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2013.07.13

「アベノミクスが新たなリスク」の意味

 IMFチーフエコノミストのブランシャールが「アベノミクスが新たなリスク」だと指摘しているというニュースが流れた。なんだろそれと首をかしげていたが、どうも大した話ではない。この手の話題にありがちにスルーしておくかとも思ったが、ちょっと気になることもあるので、簡単にメモしておきたい。
 気になるというのは、参院戦の時節でもあり、自民党や安倍政権を批判したいがための人がこのネタを持ち出して有権者からさらなる失笑を受けるようなことになるのも、どうかなと思うからだ。
 このニュースについてわかりやすい記事は、7月10日付け朝日新聞「「アベノミクスが新たなリスク」 IMFが初めて指摘」(参照)である。


「アベノミクスが新たなリスク」 IMFが初めて指摘

 【ワシントン=山川一基】国際通貨基金(IMF)のブランシャール調査局長は9日、安倍政権の「アベノミクス」が世界経済の「新たなリスクだ」と指摘した。一方、IMFは同日、最新の世界経済見通しで、日本の2013年の実質成長率予想を前年比2・0%増に上方修正した。
 ブランシャール氏は同日の会見で、世界経済の新たな懸念材料として「中国の金融システム不安や成長の鈍化」「アベノミクス」「米国の量的緩和の縮小による世界金融の不安定化」の順で、言及した。
 IMFはこれまでアベノミクスを支持してきた。リスクだと指摘するのは初めてだ。


 この記事はどう読んでも、「アベノミクスが新たなリスク」であり、しかも「IMFはこれまでアベノミクスを支持してきた。リスクだと指摘するのは初めてだ」という指摘からは、暗黙にもはやIMFがアベノミクスを支持していないという誘導が感じられる。
 この記事の通りであれば、けっこうなニュースだと言えるし、ブランシャール調査局長の原文を検証してみないといけない。これはあとで。
 朝日新聞以外に関連のニュースを検索したら、7月11日付けで朝鮮日報に類似の記事があった。「「アベノミクスはリスク要因」 IMFが警告」(参照)である。先の朝日新聞の記事を念頭に読んでみていただきたい。

 国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミスト、オリビエ・ブランシャール氏は9日、世界経済のリスク要因の一つとして、アベノミクス(安倍首相の経済政策)を挙げた。IMFはこれまでアベノミクスに好意的な立場を取っていたが、危険性を警告したのは今回が初めてだ。
 ブランシャール氏は同日、「世界経済見通し」の発表会見で、世界経済のリスク要因として▲中国の金融システム不安と成長鈍化▲アベノミクス▲米国の量的緩和縮小による世界経済の不安定化―を挙げた。朝日新聞は10日「IMFはこれまでアベノミクスを支持してきたが、リスク要因として指摘したのは今回が初めてだ」と報じた。
 ブランシャール氏は、日本政府が財政の健全性強化など構造改革を実行しない限り、アベノミクスが世界経済のリスク要因になり得ると指摘した。その上で「投資家が日本の財政の持続可能性に不安を抱き、日本の国債利回りが上昇しかねないことが懸念材料だ。そうなれば、財政運営が難しくなり、アベノミクスは苦境に立たされる」と分析した。

方顕哲(パン・ヒョンチョル)記者


 朝鮮日報の記事では、記事中に先の朝日新聞の記事への言及があるので、それを意識したものとも言えるし、基本の論調は同じものだと朝鮮日報は朝日新聞の記事を見ていると理解できる。
 朝鮮日報の記事は、このリスク要因に「日本政府が財政の健全性強化など構造改革を実行しない限り」という限定がついている。さらに「その上で」と条件を重ねて、その第二条件として「投資家が日本の財政の持続可能性に不安を抱き、日本の国債利回りが上昇しかねないことが懸念材料だ。そうなれば、財政運営が難しくなり、アベノミクスは苦境に立たされる」とある。
 朝鮮日報の記事から読み取れることは、IMF・ブランシャール氏の「アベノミクスがリスクになる」という意見は、次の二つの条件が順次適用された場合に限定されるということだ。経時的な二条件は、(1)日本政府が財政の健全性強化など構造改革を実行しない場合、(2)投資家が日本の財政の持続可能性に不安を抱き、日本の国債利回りが上昇した場合、である。
 このあたりで奇妙な印象を私は持つのだが、「日本政府が財政の健全性強化など構造改革」の意味がわかりにくい。印象としては、構造改革がなされれば財政は健全化されるという含みがありそうに思える。また、「など」に増税が含まれているかもしれない。
 普通のレベルの経済学的なセンスがあれば、日本財政の困窮は構造改革されないことによるのではなく、デフレによって名目上の税収が減ったことにあり、むしろデフレ脱却によって財政の健全化が達成可能になる。もう少し踏み込むと、アベノミクスのような2%のマイルドインフレは実質的には1%のインフレであり、これでは財政健全化に寄与できる名目上の税収向上には繋がらない。この点は、みんなの党が主張しているように4%のリフレが求められることになる。だが、現状ではまだそこまで議論できない段階だと見てよく、アベノミクスに現実性がある。
 また、同記事には「投資家が日本の財政の持続可能性に不安を抱き、日本の国債利回りが上昇した場合」とあるが、リフレをすれば国債利は上昇するのは当然で、問題は、どの程度の規模、どの程度の期間で上昇するかということになる。現状、日銀の11日の金融政策決定会合ではこう見られている(参照)。

長期金利については「米欧で上昇している中で、日本は極めて安定している」と指摘。日銀が毎月平均7兆円超の長期国債を買い入れることで「下押し効果が効いており今後も効果は累積的に高まる」と述べた。

 IMFのブランシャール氏が述べたとされるコメントに戻ると、氏が普通レベルの経済学的なセンスがないとは思えないので(まあ、私のいう普通レベルの経済学的なセンスというのがそもそも間違っているというのもあるかもしれないが)、氏の意見はどうも朝日新聞と朝鮮日報で奇妙な理解がされているのではないかという懸念があった。
 ロイターでは11日「日銀景気判断「回復」明記、中国経済の動向注視」(参照)としてIMF関連についてこう伝えている。

 国際通貨基金(IMF)のブランシャール調査局長が財政健全化策を伴わないアベノミクスを世界経済のリスクとして挙げたことに対して、「財政健全化が進まなければ、市場から不信任とみなされ金利が上がる懸念もあり得る」「今のところ日本政府は懸念を理解して努力している」との見方を示した。

 朝鮮日報よりは明瞭に「財政健全化」とされているので、これだと構造改革よりはわかりやすい。
 さて、こうした問題は原文を検証するに限る。原文はIMFのサイトに掲載されている「Global Outlook -- Still Three Speeds, But Slower」(参照)である。当面の話題の該当分は次。

The second is Japan's Abenomics, namely the "three arrows" of fiscal stimulus, aggressive monetary easing, and structural reforms.

第二点は日本のアベノミクスであり、これは通称「三本の矢」とされている。財政刺激策と、積極的な金融緩和、それと構造改革である。

Unless the second arrow is soon complemented by a credible medium run fiscal plan, and the third arrow reflects substantial structural reforms, the risk is that investors become worried about debt sustainability, and ask for a higher interest rate. This would make it difficult for Japan to maintain debt sustainability.

第二の矢が信頼できる中期的な財政策で早急に補完されず、かつ第三の矢に実質的な構造改革が反映されないなら、投資家が債務の持続可能性を懸念し、国債により高金利を求めることがリスクになる。このことが、日本の債務の持続可能性の維持を困難にするかもしれない。


 まず、第一の矢は問題になっていない。
 ではリスクは何から生じるのか? それは、(1)適切な財政策が遅れること、(2)実のある構造改革が進まないこと、の2点である。
 おそらくこの構造改革に含まれているのは、女性の社会進出だろう。市販薬のネット販売解禁とかの話題は安倍総理の冗談だと思いたい。
 ということで、朝日新聞の誤報とまではいえないまでも、アベノミクスがリスクになるというのは、第二・第三の矢が適切に進まないと、債務問題が悪化する可能性がありますよ、ということだ。
 参院戦の文脈でアベノミクスをまともに批判するなら、ブランシャール氏のように、財政出動を早急にきちんと実施しなさい、また女性の社会進出を進めるように保育制度を完備しなさいということになるだろう。
 別の言い方をすると、こういう批判ではないアベノミクス批判は、むしろブランシャール氏が懸念するリスクを高めることになる。
 ブランシャール氏は今回のコメントでもう一個所、アベノミクスに言及している。

Even in the core countries, forecasts have been revised down. Lower exports, and induced low investment, are playing a major role in Germany. A large fiscal consolidation is playing a big role in France. But there seems more at work here–a general lack of confidence in the future, which, if it does not turn around, may turn out to be partly self fulfilling.

主要国ですら、予想は下方修正された。投資低下がもたらした輸出低迷はドイツで多大な要因となった。大幅な緊縮はフランスで大きな要因となった。しかし、現状対処することは、未来に対する全般的な自信喪失であり、これが好転しないなら、いくぶんかは予想されたとおりに落ち込んでしまう。

One could say Japan falls in the three and a half speed. While it is too early to tell how much of it reflects Abenomics, growth this year has been stronger than expected, and confidence appears to be building.

日本は3.5の速度に落ちると言う人もいる。それがアベノミクスの影響かどうかについてはまだ言及できる時点ではないが、今年の成長は予想より力強く、信頼が形成されつつある。


 日本はむしろよい方向に向かっているので、もっと頑張れというのが、ブランシャール氏の意見と読めるだろう。
 
 

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2013.07.11

[書評]子どもの頃の思い出は本物か(カール・サバー)

 暑い。猛暑だ、もうしょうがない。駄洒落を言っている場合ではない。が、そのくらいしか脳が動かない。せめても睡眠くらいは取りたい。と、夜は真夏向きのエアコンディションをするが、昨晩ちょっと設定を間違え、深夜、暑苦しさに目覚めることになった。暑苦しさで悪夢も見ていて、その悪夢から目覚めたという感じでもあった。
 悪夢から目が覚めて、呆然としていた。襲われるとか殺されるとか、落下するとか突き刺さるとか、巨人に喰われるとか、そういうシンプル恐怖系の悪夢ではなかった。
 夢のなかで私は四歳か五歳だった。夜になり部屋を開けると、部屋はがらんとしていて布団がなかった。私は呆然として空っぽの薄暗い部屋を見回し、お布団がない、お布団がないとつぶやいている。そのうち、お布団がないよ、お布団がないよ、お布団がないと眠ることができないよと、泣き出すのである。
 実際には夢だから、寝ているのに。
 夢のなかで幼い私は、悲しくて呆然として孤独に締め付けられるようにして泣き続けた。
 そして目が覚めたのだった。悲しさがぐっと胸にこみあげたまま。
 どうしたわけなのだろう。私は55歳である。鏡を覗くと、ネットでよく罵倒されるように爺然とした男の顔がある。四、五歳の子供ではないのだ。なのに、夢のなかではすっかり四、五歳の子供になって、お布団がないよ、寝れないよと、泣いているのである。
 夢から目覚めて、冷蔵庫に冷やしてあるミントティーを飲んで、しばし呆然としながら、現実の老いた自分を確認するのだが、四、五歳の子供としての自分の自意識がまだリアルに残っているのを感じる。
 やりきれない。
 暑苦しさから、エアコンの設定が間違っているのを見つけて、調整し直したものの、眠気はもうない。
 自分の無意識はいったい何を抱えているのだろうか。いや、ただ暑さの寝苦しさから見ただけの悪夢ではないか。そう思おうともする。
 そうもいかない。あれは夢だったのか。もしかして記憶だったのではないか。と考える。というのも記憶のような実感が多少ある。
 理性的になれよ自分、と問いかける。
 記憶ではないだろう。だが、失われたか、あるいは抑圧された記憶が再構成されて、ああいう悪夢になったのだろうという感じはする。もし、記憶がそれに関連しているとしたらそれはどういう記憶であり、どういう事実が私の幼いころにあったのか。
 いや、それはもうなんどもなんども考えつくして、諦めたはずだった。

cover
子どもの頃の
思い出は本物か
 そういえばと、『子どもの頃の思い出は本物か: 記憶に裏切られるとき』(カール・サバー)を書架から取り出し、パラパラと捲る。原書は2009年、翻訳書は2011年に出ている。
 内容は、オリジナルのタイトルを直訳した「子どもの頃の思い出は本物か: 記憶に裏切られるとき」ということからそのまま想像してよい。人間の記憶はどんなにリアルに感じられても、真実だったというわけでもないし、まして子供の頃の記憶は歪むものだ。この心理学的な事実が、ジャーナリストであるカール・サバーによって、基本的には学術的に語られていく。説得力もある。
 全体は12章あり、記憶の不確実性について淡々とまとめているという印象だが、本書の中心的な課題は、第5章「記憶戦争の勃発」から後半に展開される、子供時代のトラウマの記憶は本物かという点にある。
 なぜそのような展開になるのか。背景には1980年代以降米国で問題となった"false memory"(偽りの記憶)の問題がある。精神医学的には本書でも使われているが、"false memory syndrome"(FMS, 偽りの記憶症候群)の問題である。この時代、精神的な問題やトラウマを抱えている人たちを催眠にかけ抑圧された記憶を引き出すと、子供時代に虐待された記憶が引き出されることがあった。こうした事例をもとに、米国では1988年「The Courage to Heal」(4版・参照)が書かれ、記憶のなかに抑え込まれた虐待のトラウマを明るみに出して対応することで、トラウマを克服していこうとする傾向が生まれた。実際には、父親から受けた性的虐待の克服という女性問題の文脈もあった。
 日本でも1997年に三一書房から『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』(参照)として翻訳され、長く絶版だったが、2007年に新装改訂版が出された。なぜかアマゾンでは販売されていない。
 本書『子どもの頃の思い出は本物か』は、明示して書かれているがこの『生きる勇気と癒す力』への科学的な見地からの批判書という趣きがあり、実際のところ、この問題が本書の価値と見なされていたといってよい。簡単にいえば、トラウマとなる子供時代の記憶は事実とは限らないということである。
 なお、同趣向の書籍として 誠信書房から2000年に『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(参照)も出ている。が、心理学的な実験も含まれているもののノンフィクション的であり、『子どもの頃の思い出は本物か』のような冷静なトーンで書かれているわけではない。
 現状、米国の心理療法の世界では『生きる勇気と癒す力』のようなトラウマ記憶を復元して治療するという療法はもはや実施されてはいないように見える。
 では、トラウマの問題はどうなのか。あるいは、たとえ虚偽の記憶であっても、記憶としてそれが心深く存在しているということはどういうことなのか。本書の結語ではこう暗示されている。

 記憶が正確かどうかという問題とは別に、これまで考えられていたよりもはるかに強い関係が、記憶とアイデンティティの間にあることがわかってきた。

 そんなこと当たり前だろうという印象もあるが、心理学的には現状こうした段階になるだろう。
 私の内省からすると、記憶とは「自分」という存在の創世記的な神話だろうと思う。「お布団がないよ、眠れないよ」と泣く存在が私のアイデンティティの核近くにあるのだろう。
 救いようがないなあ自分と思うが、それでも、これでも、少しずつ救いようがあるようにも思っている。
 以前ならこうした悪夢は、憎悪の対象像を結びがちだった。いわく、親からの虐待の経験が素地になっているのだろうとして、親を憎悪するといったものである。が、今ではそうした憎悪対象的な感覚は抜けている。一つには、自分の人生を振り返ってもうそれが取り戻せはしないことを納得したこと(自著の自分への効果でした)と、そうした対象憎悪そのものが、一つの心の病なのだと自分で受け取るしかないだろうと観念したことだ。
 
 

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2013.07.10

文春の「安藤美姫選手の出産」アンケートで思ったこと

 フィギュアスケートの安藤美姫選手が未婚で女児を出産していたことについて、週刊文春が「緊急アンケート! 安藤美姫選手の出産を支持しますか?」(参照)としてをインターネット上でアンケートを実施し、話題になっていた。いや、話題というよりは、文春への批判で炎上と言ってもよいような光景があった。
 ネットでの典型的な批判は、この件で注目されていた弾小飼さんのブログのエントリー「あなたはあなたの母があなたを出産したことを支持しますか?」(参照)で読める。まず、こういう切り出しだった。


むしゃくしゃして書く。後悔のやり方は知らない。
緊急アンケート!安藤美姫選手の出産を支持しますか? | お知らせ - 週刊文春WEB

この突然の告白に対し、出産を祝福する声が上がると同時に、まだ結婚しておらず、父親が誰かも明かさないことへの疑問や、子育ても競技も中途半端になるのではないかなどの批判もあります。そこで、下記アンケートへのご協力をお願いいたします…

1)あなたは安藤美姫選手の出産を支持しますか?
2)子育てをしながら五輪を目指すことに賛成ですか?

何を言っているのかわかっているのか?

「安藤美姫選手の娘がこの世に生まれて来てよかったですか?」と言ってるんだぞ?

ブラック企業に対しては、就社しない権利もあれば、就社してしまったとしても退社する権利がある。我々にはある。

公職されるにふさわしくない候補には、投票しない権利が我々にはある。

しかし、自らを生まれなかったことにする権利、以前に能力が、誰にあるというのか。

これがまだ、安藤選手が妊娠する前に「結婚はしたくないけど、出産したいです」とでも表明していて、それに対するアンケートであれば、依然下衆ではあるとはいえまだ許されよう。それは彼女の未来で、彼女にはそうすることもしないことも選べるからだ。

しかし出産はもはや成されたのだ。娘はすでにこの世にいるのだ。


 私は率直に言って安藤美姫選手の出産にそれほど関心はなかった。以前、トリビアの泉で10代の彼女を見て、子供らしいかわいい人だなあという印象を持ち、またオリンピックの演技なども見ていたので、彼女に関心がまったくないわけではないが、出産にはそれほど関心はなかった。正確に言えば、「未婚」での出産ということに関心がないわけではない。が、俵万智のそれと同程度の関心でしかない。いずれ父親が事実上出てくるのか、どういう人生を辿るのかという関心と言ってもよいかと思う。
 アンケートを実施した週刊文春(文藝春秋社)のような関心はもたない。こうしたアンケートを見ても私という人はただ通り過ぎていくだけだが、一つ思うことはあった。あとで述べる。
 話を弾小飼さんのエントリーに戻すと、私にはこの反応のほうに違和感があった。率直に言うと、文春のアンケートからそういう受け止め方ができないわけではないが、その怒りの感情の根は氏自身が生み出した修辞なのではないかという印象を持ったからだ。総じて、ネットでの反応はバッシングの修辞をみんなで頷きあって炎上祭りを演じていたように思う。同化しがたい空気を私は感じたが。
 修辞ではないかなと思うのは、弾さんの引用にもあるが、原文では、次の文言があったこともある。その部分を強調しておく。

 フィギュアスケートの安藤美姫選手が7月1日の「報道ステーション」で4月に女児を出産していたことを公表しました。また、競技に復帰し、来年のソチ五輪を目指すことをあらためて語っています。

 この突然の告白に対し、出産を祝福する声が上がると同時に、まだ結婚しておらず、父親が誰かも明かさないことへの疑問や、子育ても競技も中途半端になるのではないかなどの批判もあります。そこで、下記アンケートへのご協力をお願いいたします。

1)あなたは安藤美姫選手の出産を支持しますか?
2)子育てをしながら五輪を目指すことに賛成ですか?

各質問にお答えいただき、理由も併せてお答えください。


 文春側としては、「出産を祝福する声が上がると同時に」とあるように、こうした状況で出産すべきかの是非が問われているわけではない。もちろん、この表現には、「出産を祝福しない声」も想定されている。が、修辞的に「出産を祝福しない声」を切り出すのではなく、意味は文脈から読み取るのが通常だろう。
 もう少し補足すれば、例えば、親や周囲から反対されて結婚した夫婦に子供が生まれた場合、その生まれたことを前提に、「その出産を祝福しない声」というのはあるだろう、という文脈での意味になる。
 文脈を歪めてまでバッシングしたいものだろうか、というバッシングへの一般的な批判がしたいのではない。誤解無きよう。普通に文春の問いかけ文はそういう文脈で読めるでしょうというくらいなものだ。
 とはいえ、ここは強調しておきたいのだけど、そもそも市民の出産についてとやかく関心をもつのはどうかと思う、というのはある。もちろん、安藤美姫選手は著名人であり、週刊文春はタブロイド的な大衆雑誌であるというのもあるだろう。
 加えれば、こうした文春の問いかけについて、インターネットの世界では基本的な反意の環境があるというのも言えるだろう。だから、そこに修辞的に足を掬われるような文春の問いかけが適切ではなかったというのもそうだろう。PC(ポリティカル・コレクト)な世界である。
 そう受け止めるなら、ひろゆきさんがブログ「安藤美姫選手のアンケートの結果を見たほうが良かったと思う理由 : ひろゆき@オープンSNS」(参照)でこう述べられている指摘には同意する部分が多い。

世の中には、多種多様な人達がいて、考え方が偏ってる人達もいるわけです。
安藤さんが母として生きることや、娘さんが生まれただけで批判されてるのが気にならない人が、日本の中にいるという事実を知ることは意味があると思うのですよ。

喜ばしいことではないですが、現実がどんなものか知らないと、対処の方法を間違えることがありますし。。。

ってことで、週刊文春は批判されるのがわかってスタートしたんだから、最後まで結果を出して批判されてくれればよかったのに。。。と思ったりするおいらです。

あと、出産と仕事が両立出来ないって前提になってるのがおかしいと思うのですよね。ベビーシッターを雇って、子育てを完全に外注して、今までどおり仕事するとか、やり方はいろいろあるのに、両立出来ない前提で考えちゃうのは、どうしてなんすかね?


 世代間の社会認識の違いというのを契機に明るみに出す、という意味で、ひろゆきさんの意見にはうなずけるし、「現実がどんなものか知らないと、対処の方法を間違えることがありますし。。。」とお茶を濁されている部分が、実際には、この問題の核心だったりする。
 ここも補足すると、弾さんの怒りは、具体的に私生児を産んだ人々への支援の契機を生まないだろうと思う。そして現実は、ひろゆきさんがお茶を濁されているように、私生児への世間の風当たりは強い。
 そのあたり、内舘牧子が脚本を書いた、2002年のNHKの朝ドラ「私の青空」(参照)が興味深かった。この10年も以前のこの作品は週刊文春の読者層とも重なっている部分があり、そうした影響から、むしろ、ネット上で活躍される世代より、もうすこし深い陰影がアンケート結果から見られたかもしれないとも思う。ちなみに、この作品はとてもよく出来たものでしたよ。
 さて先ほど「あとで述べる」としたのは、今回の文春の問いかけで、私が思い出したのは桐島洋子のことだった。
 東京オリンピックがあった1964年のことだったが、27歳の桐島洋子は未婚のまま子供を産んだ。これが後に世間に知られて大騒ぎになった。小学年の私ですらこの話題が記憶に残っているほどである。
 この時の子供が桐島かれんである。当時の話題はまさに今回の文春の問いかけそのもので、未婚で子供を産んでよいのか、ということだった。そこで私などは、「ああ、文春は桐島洋子の話題を繰り返しているのだろうな」と今回のことで思った。文春のようなオールドメディアは半世紀してもそれほど基軸の感覚は変わらないのだろう。
 このときには、未婚の母という以上の話題性もあった。一つは相手が妻子ある米人だったこと。また桐島洋子はけっこうな家柄の出のお嬢さんだった(斜陽でもあった)。この二つの要素は、小島信夫『アメリカンスクール』(参照)のようなインパクトもあった。同小説は1955年の発表だったが、1964年はそれから10年は経っていない。現在から2000年を振り返るよりも短い時間だった。
 今回桐島洋子を思い出したのは、もう一つ思うことがあったからだ。当時彼女は、文藝春秋の記者だったことだ。比較的現代のイメージだ『働きマン』とかのイメージにも近い。当時の彼女は、将来は編集者になりたかったのである。文春の編集者である。
 彼女の私生児出産は、勤め先の文藝春秋社にも当初は隠されていた(同僚までまったく隠すというのは無理だったろうと思うが)。会社には長期の病欠で出産し、その後一週間ほどで職場復帰した。生まれたばかりのかれんは知り合いに預けられた。かれんの幼い頃の記憶には、たしか母の思い出はなかったように記憶しているが、どうだっただろうか。
 翌年桐島はノエルを洋上で出産するも、これも隠し通そうとした。が、仕事がきつく、結局文藝春秋社を退職。フリーランスとなり、1968年にはローランド(今や参院戦で時の人!)を出産。妊娠はベトナムでだった。
cover
淋しいアメリカ人 (文春文庫)
 未婚の母、桐島洋子はかくして三人の子供を立て続けという感じで産んでいったわけだが、生物学的な父親である恋人の米人とはもつれた。その関連で米国に滞在してドラマのような経験をした。
 こうした自分の流転をネタに1970年、『渚と澪と舵』(参照)を出版。さらに翌年『淋しいアメリカ人』(参照)を出版して大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
 私はこれを月刊文藝春秋で読んでいる。今思うと、私は小学六年生で月間文藝春秋を読んでいたことになる。というか普通に読んでいたものだった。
 改めて言うまでもなく大宅壮一ノンフィクション賞は文藝春秋社の主催である。同書は文藝春秋社から刊行された。処女作『渚と澪と舵』も文庫では文藝春秋社に帰した。
 文藝春秋社は、ネタということもあっただろうし、桐島洋子も力量のあるライターとなったことも当然があるが、未婚の母である桐島洋子の人生を、結局、フルサポートしたのである。
 文藝春秋社というと、現在ではイスタブリッシュメントのように見えるが(余談だが私はあのレトロなロビーに入ったことがあるが)、ジャーナリストの集団であり、ジャーナリストというのはいわばインテリ・ヤクザである。アウトローである。娑婆で力強く生きて行くなら、私生児の母の味方である。と私は思う、50年ちかく文春を読み続けた私はそう思う。
 今回の安藤美姫選手のアンケートで、私がまず感じたのは、桐島洋子を結果的に支えたインテリ・ヤクザの臭いだった。しかしネットの世代のバッシャーたちは、「私生児の存在を許さないのかオヤジたちは」と思ったのだっただろう。
 時の流れと感性というものだろう。桐島洋子も先日、76歳になった。この年代の少なからぬ女性たちも、桐島の生き方をサポートしてきたものだった。
 現在のネットから見ると、日本社会の老人たちは保守的だとステロタイプで批判されることが多いが、ネットを出てみれば、そんなことはないとわかるものだ。私生児だろうが、被差別者であろうが、断固これを支持する70過ぎの老人たちも少なくはない。
 
 

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2013.07.09

テストステロン補充は無益で危険なのか、というか米国近年の実態は化粧品のようになっている

 男性の場合、当然といえば当然だが、加齢とともに男性ホルモンであるテストステロンが減少する。そこで昨日のエントリーではテストステロンの補充に、慎重ではあるが、どちらかと言えば肯定的な立場の書籍を紹介した(参照)。が、この逆の方向も米国では話題になっている。いわく、テストステロン補充には効果がないのに金がかかり、有害ですらあるというのである。
 特にこのところ話題になったのは、7月のコンシューマー・レポートの提言だった(参照)。これがけっこう強烈なもので、結論を先に言えば、テストステロン補充は効果がないからやめなさい、というものだった。
 話はコンシューマー・レポートらしく、テストステロンの市場での売上げ状況の説明から始まる。効果の有無は医学的な問題であり、市場動向とは直接は関係ないようだが、現実的には産業界の売らんかなの姿勢の影響はあるだろう。掲載されている棒グラフは確かにわかりやすい。一番上が広告費の増加、二番目が処方の増加、三番目が収益の増加。

 広告費の伸びの点で2012年が際立って増加している。売上げが二年間で倍になるのだから当然とも言えるだろう。対して、処方も売上げに増加しているが広告ほどではない。医療としては新しい傾向とはいえるだろう。
 テストステロン業界といったものがありそうに見えるが、実際には、二製品、アンドロジェル(AndroGel)と、アキシロン(Axiron)の寡占状態である。
 問題の効能についてだが、コンシューマー・レポートではまず、米国泌尿器教会は近年のテストステロンは過剰であり、治療には危険が伴うとしていることを伝えている。が、同協会のサイトからは明瞭には理解できなかった。同協会のこの話題について配布したパンフレット(参照)では、テストステロン療法はED治療ではないという点が強調されている。それはそうだろう。
 その他、同レポートでは2010年のニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンの研究から、テストステロン療法に効果が無かったという例を引いている。記事からは原典がよくわからないので別途探すと「テストステロン療法に関連した有害事象」(参照)のようだった。が、この研究の主眼はいわば心疾患の副作用なので多少文脈が違うようには思えた。
 その他の問題点も同リポートは言及しているが、医学的な確実性という点ではそれほど強固のようにも思えなかった。
 製薬会社としてもこの分野で一稼ぎしたいことはわかるし、現実、無用な、あるいは有害な結果となる処方はあるのだろう。が、一概に否定も難しそうだ。結局、専門医にまかせるということになり、コンシューマーの問題だとは簡単には言いがたいように思えた。
 いずれにせよ十分に知識のある専門医からの診断を得て実施するという他にはないのだろう。
 ここでちょっとちゃぶ台返し的な話の展開になってしまうのだが、現実話題となっているのは、アンドロジェルとアキシロンで、どちらも塗るタイプのものだ。アキシロンにいたってはデオドラントの化粧品のようですらある。

 利用者の理解としては、育毛剤のミノキシジルのような感覚になり、テストステロン補充療法という意識は薄いように思われる。
 昨日触れた『ヤル気がでる! 最強の男性医療 (堀江重郎)』(参照)はもっと明確に医療として理解しやすいし、『ライフ・プランの修得 健康で締まった強くセクシーな身体(Mastering the Life Plan: The Essential Steps to Achieving Great Health and a Leaner, Stronger, and Sexier Body)』(参照)のライフ先生の意見を読み返すと、彼はこうした外用タイプについて、吸収が安定的ではないし、セックス・パートナーや子供にも影響しかねないとして、好まないとしている。彼は注射を利用している。
 つまりここでも医療としてのテストステロン補充療法の明確さが問われていると見てよいのだし、逆にコンシューマー・レポートが問題視するのは、安易な外用薬のほうではないだろうか。
 まあ、ざっとこの分野を見ていると、すでに日本でもアンドロジェルとアキシロンは実質利用者がいるんじゃないだろうかという感じもする。
 
 

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2013.07.08

[書評]ライフ・プラン: どんな男性でも健康を維持し、セックスを楽しみ、強くしまった体が持てる(ジェフリー・ライフ)

 人間誰でも年を取り老化するものだが、それに抵抗していつまでも若くいようという「アンチ・エージング(抗老化)」という健康分野がある。僕は自著『考える生き方』(参照)にも書いたけど55歳。今年は56歳。あーあ。どうしても老化は自覚される。しかたがないから受け入れようという思いと、でもじわじわと老化していくのも嫌なもんだなという思いがある。病気も抱えているので(これも自著にも書いたけど)、できるだけ健康に留意しないというのもある。そんなこんな。
 そこでたまにアンチ・エージングの世界も覗いて見る。最近ではなんとなくツイッターでこの分野の権威である高須克弥先生(68)歳からツイートもらって、叱咤されることもある。けっこう面白い。


左ガッツポーズが高須克弥先生(68)

 米国でアンチ・エージングのスーパースターといえば、ジェフリー・ライフ先生である。ライフ(Life)って言う名前、洒落かなと思ったけど、どうも本名らしい。ライフ先生もまた凄い。


左が57歳のとき。右が74歳のとき。


近影

 うぁ、これはすごい、と思うけど、この手の高齢ボディビルダーの人もいることも知っているので、そんなものかなあとも思っていた。
 でも、このところ筋トレを始めるようになったので、ちょっと気になってライフ先生の本を読んでみることにした。結果からいうと2冊、Kindleで読んだ。翻訳があるのかについては知らない。あったら、コメント欄ででも教えてください(コメント欄は、ブコメは罵倒を書くためにあるわけでもないので)。

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The Life Plan
 『ライフ・プラン:どんな男性でも健康を維持し、セックスを楽しみ、強くしまった体が持てる(The Life Plan: How Any Man Can Achieve Lasting Health, Great Sex, and a Stronger, Leaner Body)』(参照)が一冊目。これ読んだときは、実は続編があるのを知らなかった。冒頭からいきなり、こうかます。

 ほとんどの男性、私も含めてだが、二通りに自分を定義するものだ。人生で何をしたかということ、それと、ベッドの上でどうしているかということ。

 人生で何をしたかについては僕も先に触れた自著で書いたけど(とほほな人生でした)、ベッドの上でどうしているかについては、なんであれ、ちょっと書くのをためらう。70歳を越えたライフ先生はどうされているのかと読み進めると、具体的には書いてない。でもまあ、書いてあるといえば書いてある。それを含めてこんな感じだ。
 ライフ先生、50歳のときに下腹ぽっこりの体型だった。筋肉も衰えてきていた。お医者さんでありながら見るからに不健康な状態。仕事にも熱が入らない。セックスの気力もない。ED状態。ど・メタボ。自分の姿を鏡で見て、ずどんと落ち込む。ライフ先生、59歳。離婚もした。だめだめちゃん。
 とか思うけど、離婚後、ささっと20歳年下の恋人を見つけちゃう。おい、EDはどうした。精神的な恋愛だったのかい。
 そんなある日、友だちがボディ・ビルの雑誌をくれた。いっちょやってみるかな、とライフ先生は思った。そこはお医者さんだから、医師仲間にも助けてもらった。実はあとでわかるのだけど、20歳下の恋人催眠療法家で、メンタルな援助もあったみたいだ。
 かくしてメタボなライフ先生が一念発起して筋トレに励み、高齢枠のボディ・ビルのコンテストに挑むこと5か月。1998年に優勝しちゃった。60歳のマッチョ。やったね。
 というわけで、みんな筋トレに励みましょうという話なんだろうと読んでいくと、さにあらず。ええ? 数年後、トレーニングしているのに下腹が出てきて筋肉も減少。ありゃりゃ。
 2003年、ライフ先生は男性の老化を扱う医学を知り、ホルモンレベルの調節をした。すると、ばっちグーな体型に戻った。72歳のとき、恋人と正式に結婚した。知的能力もアップし、20代の学生に混じって経営学も勉強し、MBA(経営学修士)も取得した。
 という話を読んで、僕は、なーんだ、そういうことか、とちょっと落胆した。と同時に、自分もそういうふうにホルモン・レベルの問題を抱えるようになるんだろうなと思い、そういう点からこの本を読むのもいいかもしれないとも思った。ところが。
 そのホルモンの問題は、それなりにページは割かれていてタメにはなるのだけど、基本的に一般論的にしか触れられていない。具体的には医療の問題になるから個人個人診断が必要になるということらしい。
 同書の内容のメインは、アンチ・エージングの話やアンチ・エージングの食生活(ダイエット)の話。それからワークアウトとして、柔軟、筋トレ、エアロビと続く。どれもタメにはなるけど、それほど驚くような知見はない(でも基本を知らない人には便利にまとまっている)。
 逆に言うと、筋トレは重要だけど、柔軟やエアロビも重視されているんだなあと思った。加えて奥さんの補助らしいけど、心理的な側面についてもけっこう言及されていた。米国の医療保険の話などもあり、このあたりは別の意味で面白い。
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Mastering the Life Plan
 もう最新の一冊『ライフ・プランの修得 健康で締まった強くセクシーな身体(Mastering the Life Plan: The Essential Steps to Achieving Great Health and a Leaner, Stronger, and Sexier Body)』(参照)だが、目次を見ると前作の焼き直し感があって、これどうなんだろうと思ったけど、書評などを読むとこれはこれで評価されているみたい。なので、どうかなあと疑問に思うより買って読んでみた。本というのはいろいろ読まない理由を付けるより、そんな手間があったら読んじゃうほうがいいもんですよ。
 「ライフ・プラン」というメソッドを売りにしている点では、前著と同じなのだけど、こちらのほうがメソッドが強調され、説明も詳細。ホルモン問題も当然一般的ではあるけどかなり踏み込んで書かれていた。書籍としては、前作のほうがライフ先生のパーソナルな面が出ていて良かったかなという感じもするけど、新著のほうではそういう話は前著で済んだというスタンスだった。
 ワークアウトの点では、前著のころからライフ先生が学んでいたピラティスの話題が増えていた。とはいえ、ピラティス・マシンはごく簡素なものだった。
 余談だが、日本でもピラティスがいつごろからかブームになっているけど、ピラティス・マシンをきちんと使う説明書みたいなのは見かけない気がする。そういえば、筋トレでも書籍とかだとダンベルやチューブや自重ものが多い。自分も筋トレやってみてわかったのだけど、マシンは最新式のきちんとした使ったほうがよいので、なんというのかなあ、日本の書籍って限界があるなあと思う。自分が30代に入れ込んだヨガなんかでもそうだけど。
 そういえば、ダイエットについてライフ先生はもう一冊新著を書いている。『ライフ・プランのダイエット(The Life Plan Diet)』(参照)。Kindle版は出ていない。
 関連してライフ先生のこれらの本、日本で翻訳するとどうなんだろうかとも思った。自分なんかにはすんなり理解できて良書、特に『ライフ・プランの修得』のほうはかなり実際的なんだけど、簡単でお気楽で安価な対応が求められちゃう日本だと難しいかもしれないと思った。
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ヤル気がでる!
最強の男性医療
(文春新書 919)
 ついでと言ってはなんだけど、男性高齢化のホルモン関係で『ヤル気がでる! 最強の男性医療 (堀江重郎)』(参照)も読んでみた。これはこれで一冊、書評で取り上げたほうがいいのかもしれないけど、この分野の最新状況がわかって便利な一冊だった。
 ライフ先生の本を先に読んでいたので、特にテストステロンについの新知見では同じことが書かれているなという部分も多かった。日本でこういう本が出るということは、自分もこれから老いていくどこかでホルモンチェックしたほうがいいのだろうなという参考にもなった。なお、こちらの本でも、ライフ先生の本同様、食事やサプリメントの話も多いが、多少違うなあという部分もある。
 こちらの本の特徴とも言えるのは、前立腺癌について、とくにPSAマーカーについての議論だろう。現状、健康診断のPSAマーカーの検査には疑問が付けられているが、著者・堀江先生ほど明瞭な知見のある医師のもとであれば、有益なのだろう。あと、癌一般についても言及され、癌幹細胞についても触れられている。一般書で癌幹細胞が出てくる時代になったなあとしみじみした思いもある。
 50過ぎた男性であれば、この本は一読しておくとよい本だと思いますよ。
 
 

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