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2014.01.30

首都の長を決める選挙が話題である、とか言って、パリの話な

 首都の長を決める選挙が話題である、とか言って、パリの話な。
 フランス語の勉強していると教材によくパリが出てくる。そりゃフランスの首都だし、花の都・パリである(だったか)。もちろん、他にもフランスの都市は出てくる。エクソンプロバンス(Aix-en-Provence)とか。まあ、でもパリだ。世界的にも有名な都市だ。人口はどのくらいかなと、ちょっと、パリと人口というキーワードでググったら、いきなり「221.1万 (2008年)」と出て来た。
 じゃあ、東京と人口だとどうかな。1323万 (2013年4月1日)と出て来たぞ。グーグル先生のおっしゃることだから、これであっているのかどうかよくわからないが、まあ、そんなもんじゃなかろうか。
 ということは、人口で見るとパリって東京の六分の一なんだ。なーんだ、パリ、そんなに小さいのか。いや、そう言ったもんでもないが、逆に東京がでかすぎるんだろうな。ついでにニューヨークの人口はというと、833.7万 (2012年)。さすが、ニューヨークだ。東京の半分以上はあるじゃないか。いや、そんな話じゃないぞ。
 パリ市の首長選挙がこの3月9日と16日に実施される。
 どうなるか。
 現時点で、すでに決まっていることがある。次のパリ市の市長は、女性であるということだ。
 40歳のナタリー・コシウスコモリゼ(Nathalie Kosciusko-Morizet)か、54歳のアンヌ・イダルゴ(Anne Hidalgo)。写真は左がナタリー、右がアンヌ。

 右派と左派に別れている。どっちがどっちでしょ。
 ナタリーが右派、国民運動連合(UMP)。サルコジ前大統領の下で閣僚としてエコロジー・持続的開発・運輸・住宅相を勤めていた。
 アンヌは、社会党(SP)。12年間パリ市長を務めた現ドラノエ市長の第一助役である。
 ごく簡単にいうと、パリ市の左派政権からサルコジ流の右派政権になるか、ということ。これまで12年間の左派的行政の審判の意味合いもある。
 まあ、なんというか、彼我の差はここに極まるの感はあるなあ。
 東京の首長選と比べて見ろよ、である。
 まず、東京知事選挙の候補者に、女性、いる? 私の見落としだろうか。いないよね。
 次に、東京都知事選挙の候補者の年齢は、どうよ? 16人の候補者の平均年齢は66.9歳。なんだ、それ。80代が3人、70代が3人、60代が7人、50代が2人、30代が1人。これってクールジャパンですか(寒っ)。
 どうしてこうなっちゃったんだろうか、東京。
 右派、ということでいうと、UMPは極右ではないけど、まあ、右派。で、その右派政党がパリ市の市長に推してきたのが、このナタリーですよ。これが、おフランスの右派ですよ。
 どうなんだよ、日本の右派。このくらいの若い女性の政治家を出してこいよってちょっと思うのだけど。いや、若ければいいとは言わないけど、若い層の女性の政治家をきちんと育成して、大きな選挙に出せるくらいの政党になってこそ、右派だと思うのだけど。
 
 

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2014.01.28

ピンズラー方式による120日間のフランス語の学習、終了

 終わった。ピンズラー方式で学ぶフランス語のフェーズ4が今日終わった。一つのフェースが30日。これが4まである。つまり、120日間。休日もクリスマスも正月も休まずにぶっ通しで続けた。もうどこでくじけるかと自分を不安にも思ったが、けっこう食いしばった。やればできるもんだった。56歳。受験勉強みたいな勉強もまだやればできそうな気がした。そしてこの間、ブログを書くことよりもフランス語の学習を優先した。

cover
French IV,
Comprehensive
 食いしばったというのは難しかったからかというと、そう。特にフェーズ4に入ってからは難しい山がなんどかあった。一回のレッスンはすらっと終えれば30分なんだが、最初のリスニングが、残り15日ぐらいなると、さっぱりわからんという事態もあり、何度も何度も聞いた。不思議に何度も聞いていると、合理的に作成された教材でもあり、わかってくる。もう、だから、これは絶対にある水準まではわかるはずだと信じて繰り返し聞いた。
 ピンズラー方式の外国語学習はフェーズ3までで基本が終わるようになっているらしいから、フェーズ4が難しく思えるのも当然かもしれない。ただ、フランス語検定とかで見るなら、このレベルでも上級ということでもないだろうが。
 フェーズ4の難しさは当初、速度にあると思った。文法事項はフェーズ3でだいたい終わる。なので、フェーズ4からは自然な会話速度、そして語彙力も主眼かとも思えた。が、速度もだし、語彙もだが、けっこう文法もきつかった。
 接続法をけっこうこってりやった。接続法なんて難しいのはどうでもいいと当初思っていたのだが、けっこう日常会話にもあることがわかってきた。なによりシャンソンの歌詞を見ていると、なるほど接続法は多いものだなあと思う。
 フェーズ4終了後の達成はどのくらいだったかというと、正直に言って、これでフランス・ドゥーが聞き取れるというレベルには遙かに遠い。新聞とかだと、もとから単語は英語と被っているから大意くらいはつかめるようになった。
 それでも、耳で学んだフランス語の割には優しいフランス語も読めるようになったし、シャンソンの歌詞を見ても、注釈付き合わせて意味がわかるようになった。
 なんとか喋ろうと思えば、片言で通じるくらいには喋れそうにも思える。ピンズラー方式の特徴なのだろうと思うが、とにかく実用的な言語能力が付くようにレッスンが構成されているという実感はある。
 フェーズ3終わったときは、やったあという達成感の嬉しさみたいのがあったが、フェーズ4を終えると、率直なところ、路頭に立たされるような不安があった。この先のフランス語の勉強は、自分でやってくしかないんだなあという感じである。できるだろうか。このあたりで、少し立ち止まるべきだろうか。なにより読む・書くという訓練はほとんどやっていない。それでも、なんとなく読めるようにもなるんで不思議なものだ。
 ピンズラーの教材でエンディングになにかメッセージでもあるかと期待したが、じゃあ、今度は何か別の言語を学びましょうみたいなことを言っていただけだった。それもそうかもしれない。中国語も学びたいようには思う。ピンズラー方式で英語を通して中国を学ぶというのも楽しそうだ。なお、ピンズラーのフェーズ5もこの夏以降には出るみたいなので、出るようなら使ってみたい。
 ピンズラー方式が語学学習に最適であるかはわからないが、どの外国語でも、合理的な教材で一日に一時間を割いて三か月くらいすれば、そこそこ身につくものだろうという実感はついた。言語というのはこうして学ぶのがよいのだろうなという、勘所も理解できたように思う。特にフェーズ4に入ってからは、まるで映画の役者になったような会話の設定のなかに入る。なるほど言語を有機的に学ぶというピンズラー方式の本質はこれかと、よく理解できた。この会話や話題の設定はフランス文化を学ぶ点でもかなり面白かった。

A few of the topics included in French Level IV
  • Business: Traveling for business, attending a conference, booking and canceling train tickets, looking for and buying a house in France.
  • Personal life: Discussing where you’ve lived, what you enjoy, going through hard times, marriage and divorce, raising teenagers, missing loved ones, moving.
  • Activities: Reading, hiking, gardening, skiing, going to the theater, watching TV, walking around, doing home renovations.
  • Shopping: trying on and buying various items of clothing, asking for colors and sizes, buying gifts and souvenirs, going to the open-air and the flea market, haggling over prices, negotiating a discount, discussing shipping options.
  • Vacationing: going to the beach or swimming pool, sampling foods, preparing a picnic, boating, dealing with crowds.
  • Dealing with Unforeseen Events: feeling ill, calling a doctor, losing or forgetting personal items, being caught in a strike, witnessing a crime,falling in love.
  • The French Character: Learn to think like a French person, using irony and sarcasm, making huffing sounds, showing nonchalance and disinterest, and expressing nostalgia and fatalism.

 フランス語を勉強した副産物も自分にとっては大きい。今までわからなかった英語の部分が以前よりわかるようになった。それと、文学にまざっているフランス語もわかるようになった。今日、cakesに山本夏彦『無想庵物語』の書評の一回目を公開したが(参照)、そこに含まれているフランス語や、無想庵自身のフランス語なども普通に理解できた。今まではこうした部分はさっと読み飛ばしていたものだった。
 
 

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2014.01.27

就職活動には黒服を着るというのでびっくりこいた

 ブログをちょっとお留守にしている間の世間のできごとで、僕がいちばんびっくりこいたのは、現代の若い人が就職活動に黒服を着ていくということだった。NHKの番組で知ったのだけど、本当にびっくりこいたのだ。そんなことはないでしょ。多いと言っても六割くらいなもんじゃないのと思っていたのだった。ああ、なんたる世間知らずな、我よ。
 ほとんど真っ黒らしい。「就活スーツ」というらしい。最初から黒らしい(参照)。
 髪の毛も黒に染め直すらしい。
 僕がそれを知ったとき即座に思ったのは、「ああ、やめとけ」ということだった。
 それで「そんな黒装束を着るのはやめたほうがいいよ」とブログに書こうかと思った。が、ためらった。「就活している人の身になって考えろよ、ボケ老人」とか言われそうだなあと、わかったからである。まあ、わかるよ。
 就活している現実の若い人にとっては、黒い「就活スーツ」なんて、デフォで、当たり前のことで、そんな次元でがちゃがちゃ言わなくてもいいよ、るせーなじじい、ということなんじゃないか。
 どうなのだろうか。ということで、言うのは控えて、黙っていたのだ。
 まあ、それもいいだろう。
 歴史は繰り返すである。
 とも思った。
 いつか君と行った 映画がまた来る♪である。




僕は無精髭と髪を伸ばして学生集会へも時々出かけた
就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと君に言い訳したね

 僕より年上の全共闘世代は長髪で体制に反対とか言いながら、就職になるとその髪を切ったでさっさと体制に順応していったのだった。
 正確に言うと、忸怩たる思いを抱えつつ生きるためにはしかたなくそうした、という人が多い。内面は絶対に体制に馴致されるものか、老人になった今でも※※断固反対、という感じの人も少なくない。
 それでも、彼らは髪を切ったのだった。
 そして髪を切らない人もいた。例えば、村上春樹。
 どっちがいいとも言えない。
 その世代の下の僕は、そもそも自己主張のために身繕いでアピールをするとか、自己を目立たなくするための衣装を着るとか、さらに団体活動するなんてこと自体、ouf、考えるだけで鬱で死にたい気分になるくらいだったから、原点が違うけど。
 でも、まあ、どちらかというと、僕は、そういう意味で「髪を切らない」で生きて来た(髪についてのツッコミは禁止な)。僕が現在の若者なら、たぶん「就活スーツ」は着ないだろうとも思う。
 でもまあ、そういう外見的な、象徴的なことはどうでもいいのだ。象徴性に過剰な意味を持たせて、「就活スーツ」なんかやめろ、とも思わない。着るもので過ごせることがあったら過ごしちゃってもいいと思う。
 僕が、現代の若者の就活の黒装束について思ったのは、就活がそういう誰もが同じ黒装束でやりすごせても、その先には、たぶん、誰もが同じようにやり過ごすことができない問題が必ず発生するだろうな、ということだった。
 その時には、黒装束を一人脱ぎ捨てるようなことをしないといけなくなるんじゃないか。
 そういう時が来たら、ああ、これが自分なんだと諦めて、その時の「黒装束」を脱ぐしかないと思うよ。

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2014.01.26

実は、このエントリーでは他の話をつもりだった。が、なんか長くなってしまったので、これはこれにて。À demain!

 ブログにけっこう穴を開けてしまった。理由はいくつかある。なんか書きたくないというのもある。選挙が近くなってきたブログの空気がいやだというのもある。私事が意外と忙しいというのもあるにはあるが(プリンを作ったりガトー・オ・ショコラを作ったりなども含めて)、そのわりにはだらっとツイッターはやっている。あと、ピンズラー方式のフランス語学習が最後の追い込みにかかっていて、けっこうこれを優先しているというのもある。まあ、そんなこんな、comme même。
 いつもなら世界情勢のブリーフィングみたいなことも書くのだが、特に新しく特記することはないのではないか。
 オバマ政権によるアフガニスタン政策は惨めに失敗しつつあるし、後世に業績を残そうとしたオバマケアは、公平に見れば成功したとも言ってもよいが、オバマ大統領の人気は下がり、阿呆な共和党という敵失のなかですら議会選挙では民主党は苦戦しそうだ。ただ、特に新味のある話でもない。
 エジプト情勢については、自分が想定したよりひどい状態になってきたが、最初から軍のクーデターだったように思われるので大きな変化はないと言えばない。
 シリア情勢についても以前書いた以上の展開はない。
 そういえば、フィナンシャルタイムズが安倍首相を批判した社説を掲げていて、一部で話題になっていた。邦訳も出ている。「東シナ海で戦争へと向かう流れを止めるべきだ FT社説 」(参照)である。


 新たな懸念の原因となったのは、今週の世界経済フォーラム(WEF)年次総会(ダボス会議)における安倍氏の発言だ。ジャーナリストたちとの会合で首相は、靖国参拝の正当性を主張しただけでなく、今の日本と中国の対立関係を、第1次世界大戦前の英独関係とはっきりと比較してみせたのだ。当時の欧州の二大列強は幅広い貿易関係をもつ間柄だったが、それでも武力衝突は避けられなかったのだと首相は述べ、今の中国と日本も「similar situation(似たような状況)」にあると付け足した。
 安倍氏はただ単に今の対立関係がいかに深刻か、強調したかっただけかもしれない。もしそんな戦争が起きれば悲劇だし、たとえば中国政府と日本政府の間のホットライン設置など信頼醸成の方策が必要だとも首相は話した。しかし、1914年の欧州と現在の比較そのものを日本の総理大臣が容認したというのは、ぞっとするほど恐ろしいし、扇動的だ。両国をなんとかして瀬戸際からひきずり戻そうと、周りは必死にならざるを得ない。

 フィナンシャルタイムズ社説は息巻いているが、問題の付け足し個所(similar situation)は安倍首相本人からのものではないらしい。
 関連した朝日新聞「首相発言、欧米で波紋 日中関係、大戦前の英独例に説明」(参照)より

 安倍晋三首相が、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)での各国メディア幹部らとの会合で日中関係を問われ、第1次世界大戦前の英独関係を引き合いに出して説明した。大戦を教訓に、衝突を避ける手段を構築すべきだという意味合いだったとみられるが、欧米メディアが「日中間の緊張が極度に高まっている」と受け止めて報道し、波紋が広がっている。
 菅義偉官房長官は24日午前の記者会見で「真意をしっかり伝えたい」と述べ、大使館を通じて発言の意図を海外メディアに説明する方針を明らかにした。
 会合は22日に主要メディアの幹部ら約30人が出席して開かれた。安倍首相は質問に日本語で答え、通訳が英語で伝えた。
 安倍首相は「日本と中国が尖閣諸島を巡り武力衝突する可能性はあるか」との質問に、「軍事衝突は両国にとって大変なダメージになると日中の指導者は理解している」と説明。そのうえで「偶発的に武力衝突が起こらないようにすることが重要だ。今年は第1次世界大戦から100年目。英国もドイツも経済的な依存度は高く最大の貿易相手国だったが、戦争は起こった。偶発的な事故が起こらないよう、コミュニケーション・チャンネル(通信経路)をつくることを申し入れた」と述べた。
 この発言を通訳が伝える際、英独関係の説明に「我々は似た状況にあると思う(I think we are in the similar situation)」と付け加えた。首相が英独関係を持ちだした意味を補ったとみられる。この通訳は、日本の外務省が手配した外部の通訳だったという。

 朝日新聞報道は微妙な形態をしているが、問題発言が通訳の追加であることは示している。
 この事実関係だが、裏取りは共同通信だったらしい。産経新聞「英紙の安倍首相発言報道 通訳の補足説明で誤解!?」(参照)より。

【ロンドン=内藤泰朗】安倍晋三首相がスイス・ダボスでの会見で、日中関係について第一次大戦前の英国とドイツの関係と「類似性」があると発言した-と英紙などが報じた問題で、首相が述べていない内容を通訳が補足説明していたことが分かった。
 会見に記者が同席していた共同通信が24日、報じた。首相は日本語で発言し、通訳は「われわれは似た状況にあると考えている」との文言を英語で補足したという。中国などが反日キャンペーンを展開する中、海外への情報発信の難しさを浮き彫りにした形だ。
 首相の発言については、英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)のコラムニスト、ラックマン氏が22日、ブログ記事で「安倍氏は現在の中国と日本の間の緊張状態を第一次大戦前の英独の対立関係になぞらえ『(当時と)同じような状況』と述べた」とし、日中紛争が避けられないかのような印象を与えた。
 報道を受け、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は「(首相は)第一次大戦のようなことにしてはならないという意味で言っている。事実を書いてほしい」と反論していた。FT紙は24日付の論説記事でも、「1914年の欧州との比較は恐ろしく、扇動的だ」と批判した。

 つまり共同通信記者がこの、通訳による追加という事実性を伝えたらしい。が、共同通信自体のオリジナル記事が私には見つけられなかった。どっかにありますかね?
 さて、この問題、日本側からすれば通訳の問題であるとは言えるが、海外側からすれば通訳を含めて日本側の発言なので、フィナンシャルタイムズの息巻きもむげに非難することはできない。
 それでも報道の全体構造からすれば、欧米側メディアの思い込みがもたらした面は大きい。
 先の産経記事は同じくフィナンシャルタイムズのアジア担当ピリング記者による「第二次大戦などでも日本に問題があるとの見解が欧米では根強い。日本の知識がない記者ほど、その流れで書く傾向が強い。センセーショナルに書く風潮もある」と指摘しているが、つまり、そういうことだ。日本の知識が薄いジャーナリストが日本について、センセーショナルな記事を書きがちなのである。
 経済についてなら普遍的な知識で日本経済の状況もカバーできるが、日本の歴史や政治の分野ではきちんとした知識を持ち合わせている外国人ジャーナリストは少ないものである。つい喋りたがる政権批判的な学者さんとか市民団体をメモってしまう。
 ちなみに該当の記者会見について日本政府側からは、次のようにまとめられている。「外国メディアへの首相発言」(参照)より。

 菅義偉官房長官が23日の記者会見で説明した安倍晋三首相の外国メディアへの発言は次の通り。
 尖閣諸島は1895年に日本の領土となった。日中両国は互いに最大の貿易相手国であり、日本企業の進出により中国も雇用を創出してきた、切っても切れない関係だ。従って、一つの課題ゆえに門戸を閉ざしてはならず、戦略的互恵関係の原点に戻るべきだ。条件を付けずに首脳会談を行うべきであり、首脳会談を重ねることで両国関係の発展の知恵が生み出されると思う。
 (日中が軍事衝突する可能性について質問され)ちなみに、今年は第1次世界大戦100年を迎える年だ。当時、英独関係は大きな経済関係にあったにもかかわらず、第1次世界大戦に至ったという歴史的経緯があった。ご質問のようなことが起きることは日中双方のみならず、世界にとって大きな損失になる。このようなことにならないようにしなくてはならない。中国の経済発展に伴い、日中の経済関係が拡大している中で、日中間の問題があるときには相互のコミュニケーションを緊密にすることが必要だ。(2014/01/23-19:20)

 特段に問題のある内容とも思えない。
 外交ではないが、政治家による問題のありそうな発言といえば、小泉元首相の発言が少し気になった。スポーツ報知「【都知事選】細川氏、心ないヤジに「…ハイ」」(参照)より。

 東京都知事選(2月9日投開票)は25日、告示後初の週末を迎えた。細川護熙元首相(76)は小泉純一郎元首相(72)とともに、午後3時からJR立川駅前で演説した。
 同駅南口に集まった約3000人の聴衆を前に、細川氏は緊張もあったのか、時には“おとぼけ発言”も。「自然エネルギーによって国づくりを進めなければいけない。水と緑と太陽と、それから…もう1つ、何だろう?」と、聴衆に対して、まさかの?問いかけ。数秒後に「…風と、加熱…いや、地熱もありますね」と続けた。さらに「口から出まかせ言ってんじゃねーぞ」の心ないヤジには「…ハイ」と答えてしまう一幕も。「私は1人で自民党の支配を壊したんです。でも、長期間続きませんで…」と妙なアピールも繰り出した。
 その後、北口での演説には約5000人が集まったが、今度は小泉氏の口から思わぬ言葉が。「東日本大震災は、天が与えてくれた大事なチャンスだ」と明言した。「東北の人には怒られるかも知れないけど、犠牲を無にしてはいけない」とフォローしたものの、きわどい言葉で原発ゼロを訴えた。
 想定外?の出来事はその後も続いた。細川氏はこの日夕、東京・六本木ヒルズのイベントスペースでトークショーを行う予定だったが、急きょ中止に。主催者側は「(場所を管理する)テレビ朝日から許可が下りなかった」と説明。細川氏は予定を変更して、六本木での街頭演説に向かった。

 「東日本大震災は、天が与えてくれた大事なチャンスだ」というのは、以前似たような発言をした石原慎太郎元東京都知事の発言が話題となったことを思うと、けっこう問題発言のようにも思われるが、今回の小泉氏の発言は、どうも話題になっていないようだ。
 スポーツ報知の飛ばし記事か、あるいは事実ではないのかもしれない。どうなのだろうか。あるいは、その場でフォロー発言をしたから、問題発言はなしなし、となったのだろうか。
 ごく印象に過ぎないのだが、小泉氏は今回、反原発の細川陣営についたため、その側の人が問題発言として話題にしたくないということをマスメディアが察してしまったのではないだろうか。真相はよくわからないが、いずれにせよこの小泉氏の発言は問題にはなっていないようだ。
 とかいうのは前書きで、実は、このエントリーでは他の話をつもりだった。が、なんか長くなってしまったので、これはこれにて。À demain!

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2014.01.13

迫る都知事選についての雑感

 都知事選についてブログで何か書くことに、いやな感じがしていた。理由は、この手の話題をブログに意見を書くと、揶揄や罵倒、さらには表裏の嫌がらせがどっと増えるからだ。私は、石原慎太郎という政治家を支持したことなどはこれっぽっちもないが、彼へのバッシングが不当に思えたときは、ここは不当ですよという指摘はブログをしてきた。すると、私は石原支持ということにされた。日本の精神風土からしてそうなることはわかってはいたし、そうなる日本の精神風土のみたいなのが大嫌いだから自分の思うところを書いてきた。まあしかし、それでよかったのかというと自分が受けた不利益のほうがはるかに大きかった。
 基本、政策にあまり関係がない選挙マター、しかも、右派・左派だけが問われるような選挙マターの構図に結局に落ちるような状況では、何を言っても意味がない。なので、私は今回の都知事選、およびそこに至る経緯はそんなものだろうと見ていたので、黙っていた。
 しかし、猪瀬前都知事辞任の経緯と今回の都知事選は、「政策にあまり関係がない選挙マター」なのだろうか。どうだろう。私は、現在の東京都政に早急に問われている政策というのが見当たらない。もちろん、一部の人が声高に「反原発」を掲げていることは知っている。それが重要な政策だと考える人もいるだろう。私は都政という地方自治にそれが一義に問われているとは思えない。地方自治らしく、東京都民の生活が円滑に進むために諸政策が整備されればそれでいいと思うだけだ。北京や上海のように住民が呼吸困難になるような大気汚染になってほしくはない。地震対策や富士山噴火対策なども推進してほしい。そのための政策は整備してほしいといった課題である。逆に、都は東電と関連が深いが、実質その観点(東京都民の生活が円滑に進むために諸政策)で「反原発」の意味は限定されるだろうし、実際のところ、対立的に都政側から原発を推進するという政策の意義もさほど思いつかない。原発問題は国政マターということも大きいが、そうであってもあまり選択の余地はなく、今後も目立った政策というのもなく、だらだらと新しいエネルギーミックスの体制に移行するだけだろう。実はそのことに世界の側は驚いているのである(参照)。
 政策という点でいうなら、「反原発」を含め、都政に求められていることはそれ自体はそう難しいことではないだろう。世界最大の都市として(諸観点から東京は世界最大の都市の都市と言えるだろう)求められる課題や、高齢化や流入民が増える課題についても問題自体はそう複雑ではない。無制限の資金が存在すれば理想はかなえられそうにも思えるし、実際都経済は比較的には貧弱というものでもない。つまり問題は、問題そのものより、それをどう具体的に政策に移すかという地方自治の政治技術にかかっている。都知事と都議会と、東京という大国にも比すべき行政機構の三者がどう運営されるか、そのなかで都知事の意味合いはどの程度あるのか。それに都民がどう関与できるのか。つまり、そういう行政の具体的な問題になる。
 都知事に現実的に求められることは何だろうか? 私は、東京都の最大の問題はこの巨大な行政機構自体にあると思う。問題と呼ぶのは拙いかもしれない。本質的な必然的な弱点と言うべきかもしれない。この行政機構は過去の事例から見てもおそらく有能に作動しているが、その有能さを理解し、是認し、さらにそこに、東京都という地域らしさがどのように反映しているか。その人間的な了解というものがなければ、政治はただの機械になってしまう。そうではないための、ひとつの象徴が都知事というものだろう。であれば、都知事にはかなり巧緻な行政能力と、東京という地域らしさの気風の二つが求められる。
 私は石原前都知事を支持したことはなかったと言ったし、実際、都民として彼に投票したことは一度もない。彼はキャリアのある国政の政治家ではあったが、彼自身が有能な行政能力を持っているかについて私は納得できなかった。が、その部分は彼のスタッフに補われていたようだし、東京という地域らしさの気風こそは彼はよく体現していた。多数の都民が彼を支持していることは理解できたし、それに寄り添うという意味でのみ、私は彼の都政は支持していた。

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母に襁褓をあてるとき
介護・闘いの日々
 その点から今回の都知事選の候補者を眺めると、細川氏か舛添氏ということになるだろうと私は思う。そして細川氏は高齢過ぎるので、舛添氏が残る。舛添要一氏については、80年代のマスコミデビューのころから知っていて、当然背後のスキャンダルなども耳にし、率直に言ってあまり好感が持てるタイプの人ではなかった。林真理子の「ワンス・ア・イヤー」(参照)にパジャマを着ている女たらしの学者男が出てくるが、これは舛添氏がモデルなのだろうなと思ったほどだ。が、私は彼への考えかたを変えた。1998年に出た「母に襁褓をあてるとき」(参照)を読んで、いろいろ感得するところがあったからだ。私は彼のような母への思慕感というのはないのだが、実生活で苦労を重ね、自分の過去に悔いて、若くて気立てのよい嫁をもらっているあたりがよいと思った。この嫁さんはよい人だなとも思った。私はよい嫁をもっている政治家を好む傾向がある、ブッシュ親子大統領とか。
 舛添氏の政治家としての能力は国際的な水準で遜色がないとも思う。が、では、強く舛添氏を支持しているかというと、そうでもない。先にも述べたが、「東京都という地域らしさ」をこの人に感じることはほとんどない。都知事から東京弁が聞こえないとすれば、さみしく思うし、案外都民の大半がそう感じているだろう。
 ネットを眺めると、宇都宮氏と田母神氏の支持者が多い。実は、私は知事は舛添さんでよいですよと、ちょっとツイッターで呟いてみた。そのあたりの支持者からどれだけ嫌がらせの反応があるかなと思ったのである。あまりなかった。一つには、私がネットの世界において影響力がないと見なされていることがあるだろう。もう一つは、この二者の支持者はその内部的な対立で消耗戦に入っているように思えたことだ。
 こうした不毛な問題は菅直人元首相が期せずして体現していて面白い。彼のブログの9日の記事から(参照)。

 自民党にとっては細川元総理の出馬が実現することは悪夢だろう。自民党が原発ゼロ候補に乗ることはできないからだ。また舛添氏も出馬に当たって原発政策をはっきりさせることを迫られる。
 宇都宮さんは良質な候補者だが、社共の支持だけでは当選は難しい。
 細川さんが立候補を決めれば原発ゼロを求める都民は、当選可能な細川さん応援に集中すべきだ。細川さんであれば、たとえ舛添さんが出馬しても、十分当選できる可能性があるからだ。

 単純な話、自派に近い陣営が勝てるかどうかだけが彼の関心なのである。そして、おそらくこれがその派の内部的な消耗でもあるのだろう。
 ついでなので、宇都宮健児氏についてだが、私は彼が都知事であってもよいだろうと思う。ああ、美濃部都政再現かとは思うし、その顛末も思う。あの顛末を知っている都民なら彼に投票しないかというと、青島都知事を出した都民である。大丈夫だぁ。志村けんでもよいのである。というか、志村けん氏が都知事でもよいのではないか。青島氏も志村氏も東京人らしい人である。
 田母神俊雄氏については、熱烈な支持者がいて、これが細川・宇都宮と同じような構図で、田母神・舛添という消耗構図にあるようだ。よくわからない。が、ざっと見たところで、田母神氏が当選する見込みはなさそうだ。ドクター・中松氏やマック赤坂氏の部類ではないかと思う(両氏まだ名乗られていないご様子だが)。
 現実的には、細川氏か舛添氏のどっちかが都知事になるだろう。私としては、細川氏のようなご高齢が政治家をされること自体反対だが、都民が選ぶなら、それでもよいだろう。
 東京都知事選の公示日は23日なので、あと10日間は新しい顔が出てくる可能性がある。過去の経緯を見ると、ぎりぎりに出て来た人が都知事になるという事例も目立つ。宇都宮・細川、舛添・田母神という消耗プロセスが充分に進むと誰か出てくるのだろう。
 誰に出てほしいかという人が思い当たらない。東国原英夫さん、あたりだろうか。それでもよいだろうなと思う。大前研一さんはどうかと思い出し年齢を見ると、71歳。2月に72歳。微妙なお年だ。もっとも彼が出てくることはないだろう(参照)。
 
 

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2014.01.11

セブンイレブンのThermos drop、買ってみたらけっこうよかったですよ

 なんかいきなりアフィリエイトみたいでしょ。ちゃいます。Amazonとかでは売ってません。セブンイレブンで売ってるThermos dropです。

 このポーションのほうは気に入って、とくに甘酸っぱ系が好きで、買って、普通のカップで飲んでいたのだけど、まあ、専用の容器のあれ、Thermos dropも使ってみるか、と使ってみたら、良かったですよ、というつまんないお話なんだけど。
 個人的にはけっこうびっくりした。
 なんせ、初っぱなから火傷した。
 使い方は、セブンイレブンとかでの説明しているだろうから省略するけど、ポーションをセットして、ぐちゃっと潰して、濃縮液を入れたら、その上からお湯をどどどと注ぐわけです。
 で、僕は熱湯を入れたわけですよ。
 熱湯だから、こりゃ熱くて飲めないだろうなと、少しおいといて、おや、飲むの忘れちまったぜと、10分くらいしてからかな、口にしたら、めっさ、火傷しましたよ。唇。これじゃ、オーラルセックスできないじゃないですか、なんか芸風が違う。
 いや、これ、冷めないわ。
 サーモスなんだから当たり前とわかっていたけど、想定以上。ということで、湯温の管理がめんどくさいなというのはある。デジタルのクッキング温度計で70度くらいがいいかな。猫舌ではないので。ちなみに、温度計は「DRETEC 防滴クッキング温度計 ホワイト O-207WT」(参照)てのを使ってます。このリンクはアフィリ。ちなみに、デジタル温度計は、料理にはもうかかせないし、湯たんぽ作るときにも便利なんで。ええ、使ってますとも、湯たんぽ。Fashyの(参照)。ちなみに、僕のはカシミヤのスカイブルーのだけど。
 なんの話だっけ。Thermos dropでした。
 当然、用意されたポーションも使うのだけど、それ以外ではどうかなとやってみると、まったく無問題。無印で売ってるアロマティーとかまったく問題ありませんね。うまい。

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伊藤園
プレミアムティーバッグ
金の烏龍茶 20袋
 そういえば、この手のティーパックでは、伊藤園のプレミアムティーバッグ「金の烏龍茶」(参照)がうまい。ペットボトルのより美味しいです。ってか、ちょっとした偉そうな中国茶より美味しい。これで凍頂烏龍茶があれば言うことなしだな、伊藤園。
 Thermos drop本体については、Thermosのマグとか、以前買おうか検討したことがあるんだけど、茶筒みたいな感じで、どうかなあと思っていた。これだと、いわゆるマグになっていて持ちやすい。
 欠点は、ある。
 というか、しかたないのかもしれないけど、構造がちょいと複雑で、パッキンが二つあって、他、本体は3つのピースになる。で、パッキンのせいかなと思うけど、きちんと洗わないと、前に飲んだのの臭いが残る。ささっと水で流すだけだと、残るなあ。ゴム臭みたいのは僕には感じられない。
 ってなことを、無印のカシス・ジンジャーのホットをThermos dropで飲みながら書いているのであった。
 
 

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2014.01.03

正月風景

 寝正月であることが察せられ、食事会に来ないか、と誘われた。
 行くことにした。この時期、都心は、寺社やショッピング街を除けばけっこうがらんとしている。悪くないじゃないか。電車も比較的空いているだろう。そう思ったのだが、ハズレだった。
 乗り慣れない路線なので、始発が出る駅で乗り換えて座った。ぼんやりしていると奇妙な疲労感に襲われて眠くなり、何とはなしに社内アナウンスを聞いていた。うつらうつらとした意識のなかで、あれは日本語か英語か、それともフランス語か。
 20分もたってないだろう。隣からぐいと押された。見回すと車内は存外に混んでいた。
 そして眼前に、セーターで覆われた大きなおなかがあった。
 妊婦?
 即座に思った。
 反射的に立ち上がろうとしたとき、彼女の顔を見て、なんというのか、パズドラのボスキャラ、とか一瞬思った。
 失礼。
 何歳なのだろう、この女性。40歳はがちで越えている。
 そして大きなお顔があった。『あまちゃん』に出て来た、あの人みたいと思ったが、あの人が誰か知らない。
 僕はまだ立ち上がってはいなかったが、気が抜けたように脱力した。それから本格的な困惑がやってきたのだ。
 妊婦?
 ここで顔を上げるべきなのか悩んだ。いや、40歳すぎても妊婦というのはある。でも、妊婦なのか。ただの、太ったオバサンなのか。悩む。自然に眼前のおなかを見ている自分がいる。
 妊婦?
 そのまま自然にまた顔を見た。さっきよりも見てしまった。50歳は入っている顔だろう。
 50歳で妊婦?
 そういうことだって世の中ある。
 50歳じゃないかもしれない。49歳とか、あるいは今年は年女で48歳だとか。
 悩む。
 めんどくさい。妊婦であろうが、太ったオバサンであろうが、いいじゃないか、席をゆずったほうがいい。
 決意したそのときに、その大きなおなかが僕のおでこ寸前に迫った。
 立てない。すごく混んでる。いや、こんな混んでるときこそ、席をゆずるべきじゃいのか。
 ねえ、みんな。
 左を見ると、10代か20代の女の子でスマホでゲームしている。パズドラ? 右を見ると、10代か20代か男の子が寝ている。疲れているのか。
 他人のことなんかどうでもいい。
 しかし、この状況は席をゆずる以前ではないか。どうしようか。
 そのときだった。「あらやーねえ」という声がした。彼女の声だった。その、大きなおなかの女性の声。
 僕に語りかけたものではない。彼女の連れに向けての言葉だった。隣は連れだったのだ。そのとき初めて僕はその隣の人に関心を向けた。
 その人、年齢不明。
 性別不明。
 女性なら40歳くらい。男性なら30代から40歳。短髪。メガネ。
 着ているものから男女がわかりそうなものだが、コートのようなものを着ているのだが、さっぱりわからない。
 そもそも、この大きなおなかの女性とどういう関係なのかもわからない。夫?
 そんなことどうでもいいじゃないか。そんなことは僕に関係ないことじゃないか。そう思いつつ、その隣の人の声から男性か女性か判別しようとしたのだが、わからない。
 まったくわからないのだ。
 僕はずっとうつむいて、そういえば、吉野弘先生の詩を思い出した。先生には高校生のとき詩を見てもらったのだった。その詩は、お年寄りに席を譲った若い女性がもう一度別のお年寄りに席を譲って、それから三度目に席を譲るのが恥ずかしい気持ちでいるという状況が描かれている。


可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。

 その詩を思い出して、自分を重ねた。

滑稽に
中年男はうつむいて
そして今度も席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて――。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
男はどこまで行ったろう。

ねじれた心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず加害者となる。
何故って
ねじれた心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じられないから


 詩にならないね。
 洒落にもならない。
 そのうち乗り換え駅について、どっと、乗客が降りた。僕の眼前のその大きなおなかの女性も去って行った。
 ほっとした。
 僕は、その駅で降りるべきだったことなんか、すっかり忘れていた。
 
 

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