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2014.04.03

[書評]遺言 最後の食卓(林葉直子)

 なんとなく怖くて読めなかったのだが、今の時期を逸したら読めないのではないかという思いもして、自分なりの勇気を奮って、棋士・林葉直子の「遺言 最後の食卓」(参照)を読んだ。

cover
遺言 最後の食卓
林葉直子
 意図的に軽く書かれているせいもあって、怖いということはなかった。うっすら期待していたスキャンダルについてもそれほど書かれているという印象は受けなかった。でも、相応の衝撃は受けた。まるで自分がかつて愛していた女から末期の手紙を貰ったような妄想もわいた。
 妄想。そのとおり。私は、林葉直子の年齢をいつからか勘違いしていことに気がついた。私と同年代だと思い込んでいたことに気がついた。知らなかったわけではない。でも、無意識にすり替えていた。
 無意識の理由はなんとなくわかる。衝撃の余波だ。一つは彼女のヌード写真集が出たときの奇妙な衝撃があった。メディア攻勢があったからいくつか目にしたがなぜかそれ以上見たくはかった。「謎の美女」シリーズとはわけが違う。彼女は謎の人ではない。もう一つは棋士・中原誠との不倫も、それなりに衝撃だった。彼女が不倫か、というのと、あの中原がか、という思いだった。中年の男の真実とはああいうものだろうとも思った。自分が凡庸な人生を歩んでいるのはなんかの恵みでもあるだろう。
 そうした衝撃から私は、できるだけ彼女に関心をもたなようにしているうちに、彼女の年齢を無意識に勘違いして同年代と思ってしまっていた。近年のやつれた相貌もそれを無意識に支持した。
 しかし、彼女は私より10歳近く若い。そりゃそうだと、20年くらい前の記憶を思い出す。そして、少し泣きたい気分になる。
 「遺言 最後の食卓」は私には痛ましかった。痛みはうまく表現されていないようにも思えた。そのあたりの自分の受容のなかで、がんがんと存在の根底に響くものがある。ああ、あれだと思う。私も些細ながら遺書代わりの自著を書いたとき、痛みはうまく描けず悪戦苦闘したなあと思い返す。でも、それを描きたいのは、ある種、なんとか愛情のようなものを伝えたい焦りのようなものがあるからだ。ああ、あれだと思う。
 まえがきがこう始まるのもわかる。

人は事故で突然死んだり、ガンになったり、白血病になったりと
いろんな試練が突然やってきます。

自分だけは大丈夫なんてことは、思い込み。


 そのとおり。そのとおりなんだけど、それが本当に伝えにくい。いや、どうしてそれを伝えようとするのかも、その渦中にいると困惑する。
 読んでいて意外に思えたことがいつかあるが、そのひとつは、「私は、なんで将棋が強くなったのかも不思議」と素直に書かれていることだった。たぶん、そうなんだろうと思う。そのことをあまり考えたことがなかった。
 たぶん、人はなにか、そんなふうになにか才能のようなものを背負ってままやっかいな人生の渦中に投げ出されるのだろう、といえばそうだが。
 彼女の声を聞くように読みながら、意外というか、彼女は女流棋士というのは違うものだなとも思った。将棋はある意味、彼女に偶然の産物だったのだろう。むしろ、料理や占いに関心を持つ彼女のほうがいっそう彼女らしい。
 重度の肝硬変という病状についても書かれている。改善もうかがえるが、かなり深刻だとも思う。率直なところはよくわからない。つい、そう思ってしまうのは、小康を続けて長生きしてほしいという願いが混じるからだ。
 なぜ病気に。それはこの本からよくわかる数少ないことのように思う。ウィルス性も疑えないではないが、飲酒と暴食の不摂生がたたったということでほぼ正解ではないか。2003年からγGDPが高かったらしい。肝臓を病んでいたのも2007年くらいからなので、もうけっこう以前からと言ってよさそう。そのなかで飲食と暴食は続いていたようだ。
 あまり書かれていないが、「日本の人じゃないんだけど」以外にも支えてくれた男性もいたように思えるが、その関係が今も支えているふうには見えない。そういう人がいたらよかったかというと、そこは誰もそうだが、人生というものの大きな謎に関わっていたなんとも言えない。
 あまり整理して書かれた本でないようだが、それゆえに、不思議に思えることもある。「◎聖書」という断章がある。

 なぜ私が辛子好きになったかというと、新約聖書に”からし種のようになりなさい”とかなんとか書いてあったから。
 作家の先生から聖書を読んでおくとタメになるよ、と言われて読んだからなんだけど、聖書にイチゴを食べなさいって書いてあったら、イチゴを好きになっていただろう。
 判断するのは自分なのにアホッな私。

 私はこういう呟きに深く感動する。林葉直子という人は「アホッな私」という以外にないんだろうと思うし、そこが愛おしく思えてならない。
 彼女は、たぶん、新約聖書を読み込んではいないだろうけど、その本には、そういう「アホッな私」のような人を愛おしく思って、その家をわざわざ訪問したり、また一途な「アホッな私」は小賢しい世事をこなす人より大切なのだと諭す人のことが書かれている。
 
 

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