« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

2014.04.30

ピンズラー方式の中国語学習の60日間を終えた

 当初一か月でやめようとか思っていた中国語の学習だが、二か月が終わった。60日間。感慨がないわけではないけど、物足りなさのほうが先になって、実はもう三か月目のフェーズの四日目にある。いちおう、三か月間、九十日はやるつもりでいる。

cover
Chinese (Mandarin) II,
Comprehensive
 というか、中国語がけっこう面白くなってきた。
 国際ニュースで中国語を耳にすることも以前から多かったが、タモリの四か国語麻雀を聞いているような感じでいた。現在では、まだまだ意味までは聞き取れないが、ああ、普通話だというくらには聞ける。部分的に聞けるところもある。
 これがどういうことかというと、上海や香港の人のインタビューで、「おおっ、これは普通話じゃないぞ」、「おお、かなりなまっているぞ」というのがわかるようになった。
 上海人の普通話の響きは随分北京と違うなあというのと、香港の人の普通話はかなり苦労している人もいるんだなと。台湾の普通話は、これがまだうまく感覚的にはわからないのだが、はやり北京と響きが違うと感じる。
 残念ながら、それらの語彙や言い回しの差まで聞き取れはしない。
 それでも、普通話というのが、実に中国という特殊な合衆国の事実上人工的な共通語なんだなという感じは、くっきりとしてきた。なんというのか、中国の大半の人にとっては、日本人がなんとか英語を身につけようとしているのと、普通話を学習するのと、そう変わりないというか。
 そう考えると、別段、国際語って英語とかではなくて中国語・普通話でもいいんじゃないかとも思えてきた。日本の公用語に英語と中国語・普通話を加えてもいいんじゃないか。
 まだまだ中国語が身についたというレベルではないが、他にもいろいろ感覚が変わった。
 ぼーっと日本の町の看板とか見ていると、なんといったらいいのだろう、なんか不思議な国いるような感じがすることがある。「東京都」"Dōngjīng dū"?
 「東京」が「北京」「南京」「西京」と並んでいるのもだけど、「都」とかで、「他们都来了」みたいな連想が働く。「東京海上火災」だと……。
 「駅」って「站」だよな。なんで「駅」なんだ、大宝律令? 日本って見かけない漢字が変な漢字が多いなあ、唐の時代にタイムスリップしたみたいだ。あるはもう一つの中国というパラレルワールドのような。
 ぼんやりと、脳がべたに日本人に戻る微妙な合間で、とっても不思議ワールドに感じられる。
 逆もある。中国語を聞いていて、"Míngnián tā dǎsuàn shàng yīsuǒ pǔtōnghuà xuéxiào"の「dǎsuàn」って「打算」じゃないの? 調べてみると、そうだ。ええ?! というわけで日本の字引を引くと大辞泉だと。

だ‐さん 【打算】
[名](スル)勘定すること。利害や損得を見積もること。「―が働く」「人間の年月と猫の星霜を同じ割合に―するのは」〈漱石・吾輩は猫である〉

 とある。漱石の時代に使われている。その時代からあることがわかるのだが、これって、日本語から中国語に入ったのか、江戸時代ころに中国語から入ったのか? 「打」の語感、「打的去」とかから類推すると、中国語から入ったのだろうなと思うが、だとすると経路はなんだったのだろう?
 他にも、「簡単」という意味で"Róngyì"というのがあって、これ、「容易」じゃないの?と調べたら、そうだった。などなど。さすがに似ている言葉は多いなあと思う。英語とフランス語の関係によく似ている。
 同様とも言えるのだけど、"Huòzhě"が「或者」、"Ránhòu"が「然後」とかなどは、そのまま漢文法の延長にもなっている。総じて、やる気になれば、現代中国語も漢文文法を延長していくと訓読もできそうには思う。
 まったくわからないのもある。唖然としたのが、「月台」"Yuè tái"。駅のプラットフォームなのだが、なぜこれが「月台」? 調べてみたが、よくわからない。
 こうした話は中国人にも多少関心は向くだろう。例えば、「【冷】日本和中国的区别,一般人看不懂」(参照

日本好:
日本的照片都是【写真】
日本的洗澡水都是【汤】
日本的钢笔质量好,叫【万年笔】
日本的礼物都叫【土产】
日本的赌博用具【麻雀】般可爱
日本的不好:
日本的学习都得【勉强】
买个邮票都要【切手】
写信都拿【手纸】写信

大家有啥补充的没?看谁知道的多…


 中国語に自分なりにどっぷり使ってみると、いろいろ、日本語と中国語の関係というか奥行き感がつかめてきたのも面白い。
 きちんと、日本語の訓読と漢字音の変遷を体系的に整理すると、よいのではないかなとも思う。
 特に、日本の漢字音にはすでに普通話から消えた「入声」が残っていて面白い。また、その場合、漢音のようだが、どうも中国唐代にあたる日本の時代だと呉音が主流だったようで、そのあたりの差も興味深い。この点はいろいろ研究があるので、つらつら見ているとほんと面白い。
 中学校か高校か、古典の教科の一分野に、言葉から見た日本語と中国語の関連史というのがあるとよいのではないかな。そういう教科書があれば、逆にそれを中国語に訳せば、中国人からも日本という国の文化がくっきりと見えるだろうし。
 ところで、中国語はピンズラー方式で学んでいるのだが、つまり音声中心なのだが、50日目あたりで、ただ聞いているだけではなく、一回耳のレッスンを終えたら、ピンインのディクテーションもするようにした。日本人なので、やはりどういう漢字で表現しているのかは気になる。ピンインで書いて、変換すると漢字が出てくる。
 やってみると、愕然と聞き取れないことがわかってまいった。が、おかげでピンインにも少しづつ慣れてきた。パソコンを使っていると、ピンインの入力が楽なので、なんといってもピンインは修得しないとしかたない。
 今思うと、ピンズラー方式でフランス語を勉強したときも、どこかの時点で、ディクテーションをすればよかったかなと思う。"déjà"のアクサンとか当時はまったく無視していたが、あれから、フランス語学習の復習かねてDuolingoやっていると、いやはやスペリングがわからないわからないでまいった。とはいえ、言語学習は最初はやはり音からにすべきだというピンズラーの考えは同意している。
 中国語を学ぶ過程で、適当に切り上げて、朝鮮語の勉強もしてみようと思っていたのだが、どうにも手が回らない。
 朝鮮語を学びたいと思ったのは、一つには日本語との関連をもっとその内側から知りたいのと、あのオンモンで覆われている表記の裏にある漢字とその音の体系を知りたいなというのがある。現代韓国語の漢字音はいつごろどのように成立したのか、また李朝の儒者はそのあたりをどうしていたのかが知りたい。
 儒者といえば、中国語を学んで、荻生徂徠のやっていた中国語研究も少しわかるようになった。どうやら彼は北京官話には触れていなかったらしい。南方系の音を使っていたようだ。まあ、そのあたりも今後おりに触れて調べてみたい。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.04.22

「セウォル号」沈没報道の関連で思ったこと

 韓国南西部・珍島沖で旅客船「セウォル号」が沈没した事故は、まだ全貌がわからないが、現時点で見ても痛ましい出来事だった。
 ただ、日本のNHK7時のニュースが連日、この他国の事件をトップにあげているのは多少不思議にも思えた。NHKとしては近い隣国なので国内ニュースと同様の扱いをしているのかもしれないし、イタリアの旅客船「コスタ・コンコルディア」の座礁事故でも欧米で大きく取り上げていたことを思い出せばそう不思議でもないのかもしれない、とも思ったが、イタリアの旅客船については、欧米人全体の話題であり、さらに日本人や中国人の乗客もいたので、国際的な事件だったと言える。この点、「セウォル号」沈没と日本国民の関わりはそれほどは深くないだろう。私のニュースへの感覚でなにか前提条件が抜けているのだろうかという関心からも、それなりにこのニュースは追っていた。
 当初気になったのは、なぜ救助がそれほどはかどらないのだろうかということだった。米軍や韓国軍、さらには日本軍、中国軍などが一斉に救助活動はできなかっただろうか。この点については自分なりに見た範囲では特に不可解な点はなかった。大規模な軍の出動でも効果的な救助は難しかったようだ。なお、救助には複数国の技術が関与している。
 次に、なぜこのような悲惨な事件が起きたのかという点だが、現状でもわかっていない、ということが現段階ではわかっている。航海士の問題や規定を逸脱した航海だったことなどはわかっているが、それらは事件の誘因ではあって、原因とは言いがたい。
 今回の事故の一つの特徴は現段階での死者数から見ても、イタリア客船「コスタ・コンコルディア」の死者30人をはるかに上回った大惨事であることだ。いろいろと悪条件があるにせよ、ここまで大惨事になること自体が不思議にも思える。なお、「セウォル号」と同じ造船所で建造された「ありあけ号」は、2009年、三重県沖で座礁したが乗客7人と乗員21人は無事だったものの、乗員数が少なく比較にはならない。
 連日の報道と、ネットでの反応を見ていて、そもそもなぜこれが日本での大事件のように報道されるのかという疑問が私にはあるせいか、事件の周辺的な状況にも関心が向いた。本質的にはこの事件とは関係が薄いのに、報道関連の随所に日本と韓国という枠組みや、韓国という国家や政治の枠組みが見られることだった。
 例えば朝日新聞記事「韓国船沈没―悲劇を繰り返さぬよう」(参照)は、「他の国々にとっても決してひとごとではない。日本でも」という視点から論じていた。


 朝鮮戦争で国土が廃虚となった韓国は、「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な成長で、経済先進国の地位を築き上げた。
 だが、まるで高度成長のひずみが噴き出すように、これまで多くの大事故が起きた。運輸に限らず、インフラや建造物などのまさかの惨事もあった。
 90年代半ばには、営業中の百貨店が崩壊したり、早朝に大きな橋が落ちたりして、多数の死者が出た。今年2月にはリゾート施設の屋根が崩れ、大学生たちが犠牲になったばかりだ。
 その裏側では、効率や利益を優先する油断や慢心はなかったか。成長と競争の論理が、地道な安全策の積み重ねを置き去りにする風潮はなかったか。
 安全の落とし穴は、他の国々にとっても決してひとごとではない。日本でも05年に起きたJR宝塚線の脱線事故で、安全対策を後手に回した利益優先のJR西日本の体質が批判された。
 日々の業務のルール順守、機材や施設点検の徹底、事故時を想定した避難・救助の訓練などは、どの業界にも通じる基本原則である。
 どんなに技術が進んでも、安全の最後の守り手は人間の意識でしかない。
 悲劇を防ぐために毎日の安全を不断に見つめ直す。隣国の事故をそんな他山の石としたい。

 国家と産業の視点は、韓国国内ではさらに顕著だった。中央日報「【社説】どうして大韓民国で旅客船沈没のような惨事が起きるのか」(参照)より。「大韓民国の名前の前で許すことができない」という表現が印象的である。

 これ以上こうした惨事は大韓民国の名前の前で許すことができない。結果的に「じっとしていなさい」という案内放送に忠実に従った人たちが犠牲になる社会、あちこちで安全不感症が見られる社会は正常でない。朴大統領は国民の安全を最優先にする幸せな社会を約束した。非正常の正常化を約束した。私たちは珍島の惨事を見ながら、その約束に深い疑いを抱いた。もう朴槿恵政権は安全な社会を実際に作るのか行動で見せてほしい。

 さらに同紙は、「【社説】韓国は「三流国家」だった」(参照)と論じる。

 この超大型災難の前で、私たちは「安全政府」に対する期待と希望までが沈没してしまった、もう一つの悲しい現実に直面した。世界7位の輸出強国、世界13位の経済大国という修飾語が恥ずかしく、みすぼらしい。木と草は強風が吹いてこそ見分けることができるという。一国のレベルと能力も災難と困難が迫った時に分かる。韓国のレベルは落第点、三流国家のものだった。あたかも初心者の三等航海士が操縦したセウォル号のように、沈没する国を見る感じであり、途方に暮れるしかない。私たちの社会の信頼資産までが底をつき、沈没してしまったも同然だ。この信頼の災難から大韓民国をどう救助するのか、いま政府から答えを出さなければならない。

 韓国のメディアがそのような反応をすることに、他国の人間として言及すべきことは何もない。私自身としては朝日新聞のようにこの事件を「他山の石」とすることには違和感がある。
 違和感の根幹は、こうした反応は極めて日本的、また、極めて韓国的なものではないだろうか、ということだ。
 今週の日本版ニューズウィークがこれに焦点を当てた記事を掲載していた。「フェリー沈没事故を韓国はなぜ「恥」と感じるのか」(参照)である。しばらくすると無料公開になるのではないか。

 欧米では、このように悲劇的な事故と国家威信、恥、自尊心とを結びつけて内省するといった反応は起きないだろう。欧米で惨事が起きた後に続くのは、過失への非難と犠牲者への哀悼、そして安全性や対応策の改善だ。


 しかし他国で同様の悲劇が起きた場合とは異なり、多くの韓国人はこの件を単なる過失や当局の不手際による事故とは考えていない。韓国人は、あの沈没船に自分たちの国民性の欠陥や国としての未熟さを見ている。

 記者はこう論じる。

 だが韓国では人災はそれ以上の意味を持つ傾向にある。貧困国からあっという間に豊なハイテク国家に成長したプライドがあるにもかかわらず、今にも失態を演じるのではないか、まだ力不足なのではないかという不安が国民の心に刷り込まれている。

 そして、この日本版ニューズウィークの記事はこう締められている。

 今はそろそろ胸を張っていい頃なのに、自国を誇る気持ちに確たる自信がないのは相変わらず。米タフツ大学で朝鮮半島を専門とするイ・スンヨン助教はこう言う。「韓国は自分たちが世界の目にどう映っているかを気にしすぎだ」

 そういう視点もあるだろうし、むしろそういう視点のほうが、今回の事件を巡る日韓の報道の特徴を示しているとも言えそうだが、私はここで、けっこうびっくりしたのだった。
 このニューズウィーク記事は、グローバルポストに「South Koreans blame themselves for ferry tragedy」(参照)として掲載された記事の翻訳転載なのだが、結語が違うのである。
 まったく違うわけではない。イ・スンヨン助教の発言は締めではない。その後にこう続いている部分があり、ここは日本語版の記事になぜか掲載されていない。文字数の関係で削除したのかもしれないが。

More recently, many South Koreans took personally the crash-landing of an Asiana flight in San Francisco last year, which left three people dead. President Park Geun-hye personally wrote a letter to the Chinese government calling the crash "regrettable," offering sympathy for the deaths of Chinese girls in the incident.

より最近では、多くの韓国人が、三人の死者を出した、昨年サンフランシスコのアシアナ・フライトの着陸時事故を個人的に受け取っていた。朴槿惠大統領は、この事故で中国人少女の死に同情を示すために、破壊事故を「遺憾」と呼び、中国政府に信書を送った。

Perhaps one of the most tenuous causes for national flagellating arose when 23-year-old, South Korean-born Seung-hui Cho killed 32 people before taking his own life in the 2007 Virginia Tech Massacre. South Koreans took to the streets with candlelight vigils and expressions of shame, feeling a sense of responsibility for their overseas brethren.

もっとも希薄な理由で国家的な鞭打ち刑が実施されたのは、たぶん、2007年のバージニア工科大学銃乱射だろう。この事件では、韓国生まれの23歳、趙承熙が32人もの人を殺害した。韓国人は海外同胞に責任感を感じ、街路に出てキャンドル・ビジル(ロウソクを灯す祈り)と恥辱の表現を実施した。

The killer, however, had lived in the US for fifteen years ― two-thirds of his life ― before the massacre.

しかしながら、この殺人者は米国で15年居住していたのである。虐殺までの、その人生の三分の二に当たる。


 記者の思いとしては、残虐な事件だが、普通に米国社会の歪みが起こしたとはいえ、韓国人や韓国と結びつけるものではないという前提がある。
 
 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014.04.21

日本語の無助詞文は中国語とどう違うのか?

 中国語を勉強していて、これは日本語の無助詞文となんか関係があるんじゃないかと、ときおり思う。が、特に結論はでないので、以下、適当にぐだぐだと書いてみる。
 日本語の口語は無助詞文が多い。実は書き言葉としゃべり言葉がけっこう違っている。
 いわゆる「てにをは」だが、しゃべり言葉では、「てに」は省略されないことが多いが、「をは」はけっこう省略される。
 いや、これは、省略なのか?というのも気になる。そもそも、日本語の口語の文法が書き言葉の文法と違っているんじゃないか。
 こうした現象はちょっと気に留めれば、日本人なら誰にでもわかることなので、ざっと調べてみるといくつか研究もあった。ただ、ざっと見たところ、十分な説明はないようだ。それとこれに関連した語順の問題があまり意識されていない印象があった。
 具体的に例えば。
 「大丈夫、それ、食える。」
 という文だが、書き言葉(敬体)にすると、「大丈夫です。それは食えます」となるかと思う。すると、「それ」の後ろに「は」が抜けたということになる。また、
 「彼、日本語、変」
 だと、「彼の日本語は変だ」だろう。おなじく「は」の抜けに見える。だが、「は」でなく、「が」でもいい。
 「彼、日本語が変」
 とも言える。
 「が」と「は」の差ついては、「は」は「が」の主題化として見てもよいので、「彼、日本語が変」→「彼、日本語は変」とも見れる。
 ここで気がつくのは、この発話の主題は「彼」なんで、実は書き言葉は「彼は日本語が変」で、いわゆる「象は鼻が長い」構文だろう。
 ためしに主題を入れ替えると、「日本語、彼、変」になる。「日本語は彼が変」(彼女は変じゃないのに)。主題が変わることで意味が変わる。
 この例で変則的に「変、彼、日本語」と言えないこともないが、これだと、倒置という意識が働いている。その意味でやはり「変」の部分は意識的な倒置以外では移動できない。
 というあたりで、実は、日本語の無助詞文の背後には、意外と語順の規則が存在している。
 ということは、無助詞文で語順規則があるというのは、そういう言語である中国語となんか関係があるんじゃないか?と疑問がわく。
 この例だが、「象は鼻が長い」構文である。口語的に無助詞にすると。「象、鼻、長っ」である。
 この構文は中国語にもある。主述述語文である。
 「大象鼻子很长」(Dà xiàng bízi hěn cháng)
 面白いことに日本語同様、「象の鼻は長い」のように「大象的鼻子很長。」とも言える。そのほうが自然なのかはよくわからないが。
 他の言語にこうした現象があるのかもよくわからない。英語だと無理そうだが、「Elephant nose long」と言われると通じるだろうから、意味的な補いは自然に効く。それでも、英語だと日本語や中国語のような語順の規則姓が影響しているわけではない。「Long elephant nose」でも同じだろう。
 日本語と中国にどうしてこういう文法構造があるのかわからない。ざっと中国語の文法書を見ても、主述述語文として分類しているだけで、その文法を可能するする基底的な規則は示されていない。まあ、しかし、日本語ですらわからないのだからしかたない。
 話がちょっとずれるのだが。例えば、次の無助詞文、
 「ビットコイン、換金、どこ」
 は、「ビットコインの換金はどこか?」だろう。
 これを「できる」で言い換えると、
 「ビットコイン、換金、どこでできる」
 になって、「どこで」は無助詞になりづらい。
 また先の主題化の制約からすると、
 「換金、ビットコイン、どこでできる」
 は意味は通じるが、無助詞文としては非文っぽい。
 で、この文だが、中国語だと、
 「我可以在哪儿换比特币」(Wǒ kěyǐ zài nǎ'er huàn bǐtè bì)
 になるはず。
 「我」は省略できるし、省略しても自然なので、
 「可以在哪儿换比特币」
 となる。
 さらに口語では、哪儿("where")を文頭にもってきて「在」が省略できるらしい。
 「哪儿可以换比特币」
 これだが、「哪儿」を文頭に持ってきたから、「在」が消えたのかもしれない。「可以哪儿换比特币」と言っても通じるだろうが、むしろ、「哪儿」を文頭にした「哪儿可以换比特币」のほうが自然なのではないか。
 というあたりで、英語のwh-句が文頭に出るのと同じような文法原理が中国語にも働いて、それに合わせて、「在」を削除しているように見える。
 あと、たぶん、
 「可以换比特币在哪儿」とも言えるだろう。
 日本語の場合はどうか。
 「ビットコインは換金がどこでできる」というのを、
 「どこでできる、ビットコイン、換金」のようには「どこ」wh-句が前に出ずらいが、
 「どこ、ビットコイン、換金」
 とは言える。
 「誰、それ、喰った?」
 は自然に言えるのと同じ。
 以上、特にまとめはないのだが、日本語の場合、口語だとかなり無助詞なんで、実際には、中国語みたいになっていることがけっこう多い。
 こうした背後に(日本語と中国語の共通の)どういう文法意識があるのかよくわからない。なんかあるんだろう。
 案外中国語というのは、日本語の無助詞化の過程と同じようなことが、古代になんらの理由で起きたために、ああいうふうになっているんじゃないかという気もする。
 
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014.04.18

ウクライナ連邦制が落とし所

 ウクライナ情勢でそれなりに見えてきた点についてこの時点で簡単に言及しておきたい。落とし所としてのウクライナ連邦制がようやく見えてきた。
 クリミアのロシア編入に続いて、西側報道ではウクライナ東部がどうなるか、ロシアに編入されるかという領土的な枠組みで話題になることもあった。だが、ロシア、プーチン大統領の出すメッセージは当初からこの点では明瞭だった。クリミアが「固有の領土」であると言及した時点で、ウクライナ東部編入はないことは自明だった。
 しかしこの問題が「固有の領土」の問題ではなく、ロシア系住民の安全の問題となれば、ロシア軍が動くことは避けられないし、その覚悟も示さざるを得ない。このことは実は西側諸国も了解していたので、ウクライナ暫定政権が挑発に出ないよう気をもんでいた。
 混迷にロシア政府の関与はないのか。ウクライナ東部のドネツクで政府庁舎などを占拠した親ロシア派武装勢力の背後にロシアの支持や意向がなかったかといえば、どう見ても、ないとは言いがたい。ただし、直接、ロシア政府、あるいはプーチン大統領の支持によるものかはわからない。ロシアの国益に沿う形での適時の制御はあっただろう。
 この場合のロシアの国益とは何かだが、これもロシアがかねて明言しているように、ウクライナ連邦制である。
 ウクライナの連邦制をロシアが望んでも、現在のキエフ暫定政権下で5月のウクライナ大統領選が実施されると、基本的にウクライナ・ナショナリズムから反ロシアの政権が生まれる可能性も高く、ロシアとしては都合が悪い。
 そのため、事前にウクライナをぐだぐだにしておくというのがロシア政府の意向と見てよいだろう。今日の報道ではプーチン大統領は、ウクライナ大統領選が実施されても認めないとしているともある(参照)。
 こうしたやり口からは、ロシアはひどいという判断は避けがたい。
 だが実際に、そこに追い詰めているのは、西側の失態もある。ごく簡単に言えば、西側は本気でキエフ暫定政権を支援する気がないからだ。西側諸国にその気があるなら、IMF融資でごたごたもめているはずがない(参照)。
 結局のところ、ウクライナ東部としては、大統領選挙をきっかけにキエフ政府が再度樹立されても西側から得られるものは少なく、ギリシアのような境遇に置かれることは明らかなので、経済面からも親ロシアに誘導されてしまう。
 あまり報道されていないように思えるが、キエフ政権は以前からウクライナの各地方に知事を指命している形になっていて、中央政府からの統制が強い。ここに問題の根があることは、ここに至って当のキエフ暫定政権も認めざるをえないため、連邦制導入の住民投票実施の提案もしている(参照)。あるいは西側からの圧力で述べたものだろう。
 ようするに、そのあたりが、落とし所になってきたわけで、西側としてこれにお墨付きを与えれば問題は一段落して、ゆっくりと、ウクライナ国家は分断されることになるだろう。
 西側の足並みの乱れの原因は、ようするにカネの問題である。ということは、ヨーロッパの経済で見るなら、ようするにドイツの問題である。
 そこで見方によってはメルケル首相の結果的な失態とも言えるが、振り返ってみると彼女はこの状態を見越していたとも言えるだろう。彼女にしてみれば、ウクライナな地政学的な位置から過剰の意味付けが与えられがちだが、その本質はギリシア経済危機と同じ構図だと見切っていたのだろう。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.04.17

漢文と中国語はどう違うのか

 中国語を学びたいと思った動機の一つは、漢文と中国語がどう違うかということだった。違うということは知っていた。現代中国人も論語などは読めないということも知っていた。が、それがどういう感覚なのかというを、その内側に入って知りたいと思った。
 普通に考えれば、私たち現代日本人も平安朝文学をそのままでは読めないが、それでも、一定の年齢になって長く日本語というのに接していると、古代の言葉もそれなりにわかる部分は出てくる。その歴史的な言語感覚は、中国人の場合、どういうものだろうか。
 それが少しずつ見えてきた気がする。
 論語の冒頭を例にしてみたい。現代の日本の漢字を使うとこうなる。なお高校とかでは日本漢字で教えているだろうか。


子曰:“学而時習之,不亦説乎。有朋自遠方来,不亦楽乎。人不知而不慍,不亦君子乎”

 これを学校では、こう下していると思う。他の下し方もあるが。

子曰く、学びて時に之を習う、また説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、また楽しからずや。人知らずして慍みず、また君子ならずや。

 繁体字(旧漢字)だとこうなる。日本人も長くこれに句読点のない白文で論語を学んでいた。

子曰:“學而時習之,不亦說乎。有朋自遠方來,不亦樂乎。人不知而不慍,不亦君子乎”

 中国語を学んでから、これを見て、あれれ、と思うようになった。
 まず、「不亦説乎」の「説」である。
 これに「よろこばし」という意味はないだろうと思うようになった。あるのかもしれない。ただ、この字を見て現代中国人は「話す」という意味にとるはずだ。
 ざっといくつか漢字辞典を見ても「説」に「よろこばし」の解は見当たらない。追記「五十音引き漢和辞典」を見たら、「悦」に同じとあった。
 ここは本来の漢字ではないものが入っていると、考えてもおかしくはない。
 その場合、同音を当て字になるのが普通だが、「説」(shuō)の音は普通話の音で、その同音語が古代の論語に当てはなるわけはない。
 そこで、古代の「説」の音価を探して、あるべき漢字を探すことになるのだが、日本語の「セツ」が暗示するように入声(語末子音)があったのだろう。とすると、むしろ入声のある日本語で「セツ」を探したほうがわかるかもしれないと漢字を眺めても、妥当なものは見当たらない。
 どっかに解答があるだろうかと探すのだが、よくわからない。
 中国語のサイトも見て回って、奇妙なことに気がつく。
 こうなっているところが多い。「学而时习之,不亦说(yuè)乎?」(参照)である。
 つまり、「说(yuè)」というのだ。
 そんな音価はありえないのだが、"yuè"から連想されるのは、「悦」である。つまり、現代中国人は、「不亦悦乎」と読み替えているとがわかる。「说:音yuè,同悦,愉快、高兴的意思。」(参照)という解説もある。
 そうなのだろうか?
 そうなのかというのは、論語の原典が誤字なのだろうか。あるいは誤字ではないが、読むときは、「悦」を想定するべきだろうか。
 ところで、現代中国語でここはどうなっているかというと、一例はこう。

孔子说:“学习并且不断温习与实习,不也很愉快吗?
Kǒngzǐ shuō:“Xuéxí bìngqiě bùduàn wēnxí yǔ shíxí, bù yě hěn yúkuài ma?

 私もこのくらいは現代中国語がわかるようになった。「不也很愉快吗?」とか、特によくわかる。わかるので、それって、「不亦説乎」なのかと逆に疑問に思う。「高興的意思」というのも、どうなのだろうか。
 自分の中国語の学力では無理を承知で、あえてここで論語と現代中国語をあえて実験的に近づけてみる。

子曰:“学而時習之,不亦説乎。”

孔説:“学而時常習,不也悦吗?”


 ちょっと無理があるのは重々承知でその上で思うのは、構文の違いである。「而」はなんとかなるとしても、「之」は構文的にどうにもならない。近接化できない。
 その点、「乎」は「吗」に置き換わったとしてもそれほど違和感はないし、同じ事は「亦」と「也」でも言える。つまるところ、「説」を「悦」とすれば「不悦」は変わらない。
 もう一つ例を進めてみる。

有朋自遠方来,不亦楽乎。

 現代語訳では一例はこう。

有朋友従遠方来,不也很快楽吗?

 「不亦楽乎」と「不也很快楽吗?」は先と同じ構文であり、論じるとすれば、「楽」が「快楽」かということになり、先の「愉快」と同じような解釈の問題に帰する。
 興味深いのは、「有朋自遠方来」と「有朋友従遠方来」の構文がほとんど同じだということだ。
 「朋」と「朋友」の言い換えは現代語というだけでだし、「自」と「従」も同じとしてよいだろう。この点では、基本的な構文は、論語と現代中国語はほとんど変わっていない。
 というところで、ふと漢文の下しを思い出すと、二通りある。

有朋自遠方来

朋あり遠方より来る
朋遠方より来たる有り


 「来たる有り」の下しはウィキクオートにもあった(参照)。
 現代中国語と同構造なら、「朋あり遠方より来る」でよいとも思われるが、「自遠方来」は「有朋」を補っているのだから、「遠方より来たる朋有り」のように解してもよいだろう。ただその場合でも、古文日本語の関係節として「朋遠方より来たる有り」は「朋遠方より来たるもの有り」となるので、文法構造的には疑問が残る。
 以上、ちょっとヘンテコな議論になってしまったが、ようは、論語を支える文法が構文論的に現代中国語とどの程度異なっているかというを探りたい。
 その意味で、説明が雑だったが、「学而時習之」の「之」は、現代中国語の構文には合っていない。
 論語から離れて、興味深いと思ったのは、構文がわかりやすい、比較構文なっだ。ここでも漢文と現代中国語は変わっている。
 漢文の場合は、AとBを比較するとき、「於」を使う。現代中国語では「比」を使うのだが、構文が異なる。
 「電話は手紙より速い」というのは現代中国語では「电话比信快」、つまり、「電話比信快」となるが、漢文だと、「電話快於信」というようになる。簡体字で書くと、こうなる。

漢話:电话比信快

漢文:电话快于信


 現代中国語だと、「电话快」があって、それに「电话(比信)快」というふうに比較が加わるが、漢文だと構文がかなり違う。「电话快」に「于信」が後置する。"A telephone is faster than a letter."に似ている。
 現代中国語で、「电话快于信」と言えるかどうかわからないが、言えるとしても、「电话快,于信」というように追記的な補足になるだろう。
 漢文の比較表現は補足的な構文だったのか、それとも比較構文は元来、英語のような構文であったかが、よくわからない。
 先の「之」の構文でもそうだが、どうも漢文の文法構造は、現代中国語と構文レベルで違っているようにも思う。というか、違っていてもおかしくはないのだが、どのように構文が変化しているかが、もう少し知りたいところだ。
 ただ、ざっと見ているかぎり、助字を使った構文の構成は、漢文と中国語はあまり変わっていないようにも見える。
 
 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014.04.15

[書評]ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い(やなせたかし)

 アンパンマンの作者としても有名なやなせたかしだが、このブログでも一度取り上げたことがある。「[書評]93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法(やなせたかし)」(参照)である。表題にあるようにこの本は93歳の長寿法である。やなせさん、100歳まで生きるんだろうなと思っていた。が、94歳で亡くなった。それでも天寿と言ってもよいのではないか。

cover
ぼくは戦争は大きらい
やなせたかしの
平和への思い
 年齢を見ると大変なお年のように思うが、生年で見ると、1919年(大正8年)。コラムニストの山本夏彦が1915年生まれだからそれより4年は年上。山本七平は1921年生まれで、やなせより3年、年下。同じく漫画家の水木しげるは1922年生まれなので、山本七平に近い。
 彼らはそのあたりの年代。実際に大人として戦争を体験した世代である。山本夏彦は従軍していないが、山本七平はフィリピンで九死に一生を得ている。水木は左腕を失なった。
 他、思い出すのは北京で終戦を迎えた春風亭柳昇が1920年で、中国戦線にいたやなせに近い。J・B・ハリス先生(参照)は1916年で山本夏彦に近い。彼らは関東大震災の記憶を持っていた。
 この本、「ぼくは戦争は大きらい やなせたかしの平和への思い(やなせたかし)」は2013年の4月から6月にかけて実施したインタビューをまとめたものらしい。亡くなる4か月前ということだ。

 この本は、ぼくの戦争体験を綴ったものです。
 自伝などの中で簡単に戦争のことをお話したことはありましたが、戦争体験だけをまとめて話すのは、これが初めてす。
 僕は昭和15年から5年間、日本陸軍の兵隊でした。(後略)

 本書がやなせの唯一の戦争体験記になる。
 これまで語れなかったことが語られていると言ってもよいが、衝撃的な事実というのはないように思えた。が、実体験者でなければ言えない話が随所にあって興味深かった。戦争がしだいに神話的に語れるようになった時代、一つでも実体験者の記録が読めるのはうれしいことである。

 激戦地で大変な思いをしたみなさんからすれば、「なんだ、本当の戦争はこんなものじゃなかった」とおしかりを受けるかもしれません。でも、ぼく自身の戦争体験、軍隊体験を語ることで、過去の戦争のことがみなさんの記憶に少しでも残ればいいと思います。

 読んだ印象でいうと、やなせさん、ちょーラッキーだった。彼の弟さんは亡くなっているし、彼も戦死して不思議ではなかったように読めた。
 実体験の語りには、記憶違いも混じるものだが、それはそれとして、実際に語られることを聞くと興味深い。たとえば、赤紙。実際にはうすぼけたピンク色をしていたと私などは理解していた。が、やなせに来たのは「本当に真っ赤な紙なんですね」というものあった。絵描きの彼を思うと、たぶん記憶違いではないだろう。
 15年の春に兵役となった。彼はこの時代でありながら、兵役は規定どおり2年で終わるはずと期待していた。そのあたりも、現代からすると意外な印象はある。日中践祚の開始は1937年(昭和12年)なので、すでに日本は戦争に突入していた時代なのだから、そのまま兵役が続くと中の人は思っていたのではないかと、つい思いがちだ。
 やなせは昭和16年12月8日の太平洋開戦でその期待が外れてしまった。その日のことを彼はどう見ていたか。

 太平洋戦争が始まってからも、ぼくらの日常生活はそれほど変化しませんでした。とくに軍紀が厳しくなるということもなく、それまで通りだったと思います。
 当時、学生時代からの友人に身体が弱くて徴兵検査で不合格となった男がいて、彼と手紙のやりとりをしていましたが、手紙を読むかぎりでは、世間一般の様子もそんなに大きく変化していないようでした。

 彼の兵役だが、班長付きという世話役になったことでそれほど暴力的なことには遭遇していないようだ。ちょっと面白いことも書かれている。

 軍隊にはちょっと女っぽいヤツもいて、世話を上手にできる人もいました。だけど、僕は全然ダメ。苦手なんです。

 このあたり、春風亭柳昇の戦記を読むと、ははあと思うことはある。
 年代が記されていないが、この兵役の間に、20人ほどで九州から南京まで160頭ほどの馬を運んだ話が書かれている。兵役の期間だとすると、昭和15年から16年にかけてのことだろう。彼はこの時期の南京に到着した。

 南京大虐殺があったとか、なかったとか言ってますが、ぼくが行ったときの南京はごく平和なものでした。町の入り口には日本の兵隊がいて、町に入る者を厳しく検査していましたが、中は平和そのものでした。
 南京では、少し時間があったので、映画も観ました。
 映画は中国製の作品で、何をしゃべっているのか、まるでちんぷんかんぷんでおもしろくなかったですね。中国は映画制作が盛んな国で、当時も自分たちの映画をたくさんつくっていたのです。
 町を歩いていても、中国の人たちはぼくらに友好的で、みんなニコニコと対応してくれました。
 (中略)
 ぼく自身は、南京事件なんてなかったんだと信じています。

 南京事件はなかったと、やなせが主張したいという意味合いでは全然ない。ただ、彼の現地体験からはそうした事件の痕跡は体験されなかったという証言にすぎない。
 南京事件については、秦郁彦「南京事件―「虐殺」の構造」(参照)など参考となる書籍が多数あるが、概略としては、1937年(昭和12年)のことだ。やなせの証言が昭和15年のことであれば、数年後には南京は平穏と言ってもよい状態だったことは伺われる。
 やなせが戦地に赴くことになったのは、昭和18年で、行き先は福州だった。野戦銃砲部隊である。台湾防衛だと彼は推測している。彼の任務は暗号班だった。
 現地で何をしたかというと、穴を掘っていた。

 毎日そんなことをしていましたが、実は日本の地下壕は戦地ではあまり役に立たなかったようです。アメリカ軍は、まず艦砲射撃を空爆で攻撃しておいて、最後に日本兵が穴蔵に逃げ込んだところに火炎放射器を浴びせかけるという作戦をとっていたのです。
 地下壕は空襲よけにはなりますが、逃げ込んだところを火炎放射器でやられるとひとたまりもありません。でもまあ、何も知らないぼくらは穴の中なら大丈夫だろうと信じて掘っていたわけです。

 言及はないが、沖縄戦がまさにそれだった。
 穴を掘る以外に何をしていたかというと、本来の任務の暗号解読はあまりなく、宣撫班の手伝いをしていたらしい。彼のおとくいの紙芝居であった。
 宣撫班と聞くと、嘘の現実を広めるようなものだが、そのあたりの現実体験談がまた興味深い。

 福州では、紙芝居が行くと、大人も子どもも老人も村中の人が集まってきました。
 そして、紙芝居が終わると御馳走してくれる。豚肉の料理やラーメンみたいなものもありましたが、味はなかなかよかったです。
 驚いたことに、紙芝居を見せて「中国と日本は戦争しているけど、仲良くしなければならない」と言ってもダメなんです。
 なにしろ、福州の人たちは「日本と中国が戦争している」ということを信じてくれないんです。「あれは他国の話だ」と言うのです。「上海での話でしょ」と。
 福州ではどこに行ってもそうなんです。
 広い国は違うなあ、と感心しました。

 福州からすると上海が自国という認識はなかったのだろう。
 その後、彼は、その上海に向かい、厳しい戦闘にもさらされるが、幸運にも生き延びる。そこで困ったのは、食料がないことだった。おやおやと思う挿話がある。

 おもしろかったのは長野県の舞台の人たちです。彼らは山国から来ているから、へびや虫を食べるんです。
 「どうです、おいしいですよ」と勧めてくれるのだけど、見たら怖くて食べられません。器用に皮をピーッとむいて焼いたヘビをおいしそうに食べているのだけど、ダメでした。虫はイナゴや蜂の子です。これもダメでしたね。

 かくしてこの体験がアンパンマンにも結びついていくらしい。
 1945年8月15日はどうだったか。これも同時代の春風亭柳昇の戦記に似ている。

 昭和20年8月15日、ぼくらは集合させられ、ラジオを聞かされました。
 天皇陛下の声が流れてきましたが、何を言っているのかはまったくわかりません。

 それでも翌日は武装解除となった。
 引き上げも難なく進んだ。

 それどころか、ぼくらが朱渓鎮を離れるときには、「あなたたちがいるおかげで治安も保たれている。できればずっといてもらえないだろうか」と言われたくらいです。
 町の人たちとっては、ぼくらが町にいることで盗賊から守られているという、気持ちが強かったのでしょう。

 書かれたものからは、のんきなやなせ先生らしいなという雰囲気があるが、仔細に読むと、彼は日本側や中国側のスパイの活動などもよく観察していた。そのあたりからは暗号班らしい有能な兵士であった印象がある。
 やなせ先生が最後にこの戦記を残してくれたおかげで、本当の戦争の多面的な様相を私たちはうかがい知ることができる。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.04.14

[書評]近代書き言葉はこうしてできた(田中牧郎)

 近代日本語がどのようにできたか。これがよくわからない。特に近代日本語の書き言葉がどのように成立したのか、少なくとも関心をもってきたはずの私にはよくわからない。研究はされているんだろうが、ざっと見たかぎりでは文人の文体論のようなものが多く、それだと言語現象の説明とは違う。
 特に気になっていたのは、「だ」がどこから生じたか、なのだ。これがよくわからないのだ。
 という、文末の「だ」である。
 常体というやつで、もうひとつ「である」がある。「吾輩は猫である」の「である」である。現代の常体だと「吾輩は猫だ」とも言える。では、「である」と「だ」はどこから生じたいのか。
 もちろん、まったくわからないわけではない。辞書を引くとそれなり説明はあるにはある。デジタル大辞泉(参照)は比較的詳しい。


[助動][だろ|だっ・で|だ|(な)|なら|○]《連語「である」の音変化形「であ」がさらに音変化したもの》名詞、準体助詞「の」などに付く。
1 断定する意を表す。「今日は子供の誕生日だ」「学生は怠けるべきではない」「熱が高いのなら会社を休みなさい」
「それも遅ければきかない物だぞ」〈雑兵物語・上〉
2 終止形「だ」を間投助詞的に用いて、語調を強める意を表す。「それはだ、お前が悪いんだよ」→だろう →のだ
[補説]現代語「だ」は室町時代以来の語で、関西の「じゃ(ぢゃ)」に対し、主として関東で使われた。「だ」が用いられる文体は「である」とともに常体とよばれ、敬体の「です」「であります」と対比される。「だ」の未然形・仮定形は、動詞・形容詞・助動詞「れる・られる・せる・させる・た・たい・ない・ぬ・らしい」などの終止形にも付く。連体形の「な」は、形式名詞「はず」「もの」などや、「の」「ので」「のに」に連なる場合に限って使われる。

 まちがってはいない。実際「だ」を活用させてみると、「なら」が出てくるので、文法的な範列から古語の「なり」が元になっていることはわかる。
 問題は、どうして「なり」から「だ」が出て来たか。いつ出て来た。「である」との関係はどうか? そういうことがさっぱりわからないことだ。
 同じ事は「です」「であります」についても言えるのだが、とりあえずそれはおく。
 デジタル大辞泉の説明からわかるのは、「だ」は、(1)室町時代以来の語であること、(2)関東の言葉であること、(3)「じゃ」に対応していること、である。
 「いつ」「どこでどのように」はわからないものの、「わしがそのジョジョじゃ」みたいな表現が「俺がジョジョだ」になったのだろうとは推測される。
cover
近代書き言葉はこうしてできた
 この問題、つまり、これは問題だったわけだが、本書『近代書き言葉はこうしてできた』(参照)はけっこう実証的に考察していて、読んでいて面白かった。
 いわゆるコーパス解析である。
 このコーパスは、西洋の雑誌のクオリティを志向した総合誌『太陽』の文章で、同誌は日本社会の近代化に大きな影響を与えたとされている。1895年(明治28年)に博文館で創刊された。このコーパスでは大正末期まで収録されたとある。30年くらいと見てよいかと思われる。コーパスは「太陽コーパス」と呼ばれている。
 常体・断定の「だ」は太陽コーパスでどうなっていたか、というと、1885年には皆無。1901年に11本。しかし、そのあたりからしだいに増えていった。「である」が先にあった。

標準的な書き言葉となった「である」体の周辺に、「だ」体を柱として豊かな口語体が花開いていったと見ることができるでしょう。

 興味深いのは、これが増加期には「じゃ」と併走していたように見えることだ。
 この過程では、文末の使い分けが書き手のモチーフでもあったらしい。
 かくして、文末に見られる口語体は大正末期にほぼ確立したようだ。「だ」ついてはその元になる「なり」が、当然ではあるが「だ」の増加に比して衰退していっている。
 また他の文法的な特性から見ても、この時期に現代の日本語の書き言葉が確立したと見て良さそうだ。
 関連していろいろ興味深い現象があるのだが、古語の「なり」は口語のほうでは、一部、生き残った。「ならざる」みたいな用例である。
 本書には触れていないが、総じて、昭和とともに現代日本語書き言葉が成立したと見てよいだろう。あるいは、関東大震災がエポックかもしれない。
 この時期の言語変化の社会的な契機としては、「演説」があるようだ。
 本書は言語考察にしぼっているが、おそらく、大正デモクラシーの言語的な活動が基本となっているのだろう。私の推察だがこの時期に擬似的に共通語が求められたからではないとも思う。
 関連して、このコーパス分析では別途「戦争の用語」についても触れられている。それはどうか。減少しているというのだ。
 ちょっと話が飛躍するが、先日cakesに「無想庵物語(山本夏彦)」(参照)について書き、関連して無想庵の文章などもいろいろ読んだのだが、彼のこの時期の文書などからは、あまり戦前というイメージが結びつかない。もともと無想庵がそういう感性の人だというのもある。
 このあたりの、いわば大正デモクラシー的な日本語の近代言語空間の感覚は、山本七平などにもよく残っていた。特に彼の実際のしゃべりかたなどにそれが感じられたものだった。
 本書は基本的に、大正末の近代書き言葉から、暗黙のうちに現代日本の書き言葉を直線的に結んでいるのだが、実際には、昭和10年代以降、日本の世相は代わり、戦争に突入していくにつれ、日本社会の言語空間も変容していく部分がある。これは、太陽コーパスが暗黙に仮定しているような社会均質的なものではない。
 それにしても、「太陽コーパス」の後に、日本の言語はある奇妙な時代に入る。特に、戦争や軍に関する言葉が変わってくる。山本七平が「軍隊語」と呼んだ奇妙な日本語も登場するようになる。彼のいう「軍隊語」は表面的には疑似文語だが、特徴はそれだけではない。が、基本、軍の指揮系として機能すべき言語が近代日本語にないとみてよく、軍隊語が疑似文語になるのはその代償的な機能だからだろう。
 こうした問題意識から、戦中の日本語というのを、独自のコーパスを使って近代日本語のなかでもういちどきちんと検証する必要もあるだろう。
 個人的な直観でいうなら、戦後の平和主義というのは、実際には「軍隊語」の延長であり、これに対抗した昭和デモクラシー語は、口語訳聖書に集結したのではないか。
 
 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014.04.13

中国語には「木」がないの?

 中国語を学んでいて、ほお、と思うことがある。いろいろある。というか、なんで今まで学ぼうとしてこなかったのか悔やまれるというか、いや、思い返すに、中国語学びたいなとは思って、二三参考書などを買っても、なんだか雲を掴むような感じだったのだ。その点は今でも変わりないけど、もうちょっと中国語の世界に感覚を突っ込んだ気がしている。
 その一つ。中国語には「木」がないの?
 な、わけねーっしょと思う。もちろん。
 そこで読みもしないで罵倒コメントをいっぱつ書いておく、と、おいそこのきみ。
 いや、それはさておき。
 もちろん、中国語に「木」という漢字はある。
 ただ、意味がなあ。
 まったく違う意味ではないのだけど、「ノルウェイの森」と「ノルウェイ材」くらい違う。
 別の言い方をすると、中国語では、「木」のことは「樹」(树)という。"shù"である。
 じゃあ、中国語で「木」(mù)の意味はなにかということなのだが、これは、日本語で「木材」になる。
 つまり、「木」という漢字は中国語にもある。日本語の「木」の意味とはちょっと違う。歴史によって意味がずれたと言ってもいいのかもしれない。
 で、「樹木」はどうかというと中国語でも「樹木」。材木という意味合いではなさそう。
 なにが起きているのかというと、どうも、基本、一文字の「木」(mù)というのが中国語にはなさそう。
 なぜ「木」(mù)がないのかは、おそらく中国語が一文字を嫌うからだろうが、それだと、树(shù)の一文字もなさそうだが、それはある。
 同音異義語の問題かもしれない。目(mù)、墓(mù)、牧(mù)とこんがらかるからも。よくわからない。
 ところで、次のような会話を考えてみる。
 A「是什么?」shì shénme
 B「是树」Shì shù
 A「是什么树?」Shì shénme shù
 B「是杉」Shì shā
 A「是什么意思?」Shì shénme yìsi?
 B「是杉树」Shì shāshù
 早口言葉みたいだし、そういう会話が成り立つのかわからないが、「是杉」は意味をなさず、この場合、「杉树」としないといけない。
 というあたりで、昨日の「中国語の助数詞(量詞)って英語の不定冠詞みたいなもんか」(参照)の助数詞のように、「树」がなんの木かの助数詞のような働きをしている。もちろん、これは助数詞ではないのだけど。
 どうも中国語は、文法のレベルではなく、かといって造語法とも言いがたいが、ある中心概念とその個別化で熟語を形成したいという戦略みたいのが働くのだろうと思う。
 だとすると、なんでそうなるかなのだが、やはり一文字だと同音異義語が多いからだろう。
 話がずっこけるが、中国語には「木曜日」もない。「星期四」になる。4日目ということで、月曜日から数える。
 中国語では、木曜という言い方を排したのかなと思ったのだが、どうもよくわからない。それどころか、日本でも江戸時代に「木曜日」とか言ってるわけないよな。
 これってきっと、これというのは、つまり「木曜」とかいうのは、西洋暦の訳語として明治時代に日本で作ったんじゃないのか?
 フランス語だと"Jeudi"、つまり、«jour de Jupiter»なわけで、ジュピターであれ、木星なわけですよ。英語だと、このジュピターをトールにあてて"Thursday"なわけだが。
 日本人としては、「星期四」は味気ないなと思うが、そうはいっても、月のほうは「四月」とか数字を使っているわけで、もう「卯月」は使わないわけですよ。
 使ったほうがいい気もするけど、しかし、新暦で「卯月」といってもなあというのはある。じゃあ、旧暦にするかというわけにもいかない。
 
 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014.04.12

中国語の助数詞(量詞)って英語の不定冠詞みたいなもんか

 ピンズラー方式の中国語の勉強はまだ続いる。フェーズ2の17。難しかったらくじけるつもりでいたので、フェーズ2に入ってからはいよいよここまでか、と思う日々があったが、なんとなく続いている。
 当初難しいと思えた中国語の発音も、有気音・無気音の聞き分けははっきりできないものの、他はそれほど違和感がなくなった。
 ピンインの仕組みも、その限界ともにわかったので、その悩みも消えた。なぜピンインがああなってしまったのか、ピンインと実際の音の関係はどうなっているかなど。でも、なんか整理してブログに書こうかと思ったけど、この話はもういいでしょ。
 で、中国語の学習、基本、とにかく聞くことを優先している。そのせいか、しだいに英語やフランス語のように聞こえるようにもなってきた。つまり、漢字のずらずらという並びではなく、音でできた言語だなあと。
 そうなってみて中国語についていろいろ思うことはある。
 この数日、あれれと思うのは、その助数詞である。
 当初、日本語のようにものによって助数詞が変わるというのが中国語にあるのは当然だろと思っていた。助数詞というのは、本なら一冊、パソコンなら一台、ウサギなら一羽、箪笥なら一竿、戦死者なら一柱というあれだ。もちろんと言っていいと思うがこうした日本語の助数詞が現代中国語と対応しているわけではない。
 私のような中国語の初心者レベルでいうなら、日本だと、人は「一人、二人」となる。が、中国語だと、「一个人、二个人」となる。
 「个」というのは、日本語の「ヶ」と同じで、「個」の略字である。というか、日本人が一個二個と数えるのは、近世中国語の影響なのではないか、辞書をざっと見たが書いてないが。
 で、「我是一个大学生」というのも、中国語なら人を数えるのに「個」かと思っていたのだが、ふと、あれれと思うようになった。
 ピンズラー方式では、「一个人」というのを先に教えている。だから、大学生も「一个」となるのは不思議ではないというか自然に了解できる。それはいい。
 今日のレッスンだと、「大学」が導入される。その前に「学生」は教わっている。これに「大」が付くというふうに導入される。まあ、それもいいし、そこから、「大学生」が導かれるのも指導法として自然だ。そこで、「我是一个大学生」も別に不自然ではないのだが、あれれと思ったのはそこだ。
 その前に「大学」と聞いて、現代の中国人は四書五経を想像する人はほとんどいないだろうから、「大学」を「中庸」などと並べて連想することもないだろう。が、もとは、「大学」というのは四書五経のあれである。
 それをUniversityの訳語にしちゃったのは、近代日本ではないかな。たぶん、「大学校」があって略して「大学」なのだろう。「希哲学」が「哲学」みたいなものか。とすると、四書五経とは関係ないのかもしれない。
 それでも、近代であれば教養ある中国人なら「大学」は四書五経だろうから、どうなんだろか、とふっと思ったのだが、そこで、「一个人」の語感が響いた。学校なら助数詞は「一所大学」のようになる。
 助数詞を使うことは日本人にしてみると違和感はないのだが、日本人は「一个大学生」「一所大学」とは言わない。「私は一人の大学生です」なーんて言わない。言うのは欧米人くらいなもんである。
 というあたりで、これって、私が使っているピンズラー方式は英語で中国語を教える教材だから、英語国民にわかりやすい中国語表現にしているんだろうなと、思った、当初はね。
 普通は「我是大学生」で十分だろと思った。
 どうもなんか違う。
 叙述的な表現として「他是」で考えてみる。で、ちなみにぐぐってみると"他是大学生"約7,190,000 件で、"他是一个大学生"は2,850,000件。どっちが多いかというと、"他是大学生"なのだが、"他是一个大学生"が変わった表現ということはない。また、日本人がぐぐっているせいもあるのだろうが、"他是大学生"は日本のサイトに多い。
 どうも"他是一个大学生"は中国語として自然な語感があるとしか思えない。なんだそれ?
 ということで、なんだろと調べてみると、この現象はすでに広く知られているものらしかった。
 例えば、『多元文化』「数詞「一」からなる数量詞表現について―日本語と中国語との比較を中心に―」(林佩芬、2010)(参照PDF)があった。


中国語の数量詞の機能として、「計数機能」以外に「個体化機能」があることはよく知られている。「個体化機能」とは、指示物の数量をカウントする「計数機能」とは異なり、大河内(1985)が指摘するように、「“一”+助数詞」を付け加えることによって、類名や総称という抽象的、非加算的な事物を、具体的、加算的な個別物に変える機能のことを意味する。そして、中国語の数量詞「“一”+助数詞」が実際に数字を表示する必要性から用いられる以上に使用されているという事実は、「“一”+助数詞」がヨーロッパ言語の不定冠詞にきわめて近いものであるということを裏付けるものである。

 ほほぉというわけで、これで正解というわけでもないだろうが、中国語の「一个大学生」的な表現には英語の不定詞的な意味合いはありそうだ。
 もちろん、同じではないだろうけど。ちなみに「一直在找一個人」とかだと、探し求める理想のその人っていう感じではないかな。

 ちなみにこれ元歌は「Never Had a Dream Come True」(参照)。
 「一個人不可能」だと「ぼっちにはムリぃ」という感じになる。

 助数詞の話に戻って、先の論文には言及がないが、先日の記事で書いた例を思い出すのだが。


A:他把自已的汽车卖掉了
B:那辆汽车是去年才卖的。

他把那辆汽车卖掉了,去年才卖的。


 類推すると、この助数詞の用例には関係詞的な機能もありそうに思える。
 日本語でも、「その書棚には一冊もなかった」「彼は二冊手渡してくれた」というふうに、助数詞の単独用法があるが、似ているようにも思う。
 日本語とか中国語には不定詞は存在しないが、言語システム的にはそこになんか不足感があって、いろいろな形態で不定詞的な機能を代替する構造が選択されるのだろうか? ちなみに日本語だと、不定冠詞と定冠詞の情報機能は、「は」と「が」の使い分けになっていたりもする。そういえば、フランス語には不定冠詞があるが、ラテン語には冠詞がない。古典ギリシア語やコイネなどにはある。
 表現変遷の歴史も気になる。"他是一个大学生"のような例は漢文で見たことがないように思う。
 中国語の場合でも、"他是一个大学生"のような表現は、白話運動から出て来たものなのだろうか?
 
 

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014.04.08

消費税が3%上がったその日からセブンイレブンでポイントアップキャンペーンやってた

 話は、消費税が3%上がったその日からセブンイレブンでポイントアップキャンペーンやってた、ということ。なーんだ、という話です。以下を読みたいかたは無料でどうぞ。

 以下のコンテンツは無料です。

 すまん、ギャグです。(なんのギャグかは説明しません。)

 消費税3%アップはどうってことないやという人と、けっこう来るなあという人がいると思う。どこに来るかというと、自分のお財布に来るし、安倍政権にも来るだろうと思う。というか、すでに来ているように思うのだけど、世間はそれほど暗い雰囲気ではない。こういうのは気分の問題もあるから、暗くないほうがよい。
 いきなり3%というと、小売りにはかなり来るなあと思っていた。
 理想的には消費税アップ分で売れなく分をどうするかだが、そのまま価格に転嫁できるのは親方日の丸的な業界だけで、実際のところデフレ傾向が十分に払拭されていないと、微妙な安値競争になるだろう。
 というと、さしあたり、各店舗がやっているポイントのアップになるだろうと予想していた。100円1ポイントだと、1ポイントキックバックくらいで、実際の消費税ショックを2%に下げるのではないかと思っていた。
 そりゃそうだろうと思っていたのに、現実、先日、セブンイレブンでポイントアップキャンペーンやってたのは、実際にレジの表示を見ているまで気がつかなかった。
 あれ、このキックバックはなんじゃ。
 と思って、そうだ、消費税上げただんだよなと思ったのだった。
 レシート貰って見ると、あれれ? 
 このとき自分が買ったのは、れいのドロップポットのポーションなわけです。あまとろ梅、キャラメルコーヒー、HOTオレンジ、太陽のアセロラとか、あれです。このときは、全部で7個買った。
 自分の頭のなかで概算だと1個100円だから、700円くらいかあと思っていた。実際には、以前は「希望小売価格(税込):90円」(参照)ではあるのだけど。
 レシート見ると「今回のポイント12P」とある。あれれ。100円で2Pだから、7個買って14Pじゃないの?と一瞬思ったのである。
 すぐに勘違いはわかった。1個100円ではないのな。税込みで90円だから700円には届かない。
 合計を見ると、651円。ポーション1個の単価で見ると93円。
 ああ、消費税で1個につき3円上がったのか、と思った。90円から3%と上がったとすると、92.7円だからな。
 え? ちょっと待て。元が90円で消費税8%とすると、97.2円。はて?
 レシートを見直すと、合計651円に、内消費税が48円とある。すると消費税抜きだと、603円。これでポーション1個の単価で見ると、86.143円。れれれ?
 どういう計算になっているのだろうか。
 というか、実は日本に消費税が初めて導入されたとき、ちょっとわけあって、そのシステム開発関連に携わったことがあるのだけど、ようするにこの場合、消費税というのは合計にかけているので、単価にかけているのではない。というか、単価にもかける方式の両方があったりして、システムがややこしかった。あのときは、そんなわけで、場合によっては、同じものを分けて買うと、1円お得みたいな奇妙なハックがあった。具体的には忘れた。
 ここで、また、れれれと思った。レシート上の単価93円というのは、これ消費税込みでしょ。すると、ポーション1個の税抜き価格はおいくら? 86.1円?
 あかん、小学生の算数が混乱してきた。
 ちなみに、以上の思考がレジに立つ1秒くらいの間に発生したので、東京大学物語とか黒子のバスケットのような状況を思い浮かべてほしい。
 まてよ、消費税5%のとき90円だから、そんときの税抜き価格は……、85.71円?
 まてよ、それに8%の消費税を乗せると……92.57円。
 ちょっと計算違いはありそうだが(いやとんでもない計算間違いしているかもしれないが)、セブンイレブンとしてはどうも謎の税抜き価格を内部で計算しているみたいだな。
 この計算が合っているとすると、1円以下端数分で、ちょっとした儲けがセブンイレブンに入っているんじゃないか?
 うーむ。
 そうだ、ドロップポットのポーションなんて3月でも買っているわけだから、そんときのレシート、どっかにあるんじゃね。あった。2月のが、あった。しっかし、よくドロップポットのポーション買ってんな、俺。で、おいくら?
 このときは、90円だ。
 このときの消費税分はどうなってたのかな?
 あれれ、この時代のレシートには書いてねーよ。
 5%の消費税の時代、最初から税込みで90円だったわけか。
 うーむ、詳しい計算が知りたくなった。
 調べればわかるのだろうけど、なんとなく思うのは、小売りはけっこうこれで、1円以下端数分でけっこうな利ざやを得ている感じがする。どうなんだろ。システム変更の事実上のキックバック的な性格なんだろうか。
 まあ、今回のお買い物について言えば、基本的にどうでもいいやではあるんだけど。
 4秒経過。
 これ、もし、1個ずつ買ったら、どうなるのだろうか?
 消費税は1個の93円に織り込まれているから、1個につき消費税分は7.3円くらい。これが7個だと、分けて買って合算すると、51円。あれ?
 まとめて買った合計のときだと48円だから、分けて買うと3円損することになるのか。計算間違っている?
 ふーむ。まあ、でもいいや。外、雨降りそうだなあ。
 5秒経過。
 ところでナナコポイントのほうだが、分けて買うとどうなるのかな。
 これは消費税の問題ではないから、店員に聞いてみる。こういうの、ふいに店員に聞くと驚くんだけど、まあ、なるべく悪意はねーよな雰囲気で聞いてみる。
 で、わかった。
 店員の話だと、ポイントは108円に付き1ポイントということ。
 消費税込みなわけか。
 ちなみに、ネットで確かめてみると、「nanacoは100円(税抜)につき1ポイントが通常ポイントとしてたまります。」(参照)とあるから、それでいいにはいいのだろう。というか、店員も教育受けているわけか。
 いずれにせよ、消費税が3%上がるから、そのショック分の1%を吸収するという図のままになっているわけでもないんだな。
 俺「ちなみに、これ、1個1個分けて7個買ったとしたら、ナナコポイントつくの?」
 店員「qうぇrちゅいおp……」
 普通話に翻訳して日本語に訳すと「付きません」。
 1回に108円超えないからね。
 そうでしょうね。答えづらいことを聞いてごめんね。
 さてと、こうしたナナコの今回のキャンペーンは今月いっぱいで終わり。
 ということは、消費税ショックがセブンイレブンでを使う層の世間に、この間に吸収されるなら、このキャンペーンで終わりだろうけど、たぶん、こうした露骨な形態ではなく、商品を選択して全体的に消費税を下げるようなキャンペーンは継続するんじゃないかな。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.04.07

なぜ関係詞が中国語にはないのだろうか?

 中国語の文法、特に統辞論が依然わからない。ただ、学習上は、文型を整理したものを暫定的に統辞論的に当てはめていけば、さしあたって問題はない。
 このことが基本的に奇妙なのは、文法がわからないというのはそれほど不思議なことではないことだ。私などは日本語のネイティブなのだが、日本語の文法が統辞論的にどうなっているのかよくわかっていない。おそらく日本語の場合、格指標が明示的なので、動詞による文への統辞的な支配が弱いのだろうとは思うので、あまり印欧語的な統辞論で考える必要はないのだろう。
 だが、中国語は日本語のような格指標はない。基本、動詞による文への統辞的な支配が強いように見える。動詞句(VP)の基本的な構造は、いわゆるSVOに(主語+動詞+目的語)なっている。日本のようにSOVではない。
 ところが学習していくと中国語は「動詞による文への統辞的な支配」というものではなく、動詞はどうも隣接する数語の支配程度であり、文への支配とは言いがたいようだ。
 具体例がないとわかりづらいと思うが、別の言い方をすると、動詞を中心した熟語が3文字か4文字が連鎖して句を形成し、これが句単位で意味論的な戦略で並んでいるような気がしてくる。印欧語的なS->NP+VP(文は名詞句と動詞句からなる)というより、VP+VP....->Sというように、熟語のボトムアップの言語なのではないだろうか? これに意味論的な機能語(時制や論理構造を示す)が加わって、文法のような構造を見せているだけなのではないか?
 まあ、このあたりは、まだよくわからないのだが、この考え方に惹かれるのは、どうも漢文というのはそのようにできていると言ってよさそうだからだ。漢文は書き言葉であって、自然言語のネイティブ直観が想定できないが、実際の普通話は、漢文のような公的な性質が普通話に出ているのではないか。
 とはいえ、中国語で副詞句(M, MP)の挙動を見ていると興味深い。SVO的な印欧語の場合、SVOMという構造になりやすい。特に場所や時間の副詞句の場合。少なくとも、印欧語だとSMVOやSVMOは、文法的なエラーとまではなくても違和感がある。中国語の場合は、「Basic Patterns of Chinese Grammar」(参照)に説明があるように、SVMO的に、Mが文末に来るのを逆に避けるようになっている。これはどうも意味論的な戦略からではなく、統辞論的な意味あいで文法臭い。MSVOはできる。
 これに関連して、関係詞節を考えた。SVO的な言語であれば、Vの支配が明確なので、後置的な関係詞・関係詞節が作りやすいのだが、ここも不思議なことに、中国語の場合、これがない。
 ちなみに現代日本語にもないのだが、これは、SOVの構造から、関係詞節があっても、Vに前置せざるを得ない、不利な基本構造だからではないだろうか。
 余談だが、この点、日本の古語だと似たような構造がある。


同じ帝、立田川の紅葉いとおもしろきをご覧じける日...

 この古文の関係詞的な「の」の用法を拡張すると、現代日本語に後置的な関係詞・関係詞節が追加できないでもない。そういえば、高校生のとき、冗談で関係節の英文を日本の古文に訳して遊んでいたことがあった。
 ところで、この「の」を前置すると次のような構造になる。古文の文法をも逸脱はする。

同じ帝、紅葉いとおもしろきの立田川をご覧じける日...

 これは古語でも非文だが、中国語の関係詞・関係詞節は「的」を用いてこうした前置の構造をしている。
 そこで一般的には中国語は「的」による関係詞節的な前置が長すぎると不自然になるとして、それ以上はあまり議論されない。文法の問題が意味論的な問題なのか語用なのか判然としない。
 だが、このあたり、どうもなにか文法が潜んでいるようで納得がいかないでいたのだが、先日、「中国語概論」(参照)を読んでいて、ちょっと気になる議論があった。
 次の二文を「汽车」でまとめるという場合である。実際上は、関係詞に似た構造になるはずである。

A:他把自已的汽车卖掉了
B:那辆汽车是去年才卖的。

 このようになるとされている。

他把那辆汽车卖掉了,去年才卖的。

 Bはいわゆる「是~的」文なので、最初から「的」でまとまっているのでわかりやすいといえばそうだが、すると、通常はこうなるはずである。

他把去年才卖的汽车卖掉了。

 ただ不自然な感じがしないでもない。
cover
中国語概論
 気になるのは、先の「他把那辆汽车卖掉了,去年才卖的。」は不自然ではないのか、というのがよくわからないことだ。同書には「追加式」とあるが倒置法的な表現なのだろうか。
 素直に見るかぎり、「那辆」が関係詞の機能をして、「,」後置の「的」文であたかも関係節が後置されているようだ。
 先の例文も「是~的」文の含みに、「去年才卖的汽车」があるはずだ。
 この構文の結合法を応用すると、中国語に印欧語的な関係詞節がかなり自由に導入できるはずなのだが、どうなのだろうか。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.04.06

台湾とピンイン

 現下の台湾での学生による立法院占拠についてはなかなかブログに書きづらい。ごく簡単に言えば、心情的には私は学生を支持したいが、国際政治・経済的な観点あるいは日本の国益との関連から見れば、この運動は、かつての韓国の米国牛肉輸入反対運動や日本の反TPP運動のように反動的なナショナリスティックな運動にも見え、支持しがたい面もあるからだ。
 ではどうなのか。近景としては学生に注意深く平和裏に運動を進めてほしいし、巨視的には台湾の難しい状況――中国に経済的に飲み込まれること――に同情するしかない。中国経済に飲み込まれず台湾が存立していけるかは、難題に思えるし、日本もまた同様の立場にある。
 さらに巨視的に見るなら、中国経済が開かれていくことは現在の近景とは逆に、中国の台湾化につながる。そしてそれは中国社会の不安定化と軍事強化の矛盾を強くするだろうし、その余波を日本が強く受けることになるだろう。日本は、静かに忍耐強く平和裏にこの巨大な全体主義国家の権力を民主主義的な体制へと解体できるよう支援していくしかないはずだが、そのことが国益に直結するわけでもない。まあ、これも難問である。
 一つの解法の方向性があるとすれば、国家間のパワーバランスにあって緩和なナショナリズムを志向することであり、それが現在の韓国の状況だろうし、矛盾も困難な形で浮かび上がっている。
 韓国は、これまで米国や日本に飲み込まれていた経済と政治をナショナリズムに転換するために中国とのバランスを取っているかのように見える。が、同時に韓国としても中国経済には巨視的には飲み込まれるしかない命運にあり、そのことが韓国のナショナリズムの苛立ちを喚起して反日的な対応を取らざるをえない状況にもなっている。
 台湾がそのような緩和なナショナリズムな立場を取りうるかというと、国家規模的に難しい。というあたりで、どうしてもナショナリズムのソフトパワー的な側面として言語政策みたいなものも関連して再考される。
 韓国の場合は、朝鮮語という言語とオンモン(ハングル)という正書法をもって、一見独立した自国言語文化を形成しているかのように見せているが、実態は漢字を排することで中国と日本から文化的に距離を置く点にある。朝鮮語については私には十分な知見がないのであまり言えないが、韓国の場合、漢字を復活させると文化的にはあっという間に以前のように中国と日本に呑み込まれてしまうのだろう。

cover
台湾ナショナリズム
東アジア近代のアポリア
 台湾は大陸からの国民党政府の独裁期間が長く、第二次世界大戦後は日本語に変わって北京官話を押しつけられてきた経緯がある。私の記憶では20年ぐらい前まではそれでも台湾語のネイティブ人口が半数を超えていたはずだ。国民党独裁体制が事実上終焉してからは、より自明なかつ緩和な台湾ナショナリズムが形成されれば、台湾語を中心した国家文化が生まれてくるのではないかというふうにも期待していた。
 そのあたりが、時が経ってみるとなんとも微妙である。
 今回の台湾の学生運動だが、私としてはひそかに学生たちの台湾語への回帰が見られるのではないかと注目していたが、私の知る限りではあまり見当たらない。すでに台湾人らしい国語としての事実上の普通話が定着し、学生もそれを駆使しているように見える。まあ、そこまで言えるかどうか、実はもっと知りたいところだが。
 話が緩慢になるが、というか、実は上記の話はブログに書く気はなくて、台湾のピンインについてちょっと書こうかと思っていたのだった。
 話がねじれてしまったのは、台湾が大陸風ピンインをもう事実上採用していることは、経済同様、言語文化的にも中国に飲み込まれていく過程に見えるからだ。そもそも大陸側の普通話も中国人にとっては特殊な共通言語に過ぎないとすれば、台湾の言語状況は、中華圏の必然的なグローバリズムの一環と言える現象だろう。このあたりはもっときちんと書かないと話が通じないかとは思うが。
 ピンインを今回私が学びながら、台湾のピンインの状況も気になった。すでにご指摘をいただいたが、台湾では大陸風のピンインは従来は公的には採用されていなかった。教育でも学ばれていなかった。現状は微妙である。このあたりはかなり複雑な状況にあり、混乱と言ってもよい。
 ごく簡単な例だが、台湾総統の名前「馬英九」だが、英語では「Ma Ying-jeou」と表記される。中国風のピンインなら「Mǎ yīngjiǔ」となるはずである。英語では声調は外されるので、「Ma Yingjiu」だろう。ちょっと気になってこのスペリングでニュースを検索してみると、検索ミスかもしれないが、ほぼ見つからなかった。
 ちなみに、「習近平(习近平)」はピンインでは「Xí jìnpíng」であり、英語では「Xi Jinping」になる。これを英米人がどう発音しているかだが、ニュースなので多く流していることもあって、「She jing ping」のように発音していることはわかる。
 「Xenakis」は英語だと「ジーナキス」なので、「Xi」は「ジー」になりそうだが、それでも「zee」ではなく「she」と読むのはそれほど難しくはないようだ。便法では「SHEE chin-PING」などがある。それでも「She」となるのは避けがたく、日本ではあまり伝えられていないが、その手の英米圏のギャグがけっこうある。「Xi loves me, Xi loves me not」の類である。
 話を戻して「Ma Ying-jeou」だが、ウェード式(Wade–Giles)である。では台湾はウェード式なのかというと、ローマ字化についてはいろいろもめて、1996年4月になって「注音符号第二式」というピンインが公式に採用されたことがある。が、これでももめて曲折して、1998年4月に台北市は中央研究院の余伯泉が考案した「通用拼音」を採択した。
 このもめる内容が何かなのだが、当然ながらピンインとしての便宜と、中国ピンインと差異化するかというナショナリスズムの二点がある。言語学者は当然前者に注力するのだが、紛糾はナショナリズムに関連することが多い。
 このナショナリズムと言語を巡る紛糾は、一見すると韓国がオンモンを使っているように隣国文化の隠蔽・差異化が焦点のようになる。そこで、当初は国民党が「注音符号第二式」や「通用拼音」に反対していた。だが、彼らはこの経緯で国際化に切り替えて一転して1999年に大陸風ピンイン「漢語拼音」を採用した。
 このプロセスが興味深いのは、国民党が中国の台頭に文化的にもすり寄るしかないことである。このエントリーの冒頭で現下の台湾状況に触れたが、似たような構図がここに現れていた。
 紛糾はさらに続き、基本的には民進党側が「通用拼音」を支持し、国民党が「漢語拼音」という構図で、2002年に通用拼音が全国の統一基準となり、これで落ち着いたかに見えたが、馬英九が出てくるれいの2008年の総統選挙で、漢語拼音派の曾志朗が行政院政務委員になり、行政院は漢語拼音になった。
 つまり、台湾のピンインは中国と「統一」されたわけである。
 これで問題は終わったかに見えるが、当の「Ma Ying-jeou」のように、慣例はそのまま生き残っている。台湾は民主主義国なので行政令に強制力はない。このため結局、混乱と同じような状態になっている。実質民間で「漢語拼音」とが普及しているわけでもない。ただ、巨視的に見ると、いずれは漢語拼音になるだろう。
 この過程で興味深いのは、台湾にはもうひとつピンインのような音写システムとして「注音符号」というがある。先頭四文字「ㄅㄆㄇㄈ」 (bpmf) から「ボポモフォ」とも呼ばれている。いわばカタカナであり、実際カタカナに影響されてできたようだ。成立年は1918年で主体は中華民国の教育部である。興味深いのはこれで北京官話以外も音写できるし、さらにその他の言語にも拡張できる点だ。中国共産党は1958年にこれを廃止しているが、台湾では教育補助として生き残った。というか台湾ではむしろこれが対照的に推進された。なお、先の「注音符号第二式」が「二式」なのは「ボポモフォ」があるからである。
 「ボポモフォ」はオンモンのように字母を組み合わせて疑似漢字を形成することないが、基本、オンモンと同じ方向性なので、台湾のナショナリズムの一つのありかたとしては、台湾語と「ボポモフォ」という組み合わせもありえたかもしれない。
 今回ピンインの内側に入って勉強してみると、上記のプロセスのなかで、中国の台頭とナショナリズムの問題という解りやすい構図より、そもそも漢語拼音の欠陥が気になってきた。
 元来台湾でのピンイン問題には、言語学的な洗練も含まれていたのだが、微妙にその洗練よりも、地名表記のような行政問題との折衷からナショナリズムの問題に引っ張られたように見える。
 この機に、「ボポモフォ」を見直すと、音写のシステムとしては、漢語拼音より優れている点があることも理解できた。ただ、当然、言語学的には整備されていない。
 中国語学習に限定して、ピンインは言語学的に改良されたほうがよいようには思うが、国民党の顛末ように、実際には漢語拼音を排除するわけにももういかないだろう。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.04.05

ピンイン(拼音)について

 中国語を学んでいて、発音についてかなり手こずった。理由はピンイン(拼音)の存在である。当初、ピンインを発音記法だと思い込んでいたからだった。もちろん、そう思い込んでいても間違いではないのだが、記法の記号を一対一に対応しても実際の発音は構成されない。つまり、仮に発音記法ではあっても発音記号ではない。
 手こずったのは、今学んでいるピンズラー方式では、実は発音訓練というのは存在しないこともある。これは創始者ピンズラーの直観が関係しているのだろう。結論からいうとそのあたりがなるほどと理解されつつもある。中国語に関して言うと、初学者がピンインから入ると発音がうまく習得できないという思いもあるのだろう。敷衍していうと、そもそも音記法は言語習得の邪魔になるとピンズラーは考えていたとしてよいだろう。
 そういうわけで、自分については、基本はまず耳に聞こえた音で学ぶ、それからピンインや漢字を見るというふうにして中国語を学んでいる。が、いずれにせよ、ピンインを避けるわけにもいかない。
 そしてピンインは一見するとやさしく見える。例外は例外として丸暗記すればなんとかなる。それはそれでいい。
 だが、どうにもこれは不合理な体系ではないかなあ、というあたりで、ああ、これは発音記法ではなく、正書法の一種なのだというふうに理解を変えた。それでも発音記法的な正書法なのだから、発音という点から見てどうなのか。
 先日のアーティクルにも書いたが、まずここに引っかかっていた(参照)。


 そういう点で普通話の音韻体系を眺めてみると、捲舌音あたりに奇妙なComplementary distribution(相補分布)みたいなものがあって気になった。これ、つまり、qとchiというのは、phoneme(音素)としては独立してないんじゃないかという疑問がちょっと浮かんだわけだ。もちろん、La linguistique synchronique(言語の共時制)として見ると、体系としては、phonemeとしてよいのだろうが、それにしても、これはなんだろと思った。

 そのおりはこれは学習上の便宜ではないかと思ったし、書かなかったが正書法として歴史を反映しているのではないかと思っていた。
cover
中国語概論
 が、それでも不合理なんで、気になっていたが、「中国語概論」(参照)にだいたいこうなんだろうなという答えがあった。
 ああ、またかあという感じである。自著に高校生時代、英文法が不合理で専門書を読んだらわかったという挿話を書いたが、ここにも似たようなことがあった。
 結論からいうと、音韻論的には「そり舌音」(zh ch sh r)と「舌面音」(j q x)を独自に書く必要はなさそうだ。「歯音」(z c s)をベースに、それぞれ、/zr/ /cr/ /sr/と/zy/ /cy/ /sy/ そして/y/を加えれば、それで簡単にComplementary distribution(相補分布)が整理できてしまう。なーんだという感じである。
 もちろん、ゆえに現状のピンインを改良せよとまではいわないし、無理だろうが、学習者には、ピンインに入るまえにこの構造を教えておいたほうがわかりやすだろうとは思った。というか、自分ではようやくこの部分はすっきりした。
 ただし、すっきりするためには、発音論と音韻論の差違が前提になる。一般的に書くためには、そこをきちんと説明しないといけないのだが、これはけっこうテクニカルなんで、英語に関して以前書いてもなかなか理解されなかったが、やはり一般的には理解されないだろうと思う。まずもって、発音記号と音素記号の差が理解できない人が多いし、そこはしかたがない。
 関連して、/zr/や/zy/の表記からわかるように、/i/の範列では、/si/ /sri/ /syi/となる。これだと日本人的には/si/が「し」のように思えるが、実際には、/si/は「すー」のように聞こえる。とはいえ、この問題は基本的に現在のピンインでも同じではある。
 有気音についてはそうした分布がないので、ピンインのpとbをウェード式のようにphと音韻表記はできないが、発音表記としてはウェード式のようでもいいようには思った。が、実際の音を聞くと、ピンインのdaは「だ」のように聞こえるので、どういじくっても日本人のような外国人には難しい。ついでに/h/だがこれは、牙音ではなく喉音。やっぱりね。
 先の音韻整理で、/sri/ /syi/が出て来たが、ここから想像がつくように、尾音も範列的に整理できる。/φ/(なし) /n/ /ng/ /y/ /w/である。
 これがどういう意味かというと、uとiが消える。理由は二面あって、まず韻母がより簡素に整理されるからだが、関連して、oの必要がなくなることだ。
 尾母は次のようになる。

/i/
/a/ /ә/
/ay/ /әy/
/aw/ /әw/
/an/ /ang/
/әn/ /әng/

 尾音のついでに子音として/w/が独立すると、/wi/ができるが、これがピンインのwuに相当する。同様に、/yw/ができる。
 というふうに音韻論的にまとめると中国語の音韻はかなり簡素になってしまう。
 とはいえ、「中国語概論」でもそのまま音韻論的に提示しても学習者は戸惑うだろうとして、/w/ /y/を/u/ /i/にした折衷案の韻母表を提案している。それでも私の印象ではかえって混乱を招くだろう。
 いずれにせよ、音韻論的に整理しても、/si/などは「し」ではないわけで、それなりの訓練は必要になるだろう。
 個人的には、音韻論的にはかなりクリアになった。ピンインはやっぱり正書法だな。学習上は、尾音の/u/ /i/は母音じゃないし、子音の扱いの場合にも要注意。/e/は英語のシュワのようなものなので、「え」にひっぱられないようにしよう、とも思った。
 できたら以上の話を体系的に学習者に提示できるようにまとめるといいだろうとは思うけど、僕なんかにできることではない。当面は、ピンズラー的にできるだけ、原音に注意して学習しようと思う。というか、耳を信じよう。
cover
ゼロから始める
「中国語の発音」徹底トレーニング
 あと、実際のところ、ピンインが正書法ならこれはこれできちんと習うべきで(パソコン入力にも必要だし)、その参考書として「ゼロから始める「中国語の発音」徹底トレーニン」(参照)も買った。
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014.04.04

[書評]一度、死んでみましたが(神足裕司)

 コラムニストの神足裕司さんが倒れたのは2011年9月3日。東北大震災があった年のこと。その日からは半年くらい。54歳になってから1か月くらいのこと。そうわかるのは、彼と私と誕生日が近いからだ。当然同い年である。

cover
一度、死んでみましたが
神足裕司
 彼の、その時代時代の活躍は私の人生の指標にもなっている。1984年の出世作「金魂巻」も初版で読んだ。もちろん、このときには「渡辺和博とタラコプロダクション」となって彼の名前はなかった。名前に出ていた渡辺和博は当時の「へたうま」的な人気を博していたイラストレーターで1950年生まれ。2007年に肝癌で亡くなった。57歳になる手前。つまり、神足さんや私の今の年齢である。人は少しずつこの世を去ることになる。
 神足さんが倒れたのは、故郷・広島から東京に戻る航空機内。意識不明となる。「くも膜下出血」である。生死をさまよった。一か月近く意識は戻らなかったらしい。一年後、要介護5で自宅に戻る。書くことができるようになったのは、半年後くらいからのようだ。日付のわかるもので、本書に収録されているは、2012年9月25日の手紙からだろうか。

 手紙を書くことになった。
 いまの状況を少し話すと、たぶんボクは1年くらい前、病に倒れた。
 ICUに2か月近くいて、もう助からないと言われたらしい。
 そのことも最近、何だかわかってきた感じだ。
 命が助かっても、記憶は戻らないと言われたらしい。

 記憶がそれでまったくなくなったわけでもないが、本書を読むと記憶機能などに障害は残っているようだ。以前のようにものを書くことは難しい状況にも見える。
 こう言うといけないのかもしれないが、我が身につまされたからだろうが、彼をうらやましくも思った。命を救うことになった医師も知人であったようだし、奥さんや家族、そして多数の友人に励まされている姿を見てそう思った。俺はそうはいかないなあと卑屈に思ったのである。人徳の差というか、業というものか。それなら自分は自分相当ではあるなと。
 本書は一度さっと読んで、彼の現状に近い姿を知り、それなりに回復している様子を、よかったなあと確認してしばらく、ほっておいた。率直にいうと、病気でしかたがないだろうけど、かつての神足さんの切れる文章に比べれば、それほど読み応えのある本ではない。
 ところが不思議なことに、この本の、詩のような文章は、ふっと自分の薄っぺらな心のそこから沸き起こる。じんわりと、潮が満ちるように思い出して感激して、読み返して涙してしまう。

 ボクには娘がいる。文子という。高校生かと思っていたら大学生だという。
 ボクが寝ている間に大学生になっていたのだ。
 まだ学生の子どもがいるのだから、のんびりと寝ているわけにも行かない。
 顔を見ていると犬のようにかわいい。いや犬が文子のようにかわいいのだ。
 無条件にかわいいのだ。

 言葉に詰まる。
 そうなんだろうなと思う。神足さんには「パパになった男 娘の誕生がぼくを変えた!」(参照)という名著もある。その心情はよくわかる。この本が出て数年後に、私もさらによくわかることにもなったがその話は自著のほうに書いた。
 どうも言葉に詰まっていけない。

 ボクの先はない。
 先には、何も見えない。
 暗闇だけだ。
 小さな明かりが見えるとしたら、子どもの成長と妻の笑顔と友だちの顔。

 それにあと、生活するだけのお金と住処があればもう十分だと続く。人生からいろんなものを削ぎ落としたらそうなったのだという。
 本当にそうだと思う。泣ける。かくしてまた言葉に詰まる。
cover
パパになった男
娘の誕生がぼくを変えた!
神足裕司
 詩集だなと思う。
 死の淵をさまよった話や子ども時代、青年時代の話もある。たぶん、この境涯にならなければ書けなかった貴重な独白なのかもしれない。
 うまく言えないがぞっとする思いがした文章もある。まだリハビリの途中のことだろう。

 大きな声では言えないが、ときどき頭がものすごくしゃんとすることがある。
 いまも、そういうときかもしれない。
 いままで何もなかったかのように、昔もいまも、そして次の瞬間もクリアだ。

 最初読んだときは、意識に障害が残るなかで、たまに正常機能に復帰したように思っていた。が、あれはそうじゃないんじゃないかと思い返した。
 うまく言えないのだが、自分も、おそろしく頭がクリアになる瞬間がある。あれはなんなのだろう。しかしその意識を何かに利用できるわけでもない。ただ、人間にはなにか普通には使われていない高次な意識状態がありそうな気はする。あるいは人生を俯瞰する特殊な意識のようなものが開かれるのだろうか。
 この本では、神足さんはまだ書き続けるとあった。そうだろうと思う。そのクリアな意識がなにかとてつもないことを露わにしてくれるように期待している。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014.04.03

[書評]遺言 最後の食卓(林葉直子)

 なんとなく怖くて読めなかったのだが、今の時期を逸したら読めないのではないかという思いもして、自分なりの勇気を奮って、棋士・林葉直子の「遺言 最後の食卓」(参照)を読んだ。

cover
遺言 最後の食卓
林葉直子
 意図的に軽く書かれているせいもあって、怖いということはなかった。うっすら期待していたスキャンダルについてもそれほど書かれているという印象は受けなかった。でも、相応の衝撃は受けた。まるで自分がかつて愛していた女から末期の手紙を貰ったような妄想もわいた。
 妄想。そのとおり。私は、林葉直子の年齢をいつからか勘違いしていことに気がついた。私と同年代だと思い込んでいたことに気がついた。知らなかったわけではない。でも、無意識にすり替えていた。
 無意識の理由はなんとなくわかる。衝撃の余波だ。一つは彼女のヌード写真集が出たときの奇妙な衝撃があった。メディア攻勢があったからいくつか目にしたがなぜかそれ以上見たくはかった。「謎の美女」シリーズとはわけが違う。彼女は謎の人ではない。もう一つは棋士・中原誠との不倫も、それなりに衝撃だった。彼女が不倫か、というのと、あの中原がか、という思いだった。中年の男の真実とはああいうものだろうとも思った。自分が凡庸な人生を歩んでいるのはなんかの恵みでもあるだろう。
 そうした衝撃から私は、できるだけ彼女に関心をもたなようにしているうちに、彼女の年齢を無意識に勘違いして同年代と思ってしまっていた。近年のやつれた相貌もそれを無意識に支持した。
 しかし、彼女は私より10歳近く若い。そりゃそうだと、20年くらい前の記憶を思い出す。そして、少し泣きたい気分になる。
 「遺言 最後の食卓」は私には痛ましかった。痛みはうまく表現されていないようにも思えた。そのあたりの自分の受容のなかで、がんがんと存在の根底に響くものがある。ああ、あれだと思う。私も些細ながら遺書代わりの自著を書いたとき、痛みはうまく描けず悪戦苦闘したなあと思い返す。でも、それを描きたいのは、ある種、なんとか愛情のようなものを伝えたい焦りのようなものがあるからだ。ああ、あれだと思う。
 まえがきがこう始まるのもわかる。

人は事故で突然死んだり、ガンになったり、白血病になったりと
いろんな試練が突然やってきます。

自分だけは大丈夫なんてことは、思い込み。


 そのとおり。そのとおりなんだけど、それが本当に伝えにくい。いや、どうしてそれを伝えようとするのかも、その渦中にいると困惑する。
 読んでいて意外に思えたことがいつかあるが、そのひとつは、「私は、なんで将棋が強くなったのかも不思議」と素直に書かれていることだった。たぶん、そうなんだろうと思う。そのことをあまり考えたことがなかった。
 たぶん、人はなにか、そんなふうになにか才能のようなものを背負ってままやっかいな人生の渦中に投げ出されるのだろう、といえばそうだが。
 彼女の声を聞くように読みながら、意外というか、彼女は女流棋士というのは違うものだなとも思った。将棋はある意味、彼女に偶然の産物だったのだろう。むしろ、料理や占いに関心を持つ彼女のほうがいっそう彼女らしい。
 重度の肝硬変という病状についても書かれている。改善もうかがえるが、かなり深刻だとも思う。率直なところはよくわからない。つい、そう思ってしまうのは、小康を続けて長生きしてほしいという願いが混じるからだ。
 なぜ病気に。それはこの本からよくわかる数少ないことのように思う。ウィルス性も疑えないではないが、飲酒と暴食の不摂生がたたったということでほぼ正解ではないか。2003年からγGDPが高かったらしい。肝臓を病んでいたのも2007年くらいからなので、もうけっこう以前からと言ってよさそう。そのなかで飲食と暴食は続いていたようだ。
 あまり書かれていないが、「日本の人じゃないんだけど」以外にも支えてくれた男性もいたように思えるが、その関係が今も支えているふうには見えない。そういう人がいたらよかったかというと、そこは誰もそうだが、人生というものの大きな謎に関わっていたなんとも言えない。
 あまり整理して書かれた本でないようだが、それゆえに、不思議に思えることもある。「◎聖書」という断章がある。

 なぜ私が辛子好きになったかというと、新約聖書に”からし種のようになりなさい”とかなんとか書いてあったから。
 作家の先生から聖書を読んでおくとタメになるよ、と言われて読んだからなんだけど、聖書にイチゴを食べなさいって書いてあったら、イチゴを好きになっていただろう。
 判断するのは自分なのにアホッな私。

 私はこういう呟きに深く感動する。林葉直子という人は「アホッな私」という以外にないんだろうと思うし、そこが愛おしく思えてならない。
 彼女は、たぶん、新約聖書を読み込んではいないだろうけど、その本には、そういう「アホッな私」のような人を愛おしく思って、その家をわざわざ訪問したり、また一途な「アホッな私」は小賢しい世事をこなす人より大切なのだと諭す人のことが書かれている。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014.04.02

「我愿意(我願意)」という歌

 ときおりふっと見知らぬ歌が心に寄って大きな衝撃というか感動というか何かを残していくことがある。歌というのはそういうもので、誰にでもよくあること、かもしれない。ただ、その歌にいつ最初に出会ったのかは覚えていない。「我愿意」である。
 「我願意」とも書く。音から「ウォーヤニー」と読むべきかは知らない。
 あるいは別の経緯で買った許景淳のCDにこの歌が入っていたのを聞いて、いつか心を離れなくなったのかもしれない。ただ、なぜこのCDが私の手元にあるのかはよく覚えていない。台湾の旅行で買ったものだろうか。CDの制作年は1997年とあるが、翌年私は台南を旅行していた。恋人に貰ったものではないというのは断じて言える今日この頃である。

cover
純・景淳 (台湾盤)
 そのCDは「純.景淳 Pure Cristine」とある。
 これ日本で売っているのかなと思ってAmazonを覗いて見たらあるにはあった(参照)。中古でとんでもない値段が付いている。他をさがすと、ITMSで1500円で売っていた。一曲のばら売りもしている。こちらはCDのカバーもAmazonのそれとは違うが、私がもっているのはこっちのほうで、このキリンの遊具の見える風景である。これ、どうも日本の風景らしい。どこなんだろうか。
 許景淳の「我愿意」だが、美しい。

 歌詞も見るとなんとなく意味がわかるようなわからないような気がしていた。
 先日、ふと、あれ今の自分だともっとわかるんじゃないかと思ったら、自分ではびっくりするくらいわかって、びっくりした。出だしの「思念是一种很玄的东西」。「东西」って先日ちょっと書いた「東西」ですよ。
 なんとか訳せるんじゃないのかと思って、中国語の勉強をかねてちょっと挑戦してみた。間違っているかもしれない。というのは、ネットに訳と称するものを見かけたのだけどピンとこなかったので。

我愿意
Wǒ yuànyì

思念是一种很玄的东西
Sīniàn shì yī zhǒng hěn xuán de dōngxi
思いはある種神秘的なもの

如影随形
Rúyǐng suíxíng
影が形に寄り添うようなもの

无声又无息出没在心底
Wúshēng yòu wú xi chūmò zài xīndǐ
声もなく息も立てず心に現れる

转眼 吞没我在寂寞里
Zhuǎnyǎn tūnmò wǒ zài jìmò lǐ
瞬く間に私を孤独に飲み込む

我无力抗拒 特别是夜里 喔
Wǒ wúlì kàngjù tèbié shì yèlǐ ō
私には拒む力も無い 特に夜は ああ

想你到无法呼吸
Xiǎng nǐ dào wúfǎ hūxī
あなたを思って息もできない

恨不能立即 朝你狂奔去
Hèn bu néng lìjí cháo nǐ kuángbēn qù
すぐにあなたのもとに向かっていきたい

大声的告诉你
Dàshēng de gàosu nǐ
声を上げてあなたに言いたい

我愿意为你 我愿意为你
Wǒ yuànyì wèi nǐ wǒ yuànyì wèi nǐ
あなたのためなら あなたのためなら

我愿意为你 忘记我姓名
Wǒ yuànyì wèi nǐ wàngjì wǒ xìngmíng
あなたのためなら自分の名前も忘れてしまおう

就算多一秒 停留在你怀里
Jiùsuàn duō yī miǎo tíngliú zài nǐ huái lǐ
一秒でも長くあなたの胸にいられるなら

失去世界也不可惜
Shīqù shìjiè yě bù kěxí
この世界を失っても惜しくない

我愿意为你 我愿意为你
Wǒ yuànyì wèi nǐ wǒ yuànyì wèi nǐ
あなたのためなら あなたのためなら

我愿意为你 被放逐天际
Wǒ yuànyì wèi nǐ bèi fàngzhú tiānjì
あなたのためならこの世の果てに追われてもいい

只要你真心 拿爱与我回应
Zhǐyào nǐ zhēnxīn ná ài yǔ wǒ huíyīng
あなたが真心から愛で私に応えてくれるなら

什么都愿意 什么都愿意 为你
Shénme dōu yuànyì shénme dōu yuànyì wèi nǐ
どうなってもいい どうなってもいい あなたのためなら

 訳してよくわからないところがあるだけど、それよりまずシチュエーションと背後の世界観がよくわからない。なさけない。というか、これ道教じゃんと思った。
 出だしのちょっと先に「如影随形」とあるのだけど、この部分、後で触れるけど他の人の歌だと、「如影随行」となっていることが多い。結論からいうと、オリジナルは「如影随行」でよいようだ。「形」と「行」は「Xíng」で声調上の違いもない。
 「如影随形」とあえて書いたのは、「純.景淳 Pure Cristine」の歌詞カードにそう書いてあったからだが、もうひとつ。「如影随形」は「にょえいずいけい」、親鸞や日蓮の文書なんかにも見かける熟語で、親鸞だと教行信証で「涅槃経言、善男子、大慈大悲名為仏性。何以故、大慈大悲、常随菩薩、如影随形」とある。仏教用語と言っていいかもしれない。結論からいうと、たぶん「如影随形」のまま、台湾仏教の偈で知られているんじゃないだろうか。
 そのあたりから、歌詞を考えると、いろいろ奇妙印象もある。というか先にも触れたけど、背景がよくわからない。
 個別には「我愿意为你 忘记我姓名」の感覚がわからない。「忘记我姓」だったら、中国システムへの反抗かなとか思うけど、「姓名」だからふつうに名前を捨てたいということになる。歌の主人公は有名人かなにかで名前に縛られているのだろうか。
 「失去世界也不可惜」や「被放逐天际」とか、孫悟空かよとも思うが、背景には七夕のような神話世界がありそうにも思う。乞巧節を背景にしているのだろうか。余談だがこの近年の中国の風習は戦後日本の影響ではないかと思う。
 許景淳の歌に戻る。歌詞と許景淳が実際に歌っている歌とでちょっと違いがある。「吞没我在寂寞里」の「里」は聞こえない。中国語の「里」とか「儿」の含みがよくわからない。
 「我愿意」の歌は、当然私は、台湾でできた歌で台湾人の許景淳の持ち歌かと思っていた。大ぼけでしたね。持ち歌というなら、王菲でした。王菲については知っていたつもりだったので、まいった。

 ユーチューブ映像の王菲の年齢はわからないが、冒頭に「王靖雯」とあるから1994年以前だろう。もっと前か。王菲というと広東語の歌手と思っていたので(中国語わかんないから、俺)、改めて普通話だとわかって聞くと、けっこうよい。
 というか、王菲、すげーよい。
 声質としては許景淳のほうがよいと思うが、映像のせいもあるんだろうが、日本や台湾のようなド演歌的な情感がない分、ぐっとくるというか、いや王菲すげーわ。
 王菲が歌うと、すげーフェミニンな歌のようにも思って、ふと思い返したのだが、これ、作詞作曲は男だよな、というあたりで、またぽか。作曲者の黃國倫自身が歌ってました。

 まあ、悪くないです。
 って、なんだよその上から目線はという気もするが、なんとなく黃だと日本の歌手のような感じがしてしまうというか、日本だったら誰? Shuí? 顔的には麻原さん?
 黃には最近の他のバージョンもあり(参照)。
 冗談はさておき、これ、元は男の歌だったのか?
 というあたりで、中国語の歌って、日本語みたいに言語上で男と女の刻印はない。もちろん、女の歌を男が歌うといううのは、美川憲一のようにあるんだが、って例がちょっと違うが。
 男で、もっとセクシーな歌手が歌うとどうなんだろうかとサーチしていたら、いや、またぽかぽかですな。知らなかったですよ。EXILEのATSUHIカバーがあるのを。聞いてみると、まあ、悪くないです。


EXILE ATSUSHI 我願意MV 投稿者 chunghsi

 あと、「いかないで」という日本語訳でJaywalkというグループが歌っているのがあったのだけど。





いかないでここにいて
それだけしか今はただ
言えないの
しらなかった気持に包まれて
いかないでそばにいて
それだけしか望まない
二人だけのこの世界に
一秒でも長くいたいから

 こういう歌唱があってもいいと思うけど、っていうか、俺のカラオケ、けっこうこれにちけーわとも思うけど、すまん、歌詞的に「これじゃなーい」感がぱねえっす。日本語が乱れてまいりました。
 「我愿意」は男、あり、だよなっと見ていくと、妙なものをめっけた。

 すげえ。
 イケダハヤト師、スキンヘッドにして歌を歌ってもPV500000は固いんじゃないだろうか。
 っていう冗談はさておき、この平安さん、すげーうまいと思いますよ。っていう時点で、この人知らなかったのだけど。日本だったら福山雅治とかに似ているような感じだけど、ヘアスタイルにはぐっと好感がもてます。
 誰? Shuí? ぐぐると、「歌手の平安氏、街角でキス」(参照)の記事がめっかる。

 中国のオーデション番組「中国好声音(The Voice of China)」に出場し有名になった歌手の平安氏。中国中央電視台の春節聯歓晩会にも出演し、人気が急上昇しています。その平安氏がこのほど彼女と見られるダンサーの朱潔静さんと街角でキスしていたところを写真に撮られました。しかし、本人は恋人同士であることを否定しています。  朱潔静さんは上海歌舞団有限公司に所属する中国国家一級俳優で、ダンサーです。(牟、高橋

 ウィキペディアにもある(参照)。
 平安さん、歌の素養もあってのことだけど、オーディション出かあ。
 さてさて。
 そもそも「我愿意」っていう歌はなんなんだろと思って、作詞者とこととかもちょっと調べたのだけど、長くなったので、この話はもういいでしょ。

追記(2014.4.3)
訳詞について詳しいご指摘をいただき、訳を検討しなおしました。ご指摘、ありがとうございました。

追記(2014.5.1)
 「我愿意为你 忘记我姓名」の部分だが、シェークスピアのロミオとジュリエットにある「Deny thy father and refuse thy name」からかなとふと思った。
 
 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2014.04.01

ロシア政府はオバマ大統領個人を狙った特殊な制裁を発動した

 ウクライナ南部クリミアのロシア編入は国際法に違反しているとして、ブリュッセルで26日、米国と欧州連合(EU)は首脳会議を開催し、ロシアへのさらなる制裁を検討した。会議は共同声明として「エネルギー調達先の多用化を図り、ウクライナに隣接するEU加盟国による同国へのガス輸出を可能にするため、欧州のエネルギー安全保障の支援に向けた欧州と米国の協力を一段と進めることの重要性について意見が一致した」と発表した(参照)。
 共同声明からは具体的な制裁内容が読み取れない。これまでもプーチン大統領側近やロシア政府高官に対する資産凍結や渡航禁止などの制裁措置は取られていたので、これがさらに拡大されることは確実であるが、現実的な追加制裁は曖昧のままに留まった。
 弱いメッセージとなることを懸念してか、会議後オバマ米大統領は記者会見で、プーチン大統領が西側諸国を分断できると考えているなら大きな誤算であるとし、「ロシアが態度を改めなければ、同国の孤立は一層深まり、より厳しい制裁措置が発動される。これによりロシア経済にも影響がおよぶ」と述べた。だが、ここでも具体的な追加制裁への言及はなかった。
 今日のグローバル化した世界では、冷戦時代のような対立的な制裁は世界全体の経済停滞を招きかねない。制裁を科す側でも抑制が働く。翌27日には国連総会でクリミアの住民投票を無効とする決議が採決され可決されたが、中国やブラジル、インドなど有力な新興国を含む58か国が棄権に回った。そもそも決議自体が弱いものである。ロシアは名指しされてはいないし、法的拘束力もない。具体的な行動は伴わない。米国と軍事同盟を結んでいる日本ですら、もっとも弱い制裁しかロシアに科していない。
 ロシアもこうした西側諸国と国際世界の動向を見極めて対応している。国営ロシア通信(RIA)によると、ロシア外務省のアレクサンドル・ルカシェビッチ報道官は「当然、このような措置に対し対抗手段を講じないわけにはいかない。ロシア側も対抗措置を取った」と述べた(参照)。だがここでも実施した具体的な制裁については触れなかった。
 しかし西側世界では報道されていないものの、ロシア政府が実施した特異な制裁はすでにロシア社会では衆知となっている。この制裁にはロシアの民間の力も借りているからだ。どのようなものか。
 米国、特にオバマ大統領個人を標的とした、非常に強力な制裁である。ピンポイント攻撃と言ってもよい。オバマ大統領にウォッカを禁じるという制裁である(参照)。
 なぜこのような特異な制裁をロシア政府が実施できたのか。裏には、ロシアに事実上亡命した米中央情報局(CIA)元職員のスノーデン容疑者が所持していた機密資料の存在がある。この資料からロシアの情報機関は、オバマ大統領の個人的な弱点として、彼がロシア人に匹敵するウォッカ愛好家であり、毎晩ウォッカを煽っていることを割り出していた。そこから、ウォッカを失ったオバマ大統領が早晩、禁断症状に陥り、ロシアに屈すると見られた。

 なぜウオッカ禁止といった制裁が可能なのか、疑問を持つ人もいるかもしれない。これにはあまり知られていない背景がある。純正ウォッカはその化学的な特性にロシアの国家機密が関連しているが、通常、西側諸国で販売されているウォッカとして称している蒸留酒は単に純度の高いアルコールに過ぎない。
 オバマ大統領がそれなくしては激務に耐えられないウォッカは、ロシア国家が厳密に管理している純正品である。このウオッカにはソ連時代の化学技術によって特定のアルコール分子にロシア精神(スピリッツ)を刻印する独自の製法を経て作成され、独自のロシア人ルートでのみ販売されている。
 今回、この販売関与する民間シンジケートがロシア政府支持に回ったため、オバマ大領へのウォッカ禁止が可能になった。ただし、ホワイトハウスにはかつて、エリツィン大統領が寄贈した純正ウォッカが2本ほど残っていると見られ、現実的にオバマ大統領のウォッカ禁断症状が表面化するのは二週間後と推測されている。
 当初この制裁の公開を望まなかったロシア政府だが、ホワイトハウスが非正規ルートからの純正ウォッカを入手することを阻むために民間有志の支援を得たことの余波として、反オバマ大統領のアピールがロシア社会に自然な形で浸透してきている。

 いかにもロシアらしい巧妙な反撃制裁だが、このオバマ大統領個人を狙ったウォッカ禁止措置が裏目に出る可能性もあると国際政治学者イヤン・ブルマー氏は指摘する。「このロシア制裁が発揮するのは、純正ウォッカによるロシア人のジョークが通じている場合に限るのであって、オバマ米国大統領からジョークのスピリッツを奪ったら、禁酒のブッシュ前米国大統領のように洒落の通じない軍事行動に踏み出すかもしれない」と彼は懸念している。

関連記事
【2013年】北朝鮮が最大級の軍事機密を公開した(参照
【2012年】最近の猫の跳躍傾向について(参照
【2011年】安価な男性用ピルの登場で世界が大きく変わる(参照
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »