都知事選が終わった。ツイッターのほうでは早々に書いていたが、開票の8時とともに舛添さんの当確となるだろうと思っていた。その通りにはなった、という意味では、予想は当たった。が、その他、予想していた部分からは見えなかったことが数点あった。
今回の都知事選で一番興味深いことは、津田大介さんがメインに運営しているポリタスの運営だった。マスメディアからは見えづらい、各層の意見が可視になっていた。かく言う私も寄稿の依頼があり、寄稿した。「現実的な投票か、示威的な投票か ポリタス 「東京都知事選2014」を考える」(参照)である。
率直に言って、寄稿依頼があったときは驚いた。私の意見は、世間に水を差すことが多い。メディアからは嫌われる。またそういう水を差すキャラとしてネットで人気を得たいわけでもない。基本ブログの転載はお断りしてきた。が、今回は私の「水を差す」意見も並べておくとよいのではないかと思ったのだった。
寄稿したこともあり、他の論者の意見も比較的よく読んだ。基本的に「識者」が多いこともあり、メディアによく出てくる、率直に言えば、つまらない議論が多いようにも思えたが、それなりのバリエーションに各層の思いが連なっている様子は興味深いものだった。
私のポリタス寄稿を執筆したのは、1月26日である。1月29日に公開になっている。その3日間に特有な大きな動きや自分なりの考えの変化はなかったが、寄稿で「ネット選挙だというけどネットから公約がわかりづらい」という部分で、ポリタスにも公約リンク集がないじゃないですか、という指摘をしたら、29日前にそれが公開されていたので、まあ、自分の思いが届いて良かったか。
寄稿の趣旨は、ブログのスタイルとは別に表題でわかるようにしておいた。「現実的な投票か、示威的な投票か」である。しかし、「示威的な投票」という考えに馴染んでない人もいた。そもそも「現実的な投票」という考えを持たない人もいる。なので、あれでも、わかりづらいと思う人がいるようだった。
寄稿で書いたように、この時点で私は、細川陣営が舛添陣営に迫るような選挙戦となるのではないかと予想していた。反原発運動、反安倍政権の気運、小泉旋風などの動きが、加速してくるだろうと思っていたのである。
だがその間、ちょうと28日、日本外国特派員協会で細川さんが会見されたのだが、ここから私などは異様な印象な受けていた。
人口学者によりますと、これから日本の人口はどんどん減り続けて、今1億3000万人の人口が50年後には9000万人、100年後には4000万人。4000万人というのは江戸時代に近い人口です。
そういう中で今までと同じように大量生産大量消費の経済成長至上主義でやっていけるのか? 私は無理だと思います。
今回の選挙はそういう意味で日本の文明のあり方を問う選挙であり、選択の機会であり、あるいは、まあ私たち日本人の価値観を問う選挙になるというふうに私は考えております。
昔、道元禅師というまあ、日本の偉い禅宗のお坊さんですが、そのお坊さんがノーベル賞で平和賞を受賞したとき、あ、文学賞を受賞したときにこういう事を申しました。「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて冷しかりけり」。
(通訳者吹き出す。)
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて冷しかりけり」、はい。
(通訳ツッコミ)
ああ、いや違います。あの川端さんが……
誰にも言い間違いはあるものだし、ツッコミがあってすぐ訂正はしているのだが、やはり76歳の細川さんに年齢相応に見られる記憶・思考力の低下が見られた。それはしかたがないなと思う反面、「日本人の価値観を問う選挙」というあたりの話も、実は、年齢相応に見られる記憶・思考力の低下か、あるいは、日本新党のころの「腰だめ」の細川さんが今も変わらないのか、いずれにせよ、これはかなりまずいのではないかと私は思ったのだった。でもまあ、私は、毒舌ブロガーではないので慎んでいた。
そして、でも、さらにデモクラTVスタジオで生放送の細川さんのインタビューである。1月22日のものらしいが、私が知ったのは29日のことだった。衝撃的だった。
今日出た、数日前に私は見たんですけども、ロシアの国防軍がですね、出したっていう資料が、あー、極秘資料っていうものが出てきてね。それを見たんですが、(「なんの資料ですか」)福島で、福島の、えー、こないだ暮れに12月31日だったかな、あの爆発があったという小さな記事が出ましたね。 その数日前から実は水蒸気が上がっていて、何かおかしいという話があったのを私も確かに覚えているんですけども。あれはようするに完全にメルトダウンを起こしているということを、いろいろ分析をしていてですね、(「ロシアが?」)ええ、それでアメリカはですねヨウ素を1万5000袋だっかな、既にそのお2月の始めに配るという手筈を始めたということとかですね、それから、いま北極海とかいろんなところでシロクマ、アザラシ、その他の生物が生き物が大量死が続出していると、これはまさにその福島の影響であるということとかですね。いろんなものが出てきているわけです。これはまあ凄い話だと思いましたね。
いやはや、これはまあ凄い話だと思いましたね、私も。
これは、細川さん、終わっていると思った。
もちろん、このインタビューが原因で終わったというのではなく、どのような意見を述べてもこの発想が基軸になっていたら、多数の人に心に都知事選の思いが届くわけないし、そもそもこういうインタビューが公開されてしまっている点で、選挙運営側に大きな問題があることは明白になっていた。
ああ、細川さん、終わってた、と2月に入って私は思い直したので、ポリタスに寄稿した現実的な投票の意味はこの時点で消えてしまった。
率直に言って、東京・自民党、東京・連合、公明党ががっつりスクラム組んだ舛添さんの圧勝はもうこの時点で確定的と見てよい。
私が現実的な意味で選挙に行く意味なんかもうほぼゼロに等しい。でも結果、私は選挙に行った。その理由はあとで記す。
ポリタスの寄稿ではこうも書いた。
失礼な言い方になるが、いわゆる泡沫候補や、毎回お馴染みの万年落選候補を除けば、宇都宮健児氏、田母神俊雄氏、家入一真氏の三氏が、示威的な投票の対象となるのだろう。三氏とも幅広い層からの支持が得られているようには見受けられない。それは同時に示威的な投票の対象だからだとも言える。
三氏への加勢の示威が意味するところは何か。ざっとした印象にすぎないが、宇都宮健児氏は反核および急進的な左派の代表、田母神俊雄氏は国家主義的な右派の代表、家入一真氏はネット世論や一部の若者世代の代表、ということではないだろうか。彼らについては、当確よりも、選挙後にその票数から都民の意識を読み取る材料になるだろう
細川さんが2月に入るや沈没した点を除けば、1月26日に書いた、「宇都宮健児氏、田母神俊雄氏、家入一真氏の三氏が、示威的な投票の対象となるのだろう」は大きく外したわけではない。が、蓋を開けてみると、正確とも言えない結果だった。そこの反省を加味して、予定していた都民の意識を読んでみたい。
細川氏が示威的投票の対象に堕ちてしまったという点を除けば、あるいはそれに関連するのだが、宇都宮氏の得票の延びは私が想定していた以上だった。宇都宮氏は982,594票で、細川氏の956,063票を、わずかと言ってよい差であると思うが、抜いた。私は、共産党と社民党が推している宇都宮氏は、同党の支持者とそのシンパを加えても40万票も行かないだろうと思っていたので、驚いた。
理由はおそらく3点だろう。一つは細川票が流れたことと、二点目は反原発への共感、さらに三点目に福祉優先が望ましいが舛添氏は嫌いだ・自民党は嫌だというアンチ票だろう。二点目と三点目は同じようだが違う面もあり、意外と三点目が大きかったのかもしれない。
この結果をもって共産党と社民党が蘇生していると見るかだが、印象ではそれほどでもないだろう。今回の特例でもあり、あるいは前回からも見られた宇都宮氏の人徳的な効果でもあるだろう。
細川氏の票が宇都宮氏に流れたのではないかという点に関連するが、両者の票を合算しても、舛添氏の得票には及ばない。その意味では、急進的な反原発の動きは、政治的にはこの選挙でピリオドを打ったと見てもよい。もちろん、舛添氏も大筋では反原発にあるが、これは現実を捉えてということであり、その信頼が舛添氏の票につながったのだろう。
蓋が開いて驚いたことの二点目は、田母神氏の得票である。610,865票もあった。私は20万票くらいではないかと思っていたので、かなり驚いた。一般的には右派の票がここに固まった、あるいは、石原元都知事の影響があったと見る向きが多い。それ自体は間違いではないだろう。
この点について蓋が開いてからしみじみ考えさせられたのは、ポリタスに寄稿された古谷経衡氏の「田母神陣営の戦いから見る「ネット保守」のゆくえ」(
参照)である。
田母神氏を支持する保守層が、共産・社民が推薦する宇都宮氏と拮抗する勢力を持ちえているのであれば、その得票は同等かそれ以上になるはずだ。一方、保守層が未発展であれば、宇都宮候補に大きく敗北する、という結果が予想される。
田母神氏の得票数がそのまま、日本の「ネット保守(≒否定的な文脈での“ネット右翼””ネトウヨ”)」やゼロ年代以降、新潮流として登場して来た保守勢力の「趨勢」をそのまま反映させる国勢調査的な意味合いを含んでいる、という事実からも、田母神陣営の戦いとその票数に注目したい。
この数字をわかりやすく「3.5倍」として計算するとして、仮に田母神氏の得票を50万票とすると、約175万人。100万票だとすると約350万人の「新保守」が日本に存在することになる。この推定が正しければ、「新保守」は共産・社民に匹敵する一大勢力であると言うことができる。巷間いわれる「ネトウヨが〜(このところ増えている)(一部に過ぎない)」などという、顔の見えなかった漠然としたイメージが、ハッキリとした数字となって現れてくるのである。
解りやすく古屋氏は「得票を50万票とすると」としているが、すでに述べたように私はそれほどはいかないだろうと見ていた。他方、論者によっては40万票を一つの目安と見ていたので、50万票はちょっと「もった」数値であろうとも見ていた。古屋氏もその想定はしていた。
一部のネット上や保守界隈での圧倒的な盛り上がりをよそに、各種調査では田母神氏の得票予測はやや伸び悩んでいる。この予測通り田母神氏が40万票で宇都宮氏の次点敗北となれば、「ゼロ年代以降のネット保守を筆頭とした新しい保守の潮流は思ったほど伸びていない」という現状が浮き彫りになる。この状況を投票日までに打破できるかどうかが、田母神陣営の腕の見せ所であろう。
だが、結果は約60万票である。
古屋氏の見方からすると、ざっと、日本に200万人ほど「新保守」がいることになる。
おそらくこの推定は正しいだろうと思う。というか、この数値に私はけっこう衝撃を受けている。衝撃を受けているのは、古屋氏の理路が正しいと思うからだ。実は、どうしようか迷ってこのブログに書評は書かなかったが、氏の「ネット右翼の逆襲--「嫌韓」思想と新保守論」(
参照)は既読であり、かなり興味深い論考だと思っていた。出版社からのコメントがよく内容を著しているので引用しておく。
「ネトウヨ=ネット右翼」を批判する本は出ておりますが、全面的に肯定しているのは本書が最初です。
まず、ネトウヨのイメージは肥大化した虚像と社会問題としての実像があり、その組み合わせによって、かつてないほどの強烈なレッテルができあがりました。
本書の前半部ではその虚像を1枚1枚はぎ取り(1、2章)、アンケート調査をもとに取材することにより、実態に迫り(3章)、韓国の対日感情への激変とかたくなに日韓友好を演出しようとする国内メディアの偏向報道がネトウヨと呼ばれる人たちを生んだ背景を描きます(4、5章)。
いまや多くの日本人が抱くようになってしまった「嫌韓」を「差別」と一蹴しても問題解決にはならないことを指摘し、在特会を利用して保守全体を攻撃しようとするサヨクだけでなく、在特会を切り捨てようとする保守陣営に対しても、その点はきちんと批判しております。在特会問題の本質は日本人全体に広がった「嫌韓」とリンクしており、極めて歴史的な問題でもあります。ネトウヨとレッテルを貼り付けて解決できる問題ではなく、しかもこれからの問題であることが本書を読むとよく分かると思います。
ブログで取り上げなかった理由は、私はこの分野の議論が好きではないことがまずある。そうでなくても、私は右翼呼ばわりされて、左翼から嫌がらせを受けてきているのでうんざりしている。また、「ネット右翼」というのはただの無教養人だと思っていたこともある。ただし、同書によってこの点、蒙を啓かれることになった。実際、推定200万人の新保守という存在を今回まざまざと実感し、本書の意義を再認識にすることになった。
ひどく雑駁に言えば、私は「ネット左翼」というのも、ただの無教養人だと思っているので、基本、どちらの側も、きちんと物を考えていけば、私のように無気力で合理的で現実的なリベラルに堕落するのがオチだと思っていたふうがある。それでいて私は吉本隆明なみに、啓蒙というのが大嫌いなので、あまりこういうことに拘わりたくもない。しかし、そうもいかないわけだ、ここに至って。
古屋氏の結語は、今となっては重たい。
確実なことは、選挙後、今後の「ネット保守」を巡る言説は必ず変更を迫られることになる、ということだ。
今回の都知事選で、田母神氏支持が若い層に多いことも注目された。もっとも若い世代そものが昔から選挙に関心の薄い層でもあり帳票率も低いので総数としては大きくはない。それでも、若い世代にきちんと「新保守」が根付いているのは留意しておくべきことだろう。余談になるが、昨今の中韓の反日も彼らなりの「新保守」主義なのである。
もう一点、今回の選挙で注目したのは、ネット選挙を打ち出した家入候補の得票率である。まあ、泡沫であろうと思っていたが、結果は88,936 票で、往年の泡沫、ドクター・中松の64,774票、マック赤坂の15,070票を越えた。これをもって善戦したと見てよいかだが、どっちかと言えば、よいと言ってもよいだろう。一つの見逃せないマイクロトレンド(
参照)ではある。例えば、この層が動けば、ちょろいベストセラーくらは出せるという意味だ。ただ、総じて、家入氏の活動は忘れ去られるだろうと思う。
さて話を戻して、昨日、雪積もる歩道を押して、私は投票所に向かった。一番の理由は、率直に言うと、私は模範的な市民として振る舞うからである。もう少し言うと、前々回石原知事の選挙に例外的に棄権したのは、さすがに嫌になったからだ。例外中の例外だった。私を石原擁護と見るコメントをいろいろ貰うが私は石原慎太郎が大嫌いなのである。ただし、その理路はこのブログに書いても通じないので、cakesに書いた(
参照)。
もう一つ、投票する気になったのは、脳裏にZazの歌「On ira(行こう)」が響いていたからだった。
On ira écouter Harlem au coin de Manhattan
On ira rougir le thé dans les souks à Amman
On ira nager dans le lit du fleuve Senegal
Et on verra brûler Bombay sous un feu de Bengale
マンハッタンの一角のハーレムの声を聞きに行こう
アンマンの市場で茶を赤く染めに行こう
セネガル川の川底を泳ぎに行こう
そしてベンガルの炎でボンベイが燃え上がるのを見に行こう
On ira gratter le ciel en dessous de Kyoto
On ira sentir Rio battre au cœur de Janeiro
On lèvera nos yeux sur le plafond de la chapelle Sixtine
Et on lèvera nos verres dans le café Pouchkine
京都の下に大空をひっかきに行こう
リオ・ジャネイロの中心で鼓動を感じに行こう
システィーナ礼拝堂の天井を見に行こう
そしてプーシキンカフェで乾杯しに行こう
Oh qu'elle est belle notre chance
Aux mille couleurs de l'être humain
Mélangées de nos différences
A la croisée des destins
私たちには素晴らしいチャンスがある
色々な色をした人間が存在する
私たちはそれぞれの違いを混ぜ合わせる
運命の岐路で
On ira gratter le ciel en dessous de Tokyo!
ということだった。