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2013.12.07

特定秘密保護法が6日夜の参議院本会議で可決、その雑感

 特定秘密保護法が6日夜の参議院本会議で可決され、成立した。ごく簡単に言えば、見切り発車の法律となった。
 見切ってよかったのかと言えば、自民党、特に安倍首相はかなり譲歩したし、国内外から批判されていた問題点の多くも修正されたので、ここで廃案にするデメリットとメリットをバランスして見れば、しかたがなかったかという苦々しい思いはある。
 日程的に押していたのは、本法案と両輪になる日本版NSCである国家安全保障会議の効果的な運用ということがあった。逆に言えば、この法案の阻止は日本版NSCの弱化に繋がり、現時点で日本の外交・軍事弱化のメッセージを出せば、そうでなくても日本のメディアなどから発信される混乱した日本の外交・軍事情報で中韓などが勘違いした攻勢に繰り出しているなか、さらなる混乱を招きかねない。
 もう一つ日程を押していたのは、来年度の税制改正や予算編成作業だった。消費税増税によって、経済の悪化が想定されることから、各種の対応が求められる。
 今回の特定秘密保護法で可決ではいろいろな意見もあったが、タメの議論も多かった。例えば、総理が40万件とも言われる特定秘密を点検することは現実問題として不可能だといった指摘だが、9割がたは地図情報なのでその問題設定は本質的ではない。「拡大解釈」も危険視されたが、そこで重要なのは、戦前との比較といった拡大解釈の物語ではなく、現実的な現在のチェック機構のほうだった。国外からも人権の点での指摘があったが対象とされる諸点は土壇場で修正を受けている過程だったので、報道側ではもう少し整理も必要だっただろう。
 現時点で重要なのは、発車前にどたばたと口約束された、なかでも「情報保全監察室」の扱いである。
 菅官房長官は5日の参議院特別委員会で、「法律の施行までに内閣府に20人規模の『情報保全監察室』を設置して業務を開始したい。必要な場合は立法により、できる限り『情報保全監察室』を『局』に格上げすることを約束する」と述べたが、現状では「必要な場合は立法」という口約束だが、これを(1)法改正に盛り込み、また、(2)同室の独立性を高めて行政から分離できれば、とりあず及第点ではないかと私は思う。
 この後者の点についても、菅官房長官は「法案の付則に盛り込まれた独立した公正な立場で検証し、監察できる新たな機関は、法的にも高度の独立性を備えた機関であるべきだと考えている。実際の業務遂行の在り方などを検証しつつ、『内閣府設置法』などの改正の検討を進めていきたい」と述べ、全体としての方向性の認識は正しく示されている。が、機構的には内閣府内に設置されることになりそうなので、大きな課題を残したことになった。
 それにしても、みんなの党に押され、土壇場でチェック機構が出て来たのは、当初はそれだけずさんな法案だったことが否めない。ただし、土壇場の経緯を見ると、安倍首相はこの欠陥を予期していたようにも見受けられた。今回の法案は「強行採決」という批判もあったが、そもそも現自公体制なら、往事の民主党政権のように最初から議論もせず文字どおり「強行採決」させることもできた。むしろ、安倍首相はそれを避け、みんなの党を中心に野党や国外の批判を吸収したがゆえに、土壇場の修正となった。
 むしろ、ずさんさの根は、自民党と官僚機構のなかにあったのかもしれない。
 一連の経緯で私が一番残念だったのは、民主党の海江田万里代表が「天下の悪法が衆院を通過してしまった。全くの暴挙であり、参院の努力で廃案に追い込もう」と述べたことだった。もともと民主党政権時に蒔いた法案であり、政権政党まで担った民主党が、この法案の重要性を理解できないわけがなく、そうであれば、土壇場を前倒しにしてチェック機構を法案に盛り込む提言を積極的にすべきだった。しかし、海江田代表の頭にあったのは、「廃案に追い込もう」ということだった。落胆した。現下の政治風景でなにが残念かといえば、現政権がこけたとき、金融・経済政策と外交・軍事政策をきちんと堅持できる代替政治勢力が見当たらないことである。
 もう一つ余談めくが、知識人の頽落した光景にも溜息が出た。そんなものは1980年代の反核騒動で経験済みと言えないこともないが、むしろ、それ以降に登場した、オールタナティヴな知性が今回の件で、ばたばたと屈していく光景を見た。洒落た諧謔や、中立的な冷静な視点で議論を展開していたオールタナティヴな知性が、たとえば反自民ならなんでもいいといった素朴な政治構図に落ちていく様を見るのは、なんとも言いがたいものだった。

 ちなみにチェックの4機構をまとめておく。ソースはNHK報道である(参照)。

「情報保全諮問会議」
 政府が「特定秘密」の指定や解除、それに「特定秘密」を取り扱う公務員らに対して行う「適性評価」の統一基準の策定にあたって、有識者から意見を聴く会議。
 メンバーは、情報保護、情報公開、公文書管理、報道、法律の各分野の専門家。彼らは、政府が「特定秘密」の統一基準を策定したり変更したりする際に意見を述べる。また、「特定秘密」の指定や解除などの状況について、年一回、総理大臣から報告を受け、総理大臣が国会に「特定秘密」の実施状況を報告する際に意見を述べる。ただし、メンバーには、個別の特定秘密の内容を知る権限は与えられない。

「保全監視委員会」
 米国務省や国防総省などの代表者で作る「省庁間上訴委員会」に相当する機関。
 総理大臣が「特定秘密」の指定や解除などの状況をチェックする役割を補佐する。具体的には、定期的に会合を開き、大臣など各行政機関の長が行う「特定秘密」の指定や解除の状況、有効期間の設定や延長、特定秘密を取り扱う公務員らに対して行う「適性検査」の実施状況をチェックしたうえで、総理大臣が「情報保全諮問会議」や国会に毎年提出する報告書を作成する
 メンバーは、内閣情報官に加え、外務省と防衛省の事務次官や警察庁と公安調査庁の長官らが想定されている。

「独立公文書管理監」
 米国国立公文書館の下「情報保全監察局」に相当する機関。
 特定秘密文書の廃棄の可否を判断するほか、特定秘密の指定期限を過ぎた文書が国立公文書館に適切に移管されているかなど、文書の保存や管理の状況をチェックする。
 この機関には個別の特定秘密の内容を知る権限を与えられ、適切な運用を行っていない行政機関の長に対しては、是正を勧告することもできる。

「情報保全監察室」
 「保全監視委員会」とは別に「特定秘密」の指定の妥当性などをチェックする。具体的な内容については未定だが、原則としては「ツワネ原則」に準じるものになればよいだろう。
 
 

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2013.12.05

なぜ「パラシュート」というのか知ってますか?

 先日「シェルブールの雨傘」の話を書いた(参照)。原題はそのままフランス語で「Les Parapluies de Cherbourg」である。つまり、「雨傘」は"Parapluie"である。ではなぜ、ここで「雨傘」なのか。別の言い方すると、なぜ「傘」じゃないのか?
 「シェルブールの傘」でなにか不都合でも? というほどでもないが、思うに、案外単純に"Parapluie"を訳したのかもしれない。というのは、"Parapluie"は、"Para" + "pluie"であり、"pluie"は「雨」だからだ。ちなみに、この日のピンズラーのレッスンでシェルブールは雨が多いというのが出て来た。雨は多いのだろう。ちなみにこの地は、原潜でも有名。
 どうにもつまらない話をしているようだが、じゃあ、"Para"のほうはどういう意味かというと、さて。いや、当たり前すぎて考えたことがなかったのだが、ギリシア語の"παρά"、つまり、"paradox"の"παρά"と同じで、「越える」というふうに理解していた。雨を越えるから、"Parapluie"は「雨傘」なのでは、と。
 あれ? そうか?
 ギリシア語の接頭辞が直接フランス語に付くわけがないから、ラテン語を経由はしているだろうが、なんか変だなと思って辞書にあたって、気がついた。ちょっと、違う。
 その前にちょっと話を戻すと、フランス語の"Parapluie"で連想されるのは、"Parasol"である。"Parasol"つまり、"Para" + "sol"で、"sol"で、"Soleil"、「日差し(太陽)」から来ていて、"Parapluie"と同じ構成の言葉だ。つまり、"Para"は「避ける」「遮る」というふうに連想はされる(後述するが実際は違う)。
 ここでさらに連想されるのが、「パラシュート」だった。"Parachute"である。字面を見ると、これはどうにもフランス語が英語に入った外来語である。とすると、"Parachute"は"Para" + "chute"で、その"chute"はというと、英語にもあって「滑り台」である。普通の英語だと"slide"だろうとは思うが。で、"chute"のフランス語の意味は、「落下」である。つまり、"Parapluie"や"Parasol"の"Para"と同じだとすると、「落下」を「遮る」わけである。
 あー、なるほど、たしかに、パラシュートは落下を遮っているわけだ。
 というわたりで、これらの"Para"を調べ直したら、イタリア語の"para"でさらにラテン語の"parāre"らしい。つまり、英語だと"Prepare"に近いらしい。とはいえ、印欧語のレベルまでいけば、"παρά"と同語根にはなるかもしれない。
 ということは、この"Para"は「避ける」「遮る」ではなくて、「備える」ということになる。とんだ勘違いをしていた。
 つまり、雨傘が雨に備え、日傘が陽光に備え、パラシュートが落下に備えるわけである。
 というあたりで、言葉をいじくるほかに、ちょうど「パラシュート」で考えたのだが、「雨傘」にしても「日傘」にしても、人間がある時期作り出したものである。が、「傘」の起源はというとややこしい。対して「パラシュート」くらいは起源が探れるだろうと調べてみると、そういうものは誰でも考えそうなものだから、ごちゃごちゃとした議論がある。とりあえず"Parachute"という言葉に沿ってみると、意外にもあっさりわかった。ジャン=ピエール・フランソワ・ブランシャール(Jean-Pierre François Blanchard: 1753-1809)である。
 ブランシャールは気球の発明者ではないが、気球乗りとして有名で、ようするに「パラシュート」は、彼の気球人生の一環として発明されたわけである。
 と、ここで、ちょっとウィキペディアに当たってみると、ルイ=セバスティアン・ルノルマン(Louis-Sébastien Lenormand: 1757-1837)がパラシュートの発明・命名であるかのようにも書かれていた。そうかもしれない。
 ちなみに、気球を発明したのは、モンゴルフィエ(Montgolfier)兄弟で、公式には、1783年のアノネーでの飛行らしい。ベルサイユ宮殿でルイ16世やマリー・アントワネットの前でも実演した。こうしてみると、熱気球というのは、その後のフランス革命を支える理神教(参照)の先駆的顕現という意味合いもあったのではないか。
 ブランシャールは1785年にはドーヴァー海峡の横断しているので、当時は、いわば後の飛行機技術ブームを先駆したような状態でもあったのだろう。パラシュートもそうした「技術」のなかで人の知られるところになったのだろう。
 なお、現在のパラシュートは空軍の要請でできたようで、第二次大戦にはよく活用された。その間のパラシュートについては今一つわからないが、なんかのおりにまず熱気球史でも読んでみるかな。
 
 

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2013.12.04

ネイティブ発想という英語の難しさ

 先日、応用言語学者でまた独自の語学教育法を開発したポール・ピンズラーとその著書「外国語の学習法」の話をしたが(参照)、その中で、米人はフランス語の発音を奇妙に思う、ということに加えて、その文法も奇妙に思うらしいといった話があった。
 米人にはフランス語は、いろいろひっかかる点があるらしい。例えば、目的語の扱いもある。"Je les lui ai lus."みたいな構文である。
 確かに、なぜフランス語がこうなるのかは気になる。基本、フランス語というのはラテン語が崩れて出来たようなロマンス語なのだから、ラテン語にそうした根があるのかというと、自分が知る限りでは、冠詞の問題と同じように、そうでもない。まあ、それはさておき。
 米人にとって英語はシンプルであっても、他言語の国民からすると、英語もけっこう難しい。しかも英語の難しさは、その表層面からはわからないところがある。どうしてこうなっているのだろうかと、いろいろ考えさせる。なのでつい、考えてみたくなるものだ。

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英会話イメージリンク習得法
英会話教室に行く前に身につけて
おきたいネイティブ発想
 そんな関連もあったりして、このところ、ピンズラー方式の語学などの雑文を書いていたら、勧められた本がある。「英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想」(参照)である。一読してみた。ネイティブ発想という点から英語を考えたらこうなるんだろうなと、いろいろ共感するところがあった。
 同書の内容は、同書の参考書一覧にもあるが「一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法」(参照)とも重なる部分があるように思えた。また、同書での言及はないが、以前も言及した「文法がわかれば英語はわかる!―NHK新感覚・わかる使える英文法」(参照)などの内容とも重なる点はあるように思える。
 つまり、いわゆる学校文法からは見えづらい、英語独特の難しさが、よく考察されている。同書については数学科のかたが書かれたものだが、数学的な思考からは、こうした不定形にも思える英語の難しさは気になるところだろう。
 関連してちょっと脱線してみたい。
 同書のなかで、「英語は単語を並べていくことで流れをコントロールしています」として。"I want you to go the supermarket."という例文を使って、その意味と単語の流れを説明しているが、確かに、一見やさしそうに見えるこうした構文が意外と難しいものだ。
 ちょっと思いつく例を上げてみたい。
 次の文は、不自然な英語かもしれないけど、同構造のように見える。誰かに対して、何か動作を不定詞で示すというものである。

 (a) I wanted you to go the supermarket.
 (b) I expected you to go the supermarket.
 (c) I persuaded you to go the supermarket.

 これらに対して、Whatを使ってリライトすると、少し不自然だが、文法的には、たぶん、こうなるだろう。

 (a') ?What I wanted you was to go to the supermarket. ( ?What I wanted was for you to ...)
 (b') What I expected was for you to go to the supermarket.
 (c') What I persuaded of was for you to go the supermarket.

 aは、that節でリライトできないかもしれないが、bとcは可能なので、あえてやってみると、たぶん、こうなるだろう。

 (b'') I expected that you would go the supermarket.
 (c'') I persuaded you that you would go the supermarket.

 上の3例を見ていくと、これらの差は表面下の構造を暗示しているか、不定詞が代表する文内容の扱い方の差違によるものだろう。
 まあ、どうでもいいような話だが、たぶん、「ネイティブ発想」では、こうした表面の下にある構造は暗黙に理解されているというか、一見、同構造に見える文章の動詞の働きは異なるものして理解されていて、場合によっては、同一構造になることもあるということなのではないだろうか。
 こうしたネイティブ発想の部分というのは、日本語を介して、日本語として理解すると、日本語の文章として了解されるので、もはや問題としては浮かび上がってこなくなる。
 先ほど「どうでもいいような話」としたが、通常、日本人が英語を勉強する際には問題とはならない。
 ここで視点を変えると、またこの例題を使うと、"that you he would go the supermarket"という、フランス語では接続法的な内容が、米人ネイティブの頭のなかには先行してあって、それが、非接続法的的な構文のなかに現れるという経路を無意識にたどっているのだろうとは推測される。
 ちょっとわかりづらい言い方になってので、具体例で言うなら、persuadeという動詞は、接続法的な内容を、まず"of"で受けるが、"I persuaded you to go the supermarket."というときには、不定詞との関係から、"of"が消されているのだろうか。つまり、ネイティブ発想では、persuadeには、まずその接続法的な内容が、"of"をマーカーとしているという文法意識が伴っているに違いない。
 それにしてもいったいどうして、表層から見えないこうした文法をネイティブは修得しているのかというと、おそらく、ちょっと古風な言い回しだが、"How can I persuade you of my sincerity!"みたいな別のもっとオバートな構文を、構成上先行して文法意識化するからだろう。
 こうした問題は、構文論や文法論というより、動詞の意味に含意されるものかもしれない。が、まさにそれゆえに、日本人からは、翻訳された意味で打ち消されて見えてこないだろう。ちなみに、その影響で、"*I'd be delighted to accompany with you."とか言いそうになる。
 まあ、以上は、私の勘違いかもしれないし、フランス語学んでわかってきたのだけど、こうした英語構文のビヘイビアというのは、英語特有の歴史的な背景もあるのかもしれない。
 とか思うのは、フランス語の不定詞と前置詞の関係は、英語ほどシンプルではないし、考えてみると、英語の不定詞のシンプルさはちょっと無理があるかもしれないとも思うからだ。
 
 

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2013.12.03

映画「シェルブールの雨傘」のこと

 10年ほど前、「はてなダイアラー映画百選」という趣向で、お勧めの映画として「シェルブールの雨傘」のことを書いたことがある。最近、ツイッターで数度、この映画の話題があった。今年になってデジタル修復完全版が作られ、第66回カンヌ国際映画祭のカンヌ・クラシックスで上映されたらしい。自分も懐かしく思い出したので、わずかに手は入れたが、ブログに再掲しておきたくなった。

「シェルブールの雨傘」(Les Parapluies de Cherbourg)

【基本情報】
 1963年フランス、91分、ミュージカル
 監督・脚本: ジャック・ドゥミ(Jacques Demy )
 音楽: ミシェル・ルグラン(Michel Legrand )
 出演: カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)ジェヌビエーブ役、ニーノ・カステルヌオーヴォ(Nino Castelnuovo)ギー役

 

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シェルブールの雨傘
デジタルリマスター
  あらすじ:フランス北西、イギリス海峡に面する港町シェルブールの雨傘屋の16歳の娘ジェヌビエーブには、20歳の恋人ギーがいた。1957年のある日、ギーに召集令状が来きて出征するのだが、その前の晩、これが最後の別れかもということで一発やりまくる。そのシーンは映画には出てこない。後に彼女は妊娠したことを知る。ギーからの連絡がなく戦死したのではと不安な気持ちで待ち続けながらも、母親の勧めもあって、宝石商のオヤジ、カサールと結婚。このオヤジもけっこうかっこいいし、ワケアリ娘というのも了解の上。それから数年後、ギーは戦争で負傷してフランスに帰還した。が、雨傘屋にジェヌビエーブはいない。ぁぁ♪、人の妻ぁ♪、つうことで、他の娘と結婚し子供もできた。数年が経った1963年のある冬の夜、ジェヌビエーブは、偶然にギーと出会う。短い会話だけして、永遠に別れていく。それだけの、話。

 finalvent口上:まさか私に「はてなダイアラー映画百選」が回ってくるとは予想だにしていなかった。ちょっとしたBombです。「スターウォーズ ジェダイの復讐」から来たので、こりゃ、私の大好きな「フラッシュゴードン」と行きたいところだが、ちょっくらマジこいて、4月から47歳(当時)ってことにしたオヤジだから、ちょっとオヤジ風吹かせて、「シェルブールの雨傘」を薦めてみたい。

 どんな映画か:この映画を青春時代に見て懐かしいっていうオヤジは私より5歳から10歳年上だろう。全共闘世代か。あるいは私と同世代(昭和32年生まれ)。どの時代の思春期でもちょっと背伸びして上の世代のカルチャーを覗き見るもの。「シェルブールの雨傘」はまさに、思春期の私が、大人の世界ってこういうものかと思った作品だった。実際、大人になってみると、それは、確かに大人の世界そのもの。この映画を、何度見たことか。見るたびに、青春っていうものの痛みがうずく。

 「シェルブールの雨傘」がフランスで作成されたのは1963年。日本では翌年昭和39年10月公開。東京オリンピックと同じ時期だ。同年には、オードリ・ヘップバーンの「マイ・フェア・レディ」が公開される。英派がオードリ、仏派がドヌーヴか、と。時代は、最初の戦後生まれの世代が青春を向かえたころ。私は小学校1年生。この映画を見たのは中学生の時。とある高校の文化祭に忍び込んで、見た。その後の感動の夕暮れの世界の記憶は今も生々しい。思い返すと、今でも思春期の少年のような気持ちになる、が、あの頃ほどわけもなくチンコが勃って困る歳でもない。

 話はあらすじのとおりで、なんのヒネリもあったもんじゃない。娘の心境の変化っていうのもだし、「なぜここでオヤジに転ぶんだよぉ」と若い日にはツッコミたくなるくらい。だが、ハイティーンの娘と限らず、若い女性の心というものは、そーゆーものなのだ、と知るのは、自分がオヤジになってからだった。今にして思うと、宝石商の若オヤジの気持ちのほうがわかる。待ってくれてるとのアテが外れた青年のほうの心境は、たぶん、いずれ、ほとんどの青年が味わうことになるものなのだ、と言いたいところだが、今時は30代前半の男でも若者みたいにナンパとかやってっからなぁ。オメーらいつまで思春期だよ、とも思うが、青春の痛みをホントに引き受けることができなけりゃ、オヤジにはなれないし、子供を育てることなんかできないもんよ。

 現代は恋愛の過剰流動性ってなシャレを言う知識人もいるが、今の若い人たちは恋人を取っ換え引っ換えしているのだろうか。私にはわからないな。私は、自分の恋人だったと思える人を数えるのに片手で足りるが、少ないとも思わない。その時、本当にその人が好きだったという気持ちと、それが破れていって、人生ってそういうものだと諦める気持ちと、それにまたあの頃は、いくら好きでもそのままやって行けっこなかったんだと納得するようになる気持ちが、なんかさ、人生っていうのを、暴風のように通り過ぎていった。

 そして30歳過ぎた頃には自分の周りは、ばたばた、離婚し始めたもんだったな。恋愛沙汰なんざ、若い時やっておかなきゃ、人生の半ばでやることになるんじゃないのか。とも言えないか。それでも、そうした何かが、「シェルブールの雨傘」にシンプルに表現されていて、その核心を突く。強さに、驚く。

 この映画は、全編ミュージカル。今時の映画にはあり得ない90分という作品でもある。「渡る世間は鬼ばかり」特番より短いかもしれないのだから、騙されたと思って見てご覧なさい。

 できたら、誰もいない一人だけのクリスマスイブに見るといいとも思う。もしかすると、身体のなかの涙を全部掃き出せるかもしれない。

 主役のカトリーヌ・ドヌーヴは、この作品で国際的に有名になった。時代感覚もあるのかもしれないが、この映画のドヌーヴの美しさはそら恐ろしいほど。ちょっとキンク(変態)な雰囲気もある。この年、彼女はド・サドの古典「悪徳の栄え」(Vice and Virtue)にも出演しているが、この映画は私は見ていない。ナスターシャ・キンスキーのB級映画時代のような面白みがあるのか疑問でもあるが、こういうお趣味に答えるべくっていうか、1967年には「昼顔」(Bell De Jour)に出演していた。こっちは見た。

 古典的西洋のお変態っていうのはけっこう爆笑できるので、その意味ではお薦めかも。逆にそのお趣味の人は見ないほうがいいかも。おフランスのお変態はけっこうヤキが入っているので予言しておくが杉本彩なんかもフランスで受けると思う。

 話をドヌーヴに戻して、これもお変態ものとも言えるのだが、私生活でも共にしたマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)との共演シリーズの頂点「ひきしお」(Melampo)も面白い。「シェルブールの雨傘」が青春の痛みだとすると、こっちのほうは中年の性がらみの恋愛っていうか、汚れっちまった悲しみの趣がある。これって、現在の30代の女性でも楽しめるのではないか。

 音楽は、ミシェル・ルグラン。もう彼の解説は要らんでしょう。「シェルブールの雨傘」の主題歌のメロディは一度聞いたら忘れませんって。今でもあっちこっちで流れてくるアレだ。この主旋律はCをキーにするとEの半音ずれで始まるという不安定なものだが、主題はまるでバロック時代の音楽のように数学的に展開されている。きれいすぎるよ。

 監督ジャック・ドゥミは、日本に「シェルブールの雨傘」のファンが多いせいか、映画「ベルサイユのばら」(LADY OSCAR)に狩り出されて駄作も作った。人のいい人。色彩や言葉の感覚はいい。

 さて、歴史のことも。この映画の背景になったアルジェリア戦争に触れないわけにはいかない。「シェルブールの雨傘」は、フランス人にとって、戦争の映画でもある。

 フランスの地中海を挟んで対岸のアルジェリアはかつてフランスの植民地だった。ジュリア集合のガストン・ジュリアやノーベル賞作家アルベール・カミュなど、アルジェリアの生れ。アルジェリアは、フランスの支配から独立するために、1954年から8年間に渡って独立戦争をした。「シェルブールの雨傘」の物語が始まるのは1957年である。

 アルジェリア各地で解放区ができた。1958年には戦争は頂点に達し、アルジェリア側武装勢力13万人にフランスは80万人の兵を投入。あっけなくアルジェリアが敗れそうなものだが、混乱は続いた。世界歴史は植民地の廃絶に向かっていた時代。エジプトのカイロにアルジェリア共和国臨時政府が成立し、社会主義国やエジプトなどアラブ諸国の承認を獲得。

 思えばこのころ、エジプトはアラブ世界の盟主のような存在だった(ソ連は軍事的にもアルジェリアに荷担していた)。だからイスラエルとも戦争したのだが。こうした中、フランス側での混乱を収拾すべく、58年に現代フランスにつながるドゴールの第五共和政が現れた。かくして1962年、エビアンで、アルジェリア戦争和平協定が実現し、アルジェリアでは国民投票(今回台湾でやったの同じようなreferendumだ)によって独立した。ギーが負傷兵として1959年に帰還。ジェヌビエーブと再開したのは、1963年。

Guy :Je crois que tu peux partir.
Geneviève :Toi, tu vas bien ?
Guy :Oui, très bien.

 

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2013.12.02

[書評]外国語の学習法(ポール・ピンズラー)

 先日、ピンズラー方式のフランス語学習のフェーズ2を終え、ちょっと気分に一段落付けるつもりで、ピンズラー方式の外国語学習法を開発した、ポール・ピンズラー自身による「外国語の学習法」(参照・英語版)を読んでみた。

cover
How to Learn
a Foreign Language
Paul Pimsleur Ph.D.
 実はフェーズ4まで終えたら読んでみようかなと思ってはいた。が、自分はそこまでできるんだろうかという不安と、ここでもう一度、ピンズラー方式によるフランス語学習の動機向上になればいいかなという思いもあった。読んだのは原書のキンドル版「How to Learn a Foreign Language」(参照)である。ハードカバーでも160ページほどの小冊子でもあり、平易な英語で書かれているので読みやすい。
 読み始めたら、止まらない。面白い。語学学習法についての書籍はこれまでもそれなりに読んできたし、なんどか書いてもいるが大学・大学院時代、英語や外国語の学習法についての理論なども学んできたが、それらに比べても、ピンズラーが断トツにすごいと思った。
 こう言っていいのかわからないが、ポール・ピンズラー自身の肉声というか、人柄というか、人間らしさがとてもよく出ている。しかも類書にありがちなうさんくさい誇張や偽装した科学性みたいなものが、存外に少ない(理論は当然古くさいが)。この本、そもそもピンズラー方式教材のパンフレットじゃないかと思っていたのだった。もちろん、そういう側面もある。だが、それほどでもない。むしろ、これ知らないで外国語学ぶのは遠回りだなあと思えたほどだった。
 ピンズラー方式について勘違いしていたな、ということもあった。私は、ピンズラー方式というのは、けっこう古くさい語学学習法だと思っていた。いや、それが間違いだというほどでもない。なにせポール・ピンズラーは1927年生まれ。私の死んだ父親と一歳違いくらいである(自分の父親の世代だったか)。
 当然、戦争の時代を経験した人だし、教授法(メソッド)としては古い面もあって当然。本書も、ピンズラー方式の50周年記念として再版されたものだった。半世紀前の語学学習法が、現代より優れているわけはないと思い込んでいた。
 だが、この復刻は今年の10月。長く忘れられて、ようやく今年になって、ピンズラーが再発見されたという意味合いもありそうだ。改訂にあたってはその面も配慮されている。
 ピンズラーは不運な人でもあった。早世だったのである。48歳で。1976年のことだ。まだ50歳にもなっていなかったし、初版の序からもわかるが、本書も彼が生前出版したものではなかった。ピンズラーは博士号を持っていることからわかるように論文も共著もあるが、単著はこれ一冊のようだ。
 編者には、ピンズラーがフランスで客死して数年後、未亡人から原稿を渡されたとある。それ以上のことはよくわからない。
 冒頭読み出すと、話は面白いのだが、書き込みが足りないという印象の話題もある。私の印象にすぎないが、本書はまだ草稿段階だったのではないだろうか。ただ、逆に彼の思い入れの部分は、ほとばしるように書かれている。
 ピンズラー方式の確立は、50周年ということからわかるように、50年前である。当たり前だが、最初の語学教材がそのころ出来た。それは、私はピンズラー自身が一番親しんでいた外国語であるフランス語だろうと思っていたが、違っていた。ギリシア語だった。
 本書を読んでいて、ああと溜息をついてしまったのだが、ピンズラーがこのメソッドを確立した背景には、例のスプートニク・ショックがあった。この話は以前もちょっとしたと思うし長くなるので割愛するが、私が生まれた年、ソ連が人工衛星を米国に先んじて打ち上げたことで、米国はショックを受け、教育の大改革が進められた。ピンズラーもその改革の先端にいたのだった。
 そこでピンズラーは、もっとも優れた外国学習法を科学的に提出してみせなければならなくなった。彼は、米国人が馴染んでいない種類の外国語が向いているだろうと考えた。選んだのはギリシア語である。現代ギリシア語。
 彼自身もその時点でそれほど現代ギリシア語に堪能だったというわけでもなさそうだし、この新教材の開発は、彼の妻ビバリーと一緒になされたようだ。ビバリーは被験者の意味合いもあったのだろう。1962年に夫妻は半年ほどギリシャで暮らして、教材を翌年に完成させた。ピンズラー方式の誕生である。音声テープだけで自習できる語学教材の誕生である。翌年、フランス語。さらに1966年にスペイン語。その翌年にドイツ語。さらにアフリカのトウィ語の教材を1971年に作った。そこで彼の人生は終わってしまった。
 知らなかったのだが、その後に続くのは、1982年のヘブライ語だった。10年のブランクがある。ピンズラーの死によってピンズラー方式は事実上、終息していたに等しかった時代があったのだろう。ビバリーの尽力はあるにせよ、他に誰が、これに息を吹き込んだのかは、この書籍からはよくわからない。
 1984年にロシア語ができる。ロシア語については、本書にも彼の思い入れが書かれている。どうやら祖先にロシア人がいるらしく、また彼自身のメンタリーティにスラビックなものも感じていたらしかった。
 教材史のその後は、1990年と飛び、そこからは毎年新しい教材が作成されるようになった。意外だったのが日本語教材が出来たのは1995年のことだった。つまり、ピンズラー方式で日本語を学ぶ人は1995年まではいなかったことになる。
 1990年以降の変化はESL教材にも現れている。ESLというのは、基本、米国に移民した外国人向けに英語を教える教材である。1991年にスペイン語、1994年に日本語ができている。現在、ユーキャンとかで販売されている、日本人向けピンズラー方式の英語教材はこれであろうか? いずれにせよ、その後も増えている。なお、ESLはピンズラー方式以外にもいろいろあり、まあ、私は思うのだけど、日本人も英語を学ぶならESL教材を使ったほうがよいと思う。
 本書の内容に目を向けると、まず考えさせられるのが、易しい外国語と難しい外国語という区分の議論である。当たり前といえば当たり前なのだが、こういう議論を学問的なフレームワークで見るのは初めてだった。結論から言えば、米国人にとって一番修得しやすい外国語はフランス語である。次にドイツ語。特にフランス語の場合は、語学が向上するにつれ知的用語の共通性が生きてくる。意外なのは、仏独に次ぐのがインドネシア語だった。これはわかるなと思った。
 バリ島に半月ほど知人とメード付きコテージを借りて過ごしたことがある。メードさんやお世話してくれる現地の人とたどたどしく英語で会話するのだが、彼らも善意なのか。暇もあるんだろうし、一種のエンタイメントでもあるのだろうが、インドネシア語を教えてくれるのである。ふーんと思って付き合っていて、ついでに通りの本屋でインドネシア語の入門書と字引を買ってきた。
 特にすることないときは、それを読んだりしたのだが、旅の終わりのころは、なんか自分が簡単なインドネシア語会話をしていた。それからしばらく日本に戻っても、インターネットのIRCでマレーシアの人とかとインドネシア語と英語まじりでチャットしていたことがある。現在ではすっかりインドネシア語は忘れてしまったが、なんとも不思議な体験だった。
 不思議でない分もある。知人(米人)も似たようにその間、インドネシア語ある程度修得してしまったが、いわく、この言語文法がないよ、と。英語をそのまま置き変えれば通じる。実際、そうだった。気になって、現地の人の発話も聞いていると、どうも文法は不安定に聞こえる。理由はたぶん、インドネシア語が彼らの母語ではなく、彼らも外国語として使っているからだろう。そういうクレオール的な使い方が定着しているようだった。さらにその後のことだが、どのようにインドネシア語が構成されたかも知ってうなずけた。もっとも、テレビニュースや大学で利用されているインドネシア語はもっと洗練されているだろうと思う。
 ピンズラーは本書で、米国人にとって難しい外国語を四つのグループに分けるのだが、その最難関グループにいるのが日本語である。他に中国語と韓国語。あはは、仲良しである。あとアラビア語。逆に言えば、日本人にとって学びやすいのは、韓国語や中国語という議論も成り立ちそうだ。いずれにせよ、日本人が英語を学ぶのは難しくて当然なのだろう。
 他には標題どおり「外国語の学習法」の原理もいくつか出てくる。外国語を発音、文法、語彙という三つにわけて、それぞれに議論している。ピンズラーは、この区分で一番難しいのは語彙だとしている。厳密に読むと、語彙といより、語用と言ったほうがいいかもしれないし、実質文法も含んでいる。
 発音の学習では、ピンズラー方式の面目躍如なのだが、文字を見せるなということが徹底されている。読みながら気がついたのだが、米国人がフランス語の文章を見ると、発音が修得できなくなってしまうのだろう。フランス語が堪能だったピンズラー自身もその母音の習得には苦労した話もある。話がずっこけるが、米人向けフランス語学習教材をいくつか買って見ると、特に観光向けのフレーズ集では、米人向けの「ふりがな」がふってある。これが実に異様で醜い。これは見ちゃだめだと思う。まず、発音ができてからでないと文字は見るべきもんじゃないな。また、文字を書かなければ素早い応答ができるし、その分、語学学習が濃くなる。もっとも、これは彼も指摘しているけど、ごく初期の段階のことではあるけど。
 文法については、例文主義という感じで議論されている。これもうなずける。さらに語彙との関連では、一種フレーズ主義とでもいえそうな視点か出てくる。このあたりは、実際にピンズラー方式で学んでいると、しごくなるほどと了解する。
 本書の圧巻は、外国語語彙の学習法である。ピンズラー自身、語学の本質をそこに見ていたようだ。彼は「有機的学習」と名付けているが、文法や語彙を、それが活用される有機的(生物的)な状況のなかで、教え・学べ、としている。
 簡単なようだがここがキモだな。具体例としてわかりやすいは、動詞の活用法など表のようにして教えるのはやめなさい、というあたりだ。動詞の活用が必要なシーンの会話やフレーズのなかでなんども練習させろというのである。
 他にもいろいろ思うことがあったので語学に関心ある人は読んでみるといいと思う。もっとも、そんなことは知っていたとか言いそうではあるなあ、語学好きな人の性向として。よくわからないが、日本で語学が得意な人は偏屈な人が多いような印象がある。というか、そういう人には、ピンズラー方式は向かないだろうな。
 ピンズラー方式で学び、またその背景の理論なりを知ると、これは自分が語学ができない理由も自分なりによくわかった。もっと早期に対応できたらよかったが、実質このメソッドが応用できるようになったのは、10年くらい前から。
 そして、このメソッドが実際に日本人の英語教育などに応用されるということもなさそうだ。というのも、日本の英語教育など、「日本」を冠する日本の知的分野は、今後もどれもなんの進歩もなさそうに思えるからだ。
 
 

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2013.12.01

特定秘密保護法案衆院通過についてのNew York Times記事

 New YorkTimes は11月29日に「秘密保護法案で日本は戦後平和主義から離れるだろう」という記事を掲載しました(参照)。さきほどブログ「内田樹の研究室」(参照)でも見かけましたけれど、米国の一部でこの話題がどう伝わっているか、ここでも訳出しておきました。やや荒っぽい翻訳ですけれど、飯前の暇つぶしでやったので、ご容赦ください。内容については、「特定秘密の保護に関する法律案Q&A」(参照)などとも参考にするとよいでしょう。
 では。どうぞ。

 東京 - 怒りに満ちた街頭抗議と終末論的な主要紙社説を払いのけ、保守的な日本の首相・安倍晋三が、秘密保護法を制定することは、日本の戦後平和主義を押し戻すための立法議案の初項目の一つを達成するかのようだ。
 火曜日に急ぎ衆議院を通過し、近く参議院も通過すると見られるこの秘密法案は、当地において「正常な」国と呼ばれるものへ日本を方向転換する安倍氏の尽力の初段階と見られている。それは、国防力の制限を削減し、地域の大任を担えるようにするものである。
 この法案は、今週承認された米国型「国家安全保障会議(NSC)」ともに、危機において首相の権限を強化することになる。
 国家機密をより厳しく制御することは、日本の情報保護の欠陥を補うために必要であり、なにより米国に対して、慎重に扱うべき軍事機密がより多く共有できるよう説得するためであると安倍氏は述べた。中国が台頭し影響力が強まるなか安倍氏は、日本を米国の軍事同盟国として一人前にしようとしてきた。
 しかしこの秘密法案は、瞬く間に反対者の矢面に立った。報道機関や大学に多く反対者が怖れているのは、この法案は強力な国家官僚に裁量を与えすぎるので、何が国家機密であることが判別できなくさせることや、不透明で知られる政府が一層情報公開を縮小させてしまうのではないかということだ。この法案が政府による権力の濫用をもたらすかもしれないと警告する者も多く、言論統制で軍部が日本を第二次世界大戦に引きずり込んだほどの、過酷な戦前の法律と比較してしまう評論家さえいる。
 「私たち近代史が示しているように、日本には言論についての自由の強い伝統がありません。官僚が国家機密にしたいものが何でも宣言できるようにすれば、私たちは北朝鮮や中国のような独裁主義と全く変わらないようになるでしょう」と、東京にある上智大学メディア法の教授。田島泰彦は語った。
 この法案に対する最大の批判の一つは、秘密であることの定義が曖昧で広範囲であることだ。現在の法案は、外交、防御、およびテロ対策指針など、慎重に扱うべき国家安全保障領域に触れるなら、政府機関の長に公開禁止の権限を与える。これらの秘密を漏洩させて有罪となると、日本の現行法下より長い間、最高禁固10年に直面する。
 この秘密法案は、今週衆議院で可決し、国家安全保障会議(NSC)創設の法案と並行して提出された。
 この二法案は、安倍氏の長期目標を達成するための、立法議案の初段階であり、それは、日本ではいまだ議論の余地を残しているものの、反戦憲法を改定して、貧弱な防衛力の代わりに十分に成長した軍隊が持てるよう日本の反戦憲法を改定したいということだ、と述べる政治評論家がいる。
 「この法律の枠組は、国家安全保障戦略の司令塔として役立つ新NSCが適切な運用をするのに必要である」と安倍氏が総裁を務める自由民主党の代弁役として使っている保守的な新聞である読売新聞は先月社説で述べた。
 衆参両院を統制できることから、日本国の政治的麻痺を終息させると確約した安倍氏は、この法案を三週間ほどで衆議院を通過させ、参院に送った。
 素早い対応は反面、反対左派には強引だという印象を残し、秘密保護法案は日本の民主主義の脅威だという恐怖感を与えた。さらに、日本の政治的な伝統である、大きな変革のための政治的な合意形成から、安倍氏は逸脱しているのではないかという、苦々しい苦情を引き起こした。
 「安倍氏の優雅な手袋の中に私たちは鉄拳を見た」と日本最大野党民主党指導者・海江田万里は火曜日の秘密法案投票後に述べた。
 最も声高な懸念が、福島第一原子力発電所近隣地域の居住者からも上がった。避難した浪江町の馬場有町長が、一度だけ催された月曜日の法案公聴会で言及したのは、2年前事故で放射性物質放出方向の予測発表で政府が失敗して、同町の人々が知らず汚染域に逃げたことだった。彼は、この法案が、政府が示した、危機の際に重要情報を隠蔽する傾向を強化しうると警告した。「必要なのはより多く公開することであって、減らすことではない」と馬場氏は述べた。
 この法案反対を切々と訴えている日本の一流作家、ジャーナリスト、学者も多く、少なくとも、法規定を越えて情報を宣言する官僚機構の権力に対して、より強力なチェック機構を含むべきだと促している。
 彼らや他の人も、この法案は、何を秘密とするかについて再検討する機構の創設に失敗していると述べ、米国など他の民主主義国が有するような強力な情報公開法が日本では欠落しているとも指摘している。また彼らは、この法案が秘密を漏洩させる公務員だけでなくジャーナリストや情報を得た大学研究者を起訴するためにも使われうると警告した。機密情報を代議士と共有するための明確な対応もまた存在していない。
 日本のもう一つの大手紙朝日新聞は社説で、この法案が国家機密保護に必要だとする反面、現行の法案は、有権者を無知にする「多くの問題」があると述べた。また、「国民が知る権利や調査する権利、さらには報道の自由に過大な制限を加える」とも述べた。
 今週の国会で安倍氏は、この法案は、日本が機密情報管理を強化するのに必要だと述べた。この件で彼が述べたのは、いくつかのスキャンダルの後、安全保障機密の漏洩や取り違えに対処するよう、米国が日本に求めたことだった。
 評論家たちの恐怖は間違ったものだと述べる専門家もいる。法案の中に文言はなくても、何が秘密と宣言されるかについて監視する機関の創設のために、安倍氏は貪欲なまでに野党に呼びかけをしていると彼らは指摘する。また、法案は軍事計画やテロリストから傍受した携帯電話メッセージのような機密情報に制限されるであろうとも彼らは述べている。
 「これで日本も米国並みの秘密管理になるくらいだと思う」と長谷部恭男(東京大学の情報法の教授)は言った。
 しかし、少なからぬ評論家が言うように、米国を模倣することがまさに問題なのだ。つまり、米国やその他の国が自国の政府に機密緩和を推進しているさなか、日本はこのような法案を可決すべきではない。
 国家安全保障局契約者エドワード.J.スノーデンに触れて、「米国の再考はスノーデン暴露によるところが大きい。そして日本は間違った方向からここに至っている」と上智大学教授の田島は述べた。
 
 

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