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2014.06.23

都議会で女性議員へのセクハラを撲滅するもう一つの方法

 ネットをそんなに見ているわけではないせいもあるけど、不思議だなあ、と思うのは、都議会で女性議員へのセクハラを撲滅するもう一つの方法について触れてある報道やブログを見かけないことだ。たぶん、たまたま私が見かけないだけなんだろうと思うけど。
 ちなみに、もう一つの前の一つというのは、前回、前々回のエントリーで触れたように、都議会でセクハラ発言を禁じる規則を作ること。
 そして、もう一つの方法がある。
 こっちのほうがはるかによい。ただ、厳密にいうと、これで「撲滅」とまでいくかはちょっと不安な点がないわけではないが、それでも私の考えでは、こうした都議会で女性議員へのセクハラ問題はほぼ終わると思う。そして、この話の関連はすでにこのブログでも書いているのだけど……。
 それは、都議会議員の半数を女性にすること。
 大事なことなので、もう一度言いますね。都議会議員の半数を女性にすること。
 そのためには、各政党からの議員候補者を強制的に半数にすることから始めるといい。
 ここまで言えば、なーんだと言う人もいると思うけど、フランスがすでに14年前からそうなっている。通称「パリテ(parité, Loi sur la parité en politique)」。「公職における男女平等参画促進法」とも呼ばれている。一般的な政治用語としては、「クオータ(quota)制度」である。
 厳密にいうとパリテとクオータ制は同じではないし、またパリテの詳細についてはいろいろあるし、14年間の間に手直しもされてきた。しかし、いずれも代議員の数を男女半々にしていこうとする根幹は変わらないし、概ねうまく行っている。フランスでは地方議会から改善が進行し、国政や企業にも広まってきている。サルコジ元大統領も組閣にこの理念を反映し、さらに現オランド大統領は組閣で女性閣僚を半数にした。これがフランス行政の原則になっていると言ってもよい。
 東京都議会もクオータ制を導入するとよいと思う。都議会の女性議員が半数になれば、女性へのセクハラ・ヤジはなくなると思う。
 難しいだろうか?
 公的な法制度として実施するのがまだ難しいなら、前段として、政党が自主的に「クオータ制」を導入するとよい。たしかドイツの社会民主党は党規約としてが党内選挙候補者の40%を女性とするように定めている。日本の民主党も率先して導入するとよい。社会保守主義を基本とするドイツキリスト教民主同盟もたしか三分の一を女性としている。都議会の自民党から率先して実施するとよいのではないだろうか。政党が率先して有能な女性探すために社会に目を向けることでも社会は改善される。
 「クオータ制」は各国で広がっている。韓国でも近年その方向にぐっと進んできている。日本はかなり立ち後れているので、これを機会に推進するとよい。もともとフランスもカトリック文化などの影響もあり、先進国のなかでは「フランス的例外」と揶揄されるほど、政治への男女平等参画は遅れていたものだったが、この20年に大きく変化させた。
 フランスのパリテについては興味深い経緯も辿っている。これを憲法改正によって実現しようとした経緯である。
 憲法を使って、男女平等参画を実現しようという実践は、現代的な流れで見れば、1994年の東西ドイツ統合の際の憲法改正において、男女平等参画の理念が憲法に明記されたことから始まる。これがどういう意味かについては、日本と比較するとわかりやすいかもしれない。日本国憲法の場合、第24条で家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を定めているが、注意したいのは、これが市民社会における本質的平等の規定になっていないことだ。


第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 もちろん、日本国憲法では法の下の万人の平等の上に成り立っている。この点は第14条には明記されている。

第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 「政治的、経済的又は社会的関係において」すべて国民が平等であれば、政治においても当然平等である。だが、この日本国憲法の平等は、公における男女の平等を明示的に指示するものではなく、「差別されない」という文言からわかるように、国民が意図するのを妨げないという意味合いになっている。ここから帰結されることがある。現実の日本社会において女性の政治参画が遅れているのは、女性に責任があるのだという自己責任論に帰着してしまう。
 もちろん、男女平等社会の実現にむけて男女ともに批判の矢面に立って戦うことは前回、前々回のアーティクルでも述べたように大切だが、そもそも平等とはなにかという社会原理からの追求も大切で、実はそのためにこのアーティクルを起こしたようなものでもある。おまたせしました。
 フランスでの男女平等参画の話題からすると、日本国憲法における男女平等参画の問題点についてちょっと脇道にそれたように見えるかもしれないが、この問題こそが、フランスのパリテ実現の大きな課題だった。フランスの憲法もかつては現在の日本憲法と同じような状態だったのである。
 だから、フランスは憲法改正を使って、パリテを実現しようとしたのである。
 フランスはドイツに5年遅れ、1999年に憲法改正として、フランス第5共和国憲法に「第3条第5項」「第4条第2項」をパリテ促進のための憲法根拠として追記し、そこからパリテ実現のための法整備が着手された。
 もちろんいろいろと齟齬があったが、齟齬のなかでも理念は推進していった。
 さらに、公職でのパリテの根拠となる1999年の憲法改正から、さらに社会全体に広めるために、2008年、さらなる憲法改正を行ったのである。ここで「職業的および社会的責任ある地位(responsabilités professionnelles et sociales)」を規定する憲法1条2項が追記された。
 フランスは憲法を改正することで、職業的および社会的責任ある地位における男女平等参画を強固に実現した。
 日本でもそうした声があってよいかと思うが、残念ながら「寡聞にして存じません」の部類のように思われる。
 率直にいうと、私は、フランスのように男女平等参画のためには、日本国憲法を改正すべきだと思う。
 しかし、現在のネットの空間のなかでそれを述べたとき、私に向けられる罵倒の基軸を私はほぼ正確に予想している。「こいつの本心は、九条の変更に違いない」と。
 
 

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