« 「セウォル号」沈没報道の関連で思ったこと | トップページ | 李白「静夜思」を巡って »

2014.04.30

ピンズラー方式の中国語学習の60日間を終えた

 当初一か月でやめようとか思っていた中国語の学習だが、二か月が終わった。60日間。感慨がないわけではないけど、物足りなさのほうが先になって、実はもう三か月目のフェーズの四日目にある。いちおう、三か月間、九十日はやるつもりでいる。

cover
Chinese (Mandarin) II,
Comprehensive
 というか、中国語がけっこう面白くなってきた。
 国際ニュースで中国語を耳にすることも以前から多かったが、タモリの四か国語麻雀を聞いているような感じでいた。現在では、まだまだ意味までは聞き取れないが、ああ、普通話だというくらには聞ける。部分的に聞けるところもある。
 これがどういうことかというと、上海や香港の人のインタビューで、「おおっ、これは普通話じゃないぞ」、「おお、かなりなまっているぞ」というのがわかるようになった。
 上海人の普通話の響きは随分北京と違うなあというのと、香港の人の普通話はかなり苦労している人もいるんだなと。台湾の普通話は、これがまだうまく感覚的にはわからないのだが、はやり北京と響きが違うと感じる。
 残念ながら、それらの語彙や言い回しの差まで聞き取れはしない。
 それでも、普通話というのが、実に中国という特殊な合衆国の事実上人工的な共通語なんだなという感じは、くっきりとしてきた。なんというのか、中国の大半の人にとっては、日本人がなんとか英語を身につけようとしているのと、普通話を学習するのと、そう変わりないというか。
 そう考えると、別段、国際語って英語とかではなくて中国語・普通話でもいいんじゃないかとも思えてきた。日本の公用語に英語と中国語・普通話を加えてもいいんじゃないか。
 まだまだ中国語が身についたというレベルではないが、他にもいろいろ感覚が変わった。
 ぼーっと日本の町の看板とか見ていると、なんといったらいいのだろう、なんか不思議な国いるような感じがすることがある。「東京都」"Dōngjīng dū"?
 「東京」が「北京」「南京」「西京」と並んでいるのもだけど、「都」とかで、「他们都来了」みたいな連想が働く。「東京海上火災」だと……。
 「駅」って「站」だよな。なんで「駅」なんだ、大宝律令? 日本って見かけない漢字が変な漢字が多いなあ、唐の時代にタイムスリップしたみたいだ。あるはもう一つの中国というパラレルワールドのような。
 ぼんやりと、脳がべたに日本人に戻る微妙な合間で、とっても不思議ワールドに感じられる。
 逆もある。中国語を聞いていて、"Míngnián tā dǎsuàn shàng yīsuǒ pǔtōnghuà xuéxiào"の「dǎsuàn」って「打算」じゃないの? 調べてみると、そうだ。ええ?! というわけで日本の字引を引くと大辞泉だと。

だ‐さん 【打算】
[名](スル)勘定すること。利害や損得を見積もること。「―が働く」「人間の年月と猫の星霜を同じ割合に―するのは」〈漱石・吾輩は猫である〉

 とある。漱石の時代に使われている。その時代からあることがわかるのだが、これって、日本語から中国語に入ったのか、江戸時代ころに中国語から入ったのか? 「打」の語感、「打的去」とかから類推すると、中国語から入ったのだろうなと思うが、だとすると経路はなんだったのだろう?
 他にも、「簡単」という意味で"Róngyì"というのがあって、これ、「容易」じゃないの?と調べたら、そうだった。などなど。さすがに似ている言葉は多いなあと思う。英語とフランス語の関係によく似ている。
 同様とも言えるのだけど、"Huòzhě"が「或者」、"Ránhòu"が「然後」とかなどは、そのまま漢文法の延長にもなっている。総じて、やる気になれば、現代中国語も漢文文法を延長していくと訓読もできそうには思う。
 まったくわからないのもある。唖然としたのが、「月台」"Yuè tái"。駅のプラットフォームなのだが、なぜこれが「月台」? 調べてみたが、よくわからない。
 こうした話は中国人にも多少関心は向くだろう。例えば、「【冷】日本和中国的区别,一般人看不懂」(参照

日本好:
日本的照片都是【写真】
日本的洗澡水都是【汤】
日本的钢笔质量好,叫【万年笔】
日本的礼物都叫【土产】
日本的赌博用具【麻雀】般可爱
日本的不好:
日本的学习都得【勉强】
买个邮票都要【切手】
写信都拿【手纸】写信

大家有啥补充的没?看谁知道的多…


 中国語に自分なりにどっぷり使ってみると、いろいろ、日本語と中国語の関係というか奥行き感がつかめてきたのも面白い。
 きちんと、日本語の訓読と漢字音の変遷を体系的に整理すると、よいのではないかなとも思う。
 特に、日本の漢字音にはすでに普通話から消えた「入声」が残っていて面白い。また、その場合、漢音のようだが、どうも中国唐代にあたる日本の時代だと呉音が主流だったようで、そのあたりの差も興味深い。この点はいろいろ研究があるので、つらつら見ているとほんと面白い。
 中学校か高校か、古典の教科の一分野に、言葉から見た日本語と中国語の関連史というのがあるとよいのではないかな。そういう教科書があれば、逆にそれを中国語に訳せば、中国人からも日本という国の文化がくっきりと見えるだろうし。
 ところで、中国語はピンズラー方式で学んでいるのだが、つまり音声中心なのだが、50日目あたりで、ただ聞いているだけではなく、一回耳のレッスンを終えたら、ピンインのディクテーションもするようにした。日本人なので、やはりどういう漢字で表現しているのかは気になる。ピンインで書いて、変換すると漢字が出てくる。
 やってみると、愕然と聞き取れないことがわかってまいった。が、おかげでピンインにも少しづつ慣れてきた。パソコンを使っていると、ピンインの入力が楽なので、なんといってもピンインは修得しないとしかたない。
 今思うと、ピンズラー方式でフランス語を勉強したときも、どこかの時点で、ディクテーションをすればよかったかなと思う。"déjà"のアクサンとか当時はまったく無視していたが、あれから、フランス語学習の復習かねてDuolingoやっていると、いやはやスペリングがわからないわからないでまいった。とはいえ、言語学習は最初はやはり音からにすべきだというピンズラーの考えは同意している。
 中国語を学ぶ過程で、適当に切り上げて、朝鮮語の勉強もしてみようと思っていたのだが、どうにも手が回らない。
 朝鮮語を学びたいと思ったのは、一つには日本語との関連をもっとその内側から知りたいのと、あのオンモンで覆われている表記の裏にある漢字とその音の体系を知りたいなというのがある。現代韓国語の漢字音はいつごろどのように成立したのか、また李朝の儒者はそのあたりをどうしていたのかが知りたい。
 儒者といえば、中国語を学んで、荻生徂徠のやっていた中国語研究も少しわかるようになった。どうやら彼は北京官話には触れていなかったらしい。南方系の音を使っていたようだ。まあ、そのあたりも今後おりに触れて調べてみたい。
 
 

|

« 「セウォル号」沈没報道の関連で思ったこと | トップページ | 李白「静夜思」を巡って »

「言語」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ピンズラー方式の中国語学習の60日間を終えた:

« 「セウォル号」沈没報道の関連で思ったこと | トップページ | 李白「静夜思」を巡って »