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2013.12.04

ネイティブ発想という英語の難しさ

 先日、応用言語学者でまた独自の語学教育法を開発したポール・ピンズラーとその著書「外国語の学習法」の話をしたが(参照)、その中で、米人はフランス語の発音を奇妙に思う、ということに加えて、その文法も奇妙に思うらしいといった話があった。
 米人にはフランス語は、いろいろひっかかる点があるらしい。例えば、目的語の扱いもある。"Je les lui ai lus."みたいな構文である。
 確かに、なぜフランス語がこうなるのかは気になる。基本、フランス語というのはラテン語が崩れて出来たようなロマンス語なのだから、ラテン語にそうした根があるのかというと、自分が知る限りでは、冠詞の問題と同じように、そうでもない。まあ、それはさておき。
 米人にとって英語はシンプルであっても、他言語の国民からすると、英語もけっこう難しい。しかも英語の難しさは、その表層面からはわからないところがある。どうしてこうなっているのだろうかと、いろいろ考えさせる。なのでつい、考えてみたくなるものだ。

cover
英会話イメージリンク習得法
英会話教室に行く前に身につけて
おきたいネイティブ発想
 そんな関連もあったりして、このところ、ピンズラー方式の語学などの雑文を書いていたら、勧められた本がある。「英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想」(参照)である。一読してみた。ネイティブ発想という点から英語を考えたらこうなるんだろうなと、いろいろ共感するところがあった。
 同書の内容は、同書の参考書一覧にもあるが「一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法」(参照)とも重なる部分があるように思えた。また、同書での言及はないが、以前も言及した「文法がわかれば英語はわかる!―NHK新感覚・わかる使える英文法」(参照)などの内容とも重なる点はあるように思える。
 つまり、いわゆる学校文法からは見えづらい、英語独特の難しさが、よく考察されている。同書については数学科のかたが書かれたものだが、数学的な思考からは、こうした不定形にも思える英語の難しさは気になるところだろう。
 関連してちょっと脱線してみたい。
 同書のなかで、「英語は単語を並べていくことで流れをコントロールしています」として。"I want you to go the supermarket."という例文を使って、その意味と単語の流れを説明しているが、確かに、一見やさしそうに見えるこうした構文が意外と難しいものだ。
 ちょっと思いつく例を上げてみたい。
 次の文は、不自然な英語かもしれないけど、同構造のように見える。誰かに対して、何か動作を不定詞で示すというものである。

 (a) I wanted you to go the supermarket.
 (b) I expected you to go the supermarket.
 (c) I persuaded you to go the supermarket.

 これらに対して、Whatを使ってリライトすると、少し不自然だが、文法的には、たぶん、こうなるだろう。

 (a') ?What I wanted you was to go to the supermarket. ( ?What I wanted was for you to ...)
 (b') What I expected was for you to go to the supermarket.
 (c') What I persuaded of was for you to go the supermarket.

 aは、that節でリライトできないかもしれないが、bとcは可能なので、あえてやってみると、たぶん、こうなるだろう。

 (b'') I expected that you would go the supermarket.
 (c'') I persuaded you that you would go the supermarket.

 上の3例を見ていくと、これらの差は表面下の構造を暗示しているか、不定詞が代表する文内容の扱い方の差違によるものだろう。
 まあ、どうでもいいような話だが、たぶん、「ネイティブ発想」では、こうした表面の下にある構造は暗黙に理解されているというか、一見、同構造に見える文章の動詞の働きは異なるものして理解されていて、場合によっては、同一構造になることもあるということなのではないだろうか。
 こうしたネイティブ発想の部分というのは、日本語を介して、日本語として理解すると、日本語の文章として了解されるので、もはや問題としては浮かび上がってこなくなる。
 先ほど「どうでもいいような話」としたが、通常、日本人が英語を勉強する際には問題とはならない。
 ここで視点を変えると、またこの例題を使うと、"that you he would go the supermarket"という、フランス語では接続法的な内容が、米人ネイティブの頭のなかには先行してあって、それが、非接続法的的な構文のなかに現れるという経路を無意識にたどっているのだろうとは推測される。
 ちょっとわかりづらい言い方になってので、具体例で言うなら、persuadeという動詞は、接続法的な内容を、まず"of"で受けるが、"I persuaded you to go the supermarket."というときには、不定詞との関係から、"of"が消されているのだろうか。つまり、ネイティブ発想では、persuadeには、まずその接続法的な内容が、"of"をマーカーとしているという文法意識が伴っているに違いない。
 それにしてもいったいどうして、表層から見えないこうした文法をネイティブは修得しているのかというと、おそらく、ちょっと古風な言い回しだが、"How can I persuade you of my sincerity!"みたいな別のもっとオバートな構文を、構成上先行して文法意識化するからだろう。
 こうした問題は、構文論や文法論というより、動詞の意味に含意されるものかもしれない。が、まさにそれゆえに、日本人からは、翻訳された意味で打ち消されて見えてこないだろう。ちなみに、その影響で、"*I'd be delighted to accompany with you."とか言いそうになる。
 まあ、以上は、私の勘違いかもしれないし、フランス語学んでわかってきたのだけど、こうした英語構文のビヘイビアというのは、英語特有の歴史的な背景もあるのかもしれない。
 とか思うのは、フランス語の不定詞と前置詞の関係は、英語ほどシンプルではないし、考えてみると、英語の不定詞のシンプルさはちょっと無理があるかもしれないとも思うからだ。
 
 

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