[書評]江戸の朱子学(土田健次郎)
先日、加地伸行の『漢文法基礎』の書評をcakesに書いたおり(参照)、江戸時代における朱子学の歴史をできるさけ最新の知見で、かつ実証的に見直してみたいと思っていた。本書『江戸の朱子学(土田健次郎)』(参照)はそうした関心・視点から読んだ。そしてそこからすると、実に簡便に全体が見渡せる良書であり、また今後のこの関連の読書の手引きとなる情報を多く、レファレンス本としても有益だった。
![]() 江戸の朱子学 (筑摩選書) 土田健次郎 |
特に、この関連の分野では実質必読文献である丸山眞男の『日本政治思想史研究』(参照)、またその一般向けとも言える『日本の思想』(参照)では荻生徂徠に焦点がとなりゆえに同時代性パースペクティブが失われがちだが、本書ではこれに同じく国学の本居宣長なども含め、江戸時代における朱子学や関連した知識人の全体が空間的かつ経時的に俯瞰できる。このことは著者にもかなり意識されているので、そうした側面から本書を読まれてもよいだろう。筆致は抑制的で丸山批判となっているわけではない。
特に本書は、表題どおり江戸時代の朱子学を基本としながらも、中国における朱子学の基本的な歴史・文脈、さらに朝鮮における朱子学も視野に収めれていて、この関連は非常に面白い。個人的には朝鮮朱子学に関心があるのでその側面と、中国近世における口語文献や清朝での考証学などの側面がもっと掘り下げて書かれていたらうれしく思えた。が、それだと本書の利点であるパースペクティブに問題が生じたかもしれない。
読み方によっては丸山批判とも受け取れないこともないが、丸山が朱子学を旧体制の学問としてのとは逆に、本書は朱子学が江戸中期、後期から興隆し、さらに明治時代にまで影響している強い側面を実証的に描いている。当然のことながら、教育勅語における朱子学的な側面についても、抑制的ではあるが言及されており、従来紋切り型で語られてきた皇国史観的について修正を検討するのに役立つ。
当たり前とはいえるが、それでも本書は学術的な文脈で書かれているため、この分野に関係し、おそらく現代日本においてもアクチュアルな思想課題となりうる小林秀雄『本居宣長』(参照)や山本七平『現人神の創作者たち』(参照)についてはまったく言及がない。意図的に無視しているというより、著者はおそらく悪い意味ではなくこれらを通俗書として読んでいないと思われる。このことは本書の「あとがき」で本書のような概説書を書くことを若い時代は恥じていたとする意図の言及からもうかがえる。
小林の書籍はひとまず置くとして、山本の同書を読めば、本書の思想的な課題は本書と十分に重なるところがあり、逆に山本側の視点からすると、本書の論述に奇妙な欠落を感じるだろう。具体的には「皇統論」である。
ただ現実の権力の頂点に立つ将軍こそが日本の正統なる支配者であるという見方の方が当初多かったのは当然のことである。朱子学者でのごく代表的な例のみあげれば、新井白石が朝鮮都の関係を対等にするために、将軍の称号を「日本国大君」から格上げして「日本国王」に改めようとしたのは有名であり、また闇斎学はの佐藤直方も皇室を正統とは認めていない。それでも次第に皇統を正統とする無言の了解のようなものが徐々に広がっていき、幕末となると尊王攘夷論が輿論のようになっていくのである。
率直にいえば、本書のような視点から山本の視点を補うか批判することで、「次第に皇統を正統とする無言の了解のようなものが徐々に広がっていき」をより実証的に解明することが重要であるようには思われた。
また冒頭、「加地伸行」に言及したが、彼の儒教論、たとえば『儒教とは何か』(参照)で論じられている祭祀としての儒教と、朱子学など儒学の関わりについては、印象としては極力否定的に描かれている。その描出に説得力もあるのだが、実際に日本人の葬式がどう見ても儒教である背景などとの繋がりは逆に見えてこない。
ついでに現代思想的な関連でいうなら、三島由紀夫の思想との関連で問われることのある陽明学についても、本書ではその内側や社会実践的な側面についてはあまり言及されていない。逆に陽明学について学問的にかなりきれいに位置づけられていることは好ましく思えた。
その他、本書の利点としては、室町時代からの医学と儒学の関連、神道、仏教との関連もわかりやすいパースペクティブで描かれていていてためになる。『神皇正統記』を著した北畠親房が真言宗の僧侶であるといった指摘も、『真言内証義』を著したことから当然ではあるが、朱子学との関連の視座で見るとはっとさせられるものがあった。同類の指摘では、戦国時代の「天道」観についても言える。なお、この面においては当時の切支丹思想の影響があるのだが、その実態はよくわかっていないようだ。
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