正月風景
寝正月であることが察せられ、食事会に来ないか、と誘われた。
行くことにした。この時期、都心は、寺社やショッピング街を除けばけっこうがらんとしている。悪くないじゃないか。電車も比較的空いているだろう。そう思ったのだが、ハズレだった。
乗り慣れない路線なので、始発が出る駅で乗り換えて座った。ぼんやりしていると奇妙な疲労感に襲われて眠くなり、何とはなしに社内アナウンスを聞いていた。うつらうつらとした意識のなかで、あれは日本語か英語か、それともフランス語か。
20分もたってないだろう。隣からぐいと押された。見回すと車内は存外に混んでいた。
そして眼前に、セーターで覆われた大きなおなかがあった。
妊婦?
即座に思った。
反射的に立ち上がろうとしたとき、彼女の顔を見て、なんというのか、パズドラのボスキャラ、とか一瞬思った。
失礼。
何歳なのだろう、この女性。40歳はがちで越えている。
そして大きなお顔があった。『あまちゃん』に出て来た、あの人みたいと思ったが、あの人が誰か知らない。
僕はまだ立ち上がってはいなかったが、気が抜けたように脱力した。それから本格的な困惑がやってきたのだ。
妊婦?
ここで顔を上げるべきなのか悩んだ。いや、40歳すぎても妊婦というのはある。でも、妊婦なのか。ただの、太ったオバサンなのか。悩む。自然に眼前のおなかを見ている自分がいる。
妊婦?
そのまま自然にまた顔を見た。さっきよりも見てしまった。50歳は入っている顔だろう。
50歳で妊婦?
そういうことだって世の中ある。
50歳じゃないかもしれない。49歳とか、あるいは今年は年女で48歳だとか。
悩む。
めんどくさい。妊婦であろうが、太ったオバサンであろうが、いいじゃないか、席をゆずったほうがいい。
決意したそのときに、その大きなおなかが僕のおでこ寸前に迫った。
立てない。すごく混んでる。いや、こんな混んでるときこそ、席をゆずるべきじゃいのか。
ねえ、みんな。
左を見ると、10代か20代の女の子でスマホでゲームしている。パズドラ? 右を見ると、10代か20代か男の子が寝ている。疲れているのか。
他人のことなんかどうでもいい。
しかし、この状況は席をゆずる以前ではないか。どうしようか。
そのときだった。「あらやーねえ」という声がした。彼女の声だった。その、大きなおなかの女性の声。
僕に語りかけたものではない。彼女の連れに向けての言葉だった。隣は連れだったのだ。そのとき初めて僕はその隣の人に関心を向けた。
その人、年齢不明。
性別不明。
女性なら40歳くらい。男性なら30代から40歳。短髪。メガネ。
着ているものから男女がわかりそうなものだが、コートのようなものを着ているのだが、さっぱりわからない。
そもそも、この大きなおなかの女性とどういう関係なのかもわからない。夫?
そんなことどうでもいいじゃないか。そんなことは僕に関係ないことじゃないか。そう思いつつ、その隣の人の声から男性か女性か判別しようとしたのだが、わからない。
まったくわからないのだ。
僕はずっとうつむいて、そういえば、吉野弘先生の詩を思い出した。先生には高校生のとき詩を見てもらったのだった。その詩は、お年寄りに席を譲った若い女性がもう一度別のお年寄りに席を譲って、それから三度目に席を譲るのが恥ずかしい気持ちでいるという状況が描かれている。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
その詩を思い出して、自分を重ねた。
滑稽に
中年男はうつむいて
そして今度も席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
男はどこまで行ったろう。ねじれた心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず加害者となる。
何故って
ねじれた心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じられないから
詩にならないね。
洒落にもならない。
そのうち乗り換え駅について、どっと、乗客が降りた。僕の眼前のその大きなおなかの女性も去って行った。
ほっとした。
僕は、その駅で降りるべきだったことなんか、すっかり忘れていた。
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コメント
数年前に生後半年の子どもを連れぷらっと入ったショップの店員さんに、
「もうお2人目お腹ですか?」とお腹を見て笑顔で聞かれ、凍りついたのを思い出しました。。。
あまりのことに「違います・・・ショックです・・・」とだけ言うと、
一緒にいた亭主には大笑い。すぐに店員さんはどこかに消えていました(笑)。
もう何年も前の話ですが、いまだに語り草になってます。
たしかにね、まだ産後太り解消されてなかったけどね、
かなりのショックを受けました。。。
どんなにお腹が出てたって、妊婦さんに間違われるのは
どんな女性でもショックなはず!あやしい場合は声かけなくて正解だと思います!
と言いつつ、ワタシも電車で判断のむずかしい方を見かけては、
「うーむ、どっちだ」と思うことしばしばですが(笑)。
投稿: | 2014.01.11 14:16