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2013.02.20

「予約しました」とのお答え、ありがとうございました。

 明日が出版日となる自著の話を、昨日のブログに書いたところ、予約しましたとの言葉を多数いただき、ありがとうございました。
 こんなに反響があるなんて、びっくりしました。

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考える生き方
 本を書くからには売れないと困るけど(というかご迷惑かけそう)、無名の人の自分語りの本がそんなに売れるわけもないだろうし、これから、「つまらなかったぜ」といったご批判もいろいろいただくのだろうかと、びくびくしてます。っていうか、恐縮して、ちっこくなって、アングリーバードのRIOとかしてました。あと、Kindle化について問われましたが、意外と著者からよくわからないものです。
 著者名は"finalvent"としました。パソコン通信時代のノリでブログも英文字のハンドル名にしてきたのだけど、ブログの時代になると、匿名だ、とか言われてきたわけです。ですが、こうして本になると、普通にペンネームですね。後からそこに気がついて、ちょっとほっとする部分がありました。
 しかし"finalvent"かあ。ちょっと一般社会受けしませんね。ブログの世界でいうと「藤沢数希」さんみたいにしておくと、本名みたいで良かったかもしれない。エッセイだと「岸本葉子」さんや「綿谷りさ」さん、「石田衣良」さんや「北村薫」さんなど、ペンネームにすてきな印象がある。そういうのがよかったな。でも他のペンネームも考えたことがあるけど、実際のところ、finalventで書いてきたからこれでいいかなあとか今回思いました。
 今回本の形式で書いてみてわかったことのひとつは、けっこう自分の人生の整理がついたなあということです。おかげでなんかようやく55歳になった気が少ししました。まあ、この年まで生きられなかった人がいることを思うと、人生を少しずつ整理しないと。
 とはいえ、その、まだ自分は生きているわけなんですが、生きている日々というのはけっこう、日々の問題に対処しているという感じで、しかもそうした渦中にいると、なんだか自分の人生、不運が多いなあ、不幸だよなとか思っていたのですが、本とかにして、ちょっと遠くから見ると、けっこう幸運があったなあという発見はありました。
 で、不運も幸運も偶然だなあと。
 幸運が多そうに見える人も、きっと偶然なんだろうなとも思うようになりました。
 もうちょっというと、幸不幸がけっこう偶然による、というのはロールズのいう「無知のヴェール」に似ているかもしれないとも思いました。これは、社会の構成員が誰であるかを知らずに(ヴェールに覆われているかのように知らない)、利害を調整するという話ですが、「幸不幸はけっこう偶然」と考えると、市民社会というのは、偶然的要素をできるだけ緩和するように形成していかないといけないのだろうなとか。
 
 

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2013.02.19

[書籍]本を書きました。『考える生き方』(finalvent著)

 冗談みたいなんですが、ええと、本を書きました。『考える生き方』(参照)。アマゾンを見ると、明後日、2月21日に発売となっています。

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考える生き方
 自分のところには数日前に見本が来て、「ああ、本になったんだ」と感慨深かったのだけど、いま発売日を確認したら、もう明後日なんだと驚いた次第です。
 内容は、あれです、ネットで嫌われる「自分語り」というやつです。
 なので、ネットでするのもなにかなと本にした……というほどではないのですが、いろいろ考えたのですが、ネットで書くより、本で書いたほうが読んでもらえるような気がしたというのはあります。
 有料プラットフォームcakesで書いている「新しい古典を読む」の書評を続けていても思ったのだけど、cakesもネットではあるけど、有料なので読みたいという人が読むことになります。すると、読む人の数は減ってしまうし、簡単な一言コメントみたいなものも少なくなりますが、その分、深く読まれているという手応えがあり、メディアの違いというものを考えさせられました。
 自分語りをするなら、あまり迷惑にならないように、読みたい人がいたらそこに届けたいという思いが募りました。正直にいうと、その内容のほうを届けたいというのはあります。副題が「空しさを希望に変えるために」となっているけど、そういうあたりです。
 自分語りが嫌われるのは、上から目線というのか、なんかえげつない儲け話や安直な成功への道、これならモテる、みたいなものが多いからではないかなと思います。違うかな。で、私の本はというと、このブログでもいっぱい罵倒コメントをいただくように、私なんて大した人間ではありません。社会的にも成功していません。というか、失敗者です。なので、人生を語ると、つい酔っ払ったおっさんの愚痴というか、負け惜しみみたいな熱が入ってしまいがちで、実際、そうなっちゃたんじゃないかないかという懸念はあります。
 ただ、失敗した人生というか、いろいろ自分なりに頑張ってみたけど、たいしたことなかったなあ、という人生は、ごく普通の人生ではないか、そういう意味で、普通の人生をそれなりに55歳まで過ごした人の思いの、ごく一例みたいな本があってもよいんじゃないかと思いました。
 自分も若い頃、立派な人の本も読んだけど、「この人、ダメで終わったなあ」という爺さんの意見もいろいろ聞いて、意外というか、実際そっちの側の人生を歩んだせいもあり、まあ、参考になることがあったなという思いもありました。
 自分語りで、普通の人が、何が語れるというのでしょう。アレクサンドル・デュマだったか、正確な言葉ではないけど、「人生を振り返ってみると、思い出すのは、結婚した、子どもが生まれた、親が死んだという4つくらいのことだ」というのがあります。それが普通の人の人生だ、というわけでもないでしょうし、おい、それのどこが4つだよ3つじゃないかよ、というのもあるでしょうが、それはさておき、だいたいの人の、成功もしない普通の人が普通に生きても直面する出来事というのがあり、自分が思ったのは、そういうのって成功者というか社会的に華々しい人だとうまく浮かび上がってこないか、浮かんでも妙にドラマチックだったりして、人生の本質的な部分で、なんか違うよなあ、と思ってもいました。実際、自分が書いてみてどうだったかというと、まあ、こんなものになりましたという感じです。
 本であれ、自分語りみたいなものを書こうかと思ったのは、昨年の春ごろだったか、「ああ、今年は55歳になるんだ。一時代前なら定年退職の年だなあ」と思い、「自分の人生なんだったかなあ」と思って、まとめてみたい気がしたのと、10年近くブログ書いてきたけど、そういう部分は自分では書かないできたし、そのわりにジグソーパズルの断片のようには書いてきたので、解答というわけではないけど、ブログでは書かなかったことの側の話をブログの外でまとめて書いてみたい気もしてました。
 「ブログでは書かなかったこと」というタイトルでもよいかなとかも思いましたが、原稿時点で読んだ方から、これって「考える生き方」ですよねということで、この書名になりました。生きるのがつらくて、どうしようもなくて、できたことといえば、考えるくらいなものだし、人間つきつめると、考えることしかできない。まあ、信じるということをしたり、正義を求めて元気になる人もいるみたいなので、それぞれかもしれないけど、自分についていえば、ひたすら考え、学び続けたなという実感はあります。
 表紙が、なかなかすごいです。これ、表紙です。こんなのあり?というものです。デザイナーさんが考えてこうしたもので、自分でも面白いなと思いました。


『考える生き方』(finalvent著)の表紙
これが表紙なんですよ。

 ブロガーで本を書く人も少なくないし、すっかり著作家さんになってしまう人もいます。自分はというと、そういう目論みはないです。少なくとも、現時点ではぐったりして書けない状態ですが、ただ、チャンスとかあったら、書きたいことがないわけでもないので、もしかすると書くかもしれません。cakesの書評ももう少し続けて、ある程度、何かを達成した感じがあるまで続けたいと思っています。ブログを辞めるつもりもありません。まあ、あってもなくてもよいのがブログのいいところです。
 そういえば、自分語りなんて、ネタが自分なんだから、ほいほいと書けるかと思っていたら、全然違いました。自分のことを思い出して書けばいいじゃないかと思っていたら、じりじりと苦痛になってきて、途中、もうだめ、こんな本書けない、と音を上げてしまいました。
 その時点で、本にするという計画が進行していたので、関係されたかたにご迷惑かけたなあ、ごめんなさい状態でした。ちょうどそのころcakesのパーティがあって、それまでほとんど、ブロガーとして人に会うことは避けていたのだけど、まあ、自分を知る人もいないし、こそっと隅っこでネット業界の人の横顔で見てようかなと思ったら、まあ、なんか想定していない人にあって、なんか旧知の間柄みたいな感じで、そういえば、昔パソ通のオフ会ってこんな感じだったかなと思い出し、ま、いろいろあって、気分を新たに執筆再開。
 それもするすると行かなかったけど、なんとか本になりました。書きすぎて削った話もあります。書けばいいってもんじゃないですよね。
 自分なりに思うと、するすると書かなくて良かったとは思っています。
 そんじゃーね。
 
 

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2013.02.18

番外編の番外編『さらば国分寺書店のオババ』

 先日cakesに椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』の書評を書いたが、当初の想定より長い文章になり、前編(参照)と後編(参照)に分けた。それでも当初の想定ではもう一つ個人的な思い入れがあり、それを番外編(参照)とした。
 まあ、そこまで書けばいいではないか、それどころか、すでに余計なことを書きすぎではないか、とも思った。が、同書を読み返し、また同書が出版されたころを想い出し、またこの機にいろいろ調べたせいか、まだ少し思うことが残っている。些細なことなので、書くほどでもないが、書かずにいるとなんとなく心に沈んでくるので、そのあたりの残余みたいな話を、ちょっとブログに書いておきたくなった。
 cakesの書評のほうでは、『さらば国分寺書店のオババ』という本について、冒頭、新潮文庫版を、その書影と合わせて掲げている。編集部への不満という意味は全然ないのでその点誤解されたくないが、原稿では新潮文庫版を指定したわけではなかった。自分の念頭にあったのは、情報センター出版局が出した初版である。違いは判型もだが、書影にあった。


さらば国分寺書店のオババ
スーパーエッセイパート1

 湯村輝彦の絵である。これが書店に平積みされる光景は強烈だった。
 椎名誠の「スーパーエッセイ」や後に昭和軽薄体とも呼ばれる文体は新潮文庫版では味わえるが、この書影の、ある種まばゆい光景は、オリジナル独自のものである。しかも中の挿絵は、いしいひさいちであった。それだけで、80年代の夜明けを、ドーンと示すものだった。これらは他版では失われてしまった。
 椎名の同書が出版されたのは1979年で、翌年、同じく情報センター出版局から湯村輝彦は糸井重里とコンビで『情熱のペンギンごはん』(参照)を出した。このコンビによる、というか糸井重里の処女作といってもよい『さよならペンギン』(参照)のオリジナルが出たのは1976年だが、あの時代の印象としては、これらの情報センター出版局の書籍のビジュアルは湯村を軸としていた印象があった。
 ちなみに、いちいひさいちの傑作『がんばれ!!タブチくん!!』(参照)が出たのも、『さらば国分寺書店のオババ』と同じ、1979年だった。
 cakesの書評を書く際、同書と限らず、自分の蔵書の他に、各版も入手して参照するのだが、版が異なると、表紙や挿絵というのは変わってしまう。書籍というのは、もちろんテキスト(本文)が命ではあるのだが、書籍という物としての出会いにおいては表紙や挿絵といった要素の印象が決定的なこともある。
 類似したことは後書きや文庫の解説などにも言える。各版が存在するとそのおりに著者がちょっとした後書きを追加するのだが、そのなかに、作品の決定的なイメージがさらっと書かれることもある。『さらば国分寺書店のオババ』についていえば、情報センター出版局と新潮文庫版の中間に三五館(参照)があり、後書きは興味深いものだった。なお現状、同書は新潮文庫版は絶版となり、三五館版はまだ絶版となっていない。
 たぶん次回のcakesの書評では五木寛之の『風に吹かれて』を扱う予定だが(というか原稿のベースは書き上がっているが)、あれだけ各社から主に文庫として出版された同書も今となっては絶版が多く、現状、絶版していないと確認できたのはベストセラーズ版(参照)だけのようだった。どこの出版社がこれらの新しい古典を絶版から守っているかというのは、それだけでなかなか興味深い事柄でもあった。
 『さらば国分寺書店のオババ』の「オババ」本人については、cakesの書評でも言及したが、その後どうされているかについても、それなりに調べてみた。公式なとろでは日経新聞2010年7月24日夕刊10面に関連記事があり、その情報では、国分寺を去った後、兵庫県赤穂市のマンションに、日経記事の言葉を借りると「パートナーの女性」、と引っ越したとのことだ。2010年時点の存命についての記載はない。また「パートナーの女性」についての記載もないが、『さらば国分寺書店のオババ』にもある、通称「国分寺書店」の後の陶器店経営の女性なのかもしれないとは思った。なお、同書店のビルは「オババ」の甥に売却したとのことだ。
 この陶器店経営の女性なのだが、今回cakesの書評を書くおり、同書評でも記したが、1977年の「本の雑誌」掲載の同タイトルのエッセイと比較したのだが、この女性の描写部分はだいぶ異なっている。なぜ初出と書籍版で書き換えが必要だったのかは、よくわからない。初出の印象では20代後半のようにも受け取れる。
 「オババ」に甥がいたことは確かだが、お子さんはいらしたか。いらしたようだ。不確かな情報なので、個人的に調べようかとも思ったが、そこまで調べる意味があるのかためらった。
 書籍版の『さらば国分寺書店のオババ』を読むと、椎名とオババの関係は、まるで赤の他人といった印象であるし、実際に赤の他人ではあるのだが、初出エッセイでは、オババの若日頃の写真が掲載されている。渡辺真知子を連想させる若い女性が日傘を差している写真である。ご本人の写真をお借りしているのだろうと想像されるので、1977年時点で、椎名と「オババ」には実は親交があったのだろう。ほか、初出エッセイ冒頭には猫背の老婆の写真があるが、この老婆が誰であるかの説明はない。
 椎名と「オババ」の関わりは『本の雑誌血風録』(参照)にも記されているのだが、こちらの話では、書籍出版にあたり「オババ」と面談したという話になっている。実際とは異なる話ではないかという心証を持った。
 まあ、どうでもいい話ではあるが、自分にしてみると、心を捉えてはなさい話題ではあった。
 
 

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2013.02.17

[書評]捕食者なき世界(ウィリアム・ソウルゼンバーグ)

 先日と似たような切り出しになってしまうが、「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(参照)の書評のおり、同書について「人類はどのように進化し」と書いたが、実は、人類がどのように進化したのかについても同書には書かれていない。

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捕食者なき世界
 全体的として書かれていないわけでもないだが、ホモ・サピエンスの起源については「この人類の祖先がどんな類人猿で、どこに棲んでいたかは、最大の謎であり、その答えは今も捜し求められている。」と、まあ、逃げている。
 「逃げ」というのは、それに対する説がないわけではないが、定説がないのでお茶を濁しているという意味だ。著者が不誠実なわけではなく、むしろ過度に誠実なのだろう。
 ホモ・サピエンスを特徴付ける二足歩行については、同書は一章を割いている。が、これも仔細に読むと要領を得ない。そこで、「結局、ルーシーのような猿人が直立歩行するようになった理由は今もわかっていない。」と書くに留めている。しかたないといえばしかたない。
 ただ同書は、二足歩行なら道具が使えて便利だということで、人類の祖先を「狩り」のイメージで描いていく。このあたりは、事実上の定説とも言えるだろうが、どちらかというと曖昧な常識か思い込みのようなものである。
 関連して重要なのは、ホモ・サピエンスが雑食であることだ。しいていうと、肉食をする。類人猿がなぜ肉食をするのか? 同書では、こう話が続く。

 こうして、非常に重要な進化の連鎖がはじまった――大きな脳は大きなエネルギーを必要とする。それには肉を食べるのが一番だ。確実に肉を手に入れるには、動物を狩ればいい。

 こうした叙述の順序はわからないでもない。ところが、少し考えてみると、これは変だということは、小学生でも気がつく。
 進化の過程で、いったいどのように「狩り」が始まるのだろうか?
 最初から、二足歩行で、狩りの道具をもって走り回る猿人が想定できるだろうか。そんなはずはないだろう。少なくとも最初は、道具はない。では、どうやって、この猿人は狩りをするのか。
 あるいは、道具が出来てから狩りをするようになったのか。「これでネズミを仕留めてやるんだ」とか想像してやりを作ってから狩りに行ったのか。まあ、無理だろう。
 普通に考えたら、ホモ・サピエンスに至る猿人は、ハイエナのように死肉を漁っていたと考えたほうが妥当だ。
 つまり人類の祖先は、ライオンや虎みたいな獰猛な捕食獣と付かず離れず暮らして、その死肉を漁るスカベンジャーだったと仮定したほうがよい。二足歩行も、死肉を争うためにマラソンするのに向いている形態であり、毛が生えてないのも、マラソンの汗で冷却するためだろう。
 そう仮定すると、必然的に、この猿人も食われやすい状況に置かれたことになる。捕食の対象になりやすいのだ。人類の祖先は、それこそ、死肉を食うために、食うか食われるかの状況にいたのだろう。化石からも食われた形跡は出て来ている。人間というのは、食われやすい動物だったから、他の猿人に比べて、多産という性質もあるのだろう。
 そうなのか?
 科学というのは仮説を立てたら、実験してみることだ。というわけで、これをマジでやった話が、前振りが長かったが、本書「捕食者なき世界」(参照)に出てくる。

 一九六八年、野生生物学者ジョージ・シャラーと人類学者ゴードン・ローサーは、アウストラロピテクスは主に死肉をあさって生きていたと仮定し、その検証を試みた。東アフリカの捕食動物がたくさんいるセレンゲティ平原に入り、アウストラロピテクスになったつもりで武器をもたず徒歩で死肉と獲物を探し始めた。

 笑える。この先読むと、腹がよじれる。これこそ科学だ。
 どうだったか。
 実験とはいえ物理学の実験とは異なる。「コンティキ号探検記」(参照)のように実験して感動的な物語になったけど、間違いでした、というのもままある。ここで、え?っていう人いませんよね。
 この死肉漁りの実験、まさに必死の実験で、死肉漁りというのが不可能ではないことがわかった。
 このことから当然ながら、ホモ・サピエンスもまた最初は捕食者ではないことになる。
 同書では触れてないが、おそらく人類の祖先では、死肉漁りから、狩りの原型が出来たと考えるべきだろうし、そうして殺傷性のある道具を手にしてから、ホモ・サピエンスは捕食者の側に回るようになったのだろう。
 で、このホモ・サピエンスという捕食者はそれから地球で何をしたか。
 ご存じのとおり、他の強力な捕食動物を絶滅させてきた。
 それでどうなったのか。
 地球環境が破壊されたのである。
 捕食動物、なかでもその頂点にいる頂点捕食者(Top Predators)は、実際には、その生息環境全体の調整役になっている。それを壊したら、全部壊れてしまう。
 本書は、その実態がわかるまでの科学史、その実態、また反発について、物語風に丹念に描きこんでいる。面白いし、引き込まれる。
 たとえば、狼を絶滅させてしまえば、鹿の天敵はなくなり、結果、鹿は草や樹木の若芽を食い尽くしてその自然環境を破壊してしまう。この連鎖で水源も破壊される。
 すると、こう思う。だとすれば、鹿を適性の数に制限するように狩猟が求められる、という話にもなる(参照)。
 それで済む話ではない。というところが本書の醍醐味で、鹿が狼と共存することで、鹿は狼の存在という恐怖に適した行動を取り、これが環境を保全する効果につながる。つまり、適切に狩猟をすればよいというものでもない。
 じゃあ、狼を再生して野に放てばよいのか。当然、そういう議論も書かれている。単純な答えは出ないが、示唆的な話が多い。
 地球環境破壊というと、現状では、温室効果ガスや、PM2.5など公害などが議論されるが、根幹にあるのは、人類の生存が地球環境に影響を与えたということであり、なぜそのような影響を与えるに至ったかというと、単純な話、人間が増えたからである。
 人間を狩る捕食者がいなくなったので、人間が膨大に増えて、しかもそれが他の頂点捕食者をほぼ絶滅させたからである。
 じゃあ、これから地球や人類はどうするのか、ということになるが、本書はその問いを投げかけて終わる。
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Where the Wild Things Were
 読後、ぼんやり思ったのだが、地球が一種の自律システムなら、人間の捕食というシステムは作動しつつあるのではないだろうか。まあ、それは本書からそれる話題ではあるが。
 なお、オリジナルのタイトルは"Where the Wild Things Were"(参照)ということで、センダックの童話「かいじゅうたちのいるところ」(参照)のシャレになっている。Kindle版もすでに安価に出ているが、邦訳は読みやすいし、オリジナルにない挿絵や写真があって楽しい。
 
 

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