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2014.05.01

李白「静夜思」を巡って

 中国語の勉強をしていると漢文について学んだことが別の視点から見えるようになっていろいろ面白いのだが、なかでも漢詩について得ることが多い。どういうことかという一例として、李白「静夜思」を取り上げてみたい。
 暗記し、吟詠している人もいるだろう(ちなみに僕もね)。味気ないけど、あえて横書きにするとこう。

床前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

 下しはいろいろあるかと思うが、私の場合。

  床前、月光を看る
  疑うらくは是れ地上の霜かと
  頭を挙げて山月を望み
  頭を低れて故郷を思う

 いきなり余談だが、現在の中国では縦書きはほとんど見かけない。先日、自分が中国語を勉強しているという話を人にしたおり、日本語と中国語は縦書きですよねという話になり、いや、そうでもないんですよと言うと驚いていた。さておき。
 吟詠は流派とかあるんだろうけど、こんなたとえば、こんな感じ。録音悪いけど、字面が見やすいので。

 若い女性の詩吟もあった。これはよいなあ。

 この李白「静夜思」だが、ほとんど中国人が暗記して、朗詠できる。小学校で必須で習うらしい。というわけで、小学生向けの教材がけっこうある。なお、この教材、詩の朗読のあとに中国語の解説が付いているが、そうしないと意味が現代の中国人には伝わらないためだろう。一般人でいうなら、漢文をしっかり学ぶ日本人のほうが中国古典には強い傾向がある。

 みんな知っているので、ついメロディも付くようだ。

 ところで、この中国人が朗詠したり歌ったりしている歌詞だが、というか、詩だが、こうなっている。

床前明月光
疑是地上霜
举头望明月
低头思故乡

 一句目が「窗前明月光」となっているのもある。いずれも、日本で普及している李白「静夜思」とは違う。簡体字など漢字表記の差というのではなく。

床前看月光    床前明月光
疑是地上霜    疑是地上霜
挙頭望山月    举头望明月
低頭思故郷    低头思故乡

 どっちが正しいのかというと、この手のことはたいてい漢文の研究が進んでいる日本のほうが正しい。単純な話、推敲の原義を尋ねてもわかるが、練られた漢詩において同じ言葉が二度出てくるわけはない。しかし、まあ、その手の話は専門家に任せるとして。
 一番の違いは、その「明月」にあるのだが、「山月」を「明月」にするのはそれほど違和感がないが、冒頭の「看月光」が「明月光」となるのは、「看」は動詞だろうと思うと、けっこう違和感がある。他の句にはそれぞれ動詞が配してあるのに、そこが抜けてて中国人には違和感がないのか? たぶん、ないのだろう。というあたりで、漢詩を吟じる中国人の意識というのは、どうも日本人のそれとは違う。

cover
続・新発想 中国語の発音
言葉遊び・漢詩編-
 そもそも、音の音楽性を重んじているのだろうし、小学生の教材になっているのは、拼音の学習の一環らしい。というようなことを「続・新発想 中国語の発音 言葉遊び・漢詩編」(参照)を見てても思った。ちなみにこの本にも「静夜思」は載っている。
 ところで、この中国語で読んだときの漢詩の音楽性だが、実際の李白はどう読んだのかというと、現在の普通話のわけはない。そこで古代の音に再現する試みというのもある。これは表記が現代的なんで考証としての信頼性はそれほどないにせよ、その一例であれ、実際に聞くとけっこう衝撃的である。

 押韻を見ると現在の普通話と大きく差がなく、基本的に漢詩は普通話で読んでもそこに大きな差はでないので、韻文であることは変わりない。だから現代中国でも愛されているのだろう。
 問題は、平仄である。平は平声、仄は上声・去声・入声で、日本だとこれを記した辞書を使って漢詩を作ってきたわけだが、現代の普通話では入声がない。そのため、平仄の原理の一つが基本的に壊れているし、いわゆる漢詩の平仄は当てはまらない。そこでいろいろと話があるらしいが、普通話「静夜思」で見ると、押韻に加えて、その前の語の声調は揃っているので、やはり韻文に聞こえるのだろう。
 再現された普通話「静夜思」は入声(子音で終わる語)があるため、どっちかというと、日本人の白文読みに近い。
 さらに古代の中国語の音はどうかというと、地域差などもあってこの再現があっているのかどうかわからないが、そうだとするとこれもけっこう衝撃的なものがある。

 日本語の漢字に入声が残ったのは、唐代くらいまでの音が定着したからだろうが、このあたりで興味深いのは、桓武天皇・延暦11年(792年)に明経之徒(学生)は漢音を学べという勅令が出ていることだ。ようするにこの時代でも、漢音がそれほど普及していなかった。翌年には僧に対しても同趣旨の勅令が出たところを見ると、寺院では呉音を使っていたのだろう。
 ただ、日本書紀は基本的に漢音なので、そのころから唐化は進められていただろうし、個人的には日本書紀の原型は唐が作成したのではないかと思うので当然だろう。
 だんだん話がずれてくるが、古事記は呉音なので古いという議論があるが、文選読みが呉音なので、時代ということより、唐化との距離の問題だろう。
 こうして見ると、唐というのが日本文化の成立に与えた珍妙な影響は大きなもんだなと思うし、反面、唐が早々に滅亡したおかげで、日本文化が、変な方向に自由に進んでいくことができたのだろうなと、しみじみとする。
 
 

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コメント

finalvent さんには、もしお時間がありましたら、クランベリーズの dreams(英語詞)とフェイ・ウォンの夢中人の歌詞(中国語詞)とを訳し分けて欲しいです。お気が向きましたらよろしくお願いします。

dreams
http://www.kget.jp/lyric/58767/Dreams_The+Cranberries

夢中人
http://vitamin.air-nifty.com/blog/2009/04/post-ea9a.html

ただ、夢中人はどうも広東語らしいんですよね…

投稿: osanai | 2014.05.02 18:03

osanaiさん、こんにちは。できたら。歌の世界は広がると楽しいです。

>夢中人はどうも広東語らしいんですよね

これは広東語ですね。しかし漢字で書き出したのはほとんど普通話と同じなんで、意味はだいたいわかるものなのですね。ちょっと驚きました。「來進入我悶透夢窩」の「悶」のニュアンスは普通話と違うんじゃないかなとかもなんとなく思いました。

投稿: finalvent | 2014.05.02 21:12

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