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2014.04.14

[書評]近代書き言葉はこうしてできた(田中牧郎)

 近代日本語がどのようにできたか。これがよくわからない。特に近代日本語の書き言葉がどのように成立したのか、少なくとも関心をもってきたはずの私にはよくわからない。研究はされているんだろうが、ざっと見たかぎりでは文人の文体論のようなものが多く、それだと言語現象の説明とは違う。
 特に気になっていたのは、「だ」がどこから生じたか、なのだ。これがよくわからないのだ。
 という、文末の「だ」である。
 常体というやつで、もうひとつ「である」がある。「吾輩は猫である」の「である」である。現代の常体だと「吾輩は猫だ」とも言える。では、「である」と「だ」はどこから生じたいのか。
 もちろん、まったくわからないわけではない。辞書を引くとそれなり説明はあるにはある。デジタル大辞泉(参照)は比較的詳しい。


[助動][だろ|だっ・で|だ|(な)|なら|○]《連語「である」の音変化形「であ」がさらに音変化したもの》名詞、準体助詞「の」などに付く。
1 断定する意を表す。「今日は子供の誕生日だ」「学生は怠けるべきではない」「熱が高いのなら会社を休みなさい」
「それも遅ければきかない物だぞ」〈雑兵物語・上〉
2 終止形「だ」を間投助詞的に用いて、語調を強める意を表す。「それはだ、お前が悪いんだよ」→だろう →のだ
[補説]現代語「だ」は室町時代以来の語で、関西の「じゃ(ぢゃ)」に対し、主として関東で使われた。「だ」が用いられる文体は「である」とともに常体とよばれ、敬体の「です」「であります」と対比される。「だ」の未然形・仮定形は、動詞・形容詞・助動詞「れる・られる・せる・させる・た・たい・ない・ぬ・らしい」などの終止形にも付く。連体形の「な」は、形式名詞「はず」「もの」などや、「の」「ので」「のに」に連なる場合に限って使われる。

 まちがってはいない。実際「だ」を活用させてみると、「なら」が出てくるので、文法的な範列から古語の「なり」が元になっていることはわかる。
 問題は、どうして「なり」から「だ」が出て来たか。いつ出て来た。「である」との関係はどうか? そういうことがさっぱりわからないことだ。
 同じ事は「です」「であります」についても言えるのだが、とりあえずそれはおく。
 デジタル大辞泉の説明からわかるのは、「だ」は、(1)室町時代以来の語であること、(2)関東の言葉であること、(3)「じゃ」に対応していること、である。
 「いつ」「どこでどのように」はわからないものの、「わしがそのジョジョじゃ」みたいな表現が「俺がジョジョだ」になったのだろうとは推測される。
cover
近代書き言葉はこうしてできた
 この問題、つまり、これは問題だったわけだが、本書『近代書き言葉はこうしてできた』(参照)はけっこう実証的に考察していて、読んでいて面白かった。
 いわゆるコーパス解析である。
 このコーパスは、西洋の雑誌のクオリティを志向した総合誌『太陽』の文章で、同誌は日本社会の近代化に大きな影響を与えたとされている。1895年(明治28年)に博文館で創刊された。このコーパスでは大正末期まで収録されたとある。30年くらいと見てよいかと思われる。コーパスは「太陽コーパス」と呼ばれている。
 常体・断定の「だ」は太陽コーパスでどうなっていたか、というと、1885年には皆無。1901年に11本。しかし、そのあたりからしだいに増えていった。「である」が先にあった。

標準的な書き言葉となった「である」体の周辺に、「だ」体を柱として豊かな口語体が花開いていったと見ることができるでしょう。

 興味深いのは、これが増加期には「じゃ」と併走していたように見えることだ。
 この過程では、文末の使い分けが書き手のモチーフでもあったらしい。
 かくして、文末に見られる口語体は大正末期にほぼ確立したようだ。「だ」ついてはその元になる「なり」が、当然ではあるが「だ」の増加に比して衰退していっている。
 また他の文法的な特性から見ても、この時期に現代の日本語の書き言葉が確立したと見て良さそうだ。
 関連していろいろ興味深い現象があるのだが、古語の「なり」は口語のほうでは、一部、生き残った。「ならざる」みたいな用例である。
 本書には触れていないが、総じて、昭和とともに現代日本語書き言葉が成立したと見てよいだろう。あるいは、関東大震災がエポックかもしれない。
 この時期の言語変化の社会的な契機としては、「演説」があるようだ。
 本書は言語考察にしぼっているが、おそらく、大正デモクラシーの言語的な活動が基本となっているのだろう。私の推察だがこの時期に擬似的に共通語が求められたからではないとも思う。
 関連して、このコーパス分析では別途「戦争の用語」についても触れられている。それはどうか。減少しているというのだ。
 ちょっと話が飛躍するが、先日cakesに「無想庵物語(山本夏彦)」(参照)について書き、関連して無想庵の文章などもいろいろ読んだのだが、彼のこの時期の文書などからは、あまり戦前というイメージが結びつかない。もともと無想庵がそういう感性の人だというのもある。
 このあたりの、いわば大正デモクラシー的な日本語の近代言語空間の感覚は、山本七平などにもよく残っていた。特に彼の実際のしゃべりかたなどにそれが感じられたものだった。
 本書は基本的に、大正末の近代書き言葉から、暗黙のうちに現代日本の書き言葉を直線的に結んでいるのだが、実際には、昭和10年代以降、日本の世相は代わり、戦争に突入していくにつれ、日本社会の言語空間も変容していく部分がある。これは、太陽コーパスが暗黙に仮定しているような社会均質的なものではない。
 それにしても、「太陽コーパス」の後に、日本の言語はある奇妙な時代に入る。特に、戦争や軍に関する言葉が変わってくる。山本七平が「軍隊語」と呼んだ奇妙な日本語も登場するようになる。彼のいう「軍隊語」は表面的には疑似文語だが、特徴はそれだけではない。が、基本、軍の指揮系として機能すべき言語が近代日本語にないとみてよく、軍隊語が疑似文語になるのはその代償的な機能だからだろう。
 こうした問題意識から、戦中の日本語というのを、独自のコーパスを使って近代日本語のなかでもういちどきちんと検証する必要もあるだろう。
 個人的な直観でいうなら、戦後の平和主義というのは、実際には「軍隊語」の延長であり、これに対抗した昭和デモクラシー語は、口語訳聖書に集結したのではないか。
 
 

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コメント

「だな」「だべ」「だよ~ん」の省略形では? ふふふ

じゃなくて、言文一致運動のときに、整理されたのかも。で、写生文になって、で、次は、です、ます。ま、昔は、詩吟帳をくずしていたはず。それをしまりがいいよに、だ。なような。

投稿: | 2014.04.14 18:34

>これに対抗した昭和デモクラシー語は、口語訳聖書に集結したのではないか。

口語訳聖書というのは1950年代の日本聖書協会訳ですね?
訳としての正確さはともかく特に文語訳ユーザーから日本語として平板だクソだと叩かれてきた訳でしたね。
神様が突然敬語になったりとか、実際奇妙な部分もありました。
興味深いお話です。また聞かせてください。

投稿: ashikus | 2014.04.14 22:54

「である」と「ぢゃ」「だ」との間に「であ」という形があります。
西日本では「であ」が「ぢゃ」に、東日本では「だ」に変化したのではないでしょうか。

伊曽保物語「凡人よりも重罪に付せうずることであ。」

投稿: | 2014.04.14 23:11

『儂はのう、夜が明けりゃ城を出て今川の狢めを退治いたす”でや”。』(津本陽の『下天は夢か』)。
を思い出しました。

上記「でや」を検索した時の候補に『でやんす』!

>口語訳聖書
関係ないけど、上田敏や片山広子の冒険!!!(;゚∀゚)=3ムッハー!!!

投稿: 昨日な世界 | 2014.04.15 02:58

PS: 信長は決戦のまえに断言していた。 「四郎はきっと、ひとすじに押してくるだでや」 。
名古屋弁!

投稿: 昨日な世界 | 2014.04.15 03:08

1985年には皆無 > 1885年には皆無
ですよね?

投稿: | 2014.04.15 12:31

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