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2013.06.22

仏教徒による人権侵害とレイシズム

 人権問題を考えるとき気を付けることは、人権とは普遍的なものだということだ。陰画的にいうなら、ナショナリズムの枠組みのなかで人権が問われているときには、人権を希求するかに見えて、巧妙に転倒されたナショナリズムに陥ってしまう危険性に注意を払うべきだろう。特に、日本の人権問題を日本の権力構造や社会構造として問うとき、それは具体的な条件においては例えば日本国の法のありかたとの関連で問うときには十分な有効性をもつが、いつしか、日本の権力構造や社会構造を批判するがために人権がその批判の道具となっているなら、批判という構図でありながら、現実的には日本にしか関心が限定されていない極めてナショナリズムの傾向を帯びる。また、日本の人権が個別の他国との関連で問われるときも、その傾向が強まる。しかし、人権とは普遍的なものであり、普遍の光の下で、日本を越えた世界の全体のなかの市民としてまず本質的に問われるものだ。そしてその全体像のなかで、むしろ各個別の国家が有している、結果的に普遍的人権を隔離するナショナルな仕組みを暴露してくことが問われる。具体的にそれはどういうことなのか?
 この問題で現下興味深いのは、ミャンマーで生じている、仏教徒によるイスラム教徒迫害である。すでに仏教徒によってイスラム教徒250人が殺害されている(参照)。虐殺と言ってよい。さらに主にイスラム教徒だが15万人が住居を追われた。深刻な状況は現在も継続している。
 国際的な報道では、20日にタイム誌が取り上げ(参照)、同日ニューヨークタイムズも取り上げた(参照)。この二つを受ける形でワシントンポストも21日に取り上げた(参照)。概要はワシントンポスト記事がわかりやすい。
 これらに先だってガーディアンも4月の時点で、この仏教徒によるイスラム教徒迫害の中心人物ウィラトゥー師を取り上げていた(参照)が、日本国内報道ではなぜか、タイムス、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストでのこの数日の話題に言及せずに、ガーディアンのみを記した21日付け毎日新聞記事「ミャンマー:「イスラム嫌悪」広げる高僧 仏教徒に陰謀論」(参照)が見られた。それでも日本語なので読みやすい。人権が日本の報道においてどのように配慮されているかという視点に留意して読んでみたい。


敬虔(けいけん)な仏教国とされるミャンマーで仏教徒とイスラム教徒の宗教暴動が頻発している。テインセイン大統領は「民主化への脅威だ」と危機感を募らせるが、国民の9割とも言われる仏教徒の「イスラム嫌悪」は強まるばかりだ。そんな中、米欧メディアやイスラム教徒から暴動の「黒幕」「扇動者」と指弾され、「ビルマのビンラディン」と呼ばれる高僧の存在がクローズアップされている。【マンダレー(ミャンマー中部)春日孝之】

 以下に内容が続く。質疑の部分が毎日新聞の記者の独自取材なのかは明瞭にはわからない。

 ◇「釈迦の教えだ」
 「ビンラディン(2011年、米軍により殺害)は国際テロ組織アルカイダを率いたイスラム過激派ですね。あなたも過激派ということですか?」
 古都マンダレーの僧院で渦中のウィラトゥー師(45)にそう向けると「仏教は中庸の宗教で、私は釈迦(しゃか)の教えに従っているだけですよ」と笑みを返した。
 師は、イスラム教徒の商店でモノを買うなといった「不買(ボイコット)」を奨励する。改宗を迫られるイスラム教徒との結婚は避けるようにとも説く。
 「彼らは人口を増やして経済力をつけ、国家を乗っ取るつもりだ」とみているからだ。政府統計ではイスラム人口は4%で主にインド系。だが、専門家の間でも「統計は過少」との見方が一般的だ。
 師の僧院はビルマ王朝期の創建で国内最多の約3000人の僧を擁する。古代インドで仏教を保護した大王「アショカ」の名を冠し、国民の敬意はあつい。その中で師は仏法を極めた順に上位7番目の中心的な立場にある。
 師は自らの布教を、仏教の三宝(仏法僧)を意味する数字から「969運動」と呼ぶ。運動のステッカーにはアショカ王の有名な石柱をあしらった。石柱に彫られた王の紋章の車輪は「真理」を意味し、神話ではこれを回し「悪」を退治した。
 師が運動を始めたのは軍政期の01年末。この年3月、アフガニスタンのバーミヤンで大仏がイスラム勢力に爆破されたのがきっかけだ。9月には米同時多発テロが起き、これら事件の背後にいたのがビンラディンだった。
 師は「歴史的にイスラム教徒はジハード(聖戦)の名の下に異教徒を殺りくし、改宗を強いてはイスラム支配圏を広げてきた」と指摘する。かつてバーミヤンを含むアフガン東部からパキスタンにかけてのガンダーラでは仏教が隆盛したが、今はイスラム一色。「わが国も危ういと感じた」と振り返る。

 わかりやすく書かれている点は優れた記事だと言ってよい。が、冒頭「ビンラディン」が出てくるのは、4月のガーディアン記事にそれを自称したとあることを受けているためだが、背景の文脈はこの記事だけではわかりにくい。
 なぜこのような事態になったのかついては。

◇「行動は自己防衛」
 「私たちの行動は自己防衛です。仏教徒は穏やかで我慢強い。攻撃的なイスラム教徒から、せめて自らを守る必要があるのです」
 師がそう語るように、説法でも「イスラム教徒を排撃せよ」とは言わない。ただ、ヘイトスピーチ(憎悪表現)のような誇張や陰謀論が頻繁に顔を出す。
 「民主化」以降、最初の宗教暴動が起きたのは昨年6月。西部ラカイン州で仏教徒女性がイスラム教徒の男たちに集団でレイプされ、殺害された事件がきっかけだった。師は言う。「問題を起こすのは大抵はイスラム教徒です。彼らはこの国のすべての町や村で仏教徒をレイプしています。障害者であろうが少女であろうが。しかも異教徒へのレイプを称賛し合うのです」
 イスラム教徒の乗っ取り計画は、中東のオイルマネーが資金源なのだそうだ。計画遂行は21世紀中。イスラムの聖数786をそれぞれ足すと21になる、というのがその根拠だ。

 毎日新聞の報道からは、妄想的な狂信の宗教指導者が引き起こした問題が浮かびあがる。ウィラトゥー師をそのように狂信者として批判したいという視点もなりたつだろう。
 しかし、問題はそこだろうか?
 元になるガーディアンの4月の記事では、タイトルから明瞭に「レイシズム」が問われていた。
 先に仏教徒による虐殺者数を挙げたが、現実に発生しているのは虐殺であり、人権問題である。宗教という枠組みで問うなら、毎日新聞記事もガーディアン記事を引用して他の仏教徒の見解を載せているように、同じく仏教を信仰する仏教徒がこの事態をどう受け止めるかも問われる。
 現実を見るなら、ウィラトゥー師が問題の事態をすべて指導しているわけではない。仏教におけるビン・ランディン自称が物語るのは、その願望であって、実態にはあるのは、多数の仏教徒によるイスラム教徒への迫害である。ウィラトゥー師は問題の原因ではなく、問題の結果の一つである。
 宗教的な覆いをはずせば、これは民族紛争でもあり、すでにジェノサイドの様相を含み込んでいる。実は人権が問われている問題なのである。
 ウィラトゥー師に焦点を当てる毎日新聞記事は、当然ながら次のように背景を語る。

 実は、旧軍政は師を「危険人物」とみなし、刑務所に放り込んだ経緯がある。師が運動を始めた2年後の03年、師の出身地で軍政下では異例の宗教暴動が発生。「国家分断の阻止」を国是とする軍政は国家を不安定にした罪で禁錮25年を科す。
 だがテインセイン政権は段階的に「政治囚」を釈放。昨年1月の恩赦でウィラトゥー師も出獄した。ミャンマーにとり、師は民主化が解き放った救世主なのか、疫病神なのか。

 すでに述べたようにこの問題は、ウィラトゥー師という狂信的に見える仏教指導者に起源するわけではない。背景要因が大きい。この地域の仏教徒には民族迫害の素地があったが、ミャンマーの軍政権が強権によって抑圧していた。
 当然ながら、人権を優先する民主化指導者であり、ノーベル平和賞受賞者アウンサンスーチーはどうこの問題を見ているのだろうかが気になるところだが、毎日新聞記事からはうかがえない。人権という問題視点から論じられていないせいもあるかもしれない。
 欧米メディアは当然ながらアウンサンスーチーの関連動向も伝えている。どうか。彼女はこの問題への関与は弱いのが現実である。これには次の背景がある。
 仏教徒とイスラム教徒の衝突の後、イスラム教徒のみ子供は二人までしかもてないというこの地域の法律が成立した(参照)。この悪法は仏教徒には適用されない。言うまでもなく、国家が民族浄化に関与した深刻な人権状況であり、アウンサンスーチーはこの法を批判した(参照。だがその結果、アウンサンスーチーはミャンマーの多数から反感を買う結果になった(参照)。
 問題が深刻なのは、毎日新聞記事のように特定の指導者に問題があるのではなく、民族浄化に見えるような状況をミャンマーの多数が黙認しているかに見えることだ。この状況にあってアウンサンスーチーは大統領選挙を目論んでいるため、この問題にこれ以上関わらないようにしている。
 ただ、それでは人権活動とは何なのだろうか。国家的に政治状況の従属なのだろうか。
 この点、ミャンマーの人権活動家ムアン・ザーニは、仏教徒はナチズムになり得ると指摘し(参照)、ミャンマーの現状と戦前のドイツに例えている。
 ここで、もし仏教が「正しい」のなら、それはナチズムに繋がるわけはないと言えるだろうか。むしろ、独裁政権がこの問題を抑制していたように、それは他面において人権侵害を引き起こしてきたが、政治的な原理によって人権を擁護するような現実性が問われるのだろうか。


 
 

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2013.06.21

男は中年になると郷愁の味を好むのか?

 俳優というかコメディアンというか大竹まことの料理本『こんな料理で男はまいる。』(参照)の、レシピ説明の合間に彼のちょっとした食のコラムが入る。そのなかに「人は郷愁という味を食べる」というのがある。


 人にとって「おいしい物」とは何だろう。
 これまで食べたことのない新鮮な味覚に「うまい!」と感じることもあるだろう。だが、自らの郷愁をかきたてられたとき、もっとも強く感じるのではないか。

 実は私はまったくそう思ったことがない。
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こんな料理で男はまいる。
大竹まこと
 大竹は子どものころ食べた料理をもとにこのレシピを48点考えたという。どんなものか。帯にこうある。
 基本の和食の朝ごはん/だしまき卵/カニチャーハン/卵丼/そぼろ丼/海鮮キムチ丼/スパゲティナポリタン/豚肉のしょうが焼き/ハンバーグ/野菜炒め/薄切り肉のカリカリ揚げ/ポテトコロッケ/鶏の竜田揚げ/肉天/いろいろフライ/オムライス/焼きそば/アンチョビとキャベツのスパゲティ/ベーコンと野菜のスパゲティ/あさりとバジルの和風スパゲティ/スパゲティカルボナーラ/じゃがいものチーズ焼き/ホットドッグ/ガーリックトースト/バゲットサンド/ハムサンド/キャベツとベーコンのスープ/豚汁/牛スジとごぼうの甘辛煮/あじのしょうが煮/里芋のそぼろ煮/ゆで豚/小あじの南蛮漬け/なすの油炒め/じゃがいもとセロリの炒め物/ピータン豆腐/中トロとネギの串焼き/JJ風サラダ/トマトサラダ/焼くだけ5品/鯛茶漬け/昆布茶漬け/いつでもトマト/とうもろこし/ふかしいも/揚げパン/いちごジャム/みそ汁
 冒頭の「基本の和食の朝ごはん」は、正確にはレシピではない。ただ写真があるだけ。

 おいしいそうかと問われたら、おいしそうに見える、と私は答える。食べたいかと言われると、他になければ、と答えるだろう。朝、生臭いものはほとんど食べられない。食べられるのはハムやベーコンくらい。
 大竹は、男というはこんな朝食が食いたいんだというのだ。そして、先のレシピになる。どれも、たしかに郷愁のようなものは感じられるし、面白いと思うし、さらに手軽なのでこのレシピで料理を作ることもある。
 思ったのは、こうした料理を好むは今年64歳になった大竹まことの世代ではないか。昭和24年。村上春樹も同じ。村上の小説にはサンドイッチやスパゲティといったカタカナ料理から『多崎つくる』でもレストラン料理などが出てくるが、彼の味覚の重心は和食的で大竹の同世代らしいなと思う。中華が全然ダメというのは個人的なものだろうが。
 こうした料理に郷愁を覚えるのはどの世代までだろうか。私は昭和32年生まれ。郷愁のようなものは感じられるが、郷愁というのとは違う。
 そして思うのだが、大竹のこれらの料理は、本当に郷愁なんだろうか? 肉じゃがもカレーもない。肉豆腐も野菜炒めもない。大竹の料理は、どちらかというと、和風の飲み屋の料理に近い。彼のいう郷愁というのは、彼が大人になって酒を飲み出して擬似的に作り出された郷愁ではないだろうか。
 人はというか、男は郷愁の味を好むのだろうか。自分にはそんなことはないと思いつつ、考えてみると、私の場合は、アメリカ料理がそれに近い。キャンベルスープとか。世代の差だろうか。
 あの時代、昭和30年代から40年代、朝食は少なからぬ家庭でパンが中心だったと思う。昭和の時代、みんなよくパンを食っていた。大きめな国鉄の駅にはどこもミルクスタンドがあって、サラリーマンが朝、ホームであんパンを牛乳で飲み下していたものだった。
 話が少し散漫になるが、肉じゃがというのが普及したのは、1970年代後半だったような気がする。60年代には見かけなかったように思う。そのあたりの食と時代の感覚がよくわからないが。
 食卓から味の素が消えたのがいつかもよくわからない。60年代の食卓にはあった。もう現代では普通の家庭に味の素はないだろう。吉本隆明の家にはずっとあったらしい。吉本の味の素好きは、以前から知ってはいたが、『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)の挿話を読むと、実に驚く。娘のハルノがイラストを描いているが、どさっと味の素を使っている。これでは味もなにもあったものではないなと思う。吉本の食の感覚は、ある種の美食家と言えないかもしれないが、およそ私なんかとは志向が違う。
 この吉本の晩年の本も、男は郷愁の味を好むというテーマに近い。彼の場合は、戦前の東京下町の食や、九州父祖の食ということになる。
 中年以降の味覚の志向はなにで決まるのだろうか? 私は味噌汁はあまり飲まないが、飲むなら信州人の子孫らしく信州味噌を好む。万事がそうかというと、醤油は関東の濃い口は使えない。
 ご飯におかずという食をしないので、料理は基本的におかずほど味が濃くない。沖縄暮らしの影響もある。
 まあ、よくわからないが、中年過ぎると、味覚というのは回帰的になっていく人と、時代に流されていく人と、自分なりに独自のものになっていく人と三種類くらいありそうな気がする。なにがそれを分けているのかも、よくわからないが。
 
 

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2013.06.20

老いの、身体が壊れて死に至るという意味合い

 人はいつから年を取るか。自分の場合は、20歳になったときも年取ったなあと思ったし、35歳を過ぎたとき、村上春樹の短編「プールサイド」(『回転木馬のデッドヒート』収録・参照)のようにも思った。
 40歳過ぎたときもがくっときたものだし、50歳のときは漱石の年を越えることに怖れのようなものもあった。昨年55歳になったときは、父親の世代ならもう定年退職だなと思って、自著『考える生き方』(参照)も書いた。この本でも触れたが、この年まで生きられなかった人も少なくないのだから、あとの人生はちょっと別の視点で生きていこう、というか、自分を退けて、若い世代の邪魔にならないように生きるほうがよいだろうと思った。まあ、そんな感じ。
 でも、ちょっと違うかなあという感じもしている。違うかなというのは、本格的に「老い」というのが襲ってくるのはまだ先というか意外とそこまでがきついのかもしれない。『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)で吉本さんがこう呟いているのを読んで、そう思った。


 何歳くらいから、老いの自覚がやってくるのか。それは人によってさまざまだろう。
 勤務先の定年によって、生活のリズムが変わったとき、という人もいるだろう。足腰が痛くて身体を折りたたみするのがままなくなった七十歳代のとき、という人もいるにちがいない。老いなんてものは気にもしなかったのに、八十歳を過ぎた途端、これはいかんと思うようになったと告白する人もいるはずだ。

 そう言われてみると、祖母が身体の不調を訴えたのは八十過ぎてからだった。気丈な人だったが、身体も頑丈な人だったのだろう。若い頃、ドイツ人の看護婦の補助みたいなこともしていたらしく、健康には乳製品をしっかりとるという人でもあった。それはさておき、吉本さんだが。

 私の場合は七十歳と八十歳の間で、少し八十歳に近いくらいの頃だったような気がする。

 ふと、七十八という年を思った。邱永漢さんがたしか、そんころの平均寿命を目安にだったか、その頃を死ねばいいという話を書いていた。彼はその後も矍鑠と長生きしたわけだが。
 吉本さんの老いの自覚は、ちょっと意外に思える記述になっていた。

 そのとき、何が自分のなかで変わったのかを、思いつくまま挙げてみると、ひとつは、自分より年寄りだとわかれば、性別や世間的な因縁に関係なく、敬意を表すようになったということ。いきおい、近所で出くわすおばあさんやおじいさんに対して、ということになる。

 そういう感覚があるのかと読んで思った。そして、それは70代半ばにでもならなければわからないのかもしれないとも思った。
 が、それに比べればまだ若い自分でもふと似たことを思う。似たというのは、60歳過ぎた人は、どんな生き方であれ、ちゃんと60年という歴史の経験を刻んでいるだなという感覚である。その人々のなかに、なんというか、本当の歴史の経験というのがきちんと維持されているのだという、ある敬意でもある。
 これは、なんというのか、吉本さんの文脈からはずれるのだけど、性的な意味での若さが結果的に削られることにも関係している。
 老いと性の感覚というのは、実は相当にやっかいな問題なんだろうというのの半面、現実問題としては、性の感覚は若いころとは大きく違う。石田純一のような例外みたいな人もいるし、案外少ないわけでもないのだろうが、概ね50代半ばになれば現実的な意味での生殖とは関わりはなくなる。終わったというか。あるいは別の局面に移るというか。いずれにせよ、生物的な意味での生殖からは解放されてしまった人間の存在として、自分を見つめるとなる。これは奇妙な感覚ではある。人間というのは、なんとかそこまで生きて、ある種、精神的な存在になるべくしてなるようにできているのだろうか。よくわからないが。
 吉本さんの老いの話は、続いて、歯が浮くことに移る。いわゆる身体の衰退でもあるが、娘ハルノの話では60代から入れ歯だったようでもある。
 吉本さんは糖尿病でもあった。30代のころに発症している。そういえば、邱先生もそうだった。糖尿病は(糖尿病と限らないが)恐ろしい病気で、結局、吉本さんも晩年それに苦しむことになる。歩けなくなり、失明もする。
 ハルノの話では1990年代末には、尿漏れもあったらしい。

尿モレはダイレクトに人間のプライドを挫く。そこで実験好き薬好きの父のことだ。『ユンケル(のかなり高価なヤツ)』と『QPコーワゴールド』と、あるカゼ薬の組み合わせで、尿モレが軽減することを発見した。

 そのあと、それはエフェドリンのせいだろう。そして肝臓に悪影響が出たと続く。それからさらに大腸癌手術の際に、履くタイプのおむつを使うようになった。その後、吉本さんはそれを履き続けたという。
 このあたりの身体の、ある種、崩壊の感覚は、心底怖いなあと思う。自著にも書いたが私は別の方面で神経系が崩壊していくので似たようなものなのだが、それをふと忘れて他の人のことも思う。
 ハルノは続けて、こう隆明を評する。

 ある一線を越えた瞬間から意地をかなぐり捨て、限りなく自分を赦す――というのも、父の珍妙な特質だと思う。

 吉本さんは、そういう人だったのか。
 そんなはずはないとは思わない。人間というのは不可避の一本道を辿るだけだと言う彼にしてみれば、どうしようもない道はそこを辿るしかないし、それは傍からは「意地をかなぐり捨て」のようにも見えるかもしれない。が、「限りなく自分を赦す」というのはどうなのだろうか。娘が父をそのように見ていたというのは、それはそれで偉大な父だったということではないのか。
 江藤淳が死んだとき、たしか吉本さんは、そのいさましい自決の文章より、前立腺炎に注目した。いや、そのあとの脳梗塞もあっただろう。そこで、その地点で吉本さんは、彼の自殺もわからないではないとしていた。
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開店休業
 老いて、しかも、ほぼ完全に身体が崩壊させられ苦しむとき、死を選んでしまうということもあるだろう……そういう同情の心の動きのなかに、考えてみれば「赦し」というのもあるようには思える。
 考えてみれば、吉本の文学者としての一つの業績は、「追悼」を著すことでもあった。多くの死に出会い、死を貯め込んで、死を自分の身体に煮詰めて煮詰めて、それが直接の原因ではないにせよ、自身も身体を崩壊させていった。
 俺はあと何年生きるだろう。そしてその最後は、吉本や江藤のような境涯に至るのだろうかと思うと、また恐怖のようなものも沸いてはくる。が、それもまた逃れがたいものなのだというとき、人生とはなんだろうなと思う。それは、本質的に誰にも逃れがたいものであるのだろう。
 老いて、精神として生きる、という裏側で、そういう新しい局面というか、崩壊していく身体を抱え続けるという苦しみはあるのだろうな。
 
 

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2013.06.19

2013年・主要国首脳会議(G8)パズル「安倍首相を探せ」

客「日本に関連した国際報道で、今、何が話題?」
主「そうだなあ、まあ、2016年夏季オリンピック開催でトルコに並んだブラジルでも暴動とか、いくつかあるんだけど」
客「ブラジルで暴動?」
主「報道、見てない? でもま、ここはG8から見るといいかもしれない」
客「G8って、主要国首脳会議っていうやつだよね。それが?」
主「会議はいつもどおりさして意味なんかないよ。でも最後に首脳の雁首並べて記念写真を撮るんだけど、あれが重要なんだよ」
客「そうなの? ニュースで見なかったような気がするけど」
主「じゃあ、その話からするかな。今回は北アイルランドの ロックアーンで開催。G8っていうからには、V8みたいに8つの国があるわけだよ」
客「日本、米国、英国、フランス、ドイツ、これで5つ。あと3つ、イタリア、カナダと、あと1つ、ロシア?」
主「そう。安倍ちゃんでしょ、オバマさんでしょ、キャメロンぼっちゃま、オランドおっさん、メルケルばあちゃん、レッタさんとハーパーさん、そして我らがプーチン」
客「我ら?」
主「今回の主人公はまさにプーチンだから。シリア問題で西側の連携をつぶしてくれたから。でもシリア問題はこないだブログに書いたからもういいよね」
客「で、記念写真がどうなの? プーチンが端っことか」
主「そこがこのパズルの面白いところだよ。どう並ばせるか? パズルタイムの始まりだ」
客「8人の偶数だから、主役は2人だな」
主「ちょっと違う。実はあと2人、いる」
客「我らがシルビオ?」
主「いいセンスしているね」
客「君のツイート見ているからね」
主「欧州委員会委員長バローゾさんと欧州理事会議長ロンパウさん。ポルトガル人とベルギー人」
客「G8が10人なんだ」
主「というわけで、端っこはこの2人で決まり」
客「中央は開催国のキャメロンと米国のオバマかな。そして端っこの横がイタリアとカナダかな。あとは残り6人をどう決めるか」
主「とか思うよね。キャメロンとオバマはアフガン戦争も仲良く敗戦したしね」
客「左右の2人ずつの順序と考えるとするか」
主「ヒント。重要人物ほど中央に来る」
客「すると安倍ちゃんの立ち位置が気になる。もしかして、オバマさんの隣?」
主「どう思う?」
客「こんとこ韓国・朴大統領や、中国・習主席をよいしょしているオバマさんのことだから、すねないように、こんどは日本の安倍ちゃんにも気配りとかしてれるんじゃないの?」
主「プーチン、オランド、メルケルはどう?」
客「独仏は同じくらいのポジションで、連合国のよしみでフランスが上かな。とすると、キャメロンの横がオランドで、安倍ちゃんの横がメルケル。それだと独仏が同じポジションにならないか」
主「まとめると?」
客「左からレッタ、プーチン、オランド、キャメロン、オバマ、安倍、メルケル、ハーパー」
主「ファイナル?」
客「うーむ。欧州の金融問題も大変なんだよね。金を持ってるドイツをよいしょか。じゃあ、メルケルとオランドを入れ替えて、左からレッタ、プーチン、メルケル、キャメロン、オバマ、安倍、オランド、ハーパー」
主「ファイナル・アンサー?」
客「難しい。案外、安倍ちゃんがもう一段低いかもしれない。左からレッタ、プーチン、メルケル、キャメロン、オバマ、オランド、安倍、ハーパーかな」
主「ファイナル?」
客「よし!」
主「正解はこれ」

客「あれ?」
主「バローゾ、安倍、メルケル、プーチン、キャメロン、オバマ、オランド、ハーパー、レッタ、ロンパイ、でした。場所はエニスキレン城」
客「うわっ…私の首相、低すぎ…?」
主「ですな」
客「それとヒールなプーチンが高い」
主「G8の主役だからね」
客「厄介者も主役ってことか。オランドもか。ところでハーパーが高いのはなぜ」
主「だからさっき、キャメロンとオバマが仲良くアフガン戦争に敗戦したってこっそりヒント出してたんだよ」
客「カナダも戦死者出しているもんね」
主「その先はそれは言わないほうがいいかもね」
客「ところで、この写真、ZDFドイツってあるけど」
主「ツェットデーエフの報道だから」
客「日本では報道された?」
主「まあ、ね」
客「まあ、ね、ってなんだよ」
 
 

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2013.06.18

[書評]開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)

 どれが吉本隆明の最後の著作かと判じるのは案外難しい。が、その最後の様子が極めて明瞭にわかるという点では、『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)に優る書籍はないだろう。

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開店休業
 ある意味で、痛ましさを感じさせる書籍でもあり、また、吉本隆明が意図していない部分で、性と家族の世界、つまり対幻想というもののなかで、人がどのように一生を終えるのかを結果的に示した希有な書籍である。
 本書は、中高年向けグルメ雑誌と呼んでもよいだろう『Dancyu(だんちゅう)』の2007年1月号から2011年2月号に吉本隆明が40回連載した食についてのエッセイをまとめ、その40編それぞれに同等程度の長さの、ハルノ宵子によるエッセイを、彼の死後に追悼的に加えたものだ。
 連載の始まりが2006年の年末。彼が82歳といったところだ。最初の数編からは、老いてはいるもののまだ健全といってよい吉本の口調・文体が見られる。と同時に、それは吉本の著作を読み続けてきたファンにとってはそれほど目新しい話でもない。率直にいえば、80歳を越えてなお、文章量に見合った文章を見事に書き上げる売文家魂が感じられるが、それ以上のものはそれほどはない。
 吉本隆明が亡くなったのは2012年3月。おそらくこの連載を終えて1年ほどしての死であった。問題は、いや問題と言ってよいのかわからないのだが、28回目の「陸ひぢき回想」あたりから、奇妙な認識の歪みが始まり、微妙に文体に影響を与えるようになることだ。端的に言えば、惚けが文章に含まれ始まる。ハルノもその次の回のエッセイで「思えばこのころから、父の記憶の混同や迷妄は始まっていたのだと思う」とある。そして最終に向かうにつれ、しだいに文章は壊れていく。怖いものを読んでしまったなあという感じもする。
 それでいいのだ。そこが本書の独自の価値でもある。
 そこをハルノが上手にすくい上げ、彼女による白眉ともいえる結語「氷の入った水」という文章に至る。人が神人になる姿とでもいうのだろうか、それが生きた伝説のように描かれている。
 本書は結果として、吉本隆明という人が、娘・ハルノとの結果的な掛け合いのなかで、「父」の相貌を示し、それが「死」に、これも結果的にだが、収斂していく姿を描いている。そこに本書の独自の美でもあるが、これに加え、ハルノは「父」の「男」としての姿を、「母」・和子の思い出で示しているところが、もう無類に面白い。対幻想というもの、ある意味「戦場」が如実に描かれている。しかも、「食」という生物的な行為に近いところで描かれているのである。
 こう言ってもいいのかもしれない、吉本隆明という変な男と吉本和子という変な女が、ここにいる。「変な」というのは、隆明が食についての売文家らしいそつのない文章をまとめている実態の男の奇妙な偏食と、和子という食を拒絶した生涯喫煙家だった女がいるのだ。活き活きと娘の視線のなかでそれが映し出される。
 白菜ロース鍋に寄せて、こう書かれている。「はらわた煮えまくり」は和子のことである。

 でも今となっては、そんなことはどうでもいい。母は料理を食べることも作ることも、まったく愛せなかった。それだけが事実だ。きっと私にとっての、完璧な書類を書くとか、美しく印鑑を押すとか、一円の間違いもなく帳簿を記す……とかに匹敵する位、絶望的にムリな行為だったのだと思う。
 それでも母は、彼女なりに頑張ってくれていた。そこに「病弱な妻に代わって家事を引き受ける、大衆に寄りそった思想家吉本」的、分かりやすい構図が、買い物カゴをぶら下げた姿で周知となってしまったことが、”はらわた煮えまくり”ポイントだったのだろう。

 彼女は生涯、喫煙を続けていた。

 母は筋金入りの”デカダン”で、結核で片肺だったにも係わらず、タバコを手放さなかった。医者に「呼吸困難で苦しんで死にますよ~」と脅されても、「そうねぇ―」と聞き流していた。そして亡くなる前夜まで、いつも通り酒もタバコもやっていた。

 和子は結局、隆明を追うように半年ほどして死んだ。ばななの言葉では、ふだん通りに寝て朝見たら死んでいたらしい。苦しみはなかったのだろう。
 吉本隆明は「病弱な妻に代わって家事を引き受ける、大衆に寄りそった思想家」というより、対幻想という戦場に最後まで立ち尽くした戦士だった。究極の逆説的なマッチョといってもいいだろう。これが夫という男であり、父という男の姿であった。
 私は他者に憧れをもたない。自分の他者からの隔絶感が強いからだ。尊敬しても、他人は他人である。吉本隆明も、冷静に考えれば自分とは随分違う人だと思う。が、その死の姿には、密かに絶望的に、憧れを持つ。
 
 

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2013.06.17

[書評]太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで(イアン・トール)

 太平洋戦争とはどのような戦争であったか。なぜ日本は米国と戦争をしたのか。こうした問いに答えることは、容易でもあると同時に困難である。
 容易というのは、すでにレディメードな解答が用意されているからだ。だがこの容易さは、どれほど学問的な装いをしていても、連合国軍総司令部(GHQ)が指導した戦後神話の影響を受けているのではないかという疑念が伴う。なにより「大東亜戦争」という呼称が上書きされている。もっともこの呼称は「支那事変」を含めていると見てよいこともあるだろう。
 さらに戦後神話は近年では、太平洋戦争そのものの意味合いさえ薄め、「十五年戦争」的なアジア侵略を際立たせている。軍国主義日本といった思考の枠組みが優先されるからだろうか。「日本は戦争をすべきではなかった」から演繹されたような光景にも見える。
 困難であるとすれば、戦後神話を除いたとき、太平洋戦争がどのような光景に見えるか、と問うことだ。
 史実は史観を外して問われるものではないかもしれない。それでも型にはまった戦後神話の霧を晴らしたとき何が見えるだろうか。いや。そうした問いかけがまた別の神話への誘惑ではないのか。それも困難さの延長のようだ。
 容易さと困難さの振り子のなかで知性がかろうじて渇望するのは、史実の編み直しと新しい視点の可能性である。関連する個々の事象を丹念にかつ合理的につなぎ合わせる地味で緻密な編み上げ作業とともに、より大きな歴史の背景の奥行きのなかで視点を据え直してみることだ。市民が知りたいのはそこである。戦後神話でもなく、軍事史のディテールでもなく、実証的に理解できる歴史の意味である。

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太平洋の試練
真珠湾からミッドウェイまで
 本書『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』(参照上巻参照下巻)は、読後その要望に当てはまるにように思えた。
 おそらく真珠湾攻撃の70周年を睨んでだろう、2011年に米国で出版され、話題となったとき(参照)、1967年生まれと見られる46歳の若い米国人著者が、太平洋戦争をどのように問うたか、私は興味を持った。が、大著であり英文で読み通すほどの英語の力量のない私が読むことはないだろうとも思った。しかし2年経ずして翻訳された。
 読んでみると、叙述が明晰に展開されているうえ、翻訳がよいせいもあるのだろうが、こう言うのも変な言い方ではあるが、存外に読みやすい。大学生でも読み通せる。おそらく戦争に関心を持つ日本人であれば、今後読むべき歴史書の古典として残るだろう。
 本書は、表層的な戦後神話の部分は平明に除去され、事実が手際よく記されている。また通常の戦記物とは異なり、戦闘の意味を歴史の全体像のなかで読み取ろうとしている若い筆者の知的作業が読解を助ける。
 本書の内容の時代範囲は、表面的には副題にもあるように「真珠湾からミッドウェイまで」である。そして帯にあるように「米国が戦争に負けていた180日」を描いている。
 言うまでもない。太平洋戦争はその開始から半年は日本が勝っていた。米国からすれば、米国は日本に負けていた。本書はいわば、米国版『失敗の本質』(参照)である。現代米国人も失敗の歴史から学ぼうとして、本書が読まれたとも言える。
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失敗の本質
日本軍の組織論的研究
(中公文庫)
 『失敗の本質』という書籍は日本側から見た太平洋戦争の敗戦原因追及であり、ノモンハン事件、ミッドウェイ作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦という6つの個別の戦闘が描かれているが、これらの戦闘を経時的に並べ変えても総合的な太平洋戦史にはならない。複数著者も弱点になる。戦争の全体を問うのであれば、一人の統一的な視点のほうがわかりやすい。
 本書が扱うのはミッドウェイ海戦までであるが、個別の戦闘は太平洋戦争という全体の流れのなかで、統一的にかつ通史的に描かれている。著者は本書の以降の戦史についても三部作として執筆する予定らしい。数年後には翻訳で読む日を期待したい。
 本書が明確に提示するのは、太平洋戦争初期において日本は明確に勝っていたことと、それがなぜ敗北に至ってしまったかということだ。
 戦後神話であるなら、そもそも戦争が悪であるうえ、国力に大差のある米国にそもそも日本が戦争をして勝てるはずもなかったということになる。あるいは、真珠湾攻撃という卑怯な奇襲によって米国が初期には怯んでいただけで、それが克服されれば日本は負けるべくして負けたのだと思いたくもなる。だが、本書の史実を読めばそれが神話に過ぎないことがわかる。
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太平洋の試練
真珠湾からミッドウェイまで
 本書は、日本軍がなぜ米国に勝っていたのかについて、特に米国の内情に踏み込んで、かなり明晰に描いている。日本側からすれば、日本軍の戦略が優れたからとも読める。連合艦隊司令長官・山本五十六が優秀であった。
 山本は、日本が米国と戦争をすれば負けるとわかっていた。彼はなによりも日米戦争を避けようと奮迅した中心的な人物であることも、本書はくっきりと描き出している。その彼が、なぜ太平洋戦争を引き起こしたのか?
 勝てると踏んだからである。そして実際に勝っていた。
 「しかし、太平洋戦争全体としては負けたではないか、『失敗の本質』を読め」という指摘もありそうだが、敗戦の理由付けは、敗戦を後から戦後神話と整合させる弁解として機能しやすく、勝利の側面を含めて総合的に描きにくい。
 太平洋戦争開戦時の課題に立ち返るなら、重要なのは戦争の勝利そのものではなく、勝利の意味にあった。本書にも記されているように、この点では山本の認識は明確であった。この戦争が維持できるのは、「せいぜい一年半」だったと彼は考えていた。ゆえに短期間に徹底的に米海軍を叩きつぶし、講和に持ち込むことが勝利の意味のはずだった。それでこそ米国と長期戦を避けることができる。だが、講和はできなかった。
 日本が講和の機会を失した最大の理由は、南方での石油確保もあった。が、そもそもそれは短期決戦という戦略と整合していない。このあたりの国家意思のぐだぐだ感は、現代の日本でもお馴染みである。
 ぐたぐだはあえて置くとしよう。結局、山本は正しかったのか? 山本の意図どおりに戦闘を進めたら講和に持ち込めて、日露戦争のように勝利できただろうか。これも、本書を日本人が読むときのスリリングな問いかけである。
 本書は明示的には答えていないが、結果的に答えていると言ってよい。無理だった。講和に必要なのは、緒戦で圧倒的に勝利することだったからだ。
 真珠湾攻撃について、本書は日本語で読める文献としては特徴的とも言えるほど辛酸を極めた描写によって、日本軍の攻撃が容赦なかった印象を与えているが、それでも、甘い。短期決戦であるなら、ハワイを立ち直れないほどに壊滅に追い込まなくてならなかった。
 そのビジョンにおいて山本は甘かった。真珠湾攻撃の態勢においてさらなる追加攻撃もだが、それ以前に日本軍の総力をもってハワイ攻撃に注力し、壊滅させるべきだった。それでこそ、講和に持ち込めた。山本にそれができなかったのは、妥協の限界だったか、智略に溺れたか、内面怖かったからだろうか。
 本書は後半、日本軍の緒戦攻撃の甘さを突いて、米軍が命を吹き返してくる様子が刻々と描かれる。米軍の僥倖もいろいろあったようだ、その後の米軍の戦略は総じて見事だ。東京を叩くあたりもだし、特に情報戦において顕著だが、米軍の攻撃はしだいに組織的になってくる。
 本書はミッドウェイ海戦で終わる。ここから日本にとっては敗け戦の始まりであるが、その記述を読んでいくと、類書とは異なり、太平洋戦争全体での重要性は低いとされていることに気づかされる。そうしたくだりを含めて、本書では具体的な戦闘の評価において意表を突く点がある。
 
 


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