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2013.09.17

[書評]がんの花道 患者の「平穏生」を支える家族の力(長尾和宏、藤野邦夫)

 村上春樹の短編『神の子どもたちはみな踊る』(参照)に収録されている『タイランド』という短編小説の冒頭、主人公のさつき(50歳を越えていた)は、タイに向かう飛行機のなかで、乗客に医師がいるかとの機内アナウンスを聞いて名乗り出るか、ためらう。乗客に緊患が出たのだ。が、彼女は病理医であって臨床医ではない。以前、似たような状況に遭遇して名乗り出たとき、たまたま乗り合わせた別の開業医から、間接的ながらも、病理医の必要はないと諭された。開業医には、前線で指揮をとっている古参将校にも似た落ち着きがあったと、さつきは感じた。

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がんの花道
 そこに医学と医療の差がある。医学はネットの情報など知識を通して見るとすっきりとした科学であるようにも見える。科学であることの旗を勇猛に奮う医師もいる。が、医療の現実は戦場に近い。そこで求められているものは、医学を元にしているとはいえ、その臨床医の全人間存在かもしれない。本書『がんの花道 患者の「平穏生」を支える家族の力』(参照)という対談集の一人、開業医、長尾和宏の話を読みながら痛切に思った。
 対談集ということからもわかるように、読みやすい本である。対談のもう一人は翻訳家でもあり、自身も前立腺癌治療を受けたこともあることから、癌患者のサポート活動を続けている藤野邦夫氏である。
 対談の目的も、非常に明確で、癌患者を支える家族をどのように応援するか、ということに尽きている。まさに、身近に癌患者のいる家族のための本であり、またそうなる可能性の高い人のための本でもある。読みながら、患者自身のための本であるとも思えた。
 対談は軽妙に進行するのだが、言葉の一つ一つが重く、そして具体的かつ実用的である。癌患者家族のための実用書としてもよい。がんの告知をどのように受けたら良いか。セカンドオピニオンはどのように得るべきか。巻末にもまとめられているが「がん拠点病院」の利用法、医療補助の受け方など、詳しい話がある。どれも役立つ。
 全体は5つの章で成り立っていて、各章を追って、初期、治療期、小康期、終末期、その後と進む。圧巻は、終末期を描く4章「自宅での平穏死を選ぶ「家族の決断」」だろう。補助題には「抗がん剤治療のやめ時、在宅療養、そして看取り」とあるが、抗がん剤治療のやめて死を迎える終末期が扱われている。
 本書の二人は、抗がん剤治療を否定していない。それどころか、2章の治療期などを読まれるとわかるが、抗がん剤治療の有効性にも言及している。しかし、当然ながら、抗がん剤治療は万能ではなく、患者によっては限界がくる。そこで患者にも家族にも悩みが生じる。抗がん剤治療を継続すべきか。
 そういう状況で継続するとどうなるか。

現在の日本では、がん患者さんの約9割が病院で亡くなっています。そこでフルコースの延命治療が行われた結果、耐え難い苦しみに襲われて暴れられるので、最期は麻酔をかけて意識を無くしたまま亡くなっているのが現実です。

 臨床医の経験的な証言という限定ではあるが、おそらくその通りだろう。
 病態の変化によっては、抗がん剤治療を打ち切る時期が検討される時期があるだろう。であれば、そこから死までをどのように家族と生きるかが、問われる。
 その時期については、当然ながら、臨床医の観察と示唆が重要になるが、長尾医師は最終的には患者本人の自己決定としている。正解はないと彼は述べながらも、一般的な目安として「はっきりと痩せてきた時」としている。
 その結果を「平穏死」として受け取るのは、本書の対談を読み進めるにつれ、抽象的に過ぎるとわかる。というのは、具体的に、水の補給を含めた栄養点滴を最小限とし、脱水・誤嚥・餓死を怖れないとした対応が語られるからだ。軽妙な語りのなかで壮絶な光景が浮かぶ。それは緩和な安楽死なのではないかとの疑問が読者に付きまとうかもしれない。こうした点にも対談は丁寧に説明されている。
 読後の率直な自分の思いを述べれば、往診可能な開業医のもとで、在宅で家族と共に最期を迎えられるならそれは幸せな死の姿だろうということだ。そして誰もがそうすることは可能なのだろうかと疑問ももった。いろいろと具体的な難関も思い浮かぶ。そもそも長尾医師のような開業医は少ないだろう。終末期のその対応は、医学というより開業医の、やはり全存在をかけた医療の成果でもあるだろう。そうした開業医を私たちの社会は十分にもつことができるようになるだろうか。
 
 

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2013.09.16

[書評]病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘(シッダールタ・ムカジー )

 1981年まで日本人の死因の一位だった脳卒中は癌にその座を譲った。現在日本人の三人に一人は、癌で死ぬ。脳卒中が比較的減ったのは、それを予防する医療体制や、たんぱく質摂取を容易にする栄養状況の改善などが理由だろうが、むしろ癌が増えた理由のほうが大きい。高齢化である。癌は高齢者の病気だとは言えないし、種という視点から見れば老化の一種だとも言えないが、高齢者が増えれば、癌に罹患する人は統計的には増える。私たちが長生きをするにつれ、癌で命を閉じる人は多くなる。人々の人生の最後の主要な関心のひとつは癌となる。

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病の皇帝「がん」に挑む
上巻
 ならば私たちは自分の人生と死を知るためにも、より癌について知っておくべきだろうとも言える。だが、その最適な書籍は何か、と問われると困惑したものだった。もちろん、癌についてはいろいろな書籍に書かれてきた。ネットにも情報はあふれている。なのに、患者の視点を配慮し、今後社会がどう癌と取り組むかという点で、癌を俯瞰できる書籍というのはこれまでなかったようにも思われた。今なら、ここにある。『病の皇帝「がん」に挑む ― 人類4000年の苦闘』(参照・上巻参照・下巻)である。
 「人類4000年の苦闘」という翻訳の副題からも連想されるように、本書は、癌について人類が取り組んだ歴史を医学史の全体のなかでわかりやすく簡素にまとめている。なおこの点、本書を元に現在、2015年公開に向けてドキュメンタリー映画も制作されている(参照)ので、将来、NHKなどで放映されるかもしれない。
 原書は米国では2010年に出版され、2011年に「ピューリッツァー賞一般ノンフィクション部門」に輝いた。原書表題は『全ての病気の皇帝 癌の自伝(The Emperor of All Maladies: A Biography of Cancer)』(参照・Kindle)である。余談めくが、まだここでは書評を書いてはいないが翌年の同賞同部門受賞の『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(参照)よりも、個人的には面白かった。今年を振り返って、あの本を読んだなと思い出す本は本書かもしれない。
 邦訳書にして上下巻400ページを越える大著である。内容も医学的な記述が多いせいか、そう容易な読書とは言えないかもしれないと思わせるのは、ネットを見回してみたが、出版されて3週間ほどたつが、本書の話題は本書の解説の転載くらいしか見当たらず、アマゾンの評も見当たらなかったことだった。しかし本書は、今後も確実に読まれているだろうし、あまり強く言うのも好ましくはないかもしれないが、今後も多くの人に読まれなければならない書籍となるだろう。私たちひとりひとりの身近な命のあり方にかかわる癌という問題に真摯に触れているし、それは今後も抱えていく人類の課題でもあるからだ。
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病の皇帝「がん」に挑む
下巻
 本書は、一種の教養主義的な叙述を突き抜けた独自の人間ドラマでも、ぐっと読者を引きつける。その一面は、主に前半で展開されるが、1971年に当時のニクソン大統領が「がん対策法」に署名(参照)するまでの背景である。同法は日本を含めて先進国のその後の癌政策に大きく影響を与えることになった。ここでいわば物語の主人公となるのが、癌の近代化学医療法の父シドニー・ファーバーと、彼を支える、ロビーイストと言ってよいだろう、メアリ・ラスカーである。彼らを巡って、第二次世界大戦前からこの「がん対策法」に至るまでの経緯と政治的な動きは、累々と折り重なる患者の悲劇を相まって、上質な戦記を読むように息が詰まる展開である。戦記という比喩の連想から言えば、敵と呼ぶのも適切ではないが、化学医療医が癌に立ち向かいつつ、他面で外科医と向き合う姿も悲壮なものがあり、さらに放射線治療との微妙な関連も歴史というものの壮大なアイロニーも感じさせる。
 また仮に戦記のように読むなら、1971年以降の展開は、壮絶な敗戦だとも言える現実も痛ましい。人類は癌に勝てないのだろうか。癌とはなんなのか。そうした思いは表題の「全ての病気の皇帝」という言葉に集約されてくる。
 並行して、本書の人間ドラマにはもう一つの側面が加わる。著者ムカジーが接する癌患者の物語である。彼は2003年にレジデントプログラム(臨床研修訓練)を終え、腫瘍免疫学をテーマに大学院で研修を終えたのち、ボストンにあるファーバー癌研究所とマサチューセッツ総合病院で腫瘍内科医として専門研修を開始した。本書の原点がファーバー癌研究所にまつわるファーバーであったことも頷ける経緯だが、それより一人の臨床医として、癌患者に接する経験が彼の人生を変えていく。
 本書では、数名の癌患者と彼との交流の物語が描かれ、その進捗が小説のような感興を与えるが、下巻に読み進むにつれ、それぞれの物語が、一般的な癌患者の治療への指針になっていくことに気がつく。日本でもそうだが、米国でも癌治療、特に化学治療への批判や疑念は多い。まるで効果などないという極論もある。だが、著者ムルジーはここで一人の臨床医として公正に現在の癌治療の地平を明かしてくれる。本書の価値のすべてがここにあると言ってもよいくらいである。
 下巻からは、戦記的な枠組みとしての治療の物語から、公衆医療としての予防の歴史、特に1980年代後半から癌研究の苦闘のなから浮かび上がってきた癌という病の特質、さらに分子標的薬や、癌発生の条件を経つという戦略を採る新薬の背景などが語られる。よく知られた話題ではあるが、なかでも分子標的薬グリベックによって癌の一部を人類が克服するかに見える物語なども興味深い。
 本書は、最近女優アンジェリーナ・ジョリーで話題となったが、BRCA1/BRCA2遺伝子についても2010年出版時点で公平な見解と背景の説明を加えているなど、現在の癌医学の最前線に近い部分までカバーしている。「癌幹細胞説」についての言及もある。だが、邦訳書の上巻巻末の著者インタビューにあるように、「免疫システムの再活性化」などの話題には触れていない。英国では、癌細胞がオフにする免疫を再度オンにする機序による新薬の開発なども進められており、欧州連合もこれを支援している。巨大医薬品会社だけが新薬に取り組んでいるのではないというオープンイノベーションも今後の話題だろう。
 本書の完読に困難を覚えるなら、本書の上巻巻末の著者インタビューだけでも読まれるとよいだろう。この部分だけを切り出し、患者の視点からその後の癌医療の最前線を加えた新書サイズの一冊があっても、有益だろう。
 

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2013.09.15

40歳過ぎのランニングで寿命が延びそう

 ツイッターのタイムラインを見ていたら、「40歳過ぎたらランニングは勧められない」という話題があった。なんだろうとリンク先を追うと、日経ビジネス・オンラインの対談記事「40歳過ぎのランニングは「元気の浪費」」(参照)があった。対談に含まれる各種の健康についての話題の一つに、その「40歳過ぎたらランニングは勧められない」という見出しがあり、面白そうな話題もあった。以下、「岡本」とあるのは岡本裕医師である。


――例えば、健康のためにランニングをしているビジネスパーソンが今とても多いのですが、岡本先生はランニングは危険だと言われています。
岡本:基本的にそれもリテラシーの問題だと思うんですが、自然界で自ら好き好んで走る動物は人間以外いないんです。それは、走るということが有害だからです。
 もちろん敵から逃げるとか、獲物を追う時は走りますが、あくまで短時間です。2時間も走っている動物はいない。
 ある程度の負荷をかけるのはいいんです。骨粗しょう症の予防にもなります。息が切れない程度のジョギングはいいけど、人間ってエスカレートするでしょう。タイムトライアルに夢中になって、4時間を切ったとか3時間を切ったとか熱中してやり過ぎますよね。若い人は精神力をつけるために多少はいいかもしれないけど、40歳過ぎてやるものじゃないです。体が下り坂に向かっている時に自ら痛めつけるというのは愚の骨頂です。
――走るよりは、自分のペースでの山登りなどを勧めていますね。
岡本:そう。リラックスもできるだろうし、景色を見ながらハイキング程度がいいんじゃないですか。
 走る人は寿命が短いというデータも実際あります。走ったら元気になるんじゃなくて、元気な人が走ってるだけ。元気を浪費してるだけ。

 確かにそういう考え方もあるだろうと思う。
 自分もよく奇妙な誤解されることもがあるが、この話で重要なのは「息が切れない程度のジョギングはいいけど、人間ってエスカレートするでしょう」という点で、肯定的に見るなら、「息が切れない程度のジョギングはいい」ということだ。
 実際そうした研究は近年よく見かけるようになった。なかでも注目されたのが、今年の4月に疫学の専門誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・エピデミオロジー」に掲載された「男性・女性ジョガーの長寿:コペンハーゲン市心臓研究(Longevity in male and female joggers: the Copenhagen City Heart Study)」(Am J Epidemiol. 2013 Apr 1;177(7):683-9)だ。日常ジョギングをする幅広い年代層1,878人(男性1,116人、女性762)を対象に、日常ジョギングをしない人との比較で、最大35年間追跡調査したところ、ジョギングをする人では、男性で 6.2年、女性で5.6年の寿命が延びていた。
 延命の影響は日頃のジョギングと見てよいだろう。調査には各年代層が含まれ、統計的にも年代層が考慮されているようなので、40歳過ぎのランニングでも寿命が延びる、と受け止めてもよいように思われる。
 同調査で興味深いのは、先の岡本医師の発言とも呼応するが、「エスカレート」するとこの効果は弱まることだ。つまり、適度なランニングに延命効果があるが、度を超すとそうはいかない。
 では、適度とはどのくらいか? 同研究を指導したペーター・シュノル博士の話では(参照)、速さは、呼吸に少し負担がかかるが息苦しくない程度(中程度)で、時間は、一週間に1時間から2時間半まで。これを一週間に二、三回行うのが理想的らしい。
 実行しやすい最低限で見るなら、一週間に二回、30分ほど軽くジョギングすればよいということになりそうだ。
 効果は、酸素吸収効果を高め、インスリン抵抗性を改善し、善玉コレステロールを増やし、高血圧を下げ、血管内をきれいにし、免疫力を高め、骨密度を上げ、炎症しににくい体質にし、肥満を防ぐ……なんだが、いかがわしい健康食品の宣伝文句みたいだが、シュノル博士はそれらの効能を述べている。
 しかし、その研究だけで40歳過ぎてからのランニングって延命効果があるとまで言えるのだろうか。とか、コメントのツッコミがありそうだ。
 近年、米国癌研究所(NCI)が行った別研究もあった。PLOSメディスンに掲載された「適量から精力的な強度までの余暇の身体活動とその死亡率(Leisure Time Physical Activity of Moderate to Vigorous Intensity and Mortality: A Large Pooled Cohort Analysis)」(参照)である。
 こちらは40歳以上の寿命に関心を置いて調査している。結論は、ランニングとは限らないが適度な運動をしている人の寿命は3.4年から4.5年ほど延びていることだ。ここでの適度な運動の指標としては、WHOによる一週間に150分のきつめのウォーキングが挙げられている。これだと、一週間に5日30分のウォーキングになる。ちなみに、ウォーキングでの負荷は心拍数で管理するのもよいと思われる。以前書いた「ウォーキングには心拍計付き時計を」(参照)も参考までに。
 詳細に関心ある人は、それぞれリンクをたどるなどしてオリジナルに当たってみるとよいだろう。PLOSにも編集者による一般向けの解説があり、また米国癌研究所の研究にも別途、一般向けの説明記事(参照)もあるので、これらも参考にするとよいだろう。

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