国とかは、けっこうおうむ返しでなんとかなっていた。
 でもなんとか、30日間のフェーズ1を終えた。文法的にはようやく過去形が入ったくらい。学んだ単語も少ない。前置詞と格変化に戸惑うこともまだない。動詞の分離構文なども出てこないので、まだまだ初歩の段階。それでも、むずかしいという感じ。
 もうここでやめようかと戸惑っていたが、フェーズ2に進むことにした。その第1日が今日。初日は少し楽かなと思ったら、そうでもない。指導の人が一人増えて、その慣れない声は聞き取りにくい。
 この先でできるだろうか。フランス語や中国語のときとは別に、少し意気込みを抜いて繰り返し練習したらなんとかなるか、ためしてみるかという感じ。
 それはそれとして、30日とちょっとの間、ずっぽりドイツ語にはまってみるといろいろ思うことがあった。
 想像はしていたが、ドイツ語は呆れるほど英語と似ていた。しかも、現代の英語がフランス語のピジン言語化していない部分の差分を音変化の法則にかけるとドイツ語になっちゃうなあという感じだった。
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読んでおぼえる
ドイツ単語3000
英語からドイツ語へ
 特に、語彙に多い。たとえば、"weg"という単語がある。「ヴェック」のように発音する。意味は、英語だと"away"。ということろで、あれれと思う。これ、"away"を単純に音変化させると"awag"となるんで、これがさらに音変化して"weg"ではないのか。この点については確かめてはいないのだが、そう思った瞬間にすんなり記憶できる。
 こうしたなんか便覧ないかと探したら、『読んでおぼえるドイツ単語3000―英語からドイツ語へ』(参照)という絶版本があったので買ったら、なかなかよかった。最近ではこういう本ないんでしょうかね。
 英語で類推できることが逆効果にもなる。"gestern"は英語の"yester-day"から音変化でできるけど、現代のドイツ語の発音だと、「げっさん」に近い。やはり慣れて音から学ぶように切り替えないといけないとも思った。
 発音で戸惑ったのは、"so then"や"right then"の意味で、"also dann"というのだが、私の耳には「あいぞ・だん」と聞こえる。"aiso"について辞書の発音記号見ると「IPA: /ˈalzo/」とあるんで、「アルゾ」かなと思うと、とてもそうは聞こえない。その他にも、シーケンス中の"al"は、「あい」に近く聞こえる。流音が母音のiに近くなるのは英語でもあるし、フランス語などは顕著なのだが、ドイツ語でも起きるのだろうか。と、ちょっと調べてみた範囲ではわからない。いくつか音源を聞いてみると「アルゾ」と聞こえないでもないのはある。
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German II,
Comprehensive
 日本人が英語を学ぶときにもカタカナが問題になるが、ドイツ語もそうなんだろう。"Danke"や"Bitte"なんかも、「ダンケ」「ビッテ」とは聞こえない。「だんか」「びた」のように聞こえる。eはどうもシュワのようになっている。ちなみに、北京語の"e"もそうだった。
 その他、音で困るなあと思うのは、後続が母音の"s"や"w"が、ゆっくりした発音では有声音なんだけど、自然な速度だとけっこう、無声音化していることだった。このあたりは特に法則はないんだろう。
 全体として、ドイツ語って、音がきついイメージに思っていたが、イギリス英語よりもソフトにも感じられてきた。先入観を変えて、もっと耳を信じないといけないなと思う。もちろん、ドイツ語の場合、地方差が激しいのでいろいろな発音はあるのだろうけど。
 ドイツ語に慣れてくると、ヘーゲルやマルクス哲学に出てくる「止揚」の原語"aufheben"とかも自然に、"auf"+"heben"と聞けるようになる。これ、英語だと"on"+"lift"、なので、lift upくらいの感じになる。たぶん語感としては、「on状態から離して摘み上げる」というくらいではないか。なので、"off"の語感がって、そこから、"lift off"の語感もあるんのではないかと思う。
 とすると、「アウフヘーベン」というのは「くっついているものを摘み上げて、引き離してみたよん」くらいことなんじゃないだろうか。
 Wiktionaryに例文があるんだが。

Er hob seinen Hut wieder auf, der ihm vom Kopf geweht wurde.
 ⇒He again picked up his hat that was blown off his head.

Die Prohibition wurde aufgehoben.
 ⇒Prohibition was abolished.

Er hob das Buch auf.
 ⇒He kept the book.


 "abolish"の意味が出てくるのは、「引き離してみたよん」の結果なんだろう。もっと現代的には、"cancel"の意味でよさそうだ。
 なにが言いたいかというと、哲学だとこう言われているけど、どうなのか、と(参照)。

ヘーゲル弁証法の根本概念。あるものをそのものとしては否定するが,契機として保存し,より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を,対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。揚棄。アウフヘーベン。 〔ドイツ語 Aufheben の訳語。「岩波哲学辞典増訂版」(1922年)が早い例〕

 説明としては正しいのだが、もっと簡単なことなんじゃないのか。「なんかにひっついているものを摘み上げたら、状態が変わったよね」ということが根にあるんじゃないか。
 そういえば、フランス語の「不条理」が"l'absurde (absurde)"で、英語だと"the Absurd"だから、「何、これ、バッカじゃね」という語感なんで、「笑っちゃうでしょ」ということだった。
 他にも、ハイデガーの哲学にある、ドイツ語で「頽落」も"Verfallen"で、"Ver"+"fallen "。ただし、"Ver"は非分離なんで、普通に接頭辞なんだが、これも、"verkommen""verschlafen""verfahren"なんかと並ぶ。「間違ったところに落ちる」ということから、「頽落」という訳語もわからないけではないけど、現代ドイツ語の語感だと「期限切れ」。
 ようするに「ダメになった」ということ。あれ、ネットでよく言う「人をダメにするクッション」というのがあるけど、あの「ダメにする」が、ハイデガーの"Verfallen"なんだろう。ハイデガーといえば、"Das Man"という駄洒落のおかしさもわかった。
 なんなんだろなあ、この、原語の語感を知ったときの、あっけなさというか、へなへな感は。
 そういえば、若い頃、聖書をギリシア語で読んで、「へえ、聖書ってこう書いてあるんか」と驚いたときとも似ている。
 人は特定の言語のなかで思考する、とまでは思わないけど、フランス哲学やドイツ哲学というのも、その言語の原語文脈や含意に戻すと、けっこう、なーんだ感はある。
 小林秀雄が晩年、本居宣長に取り組んで、言語と思惟のことをうじゃうじゃ言っていたが、フランス哲学やドイツ哲学とかも、実際には、本居宣長の思索とそれほど変わらない。むしろ、翻訳文化の違和感に向き合いつつ、特定の言語に根付いた部分の語感と感性に戻ることが、日本人が日本人として考えるということなんだ、ということを小林秀雄は伝えたかったんだろう。全部がそうだとも思わないが。
 とま、日本人を56年やってようやく思うわけだが、もうちょっと若いときにわかっていたら、なんか楽だったかもしれない。何が、楽か、というと、むずかしそうに見える翻訳語文化って、あれ、実際は、もっと単純なことなんじゃないの、と割り切れたかな、と。哲学や文学が難しいとしても、翻訳語散りばめた難しさとは別のものなんだろう。
 
 

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2014.07.29

[書評]脳科学は人格を変えられるか?(エレーヌ・フォックス)

 読みながら、「うぁ、ここまで言っちゃっていいのか」と、その大胆でスリリングな主張に、何度もうなった。『脳科学は人格を変えられるか?(エレーヌ・フォックス)』(参照)である。

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脳科学は人格を
変えられるか?
エレーヌ・フォックス
 たとえば私が不用意にこんなことを言おうものなら、今の日本のネットの世界では、トンデモ、偽科学、科学リテラシー皆無といった罵倒を多数くらうんじゃないか、ともふと思った。その内容はどんなものか?

 これらの発見は、遺伝子は何世代もかけてゆっくり変化するという伝統的なダーウィンの進化論の概念とまっこうから対立するものだ。

 「伝統的なダーウィンの進化論の概念とまっこうから対立」していいのか? いや、現代のダーウィンニズムは「伝統的なダーウィンの進化論」とは異なるから、それでいいのだ……ともいえる。だが、ここでは「遺伝子は何世代もかけてゆっくり変化する」という考えは、あっさり否定されているのである。そこまで言っていいのだろうか? つまり、進化が数世代で起きちゃうというのだ。
 その前に、「これらの発見」は何だろうか。こうある。

 バイグレンはノルボッテンのオベルカリックスという小さな部落で一九〇五年に生まれた住民九九人をランダムに選び、調査のサンプルにした。スウェーデンらしい綿密な記録からあきらかになったのは、少年のころ、ある冬は飢餓、次の冬は飽食という経験をした男性の子どもや、さらにその子どもが概して平均より短命になることだ。寿命に影響すると考えられているその他の要因を考慮に入れると、この原因による寿命の差はじつに三二年にもなった。これらのデータは、ある驚きの事実をあきらかにした。子どものころに飢餓の冬を連続して経験した人々の体内では、次の世代の寿命に、そしてさらに次の世代の寿命にまで影響するような生物学的な変化が起きていたのだ。

 ある世代の経験が、その次世代にまで影響していくというのである。このあたりも驚くかもしれない。あるいはこの話はすでに知っている人もいるだろう。
 先の引用はこう続く。

バイグレインはこの急進的なエピジェネティクスの作用を現代の、もっとも詳細な生物学的記録が手に入る地域でも確認した。

 話題の種明かしは「エピジェネティクス」である。予想どおりとも言える。
 「エピジェネティクス」は本書ではこう取り上げられている。

近年成長が著しいエピジェネティクス(後生遺伝子学:「エピ」はギリシャ語で「(何かの)上」「(何かを)越えて)の意)の研究によれば、遺伝子の作用はその人がどんな経験をしたかによって、生きているあいだじゅう変化しうる。驚きなのはこうした変化が、DNAの配列そのものに影響せずとも次世代に受け継がれる点だ。

 個体の生存中に遺伝子作用が変わるというのは、遺伝子の再構成を明らかにした利根川進の研究などでも有名。その後のエピジェネティクスの話題などからしても、それ自体は違和感はない。概ねダーウィニズムにも整合している。問題は、これが「次世代に受け継がれる点」と述べている点だ。もちろん注意深く読めば、「DNAの配列そのものに影響せずとも」とあり、ダーウィニズムを否定しているわけではない。
 それでも次のような記述は、うぁっと声が漏れるところだ。

 つまり、親の若い頃の過ちは自分の幸福だけでなく、子どもの幸福にまで影響することだ。飢餓や喫煙の習慣など環境的な要因は遺伝子に刻印を残し、それは次の世代に譲り渡される。人が経験する出来事や食事や生活様式は、遺伝子の働きをオンにしたりオフにしたりする強力なスイッチをコントロールすることができるのだ。

 ミバエの世代間の研究から、こうも言う。

 こうした発見により、分子生物学のしくみは根本的な見直しを促されている。エピジェネティクスの作用によって何かの資質が次世代に受け継がれるのは、ミバエだけに限った話ではない。植物でも動物でも菌類でも、そしてヒトにさえも同じことが言える。

 そこまで言えるかなあという思いと、そろそろそのくらい言ってもいいんじゃないかという気持ちもある。ちょっとしたスリル間もあって読書として楽しいところだ。
 ただし、本書全体の枠組みでは、読めばわかるが、エピジェネティクスの作用は実質的には個体の一生に限定されている。そのあたりに、邦題「脳科学は人格を変えられるか?」が関係している。ようするに脳科学的な知見から、個体のエピジェネティクスを介して、悲観的な性格から楽観的な性格へと人格を変えられるだろうか、という話題になっているのである。オリジナルタイトルでは、そこを悲観的な脳=雨降りの脳(レイニーブレイン)対楽観的な脳=お天気な脳(サニーブレイン)としている。
 補足すると、人の性格の変更については、本書では、遺伝子以外の側面にも言及している。また、エピジェネティクスの話題に入る前の前半の多くは、従来からある心理学や脳科学の知見の整理にもなっている。こうした知見にはじめて触れる人にはいろいろ興味深い話題もあるに違いない。
 本書のメインがエピジェネティクスの作用にあるのは、著者エレーヌ・フォックスから明らかである。彼女は、『生物学的精神医学』の論文「セロトニントランスポーター遺伝子は注意バイアス変更への敏感さを改変する:可塑性遺伝子の証拠。(The serotonin transporter gene alters sensitivity to attention bias modification: evidence for a plasticity gene.)」(参照)で知られているように、セロトニントランスポーター遺伝子機能の研究で有名な研究者である。本書では、当然、この研究の背景や手順を含めて丹念な説明がある。本書の圧巻部分である。
 この論点で興味深いのは、当初仮定的に設定されていたような考え方、つまりセロトニントランスポーター遺伝子の発現型からレイニーサイド脳(悲観)とサニーサイド脳(楽観)が導ける、ということが実際には否定されたことだ。

 わたしが行った学習実験も結局、セロトニン運搬遺伝子の発現量が低い人は高い人に比べ、ポジティブなものでもネガティブなものでも感情的な背景に非常に敏感であるという、先ど同様の結論に落ち着いた。

 このあたりの説明もわかりやすい。だが、一般社会的に興味が持たれる部分として、エピジェネティクスと人の性格の関係は現状、まだはっきりとはしていない。そこがこの本の弱点と言えば言えるかもしれない。
 それでも、本書が描くように、エピジェネティクスの作用をもとにして、人間の悲観性や楽観性は、変更が可能になるという主張は興味深い。
 こうした点から本書は、後半、人の性格としての悲観と楽観にどのように向き合うか、また、過度に悲観的な人はどのようにその性格が変更できるかという実践的な話題が展開される。具体的に、認知療法やマインドフル瞑想なども言及されている。悲観的な性格に悩むという人には、実際的な解決法も示唆されているので有益だろう。否定的な情感や想念に思考の側からラベリングするだけで、抑制が可能になるといったこともちょっとした否定感情制御のコツになる。
 別の視点から言えば、楽観主義ならなんでもうまく行くという俗流の成功哲学は科学的に否定されている。本書のごくエッセンスだけをだけを言えば、悲観と楽観は所定の割合でブレンドするとよい。もちろん、ブレンド率は読んでからのお楽しみである。

 ごく個人的には、著者の専門域以外では、「五日間目隠しをして暮らしただけで脳が変化する?」の話題が興味深かった一週間ほど視覚を遮断するだけで他の感覚が変わるというのである。たった一週間で神経の新しい回路ができるとは考えにくいとしながらも、彼女を含め、この分野の学者はこの点に注目しているらしい。
 「個人的に」といったのは、似たようなことで思い当たることがある。私が高校生のとき、どうしたら心地よい眠りと目覚めができるかという個人研究をした。その際、環境音を使った。それを入眠・覚醒にセットして聞いた。環境音では鳥の鳴き声が目立つ。これを一か月くらいしたころからだろうか、町なかの鳥の声がしっかり聞こえるようになって、びっくりした。
 この聴覚はその後、一生つきまとった。それでなにか得したことはないが、町なかを歩いていると、あ、鳥が聞こえる、とわかる。他の人と歩いていると、どうも他の人には、その声は聞こえてないみたいなのに。
 
 

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2014.07.19

米国への子供の単身不法入国問題

 18日付けのニューヨークタイムズ「移民について中央アメリカ指導者がオバマに会見する」(参照)を読みながらしばし物思いにふけった。
 表題の印象だと中央アメリカの要人が米国に表敬訪問でもしたかのような印象がないわけではないが、冒頭読むとわかるように、実際には、オバマ米大統領が呼びつけたと言っていい。問題は、中央アメリカの国から米国への子供の単身の越境・不法移民が急増している問題について、送り出し側の国を、援助を含めてではあるが問いただすといった会合になる。
 この問題はあまり日本では見かけないないなとなんとなく思っていたが、少し調べるとそうでもなかった。最新記事では今日付けの共同報があった。「中米首脳と会談へ 子供移民でオバマ氏」(参照)より。


2014.7.19 11:17
 米政府は18日、保護者に付き添われずに中米から不法入国する子供が急増している問題を話し合うため、オバマ大統領が中米3カ国の首脳と25日にホワイトハウスで会談すると発表した。
 会談する中米首脳は、グアテマラのペレスモリナ、ホンジュラスのエルナンデス、エルサルバドルのサンチェスセレンの各大統領。米国は不法移民の出国の取り締まり強化を含め、協調して対応していく方針を確認したい考え。
 3カ国を中心に子供だけで米国に不法入国した数は昨年10月から今年6月までで、前年同期比のほぼ倍の約5万2千人。ただロイター通信によると、7月に入ってからは1週間当たりの数は千人を割り、6月に比べて半減したという。(共同)

 会合については簡素にまとまっている。中央アメリカの国と指導者は「グアテマラのペレスモリナ、ホンジュラスのエルナンデス、エルサルバドルのサンチェスセレン」である。
 また、この三国からの子供の不法入国の急増は「昨年10月から今年6月までで、前年同期比のほぼ倍の約5万2千人」だが、この問題が注視されてからは激減している。冒頭のニューヨークタイムズの記事では、「6月半ばの1日あたり283人から、今週初の1日あたり約120人まで減少」している。
 VOXにグラフで示したものがあったが、急増の様子がわかるだろう(参照)。

 ニューヨークタイムズ記事にはこの件で、オバマ大統領支持の民主党側から子供権利への配慮が問われていることへの言及が少しあるが、共和党との間で意見の相違がある。この点については9日の日経「米大統領、子供の不法入国急増対策で予算3800億円要求」(参照)にも言及があった。


 共和党は、オバマ政権による若年層を中心とする移民規制の緩和がこうした事態を招いたと非難している。テキサス州の国境地域に州兵を派遣すべきだと主張しており、予算が政権の要求通り成立するかは不透明だ。一方で子供の強制送還に反対するリベラル派からの風当たりも強まりそうだ。

 参考資料をまとめるのがたるくなったのでごく簡単に私の観点からまとめる。
 この問題の一番の要因は、送り出しの三国の人権状況が極悪な状況になっていることだ。殺人や暴力がはんぱない。子供の人生を考えたらこれらの国を逃げ出す以外ないほどひどい。
 もう一点の要因は、子供が単身でこれだけの長距離を移動できるわけがないことからも明らかなように、ブローカーが存在する。そしてこれらの組織が麻薬密輸入にも関連しているらしい。当然だが、それに誰が支払いしているかというと、先に不法移民した親である。国の親族に残した子供を呼び寄せているわけである。
 今回のオバマ大統領の対応はその最大要因に関わるわけだが、単純な話、子供の不法移民を減らすなら共和党の言うように警備を厳粛にすればよいとは言えるだろう。
 また、この問題は確かに最近になって問題化した面はあるにせよ、オバマ政権がレイムダック化していくなかで、お得意の人権問題で盛り立てて、最後のあがきをしたいという色合いもある。実際オバマ大統領は、特別チームの作成などはしているが、自身が現場の状況を視察するなどの行動は取っていない。共和党としても、そうした点を見透かしていて、この問題は比較的まったり見ている。議会が率先して動ける気配はない。今回の会談もオバマ政権の行政側の演出ぽくも見える。
 しかし、問題の根幹は民主党からも出ているようにまさに子供の人権問題でもあることだ。
 移民全体の記事ではあるがIPS記事「墓標のない墓:米国国境を越えた不法移民をとりまく苛酷な状況」(参照)には過酷な状況の描写がある。
 さて、ブログ的な締めとしては、日本の移民受け容れの状況についても言及するというのもあるが、日本はこの点で国際的に特異な国すぎて話にならない。
 個人的には、10歳くらいの子供が命をかけて米国に渡るとき、そこに生きる希望をたくさん抱えているのだろうなと想像するし、米国民もなんとかそれに応えようとしているようすも思う。泣けるものがある。可視にされた戦場で殺害されていく子供も悲惨だが、希望を抱えながら見えない砂漠で一人死んでいく子供の累積も悲惨である。
 
 

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2014.07.17

スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた

 スレブレニツァ虐殺での300人分の虐殺の責任をオランダ民事裁判所が認めた。ZDFのニュースで見かけた話題である。これは、日本にとっても大きな意味をもつなあという印象を持った。だが同時に、日本国内では、案外話題になっていないかもしれないと思い、ざっと調べたら、NHKとAFPが扱っていた。
 NHK「蘭裁判所 ボスニア虐殺の責任認める」(参照)から引用しておく。


 ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦中の1995年に、8000人以上の住民が殺害された大量虐殺を巡り、オランダの裁判所は「当時国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍が一部の住民を保護していれば生き残ったと考えられる」として、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。
 これは、内戦が続いていた1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで、イスラム系の住民ら8000人以上がセルビア人勢力に虐殺されたことについて遺族らがオランダ政府を相手取って、国連の平和維持部隊として駐留していたオランダ軍の責任を認めるよう訴えを起こしていたものです。
 オランダのハーグにある地方裁判所は16日、虐殺された8000人以上のうち300人が現地のオランダ軍の施設を出たあとに虐殺されているとしたうえで、「オランダ軍がこれらの住民を保護していれば生き残ったと考えられる」と指摘し、オランダ政府の責任を認める判決を言い渡しました。
 一方、300人以外の犠牲者については、「援軍がなかったことを考慮すれば責任があるとまではいえない」として訴えを退けました。

 複雑な事態でもあるのでNHKとしても簡素にまとめるが難しかっただろうとは同情する。
 加えて背景となる「スレブレニツァ虐殺」の知識が必要になる。
 このあたりの説明はどうなっているかネットを見るとウィキペディアが意外に充実していた(参照)。英語版の記事がもともと充実しているせいもあるが。
 また知恵蔵の解説も簡素にまとまっていた(参照)。簡素なので、こちらの一部を概要説明の代わりに借りる。

ボスニア東部の町スレブレニツァで、1995年7月にムスリムの男子住民約8000人が殺害・行方不明となった事件。当時、ムスリム住民が多数を占めるこの町はセルビア人勢力支配下の飛び地になっていたため、国連保護軍の安全地域に指定され、オランダ部隊が駐屯していた。しかし、ムラジッチ司令官率いるセルビア人勢力の侵攻にあい、この事件が生じた。真相究明は困難をきわめているが、旧ユーゴ国際戦犯法廷の努力が実を結び、事実が解明されつつある。

 基礎的な点については以上として、今回のハーグ民事裁判所の判決が注目されるのは、ざっと2点あるだろう。
 1点目は、スレブレニツァ虐殺の裁判としての意味合いである。この点については、先日11日の追悼式についてのNHKニュース「ボスニア内戦末期に虐殺の犠牲者追悼」(参照)が簡素にこう言及していた。

ボスニアでは内戦終結後も民族ごとに学校が分かれているなど、民族間の溝は埋まっていないほか、虐殺の責任を問う裁判も進んでおらず、内戦の傷痕をどのように乗り越えるかが大きな課題となっています。

 今回の判決は「虐殺の責任を問う裁判も進んでおらず」に部分的に対応している。
 2点目はこの裁判の意味合いで、ここが難しい。問題意識としては、「なぜ平和維持部隊として駐留していたオランダ軍に虐殺の責任が今回問われるのか」という点である。
 この視点からNHK報道見ると、ぼんやりしか書かれていないことに気がつく。このニュースからすると、オランダ軍の責任は「300人が現地のオランダ軍の施設を出たあとに虐殺」「オランダ軍がこれらの住民を保護していれば生き残った」というふたつの点が浮き上がり、受動的かつ未必の故意のように読める。
 この点に注目して、もう一つの日本語報道AFP「スレブレニツァの犠牲者300人は「国の責任」、オランダ裁判所」(参照)を注視するとこうある。

 スレブレニツァ近郊ポトチャリ(Potocari)の国連施設には、周辺に住む何千人ものイスラム教徒たちが避難していたが、セルビア人勢力はこの「避難所」を守る軽装備のオランダ部隊を無視し、男性らを施設から追放。その後の数日間で、イスラム教との男性や少年8000人近くが殺害された。
 オランダの裁判所は今回の判決で、この時オランダ部隊が男性らの追放を防いでいれば、これら男性は虐殺をまぬがれただろうと指摘。追放された男性たちの死の責任は、オランダ国家にあるとの判断を下した。
 一方の遺族らの中からは、この判決でオランダ政府に責任があるのは国連施設から追い出された人たちの虐殺のみとされ、その他の人々については責任認定がされなかったことに反発する声も上がっている。

 やはりぼんやりとしている。
 常識的にも疑問が浮かぶだろう。「軽装備のオランダ部隊を無視し、男性らを施設から追放」の状況がわからない。ここに責務の基本があるのにもかかわらずである。
 別の言い方をすれば、「この時オランダ部隊が男性らの追放を防いでいれば、これら男性は虐殺をまぬがれただろう」とするだけの能力を軽装備のオランダ部隊がもっていたのか、ということでもある。
 この報道に私が関心をもったのも、この点である。
 NHKやAFPはこのニュースを取り上げただけましの部類とも言えるのだが、このあたりの言及が曇ったようになっているのはなぜなのだろうかと疑問に思った。
 この虐殺事件についてはなかなか真相がわからないが、昨年の追悼についてイラン放送が日本語でまとめた「スレブレニツァの虐殺から18年」(参照)は参考になる。

 スレブレニツァは国連により、「安全地帯」と宣言され、そこには600人のオランダ軍が国連平和維持活動隊として駐留し、治安維持に当たっていました。スレブレニツァの住民の数は、当時1万2千人でした。しかし、この町には国連の安全地帯宣言により、ボスニアの他の地域からの難民が避難してきたため、人口は4万人に達していました。イスラム教徒の難民は国連平和軍がセルビア人の攻撃から彼らを守ってくれるものと考えていました。しかし彼らの期待とは逆に、オランダ軍はセルビア人の攻撃に抵抗しなかったばかりか、多くのイスラム教徒を拘束し、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡したのです。セルビア人勢力はスレブレニツァを完全に占領した後、12歳から72歳までの8400人のイスラム教徒を分け、48時間のうちに殺害して集団埋葬しました。この集団で埋葬された遺体の捜索と調査は、現在も継続されています。

 オランダ部隊の数が600人だったかについては異論もあるだろうが、この説明で重要なのは、「オランダ軍はセルビア人の攻撃に抵抗しなかったばかりか、多くのイスラム教徒を拘束し、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡した」という点である。
 イランの報道は当然ながら虐殺されたイスラム教徒の側の視点からなされているということを念頭に置いて、この先も引用したい。

 ボスニアの戦争が終結した後、オランダやフランスではスレブレニツァの虐殺を防がず、その役割を果たしたとして西側諸国の政府に対し、多くの抗議が起こりました。この虐殺に関する調査委員会も結成され、この調査委員会は最終報告で、西側諸国の政府と国連がこの虐殺を阻止するための措置を全く講じなかったことを認めています。オランダ内閣は、この報告の発表を受けて総辞職しました。当時のアナン国連事務総長はこれに関する国連の怠慢を認め、遺憾の意を表明しました。この虐殺にかかわった司令官たちは現在、オランダのハーグにある旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で訴追されていますが、いまだ彼らの刑は確定していません。しかし、ボスニアのイスラム教徒の正当性は国際社会にとって明らかとなり、最終的に、ボスニアのイスラム教徒をバルカン半島から抹殺しようとした人々は、その目的を達成できなかったのです。
 スレブレニツァの虐殺により、人権擁護を主張するヨーロッパの経歴に汚点が残ることになりました。こうした中で、イスラム教徒の忍耐強い抵抗は、彼らを抹殺しようとするセルビア人勢力や、それを支援する西側諸国の敗北を示したのです。

 虐殺者への糾弾から記述が混乱しているが、二者はわけたほうがよい。一つは虐殺に関わった司令官の罪状、もう一つはここまで述べてきたきたオランダ軍と国連の罪状である。ここで注目しているのは、この後者である。
 国連側オランダ軍は実際にはどうしたか。
 ZDFの報道などの印象では、上述の昨年のイラン報道のように、セルビア人勢力のムラジッチ司令官に引き渡したようだ。
 つまり、今回の裁判ではそこが裁かれ、その限定で300人分の虐殺の責任がオランダ軍、つまり、オランダ政府にあるということになったと見てよい。
 報道からはわかりづらいが、今回の裁判はこの虐殺についての裁判の嚆矢であって全貌ではなく、ZDFなどでは原告はさらに追求していくことを報道していた。加えて、今回の裁判が上級審でどうなるかも現状では未定である。
 以上、多少不確かな情報で書いている部分があるが、国連軍としてオランダ軍の虐殺責任についてはとりあえず描かれたとして、当然、では国連はどうなのか? 国連の責任はどうなのかという問題が残る。
 もともと、オランダ軍地域を保護地域として指定したのは国連であって、その指令の責任は当然問われなければならない。ごく、簡単にいえば、国連の戦争犯罪をどう裁いていくかという問題である。
 ここにもう一つ厄介な問題が介在すると同時に、この問題が実は日本にとって他人事、他国のことではない意味合いが存在する。また、戦争犯罪というものについて、当事者になった国連はどのような模範を示すのかということでもある。
 この点についてごく簡単な関連を述べると、この平和活動としてのオランダ軍がなぜこの地域に配備されたかということがある。
 オランダとしては、当時進行する戦争犯罪を見逃さず、国際平和維持のために国際紛争に積極的に関わりたいという思いがあったが、反面、状況を見極めていない手薄な軍事力の行使だった。矛盾した面があったのである。
 この矛盾はオランダばかりを責めるわけにもいかない。実際のところ、米国を筆頭に国連他国はこの問題に関わることを避けていて、全体構図からすれば、それが大量虐殺を招いたとも言える。
 こうした問題から、現在の日本がどのように学ぶことができるだろうか?
 本来なら、「積極的平和主義」に変わる日本は、この点から議論されなければならないはずである。
 そして、こんな辺境なブログが取り上げる話題でもないだろう。
 日本でも、報道機関や識者がきちんとこうした問題を具体的に取り上げるようになったら、「積極的平和主義」について議論が始まるのではないだろうか。
 
 

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2014.07.16

ハマス・イスラエル停戦白紙の意味はなんだろうか?

 ハマスとイスラエルの交戦についてエジプトからの停戦案が白紙になった。そのこと自体は、あとでエジプトの関連ついて触れたいと思うが、意外ではない。ただ、この間の経緯を見ていると、意外に思うことがあった。私は、今回のハマスの行動をそれなりに計画されたもので、かつ合理的に実施されていると見ていたが、意外に無謀でかつ混乱した事態に陥ったのではないかと、疑問が沸いてきたからである。
 各種報道を比較すると混乱した部分はある。まず時事「「停戦」6時間で白紙=イスラエルとパレスチナ」(参照)で拾っておく。


 エジプト政府が14日、発表した停戦案では、第1段階として、イスラエルとパレスチナの双方に無条件の攻撃停止を求めた。その後、エジプト政府がカイロに双方の代表団を呼び、停戦の本合意に向けて個別に協議するはずだった。治安が安定した場合「ガザとの境界検問所を開放する」ことも提案していた。
 ハマスの政治局幹部はフェイスブックを通じ、停戦案について「まだ協議中だ」と述べていたが、イスラエル政府が受諾した後も、イスラエル領内に多数のロケットが撃ち込まれた。これより先、ハマスの軍事部門カッサム隊は声明で「停戦案の内容が本当なら、それは降伏であり、完全に拒否する」と宣言していた。
 こうした情勢を踏まえイスラエルのネタニヤフ首相は15日、「ハマスが拒否すれば、イスラエルは作戦を拡大する国際的な正当性を得ることになる」と警告。15日午前9時(日本時間同午後3時)の「停戦案の発効」からわずか6時間後の午後3時(同9時)ごろ、首相は軍に対しガザへの攻撃再開を指示した。

 記者も書くのが難しかったのではないかと思うが、今回の停戦案をハマスがどう受け取っていたが読み取りづらい。一方では「ハマスの政治局幹部はフェイスブックを通じ、停戦案について「まだ協議中だ」と述べていた」が、他方では「停戦案の内容が本当なら、それは降伏であり、完全に拒否する」とのことだ。
 状況を見るかぎり、エジプト停戦案に従って空爆を停止したのはイスラエルだが、この間、ハマス側からのロケット弾攻撃には変化なく、イスラエルとしても空爆停止を6時間で打ち切ったので、停戦白紙となった、ということで、ハマス側が停戦案を受け止めていたかがまず疑問である。
 時事報道では「治安が安定した場合「ガザとの境界検問所を開放する」」とあるが、BBC報道(参照)では、停戦案にこれが含まれていなかったからという声を伝えている。時事の誤報というより、ハマス側の認識の問題ではないかと思われる。
 朝日新聞報道ではこの認識問題を疑わせるように、ハマス側の分裂を示唆している。「エジプトのガザ停戦案は白紙に 双方が戦闘開始」(参照)より。

 停戦案は①イスラエルの空爆とハマスなどによるイスラエルへのロケット弾攻撃の停止②一定の条件を満たした人と物資にエジプトとガザ境界検問所の通行を許可③双方の代表が48時間以内にカイロで協議を開始――などの内容。ハマスが求める封鎖の全面解除などの条件からはほど遠い。ハマス政治部門幹部は15日午後、提案を精査すると表明したが、軍事部門は内容自体が受け入れられないとして戦闘の継続を表明。意見が割れている模様だ。

 混乱した状況だが、明確に見える部分はある。停戦の重要要件が、エジプトと「ガザとの境界検問所を開放」にあることだ。
 この点については、東京新聞によるハマスへの取材も参考になる。「「検問所の封鎖解除を」 ハマス幹部が停戦条件」(参照)より。

 【カイロ=中村禎一郎】パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの幹部アハマド・ヨセフ氏が本紙の電話取材に応じた。空爆を続けるイスラエルとの停戦条件として、ガザにつながるエジプト、イスラエル双方の検問所の封鎖解除と、イスラエルが拘束中のパレスチナ人政治犯の釈放を挙げた。
 ヨセフ氏は停戦の仲介をめぐり「国際社会はイスラエルが軍事行動を完了するまで真剣に動くつもりがない」と不満を示した。さらにエジプトには「停戦仲介への発言がほとんどなく、戦いが続くのを望んでいるようにみえる」と述べた。
 検問所封鎖でガザの生活は悪化の一途をたどっており、ハマスが仮にロケット弾攻撃をやめても「ガザにはゆっくりとした死が訪れるだけだ」と説明。封鎖継続なら「われわれは誇り高く戦った末の死を選ぶ。

 以上のような状況から、冒頭「意外に思うこと」について触れると、ハマスはなんらかの合理性に基づいて今回の攻撃を行っているのではなく、太平洋戦争末期時の日本のように断末魔的な不合理な混乱に陥ってしまったのではないか、という疑念だ。
 このエジプト・ガザ検問所の封鎖についてだが、日本ではあまり情報がないように思っていたが、毎日新聞記事で日本語で読める言及があったので引用したい。「ガザ:検問所付近にロケット弾 イスラエル側に初の死者」(参照)より。

 エジプトでは昨年夏の政変を経て、軍事政権が誕生。イスラエルの封鎖政策を受けるガザが唯一の生命線としてきたエジプト側への密輸トンネルを破壊した。今回の停戦交渉でもエジプトはイスラエル側にのみ事前に詳細を伝えていたとされ、ハマスは不信感を強めている。
 一方、地元メディアによると、ハマスの指導者メシャル氏は15日、カタールの高官と停戦について協議した。カタールはハマスの出身母体ムスリム同胞団を支援してきた。ハマスはカタールとの連携をちらつかせてエジプトをけん制する一方、イスラエルへの攻撃を継続することでより大きな譲歩を引き出そうとしている可能性がある。

 簡素にまとまっているが、まず、今回の停戦案が、そもそも密輸トンネルを潰したエジプトのシシ・クーデター軍政権側から出たことにハマスは受け容れがたいものを感じている点が重要である。
 なぜこの密輸トンネルが重要かというと、そこから武器も入るが生活物資も入るからというふうにも思えるが、実態はもう少し複雑である。ニューズウィーク「Is This the Last Stand for Hamas?」(参照)より。

The Egyptian army have also systematically destroyed the illicit tunnel network that is Gaza’s supply lifeline, where goods from flour to Mercedes Benz cars and arms of all kinds were smuggled in.
エジプト軍はまた、体系的に、ガザの供給ライフラインである不法トンネルネットワークを破壊した(これを通して、小麦粉からメルセデスベンツ車、武器などあらゆる種類の商品が密輸入されていた)。

Consequently, Hamas has lost much of its prestige inside Gaza.
結果、ハマスはガザでの信頼の多くを失った。


 なぜ「メルセデスベンツ車」なのかは読み取りづらいが、ここから見えるものは、ハマスが住民に対して経済的な優位を保証していた輸入トンネルを失ったため、ガザの民心が離れてきていた状況がある。
 実はファタハとの合同も、ファタハ側だけではなくハマス側の窮乏も背景にある。ちょっと勇み足でいうと、ハマスとしても住民に対して脅威を演出する必要性が高まっていた面があるだろう。
 もう一点、毎日新聞記事の言及で重要なわりに読みづらいのは、ハマスとカタールの関係である。
 これにはもう一つ背景があって、2012年にシリアがダマスのハマス事務所を閉鎖したことでも知られるようにハマスとシリアの関係が悪化し、ハマスが支援をシリアからカタールに移した。これ沿って、カタールの政治力が増し、ファタハとの協調が打ち出された。これを伝える2012年のAFP記事「カタールの首長がガザ地区訪問、ハマスとファタハに和解呼び掛け」(参照)は興味深い。

 一方、アッバス議長は21日、カタールのガザへの資金拠出を歓迎しつつも、「パレスチナ地区の統一を維持することが大事だ」とする声明を発表していた。パレスチナ自治政府は、ガザ地区のハマス政権を承認するいかなる外交的な動きも、ファタハとハマスの亀裂を拡げるだけだとして反対しており、アッバス議長の声明はハマド首長のガザ地区訪問を遠回しに批判したものとみられている。

 ここでカタールとガザとの関係でファタハの関係が微妙にこじれていく芽があった。ここから、先のニューズウィーク記事にもあるが、現状、カタールからガザへの送金をファタハが拒んでいる。
 さらに同記事ではファタハのアッバス議長とイスラエルの事実上の協調が指摘されている。このあたりの情報は裏が取れないのだが、全体的な事象の構図から見るとかなり妥当性はある。

Meanwhile, in the aftermath of the kidnapping and killing of three Israeli teens, the IDF went after the Hamas infrastructure in the West Bank, at times with the tacit assistance of Abbas’s forces.

この間、3人のイスラエル少年の誘拐と殺害の余波から、イスラエル軍はヨルダン川西岸地区のハマスの生活基盤を追い詰めたが、この際アッバスの力の暗黙の支援によっていた。


 ファタハ側の思惑と、カタールの思惑、さらにその背後にある、米国とサウジアラビア、シリア、イラクの思惑が複雑に関連しているが、こうした流れで見ていくと、ハマスが相当に追い詰められ窮鼠猫を噛む行動に出て、現状アノミーに至っているようにも思える。
 こうした読みはどちらかという反ハマス側の情報に基づくので公平さには欠くが、特に停戦案の見通しが立ちえない現状、ガザでの玉砕的なアノミーを防止する目的でイスラエル地上軍が介入するというシナリオもありうるのではないかとすら思えてくる。
 
 

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2014.07.15

「3Dプリンターわいせつデータをメール頒布」逮捕、雑感

 昨日に続いて、もにょーんとした話題。これも皆目わからない話題だなあと思うが、書いてみるかな。ちなみに、昨日この修辞を使ったら、「皆目わからない」のは、ご年配だからじゃないだろうか」と言われてしまったよ。まったくね、年じゃでな、っていう話は、たぶん今日公開するcakesの開高健についての記事のほうで書いたんで、じゃ、こっちはこっちで。
 話題はあれです。まず、ニュースを拾っておこうと、それにはNHKが無難だなと思ったけど、NHKで見つからなかった。なかったっけかな。
 代わりに比較的早い時期と思われるニュースとして毎日新聞「3Dプリンター:わいせつデータをメール頒布 警視庁逮捕」(参照)を拾っておく。


毎日新聞 2014年07月14日 11時37分(最終更新 07月14日 12時13分)
 3D(三次元)プリンターを使い、女性器を造形するためのデータを頒布したとして、警視庁保安課は14日、自称芸術家、五十嵐恵容疑者(42)=東京都世田谷区野毛2=をわいせつ電磁的記録頒布容疑で逮捕したと発表した。「わいせつ物とは思わない」と容疑を否認しているが、同課は全国の30人以上にデータを送ったとみている。五十嵐容疑者は「ろくでなし子」の名前で、女性器をテーマにした創作活動で有名。
 逮捕容疑は今年3月20日、香川県の会社員男性(30)ら不特定多数に、3Dプリンターで出力すると、女性器の造形物ができるデータをメールで送信したとしている。
 同課によると、五十嵐容疑者は女性器をかたどった小型ボートを制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人にデータを配ったとみられる。【林奈緒美】

 最初このニュースに触れたとき、その記事で言うところの「自称芸術家」さん、知らないなあと思って、ちょっと活動を見た。面白そうには思えた。
 面白そう、というのは、「[書評]絶頂美術館(西岡文彦): 極東ブログ」(参照)で言及したクールベ (Gustave Courbet)の「世界の起源(Origine du monde)」(参照)の前で、5月29日にご開帳した女性芸術家デボラ・デ・ロベルティズ(Deborah De Robertis)の芸術活動が国際的に評価されていたという話題があったからだ。フィガロは彼女の«Je veux mettre à nu tous les regards»という主張のインタビューも取り上げていた(参照)。
 草間彌生やアラキーもこうしたインパクトのあるパフォーマンスをしていたけど、最近の日本ではそういうの見かけないなあ、日本のアートも元気ないなあと思っていた(あ、そうでもないか)。
 なので、最近の日本でもそうした活動が出て来たかなとちょっと思ったわけである。
 こうしたアートではすでにスイス人の女性芸術家ミロ・モア(Milo Moiré)が有名である。ミロ・モアは出産パフォーマンスみたいなのもやっていてけっこう強烈。彼女はドイツ語圏らしく、シュピーゲルなんかでも取り上げていた。
 アートのコンセプトとしては「The Script System」ということで、たしかになあというインパクトはある。

These everyday blindness I wanted to break through my performance. The Invisible (Invisible or become) make visible distribute such disorders as spores for a liberating thought.

こうした日々の盲目性を私はパフォーマンスによって壊したいのです。不可視性(あるいは不可視になったもの)を可視にする不調和が、思考の自由のための胞子となるのです。

 ここまでくると、艾未未みたいにアートだなあという感じ。

 さて今回の話題だが、日本のネット的にはこんなふうに展開していた。RBB「電磁的記録頒布 : 女性器はわいせつ物か……ろくでなし子の逮捕に賛否」(参照)より。


 自身の女性器を型どりデコレーションしたアート作品「デコまん」で知られる同容疑者。タブーを取り扱うその作品には常に賛否がつきまとうが、同容疑者の活動に賛同する著作家でアダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」の運営責任者である北原みのりさんは、今回の逮捕について「3Dプリンターで外性器をスキャンしてデータ化したことが、まるで銃をつくったかのような騒ぎです。猥褻か猥褻でないかの、終わらなき不毛な闘い、始まってしまった」と訴えた。
 また、同容疑者の逮捕を不当だとする支援者の間ではすでに即時釈放を求める署名運動も開始されている。署名サイト「change.org」で開始された署名運動の発信者は、五十嵐恵容疑者の作品について「ろくでなし子さんは性的タブーに挑むという趣旨でご活動なさっていますので、彼女の作品は性的搾取や嫌がらせを目的とした『わいせつ物』とは異なります」と違法性はないと訴えている。

 まあ、いいんだけど。ああ、日本的だなあと思った。
 ブログなんで自分の雑感を簡単に書きますね。
 まずこれ、報道から逮捕理由を見てもわかるけど、「わいせつ電磁的記録頒布容疑」なんですよね。
 ネット的に「わいせつ」に反応しちゃうのもわかるのだけど、ポイントは「電磁的記録頒布容疑」のほうで、「頒布」という日本語がわかりにくい若年の人もいるかもしれないけど「売っちゃった」ということです。
 なので、まず問われるのは「売っちゃった」?という点。
 先の毎日新聞の報道だとそのあたりがちょっとわかりづらいけど、「容疑者は女性器をかたどった小型ボートを制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人にデータを配ったとみられる」というのが、「売っちゃった」というスキームだったか、ということ。


追記:刑法175条「わいせつ物頒布等の罪」の「頒布」では、有償・無償を問わないので、ここは間違いでした。

 その上で、次に、それって「わいせつ」という表現行為の問題になるわけです。
 で、この法律が「電磁的記録」ということは、別段「3D(三次元)プリンター」を特定していないわけで、話をわかりやすくすると、同じことを「2D(二次元)プリンター」でやったら、どうなの?ということ。
 つまり、「ファンド・レイジングです、ご賛同いただける方には、私の女性器の写真を送ります」というのを、どう捉えるかということ。
 私の印象だと、それはダメなんじゃね、ということ。
 ただ、そこで逮捕かよ、というのは、こうした問題(3Dわいせつ造形の頒布)を見越した警察の脅しなんだろうなとは思うんで、やりすぎだよ、とは思う。
 で、その上でさらに日本的だなあと思うのは、「わいせつ」と言われてもいいじゃんと思う。
 デボラ・デ・ロベルティズもミロ・モアもそこを問いかけている。だからその行為が芸術なんで、そこにインパクトがなければ芸術じゃない。艾未未も中国政府を怒らせてこそ芸術なわけです。
 当局を擁護する気はさらさらないけど、それまで五十嵐さんのやってきた活動について当局が黙認していたのは、いわゆる体制的な芸術の範疇におさまっていて、怒っていなかった。
 あと、俺、ご年配だから知っているけど、日本でもむかーしストリーキングというのがあって、というか今でもあるけど、けっこうお手軽。脱いだらアートになるってもんじゃないということで、つまり、そこでアート・センスが問われる。
 パフォーマンスから上手に衝撃をうまく出せて、当局や常識的な市民を一部、かんかんに怒らせて、一部、それによって得られる思考・感覚の自由や新しい獲得に対して喝采があってこそアートなわけですよ。
 私?
 デボラ・デ・ロベルティズもミロ・モアにも喝采。

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2014.07.14

ベネッセ情報流出事件、雑感

 率直に言って、私にはベネッセ情報流出事件が皆目わからない。そんな人間が何か雑感を書いてもなんの意味もないようだが、逆に考えて、こんなふうに考えているという一例があってもよいのではないかと、書いてみる。結論から言うと、以下、大したことは書いてない。


なんでこれが事件なの?
 まず、なんでこれが事件なのか?が、よくわからない。
 いや、(1)個人情報が最大で2070万件という大規模な流出だったし、(2)その情報が「進研ゼミ」を使うベネッセで子供や保護者の氏名や住所や電話番号や性別や生年月日ということで、少子化時代のカネ儲けには重要な情報だった(数千万円の価値がある)、という二点は、わかる。
 つまり、「すげーなあ。そんな大量な情報が、ほいっと盗めちゃうんだ」という感想はもつ。厳密には「盗み」と言えるかまだ未定である。「流出」はしたわけだが。
 もう一つ加えると、(3)優良企業がこれかよ、つまり優良企業なイメージがあるベネッセであることと、その流出情報をほいほいと購入しちゃったのが優良企業的なイメージのあるジャストシステムだったこと。買うに当たって悪意はなかったんだよで済むのかというと法的には済むだろうけど、「おまえら、常識、どうなの?」感がある。


で? と立ち止まる
 で?
 と、ここで止まる。(1)自分がこの事件にどう関わっているかわからない(被害者ならプンスカしたいかもしれない)、(2)なんの犯罪なのかよくわからない、(3)どうしたらよいのかもわからない。
 わからーん。
 冷静に考えると、(1)おそらく私の情報は流出して私は迷惑を被っているはずだが鈍感なんでさほど気にしていない、(2)不正競争防止法が関係するだろう(東芝のデータを韓国企業に流出させた元東芝技術者も同法違反容疑で逮捕されたし)、(3)現行法と業界ルールが現状適正ではないんで、今後なんとか規制しないといけないなあ、ということである。
 まあ、雑感、以上であります、ということなのだが、極めて残尿感の強い一件である。


もにょんとした感じはどこから?
 うーむ。
 残尿感に絞ってみると(絞るか?)、これ、今回は件数が異常に多いように見えるけど、その点を除けば、常態。なんというか、現状、そこにルールはないよ的な無法な世界である。そういう無法な世界をそれなりに、しゃーないよなと私たちは見ていた。
 それが今回の件で、もうそうもいかないなよあ、このあたりで、しゃんとせい、という感じなんだろう。だからいかにも、残尿感なわけです。
 むしろ今回、ベネッセとジャストシステムがやらかしてくれたおかげで、こうしたろくでもない実態がどっかーんと可視になったというのはある。ありがとうと言いたいかというと、ないけど。
 無法な世界といえば、現在この件で、ベネッセの外部業者の派遣社員を警視庁が任意での事情聴取しているのだが(参照)、そのあたりも、わからないではないけど、ちょっともにょ~んとするところ。


企業がなんか麻痺している
 率直に言ってこの顧客情報っていうのはベネッセの死活決める情報だと思うのだが、それをほいとアウトソースしちゃうものかというあたりに、そもそもこの業態の経営わかってんの?という上から目線がぴかーんなわけです。形の上ではベネッセが被害者という構図ではあるんだけどね。
 さらにぴかぴかーんとすると、「派遣使っている外部業者使うなよ」とかちょっと言いたくなって、「まてよ、それを言ったら派遣差別かな」と目をきょろきょろさせてみたくなる。派遣だからコンプライアンスが守れないわけはないよな。
 とはいえ、コンプライアンスに見合うだけの重要な業態として派遣が雇われているという実態はないんじゃないかと思う。たぶん。社員が悪いことに手を染めたくなるインセンティブを削ぐくらいなことは、経営はすべき。
 このあたり、業界的にどう規制するか、あるいは経産省かな、お上がどういう基準を持つべきかは、よくわからない。
 現実問題としては、こうした個人情報を売買していた市場が存在していたし、そこでほいっと桃太郎トマトを買うみたいにジャストシステムが買うのに疑念もなかったというのも、まあ、そんなものだろう感がひしひしとある。やばくね?とか思わなかったんだろう。なんかが、麻痺してんだよなという感じはする。


私たちもなんか麻痺している
 ちなみに何が麻痺しているかという点でいうと、個人情報というものへの感性もあるだろうと思う。
 そのせいで、欧州でこれがどんだけ市民の癇に障っているかという状況はあまり日本では報道されていない(参照)。
 文化が違う?
 いちおう個人情報流用には同意を得る……オプトイン・オプトアウトというのがあって、迷惑メール問題でもいろいろ騒いだ。あれなんだが、あれで解決しましたか? してないよね。
 今回の件も、「こいつが悪だ」みたいのがマスコミ的にツルされて、世間がガス抜きされたら、また、まひまひな状態は続くんじゃないだろうか。
 もちろん、それじゃ日本の産業が成り立たないんで官僚さんはお仕事するだろうが、そのあたりも全体としてみると、麻痺の構図の一環なわけですよね。
 言うまでもないけど、この問題、市民一人一人が自分のプライバシーに自覚をもって対処していくべきな的な結論って、江戸時代に戻ろうみたいなどっかの先生の空論みたいで、あ・り・え・な・い・よ。
 余談だけど、アプリとかサービスを使うときに、「同意しますか」と聞いてくる、あれ、なんとかならんのか。半分同意するから、半分使わせろと思うのだけど。


空しい正論をこいてみると
 空しい正論をいうと、こうした問題に敏感なEFF(電子フロンティア財団)みたいな政治団体があって、プライバシーレポートとか出してくれるといいんじゃないかと思う。こんなの(参照)。
 これって企業にけっこうなプレッシャーになって2013年と2014年ではけっこうな違いが出た。
 日本もEFFみたいな団体があるらしいんだが、よく知らない。余談だけど、EFFとはむかーしちょっと関連があったんだけどね。
 集団訴訟みたいのはどうかなと思うけど、無理かなとも思う(参照)。
 あと、正論じゃなくてちょっとした思いつきなんだけど、市民の一定数が意図的に偽のプライバシー情報を流して、それを使ってたまに名簿業者を締め上げるとかいうのはどうなんでしょうかね。今回のベネッセの件でも癖のある登録からルートが発覚したみたいだし。
 
 

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2014.07.13

[書評]イエス・キリストは実在したのか?(レザー・アスラン)

 2013年に書かれたレザー・アスランの『イエス・キリストは実在したのか?』(参照)という邦題は、現代ではそれだけで日本人の知的関心を誘うのではないか。帯に「イスラム教徒による実証研究で全米騒然の大ベストセラー」ともある。そのあたりも興味引かれるところだ。

cover
イエス・キリストは
実在したのか?
 私は自著にも書いたが、若いときこの分野の学問を学んでいた。歴史的イエスの研究というテーマである。当時、学問的にはすでに歴史的イエス像というのは否定的に解決されていた。否定的というのは概ね歴史的にイエスは存在すると見てよいが、どのような人物であったかは皆目わからないし、その歴史人物像の研究はさしたる意味がないというものだった。
 新約聖書学に慣れていない人や、キリスト教信仰者の一部にはこうした見解を受け容れがたく思うかもしれない。私はいろいろ学んだせいもあるがごく普通に受け容れて、すでに自著でも触れたが、その先の研究をしたいと思っていた。アラム語による語録復元から何が見えるかという研究である。そこから従来とは異なる歴史イエス像が再現できるかとも期待していたのである。
 あれからもう30年以上も経つ。それでもおりにふれて、最近の新約聖書学の動向や歴史的イエスの新しい研究動向などを読むことにしている。今回、「イエス・キリストは実在したのか?」を読んだのもそうした関心の一環であった。
 読む前には、邦題に引かれて「フラウィウス証言」についてなにか新知見でもあるかなと思ったが、読んでみるとその部分は存外に軽い。事実上この問題に立ち入っていなかった。ついでに関連したウィキペディアを覗いた。案の定日本語の情報は曖昧だったが、英語ではかなり詳細に書かれていた(参照)。
 私が新約聖書学を学んだのはもう随分昔になるから、それなりに手入れはしているものの私の知見は相当に古く、また今回も大幅に入れ替わる部分があるだろう。なんとかしないといけないという期待もあった。が、読後、私の印象は、率直にいうと、新知見と呼べるようなものはあまりなかった。と同時に、自分が学んでいた当時のことなども懐かしく思い出した。些細な理由もある。
 翻訳者の後書きを読むと、この翻訳では教会関係者の目も入っているらしい。が、読み始めてすぐ、もしかすると新約聖書学関連の学者の目は入っていないかもしれないと思うことがあった。非難に受け取らないでほしいのだけど、「本書執筆にあたって」のこの個所を読んだとき、微笑んで、さっと昔のことをいろいろ思い出したのだった。

 ギリシア語で書かれた新約聖書の翻訳のすべては、(友人のリッデルとスコットに少し助けを借りて)筆者自身が行った。

 ちなみに原文はこうなっている。

 All Greek translations of the New Testament are my own (with a little help from my friends Liddell and Scott).

 英語の翻訳としては間違っていないし、意図がわかって原文の軽いトーンをあえてそのまま「友人のリッデルとスコット」としたのかもしれない。
cover
A Lexicon: Abridged from
Liddell and Scott's
Greek-English Lexicon
 この「Liddell and Scott」というのは、有名なギリシア語の辞書の名前で、新約聖書学と限らずギリシア語を学ぶ学生の必携辞書である。まさに"my friends"である。私は赤茶色の装幀のオックスフォード大学の縮約版を「友だち」にしていた。胸キュンとする思い出である。私が校閲だったら「愛用のリッデル&スコット辞書の助けを借りて」と軽くメモしただろう。
 些細な思い出に話を割いてしまったが、著者についても、歴史に詳しく宗教にも詳しいのだろうけど、初期キリスト教テキストの内側の問題には入ってないこともあって、新約聖書学の学者さんではないなという印象はもった。反面、「メシアの秘密」などに顕著だが、ごくオーソドックスな議論を展開しているので、新約聖書学の枠にきれいに収まっている印象もあった。
cover
Zealott: The Life and Times
of Jesus of Nazareth
 内容についてだが、オリジナルタイトル「Zealot: The Life and Times of Jesus of Nazareth(ゼロテ党派者:ナザレのイエスの生涯と時代)」が暗示するように、"Zealot"の語感が強い。英語だと「熱狂者」「政治や宗教に熱中する人」という語感もある。
 この視点がイスラム教徒の学者から出されたことで、「キリスト教起源のイエス・キリストも現代のイスラム教原理主義者と同じような存在だった」というニュアンスが生じる。そのあたりが、英語圏でまず受けた理由ではないかと思う。
 内容についても当時の革新的・闘争的なユダヤ教の一派としてのイエス像を描いている。キリスト教的文脈で読まれる聖書では、イエス・キリスト自身が熱心党(ゼロテ党)に近かったとするのは、こうした説を知らない人には斬新に見えるかもしれないし、私も、ああ、世代が一巡したんだなと思った。
 ゼロテ党革命家としてのイエス・キリスト像としては、日本では1972年に西義之が翻訳した読売新聞社刊カー・マイケル『キリストはなぜ殺されたのか』が話題になったことある。このオリジナルの『Death of Jesus』の刊行は1963年なので、もう半世紀以上も前になる。ちょっと調べたら西義之もカー・マイケルも亡くなっていたので当然といえば当然だが感傷は湧く。
 いずれにせよ、よほどの古典でもないとベストセラーでも半世紀も前の本を覚えている人は少ないのかもしれないし、本書でもカー・マイケルへの言及はなかったように思えた。こちらの書物がよりジャーナリズムに近く学究的な意味はないと見なされたのかもしれない。
 感傷から余談が多くて申し訳ない。本書だが、全体としてイエス・キリストに関連する当時の歴史・文化的な事情はコンサイスにまとまっていてちょっとしたレファレンスに利用できて便利だ。日本語での翻訳はしばしば原注が省略されてしまうことがあるのだが、本書ではこの部分もきちんと翻訳されていてとても好ましい。
 話が前後するようだが、個人的には本書で描かれるゼロテ党の視点よりも、「第Ⅲ部キリストの誕生」が面白かった。イエス死後(復活後)のイエス教団とパウロの関連である。率直な印象をいうとこの部分は未整理だなと思えたが、そこはまだなかなか視座が採りにくいところでもあるのだろう。
 最後に直截にいうと語弊があるので少し口ごもるが、著者レザー・アスランについては、クリストフ・ルクセンブルグ(Christoph Luxenberg)の研究についても今回の"Zealot"のトーンでまとめてくれたらと願わずにはいられない。自分も若くて余裕と元気と勇気があったら、その分野を研究してみたいないとも少し思う。
 
 


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2014.07.11

2014年ガザ空爆、雑感

 イスラエルによるガザ空爆が短期間に激しくなり、国際問題化しているので、現時点での雑感を簡単に記しておきたい。
 まず、現在の空爆のきっかけだが、7日夜以降、ハマスが支配するガザ地域から160発のロケット弾がイスラエルの都市に向けて発射され、エルサレムやテルアビブに着弾したことだ。今回ハマスが使用したロケット弾の射程は100キロメートルに及ぶとみられ、この範囲にイスラエル人口の6割が居住する。また、この域には、今回攻撃があったがディモナの原子力施設も含まれている。
 8日未明、イスラエルは報復としてガザ地区の約150を空爆した。これによってガザでは、ハマス以外に一般の女性や子どもら合わせて16人が死亡した。
 米国は8日記者会見で、「どの国であろうと、市民を標的にしたロケット弾による攻撃を認めるわけにはいかず、イスラエルが自国を守る権利を支持する」と述べ、イスラエルによるガザ地区への空爆を支持した(参照)。
 その後も、ガザからのロケット弾攻撃とイスラエルによるガザ空爆は続き、ガザ側の発表では少なくとも78人が死亡したとのことだ(参照)。
 今回の衝突は、2008年と12年の衝突に継ぐもので、これらのときと同様に、ガザ地区での民間人被害が大きく問題視されている。こうした点について、朝日新聞「イスラエル、地上戦も視野 ガザ空爆、作戦拡大を宣言」(参照)は次のような表現で言及している。


 イスラエル軍はこれまでにガザの軍事拠点など550カ所以上を空爆した。イスラム組織ハマスなど武装勢力の拠点を狙っていると主張するが、犠牲者の3割は女性と子ども。警告弾なしに突然空爆するケースが増えている。

 「警告弾なしに突然空爆するケースが増えている」という朝日新聞報道の表現の意味は、通常であれば警告弾があることを示している。
 イスラエル空爆の事前通告の状況については、否定面であれ言及した朝日新聞報道を除き、NHKを含め日本側ではあまり言及されない。WSJ記事の日本語翻訳では次のように言及されている(参照)。

 イスラエル軍は8日、ガザ地区南部の都市にある家屋が、同軍の標的になると警告したが、その家の家族8人(いずれも非戦闘員)が警告時間より早い時刻に帰宅して攻撃に遭い死亡した。イスラエル空軍は意図的な殺害ではないと説明した。
 イスラエル政府は、ハマスが民間人の多く住む地区からロケット弾を発射しているとし、自らをイスラエルからの報復の危険にさらしていると説明した。
 イスラエルの人権団体は、武装勢力のメンバーとされる人の自宅を標的にするという軍の方針を批判した。
 同団体は10日、「たとえ攻撃に関与しない民間人が負傷していないとしても、こういった家屋は合法的な軍の標的ではなく、攻撃は国際人道法の重大な違反となる」と述べた。

 朝日新聞報道では空爆警告について「警告弾」のみを記していた。また、WSJ記事では「警告」があったとしているがその実態については言及されていない。それでも、ここでは警告が「警告弾」ではないことは読み取れるだろう。
 イスラエル空爆の警告の実態については、9日付けのニューヨークタイムズ記事「イスラエルはガザ標的に電話とチラシで警告する(Israel Warns Gaza Targets by Phone and Leaflet)」(参照)が詳しい。記事表題からも、警告の実態が、電話やチラシであることがわかる。
 同記事は、ガザ空爆の標的に5分以内に撤去せよと電話があったという現地の話から切り出されている。2008年の衝突以降、イスラエルとしても人道上の理由で、空爆時には電話とアラビア語のチラシで警告を出している。こう続く。

A further warning came as the occupants were leaving, he said in a telephone interview, when an Israeli drone apparently fired a flare at the roof of the three-story home. “Our neighbors came in to form a human shield,” he said, with some even going to the roof to try to prevent a bombing. Others were in the stairway when the house was bombed not long afterward.

イスラエル無人機が三階建ての家に照明弾を放ったとき、居住者が去るさなか追加警告があったと彼は電話インタビューで言った。「私たちの隣人は人間の盾を形成した」と彼は言った。いく人かは屋根に上り空爆を阻止しようとした。まもなく空爆があったとき、他の人は階段にいた。


 これは特殊な事例かもしれないが、ガザ側で「人間の盾」を形成する動向もあるのだろう。
 もちろん朝日新聞が述べるように警告が行き渡らないこともあるし、誤爆もある。また、警告があっても空爆がないこともあるらしい。こうしたこともニューヨークタイムズの同記事に言及がある。関心のある人はリンク先を読まれるとよいだろう。
 今回の衝突だが、前段として双方の少年の殺害事件があった。
 6月30日、2週間ほど行方不明だったイスラエル人少年3人が自治区ヘブロンで遺体で見つかり、イスラエル政府はハマスによる犯行と非難した(ハマスはこれを認めていない)。これに関連して、イスラエル側の報復と見られるが、パレスチナ人少年が殺害され、パレスチナ側の抗議運動が展開されていた。
 時系列の文脈としてはこの事件による憎悪の連鎖に見えるし、それがきっかけであったと見ることはできる。
 だが今回の空爆には、それとは別の双方の文脈があり、ワシントンポスト社説(参照)なども言及している。
 簡単にまとめると、イスラエル側としてはハマスが貯蔵している武器の削減を狙っている。この間衝突が少ない期間が続いたので、ハマスのロケット弾貯蔵が増えていることにイスラエルは懸念していた。
 他方ハマス側ではイスラエルに拘束された活動家の解放とエジプト国境の閉鎖解除を狙っているとのことだ。この点については、2012年の衝突について触れたフォーリンアフェアーズ「なぜハマスは紛争を挑発したか――流れから取り残されることへの焦りと強硬策」(参照)の一部が依然継続しているとも見られる。

 ハマスの指導者は、「いまやより射程の長いロケットやミサイルを持っている」と表明して、イスラエル人を恐怖に陥れ、殺害し、そこで戦闘を終えるつもりかもしれない。だが、ハマスによるテルアビブその他のイスラエルの中枢地帯への攻撃が続くとすれば、イスラエルは、現在の空爆作戦だけでは国土と市民を脅かすロケットを完全には破壊できない。この場合は、イスラエルは地上軍を送り込んででも、ロケットやミサイルを破壊しようとするだろう。
 状況がどうなるか、それを主に左右するのはハマスだ。ハマスの指導者たちは巧妙に紛争を挑発し、ガザの民衆を不必要なリスクにさらしている。イスラエルはできるものなら、ガザへの侵攻は避けたいと考えているし、紛争の早期終結をはかりたいと考えている。だが、これまでのところ、ハマスの指導者は戦闘を続けるつもりのようだ。

 2012年での懸念である「いまやより射程の長いロケットやミサイル」については、今回のハマスの攻撃で示されもした。が、同時に、イスラエル側としても対空防衛システム「アイアンドーム」の性能を見せつけることになった。迎撃率がかなり上昇している。
 ワシントンポスト社説はこうした状況の打開としてイスラエル・パレスチナ和平を希求しているが、現実的には、双方が和平を求めているとはとうてい思えないという意思を示したのが今回の衝突の意味でもある。あるいは、ハマスと合同したファタハについて、イスラエルとハマスがこの点では同じく試している状況かもしれない。
 現状、国際社会はまだ今回の衝突に対応できていないが、米国のおっとりとした対応を暗黙に受けいれている状態なのだろう。
 双方に和平が求められるとしても、従来通り米国が主導しなければならない。それがまだ有効な時期ではないと、オバマ政権は見ているのだろう。
 
 

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2014.07.09

アフガニスタン情勢がかなり混迷

 予想外の事態ではないが、アフガニスタン情勢がかなり混迷してきたので、この時点で簡単に言及しておきたい。


近況をNHKのニュースから
 現状の最新ニュースをNHKから拾ってみる。簡素に要点がまとめられているのだが、率直に言って、これを聞いてどのくらい理解できるだろうか? 7月9日3時07分「アフガニスタン元外相「選挙勝者は自分」」(参照)より。


 アフガニスタンの大統領選挙は、暫定結果で次点となったアブドラ元外相が演説し「選挙の勝者は自分だ」と訴え、独自の政権を樹立する可能性も明らかにし、混乱が広がるおそれが懸念されています。
 アフガニスタンの大統領選挙は7日、決選投票の暫定結果が発表され、ガニ元財務相が1回目の投票でトップだった対立候補のアブドラ元外相を得票率で10ポイント以上の差を付けて上回りました。これを受けて、ガニ陣営や選挙管理委員会による大規模な不正があったと主張してきたアブドラ元外相は8日、首都カブールで演説し、「不正が行われた選挙の結果を受け入れることはできない。われわれが勝者だ」と訴えました。
 そのうえで独自の政権を樹立する可能性も明らかにし、「国が分裂しても誰も口を挟むことはできない。決定を行うために数日待ってほしい」と述べ、今後、数日のうちに重要な決定を行う考えを示しました。
 その一方で、アブドラ元外相は「国の分裂や内戦を望んでいるわけではない」とも述べて、支持者に対して冷静な対応を呼びかけています。
 アブドラ元外相としては、独自の政権の樹立も辞さない姿勢を示すことで最終的な選挙結果を発表する選挙管理委員会を強くけん制するねらいがあるとみられます。
 選挙管理委員会は、政府高官らによる不正があったことを認めていて、今後、不正を審査する委員会の判断などを経て最終的な選挙結果を発表しますが、両候補が共に結果を受け入れる可能性は現時点では低く、混乱が広がるおそれが懸念されています。

 このNHKニュースには関連ニュースのリンクがないので、文脈がわかりににくい。いちおう昨日には「アフガン大統領選 暫定結果発表」(参照)も報道されてはいるが。
 NHK側の全体的な解説では、比較的最近のものでは、4月時点の時論公論「アフガニスタン ポスト・カルザイ時代へ」(参照)があるが、以降目立った解説はない。


重要な3点の背景
 重要な背景が3点ある。
 (1) 13年に及ぶカルザイ大統領が引退し、後継者選びの大統領選挙が実施される。つまり、国家権力の移譲が行われると理解してよい。
 (2) 4月5日に大統領選挙が実施された。この選挙そのものの実施も危ぶまれていたが、1200万有権者の700万人が投票し、推定投票率60%に及んだ。これをどう見るかだが、予想外に多いと国際社会に受け止められた。前回は40%でカルザイ政権について国民は半ば諦めムードだったのと対照的でもあった。
 (3) 最大15万人が駐留した米国を含め国際部隊の大半が今年の年末までにアフガニスタンを撤退する(約1万人の米兵は残る)。米国オバマ政権としては、カルザイ政権後のアフガニスタン政権に軍事・警察力を完全に移譲する予定だが、このシナリオが狂う可能性も高い。


第1回の大統領選挙候補はどうか?
 4月5日のアフガニスタン大統領選挙が実施はどうだったか?
 有力候補は3人いた。

 (1) アブドラ元外相
 (2) ガニ元財務相
 (3) ラスール前外相

 国際社会としてはどの有力候補でも大きな問題はないとも見られていたが、各候補には前提な差があった。
 まずその前提の前提となるのは、アフガニスタンが多民族国家であり、タリバン以外にも内部に民族対立を抱えていることだ。このため、よくアフガニスタンの未来は国民の判断に委ねべきだということが、実際には空論になる。
 対立の大きなポイントは、国民の40%を締めるパシュトゥーン人とそれ以外ということ。
 パシュトゥーン人の票が割れなければ、パシュトゥーン人の代表がアフガニスタン大統領となると見てもよいが、ことは単純ではない。
 第一回の大統領選挙を民族の視点で見ると、パシュトゥーン人のガニ氏とラスール氏で割れることになった。また、アブドラ氏はパシュトゥン人とタジク人の双方の血をついでいるが、政治的にタジク人に近いとされている。またハザラ人の支持も得ている。
 カルザイ大統領は表明していないがラスール氏が意中の後継と見られていた。
 もう一点関連して、前回の大統領選挙では、ガニ氏はカルザイ大統領に次ぐ第2位となっていた。


第1回の大統領選挙結果はどうか?
 第1回の大統領選挙結果はこうなった(参照)。

 (1) アブドラ氏が得票率45%
 (2) ガニ氏が31.6%。
 (3) ラスール氏が11.4%

 過半数がなかったので、再度決選投票となった。
 この際、ラスール氏は撤退しアブドラ氏の支持を表明した。つまり、同じパシュトゥーン人候補ガニ氏を支持しなかった。アブドラ氏はタジク人を基盤としている。
 単純に考えると、これで決選投票はアブドラ氏が過半数を超えて優勢になるはずであった(参照)。


大統領選決選投票後の混乱
 決選投票も実施された。投票率も第一回とほぼ同じく、1200万人の有権者のうち700万人以上が投票に参加したとみられる。
 そこで暫定結果を含めその結果を待つばかりかというと、どうも大方の予想に反して、ガニ氏優勢の噂が立ち、これを受けて、アブドラ氏陣営は選挙不正で100万票の虚偽があったと主張。6月下旬にカブールで大規模でもが実施された。
 実際、選管も、政府高官らによる不正があったことを認めている。


決選投票の暫定発表
 アフガニスタンの独立選挙委員会は7月7日、大統領選決選投票の暫定結果を発表(参照)。

 (1) アブドラ氏、43.6%
 (2) ガニ氏、56%

 予想に反して、ガニ氏が過半数を超えた。
 通常の手順であれば、これでガニ氏が次期アフガニスタン大統領と予想されるのだが、ここで冒頭の最近のNHKニュースの状況となった。つまり、アブドラ氏がこの結果は不正だからこの状態を認めないというのである。
 加えて、同ニュースにあるようにアブドラ氏が「独自の政権を樹立する可能性も明らかに」した。
 ガニ氏もこのまま推移すれば政権を樹立することになり、アフガニスタンに二つの政府が生まれることになりかねない。
 すでにこの点を懸念してケリー米国務長官は二政府の状態を米国は認めないとの声明を出している(参照


もう一つの大きな要素、タリバン
 アフガニスタンの状況を見るうえで、もう一つの大きな要素がタリバンである。すでにタリバンは一部地域で、独自の司法を確立しつつある。
 タリバンはこうしたアフガニスタン政府の動向に活発に反対攻勢を強めていて、昨日の8日では、アフガニスタンに駐留する国際治安支援部隊(ISAF)を狙ったとみられる自爆テロで、兵士4人と市民10人が死亡した(参照)。
 ごく簡単にいえば、挙国政府が実現できないまま国際部隊が撤退すれば、アフガニスタンはカオスに戻るだろう。
 幸いこの懸念は、ガニ氏もアブドラ氏も認識していて、国際部隊の駐留継続を求めると見られている。


で、どうなるのか?
 決選投票の結果はまだ暫定発表であり、正式発表は調査の上、24日になるとされている(参照)。
 正式発表をもって一氏が敗北宣言をすれば、とりあえず、カルザイ政権的な状況が続く。だが、現状ではその方向性がまったく見えない。
 米国や国際社会に一定の圧力があれば、両氏の和解の上に新政権を樹立させることになるだろうが、その予想は弱い。
 意外と、今回の暫定発表は、そもそも無理な二派の調停のための演出だったとも考えらるので、そう悲劇的な事態ではないのかもしれない。裏面でいろいろな政治的な駆け引きが推進するプロセスであるかもしれない。
 結局のところどうなるだろうか。
 私としては、アフガニスタンはしばらく緩慢な無政府状態に陥るのではないかと見ている。


追記(7月13日)
 その後、ケリー米国務長官が11日カブールを訪問し、ガニ氏・アブドラ氏両陣営と協議し、両候補と共同で会見を開き、どのような結果でも連合政権となる見通しがたった。「アフガン 全票調査し連合政権へ」より。


アフガニスタン大統領選挙で不正があったとして一方の候補が暫定結果を拒んでいる問題で、アメリカが仲介した結果、候補の2人は、すべての票について調査を行ったあと、新たな大統領が対立候補と協力して事実上の連合政権を樹立することに合意しました。

 「今回の暫定発表は、そもそも無理な二派の調停のための演出だったとも考えらるので、そう悲劇的な事態ではないのかもしれない」という結果に一応落ち着いた。その意味で、「アフガニスタンはしばらく緩慢な無政府状態に陥るのではないかと見ている」は、外したかのようでもあるが、たぶん、実態はそうなるだろうとは思っている。
 

 
 

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2014.07.08

ドイツ語は日本語と同じSOV言語だったのか

 ポール・ノーブルのドイツ語レッスンをいっきにやったあと、まあ、ドイツ語という言語がどういうものかはだいたいわかった。英語を元にドイツ語を構成するコツみたいのもわかった。だが、語彙力がなさすぎるうえ、耳がドイツ語に慣れていない。これでは言語を学んだ部類に入らないなということで、ピンズラー方式でドイツ語をやりなおして、10日。どうか。
 いや簡単。なにより、発音が楽。中国語を学んだあとのせいかもしれないけど、聞き取りに不可能な音はない。またナチュラルな発話にしても英語のように不自然な潰れ方はしない。米語とか日本語とかナチュラルな速度で発話すると発音がかなり変わる。
 次に、正書法が楽。中国語とか日本語とか、もうありえないレベルの正書法はもっていないし、フランス語みたいに奇っ怪な正書法もない。
 語彙も基礎レベルだと、英語とほとんど同じ。こんなに同じだったとはびっくりな感じ。
 そして文法も楽。中国語のような、どうなってんのこの言語みたいな不可解さはない。
 ドイツ語、こりゃ楽でええわ、と思っていた。
 大間違い。
 なんか変だ。
 このなんか変だ感は、文法だった。ピンズラー方式で英語で学んでいるのだが、フランス語の時とはかなり違う。どう違うのかというと、フランス語の場合でも、"Tu me manque."みたいな、なんじゃみたいな構文はあるけど、基本的に慣用表現としてかまわないし、全体からすらばそれほど慣用的な癖はすくない。ちなみに、中国語の場合は、そもそも文法なんてなくて、慣用表現のかたまりなんじゃないかという絶望感もあるが。
 理由はすぐにわかった。
 フランス語の場合、だいたい英語を逐語翻訳してもだいたいあっている。"Je t'aime."のように代名詞が動詞の前に来たり、再帰的な"Je me lave."みたいな表現はあるが、これも基本的に代名詞の動詞の関連で文法に収まる。
 ところが、ドイツ語、語順が変だ。
 変というのは、英語からドイツ語に移すとき、語順が変わる。いやこれもフランス語の副詞の位置と英語の副詞の位置が違うとか、中国語で語順が変わるとかいうのはある。が、どちらも基本慣用的なり文法的にわかる。ドイツ語、そのレベルじゃない。
 たしかに、ドイツ語の語順も文法的にきちんとわかっている。だが、なんで、そうなるの?ということにさほど疑問はない。もちろん、それがドイツ語だからさ、というのはわかる。
 だが、なんで、こうも英語とフランス語と違うのか。というか、英語の場合、結局、フランス語のピジン語なんで、だから同じということなんだろうが。つまり、ロマンス語とフランス語の語順みたいなもののコツみたいのがわかればそれほど違和感はない。ドイツ語、違うぞ。
 ドイツ語の語順が「変」なのは、変というのでもないのだけど厳密には、あれだ。と、「枠構造」でぐぐったら、ウィキペディアに例があったが、"I may drink tea."が"Ich darf Tee trinken."になる。枠構造だ。
 この枠構造については、最初にやったポール・ノーブルのレッスンで彼がなんどもそこを理解させようとしていたおかげで、それはそういうのかというレベルではピンズラーでドイツ語を学んでいても不思議ではないのだが、やはり違和感は残る。
 そんなおり、『ドイツ語とのつきあい方』(参照)というドイツ語の入門書を読んでいたら、こう説明されていて、ぎょっとした。


 文は、まず主語が与えられ、それに合致した定形が添えられ、そのとなりへ他の必要な文要素が並べられてできあがってゆくものだと考えてはいませんか。
 そうではありません。文は、不定詞から出発して、これを不定詞句に発展させ、そのうえで仕上げとして主語と結びつけてはじめてできあがるものなのです。

 これだけだとなんのことかわからないと思うけど、要は、主語があってこれを受ける動詞があってということから文ができるんじゃなくて、最初に不定詞があって、それに主語がくっつくんだよというのである。
cover
ドイツ語とのつきあい方
 同じじゃんと思う人がいるかもしれないが、そうではない。
 例えば、"lernen"があるとする。日本人の英語感的に考えると、まず、「私」があって、「学ぶ」、「何を」ということで、"Ich"があって、"lerne"があって、"Deutsch"が来るので、"Ich lerne Deutsch"となる、かのように思う。
 ところがこの本の考えでは、不定詞で"lernen"がある。「学ぶ」ということがある。で、学ぶんだから、「何を学ぶ」んだということで、"Deutsch lernen"という不定詞句ができあがる。
 それにあとから、主語、たとえば、"Ich"がつくっついて、これに合わせて、動詞前方に移動して、形を整えて、"Ich lerne Deutsch"となるというのだ。
 説明としては不合理のようだが、同書はこれで他についても説明していって、一定の合理性がある。
 このレベルではものの見方の差みたいなもんだし、これって、いわゆる"S->NP + VP"という考え方とは異なるように見えるけど、"+"は時間的な展開ではないから、VPがあってSPが付くと理解してもよいい。それはそれとして。
 ここで、あれれと思ったのは、この不定詞からの考えだと、"Deutsch lernen"があるわけで、OV構造からSOVができて、そこから表面的にはSVOのように考えていく。
 すると、ドイツ語というのは、SOV言語なのか?
 こうした考えが出てくるのは、いわゆる「V2語順」(二番目の句が常に動詞または助動詞)の問題も関連している。
 これも調べたらウィキペディアにあったのだが、"ich dieses Buch lese."があって、動詞が前に出て、"lese ich dieses Buch"となり、そのあと、"Ich"が話題化されて、"Ich lese dieses Buch."になる。
 そんな関連から調べるといろいろな議論があることもわかったが、気になったのは、「話題化」。これは「主題化」と考えるほうがよいのではないか、つまり、TC(Topic-Comment)化ではないかと。そう考えたのは、中国語の場合の主語と言われているのも、基本「主題」のように見えるし、日本語も同じ。「主題化」というのは、学習者のけっこう文法に重要な要素だよな。
 そう考えると、ドイツ語の場合、主題化に動詞が引っ張られてSVOのように見えるということなのではないだろうか。
 もちろん、ドイツ語を学ぶ上でそんなこと知らなくてもいい。
 ついでに、今日のレッスンに出て来た、"Ich möchte heute Abend mit Ihnen essen."
 これなんかでも、時間の副詞句が第二動詞の前方に来る。中国語なんかでも同じ。ドイツ語の場合、mit Ihnen が場所なんで、ポール・ノーブルがTIP(Time Infront of Place)ルールとしていたが、これらの副詞句の位置が、たぶん、OV構造と密接な関連があるのだろう。
cover
クラーク先生の英語勉強革命
私の“ディープリスニング方式”なら
だれでも語学の達人になれます
 難しく考えずに、英語とは違うルールだと考えてみれば、中国語ほど難しくはないのだが、微妙に英語の発想とぶつかる。
 逆にいうと、フランス語の場合、文法の意識はけっこう英語と同じで、そういえばグレゴリー・クラーク先生が、フランス語読んでいるときは、フランス語だと気がつかなかったという感覚に近い(参照)。

私が、四苦八苦して日本語の勉強に取り組んでいたころのことです。あるとき、知り合いの日本人から、フランス語の文章を英語に直してくれと頼まれました。そのとき、私はフランス語をフランス語だと意識しないで読んでいました。ちょっと変な英語が書いてあるなあ、そんな程度の感覚だったのです。日本語があまりにも難解な言語だったために、難易度レベル二程度のフランス語は、母国語のように思えてしまったということです。

 英語国民でフランス語をある程度学ぶと、そういう感じなんじゃないかな。
 結局、言語学的にはドイツ語はSOVの基底から生成というよりパラメーターの考えで整理できそう。そうした研究から、UG(普遍文法)というのの支援になるんではないかと思う。
 が、個人的にはUG自体にはもうさほど関心ないんで、語学学習者にとってこうした文法現象というのはどういうことなんだろうかと疑問に思う。
 
 

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2014.07.07

「地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りました」

 先日、ベトナム戦争を扱った映画に関連するタイ語の歌のことを書いた(参照)あと、ぼんやりいろんなことを思っていた。
 いくつか小分けにしてブログに書いてもいいんだけど、どうしようかと思っているうちに、なんとなく気が沈んで、書く気力も抜けてしまった。それはそれで自分としてはどうでもいいことではあるんだけど、ベトナム戦争との関連という以外に、開高健についてこのところ考えていて、そこの交点にまた、いろいろなものが集まってくるんだけど、奇妙に心にひっかかることがいくつかあって、あれだよなあ、あれ、と心を探っていた。あれだ。
 昭和41年の雑誌『世界』が初出だが、その後昭和56年単行本『言葉の落葉 Ⅲ』(参照)に収録されている「解放戦線との交渉を」だった。
 昭和56年というのは1981年。私が学部を卒業した年、昭和41年は1966年。
 その二年前の1964年、昭和39年に、その10月に東京オリンピックがあり、開高は連載の『ずばり東京』の単行本が12月に出るが、その前の11月に彼は朝日新聞社臨時海外特派員としてベトナムに向かった。
 開高は、翌65年1月から3月、北爆のさなかの状況を「南ヴェトナム報告」として「週刊朝日」に連載し、これをまとめて『ベトナム戦記』(参照)にした。
 その余波ともいえるが、友人でもあった小田実とも組み、ベ平連の活動を展開する。が、その後、1970年代に入ると開高はしだいにこの運動から離れていくように見えたものだ。その微妙な差違は、しかしその1966年時点の「解放戦線との交渉を」、つまりほとんど原点にあったように思える。
 「世界」編集部からの問いかけに答える形式で書かれている。


――最後に日本の国民に何か考えていることがありましたら……
 ヴェトナムは日本で1965年上半期、ブームになったわけです。ものすごく熱くなって沸騰したんです。ところが秋風とともに、日韓会談という問題もありましたけれども、突然、低調になった。僕は実に憤慨した。熱しやすくさめやすい。これは国民的性格なのかもしれないが、日本人はあれだけヴェトナム問題、ヴェトナム知識があふれたものだから、いまはもうヴェトナムのことはすかっりわかっちゃったというつもりである。そして無関心の領域のなかへヴェトナム問題はすべりこみつつあり、ふたたびアパシーが襲っている。

 私は当時小学校二年生で、そうした政治の空気はまだ知らない。だが、「熱しやすくさめやすい」「すかっりわかっちゃったというつもり」「無関心の領域」というのは、その後もいろいろな問題で繰り返しているので、そこから帰納法ではないけど、そのころもそうだったのだろうと思うようになっている。
 ここで話が少し逸れるが、ここで触れられている「日韓会談」は日韓基本条約のことで、振り返ってみると、この時代、まだまだ日本では北朝鮮を礼賛している知識人も多く、社会党なども北朝鮮を無視しているとして反対していた。
 というのを私の場合は、ヴェトナム戦争の歴史などともに10代から20代に再構築していくわけだが。
 開高の話に戻る。またこう続く。

 日本の知力というもののふしぎさなんだけれども、地面をポンと叩くと妖精のむれが飛び出してきて踊りましたといわんばかりに、ヴェトナム専門家が輩出した。魔法使いのおばあさんが杖でまたポンと地面を叩くと妖精はさっと消えました。

 ここでいう「知力」というのは、現代の文脈文脈でいえば「リベラル」と言ってもいいのではないかと思う。その「ポン」という挙動は50年くらい経っても変わっていないように思える。
 開高は、しかしヴェトナムというのは複雑で難しい国だという。その文脈からこう語る。

非常に頭がよくて敏感だが、カミソリのようにもろくて木は切れないというのが日本人の感性です。とくに知識人はそうでしょ。昨年のヴェトナム・ブームに反対した人たちも結局のところ流行するものにはなんでもかんでも反対するという衝動を出ていなかった。すでにそれ自体が流行現象でしたよ。とくにかく日本は言葉のヤリトリですませられるからいい国ですよ。

 「ヴェトナム・ブームに反対した人」は、ベ平連活動に反対した人と読めないでもないが、それでも文脈全体は、ヴェトナム問題がブームとして扱われたことへの違和感と日本の知識人との感覚に向けられている。また、この違和感は結局のところ、その後の開高健の文学の核に変わっていくと同時に、いわゆる知識人や「リベラル」との距離に変貌していく。
 「流行するものにはなんでもかんでも反対するという衝動」という点では、日本は50年間、なんの変化もなかったように見えるのは、その挙動を許す環境があったからだとも言えるだろう。それがまだあるのか、ないのか、なくても、続くのか、と考えると、たぶん、なくても続くのではないか。
 
 

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2014.07.04

「ター(เธอ)」というベトナム戦争の恋の歌

 あるとき突然、わけもなく、ある歌が自分の魂を奪う。最初、そう思っていなくても、すでにすっかり奪われてしまうことがある。そうした歌が、どのくらいあるのかわからないけど、ふと出くわしてしまう。
 ヤンニーン・パラウィー・ワイゲルさんという、ドイツ・タイのダブルの14歳の少女のタイ語の歌が、そうだった。最初、へえというくらいにしか思っていなかったのに。
 そして、歌詞が知りたい。
 私はタイ語はさっぱりわからなので、英語からの重訳でちょっと訳してみた(参照)。


อยู่ไกลจนสุดสายตา ไม่อาจเห็นว่าเราใกล้กัน
Yoo glai jon soot sai dtah mai aht hen wah rao glai gun
As far as my eyes can see, I can’t see us together
私の目が見える限り、私たちが一緒の姿は見えない

และทุกครั้งหัวใจฉันยังคงไหวหวั่นกับความท­รงจำ
Lae took krung hua jai chun yung kong wun gup kwahm song jum
And every time, my heart still trembles with the memories
そしていつもそう、私の心は思い出にふるえる

นึกถึงครั้งแรกเราพบกัน เธอและฉันไม่เคยต้องไกล
Neuk teung krung raek rao pob gun tur lae chun mai koey dtaung glai
I think of the first time we met, you and I never had to be far apart
出会ったとき私たちはけして別れないと思った

ในวันนี้ฉันต้องเผชิญความไหวสั่นอยู่ภายใน­ใจ
Nai wun nee chun dtaung pachern kwahmw ai wun yoo pai nai jai
Today, I must confront the nervousness inside my heart
今日、でも私は自分の苦しい心に向き合う

กลัวการที่เราไกลกัน กลัวว่าใจจะเปลี่ยนฝันไป
Glua gahn tee rao glai gun glua wah jai ja bplian fun bpai
Afraid of our separation, afraid that your heart will change your dreams
別れるのが怖い。あなたの心の夢が変わるのが怖い

ฝนพรำเปรียบเหมือนครั้งฉันพบเธอ
Fon prum bpriap meuan krung chun pob tur
It’s raining like the time I met you
出会ったときのように雨が降っている。

แววตาของเธอยังคงติดตรึงในใจไม่ลืม
Waew dtah kaung tur yung kong dtit dtreung nai jai mai leum
The look in your eyes is still stuck in my heart, I won’t forget it
あなたの目を見れば私の心が痛む。私はけして忘れない。

รักเรายังไม่เก่าลงใช่ไหมหรือกาลเวลาหมุนไ­ป
Ruk rao yung mai gao long chai mai reu gahn welah moon bpai
Our love hasn’t aged yet, right? Or has time moved on
私たちの愛は老いてしまったの? 時は過ぎたの?

เปลี่ยนใจเธอเป็นอีกดวง
Bplian jai tur bpen eek duang
Changing your heart into a new one?
あなの心はもう変わってしまったの?
(*)

เธอ เธอยังคิดถึงฉันไหม เมื่อสองเรานั้นยังคงห่างไกล
Tur tur yung kit teung chun mai meua saung rao nun yung kong hahng glai
You, do you still miss me when the two of us are still far apart?
私たちが別れたとき、あなたは私をさみしく思った?

เมื่อเวลาพาเราให้ไกลกัน
Meua welah pah rao hai glai gun
When time led us to separate
時が私たちを引き裂いた

รู้บ้างไหมคนไกลยังคงหวั่นไหว เมื่อเขามองดูภาพเธอทีไร
Roo bahng mai kon glai yung kong wun wai meua kao maung doo pahp tur tee rai
Do you know that this far-off man is still anxious whenever he looks at your picture?
歳をとってもあなたの写真見ればいまでも心がたかなると、知ってほしい

น้ำตามันยังไหลออกมา
Num dtah mun yung lai auk mah
The tears still flow out
そして、涙も流れる

หยาดน้ำค้างในยามเช้า กับลมหนาวจับใจ
Yot num kahng nai yahm chao gup lom nao jup jai
The raindrops in the morning and the cold wind grab my heart
朝の雨粒と肌寒い風が私の心をつかむ

สายลมโชยอ่อน พัดพาคามรักฉันไป ส่งถึงใจเธอที
Sai lom choy aun put pah kwahm ruk chun bpai song teung jai tur tee
Gentle wind, blow my love to you
やさしい風よ吹け。私の愛をあなたに届けて
(*)

กาลเวลาอาจทำให้ใจคนเราเปลี่ยนผันในวันต้อ­งไกล
Gahn welah aht tum hai jai kon rao bplian pun nai wun dtaung glai
Time might make the human heart change when people must be separated
人は別れたときから、心は変わっていくもの

แต่ฉันยังคงมีแต่เธออยู่ในหัวใจเสมอ
Dtae chun yung kong mee dtae tur yoo nai hua jai samur
But I’ll still have only you in my heart, always
でもわたしの心のなかにはいつまでもあなたがいる
(*)


 「ター(เธอ)」というのは「彼女」という意味で、私みたいに老いた男の若い日の恋人を思い出しているようだが、ヤンニーンさんの歌のイメージで、ちょっとユニセックスで訳してみた。
 ところで彼女の歌はカバー。本歌はやはり男の歌で、元の映画で歌われている。

 ヴェトナム戦争での恋の映画のようだが、それがなぜタイ語で?というあたりがよくわからないのと、歌の内容と映画と対応しているのかもよくわからない。映画と歌とは直接関係はないのかもしれない。
 吹き替えとかで見たい映画だけど、どういう扱いになっているかはわからない。


追記(2014.7.5)
 映画について英語で書かれたブログ記事「The Vietnam War Through Thai Eyes」(参照)を見ると、ベトナム戦争に参加したタイ人男性とヴェトナム女性の転生の物語らしい。


There is a monologue in the beginning in which the ex-soldier explains that he is looking for the girl, and he says that he is tormented by the fact that he doesn’t know who she is. He then asks, “Have you been reborn? Or did you die?”

最初の独り言で退役兵が、ある少女を探しているが、彼女が誰かわからなくてつらいとある。そして彼は問いかける、「きみは転生した? つまり死んだ?」

As the song plays we come to learn that the girl he fell in love with died in 1965, however, she was reborn and he finds her in 2014. However, she doesn’t recognize him, until he dies, and then she comes to realize that she was in love with him in her past life.

歌詞にあるように、映画の観客は、彼が恋に落ちた少女が1965年に死んで転生、2014年に彼が彼女を見つける。しかし、彼女のほうは彼がわからないでいるが、彼が死んだとき、彼女は前世で彼と恋いに落ちていたことを理解する。

We also learn that he actually died in 1965 too, so the “ex-soldier” who went to Vietnam in 2014 was actually the reincarnation of the soldier who died in 1965.

映画の観客はまた知ることになるのは、彼もまた1965年に死んでいて、ベトナム戦争に行った退役兵もまた1965年に死んだ転生であったことだ。


 ついでだけど、ヤンニーンさんが軍服を着ている演出はなかなか。
 

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2014.07.03

集団的自衛権・閣議決定、雑感

 安倍首相は7月1日の臨時閣議で、自衛権発動の要件について憲法解釈を変える閣議決定をした。
 具体的にどう変わったのだろうか。
 変更部分のビフォー・アンド・アフター(before and after)はどうなったのだろうか。
 ビフォーについては自衛隊サイト「憲法と自衛権」(参照)から引用し、アフターについては、閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備ついて」(参照)の該当部分を抜き出して三点の項目に整理してみよう。


ビフォー:自衛権発動の要件
① わが国に対する急迫不正の侵害があること
② この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと


アフター:自衛権発動の要件
① 日本への武力攻撃や密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある
② 日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない
③ 必要最小限度の実力行使にとどまる


違いについて。②と③
 項目数に変更はない。
 今回の要件は前要件を踏襲していることはあきらかである。
 ③については、表現を含めて同じ。
 ②については、前要件では、①を受けて「わが国に対する急迫不正の侵害があり、これを排除するために他に適当な手段がないこと」だったが、新要件では、「日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない」として、①からは切り離された。
 また、②では「日本国家」と「国民」という防衛対象が明確にされたが、
前要件では侵害の事後を暗黙に想定しているのに対して、新要件ではその点、「危険がある」という想定として曖昧になった。


違いについて。①
 ①については文言上、大きな差がある。
 しかし、前要件①「急迫不正の侵害」と新要件における日本言及部分を抜き出した「日本への武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」の関係は、前要件の文言をより解説的に展開したことであって、解釈上の大きな差はない。
 ①の違いは、新要件で「密接な関係にある他国への武力攻撃」が加わったことだ。
 これが個別的自衛権から集団的自衛権への憲法解釈の変更と言われる理由である。


新要件「密接な関係にある他国への武力攻撃」の限定
 新三要件の構成では、①「密接な関係にある他国への武力攻撃」への自衛隊発動については、②と③の要件が限定となっている。
 つまり、集団的自衛権行使は、「日本の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がなく、必要最小限度の実力行使にとどまる」という限定があると理解してよい。
 こうした文脈的な解釈が許されるのは、実際の閣議文(参照)は以下のように、後ろの要件にかかるような文章で構成されているからである。


 こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。


集団的自衛権が採用された理由はどう示されているか
 今回の新要件で、集団的自衛権が新たに採用されたか理由はどう示されているか?
 同じ閣議文に次のように示されている。


 これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。

 簡単に言うと、時代が変わったからという程度の表現であり、ここでは具体性にかけている。


集団的自衛権を必要とする8つの事例
 新要件が具体性にかけることは政府側にも意識されていたため、事前に政府側から、集団的自衛権を必要とする8つの事例が示されていた。
 簡素にまとめられた赤旗サイトの8項リストから引用する(参照)。


  1.  邦人を乗せた米輸送艦の防護
  2.  周辺有事で武力攻撃を受けている米艦の防護
  3.  周辺有事の際の強制的な停船検査
  4.  米国に向け日本上空を横切る弾道ミサイル迎撃
  5.  周辺有事での弾道ミサイル発射警戒中の米艦防護
  6.  米本土が核兵器など弾道ミサイル攻撃を受けた際、日本近海で作戦を行う時の米艦防護
  7.  国際的な機雷掃海活動への参加
  8.  武力攻撃発生時の民間船舶の国際共同護衛活動


これらの8事例は妥当だろうか?
 これらの8事例は、集団的自衛権を必要とする理由として妥当だろうか?
 あるいは、この8事例の解消に集団的自衛権は必要なく、個別的自衛権で足りるといった意見があるだろうか。
 個別的自衛権で足りるとした意見もこの間に見かけたようにも思う。だが、改めて見直すと、包括的なその種類の議論は簡単には見つからなかった。
 そこで、一例から考えてみる。
 一例「4 米国に向け日本上空を横切る弾道ミサイル迎撃」を考えた場合、これが「集団的自衛権は必要なく、個別的自衛権で足りる」とは言えるだろうか。
 これについては、専門知識がなくては言えないだろう。
 では、これらについて、識者はどう考えていただろうか?
 評論家・田原総一朗を識者と言ってよいか私には自信がないが、一例として彼は関連してこう述べていた(参照)。


 そこで政府は与党公明党を説得するために15事例を提示し、与党内で協議を進めようとしているのだ。ところが、具体的な事例を出してから矛盾や疑問がいくつも見えてきた。
 たとえば、「武力の行使」に当たり得る活動として提示された「米国に向け我が国上空を横切る弾道ミサイル迎撃」。北朝鮮の弾道ミサイル発射を想定したケースだが、弾道ミサイルは日本のはるか上空を飛んで行くため、それを迎撃することは難しいと言われる。弾道ミサイル迎撃という想定自体がおかしいというのだ。
 あるいは、同様に「武力の行使」に当たり得る活動として挙げられた「邦人輸送中の米輸送艦の防護」。朝鮮半島で戦争が起きた場合、米艦が韓国に住む日本人を救出し、その軍艦を自衛隊が守るという想定である。これに対しても、本当に「米艦は邦人を輸送してくれるのか」という疑問が投げかけられている。

 私の率直な感想を言うと、議論が噛み合っていないと思う。
 「弾道ミサイル迎撃という想定自体がおかしい」や「本当に「米艦は邦人を輸送してくれるのか」」というのは、8要件の妥当性という議論に対応していない。
 また、田原の意見から離れて、「7 国際的な機雷掃海活動への参加」については、かつては、機雷をまいた側の国の防御力を低下させるため国際法上「武力行使」に相当するとして、自衛隊が参加できなかった経緯が実際にあった。
 この問題についても、そもそも機雷掃海活動への参加すべきではないと言うのなら、それも別議論ではあるだろう。


8事例の妥当性をどのように考えたらよいのか?
 8事例の妥当性をどのように考えたらよいのだろうか?
 私にはこれらの妥当性を議論するだけの専門知識がない。おそらく、大半の国民にとってそうだろう。
 ゆえに、こうした問題こそ専門家が議論をするか、あるいは反対政党が明確にすべきだろう。残念ながら、私はその詳細を知らない。
 ただし、この経緯を粘り強く検討した公明党の対応(参照)を見るかぎり、概ね妥当な線で同党が同意したのではないかと思われる。


全体的な印象
 率直なところ、なぜこの機に拙速に集団的自衛権といった問題に内閣が関わるのかは私には理解できない。急ぐべきことは、消費税10%増税の停止のほうではないかと思うくらいである。
 その上で、今回の閣議決定について全体的な印象を述べると、今回の集団的自衛権についての憲法解釈決議決定は、ちまたでよく言われるような安倍政権の右傾化や戦争ができる国への変更というよりも、8事例を見るかぎりは、外交・防衛に関連する各省庁の現場の要請を内閣側で原則としてまとめたという印象が強い。
 例えば、「4 米国に向け日本上空を横切る弾道ミサイル迎撃」などは、そもそも米軍と組んだ現在のMDシステムの前提になっているはずで、これ自体を拒絶するなら、北朝鮮が日本を狙っている弾道ミサイル防衛そのものの前提が揺いでしまう。
 このことは同時に、「そもそも集団的自衛権という解釈が許されないのだ」というのであれば、なおのこと、具体的な8事例についてどのような対処が必要なのか提示されなければならない。


今後はどうすべきか?
 今後、日本国の市民はどう集団的自衛権をとらえたらよいだろうか。
 あるいは、今回の集団的自衛権の行政府の解釈が日本の戦争につながるだろうか。
 この閣議決定が直接集団的自衛権の行使に結びつくものではないことは、当の安倍首相が明白に認識を表明している(参照)。


 また、この閣議決定で集団的自衛権が行使できるようになるわけではありません。国内法の整備が必要であり、改めて国会の御審議をいただくことになります。これに加えまして、実際の行使に当たっても、個別的自衛権の場合と同様、国会承認を求める考えであります。民主主義国家である我が国としては、慎重の上にも慎重に、慎重を期して判断をしていくことは当然であろうと思います。

 これが安倍首相の「本心か?」という議論は置く。
 重要なのは、国内法の整備であり、「改めて国会の御審議をいただくこと」としている点である。
 今回の閣議決定は、どうにも拙速感はあったが、具体的な問題点は、法制化の議論の過程で明らかになる。
 その意味で、専門家や代議士は、その点の解説に注力してほしいと思う。その過程で、日本が置かれている防衛上の状況を踏まえた上て各種の問題点を明らかにしてほしい。そして、それらの議論を法制化の際に盛り込んでもらいたいと思う。
 
 

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