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2013.08.10

[書評]筋力トレーニング法100年史(窪田登)

 世の中には変な本というのがある。いや、変というのは主観にすぎないが、なんなんだろうこれ、と思わせるような本がある。なんだろうこれ、というのは、目的はわかるし、価値もわからないではないし、なにより面白いんだよこれ、という本である。『筋力トレーニング法100年史(窪田登)』(参照)はまさにそういう印象の本である。

cover
筋力トレーニング法100年史
 内容は表題によく表れている。筋力トレーニング法の100年史である。この一世紀の間に出現した各種の筋力トレーニング法の歴史である。
 で?とここで思う。それになんの意味があるのだろうか? ごく簡単に言えば、半世紀以上昔の筋力トレーニング法から現在学ぶことがあるのかというと、まあ、ほとんどないと言ってよい。正統医学がかつて瀉血療法を中心にしていたからといって、現在そこから学ぶべきことは何もないと言ってよいのと同じだ。ではなにゆえ?
 その前にこう考えるべきなのだ。なぜ、筋力トレーニングをするのか? 自明のようでいて意外と難しい。というのは、どうやらそもそも筋力トレーニングが発生したのは、この一世紀間の出来事だったからだ。それ以前に筋力トレーニングはなかったのかというと、定義にもよるのだが、どうもなかったようだ。
 もちろん、日本のお侍さんでも、欧州の騎士でも、身体を鍛えるということはしていだろうし、古代ギリシアのオリンピックのレスリングの選手も身体を鍛えるということはしていただろう。だがそれを筋力トレーニングという組織だった自己身体変容のシステムとしてまとめられたのはこの100年のことらしい。というあたりで、ああ、これはミシェル・フコーのいう「自己への配慮」の特殊な形態ではないかと察しがつく。
 実際に本書を読んでいくと、100年前の筋力トレーニングの起源は、いわば力持ちの見世物に起源の一端がある。そのあたりで、ああ「見世物か」と思う。
 そう思うのは、自然科学、つまりざっくばらんに言えば進化論というものも、実際的には、歴史的に見ると、博物学の見世物として民衆に意識されていたものだった。どさ回りの見世物小屋なのである。
 何かが「見世物」になるという文化、それが貨幣を得る手段としてどさ回りされる文化というのが、どうもこの一世紀間の世界文化のけっこう隠れた特質でもあるようだ。
 本書を読みながら、筋力トレーニングの起源に関連して見ていくと、なんだろこれと気づかされることがある。なかでも実質近代筋力トレーニングの基礎を築いたユージン・サンドウ(Eugen Sandow, 1867-1925)が興味深い。哲学者のカントと同じ、プロイセン王国のケーニヒスベルク(現在のロシア連邦カリーニングラード)で生まれた彼は、欧州を見世物どさ回りをして、1893年に米国に入り、そこで肉体を白粉で包んでギリシア彫刻のような身体を見せるのだが、ここでこの時代の古代意識の倒錯感がじんわり伝わってくる。
 さらに彼はその筋力トレーニングの手法というか秘法を書籍にして金を儲け、筋力トレーニングマシンの販売なども手がける。筋力トレーニングというがそもそも発端からマスメディアと関連していたのである。
 というか、そもそも筋力トレーニングというのは、そうした大衆への書籍を介した文化だったのだ。興味深いことにこれは明治大正期の日本にも書籍を通して影響を与えている。
 本書はサンドウのような筋力トレーニングの揺籃期から、太平洋戦争の時期を別の歴史区分として扱っている。おそらくこの時代の筋力トレーニングは軍との関わりがあると見られるが、本書からは明確にはわからない。
 筋力トレーニングが科学的な様相を示すのは、1950年代以降らしい。プロテン摂取なども同時並行したようだ。こうした戦後の筋力トレーニングについて記述は詳しく、著者もこの時代に深く関わっていて経験的な言及も見られる。そもそもこの本は、1984年に雑誌連載され1986年に刊行されたのを2007年に加筆復刻したもののようだ。とはいえ、その歴史的な意味についても本書からはわかりづらい。
 個人的には、この本を探して読んだのは、ブルワーカーなどの背景となるアイソメトリックスの歴史とその効果について知りたかったからだ。実際に読んでみると類書以上に書かれていた。1961年から1968年がそのブームの頂点であったようだ。ちょうどそのころブルワーカーが開発されている。
 その後、アイソメトリックスが衰退していく理由は明確ではない。心肺機能向上には結びつかないことや、コンストラクションやエクストラクションでないとトレーニングできない筋力があることなどから下火になっていったようだ。またアイソメトリックスについては、静止の位置を変えることで筋肉に多様な刺激が与えられるらしい。なるほどねと思った。
 スロートレーニングにポイントを変えたアイソメトリックスを導入しても効果はありそうな印象はもった。実際にそうするかどうかは別としても。
 
 

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2013.08.07

消費税増税と税の楔(tax wedge)について

 欧米では各所からの報道でもわかるように、日本のアベノミクスの成功に期待が寄せられている反面、ふくれあがった日本の財政赤字の対応と関連して消費税増税の是非が議論されている。
 原則的には、デフレが十分に解消されていない現状では、浜田宏一内閣官房参与が示唆するように、今回の消費税率8%への引き上げに対しては「極めて慎重に判断すべきだ」と考えるのが妥当だろう。現時点で消費税増税を行うと景気に水を差すことになり、法人税や所得税が大幅に減少し、ひいては日本経済再生が失敗に終わりかねない。
 しかし国際的にそうした声が主流というわけではない。なかでもこの問題を扱ったフィナンシャルタイムズ社説「安倍政権の消費税増税の難問(Consumption tax conundrum for Abe)」(参照)では、現状の日本の経済成長率の低さを考えるとその判断は難しいとしながらも、全体としては消費税増税を支持していている("Raising the consumption tax is also better than many of the alternatives. ")。
 とはいえその場合でも、「税の楔(tax wedge)」を例として、成長戦略を明瞭にせよとしている("But these should involve more growth-friendly fiscal measures, such as cutting the tax wedge on labour. ")。
 意図だけを簡単に受け取れば、消費税は比較的に貧困層にとって負担の大きい税だから、その層に向けて減税となる政策を強く打ち出せということだ。「税の楔」例示の含みを考慮すると、雇用側よりも、低所得層、なかでも子育て所帯に向けてもっと大胆な減税をせよと受け取ってもよいだろう。
 特段に目新しい主張でもないが、一例としてあげられている「税の楔(tax wedge)」の議論が日本ではあまり話題になっていないように見えるが、どうだろうか。そもそも日本の場合、「税の楔(tax wedge)」が少ないと見られるからだろうか。
 
 それはそれとして、この議論の前提となるその「税の楔(tax wedge)」についてだが、ざっと見た範囲であるが、日本語のウィキペディアに項目がなかった。なくてもいいといえばいいのだが、難しい概念というわけでもないし、なぜこれが「楔」と呼ばれるかについては、グラフがあると「楔」の形が可視になってわかりやすいので、簡単に英語の項目(参照)を試訳した。ただし、これはあまりいい説明でもなさそうだし、また試訳も用語を含めて自信がないので、経済学に詳しいかたが日本語の項目を作成するというきっかけにでもなれば、と願う。

税の楔

The tax wedge is the deviation from equilibrium price/quantity as a result of a taxation, which results in consumers paying more, and suppliers receiving less.[1]

税の楔は、供給量に対する価格の均衡からの差である。これは、消費者の支払いが多く、供給者の受け取りが少ない状況から生じる。

Following from the Law of Supply and Demand, as the price to consumers increases, and the price suppliers receive decreases, the quantity each wishes to trade will decrease.

消費者への価格増大と供給者の受け取り減少につれ、需要と供給の法則に従い、取引を望むそれぞれの量は減少することになる。

After a tax is introduced, a new equilibrium is reached where consumers pay more (P* → Pc), suppliers receive less (P* → Ps), and the quantity exchanged falls (Q* → Qt). The difference between Pc and Ps will be equivalent to the value of the tax.

税導入後、新しい均衡が、消費側の支払いは(P* → Pc)のように増加し、供給側の受け取りは(P* → Ps)のように減少し、また取引量は (Q* → Qt)のように落ちる。このPcとPsの差が税負担に等しくなる。

While both consumers and suppliers pay some portion of the tax, the distribution depends on the structure of the demand and supply curves, respectively. As long-run supply curves tend to flatten over time, consumers tend to pay an increasingly larger portion of the tax.

消費者と供給者の双方が税金分けて支払うなら、分配はそれぞれ需要供給曲線が示す通りになる。長期的には供給曲線はしだいに平坦化する傾向があるので、消費者が税負担の分が増える傾向がある。

Europe's comparatively high tax burden has created big marginal effects and tax wedges. For example a 2007 report calculated the amount going to the service worker's wallet is approximately 10% in Belgium, 15% in Sweden, 30% in Ireland and the UK, compared to 50% in the United States.[2]

欧州の比較的高い税は限界効果と税の楔を形成してきた。例えば2007年の報告書によれば、サービス労働者の財布に行く量が、ベルギーで10%、スウェーデンで15%、アイルランドと英国で30%、これに対して、米国では50%であった。

 少し関連の余談。
 OECDは例年「税の楔」に関心を持ち、その名も「Taxing Wages」という年報を出している。少し古くなるが2011年の話題に日本語の解説があるので、一部引用しよう(参照)。


OECDの年報「Taxing Wages」によると、OECD34カ国中22カ国で税負担が増えています。オランダ、スペイン、アイスランドの上昇率が高く、デンマーク、ギリシャ、ドイツ、ハンガリーは逆に下落幅が最大でした。

賃金への課税(雇用者および被雇用者の社会保障費を含む)は、企業の雇用判断および個人の労働インセンティブにかかわる重要な要因です。財政を再建し、経済成長を促すための取り組みの一環として、各国政府は、直接税から間接税へのシフト(不動産に対する経常税の増加など)のほか、個人所得税率や社会保障費を上げるのではなく、租税支出をなくして付加価値税や個人所得税の基盤を拡大することを考えなければなりません。

Taxing Wagesでは、OECD各国の給与所得課税の状況、ならびに世帯構成や所得水準による税負担の違いを詳しく分析し、雇用者にとっての総雇用コストと被雇用者の手取り賃金(児童手当など一般的な世帯手当を含む)との差を算出しています。この「税のくさび」は、被雇用者および雇用者が支払った税金の総額(現金給付控除後)を雇用者の総人件費で割って求めます。


 ここでは「税の楔」を簡素に「被雇用者および雇用者が支払った税金の総額(現金給付控除後)を雇用者の総人件費で割って求めます」としている。
 基調としては、間接税を
 2011年では各国の動向を次のように指摘している。

  • 夫か妻のどちらか一方が働き、子どもが2人いる平均的所得の世帯の場合、課税率が最も高い国はフランス、ベルギー、イタリアで、税のくさびはフランスが42.1%、ベルギーが39.6%、イタリアが37.2%であった。(表1参照)
  • 一方、同じ条件で税のくさびが最も低かったのはニュージーランド(-1.1%)で、以下、チリ(6.2%)、スイス(8.3%)、ルクセンブルク(11.2%)と続く。OECD平均は24.8%。
  • 子どもがいない平均的所得の独身労働者に対する税のくさびが高いのはベルギー(55.4%)、フランス(49.3%)、ドイツ(49.1%)であるが、ドイツでは2010年に税のくさびが2ポイント近く低下した。(表2参照)
  • 一方、同じ条件でのチリ、メキシコの税のくさびはそれぞれ7%、15.5%にすぎず、ニュージーランドは16.9%、韓国は19.8%であった。OECD平均は34.9%。

 昨年の状況は、日本と他国を比較する図示が「Tax policy analysis - Organisation for Economic Co-operation and Development」(参照)にある。
 OECDによる昨年の日本の「税の楔」の平均は、31.2%で、OECD国平均の35.6%よりは低いが、従来低いと見られていた状況に比べると、ぐっと欧州なみに近づいている。
 ほか、OECDの項目からわかるように、「税の楔」で考慮されているのは、各国の子供のある労働者の条件での差である。全体としての印象では、二人の子供がある親についての課税を下げるような政策が求められるように見えるが、これは逆に言えば、相対的にではあるが、独身労働者への実質的な課税を強化せよということになるだろう。
 
 

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2013.08.04

「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言について

 もうだいぶ下火になっていると思うが、「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言が話題になっていた。この話題については言及しないでおこうと思っていた。各論者が持説を決めてから議論していて、かつ攻撃的な雰囲気が濃いように思えたからである。しかし、事実がある程度わかってきたので、事実と常識的にわかる部分だけからは、ブログで指摘しておくのもよいだろう。


1 麻生発言は聴衆は反語として理解していた
 もう6年近く前になる。作家の森博嗣氏が2007年11月19日のブログで「【国語】 反語が通じない」(参照・現在はリンク切れ)というエントリーを書いて、ネットで話題になっていたことがある。


 反語という表現法があるが、最近の若者に通じないことがあって困る。
 反語とは、強調するために、意味を反対にして(通常は肯定と否定をひっくり返して)、多くは疑問形にした表現のこと。たとえば、「とても不味い!」という代わりに、「これが美味しいのか?」とか、「誰が美味しいと言うだろう」といったふうに言う。あるいは、単なる皮肉を反語という場合もある。たとえば、遅刻してきた人に、「早いね」と言ったりする。

 当時これを読んで「そうだなあ、現代だとそういう傾向があるかもしれない」と私も共感したものだった。
 なぜ反語が通じなくなったかについて、森氏は面白いことを言う。

 ようするに、通常の会話にはもうほとんど登場しない言い回しなのだろう。少なくとも、その人の周囲ではそんな言い方をする人間がいない。本を読まずに育つと、そうなる。そういう人が、「一度くらい、本でも読んでみようか」と読み始めると、書いてあることが全然わからない。つまり、「読めない本」がとても多い。

 なぜ反語が通じないのか。それは本を読まずに育ったからだ、しかしではそういう人は本を読めばいいのではない、でも、読んでも理解できない。
 笑った。
 この段落自体が反語表現なのである。
 反語表現はこのように人に笑いを誘う。ジョークにも使われる。
 しかし、言葉によって生きている人々にとっては反語的なジョークで済まされるわけにもいかない。

 さて、これを、「困ったものだ」で済ませてしまうのか、それとも、そのレベルに合わせてコミュニケーションが取れるものを書くのか、は自由だと思うし、作家はある程度、この選択をしなければならないだろう。

 ここは反語表現と取るべきかは悩むところだ。正直な述懐だろう。
 反語表現というのは、修辞として見ると、難しい部類に入る。
 反語表現を読み解くには、森氏は読書という教養の背景を挙げていたが、ほかにも鍵はある。
 まず、慣用的な反語表現が思いつく。英語の"Who cares?"という慣例句のように、「誰が気にする?」と言う場合、字義通り誰かを問うのではない(「気にする人はいないよ」「気にするなよ」という意味)。まさに慣例句だからだ。
 文脈からも反語がわかる。
 この「文脈」という言葉だが、英語の「コンテクスト」に含みがあるように、例えば、談話なら、聴衆の笑いの反応があれば、「ああ、あの笑いは、あの発言を反語表現で受け止めているのだ」とわかるものだ。
 このところ話題になっていた、「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と報道された発言についても、その聴衆がどう受け止めていたか、ということがわかれば、少なくともそのコンテクストでは反語であったかどうかがことがわかるはずだ。
 そこでできたら書き起こしではなく、聴衆の声を含めた録音を聞きたいと思っていた。
 幸いユーチューブに上がっていた共同ニュース「改憲でナチス引き合い 麻生氏「誤解招いた」」(参照・現在リンク切れ)で確認できた。その後、この音声は削除された。現状コピーされた音声も挙げられている(参照)。
 その音声で確認すると、「あの手口学んだらどうかね」のあと聴衆が大爆笑している反応が聞き取れる。
 つまり、この表現を聴衆は反語表現として受け止めていたことがわかる。
 そうであれば、反語表現という修辞を解けば、"Who cares?"が「誰も知らない」と解されるように、「あの手口を学ぶのはやめなさい」と理解できる。
 麻生氏の発言が、聴衆にとっては反語表現として理解されたが、この部分だけを書き起こして伝えれば、森氏が懸念したように、反語が通じないという自体になっても不思議ではない。
 ここで重要なのは、反語として理解される聴衆およびその会合の特質である。
 森氏が作家として反語を使うか考慮するようになったのは、彼の言葉が本という媒体で届く範囲を想定しているからだ。反語表現は、その聴衆が反語と理解される範囲でしか使えないと言ってもよい。
 麻生氏の今回の発言でいえば、その聴衆と会合では反語表現して理解されたが、その部分だけを新聞や報道の書き言葉で抜き出せば、そのコンテクストは失われ、反語表現と解さない人もでてくるのは当然の成り行きである。この点をどう考えたらよいか。
 この点については、そもそも麻生氏がこの会合の発言を、反語表現が届かないかもしれない聴衆まで意識していたかにかかっている。
 朝日新聞の報道では、この会合は「東京都内で開かれたシンポジウム」とあるが、具体的には「国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)が7月29日、東京・平河町の都市センターホテル・コスモスホールで開催した「日本再建への道」と題題する月例会であったようだ(参照)。
 同サイトの説明を読むと「政治家、メディア関係者をはじめ会員、一般参加者など合わせ540人が詰めかけた」とある。なので、麻生氏としては反語表現はそれを理解しえない人々まで届くと想定すべきだだった。その意味では、反語表現が理解されない事態については、麻生氏は責任を持つべきであり、それが後に「誤解招いた」として麻生氏自身が公式に述べたのも当然である(参照)。


2 全文や全録音はいまだに公開されていないのではないか
 麻生氏発言の報道が話題になるにつれ、実際にはどのような発言をしたかが問われ、その問いに嵌るような報道も出て来た。だが、これが問題をかえってこじらせている。
 なかでも朝日新聞の「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」(参照)については、2点考慮するべきことがある。
 1点目は、この「詳細」だが、公開されている録音と比較すると、朝日新聞による詳細であって「書き起こし」ではないことだ。
 朝日新聞は該当個所はこう報道されている。


 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 録音から書き起こしてみよう。

 僕はあの4月の28日、忘れもしません4月の28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だらって言って、月曜日だったから靖国神社に連れて行かれましたよ。それが、初めて私が靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、まあ、けっこう歳食ってからも毎年一回、必ず行っていると思いますけれども、そういったようなもんでいったときに、わーわーわーわー騒ぎになったのは、いつからですか、これは。(聴衆笑いなし)
 昔はみんな静かに行っておられましたよ。各総理も行っておられたんですよ、こりゃ。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。(聴衆拍手)だから、そ、いつのときから、騒ぎになった?と私は、騒がれたら、中国も騒ぐことにならざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうやというんで、憲法もある日気づいたら、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法にいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。(数秒間を矯める)だれも気づかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。(聴衆大爆笑)
 もうちょっとわーわーわーわー騒がねえで。本当に、みんないい憲法と、みんな言って納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりまったくありませんし、しかし、私どもはこういったことは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない。それだけは是非お願いしたいと。

 朝日新聞の「詳細」と実書き起こしと、麻生氏のべらんめー口調しか違いがないようだが、実際に書き起こしてみると、問題とされた部分に奇妙だが重要な違いがあることがわかる。

朝日新聞
だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。


書き起こし
だから静かにやろうやというんで、憲法もある日気づいたら、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法にいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。(数秒間を矯める)だれも気づかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。(聴衆大爆笑)

 聴衆の反応はあえて取り上げないとしても、朝日新聞詳細では、「ワイマール憲法は」と「は」として主題提示されているが、実発言では、「ワイマール憲法も」と、「も」で例示されているに留めている。つまり、この実際の麻生氏発言の文脈では「憲法」は例示に扱われている。主題提示ではない。
 また、実発言にある「さっき話しましたけれども」の文言が朝日新聞詳細では削除されている。
 「は」か「も」の差違はそれほど大きな差違ではないとも言えるが、この削除はなぜだろうか。意図的だろうか。朝日新聞詳細にはその参照個所が含まれているようにも見えるのに、なぜ削除されたのだろうか。
 ここで奇妙なことに気がつく。朝日新聞詳細は特定の視点から見た「詳細」であって全文ではないことだ。どうも前方部分が欠損しているようだ。あたかも、日本国憲法10条以降をもって平和憲法を論じるような形になっているようだ。探ってみたい。
 まず詳細の全文はこうである。

麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細
 麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。
ナチスの憲法改正「手口学んだら」麻生氏発言に関する記事はこちら
 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 ところがこの麻生講演について別途次のような要旨を朝日新聞は公開している(参照)。詳細で欠損され要旨で見える部分を強調しておく。それ以外が後で「詳細」として取り出されたわけである。

麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨
 麻生副総理の憲法改正関連の発言要旨は次の通り。
 麻生氏発言に関する記事はこちら
 護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。
 ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。
 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧騒(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 麻生講演の全文と理解されがちな「詳細」には、次の部分の要旨に相当する前の部分が存在したことがわかる。

 護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。

 この部分に関連した報道は、講演当日の朝日新聞報道で見つかる(参照)。

「護憲と叫べば平和が来るなんて大間違い」麻生副総理
■麻生太郎副総理
 日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。(東京都内で開かれたシンポジウムで)

 朝日新聞としては、当初、麻生講演をこのように報道して、後に共同報道から「ナチス憲法」が着目されるようになってのち、「麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り」として、その部分を取り出して「詳細」という報道をしたことが理解できる。


3 麻生氏講演の論旨は意外に明確。現状での改憲を望んでいない
 以上の考察から、麻生講演の全体像はまだ報道されていないように思える。
 加えて、その「詳細」に見られる前方部の欠損のために、問題とされる部分ついて、麻生講演の冒頭にまとめた論旨の文脈が見失われることにもなった。
 そこであえて、現状わかる部分の冒頭論旨と、問題箇所を簡素に要旨(書き起こし補正を加え)として繋げてみよう。こうなる。


 日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。
 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法もある日気づいたら、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。(聴衆、反語表現に大爆笑) わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧騒(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 こうしてみると麻生氏講演の骨格が明確になる。
 まず、麻生氏は現状での改憲を望んでいない。
 それ以前に「仮に改憲できたとしても」として、改憲に懐疑的である。
 ある意味奇妙とも言えるのだが、麻生氏は「国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)」という改憲派と見られる人々を前にして、現状での改憲は望ましくないと述べているのである。
 現状の改憲が好ましくない理由は、ヒトラーがワイマール憲法下で全権委任法を通し独裁を招くような事態が懸念されるからだ。そもそも麻生氏は「国家の安全や国家の安寧」が重要で「改憲は単なる手段」としている。
 ゆえに、喧噪の中で改憲を議論するのではなく、「国家の安全や国家の安寧」を国民が静かに議論ができるようになったら、その達成の手段として改憲を行うべきだと麻生氏は主張し、その際の陥穽として、反語表現として「あの手口をまなんだらどうか(その手口を学んではいけない・喧噪がないからと言って独裁はまずいでしょ)」としているわけである。


 しかし、なぜ麻生氏はこのような臆病な改憲論をもっているのだろうか。
 ここからは私の推測だが、日本国憲法はかなり改正が難しい硬性憲法であり、その硬性の意味を麻生氏が生涯問い続け、そこで2つの障壁を認識していたからだろう。一つは国民の喧噪という熱狂なかで改憲は行ってはいけないこと、二つ目は、しかし静かといっても民主主義を否定するわけにはいかないから、国民を誘導するような独裁性政権を導く手口は危険だ、ということだ。
 いずれにしても今回の口禍は麻生氏が、きちんとしたスピーチライターをもっていたら回避できたことだろうし、麻生氏の「失言」は記者が狙ってもいたのだろう。こうした事態を麻生氏が繰り返す点については、政治家としての資質に問題があると見なされてもしかたがないだろう。
 
 

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