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2013.08.17

極東ブログ10周年

 この「極東ブログ」というのを書き始めて、10年が経った。ちょうど10年になったのは、一昨日、8月15日のことで、その日に合わせて10周年の感想でも書こうかとも思ったが、なにかうんざりした思いがして見合わせた。言うまでもないが、8月15日はいわゆる終戦の日で、このブログも10年前、その日を意識して始めたものだった。
 今はどうかというと、終戦の日とされている8月15日にはもうなんの関心もない。まったく関心がないわけではなく、しいていうと、うんざりしている。そこに至る経緯はこのブログでも書いてきた。もう少しわかりやすい形で自著『考える生き方』にも書いた。それでもう十分だと思う。それ以上に僕がとやかく言っても伝わらない部分は伝わらない。もしかすると100年後ぐらいには、もっとまともな日本になってそのころの日本人の認識も変わり、終戦記念日が本来のあるべき日に移ればいいのではないかとも夢想する。別にそうならなくてもいいにはいい。
 投げやりというのではないが、もうその頃には僕はこの世界にはいない。死んでしまった僕というのは、仮に霊魂というのがあったとしても、別段日本人には関係ない。
 僕が日本人としてこの世界の極東地域に生まれたのは偶然以上のなんでもないのと同じだ。という理由だけでもないが、靖国神社問題も僕にはなんとも感覚的にわからない。仮に死んだ人々の霊魂があっても、別にもう日本に留め置かなくてもよいのではないか、というような感じがする。
 ブログ10年。その年月に感慨がないわけではない。その感慨は昨年の夏、55歳になったときに先行してあった。「もう10年もブログを書いてきたことになるんだろうな」と思い、「そういえば、これだけうんざり書いてきたのに、自分のことは書いてこなかった」と思った。

cover
考える生き方
 自分語りと誤解されるかもしれないが、自分という凡庸な人間の人生観みたいなのを書いてみたい気がして、誤解されがちなメディアであるブログよりも書籍とし『考える生き方』(参照)を書いた。
 当初、自分としては、『ブログに書かなかったこと』というタイトルを想定していた。でも、それだと「ファンブック」や「年寄りが書きそうなごく個人的なこと」に取られそうだなと思って、いろいろあって今のタイトルや装幀になった。結果からするとだからといって、それほど差はなかったかもしれないけど、伝わる人にはしっかり伝わって、本にしてよかった。読んでくれた人には重ねて感謝したい。
 その裏腹というのではないけど、ブログというのは、最初から僕の意見を誤読して罵倒してくる人に耐えるメディアだろうとも思っていた。
 それはそれでもいいではないか。それでも読んでくれる人は確実にいる。その実感で今でも心が揺れる。
 「自著を」という背景にはもう一つ、そのちょっと前にcakesの連載の話もあり、そういう発表の場もよいなあと思ったことがある。実際にcakesに書いてみて、いろいろ励みになった。そもそも、自分がまともに文学論というか評論的な文章を書くとは思っていなかったのだった。これも機会があったら書籍にまとめてみたい気持ちはある。
 何が言いたいかというと、ブログというのは自由にいろんなことが書けるメディアのようでいて、実際にはそうはいかないということ。人にもよるのだろうが。
 それと、すでにたいていの有名ブロガーさんがそうであるように、コメント欄やトラックバック、さらにはツイッターやフェイスブックのコメントなどを遮断して、書きたいだけ書くという流儀もあるだろう。
 でもそれはブログなんだろうかという疑問と、そういうスタイルは、別のメディアに拠点を置く人が、一種、読者ファンサービスとしてやっているということではないだろうか。僕のようなスタンスとは違う。
 ブログをやっていて、それほど面白いメディアでもないなあと思うのは、想定される罵倒が想定通りで、ぐったりくることだ。そうわかっていたら書かなくていいじゃないか。実際、最近はそういう話はできるだけ書かないようになった。でも、要所要所でそれでも市民の声の記録としてのブログなんだから、世相の記録として書こうかと思うことはあり、書いて……ぐったりする。しかたないな。ネガティブに沈んでいてもなんだし。
 それでも、炎上メディアみたいなブログは書きたくないし、自分がどうでもいいよそれと思う話題は書かない。それゆえに読む人が減っても、いいやというのはある。
 10年間書いて、メリットがあったか。よくわからない。そんなにないと思う。
 デメリットのほうは今書いたようなうんざり感とかいろいろだ。作らなくてもいい敵をいっぱい作ってしまった後悔はある。見えないところでしこたま嫌がらせを受けたけど、その、僕を頭から罵倒してかかる人にも、それだけ怒らせる攻撃を与えたということになるのだろう。そういう反省はある。自業自得だった。
 10年はそれなりに長い月日だ。自著を書いたときでも思ったが、45歳で55歳まで生きていると、そもそも思っていなかった。自分の抱えた難病も含めそのあたりの経緯も自著に書いたとおりだが、そういう思いもどこかしら自己愛的なので書いても詮無い。
 10年前を振り返って、15歳の自分ならぬ、45歳の自分に手紙でも書くとすれば、「まあ、生きているよ、ぼちぼちだよ」くらいか。もう一つ言いたいこともあるが、それも自著のほうに書いた。
 ブログを書いて考えが変わったことはというと、冒頭触れたように、終戦記念日とかの考え方は変わった。以前はもっと人権や人道主義に関心を持って書いたものだった。日本で報道されない国際ニュースとかも話題にした。現在は、そうした問題に関心をもってもそれほどは書かなくなった。ぼそぼそとツイッターでつぶやくくらい。
 ダルフール危機もずっと見つめているし、エジプト危機も概ね自分が想定したような残念な結果にもなった。東北大震災や原発事故も自分なりに書いた。
 年月を経て振り返ってみると、いろいろ自分が見てきた世界は大きく外してなかったように思うが、それをもって誇りたい気持ちもない。人によっては僕は間違い続けたというのかもしれない。僕は、人ってよく奇妙な誤読をするものだなと思うが、その人にとっては「誤読」でもない。そんなものだ。
 ブログをきっかけに世界を見てきたが、その視点は変わってきた。当初このブログは、日本の大手紙の社説批判みたいのから始めたが、しだいに日本の言論というのに関心が薄れてきた。
 日本の言論というのに、最初は違和感があり、そこからなぜこうも世界の視点と日本は違うのだろうと苛立ちがあった。今では率直に言って、日本の言論がなんであれ、メディアがどう言っていても、さほど関心はない。
 彼ら、と突き放していうのではないが、彼らは僕とは違った世界を見ているのだし、それもまた彼らの自由だろう。僕に差し迫る被害を与えないなら、みなさん勝手にすればいいじゃないか。むしろ、そういう人を苛立たせるようなことを不用意に書くと、とばっちりでめんどくさい。
 こんなこと書いていると「なんか歳を取ったなあ、自分」とも思うが、反面、自著を書いてからだが、そのせいというのでもないけど、ちょっと奇妙に復活というのか、いろいろ若返りしているような感じもしている。
 それこそ年寄りの錯覚だというのもあるかもしれないけど、感性も以前より鋭敏になったような部分はある。二か月前から始めた筋トレのせいか、タニタの計測器で体内年齢が安定的に40歳くらいは出るようになった。実際、40歳前の体型になってきて、「おお、懐かしいぞこの身体」とかちょっと思う(きもくてすまん)。30代の時の身体を取り戻したいとまでは思わないが、きちんと続けていくと、そうなるかもしれない。これで60歳まで生きていたら、『考える生き方その2』でも書きたいものだが、いやそれは無理。
 ブログのせいではないけど、ブログを書いている自分はなんだかわからないけど、変わった。それに比べると、自然に変わった部分はあるにせよブログのほうはそれほど変わらない。ブログの中の僕は成長もしない。愚かなまま。
 だから、つまらないブログをもう少し、相も変わらず書いていると思う。
 サンキュー!
 
 

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